風紋

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2004年09月28日(火) 物語のように日記 / 「今でなければならない」でなくてもよい / 服と色とピンク色の話 / お礼

最近、ここに書く日記は、最新に更新した日だけを読んでいただいてもそれなりに読んでいただけるものにしようと心がけてはいるものの、私の気持ちとしては、できれば「前回からの続き」という感じで読んでいただきたいような気持ちになっているようだ。あくまとして書き手としての私がそう思う、というだけのことなのだけれど。それはまるで物語か何かのように。

というわけで、はじめて「最新の日記」に飛んでこられた方には少し申し訳ないし、悔しいな、と思う今日この頃(1日分を1ページの表示にしているので)。

関係ないのだけれど、「申し訳ないし悔しい」という気持ちになることが最近多い。


さて、というわけで、前回の日記9月25日の続きのような記述。

その後、数日が経った。その間、なんとなく落ち着かない感じでいたように思う。9月25日に少し気分が高揚していたこと、その後に重要な用事を控えていたということも理由のひとつのような気はするけれど、それだけでもないように思っていた。

何かを考えたり行動したりあるいは記録したりする時に、「今でなければならない」という気持ちと「後からでもいい」という気持ちの間で、揺れて揺れてしている状態が、ここ数日は若干「今でなければならない」という気持ちに重みがかかっているようだ。「今でなくてどうするの! 今でなくていつするの!」と絶えず私が私自身に言い聞かせているような感じである。

しかし、気力と体力には限りがあり、気持ちがいくら先走っても、身体というものは無理をしてしまうと疲れて休養を必要とするものであるようだ。

今日は、よい意味で「今でなければならない」の気持ちをうまくおさめて休めることができたような気がする。気分的にかなり楽になった。と同時に、「今でなくても、“今、これをこうしない”という道を選んでも、やがていつかいい方向に進んでいくのかもしれない」という気持ちにもなった。かなり漠然とした書き方になってしまうのだけれど…。未来のことはわからないながらも、今を大切にしていけば、明日は来るということを信じられるようになった?(言い方が多少センチメンタルで恥ずかしい)

…要は、「休みたい時は素直に休んでもよい」ということがわかっただけかもしれない。けれど、それだけでもかなり進歩かな。

傍から見ると、まったく進歩がないように見えるのかもしれないけれど、今日は今日で、明日は明日で、それぞれの日はそれぞれの日で何かいいことに出逢えるかもしれない。眼はいつもしっかりと見開いていたい…、というと比喩的な表現になってしまうけれど、「一番大切なところは忘れないし手離さない!」という気持ちだけは持ち続けたいと思う。


昨日は、ふらふらと買い物をした。足りない文具や雑貨をぱたぱたと。あと、服を。ピンク色のブラウスと、赤ワイン色(ボールド)のニット。あと、少し可愛くて上品なネックレス。

この「ピンク色のブラウス」、私にとって、身につける色として選ぶにはかなり冒険的な色?である。けれども試着した時に、腕を通した瞬間「あ、これ、好き!」と思ってしまった。どんなピンク色か少し表現しづらいけれど、この日記の背景色のピンク色よりはもっと「ピンク色」ということを主張している感じの色。

お店の人ともいろいろ話したのだけれど(ちょっとそれは喋りすぎかなという感じの勢いで喋って、ほとんどかけあい漫才のようになっていた)、「似合うかどうかはおいておいて、好きな色はどれですか?」とお店の人に聞かれて、一瞬「私などが好きな色を答えていいのだろうか」という気持ちと「どの色も好きなように思って決められない」という気持ちがよぎった。イメージに合うかどうか、そう主張してもよいのかどうかは別にして、好きな色はと聞かれると、ピンク色と青色。「ピンク色」あるいは「青色」と呼べる色ならだいたい好きである。そして、ピンク色を好きだと思う気持ちと青色を好きだと思う気持ちは少し違うような気がする。

お店の人には「ふと笑った時に、ピンク色とか赤系統の色が似合うような気がしますね」と言われた。…そんな感じらしいです、私。

ちなみにネックレスについているのは、パープルの丸いきらきらしたの(「紫色」でもいいのだと思うけれど、お店の方がパープルと呼んでいたので、なんとなく)。

昨日は帰りに美しいお月様を見た。「お月様にはうさぎさんがいます」というのを思い出したほど、心うたれた。


と、今日はこのあたりにて。

メモ程度にいつか書きたいこと:悲しいとか苦しいとかいう気持ちのあらわしかた。私も、いつもいつも笑っているわけではなく、落ち込んでどうしようもなくなったり、べそべそと泣いている時もある(先日の泣き方はかなり派手だったけれど)。それでも、こうやって日記を書いているし、笑っている時もあるし、という話。…それは、いずれ、また。


でも追記。お礼。

いま、更新した時にカウンタを見たら、10000を超えていました。ひとつの区切りだと思うと同時に、ありがたい気持ちでいっぱいです。

私自身が閲覧した回数も含みますが、このページが10000回誰かの眼に留まったのだと思うと、そのきっかけは何であっても、誰であっても、嬉しいなと思います。

そして気がつくと、この場所で日記を書き始めてから2年が経ち、3年目に突入していました。

いつやめることになってもよいという覚悟を持ちながら、できるだけ続けていきたいと思って書き続けてきました。これからもどこかで何か書いていると思います。できれば、この場所を残して。あるいは、他の場所でも。

ありがとう。


2004年09月25日(土) こういう1日だった / さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに、

今日は、今日のことを書き残しておきたい気持ちなので、日記を書く。

と同時に、最近、ここは「日記」でもあるのに、あまり日記のような内容がないのに気がついて、気になった。だから、今日がどのような日であったかを、まず大ざっぱに書いてみることにする。

朝6時過ぎに起きた。お腹が減ったので、軽く朝食をとった(最近、朝食が「軽め」になっているのが少し気にかかっている)。その後、どうしても頭痛がしてだるかったので、メールのチェックを少しだけした後、再びうとうととしていた。ようやく起き上がることができたのが10時半少し過ぎ。この時点で、今日の用事に遅刻することが確定してしまったので、電話で「遅刻をする」という連絡を入れた後、急いで準備をして、外出する。電車の中で「あ、やはり頭痛がおさまっていないかもしれない」ということに気がついたが、引き返せないし、何よりも私自身が今日は引き返したくなかったので、そのまま進む。お昼過ぎに、約2時間も遅刻して、今日の目的地に到着。大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした。昼食は話し合い中に済ませた。メロンパンとおにぎり(栄養のバランスが…?)。おやつに羊羹とアイスコーヒーとするめ。夕方に解散。慣れない乗り換えの駅で、少しだけ寄り道をしたつもりが、振り返ってみるとすっかり方向感覚を失っていた。失ったついでの勢いで、買い物をすることにする。秋に向けて少し服を見たかったので、見てみた。店員さんとすっかり打ち解けて話をして、いろいろ試着してみて楽しむ。ある程度使える上着とブラウスがあってもいいと思ったが、後日改めてまた見に来てみることにする。帰宅する予定だった時間よりもやや遅い時間に帰宅した。今日があまりにも素敵で幸せな日だったので、日記を書こうと思いながら、少しテンションがあがっていたので、いろいろな用事を済ませた。そして、今、日記を書いている。そう言えば午前中頭痛だったのをすっかり忘れていて、今頃になって頭痛かな?ということを思い出したので、明日にあまり疲労を持ち越さないようにしないと、明後日に大事な予定を控えているし、明日はその準備もあるのだった、と思い直しているところ。そして、ふっと立った時に一瞬ふらついて、“あ、やっぱり無理はいけない”と実感している。

…ざっと差し支えのない範囲で記述すると、こういう1日だった(長いなぁ)。


そして、「今日の本来の目的地で、大好きで大切な人々と、とても大切な話し合いをした」という話。私自身が、今日、とても行きたくて、そして行かなければならないと思って行った。

とても大切な話し合いなのに、約2時間遅刻するとは情けないと私自身でも思うのだけれど、半分は、ここ数日の私自身の状況を考えて、遅刻しても仕方がないかもしれないと私自身が思っていた。最悪の場合、出席できないかもしれないとも思っていた。それだけに、後半だけでも話し合いに参加できたのは本当に良かった。

少し緊張する話し合いだったので、目的地に着く少し前から、私は他の誰でもない私としてしっかりとしていようと、改めて眼をきっと見開いた。五感を研ぎ澄ませるようにした。

深呼吸してからドアを開けると、想像したよりも多くの人がいて、余計に緊張するやら嬉しいやら、であった。

話し合いの中で、私が、今の私なりに、疑問に思うことや思うところを発言し、それぞれの人々からお話をいただいた。その中で、私が納得できる点、納得できない点、今は納得できなくてもいつか納得できるかもしれない点を、ひとつひとつ確認していった。全体として進む方向を見据えながら、私は他の誰でもない私として、何をすればいいのだろう、何を考え続けるのだろうという点も、少し明確になったように思う。それは、話し合いに参加したメンバーひとりひとりがそのようであったと思う(と、そのうちのお一人と帰りに一緒になったので話していた)。

今まで、私は「私には何もできない」という思いが強かった。今もその思いは強くある。しかし一方で「私は何かできるかもしれない」「何かしたい」という思いも加わってきたように思う。

この場所で、日々思うことを綴ることによっても、もしかしたら「何某かをしている」「何某かができている」のかもしれない。

それが何なのか、どこへ向かうのか、ここでは書けないこともあるし、私自身明らかになっていない面もある。

「私には何もできない」から「何かできるかもしれない」に移っては来た。それがなぜなのか、私は私でもわからない。

その間、いろいろな人にいろいろな形で出会った。人見知りの強い私だけれど、最初はおずおずと、そして少しずつ。時にはひどく傷ついてしまったりということもあったけれど(今もある…)。そして、さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きているということを知った。

それが、私にとって、大きな力になっているのかもしれないと振り返る。

私は良い人ではないので、綺麗事や理想だけでは生きられず、どうしても苦手な人や近づけない人や怖い人や嫌いな人もいる。また、人に近づきたくないと思ってしまう時もある。それでも、出逢えて良かったと思う…「思いたい」も少し入っているかもしれないな…。

今は「さまざまな人が、さまざまな場で、さまざまな思いを抱えて、さまざまに精一杯生きている」ということを大切にしたい。悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも、誰でもが抱えているかもしれないということを。そして、私自身も抱えているということ。

私自身、「悲しい思いもつらい思いも、言葉にならない思いも」抱えているけれど、今は幸せだ。今日は幸せだった。楽しかった。だからこうして日記を書いている。

「これまで」を振り返り、「これから」に思いを馳せながら、今を生きたいと思う。


そう思う一方で、今、私が進もうとしている方向は果たしてどのような方向に行くのだろうという不安もある。不安というより怖さ。ふと足元がぐらっとくるような、意味もなく寒くなるような怖さ。今日のやり取りの中でも、ふと、言ってはならないことを言ったのかもしれないと悔やむ(誰に、何に対して「言ってはならない」のか、私自身がよくわからない)。私は、現在見落としてはならないことをごそっと見落としているのかもしれないとも思う。「忘れたということを忘れているかもしれない」「気づいていないということに気づいていない」という感じ。それは時々ふっと訪れて、ふっと寒くなる。

それでも、帰りに、駅の看板を見上げ、あの場所でも精一杯「自分」を生きている人がいることを思い出し、勇気付けられる。

帰り道、夜空には、雲に見え隠れしながらお月さまが輝く。

今、「風紋」(保科洋作曲)を久しぶりに聴いて、静かに涙がこぼれる。21日の涙とは違うのはわかるけれど、これはどんな涙だろう。悲しくはない。むしろ嬉しい。嬉しい時にも泣ける…らしい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)