風紋

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2002年12月12日(木) 螺子がとんだ感じ / 大切なもの / クリスマスの雰囲気は / 前の家の跡地を見る / メモ:目にした短歌

かなり、ふわふわと過ごしていて、生産的なことを何ひとつしていない。レポートの採点をしたくらいだ。

今日は螺子が数本とんだような調子で過ごしていて、いつもよりかなり早めに帰途についたのだが、かなり寄り道をしたので、帰り着いた時間はいつもと同じ。


世間一般の人から見ると、なぜこんなもの・こんなことが大切なんだろうと軽蔑されたり莫迦にされるようなことであっても、本人にとってはとても大切なこと・ものがあるのだろうと思う。私は、他の人の大切なもの・ことを、それがどんなものであっても大切にしたい、そして、私にとって大切なこと・ものも大切にしたいと思った。別に誰のためでもない。私のために。

で、今、私が大切にしたいと思うことって、何だろう。それはちょっとだけ秘密。


街はすっかりクリスマスの雰囲気で、駅前の木に電飾が付いていたり、店に入ってもクリスマスの音楽が流れていたり、クリスマスに関連したものを売っていたりする。少しだけ寂しくなるのはなぜだろう。

なぜクリスマスの前に、世の中は“クリスマスだぁ”という雰囲気になるんだろう、と思った。クリスマスの時は、誰かに優しくしたい気持ち、誰かに優しくされたい気持ちを素直におもてに出すことを許される時で、クリスマスの雰囲気を盛り上げることは、そういう気持ちを素直におもてに出すことを後押ししてくれているのではないか…なんて思ったのは、過剰な意味づけだろうか。私が誰かに優しくしたい、優しくされたいだけなんだろうか。

なんて考えながら家に帰り着くと、クリスマスツリーが出されていた。しかし、ツリーはあるものの、電飾は壊れているし(電源を入れても光らない)、モールやその他の飾りの多くが引っ越しの混乱で行方知れずになっていたりしていて、ほんの少しの飾りと、綿(脱脂綿で代用)だけが乗っているという、何とも貧相なクリスマスツリーだった。明日、余力があれば、何か飾りを買って来よう、っと。


引っ越しの話が出たついでに。

帰りの電車の中で、ふと、今日は前の家の跡地を見て帰ってみようと思った。あの道で左に曲がるのではなくて真っ直ぐ行って、で、あそこで左に曲がって…と考えただけで、懐かしくて何だか涙が零れそうになっていた。

実際に、今日はその道を左に曲がらずに真っ直ぐ進んで、その後左に曲がって…という経路で帰ってきた。数ヶ月前はこの道をいつも帰っていた。この道を帰るのが当たり前だったのにな。この道を通るの自体が久しぶりのことだったのだけれど、知らない間に少し変わっていたところもあった。

でも、数ヶ月前と同じ道を帰ってきたのに、やっぱり前の家があったところは、残酷なまでに何もなかった。ただの空き地だった。何も無いという現実を思い知らされた。

いつまでも前の家にこだわって、こうして日記にも書いてしまうのは、自分の適応能力の無さを示しているようで情けなくもあるし、「いつまでも無くなったものにこだわらずに前を向いたらどうなの?」と言われると反論のしようがなくて、私が悪いのですごめんなさいと言うしかないような気がする。ただ、前の家が壊された時に、私自身の一部も一緒に壊されたような気はしている(気のせいかもしれない)。私自身の壊れた部分はどうしたら埋まるのか、あるいは、壊れたままでどう生きていけばいいのか、今の私には答えが見つからないでいる。ただ、答えは見つからなくても、私自身の生命活動は止まってはいなくて、生きてはいて、朝は起きて朝食を食べ、昼には昼食を食べ、時にはおやつも食べ、夜には夕食を食べ、眠っている。だからどうだというわけではないけれど、答えがなくても死んではいない…ということ。


メモ:新聞で目にして、心惹かれた短歌。

「悲しみの底より上りゆく階の一段一段となれよわが歌」

小島ゆかりさんの短歌で「水陽炎」(昭和61年)の所収だということだった。


思いつくままにつらつらと書いてしまった。皆様風邪にお気を付けて。


2002年12月11日(水) ちょっと、ぼーっと / 論文 / ノートは何処へ? / キャンディという名前の紅茶

朝、電車に乗り込んだ直後に、携帯電話を家に置き忘れてきたことに気が付いた。引き返せないので携帯電話なしの1日を過ごした。とても自由になったような気がする反面、どうしようもない不安を感じた。もし私に緊急に連絡を取りたい人がいたら、あるいは、もし私に緊急に連絡を取らねばならない事態が私の知らないところで起こっていたら、今の状態では私には何もできない、という不安。そういうことになっていても、それを知らずに、私は普段通りの生活をしてしまう、という不安。だいたいの場合は大丈夫だと思うのだけれど、それでも、そういうことがないとは言い切れない。どうか何も起こらないでいて、と思いながら1日を過ごしていた。

帰りは帰りで、自転車置き場のどのへんに自分が自転車を置いたかをすっかり忘れていて、自転車置き場をうろうろと探し回っていた。

ちょっと、ぼーっとしている。昨日も帰宅してから体調があまり良くなかった。もっと早い時間に帰った方がいいのかもしれないと思う。身体と心がばらばらに動いているような感じがする。そんな自分の弱さが情けなくて。

頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、と3回唱えて気合いを入れる。


何だか、しなければならないことがいろいろとある。今日は集中講義の事前課題が出た。今月中に論文を書きたいと思ったのに、無理かもしれないなぁと弱気になったりする。でも9月も、いろいろあってもう無理だと思ったのに論文を書き上げたから大丈夫かな…ということを思い出した矢先に、その論文の初校刷が今日あがってきた。何だか、嬉しい反面、ものすごく恥ずかしい。他の人の書いた文章みたい。でも私が書いたんだというのが変な気分。

とにかく書かなければ。行き詰まっても。


昨日、後輩にとある質問を受けて、それは私が学部生の時に講義で聞いたことがあることのような気がして、たぶんこういうことだったと思うけれどちょっと自信がないから家に帰って昔のノートを探してみるね、と言ったのだが、部屋を探してみてもそのノートがない。たぶん引っ越しの混乱でどこかにいってしまった。荷造りをするときはあったのだけれど。その講義の性質と今私がしていることを考え合わせると、そのノートを納戸にしまい込むようなことはしていないはずなのに、部屋の中にないのはなぜだろう。ごめんね(→私信)。捨ててはいないはずだから、どこかにはあるだろう…。

私自身は引っ越しの片付けが完全に終わったわけではなくて(って、引っ越してから何ヶ月経ってるんだという感じだが)、とりあえず必要なものだけ手許においているという感じでいる。そんなわけで、コンポを置く場所がまだ決まっていないので、ここ3ヶ月くらいほとんど音楽を聴いていない。


昨日、紅茶の葉を30g買ったのだけれど、何の紅茶を買ったかは書いていなかった。キャンディという名前の紅茶を買った。私はすっかり、飴(candy)に由来する名前だと思い込んでいたのだけれど、全然違っていて、スリランカにキャンディという街があって、その周辺で栽培されている紅茶らしい。つづりもcandyではなくてkandyだそうだ。知らなかった。←莫迦。

まだ飲んではいない。先日のシャンパンの香りがする紅茶も。飲んだらここに書くかもしれないし、書かないかもしれない。その前に美味しく淹れられるのか甚だ自信がないのだけれど。

今日は伊藤園の花茶を飲んでいた。少し高貴な気分になった。


寒いので、風邪をひいたり体調を崩したりすることがないように、どうかお気をつけ下さい。もしももう風邪をひいてしまったのなら、どうかあまりひどくならないように、楽な気持ちでいらっしゃいますように、と願います。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)