風紋
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| 2004年02月21日(土) |
今日は少し、落ち込み気味で暗めの日記。 |
今日は少し、落ち込み気味で暗めの日記。
多少調子を崩しているのか、苦しくてつらくて、あせって、莫迦なことばかりしている。周りの人と衝突してしまっている。あるいは、周りの人にとても迷惑をかけてしまっている。こんなことをしていたら、きっと私は周りの人に迷惑をかけ過ぎて、呆れられてしまうだろうということばかりしてしまっている。
ごめんなさい、と思う。それで全て許されるとは思わないけれど、ただただ、ごめんなさい、と思う。
“ごめんなさい”で許されるとは思わないなら、今からでも何かはじめなければならない。小さいことでも、つまらないことでも、私にできることから、していかなければならない。それは何? 他の誰でもない私が、今までずっと生きてきて、いろいろなものに触れ、いろいろなものを得て、いろいろなことを考えてきた、そこから、他の誰でもない私ができることはあるのか?
私には、まだ、やりたいことがある。やらなければいけないことがある。それにまっすぐに進めるのか? 少なくとも今は進めていない。だからまだ生きていなければならない。
毅然として、ぴっと生きていくのが、ずっと私の憧れなのに。
目をそらしてはならない。私の眼の前のものをしっかりと見据えなければならない。真剣勝負で対峙しなければならない。
○ 一昨日、私が以前経験した「あること」の話を聴いて下さった方が、「“ありがとう”より“ごめんなさい”の方が先に来たのは、つらかったでしょう」という言葉をかけて下さった。
振り返ってみると、ずっと私は、“ありがとう”よりも先に“ごめんなさい”の方が先に来ていたような気がする。
そんな私のことを、私自身は情けないと思っていて。
どうして先に素直に“ありがとう”と言えない?
○ 「時間が経ってからこそわかることもある」。
私自身の経験から、“あぁ、それはそうだな”と思うこともある。ただ、今は私は何もできていなくて、それがただただ悔しい。
今は、深呼吸を繰り返しながら、できることからゆっくりと進んでいくときなのかもしれない。
○ さっきまでものすごい勢いで落ち込んでいたのに、書き進めるうちに、日記の記述自体は、前向きに進もうという感じの記述になってきた。
ただ、私自身が莫迦なことばかりして、周りの人に迷惑ばかりかけて、“ごめんなさい”では済まないくらいいたたまれない気持ちであるのは、その通りで。
周りの人に迷惑ばかりかけて、信頼を裏切っていって、離れられるのが怖いのかもね…とも思う。それでも、ありったけの私で、ありったけの誠意で、いろいろな人と出会っていくしかない。
| 2004年02月20日(金) |
思いつくままに呟き(伝えることなど) |
伝えたい、という気持ちがある。
しかし、今日の私は、それを言葉にして表現するだけの気力がない。何を伝えたいのかもよくわからない。
ちなみに、今日はほぼ1日中横になっていた。体調がいい時はいいのだが、良くない時はあまり良くないという日々が続いている。どこにも出向く気がしなかったので、約束を2つキャンセルしてもらった。
話すこと、聴くことは、時として、ものすごいエネルギーを必要とするものだということを思い知った。話している最中、聴いている最中は気がつかなくても、後で、ぐったりと倒れこみたくなるほどの疲労感を味わって、“あぁ、私、あの時に案外とエネルギーを使っていたのかもしれない”と気がつくこともある。
だからと言って、話したくないわけでも聴きたくないわけでもない。むしろ、話したい。聴きたい。
時と場合によっては、話したくもなく、聴きたくもないことももちろんあるけれど。
それだけのエネルギーを必要として話そうとしても、なお言葉にできないことは残るような気がする。
もどかしくて、もどかしくて、“あぁ”とか“ぎゃあ”とかいう呻きにしかならないこともあって、案外そっちの方が本当におもてに出したいことであることであるような気がしながらも、どこまでも“あぁ”とか“ぎゃあ”とかにしかならないものを抱えざるを得ないように思う。
だとすると、今の私は、何をどのような形で残せるのか?
そこまでの思いを抱えている私は、いったい何者?
「時間が経ったからこそわかることもある」という言葉をいただいたことを思い出しながらも、何故か無茶苦茶に焦っている自分がいる。
…駄目だ。今日の日記、全然ちゃんとした文章になってないじゃないの。
○ 我が家の飼い犬が、どうやら花粉症らしく、くしゃみを繰り返している。ということは私もそろそろ?
自分自身がアレルギー体質であることは、昨年の今頃わかったことだが、あまり自覚がないので…。
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