| 2006年07月15日(土) |
技術委員長は会長のパシリか |
日本サッカー協会が14日、都内で技術委員会を開き、日本が2敗1分けと1勝もできずに1次リーグで敗退したW杯ドイツ大会の傾向や敗因などを分析したという記事を読んだ。それによると、田嶋幸三委員長は「前線からプレッシャーを掛け、ダイレクトプレーを防ぐ戦術に変わっていた。パス2、3本でゴールまでいくのがほとんどなかった」と今大会の傾向を指摘。その上で「(日本は)個人のベースで勝てるかどうかを分析する必要がある。次の世代をどう伸ばしていくかが大切」と語ったという。ただ、ジーコ前監督の采配(さいはい)などは検証されず、田嶋委員長は「彼は今までの経験を出してくれたと思う。こういう選手交代で負けたという分析はあまり意味がない」と述べるにとどまり、具体的な敗因についても言及しなかったという。 協会の中で技術委員会、技術委員長がどんな仕事をするのか知らないが、W杯の敗因分析の結果を発表する立場ならば、協会の要職中の要職だろう。おそらく、同委員会、同委員長が日本代表の在り方を決定する力がある、というか力がなければいけない。にもかかわらず、W杯の一般的傾向を述べるにとどまり、しかも、ジーコ体制、ジーコ采配については一切触れなかったというから、あきれて物が言えない。報告は8月に出されるというが、内容はまったく期待できない。批判的姿勢を示さなかったのだから、当たりさわりのない作文で終わるだろう。 でもよくよく考えてみれば、同委員会、同委員長というのは、川淵・ジーコ体制の中にあって盲腸のような存在なのかもしれない。あってもなくても影響がないと。もちろん、川淵・ジーコ体制を批判するような分析が出せるはずがない。 田嶋氏といえば、先般のオシム騒動の渦中、オシム氏の自宅に契約をとりにいった人だった。なんだ、川淵氏のパシリか。真の技術委員長ならば、まず、ジーコ体制の失敗を総括し、そのうえで適正な代表監督リストを作成し、広く国民的に議論をするなかで決定に至る道筋を考えるべき立場にあるはずだ。当然、川淵・ジーコ体制の根本的批判が総括の中に盛り込まれていなければいけない。 技術委員会という日本語をそのまま受け入れれば、技術を司ることは議論の余地がない。技術は権力とは相対的独自の関係になければならない。そもそもトップダウンで生まれたジーコ監督。技術委員会が代表監督の決定に関与できないというのであれば、同委員会など不要だ。協会において技術委員会が機能しないのならば、日本サッカーの未来は暗い。協会はなんでもかんでも監督に丸投げなのか。
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