風紋

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2004年06月06日(日) まとめて3日分。

とりあえず書きたかった3日分のことを自由に書こう。


6月4日(金)

いつも疲れ果てて動けなくなってしまう金曜日だが、意外に元気であったので、お昼少し前に美容院に行き、髪を切ってもらい、ほとんど落ちていたパーマをあてなおしてもらった。私はあまり、細かいこだわりがないので、「あまりこだわりがないので、よくわからないので、手入れが楽で、それなりに見えて、今のイメージをあまり崩さない髪型にしてください」と、思っていることを思っているまま伝えてみた。結果、あまりイメージは変えないままで、夏なのでちょっと軽めにしてもらった。

その後、100円ショップで文具類をばたばたと買い、電気屋さんで必要物をばたばたと買い、出先へ。と言っても、本来出席すべき用事はすべて終わっていたけれど。

信頼できる人に現在の状況を伝えると、「無茶な行動で伝えようとする前に、まず、思っていることをどんな言葉でもいいから言葉で伝えてみよう」とのこと。その他いろいろ。

その後、先生のもとへ。あまりにも直接顔を見せない時期が続いていたので(メールでのやり取りは必要に応じて時折ある)、直接顔を見せておける時にお会いしておくのがよいだろうと考えての判断。あなたなりのペースでやっていってかまわない、とのアドバイスをいただく。そして、私がこの道をゆっくりとでも歩み続けていていいのだとの安心感を得ることができた。そのための手がかりも折りにふれていただいている。本当に感謝という言葉では足りないくらい感謝している。

信頼できる先輩にもお会いする。いろいろお話する。私には、まだやりたいこと、私の方法を使って成し遂げて伝えたいことがたくさんあるのだった…と確認させていただく。「恐らく、また、机をがっと引っくり返しそうな勢いでお話することがたくさんあると思います」とお伝えする。

同僚たちの前で「虫歯予防デーだね」と言うと、一人の同僚から「それ、さっきから3回くらい聞きました」と言われ、あれ?と思う(う〜ん。ぼけてる)。


6月5日(土)

虫歯予防デー翌日。歯は大切に。

手入れをしないと、前日かけたパーマは鳥の巣のような頭になってしまうことが判明。

特に何をしたわけでもなく、休み休みながら、もっぱら提出物採点にいそしむ。書き込みをしながらなので、赤ペンのインクがものすごい勢いで減っていく。次に買い物に行った時にもう少し替え芯を買っておかなければならない。

「告知 −外科医自ら実践した妻へのガン告知と末期医療」(熊沢健一著、2004年、PHP研究所)(詳細)を読んだ。というより、1度読み出したら止まらなくなってしまって、結局最後まで読んでしまったという感じで、最近はこんな感じで読んだ本は少ない。

「ねえ 世の中にある かたちあるものに 永遠なんてないよね。
あるとしたら もしかしたら かたちのない「思い」だけなのかも しれないよね」

(「Golden child (2) 」(碧也ぴんく、1996年、新書館(Wings comics))(詳細)より)

なんだか、そんなことも考えながら、読んでいた。

落ち込んだりどん底になったりしても、毅然としていようと思う。今の私には、伝えたいことがたくさんある。やりたいこともたくさんある。どういうふうに?というのはひとまずおいておいて、その思いだけは絶やすまいと思う。それに加えて、少しずつそれを周りの人に伝えていくのも大事だと教えてくれたあなた、どうもありがとう。 ←実はすごく私信です。ありがとうね。


6月6日(日)

昼寝中、すさまじい夢を見た。以下夢の内容。

仲間数人と、遊びに行こうと、いつも私が普段乗っている電車に乗った(これは、現実でも私が普段乗っている電車)。各駅停車ではない電車だったが、その途中に、A駅とB駅があって、そこは10〜15分くらい停車しない区間である(これも現実と同じ)。その区間内で、途中、何だか妙な音がした。しばらくしてみると、なんと、電車がこれまで進んでいた方向とは全く逆の方向に走っていたのだ(ここからはさすがに現実にはあり得ない)。と言っても、割と自然の多い区域なので、本当に逆走しているかどうかわからない。というか、そんなことあり得ないはず。仲間と「これ、逆走してる?」と恐怖心に駆られながら言い合うのが精一杯だった。

B駅に向かっていたはずの電車は、逆走して結局A駅に戻った。駅長らしき人が「ごめんなさい。でもこれでも運が良かったんですよ。前に進むと前の電車と衝突しますし、逆走してもかなりスピードを上げないと別の電車と衝突しますし、運転手さんはよく頑張りましたよ」という意味のことを言った(あのぅ…現実にはあり得ることかどうか、なんて考えないで下さい。夢の中のことですから)。

私は逆上した。「確かに身体的にも物的にも被害はこうむっていませんけど、すごい恐怖があったんですよ、あの電車の中では。それに一歩間違えば大事故じゃないですか。そんな言葉でごまかさないで下さい! それなりの責任は取ってもらいますから」と叫んだ。仲間たちもそう言った。

…はぁ。夢は夢とはいえ、疲れたわ…。

今日の分は、続くかも、続かないかも。
(2004/06/06,17:10)


2004年06月01日(火) 6月に / 買い物リスト(写真つき) / メモ(ずれ、気持ちの伝え方)

6月になった。紫陽花と雨と蛙と水色の季節になったなぁと思う(なんだ、そりゃ…)。


ふらふらと彷徨っていて、いつの間にか買い物をしていた。

右:まんが4冊。上2冊は古本屋さんで買ったもの(以前持っていたのだが、引っ越しの時にどこかにしまって行方知れずになったので買い直した)。下の2冊は本屋さんで正規の値段で買ったもの。あと、文庫本も1冊買ったが、写真には撮っていない。

真ん中:「たれぱんだ」の「メールガード」。つまり、携帯電話のメールを横から覗き見られるのを防止する役割を果たす。それから、画面の傷や汚れも防ぐ。ただ、私の携帯電話は古い型なので(「メールガード」の下、まんが本と葉書の間に少しだけ見えているのが私の携帯電話)、実は買っても意味がない。買った理由は「それがたれぱんだだったから」。携帯電話の機種を変更するつもりはない。愛着があって、絶対手離したくないのだ。というわけで「当分使い道はない」。

左:白紙の葉書100枚。表も裏も自由に使えるもの。というか、実は100枚も要らないのだけれど…。

左上:「ミニチュアワールド キャラアロマ ラベンダーの香り たれぱんだ」の外箱と本体(上が外箱で下が本体)。これも、別に芳香剤が欲しかったわけではない。買った理由は「それがたれぱんだだったから」。

上:「おーいお茶」のペットボトル(これは喉が渇くので…)。




「そよ風」に書いたことを忘れないうちにこちらにも移動させておく。

ずれ、あるいは違和感、あるいは食い違い、を感じることは何かへの第一歩ではなかろうか。「何か違う」「何か齟齬がある」と感じることから、新しい方向へ進むことができることもあるだろう。

もちろん、「似ている」「こんな部分は同じだ」と感じることから、新しい方向へ進むことができることもある。

いずれにしても、「ずれている」「何か違う」という感じも大切にしてやりたいと思うのだ。

それからもう1点。

最近、私は私自身の素直な気持ちを少しずつ周りに伝えようとしているが、方法を誤りがちでしばしば衝突している。どうしても周りが見えなくなってしまっていて、「私が」「私が」の一方的な主張になりがちになっているかもしれないということに気がついた。伝える時もその方法が適切でなくて、一方的になったり、分かって欲しいという気持ちの押し付けだったり、つっけんどんになってしまったり。

もっとも、今までは私は自分の素直な気持ちに真正面から向かいあうことすら避けてきたから、それに比べるとちょっとは進歩したかなとは思う。思うけれど、次には、それをどのように周りに伝えていくか。周りのことも見ること、周りのことも聴くことがどれだけ大切なことか。常にそれを忘れずにいたい。

「やっとここまで来た。でもまだもっと先へ行きたい」という気持ちを、最近強く持っている。今日、ある人にそのように伝えると、「欲が出てきましたね」と笑って言われた。「そうかもしれないですね」と笑って答えた。そう伝える前は落ち込んでぼろぼろだったのに、もう限界だって思っていたのに、話し終わった後は、明日か明後日くらいまでは生きていられるかなと思った。明後日になったら、また、明日か明後日くらいまでは生きていられるかなと思えるように周りを見たり、話したりということを繰り返せばいいんだ。その繰り返しの中で、それでも落ち込んでどうしようもなくなったら、眠ってしまおうそうしよう。

今は、明日明後日くらいは、生きていられると思う。体調が悪くて起き上がれなかったりもするけれど、そういう状態だからこそ見えることもあるし、今は、そう思っているという事実があるだけで私は十分に幸せだ。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)