風紋

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2003年07月08日(火) 本を探す / まずまず元気です / でもちょっと弱音

1つずつ取り組んでいく、ということを心がけながらここ2〜3日を過ごしている。一気にできなくても、ゆっくりでも。

昨日、ふらりと本屋に立ち寄り、本を1冊衝動買いした。いろいろな本を見ているうちに、“そういえば現在執筆中の論文のための資料を集めなければならないんだった…”と思い出し、その足で図書館に行った。でも、図書館にいた時間のうちほとんどの時間を論文と直接関係のないテーマの書架の前で費やした。借りた本も半分くらいは関係のない本。本をずっと持っていたので左腕が痛い。

今日は空き時間に図書館に行って再び資料を探す。…が、やはり関係のない本を1冊借りてしまう。その後、本屋に行って本を1冊買う。

先月から本を借りたり買ったりすることが妙に増えたが、全く読み切っていない。読みたい気持ちはあるのだけれど。

本屋に行った時に、『だじゃれしょくぶつえん』(文:中川ひろたか/絵:高畠純、2003年、絵本館)(詳細1)(詳細2)という本を見つけ、とてもとても心惹かれた。買おうかと思ったが思いとどまった(でも今も、欲しいな…とちょっと思っている)。いろいろな駄洒落と絵が描かれている本なのだけれど、「小豆が頬を押さえながら『ア、ズキ』と言っている隣で、豆がお豆腐をつつきながら『おだいずに』と言っている場面」のページが一番気に入った。


昨日と今日は割と体調が良い。今も少し頭痛はするのだけれど(図書館で立ったり座ったりしていたから立ちくらみを起こした気がする)、先週に比べればかなり調子がいいように思う。

実は、いつまで経っても調子が戻らないので、病院に行こうと思っていたのだが、こうなってくるとどうしよう…と思う。お医者さんが嫌いだとか、お医者さんにかからない主義だというわけではないのだけれど、「この状態はお医者さんに行くほどのことではないのかもしれない」「この状態は自分が変だと思っているだけで、本当は元気なのかもしれない」と思うと、何となく気後れしてしまう。割といつもそんな感じ(確か、3月に花粉症で眼科に行った時もそうだった)。

いろいろな人の力を借りながらでも、少しずつでも自分自身で自分の道を歩きたいと思う。


陽射しの強い、眩しい1日でした。皆様もどうかお体にお気をつけください。。(7月8日 21:20)


追記:
でもちょっと弱音。

今日、明日、明後日…くらいは何とかやっていけそうだと思う。でも、1週間後、2週間後、…1ヵ月後…というスパンで考えると、あれこれと考えてしまって、潰されそうになる。もう駄目だ、もう絶対無理だと思う(何が駄目で何が無理なんだろう…)。それでも、1つ1つゆっくりと歩んでいって、「今日」を積み重ねていけば大丈夫なのかなと自分に言い聞かせてはいるけれど。焦りばかりが大きくなる。それでも、「いろいろな人の力を借りながらでも、少しずつでも自分自身で自分の道を歩きたいと思う」のは本当。すぐに挫けそうになるのも本当。

今日が二度と来ないのは自分へのメッセージ
大事にしてから役立てなさいと
次の1秒それが未来で思い出の絵になる
いつがそうなのか
今はまだ わからない

(平松愛理「宇宙でたったひとつの今日」)

結果的に今日の日記の表題が変なものになってしまった。「まずまず元気です/でもちょっと弱音」って、それ何だよ…という感じだけれど、これが正直なところでもある。(7月9日 2:30)


2003年07月06日(日) こんな日(論文や鉄板焼き) / 読んだ本(平松愛理『ゲキツー!!−子宮内膜症との闘いの日々』) / 明日は七夕

2時過ぎに寝て、5時前に一度目が覚め、8時過ぎにもう一度目が覚め、起き上がったのは10時頃。その後、あまりの頭痛にもう一度寝て、無理やり起き上がったのがお昼の12時。

思い切って気の済むまで休むつもりの休日だったが、午後に少し元気になったので、論文の続きを書こうと文書ファイルを開いた。1年前に進めて、半年前に一度まとめて、その後は手をつけていなかった研究。とても苦労しそうだと思ったけれど、その「苦労しそうな感じ」をとても愛しく思った。絶対書けないと思い込んでいたけれど、書けるかもしれないと思った。そう思っている限りは、今の場所に居たい。

思いっきり回り道をするのもいいかと思ったりもする。許されないかもしれないけれど。

お昼過ぎまで食欲がなかったものの、夕食は普通に食べることができた(と言っても、体調の良い時よりは少し少なめだったが)。今日は鉄板焼き。自分の家の裏の畑で取れたピーマン、ししとう、茄子、キャベツ。近所の人にいただいた玉葱、とうもろこし、にんにく。スーパーで買ってきたかぼちゃ、肉(すき焼き用だったが…)など。


今日、読んだ本。
平松愛理『ゲキツー!!−子宮内膜症との闘いの日々』(2001年刊、講談社)

読んでいろいろなことを思い、いろいろなことを感じたのだけれど、それを言葉にする力は、今の私にはない。決して逃げるつもりはないけれど、言葉になるまで待とうと思う。印象に残った部分だけ、書き残しておく。震災の直後に、平松愛理さんが故郷の須磨区に戻られた時のことを(のことを回想して)書かれた箇所だ。

 昨日持っていた価値観が、今日根こそぎ変わってくのを感じた。当たり前のことが、当たり前に行われることを前提として、人は生きている。その上に価値観があったのだ。
 全部失くなったら、今まで見もしなかった、気にもとめなかったことが、どれだけ大切かを教えられる。価値観は他人に教えられるものではない。人と支え合いながら、自分で感じて何かをやろうと立ち上がった時、その時に変化し、自分で掴むものなんだ。
 私は、「前向きになろうよソング」は、しばらく書けないと思った。落ちこんでる人の隣に何気なくいて、その人が自らで何かを悟り始めたら、「うん、そうだと思うよ」って、一緒にうなずけるような歌を書きたいと思った。
(p.140)

私はいい本だと思った。読み手の立場や性別によって感じ方は変わるかもしれないが…。


明日は七夕だ。近所の家の玄関や、ケーキ屋さんの入口に笹飾りがあるのを、懐かしく愛しい気持ちで見る。小さい時は、折り紙でいろいろな飾りを作ったっけ。輪っかをつないだのとか、ちょうちん、お星さま。折り紙を小さく折って、切れ目を互い違いに入れて、開いてびよーんと伸ばせば天の川ができる。それから、願い事を書いた短冊。私は不器用だったからあまり上手には作れなかったけれど、折り紙を折ったり切ったりしてちまちまと作業をするのは大好きだった。

もう笹飾りを作るような機会はなくなってしまったけれど、何を願おうか。

私の周りの人に(この日記を読んで下さっている方に)、幸いがたくさんありますように、苦しい思いをすることのないようにと願う。ただただ、そう願う。

それから自分のことも少しだけ願おう(我儘かなぁ)。早く元気になりたい。元気になりたいと思えるだけの元気を取り戻したい。まだあきらめたくない。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)