木を見て森を見ず、という諺がある。既存のプロ野球球団が抱えている問題は、球団経営の赤字ではなかったのか。経営危機を解消できない経営者の集まりである機構とやらが、新球団の申請に対して、適正な審査ができるはずがないではないか。 機構もマスコミも、プロ野球が抱えている問題の本質を隠し、ライブドアーと楽天のどちらが新規参入者として適正なのかに問題を矮小化してしまった。その根源には、マスコミがプロ野球を文化だと言い、球団が公共財であるという(球団はファンのものという意味の)論陣をはったことにある。球団が公共財ならば、サッカーのJリーグのように企業名を外すべきなのだ。そうなれば、球団所有者が近鉄からライブドアーまたは楽天に変わろうが、問題は起きないし、売名行為で参入しようとする企業を入口で排除できる。しかるに、機構はそうした本質的なプロ野球改革の流れを中断して(せいぜい、交流試合の開催を決定したくらいで)、新規参入者2者の動向に世間を注目させることに成功してしまった。この誘導に一役も二役も買ったのが、マスコミだ。 私は、新規参入者に対する審査過程を公開することは間違っていないと思うが、その場合、審査する委員会を構成する委員長・委員の人選過程から公開すべきなのだ。機構はそもそも各球団が抱えている経営に係る問題を解決できず、選手会のスト実施にまで事態を混乱させてしまったのではなかったか。機構に求められるのは、自らの無能を反省すること、これまでの混乱の責任をとって上層部が退陣すること、プロ野球のあり方を原点から議論し、修正すべきところは修正できる者に機構運営をバトンタッチすること――ではなかったのか。 機構は、新たな機構組織を立ち上げる役割を含め、審査委員会に改革者(アドバイザー的人材を含め)を集めるべきだった。審査委員会は新たな申請者の審査を行うと同時に、機構そのものの改革、すなわち、プロ野球改革を断行する役割を担うべきだった。そうなれば、新規参入者とともに、プロ野球の新しい方向性を示すことができただろう。 繰り返すならば、資本主義経済体制下においては、企業は既存事業から撤退する自由をもっている。もしそれを許さない者がいるならば、その体制を資本主義とは呼ばない。 もちろん資本主義体制にも公共的主体は存在するのであって、その代表が地方公共団体だ。プロ野球球団が公共財として社会に位置づけられることを志向するのならば、たとえば、地方団体名(都道府県名、市町村名)を球団名に冠すべきだ。 企業名が冠されたプロ野球球団は公共財ではないし、文化財とは呼ばない。プロ野球機構が球団名に企業名を入れるのであれば、プロ野球球団は企業の宣伝媒体にすぎないのであって、公共的かつ文化的な財ではない。マスコミがそれでも公共財だというのならば、彼らは資本主義体制以外の体制支持者であって、自分が信ずるイデオロギーを勝手にまたは恣意的に、誌上や映像に書いたりしゃっべているにすぎない。 蛇足で付け加えるならば、ライブドアー、楽天の2者は、この間の騒動で、球団所有以上の宣伝効果(パブリシティー)を得た。大手広告代理店が、2者が得たパブリシティー効果を宣伝費換算するならば、もしかしたら億の単位を超えているかもしれない(広告宣伝業の素人なので根拠はないが)。 だから、2者が申請の目論見書で3年後黒字転換等々のもっともらしい収支計画を出したとしても、無視してかまわない。彼らは3年間、球団経営で赤字だったとしても、新規参入以前の現在のドタバタ報道で、本体企業として十分な収益(宣伝広告費換算)を上げている。それでもマスコミがいまのプロ野球球団を社会的公共財だと強弁するのならば、マスコミはライブドアー、楽天からキックバックを得ていると推測できる。
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