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風紋 もくじ / この前 / この後
2004年6月20日(日) …とだけ、昨日(6月20日)の早朝に「日記に書こう」と思ってメモ程度に書いた後、昨日は1日中くたばっていた。いや、厳密には昨日だけではなく、2〜3日前からくたばっていて、今も、どの程度くたばっているのか、そもそも私はくたばっているのかどうか、もはやわからないほどくたばっている。ちなみに「くたばる」というのは「ひどく弱る。動けなくなるほどひどく疲れる」の意味で用いている。 というわけで、ここ3日間くらいはベッドと机を往復する時間がほとんどだった。いや、そもそも「ベッドと机を往復」しているのがあんまりよくない。「私はくたばっているんだ!」と認めて、すぱっと休めばよいものを、どうしても作業をしなくてはと思い、パソコンの電源をつけっぱなしでくたばっていたりする。 それに加えて今日は、台風にそなえて雨戸を全部閉め切っているので、外の様子がほとんどわからないので、身も蓋もない日記だが、これにておしまい。またゆっくり書ける時も来るかな。 身も蓋もない日記なのに、なぜ更新したのかというと、昨日の夜明けの記述を残しておきたかったので…。 ちなみに「空がきれい」というのは、夜空に対しても使えるのだということを知った。 追記 いつのまにかカウンタが8000を超えていますね。いつも読んで下さっている方、時々読んで下さっている方、1度でも読んで下さった方、「風紋」という検索ワードでいらっしゃった方(肝心の風紋の情報がなくてすみません)、みなさまに「ありがとうございます」と伝えたいです。 また追記 仲の良かった友人が、遠く離れた土地に移り住むことになった。もう少し先の話だけれど、「もう少し先だ」なんて思っていたら、その時はすぐ来るもので。 頼りにしてきた。尊敬もしてきた。「これから」を生きるために選んだ友人の選択も間違っていないと思う。だから笑顔で。 と思いながら、やっぱりかなり寂しい。 生きていれば絶対会える。1回1回会える時間を大切にしよう。いつもそう思ってきたのに、肝心な時にいつもあせってしまって。
あぁ、あれもしなくてはいけないなぁ、これもしなくてはいけないなぁ、そういえばあれもしたかったんだった…と、ほけほけと考えているうちに時間が経ってしまっている。 昨日、「心を鋭い爪のようなもの数本で、力を入れてびーっと引っ掛かれたような痛みを感じたことがあった」と書いた。それが具体的にどんなことだったのかはひとまずおいておくとして(そもそも、自分自身がなぜそんなに衝撃を受けたのかわからない)、ふと、思ったこと。 これまで、いろいろなことがあった(当たり前だ)。その中には、精神的にプラスのエネルギーを得たこともあったし、精神的にかなりのダメージを受けたこともあった。時間の経過とともに、感じ方も考え方も変わるので、それがその時々の私にとってプラスにはたらくのかマイナスにはたらくのかはわからない。ちなみに、私自身は「どんなことも最終的には私にとってプラスとなるようにはたらくのだろうし、そういうふうに生きていこう」と思っている。「最終的には」がポイント。だから、今はマイナスになっているということがあってもいい。いつか、ふわりと受け容れられる日が来るならば。ついでに「プラス」の意味は、ぼかしておく。どのように「プラス」になるのかは、それぞれだから。 …話が当初進めたかった方向からそれてきはじめている。このあたりのことについても、いずれじっくりと書きたいものだけれど、とりあえず今は当初進めたかった方向に軌道修正。よいしょっと。 というわけで、時間の経過とともに感じ方も考え方も変わるものだけれど、そのことが起こった瞬間に「あ、精神的にかなりのダメージを受けた…」と思うことはある。意識してそう思わなくても、気が動転して泣いたり座り込んだり寝込んだり眠れなかったり仕事がストップしたりという現象が実際に起こる(←動転しすぎ?)。 しかし、一口に「そのことが起こった瞬間に“あ、精神的にかなりのダメージを受けた…”と思う」と言っても、様々な種類があるんだなと思った、というのが、本当に書きたかったこと。 先日は、心を、鋭く長く伸ばした爪の数本で、思いっきり力を入れて、ぎーっとずーっと引っ掛かれたという感じだった。 その前には、突然、後ろから頭を特大の鉄のフライパンか鉄鍋で思いっきりごつんと殴られたという感じのこともあった。 いつかには、全身からすべての力が抜けて、心が、串の抜けた串団子のようにばらばらになった感じのこともあった。串にささっていれば串カツでもやきとりでもよいが…。 いつかには、高鉄棒にぶらさがっていた状態から手が離れてしまって、底なしのところまで落ちるんだと思ったら深いところに底があって、心が全身打撲といった感じのこともあった。 …な、なんだか物騒な比喩ばかりになってしまった。あくまで比喩なので。実際に身体がこのような傷を負ったわけではないけれど、私はこんなふうに感じてしまったのだ。 そのあたりの感じ方は人それぞれなのだろうと思うけれど、そうなれば、どんな場合でもとりあえずは応急処置が必要だろうなと思う。消毒、湿布を貼るなど。このあたりで他の人の助けを借りることもあるかもしれない。うまく助けを借りられるようになりたい。 その後は、自然治癒力というか、自己治癒力というか、で、自然にゆっくり治ることもあるかなと思う。完治しなくても、それなりになるかな、と思う。 いま、私がどういうイメージで生きているかということを、ほけっと考えていた。 手のひらを上に向けて、手をまっすぐ伸ばしているという感じに近いかなと思う。思いっきり届くところまで高く高く。 両手の手のひらは、お碗のような形にしておく。何でも受け止められるように。水一滴もこぼさないように。 あ、でも、お碗のような形にした両手の手のひらは胸の前にそっと置いておいてもよい。遠いところにも近いところにも届くように、ひじを曲げ伸ばしできるようにして。 なんだか、そんな感じだ。 生きているのが好きだーと思い続けるために、壁を打ち破ることができる力を身につけるの。 と強気で言っているが、やっぱりつらいものはつらいのだ。苦しいものは苦しいのだ。いつもいつも強気で明るく通せるわけではない。時には沈んだり落ち込んだりするよ私だって。 ここで「つらいです」と文章を終わらせるか、「でも前を見続けます」と文章を終わらせるか、思案中。 でも、両方を両立させることもできなくはないと思うよ。
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