北海道日本ハムファイターズが日本一になった。おめでとうございます。札幌ドームは日ハムファンで埋め尽くされ、ホームアドバンテージが発揮された。読売が出る日本シリーズとは違った雰囲気。これがプロスポーツのあるべき姿だ。札幌ドームの中継を見ていて、2006年シーズンを持って、読売一極集中の日本プロ野球が終わったことを確認した。筆者が長年待ち続けてきた瞬間だった。
日ハムが北海道に根付くまで、関係者の努力があったことを報道で知った。北海道は「巨人ファン」ばかりだ、寒いから野球を見に行かない・・・等々反対の声が渦巻く中、日ハムは札幌移転を決めた。勇気のいる決断だったと思う。
日ハムがホームで人気を獲得するにあたって、新庄選手の果たした役割は想像以上に大きかった。「新庄劇場」というパフォーマンスまでやった。彼は自費で札幌ドームに自分の広告看板を借りた。広告費は年額5000万円近く。彼はは自腹を切ったという。ファンサービスにも努めた。新庄が観客席のグラブをもった少年とキャッチボールをする映像は、心打つものがあった。サインも厭わなかったらしい。人気におぼれ、ファンと一線を画した読売の選手の高慢な態度とは違って、新庄以下日ハムの各選手は好感が持てた。
さて、それでも、新庄型のパフォーマンスは彼をもって最後にしてほしい。野球選手のサービスはパフォーマンスではない。選手とファンの交流は必要だけれど、グラウンドをオートバイで走ったり、パラシュートで降りるのは、ちょっと違うだろう。
プロ野球の“プロ”とは、言うまでもなくプロフェッショナルのプロ。プロフェッショナルというのは、その道の専門家のことだ。よく、プロなんだから観客を集めるために手段を選ばない、と言う人がいるが、間違っている。専門分野で人を呼ぶのがプロなのであって、話題づくりやパフォーマンスで人を呼ぶのは、プロのやることではない。専門分野のレベルが低いから客が集まらないのであって、その道を極めず、専門外のパフォーマンス等の手段で客を呼ぼうとするのは、真のプロを放棄したもののやることだ。
ファンは面白さを求めているという。が、専門外で集めた客は、飽きればすぐ離れていく。その一番いい例が、サッカー日本代表(ジーコジャパン)と亀田兄弟だ。日本ではテレビとプロスポーツが奇妙に融合し、視聴率アップのためスポーツ選手の芸能化が進んでいる。たとえば、中田英はサッカー選手なのかタレントなのかわからないまま、サッカー選手を引退した。彼が日本のプロサッカー選手のさきがけとして世界に挑戦し、結果を残したことは認めよう。だが、彼がジダン、エトー、ロナウジーニョ等々の世界レベルの選手であったかどかは評価が分かれる。筆者は、中田英の実力について、セリエAのビッグクラブでは「控え」クラスだと評価するし、英国プレミアでは「通じなかった選手」だと評価する。彼が日本企業のCMに出続けようが、それとサッカーの実力とは別物だ。
日ハムの優勝は、日本のプロ野球のあり方を変える可能性を示した。そこに果たした新庄選手の存在は大きかった。だが、「新庄」は劇薬であって、日ハムが下位に低迷し続ければ、彼はピエロで終わったのだ。日ハムと新庄は賭けに勝ったけれど、リスクは高い。だから、日ハムの選手には、新庄の後を追ってほしくない。スポーツ選手がピエロで終わるほど、惨めなものはない。
日ハム選手には、野球の技術を高め、グラウンドで全力プレーをすること、プロ野球選手と同時に、地域のリーダーとして地域住民と親密に接すること、地域社会の活性化に寄与すること、ボランティア精神を忘れないこと・・・を求めたい。新庄の真似だけはしてほしくない。
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