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風紋 もくじ / この前 / この後
数日前のことになるが、久しぶりに演奏会を聴きに行った。以前は吹奏楽、オーケストラ、ブラスバンド(ブリティッシュ・スタイルの金管バンド)、合唱などを中心に、興味がある演奏会があれば割とどこでも何でも行っていたのだけれど、最近はあまり行っていなくて、いまは一番最近に「演奏会」というものに行ったのはいつだったかということがわからないくらい久しぶりであった。 この日記を書き始めてから3度目の年越しである。今年は12月にばたばたとしていてぎりぎりでまわしているような日々が続き、やれやれ少し落ち着いたと思ったら風邪をひいて、知らぬ間に日付はクリスマスを通過して12月下旬になり、「世間一般」は年末年始の準備をはじめていたという感じであった。というわけで、あまり気合いの入らない年越しである。ただ疲れたので休ませてほしい…という感じがする。 私には、「今日はただ12月31日という日付の日を迎えたのだ」という気持ちが強い。それは今日に限らず、「普通の日だけれど少し特別の日である」という感じ。2年前の12月31日に「主観的には、“昨日と同じようにも思えるし、少しだけ違うようにも思えるし、という今日”という感じなのに、“今日”に“12月31日”という名前がついただけで少しだけ慌しい感じになる」と書いた。そのような感じは今も変わらず持っている。昨日があって今日があって明日が来て、その連続の中である時点で2004年から2005年という区切りがあるのかなと思っている。 ちょうど1年前の日記、2003年12月31日の日記を読み返すと、1年を振り返ってかなり大量の文章を書いていて、私自身が驚いた。その量にまず驚いたということもあり、これだけ1年を振り返りたい気持ちと振り返ってそれを言葉にするパワーがあったのだな、ということにも驚いた。今年はそれだけのパワーはない。 ここ数日、「この1年を振り返る」というようなテーマでいくつかテレビ放送がなされていたが、なんだか見るのがきつくてテレビの前を離れてしまった。新聞もざっと見で通してしまった。 それは、この1年、いろいろな災害や事件や戦争でかなしい報道が多かったということもある(今年の漢字は「災」であるとのこと)。 が、それ以外の理由もある。そのようなテレビ放送に接していると、その当時のその時々の私自身の状況が一気に思い出されて(報道される事柄に接した時の私がどうだったかということも、報道される事柄から私が何を考えたかということも)、あまりにもいろいろなことがあって、その都度いろいろなことを考えたり悩んだり迷ったりしてきたことも一気に思い出して、テレビ放送だとそこから離れないと私自身が少しつらいというところがある。新聞もWebもざっと見で通している。ただ、気にとまった記事や文章は、私自身の負担にならない程度で切り抜いたり保存したりしている。 という中で、「書く」「言葉」という方法についても問い直したので、書けないということもある。いろいろ、あった。いろいろ、考えた。いろいろ、悩んだ。いろいろ、迷った。過去形で書いたけれど、全部現在もそうである。どんな1年だったか、いまはまとめる気になれない。 私は何者か。何ができるのか。何を受け取り、何を発信するのか。何度も何度も問い直す。 ただ、いろいろな人との出逢いがあった。この日記を通じてもたくさんの人と出逢えた。現実の生活の中でもいろいろな人と出逢い、助けられた。出逢えたことに、ただただ感謝しています。どうもありがとうございます。 今日も1日生きることができました。その積み重ねで気がついたら今年1年を生きることができていました。ありがたいです。そう思う。 1日1日を私なりに大切に生きていこうと思う(まわりも見ながら、私なりに)。よい年になりますように。よい年でありますように。そう願う、12月31日。
自転車で走っていて、ふと「眼が冷える」と感じ、続いて「鼻が冷える」と感じた。 前回にこの場所に日記を書いてから随分と間があいてしまった。そんなに間をあけるつもりではなかったのだけれど。 私は「紙2001」というソフトを使って、1度下書きをしてから日記を更新するのだけれど、いま文書ファイルを見ていると、「12月15日」というファイルがあった。開いてみると何も書いていなかった。ということは、12月15日くらいに1度日記を書こうとしたことがあったのだろう。…なぜ何をどうやって書こうとしていたのかなぁ。 ここのところ、何を書こうか(内容?)、どう書くか(方法?)と同時に、「書いている私はいったい何者か」ということを考えていた気がする。「書く」「書こうとしている」ということが既に私をあらわしているのかなとか、私の表現形態になっているのかなと。 で、いろいろ考えていたのだけれど、とりあえず、この場所には、私は書ける時に書けることを私に気持ちのいいペースで書いていくかな、と思った。 あと、風を感じたり周りの風景に心躍らせたりということを大切にしようと思った。 今日、パン屋さんでお客さんが店員の方に「焼きいもパンって焼きいもが入っているの?」といっている声を聞いた。 おいものあんが…と答えている声は聞こえてきたのだけれど、…答えの内容を聞きそびれた…。 数日前から風邪をひいている(でも、もう治りかけている、というわけでこうして日記を書けているわけだけれど)。 この日記を読まれている方も風邪に注意してください。つらいです。私の場合は最初鼻が詰まって、その後のどにきました(アレルギー体質なので、鼻は埃やちりでもぐすぐすいうことがあるので、油断した)。 ところで、「風邪をひいて声がドラえもんみたいになってしまった」という比喩を聞いたことがあるようなないような、だけれど、来年の春にドラえもんの声優が別の方に変わったらこの比喩はどうなるのだろうか…と思った。と思ったのは、私が今の状況を説明する時にこの比喩を使おうとしているからなのだけれど…。 「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著、2004年刊、双葉社、)(こちら)を、前回の日記で書いてから何度か読み直している。 先日、知人がこの本を読んだよと知らせてくれた。私はその方にこの本を読んでみてほしいなと思っていてそれをなかなか伝えられずにいたところ、別のルートでその方はこの本に出逢われたそうだ。しかも、その方も私にこの本を読んでみてほしいなと思ってくれていたそうだ。 なんだか心にしみた。ほっと嬉しかった。 ここまで書いて、「はー。やっと日記を書けた」と思った。←肩肘張って書かなくてもいいのになぁ。
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