|
風紋 もくじ / この前 / この後
師走。「師」が「走」るくらい皆が忙しい時期。赤や黄色や茶色の葉っぱがひらひら。 最近、割とつらい日々が続いているのだけれど、「私は他者に迷惑をかけてばかりの存在だし、他者に迷惑をかけることしかできないから、これ以上私なんかのために他者に迷惑をかけてはいけない」と思って、話したい時に話したい人と話したいことを話せずにいる。時も人も事柄も全部ごしゃごしゃになっていて、結局残るのは「今、私にできるのはとにかく黙って私自身だけで私が頑張るしかない」という決意と、ほんの少しの違和感。その違和感も積もり積もれば耐えられなくなってくる。もともとのところが混乱しているのでさらにうまく話せなくてますます黙るしかないと思って、でも、の悪循環。 という話を、今日、ある人に何気なくふっとしてみたら、相手の方が「じゃ、話した人にどうしてもらいたいの?」と言葉をかけてくださった。その言葉を頂いたのが嬉しくて、でも答えることができなくて、そもそも「人にこうしてもらいたいとかああしてもらいたいとかいうことを私は考えてはいけないんだ」と私が思い込んでいることに気がついて、それをとっぱらうとものすごく我が儘な答えしか出てこないから言えなくて、ただただ、黙った。じわっと涙が浮かんだ。 私は「認めてもらいたいのかもしれない。忘れてもらいたくないというか」と言って、その後「嫌われたくないのかもしれない。でも今の私は迷惑になるようなことしかできないから、こんなことをずっと続けていたら離れていかれるかもしれない」と続けた。 「例えばね、誰でもいいけど、○○さんとか、あなたから離れていくかな」と言葉をいただいた。 涙が浮かんでぐしょぐしょになった。 嬉しいのか悲しいのかごしゃごしゃの気持ちのままこっそり涙ぐんでいると、視界がどうもおかしいことに気がついた。 「あ、あの、どうも視界がおかしくて、左のコンタクトレンズがはずれたかずれたかしたみたいで、ほんと間抜けですみません。」ということで一緒に探してもらった。はずれた実感はないので眼の中にあるはずなのに、眼の中にもある感覚がないので、いろいろ探してもらった。服を見てもらったり床を見てもらったり自分でも服をはたいてみたり。 結局、眼をぐるぐる動かすと、眼のかなり上の方にコンタクトレンズが回り込んでしまっていた。必死で下げて黒目にのせた。 「ほんとにまぬけですみません…探していただいたのに、結局眼の中にあって」と言うと「いや、見つからなかったら大変だから」と答えて下さったことが嬉しかった。申し訳なくもあったけれど。 それにしても、ほんとに間抜けだというか絵にならないというか。 先日、大切な人が他界されたとの知らせを受け取った。今も混乱している。 直接お会いしたことはない方だった。でもいつかお会いしたいしお会いしなければならないとも思っていた。そして、いつかきっとお会いできると信じていて待っていた。なのに。なぜ。 黙々と日々を営んでいた方であるそうだ。でもその姿、そこにあることから言葉以上に何かを周りに伝え、つなげていた方であるそうだ。静かに微笑む姿が美しかったそうだ。 最近、購入し、何度も読み直さずにはいられない本。 「夕凪の街 桜の国」(こうの史代著、2004年刊、双葉社、)(こちら) まだこの本について何かを書くことはできないのだけれど。
私がこのスペースで書いている「風紋」というWeb日記は、書きたい時にこの場所に書けることを書く、Web上の日記だということも意識して書く内容と書き方はある程度節度を持つ、書けない時は書かない、書きたくない時も書かない、ということを心がけるようにはしている。 というわけで、今日は私にとって、書けないながらも、上記に記したような意味では記録に書き残したい1日であったので、書いてみた。 今日見たビデオ:以前から見ようと思いながらどうしても見る勇気がなかったビデオ。「見よう」といったん思って見ると、割とすんなり見ることができた。見終わって、改めて「私は何者か」「今まで私は何をしてきたのか」という問いが身に刺さるようだった。 今日届いた郵便物は2通。1通は21日か22日に届くと連絡を受けていたのが今日届いたもの。もう1通は、送ってくださいとお願いをしていたのが私の想像以上の早さで届いたもの。いずれも、これからじっくりと読みたい。読んで、その時々に思ったことを、どこかに残しておきたい。 今日届いたメールのうちの1通。昨夜に1度目を通してくださいとお願いのメールを送ったものの返信。返信を受けてじっくり考え直すことにする。 昨日くらいから困っていることは、ミニコンポの調子が悪くなって音楽が聴きにくいこと(かなり、だましだまし使っている。いろいろな角度から軽く叩いてみるとか←やめろ、と自分でつっこんでおこう←今は一時的に使えている)。 その他。その他。いろいろ。 今は何だか、いろいろ考えて、考えれば考えるほどうまく言葉で伝えたり行動することができなくなって、しかし、傍から見ると「行動していないという行動をとっている」という事実だけしか見えないのだろうとあせる気持ちがある。 私はそんなにアクティブにいろいろ動く方ではないと私自身について思っているのだけれど、そんな私だからこそ、の動き方はないだろうかと思う。
もくじ / この前 / この後 |