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風紋 もくじ / この前 / この後
先週末から今週にかけて、どうにも体調が悪い…というか、ぐでっとした疲労感が抜けないような気がする。そんなに忙しくはないはずなのになぁと思うと悔しい。昨日は、大学に行かないでおこうかとも思ったものの、残してきた仕事が気になって出向いた。夜まで色々と作業していたが、帰りしなには身体がばらばらになってしまいそうな疲労感(と書くと物騒な感じではあるが…)に襲われ、帰り着くなりばったりと眠ってしまった。そして今日も何だか頭が痛かったような気がする…のは眠りすぎたのだろうか。それとも花粉症だろうか。花粉症の症状に頭痛って含まれるんだっけか…? しかも胃の調子が悪い(お腹が痛い)…ような気がするが、これは明らかに花粉症ではなかろう…。 花粉症の症状がぽつぽつと出ているような気がする。気のせいかな?と思ってみれば何とか気のせいにできる…範囲なのかもそうでもないのかも。 眼が痒いと感じたので、今日はコンタクトレンズを装用しない方が無難かと思い、久しぶりに眼鏡をかけて外出した。しかし、既にコンタクトレンズに慣れてしまっているのと、眼鏡だと視力が矯正しきれないこともあって(*注1)、何となく街を歩くのが不安で仕方がなかった。遠くがやはりとても見づらい。遠くの看板の文字がぼけてよく見えないのは不安を煽る。おまけに視野も何だか変。それと関係があるのかないのかよくわからないが、螺旋階段を下りた後に普通の階段を下りる時に、普通の真っ直ぐな階段まで何だか歪曲しているように見え、げげっこれ曲がっているよと思い、遠近感がさっぱり掴めず、階段を踏み外しそうな恐怖とともに階段を下りていた。階段を下りるのがあんなに怖かったことはない(*注2)。 花粉症は何科にかかればいいのか実はよくわかっていないのだけれど、とりあえず明日早起きできたなら、眼科に行って目だけでも何とかしようと考えている。昨日今日と眼がどうもしょぼしょぼとする。私は割と症状が軽いので、私のような者が花粉症だというのは申し訳ないと思ってきたし今も何となくそう思っているのだけれど、今は割と時間の融通が利くので、医者にかかるなら今かなと思った。で、鼻も我慢ならなくなってきたなら耳鼻科にもそのうち行こうかと思う(今も少し鼻の違和感とくしゃみの繰り返しはある)。 (*注1)私は右も左も視力は0.1以下なので、眼鏡だと矯正が追いつかない。眼鏡ではそれほど強くは矯正できていないはずなので、コンタクトレンズだと1.0以上見えているところが恐らく眼鏡では0.7前後しか見えていないと思われる(車の運転に差し支えないくらいには見えています)。 (*注2)これは、私に乱視が少し入っているからかもしれない。近視がきついので乱視は意識したことがないが…。 行きしなに天気雨に降られた。傘を差すほどのこともなかったので、濡れながら歩いた。道行く人も傘を差している人と差していない人が半々くらい。おかしな風景だった。お天気で、太陽がきらきら輝いているのに雨が降っているなんて。細かい雨粒が太陽の光を受けてきらきらと輝いていて、めったに見られないその風景は信じられないくらい綺麗に見えた。私のコートにも雨粒がのっていて、それも太陽の光を受けてきらきらと輝いていて、思わず、うふふと微笑んだ。 夕方、西の空がいちばん綺麗に見える時間を狙って図書館に本を返しに行った。少し離れた場所にある図書館で借りた本なので、研究室から歩いて5分はかかるので、西の空を見ながらのんびり歩いていた(実は体調が変だったので少しつらかったが)。 この時間の西の空がとても好きだと思う。1日の最後だからか、太陽がとてもとても綺麗に見える。その周りの空の色も雲の色も、私はとても好きで、外出する時にわざと日没の時間帯を選ぶことが時々あるし、外出しなくても研究室から西の空を見て一人でにこにこしている時がある。今日は晴れたり曇ったり天気雨が降ったりというお天気だったからか、西の空も不思議に妖しい美しさを見せていた。 今日のこの時間のこの空を、私はとても美しいと思った。好きだと思った。そして、他のどの日でもない今日にこの空をみて、こう思うことができたことを、私はとても嬉しく思った。大袈裟な言い方になるかもしれないけれど、生涯大切にしようとさえ思った。 この時間にこんな空を、ここではない何処かで、私の知っている人や私の知らない人が、私と同じように眺めているかもしれないし、眺めていないかもしれないなと思った。眺めていてもよいのだし、眺めていなくてもよいのだけれど、私の知っている人も私の知らない人も、同じ空の下にいるのだなと思い、同じ空の下にいる限りは、またいつか会えると思っていいのかなとも思った。それはほんの少しだけ、でも確実に元気の出ることであった。 ちなみに図書館には本を返すだけのつもりが、ついいつもの癖で本を探し回ってしまったので、帰りしなには西の空は全く違った様子で、その変化の早さにも驚いた。ちなみに探し回った結果借り出した本は「女歌の百年」(道浦母都子著,2002年,岩波新書,詳細)。 昨日、眠りにつく寸前に半分寝ぼけながら「そよ風」に「暫く目覚めないかもしれない。でも忘れないでね」と書いた。半分寝ぼけながら書いただけに自分でもこっ恥ずかしい(ただの「恥ずかしい」を通り越して「こっ恥ずかしい」)のだけれど、書いた直前に考えたことは割合よく覚えているので、それを書きとめておかないと何が何やらわからない感じになるだろう。 書いた直前に考えたこと、というのは、暫く目覚めず何も語らず日記も書かずにいたら、きっと私は忘れられてしまうだろうな、ということだった。それが少し寂しかった。だから忘れないでと書いた。それはとんでもない我儘でとんでもない甘えなのかもしれないのだけれど。 こんなことを再び書くのもこっ恥ずかしい(ただの「恥ずかしい」を通り越して「こっ恥ずかしい」)のですが、暫く私が眠りっぱなしでいても、時々は思い出して下さったら嬉しいなと思います。もちろんそうして下さいとは言えないし、どうなっても私が此処にいることに変わりはないですが。
沈丁花の蕾が開きかけているのを見つけた日。 少し駅前で買い物をしてから大学に行くことにした。大勢の人に囲まれて交差点で信号待ちをしていると、ふと、“こんなに距離(物理的な距離)が近いところにいても、考えていることも、感じていることも、見ているものも、みんな違うのだろうなぁ”と思った。 知らない人達の中に居たから余計にそう思ったのかもしれないのだけれど、知り合いであるところの人達の中にいても、それはそうなのだろうと思う。似ていることはあるだろうけれど、でも全く同じだということは…あるんだろうかな。 それはある意味とても寂しいことで、反面とても嬉しいことだと思った。 最近、レピシエのテイスティングカップを使って、大学で葉っぱから紅茶を淹れている。不器用なので、注ぐ時にこぼしてしまうことも相変わらずなのだけれど(どれだけ不器用なんだという感じだが…)。と言っても、それほどたくさんの葉っぱを持っているわけでもないことと、持っていても変に勿体無いと思ってしまって(飲まずに品質を劣化させる方が勿体無いに違いないのだけれど…)、今はレピシエの854 キャロルと191 ダージリン・セカンドフラッシュ 2002を交互にいただいている。 「キャロル」の方は、昨年末にたまたま店頭で試飲をさせていただいて、いい香りだなと思って思わず衝動買いをしてしまった。今、改めて飲んでみると、この甘い香りが、時によってとても快く感じる時と、ちょっと重いなぁ…と感じる時があることに気がついた。それは自分の状態によるのかもしれないけれど。どちらにしても、ストロベリーとバニラの香りがかなりきつく出るので、苦手な人は苦手だろうと思い、なるべく誰もいない時にこっそり飲むことにしている。 「ダージリン・セカンドフラッシュ2002」の方は、繰り返しいただいていると、ダージリン(の、セカンドフラッシュ?)はこんな感じだというのがだいたい掴めてきた。美味しく淹れることができているかどうか未だにわからなくて申し訳ないのだけれど。多少渋く出たり薄く出たりしても気がついていない可能性がある…。 最近、度々頭の中に浮かんでくる言葉。 「どーんと胸はって、プライド持って、わらうときは声だして!」 (「さよなら十二歳のとき」(薫くみこ:著/中島潔:絵,1986年,ポプラ社。(詳細)。p.216) 昨日日記を書かなかったからなのか、今日は疲れているからなのか、今日は書いていて言葉がするっと出てこないというかひっかかるというか、実はさっきから書いたり消したりしている。 別に、きれいな言葉や上手な言葉を綴らなければならないと思っているわけではないのだけれど。想いを言葉にするのが難しい時期も私にはあったから、今はとにかく書いてみよう言葉にしてみようと思っている。誰のために、なのかはよくわかっていないのだけれど。 いつもいつもするすると言葉が出てくるわけではなかろうとは思う。言葉にならないこともあってよいのだろうし、それはそれとしてそのへんを漂ったままにしておいていいのだろうと思う。思うのだけれど。 ただの通りすがりの人としてだけではなくて、ある程度の知り合いになると、助けられたり助けたり、支えられたり支えたり、元気付けてもらったり元気付けたりといったことも多くなるけれど、反面、迷惑をかけたり迷惑をかけられたり、振り回してしまったり振り回されたり、傷つけてしまったり傷つけられたりということも起こってしまって、それは哀しいことでもあり、それで「あなた」を哀しませてしまうのは私の本意ではないから、ますます哀しくて申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなくなって、いっそ私などいなくなればいいんだとも思い、頭を抱えてしまうこともあるのだけれど、それでも私は、私の方は、「あなた」とお知り合いになれて良かったと思うし本当に幸せなんだよ、…と思うことがある。
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