楓蔦黄屋
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2022年04月29日(金) 壬子・CDプレイヤー

とか何とか言ってたらCDプレーヤーをポチってしまったよ。

なんのことはない、noteでくるりの岸田繁が
たまにはCD聴いてみるといいよ、と書いていたので
ほう、じゃあたまにはCD聴いてみるかな、と思ってプレーヤーを探したら
いかにも私好みの、安っぽい、ちょっとダサい、いい感じに実家感のある色のプレイヤーを見つけてしまったのだ。
サイズ感もいい。電池だけじゃなくてアダプタで動くのもいい。

ラジオも聴ける。
カセットプレイヤーを兼ねたラジオを持ってはいるんだけど
電池の減りが早いのでなんとなく使うのをためらっちゃうんですよ。

何回も言ってることだけど私は「それしかできない」機器が好きだ。
CDしか聴けない機器。おまけでラジオ。最高だ。

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ラジオを聴くのがヘタでね。

流し聴きをしてもいいと気づいたのがごく最近。
ラジオっていうのはとにかく面白いトークをするものだから
一言一句聞き逃してはならないと気合いをいれていた。
結果、疲れてラジオを聴くのが億劫になってしまった。

子どもの頃、母はAMラジオを聴くのが好きで、朝は必ずかけていた。
テレビはつけると動けないけどラジオは動けるのよ、が口癖だ。
私もそう思う。視覚を確保されると人間は動けない。聴覚だけなら動ける。

CDも流し聴きができない。
気合いをいれすぎているからだ。
何なら一緒に歌っているからだ。

でもくるりの岸田さんは、流し聴きしてると言っていた。
プロがそうなのなら流し聴きしてもいいのかな。

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うちにスピッツの「ハチミツ」あったっけ。

その昔、姉のCDコンポを借りて初めて自分でカセットにダビングしたのが「ハチミツ」だった。
そのときになぜか「Y」だけがうまくダビングできず、何回も何回も頭の部分だけ聴いた覚えがある。

「ハチミツ」の曲はだいたいがポップで明るい曲調だけど、
「Y」はこう、しっとりしている。霧雨っぽい。
だからよけいインパクトがある。

高校の頃、マラソン大会で川沿いを走った日がちょうど霧雨で、視界が白く煙っていた。
走っている最中、頭の中をずっと「Y」が流れていた。
友達にそれを言ったら「Y」のイメージはないな〜、と返ってきたのを覚えている。
そうか、人それぞれだな、と思ったのも覚えている。

そういうわけでプレイヤーが届いたら「ハチミツ」を通しで聴きたい。
あったっけかなCD。

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CDを聴くためには部屋を掃除しなければ。

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「ノットフォーミー」という概念を初めて知る。

もともとはボードゲームにおける概念で、「私向きじゃない」という考え方だという。
ほー。
楽しめなかったゲームを「クソゲー」とゲーム主体で呼ぶのではなく、
「ノットフォーミー」と自分主体で呼ぶことで誰も傷つけずに済む、という概念、らしい。
合ってるかな。まあいいや。

「ノットフォーミー」という概念を初めて知る、というか、
その概念に名前がついていて広く認知されいてることを初めて知った。
ゲームに限らず、言うなれば私の世界はけっこう昔からノットフォーミーだらけだったからだ。

そのたびに「これは俺を必要としてないな」と思った。
「俺がいなくても完成するやつだな」と。
それがつまりノットフォーミーということなんだろう。

しかし同時に私の世界はフォーミーであふれかえってもいた。

どっちか片方だけじゃない、というのがきっと大事なんだろう。
択一が苦手だ。ひとつ選ぶぐらいなら全部もらう。



2022年04月26日(火) 己酉・イボとってきた

イボとってきた。レーザーで。
ついこないだ美容医療はやらないとか何とか言ってたが、やった。

顔面にあった大きなイボ。
老人性疣贅(ろうじんせいゆうぜい)もしくは
脂漏性角化症(しろうせいかくかしょう)と呼ばれます、とググると出てくるやつに
ぴったり該当する感じのイボ。

もう10年はつきあってきたと思う。
皮膚科に行って液体窒素でしゅーっとやってもらったこともあった。
通い続けてたらある日いきなり違う箇所をしゅーっとやられて、
それでなんか興ざめしてしまって通うのをやめたら
ほぼ治りかけてたのが復活してしまって幾星霜。

測ってもらったら1cm近くあった。
私の黒目の直径と変わらない。けっこうな存在感。

コンシーラーを塗ればまあ色は目立たなくなるんだが、
こう、なんつーの、ぽこぽこと小さく盛り上がっているのでどうしても気になる。

ハトムギもヨクイニンもあまり効果なし。
木酢液クリアが一番効果があった気がするが、うっかり途中で忘れたりするとあっというまにまた元に戻る。

めんどくさくてもう手っ取り早くとっちゃうことにした。

調べたらそんなに値段も高くない。
美容院代を回せば済む話だ。
それでこのイボがなくなるなら安い。

かくして、サクッととってもらった。

とってもらったあとにそば屋でそばを食べて、
帰って鏡を見たら血がにじんでいてちょっとハロウィンぽかった。

術後の経過が楽しみだ。


2022年04月25日(月) 戌申・さぶすく

サブスク時代。

ゆーちゅーぶをよく観るので、広告ウザさにプレミアムに加入している。
そしたらみゅーじっくのほうも聴けるようになった。

聴いてみるとやめられんなこれは。

CD世代なもんで、音楽=物理的に手に取れるもの、という認識がまずある。
発売日にCD屋さんに行って、宝物みたいに買う。
それが音楽だったし、今もそれは最高の幸せだと思っている。

それがCDをネットで買うようになって、届いてもなかなか開封しない、なんてことも起きるようになってしまった。
これではいかん、と思いつつ、忙しさもあってそんなこんなだ。

でんぱにハマってからは、リリイベや特典ゲットの手段になっているところもある。
CD買っても結局電子でも買うからだ。

近年では、お気に入りの音楽は
電子とレコードで買って、逆にCD買わない、みたいなとこまできてしまっている。

無印のCD再生専用の機器が壊れてからはなおさらだ。
あれ買い直さないとな。

CDさえそんなありさまだから、サブスク配信なんか手を出したらもっと音楽への扱いがぞんざいになってしまうかと思ったんだが。

これがわりといい。
「ちょっと聴いてみたいな」で聴ける音楽が増えたからだ。
具体的に言うと羊文学やミームトーキョー、GANG PARADEや藤原さくら。
いいねえ。

CD時代だったら、友達がたまたま貸してくれでもしなければ出逢えなかった曲たちに会える。
これはいい。

何でもやってみるもんだ。

サブスクがあるからといって、今まで好きだった音楽たちへの情熱が薄れるわけではないし。
むしろ新曲が買わないうちに聴けるというのは、よく考えれば高校のとき
バイト先で聴いていた有線に似たものがあってなんだかとてもいい。
なんとなく聴いて聴いて、それから買うという新鮮さがよみがえる。

iPod nanoを間違えて洗濯されて、壊れてしまった。
ゆーちゅーぶがあるからいいかと言われればそうでもなくて、音楽再生専用機器がないとこれがなかなか不便だ。
「それしかできない」というガラパゴスな機器というのは実は便利なのだ。
それしかできないから、頭を使う手順がひとつ減る。脳内のメモリが解放される。
iPodシリーズはもうtouch以外買えなくて、ウォークマンを買う予定。

2022年04月01日(金) 甲申・SOUNDS OF TWENTY

SOUNDS OF TWENTYかー。

SOUNDS OF TENの東京ドームを昨日のことのように覚えている。

「プレイボール」を聴くと、巨大な野球ボール型の風船が、
そこかしこでぼよんぼよんと飛び交っていたことを思い出す。
曲の大きさに見合う壮大な景色だった。みんな笑顔だった。

あれから10年も経つのか。
大きなことがたくさんあった。
2012年じたいにも、いろいろなことがたくさんあった。
自分の力ではどうにもならないことがこの世にはあると思い知った年だった。

そこから10年。
手をのばせばいつでも届くと思っていたら
案外と地中深くうずもれていた底力みたいなものを
ムリヤリ掘り起こしねじ曲げて押し上げて、泥だらけの芽を地中に出したような日々だった。

YUKIちゃんは何があっても笑っている覚悟をきめているという。

私は何かあるととりあえずすぐ泣きわめく。
さんざん泣きわめいて、空っぽになるまであらゆる罵詈雑言を吐いて、
それからしばらく力尽き、「さて」と何事もなかったかのように手を動かす。
泣きはらした目は真っ赤でパンパンに腫れ、鼻をズビズビ言わせたまま。

不格好だ。
とてもYUKIちゃんみたいにはなれない。
いやなれるわけがないんだけど。

でもまあ、不格好なりに、がんばるよ。

SOUNDS OF TWENTY。私の中にもたしかに鳴り響いている。

2022年03月15日(火) 丁卯・カムカムエヴリバディ

母方の祖父は結婚を3度したらしい。
祖母も2度。
どちらも最後の結婚相手がお互い。

相手が子どもを産めないから、とか、相手が身体が弱いから、とか
相手が事故で足を失って働けなくなったから、とか
そういう、自由意志とはほど遠い理由で離縁させられたらしい。

そして祖父は戦争でどこかの島に行った。
毒があるから食べちゃダメな芋を
空腹に耐えかねて食べた仲間が目の前でばたばた死んでいったらしい。

祖父は帰国して、それから末に母が産まれた。

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父方の祖母は想い人と添い遂げられなかった。
子どもが8人産まれ、そして2人は子どものうちに亡くなった。
そして末に父が生まれた。

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母が受験を許されたのは進学高校1校だけで
そこに受からなかったために就職を余儀なくされた。
受かっていたら母は地元を出なかったかも知れない。

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それからまもなく祖父が事故で亡くなったとき、母は17歳。
そこから東京へ行き、夜間高校で父と出会った。

一度つきあい、別れ、そしてまたつきあった。

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父が転勤になり、東京を離れて田舎に家を建てた。
すでに子どもが二人いたが、こんなにのんびりしたところなら
もう一人ぐらいいてもいいと、そんなわけで私が生まれた。

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「カムカムエヴリバディ」でひなたと桃が
「お母ちゃんが(死のうとした)お父ちゃんを止めてなかったらと思うと
 (自分たちは産まれてなかったのだから)ぞっとする」
と言った気持ちがよくわかる。

父が転勤にならなければ私は生まれていないからだ。

小学生のときにその話を聞かされたときは本気で怖かった。
産まれてきたということは本当にそれだけで奇跡だと実感し、
そして死というものが改めて怖くなった。

のちに祖父母の話をきいて、もっとビックリしたものだ。
「あっっっっっぶねええええええ!」というのが第一声だった。
祖父母のときから本当に綱渡りで自分までようやく繋がっているのだった。
自分の意志ではないところで起きてしまった出来事の積み重ねでいま私という子孫が生きている。

曾祖父母のことを知ったらきっともっと
「あっっっっっっっっっっっっぶねええええええええええ!!」と思うのだろう。
残念ながら私は母方の曾祖母のことをちょっぴりしか知らない。

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「おちょやん」で千代が、流しに流れた米粒を食えと意地悪のつもりで言った女中頭の言葉に
「ええの!?」と大喜びで食べた、というエピソードがある。
私はそれを観たとき「うちのママじゃん」と思った。
彼女はごはんを炊いたあとの圧力釜を水とたわしでこすったあと、そこに残った米粒を食べるからだ。
「ダメなのよーお米だけは捨てられないのよー」と。
子どもとしては別にとくにそれをどうとも思わなかったが、
「そのたわし絶対きれいじゃないよね」と思ってはいたので真似はしなかった。

真似はしなかったがそういう母をどこか誇りに思ってはいる。
母なら千代と同じように大喜びで食べるか、意地悪に対抗して素知らぬ顔で食べるだろう。

当時の近所のおばさんが一人、その行為にどん引きしていたと聞いて
私はもともと嫌いだったそのおばさんのことを「やっぱりたいしたヤツじゃねえな」と再評価した。

母は
親が死んだり大学に行けなかったりいろいろといちいち不遇だが
やけに明るい…というか妙なおかしさがあって、そしてやたらタフだ。
父が働くのが嫌い&浪費が好きなため(この性質は私にしっかり受け継がれている)
わりとけっこうな困窮家庭であったはずなのになぜか持ち家を3回買ったぐらいタフだ。
しかも数年前にローンを払い終えている。
「よく払い終えられたなー」と父と一緒によく感動している。

最近は電話するたびに
「給料日に給与支払口座からローン引き落とし口座にお金を移動させるために
 ATMを走り回ってたけどその必要がなくなってホントにラクよ〜」
と言う。

私は自分の家がけっこうな困窮家庭であることを長年自覚せずに育った。
大学金の奨学金申請の際、「両親の収入」の数字が
記入見本よりもはるかに少なく、
「あ、これなら奨学金の申請絶対通るわ」と安堵したことを覚えている。

要するに借金をおっかぶされたわけであるがその自覚もなかった。
「ごめんね不甲斐ない親で」と謝られたが別にとくに何とも思わなかった。
それより他に謝ってほしいことはごまんとあるけどまあそれに関しても特に期待してなかったからというのもある。

その借金も今はもうない。
自分で完済したのだ。それもけっこうな誇りだ、というのを完済してから初めて知った。

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なんか話がどんどん逸れたが。

そういうわけで「人に歴史あり」とか「人から人へ繋ぐ、継いでいく」という概念が
ものすごく好きなので今の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が大好きだ、ということを言いたかったわけです。

自分に繋がる人のことを知ったり、想いを馳せたりして
嬉しく感じるのは幸せなことだなと思ったりする。





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