| 2008年02月26日(火) |
A新聞の岡田監督批判 |
本日(2月26日)付けA新聞朝刊のスポーツ欄を読んだ方は驚いたに違いない。東アジア選手権の総括記事として、岡田代表監督に対する批判記事が掲載されたのだ。管見の限りだが、A新聞の批判記事ほど過激な「岡田批判」を見たことがない。
中で筆者を驚かせたのは、選手のあからさまな岡田監督批判の声が掲載されたことだ。この記事を読む限り、岡田の代表監督としての資質の限界は見えている。欧州で名将と呼ばれるオシム前監督と比較することはもとより不可能だけれど、肝心なところを選手にまかせるスタンスは、ジーコ前監督に似ている。監督のこういうスタンスはいい結果を生まない。レベルアップしないことは、ジーコ前監督で実証済みだ。
“選手の自主性に任せる”という監督の「方針」は、いかなる強豪国の代表チームにおいてもあり得ない。仮にそのような表向き発言があったとしても、実際はチーム内で約束事を決めている。チームに規律がなければ、現代サッカーは成り立たない。実力伯仲の世界のサッカーにおいて、試合に取り組む方針を選手同士が話し合って決めるチームはない。
もちろん、ピッチに入れば、選手は個々の判断で動くが、その動きは反応と呼ばれるものであって、作戦に規定された動きとは異なる。A新聞を読む限り、岡田は作戦に規定された動きを選手同士の話し合いに任せているように思う。A新聞を読まなかった方に、肝の部分を要約しておこう。
《方針を立てるだけでなく、実行するための細部をきちんと示した前任のオシム監督との落差は大きい。ある選手は「オシムに慣れている中村俊は大変だ。欧州組が合流するバーレーン戦は間違いなくうまくいかない》
こんな生々しい選手の声が一般紙のスポーツ欄に載ることは筆者には記憶がない。代表選手とA新聞が岡田の「代表監督不適格論」を合唱しているのだ。
岡田が代表監督としての資質を欠いている所以は、サッカーの戦略・戦術の構築力の欠如、組織指導力の欠如にとどまらない。常軌を逸した中国戦後の記者会見において、岡田は、主審と中国チームの批判をしなかった。その理由が自身の判断ならば、選手の信頼を損なう要因の1つとなろう。岡田が日中の政治的関係を慮ったとするならば、岡田は代表監督よりも外務官僚や政治家に向いている。選手は怒りを抑えて中国と試合をし、勝利した。主審と中国チームに対し、怒り、憤り、不平不満を抱いて当たり前だ。にもかかわらず、自分達の将が試合後の記者会見で、〔外交辞令〕を述べるにとどまった。岡田は戦う集団の将ではない。岡田が北朝鮮の主審と中国チームを批判したからといって、日朝関係・日中関係が悪化するはずがない。岡田の頭の中では、スポーツは政治と関わらない、という小利口な知恵が働いたのかもしれない。岡田がスポーツマンならば、スポーツマン精神、フェアプレイ精神から、北朝鮮の主審と中国チームを批判すべきだった。それが唯一、体を削られながら中国に勝利した代表選手の労に報いる術だった。
東アジア選手権は、有意義な大会だった。東アジアのわずか3カ国と公式戦を戦い抜いたことによって、岡田の代表監督としての能力の欠如が公になった。協会が動くなら、いましかない。
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