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風紋 もくじ / この前 / この後
まず何をおいてもはじめに。今日は忘れてはならない日だと私は思う。この日だけ、この季節にだけ思い出すのは意味がないとは思うのだけれど、1つの区切りとして今日という日を。この季節だからこそ、新たに思い返すということもあるのかもしれない。 さて。 なぜこんな時間にここに日記を書こうとしているのか、実は私自身もよくわかっていない。ただ、書きたいと思うから書いている。しかし、なぜ。 時々訪れる、ぽこっと胸に穴のあいたような寂しさのためかもしれない。寂しくなければこんなところ(公開の場)に書こうとは思わない。しかしそれで寂しさが埋められるとも思わない。 結局私は、どこまでいっても寂しい(これを「人は」と一般化できるかどうかわからないので敢えて「私は」と書く)。しかし、寂しくない。私はひとりではあるけれど、ひとりではない。 「私はここに居るんだよ」と伝えたいのか、伝えられたいのか。忘れるのは嫌だ。一方で忘れられるのも嫌だ。 そんなことをくるくると考えていたら、昨夜は非常に妙な時間に眠りにつくことになってしまった(誰のせいでもない。たぶん私のせいでも…ない)。一方で今朝は非常に妙な時間から起きている。だからと言って大丈夫ではないというわけではない。でもたぶん、数分後か数時間後にたぶんもう一度寝ることになるだろう。 関係があるようなないような話だが、今の家に引っ越して来て2年が経とうとしているが、時々家の中で私自身がどこにいるのかわからなくなることがある。と言っても別に大仰な家だというわけではなくて、眠りから目が覚めた時に、ここは前の家のあの空間だったと思うけれど、と思いながら起き上がったら全然違って今の家の風景が目に入ってきたり、こうして机に向かっていると、ふと周りに何がどのような配置であるのか、前の家の部屋の配置とごっちゃになってわからなくなったりということがある。思い出しても前の家はもうないんだけれど。解体されたから。 あ、お坊さんがお盆のお参りに来て下さった。一緒にお仏壇の前でお経をあげてこよう。 …まとまらないまま一旦ここで筆をおく(厳密には「筆」ではないけれど)。たまには私もぐるぐるするのです、というか、実はいつもぐるぐるしているかもしれない。それでも着実に何かが必ずどこかで1歩進んでいるのだと信じたいけれど。続きは書くかもしれないし書かないかもしれない(曖昧)。 (ここまで、2004/08/15,10:55記す)
前回(8月6日)の日記で「あまり自覚していないが、少し疲れているらしい」と書いたのは、あながち嘘でもなかったようで、「夏バテまっさかり状態」が継続している。あ、別に夏バテになったのは誰が悪いわけでもなく、単に私の体力不足と体調不良が天候と合わなかっただけなのかもしれないけれど。今も「何となく変だな〜だるいよ〜」という感じでいる。 というわけで、今日は「朝6時頃に散歩をする」ということを「1つのこと」にした。というわけで、ばんざい。 案外涼しくて、風もあって、空は雲ひとつなく真っ青で美しかった。 ところで、ここで話はがらっと変わる。 小学校高学年や中学生になると、授業用のノートとして普通のノートを使うのが一般的だと思うが(そのうちにルーズリーフに移行していったりもするが)、小学校に入りたての頃は、まず「こくご」「さんすう」などと書かれた学習帳を使うのが普通かなと思う。私の場合、算数、理科、社会あたりは徐々に普通のノート、あるいは罫線や方眼が薄く見えるだけのノートに移行していったが、漢字練習帳と連絡帳は割と長く学習帳を使っていた。 で、私が連絡帳として使っていたのはごく普通に縦罫線が入っただけのものだったが、なぜか家には、使いもしないのに1日1ページ式の連絡帳があった。例えば、こんなのとか、こんなので、要は明日の時間割と持ち物を1日1ページに書くのだ。 で、子どもの頃、この「連絡帳」に1ページずつでたらめの時間割と連絡を書いて妹と交換して見せ合いっこして遊んでいたことがあった。内容はあまりにも子どもで莫迦だったので恥ずかしくて一部しか書けないが、たとえば「1時間目:音楽:ドレミファソラシドを歌うだけ。2時間目:算数:数字の「1」の書き方の練習。6時間目:面倒なので勝手に帰る。宿題:昼寝すること。持ち物:昼寝した証拠のまくら」など。 で、交代に書き合いっこしていたのだが、「図工」で、妹が「写生(雲ひとつない空)」と書いてきた。で、私も「写生(洗濯したての真っ白なシーツ)」など、まぁいろいろと書いていたのだけれど、今朝歩いていて空を見上げると、これ「雲ひとつない空」だなぁ、と思い出してしまった。 当時の私たちは、「雲ひとつない空の写生にしても、洗濯したての真っ白なシーツにしても、写生の対象としては一色で仕上げるしかない」というオチで笑っていたのだが、今、よく考えると、「雲ひとつない空」を絵に描くのはけっこう難しいのではないかなと思った。 例えば、もしかすると青い空一色に見えてもよく見ると濃淡があるかもしれないし、それは時間によって変わるかもしれないし、そもそも、色として何を使う? 「青」が一般的なのだろうが、絵の具や色鉛筆の「青」を使ったところで見た空とぴったり同じにはならないだろう。 それにしても今朝の空はきれいだったが、写生したり、写真に撮ったりするのは案外難しいだろう。私が散歩していて、風を受けていて、ちょっと靴擦れで足が痛くて、周りの風景もあって、それで私が「今朝の空」をとらえたのだから。 余談ですが、莫迦莫迦しいかもしれないですが、「1日1ページの連絡帳で架空の時間割を作ろう遊び」、人によってはけっこう面白いかもしれません。でも1人でするのはむなしいので、できれば2人以上で回覧しながら遊ぶのがよいと思います。 どうも最近、いろいろ調子が悪いようなので、積極的になりながらも気をつけて過ごしていこうと思う。余裕があったら楽器を吹きに行こうかとも思っていたが、お休みした。
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