風紋

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2003年04月20日(日) 演奏会当日 / 寂しい葉桜 / クリームチーズ焼きプリン

演奏会に出てきた。

結論から言うと、多少調子が悪いながらも楽しめたと思う。ただ、不適切な行動をたくさんしてしまった。以前も似たようなことがあったけれど、人と会っても、どう会えばいいのかわからなくて表情が微妙に引き攣るような感じがしたり。人と話しても、どう話していいのかわからなくて逃げ出したい気分になったり。そんな自分が嫌で、ますます逃げ出したくなったり。

リハーサルの時に、先生が「無理やりにでも楽しもう」とおっしゃったのだけれど、そんなに無理をしなくても、本番のステージの上に上がっただけで自然と楽しめたような気がする。

2部の仕上がりが一番心配だったのだけれど。一番楽しかった。演奏していて一番楽しかったのが、4楽章の92小節目から(と言っても、どこなんだか?という感じだけれど)。さぁっと世界が広がる感じ・目の前が明るくなる感じがする。あるいは一気に飛翔する感じが。トロンボーン→ユーフォニウム・チューバ→ホルン→クラリネット→トランペット→フルート(ピッコロ)→オーボエ→サックスの順にパートごとに次々とスタンドプレイをしていく部分は、演奏していても見ていても、気分が高揚した。普段は滅多に本番でスタンドプレイなどしないので、目立つことができて嬉しかった…というのもある(かな)。たった6小節くらいだったけれど。

本番の演奏でしか得られないものがあると思う。これが本番だという期待と緊張が最大になって、そして聴いてくださる方が目の前にいらっしゃるという状況の中で生み出される音楽。その時しか得られない幸せな気持ち。上手な演奏でなかったとしても、自分たちの演奏だと愛しく思う。大好きな仲間と一緒につくりあげた演奏。今はその演奏と、その時の気持ちを思い出して、1人でにこにこしている。

昨日まで、すごく疲れた気持ちで元気がなくて、どれだけ気合をいれてもリハーサルにすら行けない気持ちだったのは嘘ではない。でも今日は、本当に楽しく演奏できた(出来が良かったか悪かったかはわからない)。ただ、これから、音楽活動を続けることが自分にとって負担に感じるのかそうでないのかはわからない(明らかに、今回の演奏会前には負担に感じていた)。そう思うと、これからどうしようと思う。けれど、今日、無事に演奏会が開催できたこと、たくさんのお客様に聴きに来て頂けたこと、そして私が演奏会に出演できたことに、今はただ感謝したいと思う。自分にとって大きな無理にならない程度に楽しみたい。続けられるなら続けたいと思う。けれどどうなるかわからない。できるだけ気持ちを強く持って続けたい。


時間的には前後するけれど、行きしなに駐車場に車を止めた時に、桜の花びらと花柄(?)がたくさん地面に落ちていた。あら、と思って上を見上げると、桜の木が、鮮やかな色の葉をいっぱいにつけていた。

ああ、桜の花も終わってしまったのねと少し寂しい気分になる。葉桜もきれい。けれどどこか寂しい。


本番前に「クリームチーズ焼きプリン」を食べたのだけれど、めちゃめちゃ甘かった。独特の味がした。美味しかったけれど、半分くらいの量でもよかった。


2003年04月19日(土) かなりの弱音(休むこと・元気のないこと・好きなこと)

休むときには、他のことを全部忘れて、休むことだけ考えてゆっくりと休んだ方がいいのだろうと思う。長い目で見れば、そうした方が効率がいいのだろう。より高いところへ、より遠いところへと到達することができるのだろう。

わかっているのに、どうしても焦ってしまって、中途半端にしか休めない私がいる。中途半端にしか休んでいないから、結局、効率も悪くなって、全然前にすすめなくて、悪循環に陥っている。

ただ、休んで事態が改善するという保証がない。今日も1日休んだ(休んだというか…一歩も外に出なかっただけで、来週の発表の準備を少しずつしたり、仕事の準備をしたりしていた)のだけれど、結局あまり元気にならなかった。こんな状態がずっと続いている。さすがに焦っている。いつまで経っても元気にならないように思う。もはやどういう状態を元気と呼ぶのかわからない。

もしかすると私はすごく元気なのかもしれない。と思うと、気の迷いで休んでしまっているのは良くないことだと思う。実際、人の前では割とけろっとしているので(それは無理して元気を装っているのでもなくて)、現実場面で私と接している人は、私が元気がないとは思っていないと思う(思ってほしいとも思わない、というか、思われたらそれはそれで大変だ)。

一方で、休んだことにすごく罪悪感を感じている。今日は、明日の演奏会のためのリハーサルがあったのだけれど、休んでしまった。体調が悪かったから休んだのか、頑張れば行けるのにさぼったのか、いまひとつ判然としない。いずれにしても、多少無理すれば行けただろうと思って、なぜ休んだのだろうと自分を責めている(なぜ…って、どうしても動けなかったからなのだけれど)。

少しずつ進んでいこうということなのだろうと思う。以前、休学を本気で考えた時に、「きついとおもうけれど、わからないなりにも進んでいかないと何も開けてこない気がする。あなたのような状況の場合は離れないでやり続けた方がベターだと思う」ということを、師とも姉とも慕う先輩に言われたことがある。それと同じようなことをごく最近も言っていただいた。歩きながら考えてもいいのだと。できるときにできることをゆっくりやっていこうということなのだと思うのだけれど。

休学を本気で考えた時というのが、2度目の留年が現実になりかけていた時で(で、現実に2度目の留年をしてしまうのだが)、その時の自分の状態と今の自分の状態がすごく似ているように思うのが不安をかきたてる。今の私は、あの時の自分の状態を失敗だったと捉えているので、今年もあの時と似たようなことを繰り返してしまうのではないかと思うと、なんとかしなければと思うのだけれど。

足掻けば足掻くほど泥沼に落ち込んでいるような気がするけれど、そんなものなのかもしれない。

ただ、何だかんだと言いながらも、私は、研究をすることも、音楽も、思いっきり広く捉えるならば生きることも好きなんだろうなと思う。というのは、昨日友人からもらったメールに「〜〜さん(私の本名)も遅くまでがんばるなあ〜体調よくないんでしょ?やっぱ好きなんだろうね〜」と書かれていたのを見て気がついたのだけれど。あ、そうか、私は研究も生きていることも好きなんだ、と思った。好きだからこだわっていたいし、だから苦しかったり悩んだりする。

もっとも、最近は悩みっぱなしのような気がする。この日記にも弱音しか書いていないと思うのは自分でも自覚していて、公の場(一応…)に書いていいんだろうか(よくないだろう)と思うと申し訳ない。ただ、この気持ちに出口が欲しかったから。

で、明日は演奏会。もう会場に辿り着ければいいやと思うことにする。今の状態で楽しんで演奏できるかどうかは自信がない。が、せめて、その時の自分自身を大切にして、その時に生み出された音楽と正面から向き合いたいと思う。

全然関係がないのだけれど、あたたかいプリンが食べたい。冷たいプリンでなくて。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)