風紋
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| 2003年06月28日(土) |
そぼそぼ・しょぼしょぼ / フリーズ / フルーツグラノーラ / 「あの丘をこえて」 / 梅雨が明けたら |
ここ数日、私がどんな感じで過ごしているか、というのを一言で表現すると「そぼそぼ」という感じで過ごしている。そぼそぼと歩き、そぼそぼと食べ、そぼそぼと喋り(できるだけ人前では元気に話すように心がけているが)、そぼそぼとパソコンのキーボードをたたく。時々は、そぼそぼと泣く。何だか変な形容だけれど、「そぼそぼ」という言葉が一番ぴったりするような気がする。
ちなみに、インフォシークの国語辞典(こちら)で調べてみると、「そぼそぼ」というのは「雨のそぼ降るさま。しょぼしょぼ。」ということらしい(こちら)。そして、「そぼ降る」というのは、「雨が静かに降る。しとしとと降る。 」ということで(こちら)、「しょぼしょぼ」というのは、「(1)小雨がふり続いているさま。そぼふるさま。 (2)無気力なさま。しょぼくれたさま。しょんぼり。 (3)目がはっきり開けられず、まばたきをするさま。」ということ(こちら)。ちなみに「しょんぼり」というのは「力なくさびしそうにしているさま。 」(こちら)で、「しょぼくれる」というのは「元気がなくみすぼらしい様子をしている。」(こちら)こと。…と考えると、どうも「そぼそぼ」というよりは「しょぼしょぼ」の(2)の意味に近いような気もしてきた。けれど、「しょぼしょぼ」よりは、もう少し乾いた感じというか、潤いのない感じ。意味としてではなく、語感として。
雨だけは「そぼそぼ」でなく、ぴしゃぴしゃ、ざあざあと降っているものの、私自身は「そぼそぼ」としている。日記を書こうとしても、言葉も「そぼそぼ」という感じでしか出て来なくて、単語の断片が意味のある文章につながらない感じだったので、書けなかった。もっとも、日記を書けなかったのは、疲れていたということも原因のひとつであるし、正直なところ、元気がなかったので何をどう書けばいいのかわからなかったということもある。元気になりたいと思う元気もないというか。気分転換もする気にならないというか。
○ 昨日はお昼過ぎまでフリーズしていた。パソコンが、ではなく、私が。これも、変な形容だけれど「フリーズ」としか表現できないように思う。
起きた時から調子が悪くて、目は覚めていたのだけれどなかなか起き上がれなかった(起き上がりたくなかった)。頑張って家を出たものの、電車から降りようとする時に、どうしようもなく動くのが面倒になってしまった。気合いを入れて立ち上がったものの、ゆっくりゆっくりとしか歩けなかった。普段の倍くらい遅いスピードで歩いたように思う。午前中の授業には1時間の遅刻で入ったものの(遅すぎるよ)、昼休みも引き続きフリーズした状態。昼食も食べる気にならず、散らかった机の片付けもする気にならず、ただただ机の前で、何を見るともなく何を聞くでもなく、ぼーっと座っていた。昼からの勉強会は、「ちょっと調子が悪いから今日はお休みにしましょう」と伝えに行くのが精いっぱい。勉強会を休みにすると決めた後から、徐々に解凍(?)しはじめてきたような感じだったけれど、その後も「疲れていないと無理にでも思い込めば、とりあえずまっすぐ歩くことはできる」という感じだった。
パソコンのように「Ctrl+Alt+Delete」を押すと再起動するようであったらいいのにな、と思った。悲しいような嬉しいようなことではあるが、人間の場合はそういうわけにもいかないのだなと思った。
元気がないせいなのか、雨のせいなのか、視点が内向きになって自分のことしか見えない・考えられないという状態になっている。良くないなと思う。
○ 昨日、シャンプーを買いにスーパーマーケットに寄ったついでに、カルビーのフルーツグラノーラを買った。いちごが入って味わい豊かになったらしい(こちら)。まだ食べていないけれど、以前に食べたことがある。美味しいと思う。果物はだいたい何でも好きです。
○ BGM:「あの丘をこえて」(星谷丈生:作曲) 2001年の吹奏楽コンクールの課題曲。軽やかで明るい曲。そんなに頑張ろう頑張ろうという気負いもないのに、とても前向きで、常に前に前に進んでいく感じが好き。まっすぐ一直線に進むのではなくて、転がりながら進む感じかな。
なぜこの曲を思い出したかというと、私自身が「丘」を越えたいから。と言っている割には今日も練習に行けず、そぼそぼと赤ペンで書き込みをしたり、そぼそぼとキーボードを叩いたりしていた。いつまで経っても越えられないんじゃないだろうか。
○ 梅雨が明けたら、その先には何が見えるのだろう。何が掴めるのだろう。見ようとしなければ見えないのかもしれないし、逆に見ようとしなくても目に入ってくるかもしれない。掴もうとしなければ掴めないのかもしれないし、逆に掴もうとしなくても手に入るかもしれない。
| 2003年06月24日(火) |
まとまらないままいろいろ(紅茶/本/雨、など) |
よく働いたのか、単に大学に長居してぼけっとしていただけなのか、よくわからない1日。
紅茶をたくさん飲む。火曜日はお茶を飲む日(←私だけか)。レピシエの194 ダージリン・オータムナルスペシャルDARJEELING AUTUMNAL SPECIAL,FTGFOP1(こちら)、378 マハガストット・PEKOEクォリティ MAHAGASTOTTE, PEKOE1 QUALITY 03-2(こちら)、380 ラブーケリー・クオリティ LABOOKELLIE, FBOP QUALITY 03-4(こちら)のローテーション。あと何種類かリーフを大学に置きっぱなしにしているのだけれど、どれも残り少ない。しかもどれも同じくらいの量が残っていて、どうしようかと思う。
注文していた本が届く。「愛する人の死、そして癒されるまで」(相川充著、2003年、大和出版)(詳細)。また後で読もうと思っていたのだけれど、一度読み始めると一気に読み進めてしまった(ところどころ飛ばし読みながら)。感想は…今はまだ言葉にならないことが多いので、敢えて書かずにおく。逃げているわけではない。
帰宅するタイミングを誤って、行きも帰りもかなりの雨の中を歩く羽目になった。小降りのうちに帰ればよかったのに、私は莫迦だよ…と思いながら、冷たい雨の中を歩いていた。時間が時間だったので、電車の中も、どんより疲れた重苦しい空気があって、逃げ出したい、早く下車したい…と思いながら電車に乗っていた。電車の中は、時々とてもつらい。
後ろ向きに全力疾走することもできるか、と、ふと考えてみる。
当たって砕けろというくらいの気概を持ちたいと思うが、砕け散ることをどうしても怖いと思う。砕けないかもしれないけれど。砕けてもいいのかも。
明日は、少しぱたぱたする予定。予定は未定。
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