風紋

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2003年05月30日(金) 良い方向に / 救い / 携帯電話を見て

良い方向に向かってきた、という感じも、少し得ることのできた日。

眠くはあったけれど、だるさはなかったし、午前中の授業にも出席できた。今日でこの授業が始まって、7回目(4月から数えて)なのに、そのうち3回しか出席できていない(今日でやっと3回目)。出席したら出席したで、知的好奇心(?)を刺激されるし、自分自身の研究に関する夢(や希望や妄想?)もふくらんで、私もいい研究をしたい!と思うのだけれど。


今、低空飛行の状態だからといって、ずっとそのまま低空飛行しっぱなしというわけではないから、と言われた。いつか上がって行くときもあるから、と。びっくりした。嬉しくて思わず泣きそうになった(寸前で止めた)。今、すごく悪い状態であるのは自分でもわかっていた。ずっとこのままで、ずっと希望などないだろうし、絶対抜け出せないに違いないと無意識のうちに思っていた。そうは言っても、実際はもしかするとずっと抜け出せなくて低空飛行しっぱなしなのかもしれないけれど。それならそれでもかまわない。希望がなくても、死にはしない。

ただ、ずっと研究をやっていくつもりなのだったら、今後のためにも、規則正しい生活をした方がいいとも言われた。夜はきちんと寝て、朝にきちんと起きるようにした方がいいと。考えてみたら、この状態になる前から、夜は2時や3時(場合によっては4時前後)に寝るのは当たり前だったし、朝に起きるのが遅くて、結局1日に2食しか取らない日も多かったな…と。それでも何とかやっていっていたけれど…。

ふと、2月〜3月に考えていたことを思い出す。4月になったらやってみたいと思っていたことが、たくさんあったなぁと。あんな研究もしてみたかったし、こんな研究もしてみたかったなぁ。あの分野に関する知識も、もう少し論文を集めて深めたかったなぁ。いろいろ希望を持って考えていたなぁ…と。それなのに、何がどうしてこんな状態になってしまったのかと悲しくなった。何にもしたくなくなって、する気も起こらなくて、でもしなければならないという圧力(と私には感じられるところのもの)があって、それに苦しめられているような状態。それは単なる甘えなのだろうけれど。今からでも何かできるかな…と思う。それは、当初考えていたものとは多少形は変わってしまうかもしれない。迂回することになってしまうかもしれない。あんまりスマートな形にはならないだろう。けれど、今の私なりに、できることが、何かあるだろうか。したい。1つでもいいから。

“流れに流されるのでなく、自分で流れを作っていく姿勢を持ちなさい”と言われたことがある。今の私の場合、流れをつくるどころか、溺れかけているような気がする。せめて私の人生の主人公は私でありたいと思う。


夜、電車に乗って、周りを見回すと、携帯電話で喋っている中年の男性が2人ほど、携帯の画面を見つめている男性・女性が3人ほど居た(たぶんメールを交換している)。もし、この世に携帯電話がなかったとしたら、今この瞬間に私が見ている風景は、どんな風景になっているのだろうと思った。想像できなかった。

携帯電話は、とても便利で、暖かくて、優しくて、でも少し寂しいツールだと思った。あるいは、とても安心できるけれど、とても不安なツールだ、とも言えるか…。


2003年05月29日(木) 仕事先で地声を張り上げて喋る / 私は私でしかない

結局、身体的にも精神的にも大丈夫だと言える状態ではなかったけれど、仕事には行く。電車の中でずっと「帰りたい。もう休みたい。何だかお腹が痛いような気がする。こんなのでこれから私は生きていけるのかなぁ。こんなにやる気がなくてどうしよう」と、死ぬ思いだった。

実際、仕事をし始めてみると何とか普通にできたような気がする(同僚と喋って少し気が楽になったからかもしれない)。片方の授業の方は、約80人を相手に喋らないといけないのに、今日に限ってマイクの調子が悪く、泣きそうになったが、「学生時代に合唱部だったので声には自信があります! 今日は地声でいくのできちんと聞いて下さい!」と、1時間近く地声を張り上げて喋った。しかもフルパワーで声を出していたので、いつもの何倍もの体力を使ったような気がする(それでも後ろの方には届いていなかったみたいだ)。*注1

ただ、やっぱりいつも以上の体力を消耗したのと、あと人前では多少ごまかされていた部分はあったのか、帰ってきてから、休もうとしても休めないほどの疲労を感じている。寝ていても疲れていて不安になるし、もっともっとしなければならないことがあるのに何故できないのだろう、私はいつまでこうなんだろう、いつまで経ってもこんなに情けないのかと思う。

私は私でしかないと、ふと思った。他の人がたくさんの素晴らしい資質を持っているのが羨ましくてならなくて、自分もあの人のようになりたい、この人のようになりたいと願うけれど、でも私は私でしかない。それは、自分の能力を見限っているというわけではなくて…なんなんだろう。とにかく、私は私でしかないし、私以外の者にはなれないし、これまでもずっと私だったと思った。だったら、こんな私が、私として、いろいろな場面で、どのように何ができるのかを考えていかないといけないのだろう。それは、他の人のように美しく要領よくはないだろうけれど。無様に失敗したり、見苦しいところばかり見せるかもしれないけれど、それでも私だと思った。

帰りしなは美しい夕焼けを見ながら電車に揺られる。久しぶりにあんなに美しい夕焼けを見た。少しずつ、日が長くなってきたんだね。

*注1
マイクの調子が悪かったのは、単に私が機器操作に慣れていなくてスイッチを入れそびれていただけの可能性が高い。あと、合唱部であったことと声に自信があることに因果関係があるのかどうかわからないけれど(放送部とかの方があるのかも)、話のネタとして振った部分はある。しかし、自分自身は合唱に携わっていた時期はあるものの、「合唱部」に所属していたという意識は薄い。小学生の時に児童合唱団に、大学生の時に合唱団(「合唱部」とは呼んでいなかった)に入っていただけ。どちらかというと、吹奏楽部に所属していたという意識の方が強いかなぁ。そっちは中学から現在までずっとだから(現在は「吹奏楽団」に居るが。しかし最近は練習を休んでばかり)。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)