風紋

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2003年06月10日(火) 梅雨入り / 別に、誰に宛てるわけでもない呟き / BGM(「美しい訣れの朝」「ぐるりよざ」)

だいたいの地方で梅雨入りしたということだった。昨年も確か同じ頃、火曜日に梅雨入りの知らせを受けたような覚えがある。なぜ覚えているかというと、その日にちょうど髪型を今のように変えてもらったから。


別に、誰に宛てるわけでもない呟き。

ずっと、答えをさがし続けてきた。今も、さがし続けている。これからも、さがし続けるだろう。さがして見つかるかどうかわからない。けれど、わからなくてもいいような気もする。もしかすると答えをさがし続けることが答えなのか?と思ったりもする。

やはり今年度は休学すればよかったと思ったり、けれども少なくとも今年度は休学せずにやっていくことを私自身が決めたのだから…というより、年度はじめの時点でここまで自分が調子を崩すとは思っていなかった(ちなみに体調はそれなりに元に戻っているので心配なさらないで下さい)。

なぜ人は死んでしまうのだろう。そして、なぜ今、私は生きているのだろう。なぜ私は、今のところ死なないでいるのだろう。生きている私は、死ぬということをどう考えればいいのだろう。死んでしまった人とどう対峙すればいいのだろう。きっと答えは1つではない。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


BGM:
(1)女声合唱組曲「美しい訣れの朝」(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)
私自身が一度歌ったことがある。改めて楽譜を取り出してみると、楽譜の冒頭には、“詩の内容は、夫に先立って死んで行く、妻の回想による「レクィエム」或は「女の愛と生涯」といったものを、五章に分けて書いてある”と書かれていた。それ以上の説明はできないけれど。久しぶりに聴いて、胸が熱くなった。今は私は合唱はしていないけれど、もし今、この曲を歌う機会が与えられたなら、私はどのように歌うだろうかと考えた。

(2)吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」(伊藤康英作曲)


2003年06月09日(月) そんな夜も

夜、眠ろうとする直前のこと。眠ろうとして部屋の灯りを消した後のこと。

翌朝起きる予定の時間に合わせて携帯電話のアラームをセットしようとして、携帯電話をさわっていたら、ふとした拍子に通話ボタン(?「受話器をあげるマークのボタン」)を押してしまった。当然ながら、携帯電話は「ツー」という音を発した。その音を聞いて、何だか急に寂しいような、懐かしいような、急き立てられるような気持ちになった。電話をかけてもいいんですよと言われているような気がした。ここで何か番号を押せば誰かに電話がつながるのだと思った。この勢いで、どこかの誰かに電話をかけて声を聞きたい、話がしたいと切実に思った。もう夜も遅いし、私自身も明日は早起きしなければならないし…と、すんでのところで思いとどまったけれど。それでも、なかなか気持ちの高ぶりを抑えることができずに、何度も何度もボタンを押して、「ツー」という音を聞いていた。

そんな夜も、たまにはあるさ。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)