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2006年10月15日(日) 川淵氏の「巻批判」にあきれる

川淵会長が日本代表FWの巻を「下手」とこき下ろしたという。川淵氏の巻批判は巻の後に控えるオシム監督への批判だろう。オシム監督を正面から批判できない川淵氏の焦燥感が巻を直撃した。筆者にはそう思える。

オシム路線は、これまでの川淵路線と異なっている。前任者ジーコなら川淵商法に加担して、親善試合に海外組を呼び戻して大興行を行ったはずだ。川淵&ジーコは代表商法という価値観を共有していた。一方、オシム監督は海外組のコンディションを慮って、代表試合は国内若手起用で一貫している。テレビの視聴率は上がらない、チケットは売れない・・・と、代表ブランドの人気低迷が続いている。

先のガーナ戦、アジア杯予選のインド戦の2試合を通じ、確かに巻は無得点だった。ポストプレーに関しても、巻がボールを落ち着かせたシーンは少なかった。では、巻は日本代表FWとして失格なのだろうか。ジーコ監督の時代、川淵会長は、代表選手を「下手」とこき下ろした記憶がない。たとえば、長く無得点を続けた柳沢をかばい続けた。柳沢が海外組だからだ。おそらく、川淵会長は自国リーグであるJリーグで活躍する選手よりも、イタリアに遊学している柳沢の実力を評価したのだと思う。川淵会長とジーコ前監督は、「海外組」信仰という意味で相互に価値観を共有していた。

筆者は、ジーコ退陣と同時に、その責任をとって川淵氏も会長職を辞すべきだと書いた。ジーコを信任してきた人物が、オシムのサッカーを信任できるはずがない、というのが筆者の持論だからだ。ところが、川淵氏は会長職に居座り、オシムサッカーにさっさと乗り換えた。このような信念の変節を「転向」と呼ぶ。第三者から見れば、「転向者」を信頼することは難しい。だから、筆者は川淵氏を信頼していない。

筆者は川淵会長とオシム監督は近い将来、衝突すると書いた。いまのところ表立っての衝突事件は起きていないが、このたびの川淵会長の「巻批判」は、両者の衝突の前兆だと心得ている。

いまの日本代表選手に必要なのは経験だ。ジーコ時代の4年間、若手が経験を積む機会は皆無に近かった。そのツケがいままわってきたのに過ぎない。川淵氏がジーコ監督を「下手だ」と酷評してくれたら、あるいは、ジーコに世代交代の必要性を促していたら、日本代表はもっとましなチームになっていたはずだ。

川淵会長はジーコと共にあった。自らの怠慢を省みず、一生懸命努力している選手を罵倒するとは、それが日本サッカーの最高職にある人間のすることか。


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tram