風紋

もくじ / この前 / この後


2003年08月11日(月) 会いに行った / その他は、こんな。

所用で出向く。そして帰りに、お盆が近いので、「そう遠くない昔のことのような気もするし、ずっとずっと昔のことだったような気もする、そんな過去のある時に、もう二度と会うことのできない遠いところへ旅立った友人」に会いに行って来た。

途中の花屋さんでお花を買っていこうと思い、店先にある小さい花束を見ていると、店員さんが声をかけてくださった。ちょっとほっとした。オレンジ色のカーネーションと白い花(花の名前はわからない)の小さい花束を買っていった。

バケツに水を入れていると、人(お寺の方?)が通りかかったので、“どうしよう、こんな時間からでは怒られるかな”とちょっとどきどきしながら、「お参りさせて頂きたいのですが」と言うと、「どうぞどうぞ」とにこやかに言葉をかけて頂いたので、安心して入って行った。19時少し前だったのだが、お天気があまり良くなくて既に薄暗かったので気が引けていたのだ。未だにここに入るのは慣れない。

しゃがんで手を合わせたまま、しばらく石の前にいた。前に来たのは春になる少し前のことだったので、近況をまず報告して、あとはいろいろ思いをめぐらせながら、ただただ手を合わせていた。セミの声がずっと聞こえていた。

一緒に歳をとりたかったのにな、と思った。

1年に2〜3度しか来ないのに(それでもこの1年は割と来た。それまでは来るのが怖い気持ちの方が大きくて来れずにいたから)、帰り際はいつも何となく去り難い。そのうちに小雨が降ってきて、“もう帰って”と言われているような気がして、ようやく帰る気になった。「ありがとう。また絶対に来るからね」と声に出して言ってから去った。いつもこれだけは、声に出して言わなければならないような気がしている。

その時その時を大切に生きること。出会った人やものを大切に、ありったけの自分で向き合うこと。私は私を生きる。


その他は、行きの電車の中でチェロのハードケース(だと思う)を持ったお姉さんを見かけたり、プリンタの紙詰まりにひやひやしたり、出かけた先で羊羹をごちそうになったり、「氷らせ生茶」(こちら)を初めて飲んだり(でも違いがよくわからなかった…)、「キュービィロップ」という名前の飴(こちら)を買ったり、頭痛がちょっとひどかったり、帰りの電車でコンタクトレンズがずれて目が痛くなったり、ということがあった日だった(順不同)。


BGM:「オスカー・フォー・アムネスティー」(ディルク・ブロッセ作曲)(OSCAR FOR AMNESTY 〜Tone Poem for Symphonic Band〜 / Dirk Brosse)


2003年08月10日(日) こんな日 / ピアノ / BGM:「イタリア奇想曲」

体調は良かったが、何もやる気が起こらずに、ひたすらパソコンの画面とにらめっこしていた。時々、食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、『喪の途上にて』(野田正彰著)を読んだりしていた。やる気が起こらないのは困ったものだ…。

少しだけ写真も撮った(「そよ風」に掲載)。


ふと、応接室にあるピアノの蓋を開けてみた。別に目的があったわけではないし、弾こうと思ったわけでもないけれど。こんなにピアノに近付くのは久しぶりのことだった。鍵盤が整然と並んでいるのを見て、きれいだなぁ、ピアノの鍵盤って意外と縦に長いんだなぁと懐かしく眺めていた。

応接室にあるピアノは、3歳の誕生日プレゼントに買ってもらったものだ。もっとも、多分私がピアノを欲しいと言ったわけではなく、両親が私のためにと買ってくれたのだと思う。きちんとレッスンに通っていたのは4歳から15歳まで。最後は、「毎週のレッスンを高校受験が終わるまでお休みします」と言って休んで、そのまま戻る気がなくなって何となくやめたという感じになってしまった。高校生活が忙しかったということもある。今になって考えると、1週間に1度のレッスンという形でなく、2週間に1度とか、1ヶ月に1度とか、自分の無理のない形で続ける方法もあったのになぁとも思う。しかし、高校生になってからは、ピアノの蓋を開けること自体少なくなってしまった(大学受験の前に、気分転換に弾いていた程度…)。

決してピアノを弾くのが嫌いでやめたわけではないのに、むしろ大好きだったのに、今ではほとんどピアノに触ることがないのは少し不思議でもある。ただ、当時は弾くことを強制されているという面がなかったとは言えないなと思う。いや、それでも楽しかったのだけれど。毎週課題が出て、翌週までに仕上げていって、合格したら次の曲に進んで。それが自動的な流れになっていて、それ以上のことを考えることはしなかったなと思う。それでも、小学生の時に教えて頂いていた先生は、“楽しむ”ことを重視して、いろいろな曲(有名な曲からあまり知られていない曲まで)を弾かせて下さった。けれど、先生が代わってからは、実力を伸ばすことが重視されて、“楽しむ”ことが少なくなっていたように思う。もちろん先生のせいだとは思っていない。私の方にも問題はあっただろう。そして、2人目の先生からも大切なことをたくさん学んだのも本当のことだし、尊敬している(今は交流はないけれど…)。ただ、何かがどこかで食い違ったのだろうと思う。

久しぶりに間近で見たピアノの鍵盤は、とても美しく見えました。でも音を鳴らすのは何だか怖くて、ただただ鍵盤を眺めていました(家族に不審に思われた…)。


BGM:「イタリア奇想曲」(チャイコフスキー作曲)
私が好きな曲の1つ。どこが…と問われるとうまく説明できないのだけれど、明るさと激しさと上品さが同居しているところかなぁ。テンポが速いところが特に好きな部分。少し前にこの曲を演奏したことがある。あの時は元気で、演奏することを楽しんでいたのに。


私は、私以外のどんな人のことも,完全にわかることはできない。わかりたくても、完全にはわかりきれない。しかし、そこで立ち止まりたくないという思いがある。しかし、一気に進みたいとは思わない。ゆっくりと…。


もくじ / この前 / この後
浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)