今日はお見舞いに行った叔母の事を書きます。 叔母の名前はM子と言います。
病名は 「大腸がん」
ぱんちゃんパパが闘病中に発覚しました。
トイレで便器に血がベットリ凄くって。 「誰だろう?」と家族で大騒ぎになって それがM子叔母さんのものだったので、 検査に行き、大腸がんがわかったのでした。
ぱんちゃんパパは10人兄妹の上から3番目。 M子オバサンは末の妹です。 パパとM子オバサンは20歳年が離れています。 もう、自分の子どもと言ってもおかしくないほどです。 実際、パパが終戦後に田舎に帰ってきたら 知らない間に兄妹が何人か増えていてビックリしたと 言っていた程なのです。
M子叔母さんはこのとき、本人は抜きで 「あと半年〜1年」と言われていました。 もちろんそれは余命という意味です。 パパの実家の嫁(パパの兄嫁)にはこの事実を 暫く伏せていました。 なぜなら。。。
兄嫁は早くにお嫁に来たけれど、中々子どもに 恵まれず、おばあちゃん(兄嫁にしてみれば姑)が 次々子どもを産んでいた状態でした。 だから兄嫁はM子おばさんは義理の妹になるわけですが 子どもがいない分、自分の子どものようにM子叔母さんを 可愛がり、育てました。 だから、先生からの話をするのは酷だということで 暫くは伏せていたのです。 もちろん、後から話を聞いて、兄嫁は相当ショックを 受けました。
癌が発覚して、最初に大腸の手術を行いました。 最初は大腸を切除し、人工肛門をつけるという話も あったようですが、どうやら医者が一番大きい癌を 摘出しなかったようです。 小さい癌だけ取ったそうな。なんだソレ!状態ですよね。 もちろんこれは当初は判らなかったんです。 ところが、手術してみて、肝臓に転移している事が判り、 セカンド・オピニオンを受けに国立がんセンターに 叔母は家族で上京しました。 パパの闘病日記にもその事が書いてあります。 丁度パパが退院する日だったのです。
国立がんセンターは癌専門病院ですから、 大腸に残した癌が判らないハズはありません。 だから、きっと宮城の病院の先生は肝臓へ転移した データのみを持たせて上京させたと私は思う。 転移した肝臓へのセカンド・オピニオンとして がんセンターに来たのでしょう。
M子叔母さんの肝臓への治療は田舎と国立がんセンターの 治療と同じでした。 だから叔母は田舎で治療すると行って帰ったのでした。
叔母は、直接肝臓に管を入れ、抗がん剤を入れるという 治療でした。 その後、癌が落ち着くようであれば手術で癌を摘出する ということでした。 実際、抗がん剤の効果が見られて肝臓の手術は受けています。
今年1月。 M子叔母さんは、パパの一周忌には来れませんでした。 健康な大人は、1日に出るお小水の数は20回と 言われています。 叔母は薬のせいからなのか、午前中だけで20回も トイレに行くという状態でした。 だから法要も見合わせたのです。 このとき、元々取り残していた大腸がんが 体の中に巣くっていました。 パパの一周忌(今年1月)の時にトイレが 近いというだけでなく、便が出ない状態だったのです。 これは、取り残した癌が大きくなって、腸を塞いでしまい 便が出ないという状態だったのです。 そして・・・。
この大腸がんが転移し、脊髄に張り付いてしまいました。 病院が言った言葉。
「ここではダメですから大きな病院に転院して下さい。」
・・・なんだよソレ!
叔母は佐沼から古川へ転院しました。 検査後、医師からの言葉は。
「手術でお腹を開けてみなければ判りません。 お腹を開けて、場合によっては手をつけず 閉めるかもしれません。 その場合は2時間で出てきます。」
つまり、病院の検査では相当癌が進んでいるという 結果が出たということですよね。 かわいそうなおばさん・・・ 3度も手術を受けるなんて。。。
つづく
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