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雨の中だったが、身体を必死に引き摺るようにして出かける。…が、出先に到着していろいろとしていると、だるさは薄れて、今日は割と効率よく作業ができ、ずいぶんはかどったような気がする。素直に喜ぼう。うん、よく頑張った。 とはいえ、帰りは疲れたのでバスを使うことにする。 バスを待っている間、前の女の子の肩に大きな蟻(みたいなもの)がとまっていた。一瞬躊躇して、やっぱり言おうと思い、彼女の肩を軽くたたいて「あの、ちょっとすみません。肩に何か蟻みたいな…」と言って彼女が振り向いた途端、彼女が肩に提げていた鞄の中に蟻が入ってしまった。 2人で「あ…」と目を合わせ、「ごめんなさい、もう少し早く声をかけていれば」「いえいえ、でも入っちゃいましたね…このまま持って帰ります」という会話をして、妙に和んだひととき。 ほんとにもっと早く声をかければ良かった…。申し訳ない。 するっと鞄の中に蟻が入ったのを2人で見ていた瞬間、一瞬「あり?」という空気が流れた(←駄洒落)。 以上は、6月27日(日)の00:55に記述したもの。26日は…26日は、なぁ…疲れて頭痛でほぼ1日中横になっていたので、あまり記述することはない。今週はいろいろあったからな。今後2週間あたりの間、ちょっとばたばたとするかもしれない。はひはふはへ。 6月18日の日記の記述のこの部分を取りあげて下さってお便りを下さった方がいらっしゃるので、私の決意も込めて、再掲。 生きているのが好きだーと思い続けるために、壁を打ち破ることができる力を身につけるの。 と強気で言っているが、やっぱりつらいものはつらいのだ。苦しいものは苦しいのだ。いつもいつも強気で明るく通せるわけではない。時には沈んだり落ち込んだりするよ私だって。 ここで「つらいです」と文章を終わらせるか、「でも前を見続けます」と文章を終わらせるか、思案中。 でも、両方を両立させることもできなくはないと思うよ。 以前は、人前では強気に見せようと意地を張っていた。今も、割とそういうところがある。ただ、ここの日記の中でくらいは、強気と弱気の間をふらふらしながらも、そのままの素直な気持ちを残していきたいし、その中でも視線はすっと空を見ていようと思うのだ。 せめてねぇ。疲れたときは「疲れた」と素直に認められるようになりたい。
眠いな、と思いながら起き、出かけた朝。 朝は多少弱っていたが、昼に少し元気になったので、あちこちぱたぱたと用事を済ませた。 しなくてはいけないこと、したいこと、たくさんあるけれど、あまり気負いすぎずに、ふわりとこなせるようになりたい。要領よく片づけようというのではなくて、丁寧に取り組みたいのだけれど…何と言うか、“何かをしよう。しなくてはならない”と思う時に感じるハードルを、私はとても高く感じているように思うのだ。そんなに怖がらなくても、すいっと飛び越えられるかもしれないし、飛び越えられなくてもいいじゃない。意外と、転んだところから意外なものが得られるかもしれないし。 とは言うものの、やっぱり“何かをしよう。しなくてはならない”と思う時にとてもとても緊張してしまうのだ。 夕方から夜にかけて帰る。いや、「夕方」と言っていいのか「夜」と言っていいのか、わからないのだ。 この季節は遅くまで随分明るくて、午後7時くらいでも周りを見通すことができるほど十分明るい。でも街や人の醸し出す雰囲気は、あくまで「午後7時」のものだ。でも明るさは全然「午後7時」のものではなくて、そのギャップがとても不思議な雰囲気を感じさせる。あぁ、私はこの季節のこの時間帯の空気が好きだったんだと思い出す。 西の空をふと見てみる。不思議で、でも心を和ませるような形を描いている雲。いろいろな色の混じり合った空。昨年、一昨年、その前…と、いろいろなことを感じ、考えながら、この季節の空を見たなぁと思い出す。もちろん、そっくりそのまま同じ空ではないけれど。 私、ちょっとは成長したのかな、と思いかけて、やっぱり考えるのやめよ、と思った。 私の友人には「ハーゲンダッツのアイスクリームがすごく好きだ!」という友人がいる。ふと思い出して、そういえば私の好きなものや好きなことって、何だったかなと思った。好きなことを好きだと自信を持って思い、それを発信していければいいなと思う。「好きなものがない」のではなくて「今は見失っている」あるいは「既に気がついていて意識していない」のかもしれない。 空と海と植物は好き。生きているのが好き、とは、ぼーっと思うこと。 一大決心をしてみる。いい方向に転ぶか悪い方向に転ぶかわからない。こわい。でも、実際にやってみないと、わからないから、動いてみる。すいっと。
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