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昨夜は、疲れているのになかなか眠れず、そのうちに身体の上に重いものがのしかかってくる感じがして、かなり疲れた。俗にいう「金縛り」で、医学的には「睡眠麻痺」。一時的なものには違いないけれど、起きる時間と寝る時間が不規則だからだろうと思う。 レピシエの「191 ダージリン・セカンドフラッシュ 2002」(DARJEELING SECOND FLUSH 2002/詳細)。いただいたもの。とてもとても嬉しくてありがたくて、何だか勿体無くて、ずっと開封できずにいたのだけれど(私はこういうことが割と多い)、このままいただかないのはもっと勿体無いということに漸く気がついて、やっと飲めるかなという度胸?がすわったので、いただいた。ごちそうさまでした。 先日買ったテイスティングカップで淹れてみたのだけれど、注ぐ段階でこぼれてしまうのは、私がよっぽど不器用なんだろうと思い、情けなくなる。 葉っぱの量などを、きっちり測ることができているのか、本当に美味しい淹れ方ができているのか自信がなくて、葉っぱといただいた方に申し訳ないなとも思った。 味は…私自身がそんなにたくさんのお茶を飲んでいないので、あまり難しいことはわからないのだけれど、飲んでいてとても幸福な気持ちになった。それと、「あ、これはダージリンだ」というのがほんの少しだけわかってきたように思う。香りや水色が。繊細と言われるのも。「セカンドフラッシュだ」というのは、ファーストフラッシュやオータムナルと比べるとわかる…のかな。わからなくても幸せだったからいいか…。 久しぶりに「序曲“ピータールー”」(Peterloo Overture Op.97/Malcolm Arnold作曲)を聴く。 いくつかの演奏を聴き比べる。 ・バーノン・ハンドリー指揮/BBCコンサートオーケストラ ・サー・マルコム・アーノルド指揮/バーミンガム市交響楽団(でいいのかな。City of Birmingham Symphony Orchestra) ・サー・マルコム・アーノルド指揮/BBC交響楽団 個人的には2番目のが(深い意味もなく)好み。 1819年8月16日にマンチェスターのセント・ピーターズ・フィールドで起こった“ピータールーの大虐殺”をテーマとし、その情景が描かれている曲。美しい静かな旋律ではじまる。それが終わらぬうちに小太鼓が鳴り響き、不穏な空気が漂いはじめ、異常なほど激しく緊張感をもった旋律で戦争の悲劇が表現される。しかし最後は、最初の美しい旋律が調をかえて再現され、希望と平和への祈りを感じさせつつ曲が閉じられる。…というので説明になっていればいいのだけれど。 私はこの曲がとても好きで、特に最後の部分がとても好き。なぜか涙が出てくる。自分が透明になっていく気がする。苦しみや悲しみがすべて溶けて浄化され、赦されるような気がするのだ。まだ希望を捨てたくないと、そう思うのだ。 「そよ風」を置いている「ヤプース」がサーバー移転のために、19日中は(あるいはもっと長く)アクセスできないそうだ。 アクセスできなくても、風に吹かれて飛んでったというわけではない。
ぐでっ、とした疲労感。ゆえに短めに。 電車の中で、全然知らない人の会話が聞くともなしに聞こえてきてしまった。それはもちろん私自身には全然関係のない話題ではあったのだけれど、偶然聞こえてきたある言葉に、まるで胸に大きくて重いものをどんとぶつけられたような衝撃を感じ(もちろん比喩ではあるが、本当に胸の辺りがずきっとした)、思い出すまいとしていたことや思い出したくないことをいろいろと思い出してしまった。 ただ、思い出すまいとしていたことや思い出したくないことのいくつかがあるのは確かなのだけれど、そのことがなければ今の私はない。言い換えれば、今の私はそのことを含む私であるとも言えるし、そのことを経たうえでの私であるとも言える…のかもしれない。そんなことを考えた。そんなことに気がついて、時々は思い出そうとも思うのだけれど、思い出すのは時々とてもきつい。 お気に入りの日記さんのいくつかの夏の頃の過去ログを読ませて頂いていて、そういえば夏は暑かったなぁと思った。今、思い出すと信じられないような気がするけれど、あの頃は“毎日暑いですね”というのが会った時の挨拶だった。そのくらい暑かった。 いろいろぐしゃぐしゃとありながらも、お月様が美しいことに辛うじて救われているような気がする(いや、お月様以外にもいろいろ救われてはいるのだけれど)。とりあえず今日はここで一度切る。
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