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2008年02月25日(月) 東アジアの頂点

サッカー東アジア大会が終わった。岡田が代表監督に就任して始めての公式大会だ。W杯予選は長期間、ホームとアウエーを1試合ずつ戦っていくが、大会では中2〜3日で集中的に試合をしなければならない。選手には集中力とスタミナが要求される。しかも、東アジアという特殊な歴史性、地理性が背景にあり、参加国は日本に対して闘志を燃やして試合に臨んでくるばかりでなく、主審のジャッジも日本に不利な場合が多く、スタジアム全体が日本を敵視している。完全アウエーのタフな試合が続く。日本は優勝を逃したのだが、日本代表に足りなかったものは何か。

過酷な大会であればこそ、チームが成長する絶好の機会となる。別言すれば、日本代表チームは、こういう大会を経験することによって、大きく成長する。東アジア大会のような機会はまたとない。欧州には、このような大会はないが、全欧州規模で国際親善試合が組まれており、公式戦なみのファイトが繰り広げられている。先日衛星放送で放映さえたスペインVSフランスは、親善試合だったけれど、とても厳しい試合だった。実力伯仲の国が短い移動時間でマッチメークできる欧州は恵まれている。中東の「ガルフカップ」も有名だ。「湾岸」というと戦争をイメージするが、この大会は、中東勢の威信をかけた公式戦だ。

しかし、大会を年間に何度も開催することは難しい。代表選手を鍛えるには、思い切った海外遠征を行うことだ。日本の雨季は6月だが、このあたりをJリーグの中断期間として、代表チームが海外遠征できるといい。遠征というと「欧州遠征」が定番だが、東南アジア、中東、中南米にも行きたいものだ。五輪代表が米国遠征を行ったことは意義がある。

さて、筆者は、東アジア大会を戦った岡田ジャパンについて、「日本代表は本当にこのままでいいのか」という深刻な思いを抱いた。代表選手選考、選手起用、戦略・戦術、勝負へのこだわり、選手の士気・・・表現は稚拙だが、日本代表選手には、「サバイバル」の意識が欠如しているように見える。

北朝鮮の選手は、○○に負ければ、国で生きられない、くらいの強い危機意識があるように思う。危険なプレーを繰り返した中国選手には、○○に負ければ、国民から見放される、という思いを抱いて試合に臨んでいたように思う。韓国のある選手は、日本との試合では、戦力・戦術は関係ない(=勝つ意志の強さが試合を決める)、と言い放った。

勝利への思いで相手を上回り、技術とパワーで相手を上回れば、必ず勝てる。だが、日本代表の選手には、他の3国と同じような意識はない。だから、日本は優勝できなかった、とは言わない。東アジア3国の選手が日本との試合に抱く意識と、日本選手が3国との試合に臨む意識には隔たりがあって当然だ。逆論でいえば、日本には、3国の「勝利への意志」を粉砕する技術とパワーが求められている。日本代表監督は、純粋スポーツとして、東アジアの3国に勝ちきる意味を選手に植え付けなければいけない。言葉は悪いが、日本代表選手の間に、“格下の相手に負けるわけにはいかない”という、意志が形成できるかどうかだ。岡田にスポーツ伝道師としてのカリスマ性があるかどうかとも換言できる。


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