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あぁ、今日も日記を書く力がない…と、ついさっきまで思っていたのだが、たった今、するするっと書けそうな気分になったので、するするっと書くことにする。書ける時に書いておかなければ、いつ何時、書けなくなってしまうかわからないという不安がある。…いや、よくよく考えれば、書けなくなっても別にかまわないのだけれど。 仕事と関係のないことをしたい衝動に駆られている。本来その前にやり遂げなければならないことがたくさんあるのに。でも。詩を読みたい(詩集を探しに行きたい)。紫陽花を見に行きたい。美味しいお茶を買いに行きたい。海を見に行きたい。腹筋使って歌を歌いたい。楽器を吹きたい。“へなそうる”(これ)を探しに行きたい。あの街やこの街を訪れたい。絵本や児童書を読みたい。 今日したことと言えば、夕食に餃子を作ったことくらい。しかも、白菜や韮をみじん切りするだけのことに、かなり長い時間をかけてしまい、こんなに要領が悪くてのろいんだから私は何をやっても駄目なんだな…と自己嫌悪に陥る。しかも切り終わって挽肉と混ぜ合わせたら野菜の量が多過ぎてうまく混ざらず、何をやってんだ私…と思う。冷静に考えたら些細なことで落ち込みすぎているような気もするな…。ただ、具を餃子の皮に包むのはかなり器用にできるのではないか、と自分では思っている(それもスピードは遅いが)。 ここ数日食欲がない私だが、割とたくさん食べることができたので良かったなとも思う。後で少し胃の調子が悪くなったけれど(あまり食べていなかったところにいきなりたくさん食べたから、胃がびっくりしたのかな)。 夏が近づくにつれ、素麺や冷やし蕎麦を食べることも増えるが、そういう時に使うガラスの食器を、引っ越しの時にどこかにしまいこんだままだったので、今日はそういう食器を物置から引っ張り出して洗っていた。 ガラスの食器だけでなく、いろいろな食器が出されてきていた。その中には、前の家に居たときには毎日のように使っていたのに、こちらの家に来てからほとんど使わなくなった食器もあった。 あの時、私は既にここで日記を書いていて、確かその時に“環境の変化”と書いた覚えがあるが、本当にいろいろなことが変わったなと思う。前の家のことを思い出すと、どうしてもつらくてやり場のない思いになって、自分の中のある部分がとても不安定になるような気がするので、普段は極力思い出さないようにしている。もう今の家での生活にも慣れたし、よその家に寝泊りしているという感覚はなくなったけれど、こういうものを見ると、あぁ…と思う。 他にも、「前の家に居た時は毎日のように使っていたのに、こちらの家に来てから全く使わなくなったもの」がある。その中にはすでに廃棄してしまったものもある(電子レンジとか)。いつか、つらくなく思い出せる日はくるのかな。そういうものに、恐怖を感じずに対峙することができる日は来るかな。 過去に生きていた、「彼女」のことについて。 語らなければ誰からも忘れられてしまう、と思った。私が覚えていたとしても、皆は忘れてしまうだろうと(既に大多数の人は忘れているだろうし)。だから、語らなければいけないし、語りたいと思うのだけれど、私自身がそのことを語るのにある種のつらさや苦しさはあるし、語ることがいいことなのかどうかもわからない。でも忘れられてしまうのは寂しい。しかしこのまま語られずにいて、このまま忘れられる方がいいのかな、そして私自身も忘れてしまった方がいいのかなとも思う。けれどそれはやっぱり寂しい。 先日、夜眠ろうとして眠れなかった時に、ふと彼女の名前が浮かんで、声にならない声で、彼女の名前を呼んでみた。泣いた。まさか今になっても自分が泣くとは思っていなかった。 先日の日記(「そよ風」だったか?)に、「私は『彼女』を生かしたかった」と書いた。それも事実なのだけれど、彼女が生きていたということを残したかったのだけれど、同時に、私は、彼女を失った後の自分をどうにかして生かしたかったのかなとも思う。そう思うと、随分私は自分勝手だとも思うのだけれど。どこまで私は自分中心な奴なんだとも思うけれど。
いつの間にか7月になっていた。私を置いてけぼりにして季節がどんどん過ぎていくなぁと思い、そのことに不安と焦りを覚える。結局、6月に私は何をしたんだろう。何もできていないような。 今日(昨日)見た美しいものは、18時30分頃の南の空の青さ。夕方には、相当お天気が悪くなっていて、厚く重い雲に覆われて薄暗くなっていたのだけれど、ひょいっと南の空に目をやると、南にだけはところどころに青い空が見えた。綺麗だった。周りとのあまりのギャップが印象に残った。なんだか、そこだけ別世界のような。 それから、傍若無人に伸びる凌霄花の生命力。それから、久しぶりに見た、薄いお月さま。 何かきっかけがあれば、いい方向に転がっていくかなという感じがしないでもない。ただ、その取っ掛かりを見つけて育てていくだけの気力と体力が、今は全く残っていない気がする。苦しい時こそ気合いを入れて頑張ろうとも思うし、そうありたいと思うのだけれど、起き上がるのがやっとという状態ではなかなかそこまでの力が出ない(外出するのもきつくなってきた)。 人が好きなのに、人見知りがきつくて、初対面の人には恐怖心が先に立ってしまう性格があまりよくないのかもしれない。 ごめんなさい。あんまりうまく説明できない。 詩が読みたい。「吉田加南子詩集」を借りた(こちら)。詩集『定本 闇』が好き。あと、「はるが きて」という評論も好きだ。 久しぶりに吉原幸子さんの詩集も読んでみようかとも思う。 詩を読むと、静かで強い気持ちになる。何があってもしなやかに毅然と立っていたいと思う。自分がそう在ることができているかどうかはともかく、そう思う。憧れる。 BGM:「スター・ウォーズより“王座の間”“エンドタイトル”」 あんまり午前3時に聴くような音楽ではないだろうと思いつつ。でも好き。 書けることから、書ける時に、書きます。書けないこともあるかもしれないけれど、それと、書く段階で自分の都合の良いように語っているのかもしれないけれど、それも全部含めて、私だ、と思っています。 追記:しゃっくりは止まった。良かった…。眠れるかどうかわからないけれど、もう一度眠ってみます(2003/07/05, AM4:20)。
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