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今年の春と同じ春は二つとないのだな、と思った。言い換えると、“今年の春と1年前の春は違うし、さらにもう1年前の春とも違う”とも言えるし、“今年の春と同じ春は今までに来たことがないし、これからも来ないだろう”とも言えるし、“今年の春はかけがえのない、二度と経験できないもの”とも言えるし…。あまりうまく言えないのだけれど。 久しぶりに楽団の練習に出る。楽器を吹きながら、私は曲を演奏することだけでなくて、楽器を吹くという行為(?)自体もかなり好きなのではないかということに気が付く。大きく息を吸って、目当ての音をイメージしながら息をはいて音を出して、音を響かせて…というふうに身体を使うこと自体が快い。自分の身体が楽器になったような。この辺りの感じは、言葉でなくて身体に染み付いているようなもので、私にはあまり上手に文章にすることができないのだけれど。 音出しの段階で、ロングトーン、音階、リップスラー、タンギング、半音階と一通りこなして、自分の身体の中に、忘れていた何かが戻ってきたような気がした。ずっと練習をさぼっていたので、高音がかなり出難くなっているのはまずいのだけれど。 ここしばらく、次の演奏会が終わったら退団するかあるいはしばらく休もうかなと思っていた。それは今のこの瞬間も完全にそう思わなくなったわけではない。正直、自分の本業(?)さえ満足にできていない状態で、小指1本でぶら下がっている状態(主観的には)で足掻いているので、コンスタントに練習に出るのは多少きつい(もう少し頑張らなきゃとは思うものの)。ただ、今日こう感じたことで、やっぱり私はここから離れられないなと、もう少し踏みとどまってみようかと思った。 しばらくぶりに合奏に出ると、今まで見たことのない楽器があったり、聴いたことのない旋律が聴こえてきたり、先日までリズムが噛み合っていなかったところがうまく流れるようになったりしていて、徐々に仕上がってきているのかなと思い、その中で私は何をやってるんだろうと思って反省をする。今回初めて見る楽器もたくさんあって、きょろきょろ見回しながら、おおっと思っていた。今日見た(聴いた)楽器で、一番印象に残ったのはフィンガーシンバル(という名前だったか…? あまり名前に自信がない)。高音で、可愛らしいけれど割と毅然とした感じの音を出す楽器だった。
昼間についうっかりうとうとと微睡んでしまうことがある、というのはいつものことなのだけれど、最近、そのような昼間の一瞬の微睡から目覚めた直後に、何故か懐かしいような幸せなような暖かい気分でいることがある。とても幸せな夢を見ていたような気がするのだけれど、どんな夢だったのか、なぜそんな気分になっているのか自分でもよくわからない。なぜだかわからないのと、その幸せな気分を引き起こしたものが現実のものでなかったということで、少しほろ苦いような寂しいような気分になったりもするのだけれど。 BGM:「エンジンが笑っても」(平松愛理) この曲が収録されている「とっておきの20秒」というアルバムは随分以前から持っていたのだが、あまり聴くことがなかった(というのはちょうどその時期にミニコンポのCD再生機能が故障したから)。ふと思いついて聴いてみて、聴きながら部屋の片付けをしていたのだけれど、片付けの手をとめて「ん?」と惹きつけられたのがこの曲。高音の部分(「エンジンが笑っても」の「らっても」で音がふいっと上がる部分など)が何とも心地よく響いていると思う。 ちなみに「エンジン」というのは心のエンジンのことのよう。 美人じゃないことも 知っていると 心のエンジンが笑っても ときめきをパワーに 変えていけば 動き出すときがくる ということらしいが、 本音で生きる程 強くないと 心に自分が負けそうでも うそぶいて生きてくよりも 素敵 エンジンは笑わない の部分に、やられた。 午後(夕方近く)、空がきれいだったので、写真に撮って、「そよ風」に載せた。
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