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やはり、あつはなつい。←2回目の駄洒落。 「そよ風」の方で少し触れたが、「おばけのように大きく育ったきゅうり」を「おばきゅう」と略して呼んだら素敵かもしれない…と、畑で取れた「おばけのように大きく育ったきゅうり」を眺めながら考えていた。 というわけで、「おばきゅう」の写真…う〜ん、ちょっと「おばきゅう」と呼ぶには小さいかもしれない(何かものさしになる指標を横に置けばよかった…)。ちなみに、その右は茄子(「おばなす」を含む?)。その右はゴーヤ(ニガウリ)。 ちなみに前回の日記(7月24日)のクイズの解答は「らっきょうの串揚げ」でした。 ![]() 本当は、昨日、ここに何か書き残したいなという気持ちを強く持っていたが、かなり疲労していてパソコンに向かう体力がなかった。というわけで、今日。 しかしよく考えると、そんなに肩に力を入れて「きちんとした文章」をここに書き残そうと考えなくてもいいのかもしれない。どう頑張っても、私は私の力量以上のものは書けないし…。公開の場に書くものなので、一定の緊張感は保ちたいと思うのだが、もう少し、ひゅっと思ったことを書いてみる、書くことで考えが変われば、また変わったところをひゅっと書いてみる…という感じの気楽さで書いてもいいのかなと思うのだ。実際、ここをはじめた頃はそのくらいの気楽さで書いていたと思うし。 で、昨日書こうと思っていた話。 ある人と話す中で、やはり「私は私の道を私の方法で進んでいい」ということを再確認した。…というか、よく考えると、結局はそのように生きていくしかない。それが全て。 ただ、「私の道」を本当に進んでいけるのかどうか、そして「私の方法」で進んでいけるのかどうか、どうも自信がなくてふらふらとしているというのが今の私の現状である。「道」にしても「方法」にしても、その時々で柔軟に変えてもいいと思う…というか、変えないと発展しようがないだろう…。しかしその時々で、「私はこうしたい」「私はこうする」「そのために今の私はこうである」というのをきちんと主張し、それを裏付けるような自信を持てるだけの努力を重ねていきたいと思うのだ。 そうでないと、周りにふらふらと流されてしまう。それは、周りの人の意見を全く聴かないという意味ではない。周りの人との交流の中で、いろいろなものをつかみ、いろいろな考え方を知り、それが逆に私自身をしっかりさせる方向へ結び付くということがあると思うので、周りの人との交流は絶ちたくないし、絶たないように心がけていきたいと思う。事実、ここ1年ほどで、本当に私自身の生き方を変え、私の道をよりはっきりさせてくれる人との出逢いがたくさんあった。おひとりおひとりに感謝している。ただ、その中でも常に「私は?」という視点を落とさずにいたいと思うのだ。 ちなみに、その話の中で「私は私の道を私の方法で進んでいい」ということは明確になったが、それを実行するには、割と大きな(というか「厚い」というか「高い」というか)壁があるということも、同時に明確になってしまった。で、私が「壁をぶっ壊しても自分の道を行けばいいんですね」と念押しのつもりで言うと、「うん。…でもできれば『壁を溶かす』くらいの考え方がいいと思うけれどね。ぶっ壊すというと物騒だからね」と答えが返ってきた。…妙なところで妙に意地を張る私の悪いところがここでも明らかになったのであった…。 あ、やっぱり、すっと書くことで何となくまとまって次につながっていきそうじゃないか…というのはあくまで私の中での感想だけれど。 「ほんとうのもの」を掴む眼、耳、手…を持ちたいと思うのだ。 というわけで、「そんなに肩に力を入れて書かなくてもいいのではないか」ということに関連した話。 日記を増やしました。…いつものごとく、あんまり目的も明瞭でないままに…。 はてなダイアリーで「風向計」(この場所)という日記をはじめることにしました。まだ「はてなダイアリー」の書き方をよく理解していないので、使うのにかなり恐怖心がありますし、公開するのにはもっともっと恐怖心がありますが(こんなに全然理解していないのに公開に踏み切っていいんだろうか…良くないような気がするよ)。 これで、私は3つの日記を持ったことになります。ここ「風紋」と「そよ風」と「風向計」(全部「風」で揃えてみた)。 基本的にはここ(「風紋」)を中心基地(?)にして、「そよ風」は一言気付いたことやメモなどを書き残す場所(「一言」だからこそ逆に見えてくることがあるのかもしれないと狙ってのこと)、「風向計」の使い道は…未定なのですが、趣味に関連した話などを書いていこうかな、と。少しまとまって思ったことや考えたこと、感じたことを書く用途では「風紋」をこれまで通りに使っていこうと思います。 …そのうちどこかが放ったらかしになる可能性もないでもない…。
「そよ風」の方でクイズとして出題(?)しているが、先日、スーパーマーケットか何かのチラシ広告の「料理の作り方」コーナーを見ていて、何となく違和感を感じた。 残った・残された・残ってしまったものと、なくなった・なくされた・なくなってしまったもの…あるいは、うしなった・うしなわれた・うしなってしまったもの、について考えさせられた。 「うしなう」に「失う」という字をあてても「喪う」という字をあててもよいような気がするので、一応どちらにも対応できるように、ひらがなの「うしなう」をあてておく。差し当たり、今日の日記の中では、考えやすいように、「なくなった」で統一する。また、「ない」というのは、今日の日記の中では、「物理的にはこの世に存在しない/しなくなったもの」と考える。 というわけで、本題。すごく抽象的な書き方になるけれど。 残ったものを残し続けようとするのは大切なことである、と私は考える。時間が経つにつれて変化あるいは風化することは避けられない。それをも含めて、その時々で何かを残し続けることは大切なことだと私は考える。例えば、子どもの時に大切にしていたおはじきやビー玉、…も、そうであるし、この日記についてもそうであるし、話を大きくすれば、ある風景や、ある災害の痕…崩れた建築物(の一部)など。 一方、なくなったものについては?と、今日は考えていた。なくなったものは、物理的には、もうこの世の中には存在しない(と、今日の日記の中では考えるというのは先述の通り)。なくなってしまってもう戻ってこないものについて考えることは、正直なところ、つらい。少なくとも私は、なくなったものについて考えることは、胸が本当に痛くなるほどに、あるいはどこかを刺されたかのように、つらい。考えるだけで、思いを巡らせるだけで、つらい。それを大切に思う気持ちが強ければ強かったほど、つらい。例えば、子どもの時に大切にしていたものさし、たった100円だったけれどお気に入りだったシャープペン、話を大きくすれば、私にとっては「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ見送った友人」、あるいは、この日記を書き始めて間もなくの頃に解体された自分の家。 ふっと思いにのぼるだけでもつらい時があるのだ。落ち着いて直面するにはしばらく時間がかかるのかもしれない。「しばらく」どころではないのかもしれない。5年や10年経ってもまだ無理なのかもしれない。そのあたりは、人によっても状況によっても異なるであろうけれど。 それでも、いつかは、なくなったものと心から直面する必要があるのかもしれないと、今日思った。時間はかかるかもしれないし、苦しいことでもあるだろうし。それでもやっぱり「それがない」という事実は変わらないのだ。直面する「その」時や方法がどのように訪れるのかは、私は、私の場合と私の知っている人の場合の一部しか知らないので、ここでは何とも言いようがないのだけれど。 しかし、なくなったものと心から直面して、自分なりの方法でなくなったということを自分の中に溶かしていったならば、「それ」そのものは物理的にはもう1度復活・再現することはないとしても、別の形で何かすごく大切なものが生まれるのではないだろうか、そう希望を持ってもいい場合もあるだろう、と、考えた。ものすごいエネルギーと時間が必要であろうけれど。 そう考えると、「なくなった・なくされた・なくなってしまったもの」に目を向けていくのも、苦しい場合もあるだろうけれど必要だと考える。「なくなった・なくされた・なくなってしまったもの」が形を変えて、存在し続けるということもあるだろうから。 そして私は、「なくなった」ということ自体を忘れてしまっているのではないかと時々不安になり、時々後ろを振り返る。振り返って考える。 ちなみに私は、喪失は乗り越えるものでも克服するものでもないと思っている。あくまで私見だけれど、どこまでいっても乗り越えたり克服したりはできないだろうと思う。むしろ、哀しみが自分の中に溶けていくような感じだろうと思うので、あえて「乗り越える」という言葉は使わなかった。 「ある」ということと「ない」ということについては、当分、私が考えるべき宿題になりそうだ。 今日、耳にしたいい言葉。 「自分が何かをしたいって強く思って、手さぐりでも不安でもその方向に向かって進んでみると、不思議とそれを支えてくれる人やものがあらわれたり、それを手助けしてくれるような状況になったりするものだ」 私の幸せは私が決めて、私が作る。私が一歩一歩踏み出す。それで何か不利益が起こったとしても、私はその責任を全て負うし、不利益を逆に利益に変えてみせるんだ…と、最近思っている。ただ、最初の一歩が踏み出せずにいるところだ(というか、なんだかあっちこっち混線してわけがわからなくなって糸がこんがらがっている感じ)。そんな今の私を勇気付けてくれるような言葉だった。 帰りに、所属している楽団の練習場に楽器を持たずに寄って、手続きや事務連絡の受け継ぎや申し込みを済ませてきた。ついでに近況報告もしてきた。「夏バテまっさかりなんです。夏は体質改善につとめます」と、今日1日で何回言ったことだろう。…ほんとに、体質改善すればいいなぁ。してほしい。するんだ。何とか体調が回復してほしい…。
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