風紋

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2004年10月24日(日) 毎日を積み重ねる / いろいろな場面 / 一歩進む機会を得る

2004年10月24日(日)付けの朝日新聞(朝刊)に、「中高生のためのブックサーフィン どくしょ応援団」という面がある(朝日新聞には毎週日曜に読書についての記事が掲載されるが、この面は毎週かどうかちょっと不明)。その中に、三浦しをんさんが執筆されている「読書日記 三四郎はそれから門を出た」というコーナーがある。その文面の最後の文章が印象に残っているので、書きとめておく(朝日新聞のWebサイトに載っていないかと探してみたが見つからなかった)。

 日記や自伝を読むとわかる。毎日が波瀾万丈なのではない。なんでもない毎日を送っていたはずなのに、積み重なるといつのまにか、波瀾万丈な一生になっているものなのだ。

あぁ、そうだなぁ、そうとも言えるなぁと、素直に腑に落ちた言葉だった。ちなみに記事の見出しは「波瀾万丈のもとは積み重ね」とあった。

この場所に私が日記を書き、公開するにあたって、基本的に私がとっている姿勢は次に述べる通りだ。私自身の毎日が具体的にどのようであるか、今までの人生がどのようであったか、公開の場であるここには具体的には書かない。そして、いつか誰かにこの文章がWebという媒体を通じて目にとまる、読まれるということを意識している。そのうえで、この場に書けることを書きたい時(あるいは書ける時)に書くという姿勢で、今までこの場所に「日記」を書きとめている。

だから、この場所に書いていないところでも日記を私的に綴っていたり、あるいは「日記」というかたちでなくても、例えばメールの送信記録や、買い物のレシートなどを記録して保存することによって、日々を記録している。

そのうえで、であるが、私の人生が波瀾万丈なのかどうなのかということは私にはわからない。しかし、「なんでもない毎日」を送っている。起きて、時々は朝寝坊して(…)、ごはんを食べて、たまには一食抜いてしまったりもして(…)、寝て、時々は夜更かしして、と。たまには「なんでもないことのない毎日」になることもある。「どうしてこんなに次から次へといろいろなことが起こるの〜!?」と思う日もある。

そんな毎日を1日1日大切にしていきたいと私は思う。それが積み重なった様子を、私自身が時々は振り返ってみようと思う。

そして他の人のそんな毎日も、そんな毎日の積み重ねも、大切にしたいと思う。大切に思っている。


テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにいろいろな場面がうつしだされている。

次々といろいろなことが起こっている。例えば台風。ここ数日であれば先日の台風。例えば地震。ここ数日であれば昨日の地震。

見ていると、言葉を失う。「心が痛んだり、どうすればよいのだろうと思ったり、不安になったり、何かできることはないかと模索したり、気遣ったり」という状態に私はなっているということは事実だけれど、言葉にする前に、言葉にするのを押しとどめるものがあるように思う(だから「 」付きでしか書けなかった)。言葉にしていいのかという思いがあり、言葉を失う。一方で、ここで言葉を失ってはならないという気持ちも起こる。

テレビ、新聞、インターネットなどのメディアに直接うつしだされた人々のことを思う。うつしだされないところにも人々がいることを思う(その方々は“被災された方々”と呼ばれることもあるかと思う)。そして、いろいろな人がいろいろな人生を背負って、テレビ、新聞、インターネットなどのメディアにうつしだされた場面をどのような状況で、どのような気持ちで見ているのかということを思う。

言葉にならないと思う。一方で、ここで言葉を失ってはならないとも思う。

そんな思いを繰り返していると、「そんなお前は何者か」とどこかの誰かから問われているように思う。常に問われているように思う。答えられない。しかし、この問いから逃げるまい。

今は「心配しています。心よりお見舞い申し上げます。無事を祈ります」という言葉をこの場所に書く。心からの思いを込めて。

相変わらず私自身は「今でなければならない」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしている。しかし、私がこのようにこの場所にあらわしたいということを、いま、この場所に書いておきたいと思ったから、書いた。

私が「そんなお前は何者か」という問いにどう答えていくのかは、少しずつ。


“一歩進む機会”を得た。素直に嬉しい。心を込めて、できるだけのことをしたいと思う。そのためにはどんな努力も惜しまない所存だ。少しずつ、いこう。


日記の「もくじ」ページを少しいろいろと工夫してみました。どうかなぁ。


2004年10月16日(土) 音楽を聴く

いろいろな音楽を聴いている。と言っても、どういう状況で、どんな音楽を、どのくらい聴いているのかと問われると返答に困るのだけれど。ひとつ言えるとすれば、最近の私は「初めて聴く曲」よりも「聴いたことがある曲」を中心に聴いている。

音楽は、演奏する人と、それを聴く人がいる。私は演奏するという立場にも立ったことがあり、現在も演奏するという立場に立ち続けている。そのような立場で、聴いている。時には私自身が実際に演奏したことのある曲も聴く。

よく考えると、学校で音楽の授業を受けたりカラオケに行ったりということを通じて、大抵の人は「演奏する立場」に立ったことがあると思われる。ただ、私の場合は、5歳からピアノをはじめたり、吹奏楽を続けたり、合唱をしたりということで、音楽との関わりが深く、「演奏する立場」「聴く立場」ということについても考える機会が多くあるということなのだろうと思う。

聴いていると、いろいろなことを感じる。時には、その曲と出逢ったときの私自身や周りの状況に思いを馳せることもある。それは私が実際に演奏に携わった曲であれば特に感慨深く思いを馳せる。あの頃の私はこんなふうであった、このようなことを感じこのようなことに悩んでいた、周りにはこんな人々がいた…など。

時には思わず身体が動くこともある。ここでは深くブレスを取る。ここは少し姿勢を立て直す必要がある。ここは歌い上げる。ここはピアニッシモだけれど思いを込めて。など。曲に合わせてブレスを取ったり、前のめりの姿勢になったりということもある。

そのようなことをしていると、過去の私と出逢えるような気がして楽しい。楽しいという言葉のニュアンスとは少しずれるかもしれない。思わず笑みがこぼれる。懐かしくてほろりと涙することもある。そんな“過去”が複数あらわれることもある。

あの頃から私は少しでも成長したのかな、私はあの時に持っていて今は持っていないものはあるのかな、あの時に持っていて今は持っているものはあるのかな、と少し思う。答えを出したくなりながらも、“ま、いっか”と思って音楽自体を楽しむことに戻る。

芸術の秋。そして私は今も時折、よいしょと楽器をかついで、いそいそと楽器を吹きに出かける。あるいは、ふとした作業の合間に歌ったりハミングしたり。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)