ムースの部屋 TOPへ

INDEXPastWill
Mi Pensamiento Diario

進展あるかな?

進展あるかな?ちょっと期待してみよう。今日大家さんのところに家賃を払いに行ったとき、騒音がひどくて困ってるんだけどっていったの。そうしたらお隣りさんにいってくれるって。多分、午前中に何かいわれたんじゃないのかな?いつもだったらアパートの前に車が止まってるけど、今日は止まってなかったからどこかへ出かけたみたい。ムースが家に戻ってからしばらくしたら廊下で話し声が聞こえるの。3つある部屋のうちムースの住んでいる部屋とは反対側の部屋には先週末から女の人が越してきたみたいだから、話し声は間違えなく隣りの人。何でかわからないけど廊下に出て電話してたみたい。きっと今日大家さんに何かいわれたことについてそこら辺に電話をしたんでしょう。多かれ少なかれ怒っていることは確かでしょう。でも、ムースの側からすれば、半年も我慢して、しかも7月からは何度も音を下げてって頼んでいるのにそれをムシしたからこうなったと思うんだけど。しかも頼みにいってる時間は大体夜中の1時とか2時。この間初めて夕方にいいにいたかな。でもその翌日は真夜中になってうるさかったから、夜中うるさいっていってもおかしくないと思うけど。ムースが大体夜中の1時とか2時に音を下げてもらうように頼みにいってるのっていったら、大家さんはちょっとビックリしてた。冗談でしょ?って。冗談だったらよかったけど、冗談じゃないから。朝っぱらから大家さんに冗談いったってしょうがないもんね。
それにしてもどうして人付き合いが下手なんだろう。昔アルバイト先でも似たようなことがあったっけな。危険な行為をしてる人に「やめてださい」ってムースが注意しても聞かなかったから、埒があかないって思って、上役に注意してもらうように頼むの。もちろんそのときはひどく叱られるけど。そうするとなぜかムースが逆恨みされる。でも危ないからやめてくださいって何度も注意してるのにやめないあなたが悪いんでしょって思うんだけど、どうもそうじゃないらしい。まぁ、誰しも人を見て態度を変えることくらいよくわかってるし、ムースの場合大体の人がなめてかかってくるから。結構我慢することも多いんだよね。でもそんなに気長でもないから、あるときに堪忍袋の緒が切れて、上司や他の人にどうにかしてくれるように頼むとなぜだか恨まれる。もちろん最悪の人間関係になるのは否めないかな。がっかりするよ。だって他の人がいったらちゃんと聞くのに、ムースがいうとムシするんだから。
何だか疲れちゃう。この先もこんな感じなんだろうなぁ。良好な人間関係を築きたいけど、それはかなり難しいのかな?


2002年09月30日(月)



充実した日

昨日はまたまた悪夢のような騒音の中、12時に就寝。よりによって11時半くらいになってからとってもうるさくなって、寝る前はかなりのイライラ状態。でも昨日の気分としてはもう完全にお手上げって感じだったから、お酒を飲んでとっとと床に就いちゃった。イライラしてたせいですぐには眠れなかったけど、しばらくしたらお酒が回って寝れたからよかった。ただそのイライラしてるとき、変なことばかりを考えちゃったの。もしこのままムースがこの世から消えても絶対に誰も気がつかないだろうなぁとか。もし部屋の中で何かあったら第1発見者はたぶん大家さんかな。家賃が滞納にどうしたものかと見に来るだろうから。きっとそれから警察を通じて学校へ連絡が行って、親に連絡が行くんじゃないかな。でもそのときには死後2ヶ月っていったところだろうなぁ。1部の人は知ることになると思うけどあとは誰も知らず。まるで猫の最期みたいだよね。誰にも知られずにひっそりと息を引き取るなんて。こんな変なことを考えたのって何年ぶりのことだろう。ちょっと疲れたかな?他のことは結構充実してるんだけどなぁ。ムースにとって安住の地でなきゃいけない自分の部屋が1番落ち着かないところだから、神経が磨り減ってるのかも。お金があったらどこでも好きなところに住むんだけど、ここより安いところはなかったから。だから動きたくても動けないんだよね。
でも今日は昨日の悪夢のような日とは打って変わって何だか充実した日だったなぁ。夜中うるさいってことは午前中はまさに平和なとき。昨日は早めに寝たから今日は9時ちょっと前には起床。コーヒーを入れて、それから昨日の晩にやろうと思った宿題を開始。今1つ理解をしてないんだか、資料がなくって答えが導き出せないんだかよくわからないけど、思うように宿題は進まずちょっと飽きちゃったの。しばらくの間ボーっとしてから、再度宿題を開始したときに廊下から何やら人の声が。ムースのところに訪ねて来る人はいないからその声は階段のあたりで止まるはずなんだけど、どんどんとその声は近づいて来たの。そのときすぐに愉快な仲間の1人だってすぐにわかっちゃった。昨日の晩だったら拉致しに来たんだってすぐにわかるんだけど、日曜日の昼間に来るなんて何事かって思ったの。そしてドアを開けたらカリフォルニアにいるはずの愉快な仲間がそこにいるんだもん。ビックリ。1月にここからカリフォルニアのサンノゼに引越ししちゃったんだけど、4月の終わりのころに1度カリフォルニアからこの北の国に遊びに来たことがあるの。でもそのときのムースは断酒中だったから飲み屋さんへは行ったんだけど、何も飲まずにいたんだ。今晩だったらいくらでも飲めるけど、夕方にここを経たなきゃいけなかったみたい。だから昼間に寄ったんだって。ムースの家の隣りにある街1番の中華屋さんへお昼ご飯を食べに行こうと思って。でもあいにく遅い朝ご飯を食べたから全然お腹が空いてなかったの。そしたらご飯を食べたあとにラケットボールをやろうってことになったんだ。今日はコンピュータ室へ行ってプログラムの書き方を教えなきゃいけなかったけど、4時ころまでに行けばよかったからすぐにOKしちゃった。でもラケットボールなんてやったことないからちょっと大変だったけど、前から興味があったので出来てよかった。あれ、結構面白いねぇ。たった20分くらいやっただけで滝のような汗。息も切れてヘトヘトだったけど、気持ちいい汗をかいたから気分はよかったんだ。ラケットボールはコンピュータ室のすぐそばにある学校の体育館でやってたから、4時近くなったときに汗だくのままコンピュータ室へ行ったの。そしたら入り口のところで教えてっていってた人に会っちゃった。ずーっと待ってたみたい。だからすぐにコンピュータ室へ行って何がおかしいか見つけ出す作業から。前と打って変わってほとんどプログラムが書けてたから、今日はちょっとした間違え探しをして、そこを修正したらちゃんと動いたの。多分これで宿題の提出期限に間に合うんじゃないのかな?5時に難しい方のプログラムが大体完成してたから、あとはもう1つ機能を加えればいいだけだから。それは簡単だから1時間か2時間で終わっちゃうし。ムースはさっさと片付けたからあせることは全然なかったけど。っていっても昨日完成したんだけどね。今晩あたりはみんな徹夜でプログラムを書いてるんじゃないのかな?やることは簡単なんだけど、それが思うようにいかないから誰もが頭を抱えて悩んでるんだけど。もちろんムースもプログラムのエラーとは何日も戦ったけど。ただちょっと思ったことがあるの。みんな一昨日、昨日くらいから始めて明日の提出期限に間に合わせちゃうんだからすごいなぁって。ムースはこのプログラムを1週間半前の19日から書き始めて昨日出来たんだから、9日がかり。2、3日目なんてまだ何にも出来てなかったから。集中力がすごいというんだか、何がすごいんだかわからないけど、とにかくすごいと思う。ちなみにムースだったら今の時点でプログラムが動いていなかったら明日は提出できないと思う。実際に夏休みに似たような出来事があったけど、提出期限の前の晩までに動いていなかったら提出はムリ。だって今晩徹夜してやったところで、気持ちがあせっているからちゃんとしたプログラムが書けないってことがわかるもん。あぁー、もうムリって思ったときはやめて別のことをやってないと、ただでさえ磨り減ってる神経なのに余計磨り減っちゃって、また以前のように無気力になっちゃうから。もうそれだけは勘弁。今日のように汗をかいてすっきりして、プログラムの修正に付き合って、それが動いたときに一緒に喜んでる方が何倍もいいから。
それにしても今日は結局宿題もろくにやらず、水曜日に見せなきゃいけない書きものもやらなかった。どうしよう。1つは明後日提出だし、もう1つは水曜日。意外なところで提出期限に迫られてた。でもみんなのように難しいプログラムに追われている訳じゃないからまだマシかな?明日も朝が早いからそろそろ家に帰って、寝ようかな?実は今図書館に引きこもり中なの。夏休みのようにイライラしたときや静かなところで書きものをしたいときにムースの見方になってくれるのは、図書館だけだから。でも夏と違って人が多いし、ちょっとうるさいかな。まぁ、家にいる何十倍も静かだからいいんだけどね。


2002年09月29日(日)



悔しい

何か悔しいなぁ。隣りの部屋からの騒音は相変わらず。今日の夕方についに堪忍袋の緒が切れて警察へ行こうと思って家を出たの。ムースが車を止めている街の図書館の裏側に裁判所があるんだけど、その裏に警察があると思ってたんだ。だから小雨交じりの寒い中をてくてくと歩いて警察と思われる建物へ行ったの。そしたらそこは警察じゃなかった。別の建物だったの。何だかがっかりしちゃった。でもどうしても気が収まらなかったから、警察を探して付近をうろうろしたんだけど結局見つからず。途方に暮れたまま家に戻ったんだ。そしたら廊下にいても何も音が聞こえてこないから、どっかに出かけたかなって思ったら、部屋に入ってしばらくしたらまた騒音が。かなりがっかり。もしお巡りさんを連れてきたところであれだけ静かだったら文句のいいようがなかったから。すっかり気分が落ち込んで疲れがドーっと出ちゃった。今まで2時間くらい寝ちゃった。こういう精神的に疲れるのって本当にイヤ。何にもする気になれなくって。こういうときに友達がいれば騒いで気分転換も出来るだろうけど、愉快な仲間数人以外は知ってる人はいないから。その愉快な仲間は今日はみんなでお出かけしてるんだって。ってな訳で久しぶりに孤独を感じてる今日でした。実は昨日の晩も何となく飲みに行きたい気分だったんだけど、愉快な仲間の家はもぬけの殻で、結局いつのもように1人家でお酒を飲んでたの。何となく騒ぎたい気分だったんだけど。だから昨日の晩から何となく1人ぼっちだなぁって思ってたんだ。やっぱり1度でも話が出来るって思うとよくないね。だって何かあったときに愚痴をこぼしたりして、気分転換をしようと思っちゃうもん。最初っから1人だと思えば、とにかく忍の一文字で耐え続けようと思うからね。今日のように耐えられなくなるってことがないから。でも悔しいのは、隣りの部屋の住人が今静かにビデオを見てること。やれば出来るのにやらないんだもん。これが一番悔しいなぁ。イライラする自分がバカみたい。すっかり翻弄されちゃってるよね。本当に今くらい静かならムースだってイライラする必要が全くないのになぁ。
今日は夕方までまたコンピュータ室に釘付け。プログラムの間違えを炙り出そうと思っていれたメッセージが原因でプログラムがずーっと変だったの。これに気がつくまでに2時間もかかっちゃった。この不必要なメッセージを削除したらすぐに正常にプログラムが動いて、やっと宿題終了。でも2、3人からどうやってプログラムを書けばいいか聞かれてるからそれに答えるために、今日もコンピュータ室へ行かなきゃいけない。っていうか1人でいるのがイヤなのかな。やらなきゃいけないことは結構あるけど、今日はもうやる気がしないから。
あぁ〜、イライラせずに落ち着いていたいなぁ。


2002年09月28日(土)



ボーっとしたまま

何だか疲れちゃった。晩御飯を食べたあと、疲れていたせいか、1時間ばかり昼寝?しちゃった。昨日の晩、寝るのが遅かったから眠かったのかも?昨日の晩は日記に書いたように、夜になってから学校のコンピュータ室に戻って宿題をやっていたの。たった2時間くらいパソコンに向かったからって何1つ解決するわけじゃないんだけど、自分の書いたプログラムを見ながらどこがおかしいか、それを見つける手助けにはなると思ったから。運良く、昨日コンピュータに向かったことで、自分のプログラムの欠陥が発見できたから、昨日の晩と今日の午前中、新しい方法を考えて、修正を加えてプログラムを動かすことに成功しちゃった。でもそれですべてが終わったわけじゃなくって、それによってやっと1歩目が踏み出せただけなの。ゴールまではもうちょっと距離があるけれども、この感じで行けば明日の午後にはどうにかなりそう。だって頭の中にプログラムのデザインがあるから、それをどうやってプログラムに反映させるかだけだから。考えだけはある程度まとめてあるから、頭が真っ白っていう状態と比べたらずーっとマシだと思う。
コンピュータ室にこもっていて、家に帰ったらもう夜の11時半。昨日の晩はちょっと寒くってね。コンピュータ室のある建物を出たときに、ムースの後ろを歩いていた人から突然声をかけられちゃった。「車乗っていく?」って。ここ北の国ではよくこんな感じでよく声をかけるの。街は小さいから車で街の端から端まで走っても5分で着いちゃうし、歩いて家に帰るのは寒くて大変だしね。ムースも以前、愉快な仲間を家に送っていってあげる途中で見ず知らずの歩いている人に声をかけて、その人を送っていってあげたことがあるの。確か夜中の2時半ごろだったと思う。外は−15℃くらいだったかな。そんな中歩いて帰るのは大変だもんね。ただ昨日声をかけてきた人は、前学期、数値解析の授業でムースの前にいつも座っていた人だったから、全く見知らぬ人って訳ではないんだよね。北国コンピュータ学院は学校こそは大きいけど、コンピュータを専攻している人は結構少ないから。だからこの人見たことあるっていうのは多いかも。しゃべったことないから知らない人ってだけで。コンピュータ学院なのにコンピュータの専攻が少ないっていうのはとってもおかしく聞こえるかもしれないよね。ムースが北国コンピュータ学院にいるだけで、この学校にはいろいろな学部があるから。薬学部もあるし、看護学部もあるし、外国語学部もあるし、農学部もあるの。全体的にはいわゆる理系の学部が多いかな?学校のことはともかく、昨日の晩は声をかけられちゃうくらい寒かったの。ムースは車で学校へ行ってるから、「大丈夫」っていって自分の車に乗って帰ったけど。
あまりの寒さに体を温めようと思ってウォッカを飲んだの。っていうと聞こえがいいけど、いつもと変わらずにウォッカを飲んだら、今朝はそのお酒がまだ残っていてボーっとしてた。多分疲れからだと思うんだけど、今日は1日全然お酒が抜けなかったような気がする。ずーっとボーっとしたまま。それに今日は何だか忙しかったから、何となく落ち着かなかったし。
ところで、今朝、お酒の残った状態で車のところへ行くと、まだ9月だっていうのに窓ガラスがみんな凍ってた。それに運転席のドアは凍りついて開かなかったの。朝からちょっと大変だった。窓ガラスについた氷をスクレーパー削り落として、前や後ろが見えるようにしなきゃいけないから。冬はこれだから大変。削り落としている時間を含めたら車で行くより歩いて学校へ行った方が早いんじゃないかって思うけど、雪が降ったり、吹雪いたりしていたら車で行った方が帰りも楽チンだから車で行くの。歩いて家まで戻らなきゃいけないって思うと、気分が沈んじゃうしね。
昨日久しぶりに発音のレッスンがあったんだけど、先生の都合で20分くらいしかやらなかったの。だから今日約1時間、改めてレッスンを受けたんだけど、大変だった。今日はいろいろと先生に質問をしなきゃいけなかったんだけど、質問が浮かばないのなんのって。一応、会話なんだけど、質問形式の会話だったんだ。このときばかりは自分のコミュニケーション能力の低さを恨んじゃった。でも、先生が夏休みに旅行でカリフォルニアのサンディエゴへ行ったときにルノアールを見てきたって話からはやっと自分のペースをつかむことが出来たんだ。だってルノアールの話をしているときに、先生が「ルノアールもいいけど、モネが好き」っていうんだもん。ここで一気にムースのペース。なぜかっていうとムースもモネが好きだから。ムースはモネの絵といっても睡蓮ではなく、日傘を差した女の人の絵やそれに似たような絵が好きなの。パリのオルセー美術館へいって本物を見たときにはちょー感動しちゃった。ただ美術館の中はとっても混んでいて人に酔っちゃったし、あまりの広さに疲れちゃっていたけど。オルセー美術館へ行く何日か前にルーブル美術館へも行ったんだけど、あそこも広すぎて途中からほとんど何も見なかったのを覚えている。だからムースはこじんまりした美術館が好きなの。そんなムースのお気に入りはモルモッタン?美術館。モネの美術館なんだ。この美術館はこじんまりしてて絵を見ていても疲れないから好き。大きい美術館には有名な作品がたくさんあるけど、その広さにいつも翻弄されちゃってるから。そういった意味では上野の美術館もムースには広いすぎかな。いつだったかある美術展で書を見ていたときにあまりの多さにすごく疲れたことがあったもん。もしかしたら普段使わない右脳をこのときばかりと思って使おうとするから、すぐに処理能力の限界を超えちゃってショートしてるのかもね。話を戻して、先生との会話だけど、モネのことやルノアールのこと、ゴッホのこととか聞いたからどうにか話を続けることが出来たんだ。本当、最初はどうなることかと思っちゃった。途中で発音を直されながら、話をしていただけにちょっと疲れたけど、いい感じでレッスンは終わったの。このレッスンで今週のムースの授業はすべて終了。週末にやらなきゃいけないことはたくさんあるけど、どうにか無事に今週も終わってくれたことに感謝しちゃう。今週は何だか忙しい1週間だったかも。もうちょっとするともっと忙しくなるから、今のうちにやれることだけはやらないとね。じゃないと夏休みのときみたいに、朝から晩まで図書館にこもりっきりになっちゃうから。それだけはもう勘弁。あんなつらい時間は出来ることならあまり過ごしたくないから。
何だかまとまりのない日記だなぁ。思考回路が正常に動いてないのかな?酔ってる訳じゃないから、かなり疲れてるんだと思う。しばらく静かだった隣りの部屋からの騒音が、今日すごかったから、夕方だっていうのに下げてもらうようにいったし。これでまたしばらくは静かになるかな。静かな週末が送れるといいなぁ。


2002年09月27日(金)



久しぶりのレッスン

宿題は思ったより時間がかかっちゃった。書きものを昨日の晩やってたんだけど、結局終わったのが午前1時。1時を過ぎてから飲み始めたから、寝たのは2時。最近は12時ちょっと前には寝ているだけに、昨日は遅くまで起きちゃった。でも今日は11時から学校へ行けばよかったからちょっと楽だった。月水金は朝7時半には家を出るけど、火木は授業は午後からだからお昼に起きていれば十分に間に合うの。でも今学期は火木も8時半頃には起きて、10時には学校へ行って本を読んだり、宿題をやったりしてるけど。今日は11時から発音矯正のレッスンが入ってたから11時に行かなきゃいけなかったけど。
久しぶりの発音のレッスンだけど、まぁー、ヒドイの何のって。自分でビックリしちゃうくらい。でも何ヶ月の人と話をしてなかったから、こんな結果でもおかしくもないかも。いいたいことの半分もいえなければ、ロレツが回らずに何だか変なことをいってるみたいだし。直されればちゃんとできるんだけどね。直されない限りは変。くせをつけるために、たくさん話をしなきゃいけないんだけど、これがどうもねぇ。これをいいだすと、ニワトリが先か、卵が先かの話になっちゃうからもうやめようと。
昨日は久々にたくさん書いたけど、今日はいつもと変わらぬ日だったからこれといってないなぁ。別の宿題を午後やってたんだけど、うまく動かなくって結構あたふたしてたかな。プログラムを印刷して、図書館で解析してたんだけど、何1つおかしいところはなかったの。だから変だなぁって思ってたら、別のプログラムに原因があったみたい。それを直したらすぐに動いたからよかったけど。予定より時間がかなりかかっちゃった。本当だったらもう終わっててもおかしくないんだけど。今日もこれからコンピュータ室へ戻って残りのプログラムを書かなくっちゃ。さっき1本だけおビールを頂戴しちゃったから、今は食後の休憩。もうちょっとして酔いが覚めたら学校へ行くんだ。今日からERの新シーズンだっていうのに、TVも見ずに宿題をやらなきゃいけないなんて悲しいけど仕方がないかな。明日提出の宿題は想像以上に簡単で、ご飯を食べながら適当にやっただけなのに、ちゃんと動いて20分で宿題完了。すべての宿題がこんな感じだといいんだけどなぁ。でも、ムースが20分で終わらせた宿題も人によっては難しく感じてるみたい。このプログラミング言語ってみんなにとっては新しいものなんだけど、ムースにとっては久しぶりに見るものなの。実は就職して1番最初の仕事でこの言語を使ってシステムを作ってたから。あのときは何日もかかって書いたプログラムを「汚い」のひと言で消されたこともあったけど、今はそんなことがないし、経験もちょっとだけ積んだから昔よりは少しはまともなプログラムが書けるかな。
宿題が次から次へと出されて今週末は書きものに時間を使いそう。だから今日中に1つプログラムを書き終えたいんだけど、どうかな?うまくいくのかな?明日が期限じゃないからそんなにはあわててないんだけど、明日の晩、先週のように半分拉致状態で飲み会に連れて行かれることもあるから、時間があるときにちゃんとやっておかないと。


2002年09月26日(木)



チョコチョコと…

今日は朝からちょっとパニック。だって明日提出しなきゃいけない宿題のプログラム、全部で5つあるんだけど、最後の1つが動かないんだもん。なぜだかわからないけど、今日は午前中からコンピュータ室にたくさんの人がいたの。ムースが作業してたところのそばに、知り合いが座ったんだけど、その人に「プログラムが動かないよー」って泣き言をいっちゃった。しかも昨日の晩、コンパイラーというものをダウンロードして、家でも作業が出来るようにしたのに、何かがおかしくてウィンドウズじゃうまく動かないの。だから学校へ行って作業をしようと思ったんだけど、学校のコンピュータも設定がおかしくって。先生の所へ行って「コンパイルが出来ないから、設定をどうにかして」っていいにいったところに、ネットワークが専門の先生がいて、ムースの話を聞いて、ちょっと見せてご覧ってことになったの。ムースがこんな感じですって見せたら、管理者のパスワードを使ってネットワークに入っていって設定を変えてくれたから、やっと学校で作業ができるようになったの。ムースだってプログラムを書いてご飯を食べてたんだから、あんまり変な質問はしないのに。でも先生は素人が聞くような質問だと思ってたみたい。この夏に学校のコンピュータを入れ替えたんだけど、今だに設定がおかしくって困っちゃう。といってもムースの受けている授業はたくさんのプログラミング言語を使うから、設定が追いつかないのかもしれないけど。だってこのクラス以外では使用する言語は1つだけなんだもん。だから他の言語は放って置かれる運命なのかも?とにかくプログラムの間違えがわかるようになってからが大変。予定通りに動いてくれなくって一瞬途方にくれちゃた。いつもだったらその時間は学食でコーヒーを飲みながら本を読んでいるのに。特に今日は読まなきゃいけないものがあったから、どうしても早く終わりにしたくって。何だかんだで作業を開始してから2時間半でどうにか形がついたからよかったんだ。それから学食へ行って、今日の英作文のクラスの読んでおかなきゃいけない部分を読んでたんだけど、途中で時間がなくなっちゃって最後まで読めなかったの。だから英作文のクラスではちょっと大変だった。このクラス、1対1でやってるから手抜きは一切出来ないの。っていうか、ムースがとってるこういう系統のレッスンやクラスって1対1が多いから手抜きが出来ない。もちろんその分、自分のためにはなってるんだけどね。例えば、実家にいたときに行っていた英会話学校も1対1だったし。今学期初めて参加した英会話のレッスンはグループレッスンだけど、他は1対1。時につらいんだよね。余裕があるときはいいんだけど、自分がいっぱいいっぱいのときには、何をやってもうまくいかないのがよくわかるから。
午後に英作文のクラスがあったんだけど、どうにか無難にこなして今日の授業がすべて終わったの。でも今日はコンピュータ室へ逆もどり。なぜかっていうと、授業でよくムースの隣りに座る人が「プログラムが変なんだけど」っていうからちょっと見てあげるってことになったの。ムースはチョコチョコっと教えて終わりかなって思ってたんだけど、そうは行かなかったんだ。だってムチャクチャなんだもん。そんなプログラム見せてもらったって、1晩ゆっくりと時間をかけて解析していかなければ、何がどうなってるんだかわからない状態なの。しかも授業中にいつもいわれている「これだけはやっちゃダメだよ」ってことをそこら辺でやってるから、普通のプログラム以上にムチャクチャ。ムースもその手法を使ったことあるけど、それは今から約20年前、ムースが初めてプログラムを書いた頃の話。その頃は今とパソコン事情も違ったし、今のようなやり方が出来なかったからみんな多用してたけど、今はどこへ行っても絶対に使っちゃダメっていわれてるのに。なぜかその人はそれをムシしてその手法を使いまくってたの。仕方がないから、ちょっとだけ直してあげたんだけど、そのうちに全部やってくれないっていうからさすがのムースも驚き。だってムースの宿題でもないし、自分の宿題が終わってないのに、何でその人の宿題をやってあげなきゃいけないのって思っちゃった。冗談じゃないって思って、何いっての?っていっちゃった。そうしたら2日間もかけて本を読んだのによくわからないからっていうの。ムースはもっと時間をかけてどうにか終わらせただけに、当たり前じゃんっていっちゃった。2日で終わらなかったら3日、4日かけなきゃ出来るわけないじゃんって。最近、学校でいわれることがちょっとずつ変わってるせいもあるし、夏休みに死にそうな思いをしてレポートを書いたこともあって、宿題は時間をかけなきゃダメだって思ってるの。今までは提出期限の2、3日前になってからあわててやってどうにかしてたけど、もうそれはムリだって思ったから。だから毎日チョコチョコとやってるのに。それに、もし知らないことがあったら1から習ってしっかりとした土台を作っていかなきゃダメだとも思ってるんだ。去年ここに来た頃は早く卒業することを考えて、出来る限り受ける授業は少なくしようって思ったの。でもことごとくダメっていわれたけど。今思うのは下から徐々にやっていってよかったと思う。もちろんたまには勉強内容が前後しちゃうけど、でも必ず関連のあることをやってるから、点が線となってつながっていくの。もしかしたらそれがそのうちに網をめぐらせていくかもしれない。最初は点でしかなかった知識が線になり網になっていけば、知識を辿るのも楽になっていくと思うし、最短距離で知りたいことに近づけるかもしれないしって可能性がどんどん広がっていくと思うんだ。しっかりとした土台の上にできた網はそう簡単に破れることもないと思うし、崩されることもない。不安定でグラグラもしてることがないと思う。今少しずつわかってきたけど、知識って使い方も一緒にこうやって少し少しつけていかなきゃあまり意味がないような気がして。そうじゃないといつも付け焼刃になっちゃう。付け焼刃だってチリも積もれば何とやらって感じである程度の知識はつくと思うけど、でもそれってムースが求めてるものじゃないから。今はよくわからないけど、あと半年もしたらムースのいうことって変わってるかもしれない。今は何となく自分が変わっていってるような気がする。ちょっとずつだけど。今までは今日みたいなことが起こらなかっただけに、今日は疲れちゃった。でもプログラムのほかに書きものがあるから、これからやらなきゃいけないし。っていうか、今までやってたんだけど、疲れたから一休み中なの。何でもそうだけど、やっぱり時間をかけないとね。って今までは自分では時間をかけたつもりだったんだけど、その割にはうまくいかないから、あせったり、イライラしたりしてたんだけど。この間、飲み会の席で「我慢が大切」って人にいってたんだけど、人にいう前に自分でも我慢できるところは我慢しないとなぁ。もちろん、自分が不安定になるようなムリはしないし、出来る限りでしかやらないけど。我慢して、時間をかけて、1歩1歩進むことがやっぱり大切なんだよね。最初はわからなかったけど、文句をいいながらいわれたように1年間やったらやっと少しだけわかったかな。もちろんこれからも学ぶことはたくさんあるけど。みんなが苦労していた頃の何にもせず、のほほ〜んとして、社会に出てから苦労して、リスクを背負って学校に戻って来たけど、これでよかったような気がする。リスクを背負っている以上に学んでいるものの価値があると思うから。何で学ぶのかとか、何のために学ぶのかってことを考えさせられるだけに、自分をいい方向に導いてあげられそう。でもそのためには苦労を背負うのかって思うとげんなりしちゃうけど。まっ、1度きりの人生だから出来る限りやりたいことをやって、悔いを残さないようにしないと。もし悔いがあるのなら、次のチャンスで、今まで出来なかったこと、やってみたかったことを出来る限りやらないともったいないもんね。チャンスは必ず巡ってくるし、そのチャンスを掴むも逃がすも自分だから。
取り留めがないことばかり書いちゃったからもうやめようと。それに宿題もやらなきゃいけないし。


2002年09月25日(水)



暖房

やったぁー。やっとムースの部屋に暖房が入った。って今セントラルヒーティングの管から音が聞こえたから、ちょっと触っただけなんだけど。でもお湯が回り始めているみたい。今晩は寒いなぁーって思ってたところだったからちょっとうれしいな。今年は去年よりちょっと早めに暖房が入ったみたい。でも早いところ冷房をはずしてくれないと困るんだけど。だってそこから風がビュービュー入ってくるんだもん。そこさえ閉まれば、部屋だってもう少し暖かくなるんだけどなぁ。
それにしてもここ数日の生活の乱れは困ったものだなぁ。昨日の晩も何もせずにずーっと飲みっぱなし。今朝起きたときもまだ酔ってたから結構飲んだんだろうなぁ。今日はそんな感じだったから何だか1日中ボーっとしてた。明後日に宿題の提出があるし、それを早くやらなきゃいけないんだけどなぁ。困ったものだ。お酒の飲みすぎで最近は太っているし。いつの間にかジーンズがきつくなってるし、お腹のあたりが苦しいの。これって減量前の感じと一緒なの。もちろん体重はそこまで増えてないと思うけど。増えそうな予感は否めない。どうにかしなきゃと思うんだけど、どうもうまく調整できないんだよね。今までうまくいってただけにちょっと心配。何か心の中に引っかかってるものがあるのかも?まだ自分では気がついてないけど、そのうちに何だかわかるときが来るかな。それまでは自分を騙してでもやることだけはやっていくようにしないと。ここ数日、走るのをやめ、勉強をやめ、本を読むのをやめちゃってるから。それとも最初の2週間、飛ばしすぎて早くも息切れしちゃったのかな?そうじゃないと思うけど。多分、宿題をやるのに時間をとられるようになったのも生活が変わってきてる要因の1つだと思う。そうじゃなければ、午後は2時間ゆっくりと本を読んでいられるんだから。今はその時間に考えごとすることが多くなったんだと思う。考えごとっていっても宿題をどうやろうかってことだけどね。それに飽きて家に戻ってきたときには、何となくダルくて走る気にならないもん。だから最近は何もしてないのかも。うぅ〜ん、何だか考えが堂々巡りしてる。同じことを繰返し書きそうだからもうやめよう。それにしても今月に入ってから本当に書かなくなったなぁ。


2002年09月24日(火)



風が冷たい

今日は風が冷たくて寒かったぁー。学校へ行くときにドミノピザの前の交差点で信号を待つから、そこにある電光掲示板の気温を見るんだけど、今朝の気温は4℃。昨日に比べたら暖かいんだけど、今日は風が強かったから寒かったの。でも北国コンピュータ学院に着いたら、Tシャツ1枚しか着ていない人を何人も見ちゃった。っていうか全体的にみんな薄着なんだよね。大体の人はトレーナーを1枚上に羽織ってる程度なんだもん。ただ今日の風の冷たさはかなりだったから、トレーナー1枚じゃ寒いと思う。ムースも1枚コーデュロイのシャツを羽織ってただけだったから寒くてしょうがなかったの。だから昼間1度家に戻って、上着をとってきちゃった。驚くことには、午後授業が終わってコンピュータ室に寄ったら、もう暖房が入っていたみたい。もしかしたらコンピュータの熱で部屋が暖かかったのかもしれないけど。ムースが思うに暖房っぽいんだよね。今から暖房なんて入れちゃったら、冬になったらどうするんだろうって思っちゃうけど。ムースの住んでいるアパートの部屋はすきま風がすごいから、ここは外と同じくらい寒いの。なんてったって窓が開いているのと同じ状態だから。きっと今週末に冷房の撤去作業があるはずだから、そうしたらちゃんと窓が閉まるようになると思うんだ。それまではちょっと寒いかな。去年はこの寒さに耐えられず、毎日カタカタ震えちゃったもんね。多分この部屋の今の室温は12℃くらいだと思う。それでも暖房なしで過ごしちゃうんだから、慣れっていうのは恐ろしいなぁ。でも出来ることなら、この部屋がもう少し暖かいとTシャツ1枚でいられるし、過ごしやすいんだけどなぁ。普通、北国の家って冬は夏より暖かいんだけどなぁ。この部屋は冬は冬らしく寒いから参っちゃう。
学校が始まってからというもの、毎日単調な生活を送ってるなぁ。でも本業はちゃんとやってるからいいかなって思うけど。学校が始まってまだ3週間だけど、この3週間は比較的しっかりと勉強してるかも。前学期も今のようにしたかったんだけど、どうもうまくいかなかったし。去年はすべてが初めてのことだから、どうしていいかよくわからなかったし。やっと学生らしく勉強しちゃってる。でも何も頭に入ってないから困っちゃうけど。今日、1回目の中間試験の日程が決まったし、もうそんな季節なのかなって思っちゃう。本当、去年あたふたしていた自分が懐かしいなぁ。多分、去年の今頃はまだ部屋にTVもビデオもなくって、車もないから買い物にも行けなくって。夜、学校が終わって家に帰るとき、外は真っ暗になっていて、震えながら1人トボトボと家へ戻ったなぁ。すっごく寂しいって感じがしたけど、この寂しさに耐えなくっちゃいけないっていつも自分にいい聞かせていたと思う。そういう意味では1人でいることにも慣れちゃったし。最近は退屈になると愉快な仲間の家に立ち寄るけど、でも毎日じゃないし。あんまり長い間入り浸ってるとよく思われないもん。なんてったって住人がいないのにムース1人でTVを見てることあるし。さすがにこれはねぇ…。来月末になれば、愉快な仲間の家が飲み会会場になるから、今シーズンは週に1度はそこに行くと思うけど。去年の飲み会会場の家主にこの間あったんだけど、今どこに住んでるか聞かなかったからなぁ。ちゃんと聞いておけばよかった。週末1人で寂しくなったときには、どちらかの会場へ行けばどうにかなるから。ちと失敗。でも飲みすぎには注意しないと。先週末の頭の痛さは結構危険な香りがしたから。日々年をとっていることをすっかり忘れていた。でも今年から年を聞かれたときには19歳ってことにしたから。19歳っていうなんて恐れ多いと思ったけど、先週の飲み会で年を聞かれたとき、19歳っていったら誰も疑わなかったからきっとこれでいいでしょう。昔は6歳鯖を読んでたけど、今年からそれ以上に鯖を読んじゃうだなんてすごいなぁ。そのためにも若作りに精を出さなきゃ。
ところで19歳なのにお酒をがぶがぶと飲んでいいのかなぁ?まっ、身分証明書の年齢は19歳じゃないからいいかっ。


2002年09月23日(月)



アラスカ

この週末はちょっと疲れちゃったみたい。昨日も飲みに行かないかってお誘いは受けてたんだけど、適当に返事して行くのをやめちゃった。昨日の晩はちょっと頭が痛かったし、風邪っぽかったし。ここのところ冷え込んでいるのに、昼間は今でも半袖1枚で過ごしちゃうから、夜になると寒くて震えてることがあるの。昨日は夕方から結構涼しくなっていたし、TVを見てても少し寒いなぁって思ってたんだけど、これといって何もしなかったから。そのせいだと思うけど、昨日の晩はちょっと体調不良。疲れも出たのかな?だって11時に頭が痛くて寝ちゃったんだもん。そして今朝起きたら10時になってたから。毎日朝早いし、それで眠かったせいもあるのかな。とにかくこの週末はちょっとお疲れ気味のムースだったの。
でも、そうはいっても宿題の提出期限が延びるわけじゃないので、今日もない知恵を絞ってプログラムをチョコチョコと書いてたんだ。明日提出しなきゃいけないプログラム2つを仕上げて、前から悩んでいたJAVAのプログラムも今日書いたから、あとは書きものとちょっとした修正だけ。こっちの方は木曜日が提出期限だからいい感じで進めてるの。ただ来週の月曜日に提出する宿題が思うように進んでいなくって。これを早いところどうにかしたいんだよね。問題自体は簡単なんだけど、からくりがちょっと面倒で。ムースが書いているプログラムがかなり汚いから、もうちょっときれいなプログラムを書きたいんだけど。それには時間が必要かな。先週提出した宿題も汚いプログラムだったから、今度こそはきれいにまとまったものを書きたいんだけどね。うまくいくかちょっと気になるなぁ。このプログラムをさっさと仕上げちゃえば、今度の週末はゆっくり出来そうだから。時間がたくさん出来たらいつも読んでいる本じゃなくて、息抜き用の三浦綾子を読みたいし。だから必死なの。そうじゃなければ、週末にヒーヒーいいながらプログラムを書くことになるから。
話は突然変わるけど、夏休みにハワイかアラスカに行きたいなぁってムースはいってたんだ。お金もなかったし、ちゃんと予定も立ててなかったからいけなかったんだけど。そのアラスカだけど今日突然行きたいって思っちゃった。ここんとこアラスカがどうのこうのって話を聞いたせいかな?金曜日に英会話のレッスンがあるんだけど、英会話の先生の妹がアラスカに住んでるって話を聞いたところに、金曜日の晩の飲み会でアラスカの話をちょっとしたから。だからかな。これから寒くなるのにアラスカだなんて変だと思うけど、何だか無性に行きたくなっちゃったの。だってこれから気温が下がっていけば、オーロラが見えるかもしれないんだもん。1度でいいからオーロラって見てみたいの。どんなものかわからないからこの目でしっかりと見てみたいんだ。実はスペインにいたとき、ノルウェーへオーロラを見に行きたいってクラスメートにいってたんだけど、あれよあれよと時が過ぎちゃって、実際ノルウェーに行ったのは夏至間近の6月のことだったの。だからオーロラどころか1日中太陽は上りっ放しで、日没なんてなかったから。まぁ、それはそれでよかったんだけどね。だって白夜なんてなかなか体験できないもんね。でもやっぱり冬に生きるムースとしてはオーロラなんだよね。TVとかでは−30℃くらいにならないと見れないとか何とかいってるよね。さすがのムースもまだ−30℃は未体験の世界だからよくわからないなぁ。−15℃まではそんなに大したことないんだけど、そこからは1℃下がるごとに体が動かなくなってくるから。−17℃と−20℃なんてたった3℃しか違わないと思うんだけど、体はたった3℃の違いとは思わないの。時に5℃以上違うんじゃないかと思っちゃう。だから−30℃なんていったらどうなんだかわからない。もしかしたら、もう何にも感じなくなってるかもね。それだったら楽なんだけどなぁ。時に麻痺した感覚は自分を楽にしてくれるから。でも本当はとっても危ないんだけどね。夏でも冬でもいいから1度アラスカへ行ってみたいなぁ。毎日行きたいって思っていれば絶対にいける日が来ると思う。でもそのチャンスが来るのはいつのことかな?最初にアラスカへ行きたいって思ったのが10年前だからなぁ。そのとき買ったガイドブックじゃ使いものにならないから、また新たに買わないとダメだなぁ。10年も行くチャンスが来なかっただけに、アラスカへいける日が来たときにはきっと大喜びだろうなぁ。そのときは出来る限り楽しみたい。季節がいつであれ、アラスカへいける日が来たときには思う存分楽しみたいなぁ。


2002年09月22日(日)



言い争い

昨日の日記で二日酔いって書いたのに、昨日の晩はまたまた飲み会。こうなるだろうと思っていたけど。学校の始まった週から飲み会があった訳じゃないけど、3週目ですでに連チャン。いい感じの生活を送っていただけに、自制しないといけないね。今日もお昼から図書館へ行ったんだけど、集中できなくて本を読むのをやめちゃった。何となくボーっとしてたかな。家に戻ってもこれといってやることがなかったから、愉快な仲間の家へ行ってずーっとTVを見てたの。TVを見てる途中で誰もいなくなっちゃって、最後はムース1人でTVを見ちゃった。ケーブルTVだから昼間から映画を見れるしとってもよかった。今日はリーサル・ウェポンとコピーキャットの2つを見ちゃった。前に何度か見たことがあるけど、ボーっとしながら見るにはいいかも。
それにしてもムースの愉快な仲間はどうしてこうも言い争いが好きなんだろうと思っちゃう。昨日は愉快な仲間の家で飲み会があったの。女子ラグビーチームと一緒だったんだけど、みんなとにかくたくさん飲むから酔っ払いだらけ。みんなで輪になってゲームをやってたんだけど、そのうちに言い争いが始まったの。まぁ、いつものことだからムースはもう慣れっこだけど。でも知らない人にしたらたまらないよね。場の雰囲気が一瞬凍るから。そのあともとの雰囲気に戻るまでの時間がとってもイヤ。楽しかったゲームから笑い声がなくなるんだもん。最終的には雰囲気がもとに戻るし、楽しく飲めるからいいんだけど。でも昨日のことは結構あとを引きずってる感じがする。一体どうなっちゃうんだかわからないけど。これからがムース達の季節だっていうのにね。大変だぁー。


2002年09月21日(土)



二日酔い

今朝は二日酔い。頭が重かったぁー。それに起きたときはまだ酔ってたし。いつもだったらちゃんとご飯を食べてから出かけるのに、昨日は学校帰りに愉快な仲間が生息する家に寄って、そこで夜までTVを見てから飲み屋さんへ行っちゃったのだからお酒がすごくよく回った。なんてったってお昼にサンドウィッチを食べたきりだったから。太る、太るといいながら、昨日の晩は家に帰ってきてからピザを食べちゃった。しかもチーズたっぷりのピザ。こんなことをしてるからどんどん太っていっちゃうんだよね。それにたくさん飲んだ翌日はとっても喉が渇くの。これがまた大変。朝からコーヒーやジュースをたくさん飲むからお腹がチャポチャポいってるし。今日はさすがに疲れちゃっていたから、授業が終わったらすぐ家に帰ってきちゃった。そして3時間ほどお昼寝。今晩ちゃんと眠れるかちょっと心配だな。ここのところ生活のリズムがすごくよかっただけに、滅茶苦茶にならなければいいんだけど。
そういえば今日も学校で愉快な仲間になりたいって人がいるってことを聞いちゃった。どうやら今年も新規加入が多そう。去年も実は新規メンバーが多かったんだけど。もちろん、ムースはその中の1人。だから新入生の仕事をたくさんやらされたけど、今年はもうそれとはおさらば。若い人たちにやってもらおう。こんな話を聞くようになるってことはいよいよムースの季節だ。朝晩の冷え込みは段々と増してくるし、来週は0℃まで下がる日もあるみたい。ここには秋らしい秋がないから夏が過ぎて、涼しくなってきたなぁって思ったとたん、雪が降り始めるの。今年はいつ初雪なんだろう?2週間後かな?それとも1ヵ月後かな?どちらにしろ、あと1ヶ月もすれば初雪があると思う。1日中半袖1枚で過ごせる日はもうほとんどないし、そろそろ長袖ばかりを着る日が来るみたい。去年の今頃はここの寒さに慣れてなく、部屋があまりにも寒いから毎日カタカタと震えてたけど、今は半袖1枚で過ごしてるから大分ここの生活に慣れたと思う。あとはもうちょっと人と知り合えるといいんだけどなぁ。人とたくさん知り合ってたくさん話せるようになるとうれしいんだけどなぁ。


2002年09月20日(金)



愉快な仲間

今日はムースの愉快な仲間たちと外で飲んじゃった。こんなことって何ヶ月振りだろう?とっても楽しかった。それに飲み屋に行けば誰かしらその店に来るし。飲みたくもない、っていったら失礼だけど、ジャックダニエルズを飲まされたし。いい気持ち。こんな状態で日記が書けるかって?ムリです。たまにスミルノフ君と語り合いながらこの日記を書くこともあるけど、こんなに酔ってから書いたことはありません。ってこの日記、全体を見回したら、何度かこれだけ酔ってから日記を書いたことがあるけど。まぁ、いろいろとあるけど、ってありすぎるくらいあるけど、どうにかこうにかやっています。やっぱり2年目の余裕なのかな?
わぁ〜、今日は異常に短かった。でも仕方がないか…。


2002年09月19日(木)



大騒ぎ

昨日の晩、この日記を書いたあと大騒ぎしちゃった。学校のコンピュータ室で宿題となっていたプログラムのファイルをフロッピーディスクにコピーしてきたはずだったの。もう日記も書き終わっていたし、これといって特にやることもないと思ったから、ビールを飲んで一息ついてから、ウォッカを飲みながら今日の学校の準備をしてたんだ。宿題のプログラムを印刷しなきゃいけなかったんだけど、それはいつでもいいやって思ってたの。でも折角フロッピーディスクにコピーをしてきたんだから、夜のうちに印刷しようと思ってフロッピーを開いてみたんだ。そしたらプログラムが何1つコピーされていなくて、真っ青になっちゃった。別に昨日の晩あわてて印刷しなくてもよかったんだけど、なぜだか昨日のうちに印刷しておきたい気分になっていたから。いい気持ちだったのに一気に酔いが覚めちゃったって感じ。それからあわてて学校のコンピュータ室へ行ったの。夜10時半を回っていたからやってるかどうかわからなかったけど、とりあえず行ったんだ。ムースの記憶の中では月曜から木曜までは真夜中までやってると思っていたから。思った通りコンピュータ室は真夜中までやってたんだ。だから一安心。でもどうしてもプログラムをコピーしたかったから、近くに座っていた人に、コピーの仕方を聞いちゃった。でも誰1人知らないの。ちょっとビックリ。誰か1人くらいは知っててもいいんじゃないって思ったけど、これが北国コンピュータ学院の実態なのかもって思っちゃった。意外とみんな知らないんだよね。っていうムースも何にも知らないんだけど。コンピュータ室にはアルバイトの学生が1人常駐してるんだけど、最後はその人がコピーの仕方を見つけて、ムースに教えてくれたの。助かっちゃった。そういえば、今日もバイトの学生がシステムを管理している先生にフロッピーディスクへのコピーの仕方を聞いていたなぁ。そうしたらムースが習ってる先生に「君たちはここに座っているだけではダメなんだよ」ってちょっと怒られてた。確かにそうかも。初めてコンピュータを触る人たちに教えなきゃいけないし、ある程度システムの概要がわかってないと何か問題が起こったときに対処できないもん。システム管理者じゃないけど、システム管理をしているようなものだから。ムースもシステム管理の仕事をしたことあるけど、あれはヒマとの戦いのような仕事だから。でもそのヒマを利用して、どんどんシステムの内容を把握していかないと、いざというときに困っちゃうからね。特にコンピュータ室ではウィンドウズよりLinuxというシステムの方がよく使われているから、Linuxのことについて知らないと何か聞かれたときに困っちゃうからね。まぁ、ムースの見ている限りだと、そこでバイトしている人たちはあまり知らない感じがするから、ムースは滅多に聞かないけど。っていうか、誰がムースの質問に答えられるかを聞いちゃう。だってその人に聞くのが1番早そうなんだもん。じゃなかったら、自分で調べる。調べれば自分の知識にもなるからね。ムースが誰かに聞かれたときに、答えることが出来れば、一緒に頭を抱えるよりよっぽどいいから。
それにしてもコンピュータ室のパソコンが入れ替わってから大変。本当に慣れない。昨日の晩、パニックになってるときに学校で印刷しようと思ったんだけど、それも出来なくて余計パニックになってたんだ。おかげで昨日の晩は変に興奮してた。家に戻って来てからも寝れないんだもん。最近は12時になる前に寝ちゃうのに、昨日は1時まで起きてたの。っていうか学校から帰って来たらもう12時だったんだ。そうしたらまた重低音騒音だし。昨日は早く寝なきゃって思ってたからイライラしたものの、どうにか寝れたけど。でも明け方に雷の音で目が覚めちゃった。寝てたのに雷の音に気がついたくらいだから、かなりすごかったんだと思う。何となくピカピカ光っていた気もする。音は何回かはっきり聞いているから。ボケた頭でも音を認識してるくらいだから、もしその時間に起きてたらあまりにすごさにビックリしてたのかも。
昨日遅くまで起きていたせいか、今日は何だか疲れちゃった。もう1つの宿題も1日1つプログラムを書いてるから、チョビチョビと進んでいるし。今はいい感じかも。この調子だね。この調子で時が過ぎて行くと、充実した学期を送れそうなんだけどなぁ。今日もこれから学校のコンピュータ室に戻ろうかな?今日新しい課題が出されたから、それの解決方法を見つけなきゃいけないし。家でやってもいいけど、回線の速度が遅いから。学校でやれば10Mbpsでつながっている上に自分のコンピュータにコンパイラーがあるけど、家からだと44000bpsでしかつながらないから学校でやる何倍も遅いし。ちょっと眠いなぁ…。


2002年09月18日(水)



いつもと一緒

最近は1日があっという間に過ぎているような感じ。いいんだか、悪いんだかわからないけど。昨日も何だか疲れてしまって、12時前にベッドへ行ってたから。今までこんなことなんてなかったのに。家に帰ってきちゃうと、やらなきゃいけないことが出来ないから困っちゃうな。昨日の晩も疲れていたから、結局何もやらなかったし。もうちょっと家で勉強が出来ればいいのに。ってやる気の問題だけなんだけど。
今月に入ってから何も考えてないせいか、これといって書くことがないなぁ。今日もこれといって特別なことはなかったし。本も読むことなく、宿題をやるために図書館で調べものをして、授業へ行って、それが終わってからプログラムを1つ書いたらもう夜になってたんだもん。ここんところこんな生活が続いてるかも?明日は朝から学校へ行くから、少しだけ本を読む時間があるけど、午後は午後で忙しくなりそうだし。今までは授業が終わるとすぐに家に帰ってきて、TVを見たり、ネットを巡回してただけに、それをやってない今に戸惑いがあるのかな。それとも北国コンピュータ学院の生徒としての自覚が少し少し芽生えてきたのかも。だって授業中にいわれることが今までと全く違うんだもん。上級生のクラスだからかもしれないけど。例えば、君たちが新入生にプログラムの書き方を教えるときはこういうことも教えた方がいいとか、卒業して会社に勤めたときこういうことに気をつけなきゃいけないとか、下級生のクラスでいってることとは違う次元のことをいわれるの。多分、クラスのほとんどの人が何年間かプログラムを書いてご飯を食べてきた人たちばかりだから、ただのプログラマーになるためのことをいっても意味ないからこういう話になると思うんだけど。今日も授業中にいわれたのはそんな感じのこと。教え子が会社に入っても何も知りませんっていって解雇されたら、その本人だけでなく、教えて自分達の責任にもなるし、学校の問題にもなるって。だからある程度のレベルを維持するために生徒がいませんっていうのは何ら問題にはならないって。ちょっと強気の発言にも聞こえるけど、その通りかもって思っちゃった。生徒を集めるためにレベルを落とすところもあるけど、それだと生徒のためにはならないもんね。だって結局社会に出てから苦労しちゃうんだもん。ってムースが社会に出たときに、あまりにものごとを知らず、苦労ばかりしてたからこのことがよくわかるんだけどね。もちろん今でも何も知らないから苦労の連続だけど。無知すぎちゃえば幸せだからいいんだけど、ちょっとだけ知恵をつけちゃってるから1番性質が悪いかも。にわか知識ばかりつけちゃってるから。でも、これからは知りません、存じませんとあまりいわないようにしようかなって思って。だからかも知れないけど、今学期はちょっと勉強モードなのかもね。まだレポートの話も出てないから今のうちに出来ることをやっておかないと。ムースが履修しなかったもう1つのクラスはすでにレポートの課題が出され、その枚数はなんと200ページから300ぺーじだとのこと。とはいっても2人か3人のグループで1つの課題をこなすそうだけど。それにしても単純計算で1人あたり100ページが割り当てられてるから大変。それにグループでやるから、途中で仲間と折り合いが悪くなっちゃうとそのレポートを書き上げられなくなっちゃうみたい。って当たり前のことだけど。1人で200ページのレポートなんて背負いきれないもんね。論文を書くよりも長いレポートなんだから。今年履修していれば知ってる顔も多かったからやりやすかったかもしれないけど、でもやっぱり来年になってからの方が自分にとっていいかなって思えるし。今学期は最初の目標通り、英語の勉強かな。1度に3つのことも4つのことも同時にやろうとすると、いつものように途中で投げ出しちゃうから。器用じゃないから1つのことに集中しないと。
明日も朝が早いからそろそろ寝る準備をしないと。今日も食べ過ぎで胃がパンパンだし。いくら作るのが面倒だからといって冷凍食品なんて食べなきゃよかった。


2002年09月17日(火)



次の本

今日ついに「El diputado voto del señor Cayo」を読了。読んでみたものの内容はさっぱりわからなかった。ろくに辞書も引かずに読んでたからこんなものかな。スペイン語なんてすっかり忘れちゃってるから。でも、いくつかの単語を思い出せたからよかった。こうやって本を読んでいけば、きっとまたしゃべれるようになる日が来るんだろうな。だって本を読んでいれば単語を覚えるのと同時に、その使い方も覚えていくだろうから。この「El diputado voto del señor Cayo」を書いた作家ミゲル・デリーベスってスペイン人なんだけど、この作品の中に書いてある言葉はスペインのスペイン語で、とっても汚い言葉ばかりなの。だけど南米のスペイン語ではないから読んでて懐かしく思っちゃった。罵る言葉ばかりなんだけど、この言葉ってスペインではごく普通に聞くの。南米じゃこんな汚い言葉は使わないみたい。ムースがイギリスにいたときに知り合ったコロンビアからの留学生がそういってた。ある日、彼女と同じバスに乗ったことがあったの。そのときはたまたまムース達の周りはスペイン人ばかりでみんなスペイン語を話していたんだけど、その言葉を聞いてた彼女がムースに「イギリスに来て驚いたのはスペイン人がとっても汚い言葉でしゃべってることなの。コロンビアじゃこんなに汚い言葉を使う人はいない」っていったんだ。ムースはその汚い言葉に慣れていたせいか「そう?これってスペインじゃ普通だよ」って答えちゃった。もちろんその彼女は驚いていたけど。確かにすごい言葉ばかり使うけどね。でも何だかそれがスペインの1部になっちゃってたから、きれいな言葉ばかりで話されるとちょっと面食らっちゃうな。こんなことって本当に変な話だけど。
やっとこれを読み終わったから、次は「怒りの葡萄」を読むんだ。善は急げとばかりに今日借りてきちゃった。でもまだ開いてもいないの。明日から読み始めようかな。この「怒りの葡萄」なんだけど、図書館には5冊くらい出版年別に置いてあるんだ。その中の1つが比較的きれいだったんだけど、それが今日見たらなくなってたの。ムースが前から目をつけていたバージョンの本だったのに。だから今日は次にきれいそうな本を借りてきちゃった。もう紙が黄ばんじゃってぼろくなってるから、きれいな本じゃないと変なにおいがしてイヤなの。そういえば「ライ麦畑でつかまえて」も本が黄ばんでいて変なにおいがしてた。古くなっていくとこうなるのは仕方ないけど、ちょっと…。それに古い本って誰かが書き込みをしちゃってることもあるし。図書館の本なのにボールペンで印をつけたり、書き込みをしちゃったりする人がいるんだよね。次読んでみようと思う本があるんだけど、その本の最初のページは書き込みがしてあって読みづらいの。本当に困っちゃう。っていうか、もうすでに次に読んでみようと思ってる本が決まってるっていうのもすごいよね。この「怒りの葡萄」は約600ページくらいあるんだけど、次に読んでみようと思う本はもっと厚いの。その本はセルバンテスの「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」なんだ。これは本当に厚くって最後まで読めるかわからない。もしかしたら読まないかもしれないけど。でも何となく興味があるんだよね。まぁ、次の本を読むまでにはちょっと時間があるし、そのときにどう思ってるかわからないから、保留かな?だって今学期もまた地獄のレポート&プレゼンテーションが待っていそうなんだもん。その課題が出されたら悠長に本を読んでるヒマがなくなりそうだから。きっとコンピュータの本ばかりを読んでるんじゃないのかな?それでなくても作文教室の方で本を1冊渡されているし、読んでおかなきゃいけないところがあるから。今までこんなに本を読んだことなかっただけに、何だか学生やってるなって思っちゃう。試験の前にならなきゃ教科書もろくに読まなかったし。っていうか今までは何してたんだろう?とりあえず宿題をこなすのに一生懸命だったのかな?そんな感じだなぁ。先学期は何も出来なかったから、宿題をこなす以前の問題だけど、やっぱり宿題に追われていたと思う。今学期は…。宿題はたくさんあるのに、時間を作れるようになってる。っていうか、時間の使い方が少しは上手になったかな?前だったら家に戻ってきて一眠りしてしまいそうなところを、今は学食でコーヒーを飲みながら本を読んだり、図書館で本を読んだりしてるもん。だからしっかりと読書の時間を作ってるんだよね。今までの自分には出来なかったことだけに、とってもいいことだって思っちゃう。こんな調子でずーっと行ってくれると、生活にメリハリがあっていいんだけどなぁ。それに今までのように、孤独だぁーって思うヒマもなくなるし。
ところで、昨日の晩挑戦していたプログラムの作成はいとも簡単に挫折しました。実は初めてJAVAでプログラムを書くことになったんだけど、全然わからない。しかもJAVAの本を見てもわからない。っていうかこの本を読んでも全然わからない。3600円も出して買った本なのに。会社でもこれと同じシリーズの本を見ながらJAVAの開発をしていたから、きっとこの本が1番まともな本だと思うんだけど。それでもやりたいことが何1つできないし、そのことについて書いてあるページがないからとっても困っちゃう。こういうときってインターネットが頼りなんだよね。昔、会社からもらってきたパソコンにLinuxというシステムをインストールしようとしたことがあったんだけど、それだってどの本を読んでもやり方が書いてなくて、最後にインターネットで検索して、そのやり方を見つけ出したんだもん。今回もそうなる可能性が大きいな。あぁ〜、イヤだなぁ。インターネットでやり方を探しつつ、プログラムを書いていくなんて。目がとっても疲れそう。今4つプログラムを書き終わってるから、残りは5つ。しかも6つもプログラミング言語を使うから頭の中がひっちゃかめっちゃか。ムースは別に言語学者でもないので、そんなにたくさん言葉を知らなくてもいいんだけど。自然言語3つにコンピュータ言語6つを同時に操るには、もっと若くてピチピチした人の脳を使ってもらわないと。お酒の飲みすぎで萎縮しきった脳のムースにはちょっと過酷な労働です。
さぁ〜、学生はお勉強しないとね。宿題を片付けて少しでも楽になっていかないと。出来る限り前倒しでやって、つかの間のときを使って本を読んだり、ビデオを見たりしたいから。それが学期中のささやかな楽しみ。朝晩の冷え込みが激しいから体調管理にも気を使わないとなぁ…。って最近は全身のいたるところに脂肪がついてきてるから、思ってる以上には寒くないのかもしれないけど。それより何より、この天然の保温材を体から早くなくしたい。どうして最近こんなに太っちゃったんだろう?やっぱり食べすぎかな?


2002年09月16日(月)



人生の山

昨日の晩は日記に書いた通り、北の国からの遺言を見てたの。本当によかった。これで北の国からが終わっちゃうと思うとちょっと寂しいけど、ものには潮時というものがあると思うし、この辺で終わらせるのもいい頃合じゃないのかなって思う。もう時代が変わってしまって、話は親から子の代に移っちゃってるんだよね。しかも純も蛍も自分の道を歩んでいるから、話を進めるには2つの話を同時にしないといけないしね。
それにしても今回の純の役柄、いい味出してたね。ムースがこの日記に書いていることと似たこともいっていたのかなって思っちゃった。逃げてばかりじゃ何も進まないっていうようなことをいってたけど、その台詞にジーンと来ちゃった。本当に逃げてばかりじゃ何1つ進歩がないんだよね。失敗することが恐いから逃げちゃうと思う。失敗することはまるで恥ずかしいことのような感じがするから。失敗すると必ず誰かが笑うから。必ず誰かがバカにするから。だからどんどん失敗を恐れるようになっていく。失敗してもいいって思えるのなら、何度も何度も失敗して、何が原因で失敗したか考えて、次の1歩に行きやすいのに。でもいつも失敗できないと思うから、失敗しないようにいつも逃げちゃう。バカにされたくないから逃げちゃう。失敗して怒られるのが恐くなって逃げちゃう。そして表面上だけは失敗したことのない順風満帆な姿を作り出しちゃうんじゃないかな。でも実体はとっても空虚なものかも。いつも何か虚しさを感じているかも。何かに挑戦して、それを達成するから、生きていても楽しいって思えるんじゃないのかな?でも失敗することを恐れちゃうと、挑戦することもなくなっていっちゃうと思う。何かに挑戦するということは、とても苦しいときを過ごすと思う。でもそれを乗り越えれば、違った世界が見えてくるんじゃないのかな。誰がいったか忘れちゃったけど、ある登山家が「なぜ山に登るのか?」っていう質問に「そこに山があるから」っていったよね。ムースが思うにその人はつらい試練を乗り越え、その山の頂上に立ったとき、その山に登ったという達成感でいっぱいになるんじゃないのかって。人生においても目の前には山だらけだと思う。その山を自分の足で1歩1歩上っていかないと、いつまで経っても山を見上げるばかりで、頂上から美しい山並みを見ることが出来なんじゃないかなって思うんだ。人生にもヘリコプターのようなものがあって、何もせずに山のてっぺんまで連れて行ってもらえればいいんだけど、残念ながら人生の山は自分の足で歩いて行かなきゃいけないからね。もし何かがあって谷底に落ちてしまったら、自分の足で上がってこなければいけない。誰かが山を登るための道具を貸してくれるかもしれない。誰かが山の登り方を教えてくれるかもしれない。でも人生の山だけは自分の足で歩いていかないと登っていくことが出来ない。山岳救助隊の背負われて、気がついたら山を登っていたってことはないから。しかも自分の荷物は自分で背負わないといけないし。人生の山にシェルパはいないから。こんなにつらい山登りなんて出来たらやめちゃいたいけど、でも頂上に立って美しい山並みを見てみたいよね。逃げてばかりいたら、その美しい景色をずーっと見ることが出来ないんじゃないのかな。いつの日にか周りの景色を見てみたいと思うんじゃないのかな。だから逃げてばかりいる人生に終止符を打って、苦労をしてみようと思うんじゃないのかな。ただ、人にはいろいろな生き方があるし、何も苦労してまで山の上に行ってみたいと思わない人もたくさんいると思うけど。今の環境で十分満足だって人もたくさんいると思う。そういう人も何も苦労する必要はないと思う。でも、山の上に行ってみたい、いろいろなものを見てみたいって思う人は自分の足でしっかりと歩んでいかなきゃいけないと思う。その階段はときに高いものかもしれないけど、1歩1歩着実に歩んでいけば、いつの日にか必ず山の上に立てると思う。そしてもう逃げも隠れもしない、する必要がないって思えるんじゃないのかな。その達成感が今度は失敗を恐れないようにしてくれるんじゃないのかな。だってやれば出来るんだもん。自分を信じて、やればできるんだもん。きっと今までは自分を信じることにも恐れていたかもしれないけど、やれば出来るってことがわかれば、自分を信じることができるようになるでしょ。いっぺんに出来るようになるとは思わないけど、少しずつ、少しずつ、自分を信じてあげることが出来れば、自分はやれば出来るってことがわかればいいと思う。そんな自分って素敵じゃないのかな。

今日はお休みだというのにまた学校へ行って宿題をやってたの。学生も楽じゃないね。面倒な課題を昨日終わらせていたせいか、今日はちょっとだけ楽だった。今日は3つプログラムを書いたから、残りは4つ。今晩1つやろうと思うから、明日の朝には残り3つになってるかな。あとは設問に答えればいいだけだからちょっと楽かも。授業がとても少ないのにいろいろと忙しいのは何でだろう?忙しいんじゃなくて、忙しいふりをしてるだけなのかな?そんな気がするなぁ。だってお酒を飲んでいる時間が十二分にあるし、ビデオを見ようと思ったら7時間近くもビデオを見てる時間があるんだもん。昨日は後編を2時間と遺言の前半、後半の5時間を一気に見てたくらいだから十分にくつろぐ時間があるもんね。きっとそのうちに今日は三浦綾子の日っていって朝から晩まで本を読んでる日が来るんだろうなぁ。早く氷点の続編を読みたいけど、今は別の本を読んでるから。それが終わったら今度はジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を読む予定だから、三浦綾子の日はすぐには来ないかも?
それにしても今朝は冷え込んだぁー。3℃まで下がったの。さすがに寒いと思った。でも昼間は21℃まで上がって半袖で十分。本当に長袖を着ればいいんだか、半袖でいいんだか、よくわからないから大変。こんなときは風邪をひきやすいから気をつけないとね。学校のコンピュータ室はパソコンの熱で部屋がとっても暑いのに、図書館は冷房ですごく寒くなってるし。外気の寒暖差だけに気を使えばいいわけじゃないからちょっと大変。やっぱり北の国は暑さにも寒さにも強くなっていかなきゃいけないのかな。北の国に生きるっていうのは厳しいねぇー。でも厳しさに耐えなきゃいけない分、心がどんどん温かくなっていくのであれば、それはそれでいいんだけど。都会のように冷暖房完備で1年中快適なところにいると、心が冷たいままでも生きていけちゃうからね。心から体を温めていかなきゃいけないようなところにいる方がムースにとっては快適なのかも。
今日は久々にムースの部屋らしい長い日記になったかな?何だかこんなに書くのも久しぶり。また明日から学校だぁー。だから日曜日の夜って憂鬱になるんだよね。


2002年09月15日(日)



後編

今日も涼しい1日だった。部屋の中が外よりも寒くなる季節がやってきたって感じ。今日もあまり気温が上がらなかったせいか、外の方が暖かいの。きっと部屋の中は15℃くらいしかないんだろうな。しかも今晩は4℃まで下がるみたいだし。ラジオの天気予報では2℃まで下がるなんていってたからどうしようかって思っちゃったけど、夕方の天気予報では4℃に修正されてたからよかった。ムースの住むアパートはこんなに涼しくてもまだ冷房が装備されてるの。多分今月いっぱいはこのままかな?去年の9月末ころはすきま風に随分と悩まされたなぁ。しかも今日みたいに4℃まで下がるといっても暖房が入るわけじゃないし。東京で4℃まで下がるっていったら冬だもんね。しかも暖房ガンガンでしょ?ここじゃ、氷点下にならないと暖房が入らないから。寒さにはイヤでも慣れちゃう。そんなんだから冬に実家に戻っても、1人春先のような恰好で歩いちゃうんだよね。もちろん周りの人からは変な目で見られるけど。
今日は予定通り北の国から総集編の後編を見てたの。ムースは前編の方がいいなぁって思った。何でだろう?やっぱり懐かしいからかな?そういえば、草太兄ちゃんってトラクターの下敷きになったと思ってたけど、トラクターを載せたトラックの下敷きになっちゃったんだね。ちょっと勘違いしてた。あと残るは先週やった遺言だけ。今晩のお楽しみかな?明日の晩見るよりは今晩がいいな。やっぱり次の日に学校があると思うと、見ていても何となく落ち着かないから。
昼間に宿題をやるつもりでいたの。でもちょっとだけやって終わりにしちゃった。でも面倒臭い方を終らせたからいいかな。昨日の晩も寝る直前までいろいろと考えたけど、うまく考えがまとまらないからやめて寝ちゃった。だから朝起きてすぐに宿題開始。でも今1つ頭が働いてないの。困っちゃった。それに学校のコンピュータのシステムが変わってるから使いづらくって。慣れるまでにちょっと時間が必要だね。明日こそはちゃんと宿題やったり、勉強したり、本を読んだりしないと。感じとしては余裕なんだけど、ここであぐらをかいちゃうと大変なことになりそうな気がしてしょうがないんだよね。今気を抜くとイヤことになる予感がするの。そんな訳でちょっと気が抜けないかな?っていっても昼間図書館で本を読んでるときは結構リラックスしてるし、居眠りもたくさんしてるから、気分的に楽なんだけど。もうちょっとリラックスすると楽なんだろうなぁ。
ビデオを見終わったらすぐに寝れるようにスミルノフを買ってこなきゃ。体を温めてから寝ないと明日の朝風邪ひいちゃうから。あら大変。


2002年09月14日(土)



前編

今日は久しぶりに泣いた。同じシーンを見てまた泣いちゃった。北の国に住んでるけど、ここは富良野じゃないから。今日は3週間前に放送された北の国からの総集編の前編を見たんだ。もしかしたらあとで後編も見ちゃうかもしれないけど。懐かしいね。本放送のときは見てなかったけど、86年の初恋から見始めたんだ。再放送ではほとんど見てるはずだけどね。でも、丸太小屋が燃える回は見てないなぁ。あと95年も見てないや。あのときはスペインにいたから。今まで昔のものから見たけど、本当に懐かしいね。何だかドキッとするような台詞も聞いちゃったし。
正吉の家へ紅白歌合戦を見に行ったけど、正吉のお母さんが家に帰って来ていて紅白を見なかったときがあったよね。かわいそうに思った五郎が、純と蛍を連れて富良野の夜景を見ながら「1980年さようなら」っていうシーンなんて何度見たことかと思っちゃう。その度に1980年の大晦日って何してたんだろうって思うんだけど、ムースは北海道の祖母の家で札幌から叔母が来るのを待っていたんだ。お正月2日から叔母とスキーへ行ったから。って思うとムースも北海道にいたんだって思っちゃった。
91年の夏に富良野へ行ったんだけど、そのときちょうど92年の巣立ちの撮影を富良野の駅前でやっていて、ムースの目の前を田中邦衛が歩いてたり、正吉が歩いてたりしたっけ。蛍もいたんだけど、ムースの目の前にはいなかった。いしだあゆみがラベンダー畑へ純や蛍と一緒に行ったシーンとかも出てきたけど、ラベンダー畑って本当にきれいなんだよね。いいときに行くと一面ラベンダー畑って感じだもんね。だけどちょっと時期がずれちゃうと、刈り取られたあとでちょっとだけしかラベンダーがなかったりするけど。
それと前回の北の国からの最後で草太兄ちゃんがトラクターの下敷きになるっていう事故があったけど、あれもどうも他人事に思えなくって。っていうのはムースの母のいとこ2人が同じ事故で亡くなってるから。確か両家とも農家をやめちゃったと思う。本当にトラクターの下敷きになるって事故が多いみたいだね。だからかもしれないけど、北の国からを見てるとどうも気持ちが入りすぎちゃう。
で、今日はどのシーンを見てジーンとしてたかというと、泥のついたピン札のシーン。あれは初めて見たときから泣いてた。尾崎豊のI Love Youが流れていて、れいちゃんのことを思い出させるような感じなんだよね。そこで気持ちが込み上がって来たときに、古尾谷雅人が純の耳からヘッドホンをはずして、一瞬えっ?って思わせたあとに、お金は受け取れないっていうんだよね。一生取っとけ…っていうところなんて何ともいえないよね。いつもあそこら辺で、たらーって涙が頬を伝ってくるんだよね。泣かせどころというんだか何というんだか。映画の「タイタニック」の話をしてると、みんな似たようなところで泣き始めるけど、この北の国からもそんな感じなのかなって思っちゃった。
今週末は7つくらいプログラムを書かなきゃいけないけど、明後日あたり先週やった遺言のビデオも見てそう。いいのかな?こんなことしてて。まぁ、学校はまだ始まったばかりだし、今はまだ大変なときじゃないからいいのかな?なぁ〜んて安心してるとしわ寄せがすぐに来そうだけど。アマゾンドットコムで注文した三浦綾子の小説も4冊届いたし、しばらくは北海道漬けかな?
ムースの住む北の国は今週はとても涼しく、さすがのムースも今日は長袖を着ちゃった。Tシャツ1枚って人もいるけどね。最高気温は18℃もあったけど、今日は雨が降ってたせいでちょっと肌寒かった。秋の気配はあるんだけど、今1つ本当の秋になってないんだよね。でもそろそろ本当の秋になるのかな?今週末、宿題のプログラムはいくつ書けるんだろう?


2002年09月13日(金)



減ってる

最近は書く量がすっかり減っちゃってる。何だかムースの部屋の日記じゃないみたい。内容はともかく、書く量だけはいっぱいあったのに。変なの。今までは何もしないで家にいるだけでもネットでいろいろなことを調べてたから書くことがあったけど、最近は家にいないから何もしてないときには、本当に何もしてないし。今日もそんな感じの1日だったなぁ。学校へは行ってるけど、それ以外は何もなし。今日は図書館にいた訳でもなく、授業が終わってすぐに家に戻ってきちゃったから。本当に何をやっていたんだろう?考えてみれば、今日のように何もしないって日も多くなってきたかな?何だか不思議だ。でも、1日1日と何かが変化していってるんだろうから、それでいいかも。これを受け入れていかないと。変化には戸惑いが付物だし、普通はそれをどう受け入れていいかわかんなくて、最後には拒否しちゃうから。そうしないよう、扉を広く開けておかないと。
日増しに短くなってるけど、今日もこれで終わりにしようかな。そのうちに何か書きたい日が来るでしょう。


2002年09月12日(木)



涙の数

♪涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように 見るものすべてに おびえないで 明日は来るよ 君のために…。岡本真夜のTomorrow。別に今日涙を流したわけじゃないんだけど、ふとこの歌を思い出したの。本当に涙の数だけ強くなれるんじゃないのかなって思って。今は年をとってしまったし、悔しいから、悲しいからっていう理由で泣くようなことはなくなったけど、昔は本当によく涙を流したの。悔しかったり、悲しかったりして。涙を流すごとにいろいろと考えたりもしたかな?何でこんなことをいわれなきゃいけないんだろうって思ったときもあるし、あまりにも痛いところをつかれて自分自身を見つめ直したり。人って誰でも自分の痛いところ、弱いところは責められたくないから、いつも一生懸命自分を守るよね。ただ思うに、いつも、いつも自分を守っている人の方が自分の強さを見せたがってるような気もする。攻撃は最大の防御といわんばかりに。穏やかで普段は何もいわない人の方が、芯は強くて何事にも動じなかったりするかもね。人は千差万別だから一概にすべての人がこうだとうはいわないけど、そんな気がするんだ。普段から自分を守るために他の人に噛みついてる人って、ムースの知ってる限りだと、噛みつき返してこない人に噛みついてるような気がするの。いつでも自分が勝てるって思う相手。自分が見下してる相手ばかりを選んで強さを見せているような気がする。もちろん選ばれた相手はたまらないよね。訳のわからない言い掛かりをつけられて、責めたてられるんだから。こんなときってすごい悔しいんじゃないかなって思う。悲しくもなってくると思う。自分の気持ちとは裏腹に涙も流れてくるかもしれない。でも、この涙って流せば流すほど強くなっていくんじゃないかなって思う。本当の意味での強さが身についていくなんじゃないかなって思う。何も人に責められるばかりでなく、自分自身に歯痒い思いをしたり、自分の思うように出来なくて情けなくなるときも涙を流すかもしれないけど、それがばねになって次の段に進むことが出来るんじゃないかなって思う。人がどれほどの涙を流すかはわからない。でも今までに流した涙の数だけ、人は少しずつ強くなっていってるんじゃないのかなって思う。
今では泣くことなどほとんどないムースだけど、一時期自分でもどうしちゃったのって思うくらいすぐにメソメソする時期があったの。よく泣いた。それだけ悔しい思いをしてたんだけど。幸い、今とは違って孤独ではなかったから、どこかで上手に胸につかえたものを吐き出してた。もちろん傷ついた気持ちはそのままだけど。ただ、思う存分泣いたら、あとは2度と傷つかないために強くなっていこうとしてた。きっと骨折したらその箇所は2度と骨折しないっていうのと一緒なのかもしれない。1度傷つけられた箇所は2度と傷つけられないようにしてたんだろうね。そうやってどんどん強くなっていこうとした。傷つけられたらやっぱり恐怖感は植付けられちゃうから、おびえることも多くなったと思う。ただ恐怖感を持つことすべてが悪いこととは思わない。だって恐いってことを知ったら、自分のやることが少しは慎重になるから。やる前に考えるようになるから。恐いってことを知らないってことはいいこともたくさんあるけど、よくないこともたくさんある。恐さを知らないから、無鉄砲になりやすいよね。突っ走りやすいよね。もし恐さを知っていれば、むやみやたらに突っ走らなくなると思う。無鉄砲に行動すると人を深く傷つけることもあるからね。
何も涙をたくさん流せとはいわないけど、涙をたくさん流している人の方が強いんじゃないのかなって思って。誰にでも明日は来るんだし、今日より明日の方が強くなっていたら生きていて楽しいもんね。涙の数だけ強くなって君のために明日が来たら、人一倍生きていることが楽しいよね。ムースも流した涙の数だけ強くなってるといいなぁ。

朝起きるまで気がつかなかったけど、今日は9月11日だったんだ。あの事件からもう1年が経つんだね。時が過ぎるのは早いねぇ。去年の今日は何してたんだろうって思っちゃう。確か、朝起きて、コーヒーをいれて、メールをチャックしたらニューヨークが大変なことになってるっていうメールが入ってたっけ。あの当時はここに引っ越してきたばかりで、部屋にTVすらなかったもんね。っていうか車がなかったからTVすら買いに行けなかったっていうのが本当のところだけど。最初の2ヶ月はTVのない生活を送ったんだもんね。今思うと懐かしいなぁ。だから新聞で何が起こったか知ろうと思ったけどニューヨークタイムスには全然アクセスできなくて、何が起こったんだか全然わからなかった。今思い出すと、去年の今頃は忍の一文字だったような気がする。明日はきっとよくなるっていつも信じて我慢の連続だったかな。考えてみれば今以上の孤独だったけど、それでも何とも思わなかったもんね。っていうか、思わないようにしてたかな。まさか自分の心が崩壊しちゃうと思わなかったから。アメリカって国もこの1年でいろいろあったかもしれないけど、ムース自身もいろいろとあったなぁ。ムースの場合は9月11日ではなく、真珠湾攻撃と一緒の12月8日だけど。そういえば、アメリカでは貿易センタービルに飛行機が衝突したことと真珠湾攻撃を一緒にしてたからイヤな気分にもなったかな。真珠湾攻撃以来の出来事だとか、真珠湾のときと一緒だとか、そんなことをいってたっけ。まるでこれも日本人がやったといわんばかりの雰囲気があったもんね。今では新聞にすっぱ抜かれちゃっているけど、アメリカはこの行為が行なわれることを知ってながら、ムシしてたんだもんね。大体、事件の翌日に犯人がわかるなんておかしいよね。オクラホマの連邦ビルに爆弾が仕掛けられたときは犯人を断定するまでに時間がかかってるのに。っていうか、これが普通。誰がやったかわからないから、捜査して、犯人を特定するはずなのに。捜査をしてないのに犯人はあなたって断定したっていうのは、最初から事件が起こるってことがわかってたんだもんね。イヤだね。真珠湾のときと一緒だね。知っていながら攻撃させるなんて。そのせいで多くの人の命が失われるっていうのに。人にはいろいろな考え方があるし、出来る限り受け入れていきたいとは思う。でも人の命を犠牲にして、自分の考えを貫き通そうというのはいただけないね。こんなことが2度と起こっては欲しくないね。アメリカに限定した話じゃなくって、世界中のどこでも起こって欲しくないね。愛情と憎しみは紙一重だけど、その紙一重の一線を越えないように、いつも愛情を持っていたいよね。

長く書くとやっぱり訳のわからない日記になっちゃうね。あらら…。


2002年09月11日(水)



変な日

今朝は変な夢で目を覚ましちゃった。恐かったぁ〜。ムースが車を運転しながら誰かとしゃべってたんだか、1人で運転しながらだかよくわかんないけど、何かに目を奪われていたの。あれ、何だろう?って感じでずーっとそれを見ていて、次の瞬間、前を見たら目の前を走っていた車が信号だか何かで止まってるの。もうだめだぁ〜って思いながらブレーキを踏んだんだけど、時すでに遅し。ガチャーンって大きな音を立ててぶつかったのと同時に目が覚めちゃった。実際に衝突事故を起こしたことがあるけど、だめだぁ〜って思ったあとは記憶が飛んでる。何が起こったかなんて全然わからない。そう思うと今日見た夢は記憶があるだけにかなり恐いなぁ。もしかして事故を起こしたあと、向こうの世界へ行ってしまうとこんな感じになるんだろうか?よかった、こっちの世界に戻ってきて。とりあえず北国コンピュータ学院を卒業するまではどんなことがあっても明日の世界へは行きたくないから。もしかしたら昨日寝る前にビデオで飛行機が不時着するシーンを見ていたからこんなことになっちゃったのかな?
昨日は胸につかえたものがかなりあったらしく、結構な量のお酒を寝る前に飲んでたの。しかもよくないことに、寝る前にサンドウィッチを作って食べてた。ここのところ毎日体重は増加してるし、買い物へ行ってたくさん食べ物を買ってくるんだけど、あっという間に食料が消えちゃっていて。多分、たくさんの量の食事をしてるってことだと思うけど。今日も買い物へ行って山のように食べ物を買ってきたんだけど、これが一体何日持つことやら。ちょっと心配。ここ1ヶ月はエンゲル係数が異常に上がっているし、金遣いも荒いし、一体どうしちゃったのかな?お金をたくさん使ってるとはいうものの、そのお金の8割がスーパーで使われてるものだから笑っちゃうんだけど。今年の2月に断酒としたときは、お酒を断ったとたん食べる量まで減ったから。そういえば食費が1/4まで減ったんだ。今、もしお酒を断ったら食べる量も減るのかな?そうしたら3kgくらい痩せるのってすごく楽になりそう。
そういえば、今日は何だかおかしな日だった。誰ともしゃべらないのがムースの専売特許みたいになっているのに、今日はいろんな人と話をしちゃった。こんなことって今年に入ってから1度もなかったのに。もしかしたら去年ここに移り住んでから初めてこんなにいろんな人と話をしたかもしれない。一体何が起こってしまったんだろうって思っちゃう。今日は上級生用の授業があったんだけど、この授業は知ってる人が多いの。でも、しゃべったことなんてなかった。それが今日はなぜだかいろんな人にどの授業とってるのって聞かれるんだもん。今までそんなことが1度もなかっただけに、聞かれたこっちがビックリ。授業が終わってから図書館へ行ったんだけど、そこでも知ってる人に会って1時間ばかり立ち話。こんなことも今年に入ってから初めての出来事。やっぱり何かが違ってる。ここでの生活も2年目に入ったから少しは慣れてきたのだろうか?でも慣れたのは誰とも話をしないことに慣れただけなのに。こういうことが度々あると、誰とも話をしない日って今まで以上に孤独を感じるようになっちゃうんだよね。どうしていつもこう極端なんだろう。誰とも話をしない日が1ヶ月続いたと思ったら、今度は突然話をしてみたり。適度に話をするのがいいんだけどなぁ。


2002年09月10日(火)



壁は厚い

昨日、今日と他の人の家に行ってTVを見てるんだけど、面白い番組が何もない。今日も学校が終わってから、学校のそばに住んでいる愉快な仲間たちの家にお邪魔してTVを見てたんだけど、これといって面白い番組がなく昨日に引き続きボーっとTVを眺めてたの。最近は5時まで図書館で本を読んでたんだけど、今日は本を読むかわりにTVを5時まで見ちゃった。ちょっとだけ後悔したけど、たまにはこんなこともあっていいかなって思ったんだ。ただ思ったのは、本を読んでいる方がちょっとだけ有意義のような気がしちゃった。っていっても今日は何となく本を読む気にならなかったんだけど。
それにしても言葉の壁は厚いね。普段から話をしないせいか、いざ何かをいわなきゃいけないときにすっごく困る。何ていったらいいんだろうって悩むばかり。今日もちょっと聞かなきゃいけないことがあったけど、何1つ通じないし。あららぁーって思っちゃった。日増しに言葉がわからなくなっていってるってイヤだなぁって思うけど、こればっかりは自分次第だからね。毎日、毎日一生懸命勉強しなければ、どんどんわからなくなっていくだけだから。あぁー、イヤだ、イヤだ。頭の中で、一朝一夕ではどうにもならないってわかってるだけにイライラすることもしばしば。それに歯痒いし。いつも、いつも夢見ることだけど、ひと晩寝たらいきなりわかるようにならないかな?じゃなかったら、ある日突然わかるようになったりとか。昨日の日記に書いたけど、大体1000時間聞くとわかるようになるっていうからね。っていうかもう1000時間どころか5000時間くらい聞いてると思うけど。それでもわからないっていうのは致命的かな?っていうか語彙がないからダメなんだろうな。世の中にはただひたすら言葉を覚えて、それを上手に使いこなしちゃうという器用な器用な人がいるけど、ムースはそんなことは出来ないから。普段使ってる中から覚えるか、TVを見ていてその中から覚えていくことしか出来ない。ってことは人と話をしなきゃダメだし、TVもたくさん見なきゃダメなのに。ネットにはまって、引きこもりのような生活をしばらくしてたからね。まだ時間があるわけだし、諦めずにどうにかしたいなぁ。

それにしても何1つ思い浮かばない。こんなに何も書けないなんてちょっと久しぶりかな?


2002年09月09日(月)



何もない

何もしない1日。日課であるジョギングにすら行かなかった。もちろん勉強なんてしてる訳ではなく、何となく1日が過ぎちゃった。昨日の晩、教科書を読みながら、教科書に向かって文句をいっていたことを考えると、何か胸につかえてるものでもあるのかもしれない。ビールを飲みながら読んでたので、必要なところに目を通したらそれで終わりにしちゃったけど。そのあとは1時間くらい部屋でボーっとしたまま。TVも消してボーっとしてたの。何だか変な感じだった。その後、夜中の2時になってから飲み始めちゃって朝まで起きてたから今日の午前中は何もせず。午後は午後でボーっとTVを見たまま。本すら読まなかったかんだから。いくら歯車が狂っているからというもの、こんな怠惰な生活はないよね。ただ現実逃避してるかっていうと、それがよくわかんない。なぜかっていうと、こういう状況のときは大体ネットにはまるんだけど、ネットから離れたままだったから。ここ数日はネットから離れた生活を送ってるの。これが不思議で。自分でも何でこんな行動を取っているんだかよくわからない。今まで何度もネットのはまってたんだけどね。ネットから離れているときは他のことで忙しいときなんだけど。今は別に忙しいこともなく、ボーっとしてるだけなのに。
そういえば、新聞のサイトを見ていると「12時間で英語が突然聞き取れる」っていう広告をよく見かけるの。これを見るたびにこんなことが現実に起こったらいいなぁって思って。いつのことだったか忘れちゃったけど、あるある大辞典で英語の周波数の話を取り上げてからというのも、突然この周波数に関する広告を見るようになったのは気のせいだろうか?その昔はリスニングマラソンとかいって1000時間だか英語を聞き続けるっていうのが主流だったように思うけど。英会話産業も手を変え、品を変え、新規の顧客を獲得しなきゃいけないから結構大変だなって思うけど。でもたった12時間で英語が聞き取れるようになれたらいいよね。ってこの広告、高周波数の音が聞き取れるようになるって書いてあるだけで、どこにも英語がわかるようになるとは書いてないもんね。英語の成績が伸びた人が広告の前面に出ているからさも英語がわかるようになったって勘違いしやすいけど、もともと英語の勉強をしてた人がこれを使ったら聞き取れるようになったってだけだもんね。商売が上手というんだか、何というんだか。例えば日本語でも方言を使われたら、音自体は聞き取れていても何をいわれているんだかわからないように、英語も耳だけを作ったところで単語を知らなければ、何をいわれているかわからないもんね。そう思うとやっぱりラジオの英語講座のように新しい単語や表現を覚えながら、聞き取るっていう勉強法がいいんじゃないかなって思うけど。英語耳を作るまでに時間はかかるかもしれないけど、1年間毎日ラジオを聞いたらかなりいろいろなことを思えるんじゃないかな?それとあるある大辞典でもいってたけど、大体1000時間英語を聞いていると耳が高周波の音に慣れ始めるっていってたかな。だから留学している人が3ヶ月経ったころ突然英語がわかるようになったっていうのは、大体1000時間英語を聞いたから耳が慣れ始めてきたってことだと。とこれを書いているムースは英語耳が出来ているかというと、全く出来てなく、もう何年も英語を聞いているのに全然わかりません。多分、集中して聞いてないんだと思う。適当に聞き流しているから、いつまで経っても英語耳が出来てないんじゃないのかな。でも隣りのお兄ちゃんのおかげで重低音には人一倍敏感になったけど。っていうか重低音が恐い。聞こえるたびに無意識に自分を守ろうとしてるし、聞いちゃいけないって無意識に反応してるから。
ここ数日は書くことが何にもないなぁ。9月に入ってから急に書くことがなくなってるみたい。何だかなぁ…。


2002年09月08日(日)



歯車

今日も暑い1日。っていってもムースは冷房のガンガン効いた図書館にいたので、暑いどころか寒くなって暖かな家に戻って来たんだけど。どうやらまた明日も暑くなりそう。9月に入って涼しくなるどころか、日々暑くなっていってる。そのうちに真夏より暑い日々になっちゃったりして。
昨日の晩はいつになく早寝。11時に消灯。こんなこと年に何回あるんだろうってくらい早く寝室へ行っちゃった。でも、何か寝つきが悪くって12時に目を覚まして、ボーっとTVを見てたの。どれくらい見たんだろう?1時間くらい見てたのかな?全身金縛りのようになってて、何かをしようにも全く動けなかったけど。変な感じだったなぁ〜。本当の金縛りにはなったことがないからよくわからないけど、TVもついている明るい部屋の中で体が何も動かないってちょっと恐かった。一瞬頭の中を過ぎったのは、鬱病って言葉。鬱になると自分で体を動かそうにも体が思ったように動いてくれないって聞いたことがあったから。嘘か誠かはわからないから、何ともいえないんだけど。
ここのところ、何か別の力が働いて、今までとは違う歯車が回っている感じがする。何か変。いい方に向かってるんだか、悪い方に向かってるんだか、わからないからちょっと恐いなぁ。8月に「ハリーポッターと賢者の石」を読み始めてからというもの、何かに取り付かれたかのように本を読みまくってる。本を読むこと自体は決し悪いことじゃないんだけど、何だか片っ端から読んでいってるっていう行為が…。何だか違う歯車が回っているみたい。1人で有意義に過ごそうと思った結果こうなったのか、ストレスが溜まっていて吐き出しようのない気持ちがこうさせてるのか。ムースにもよくわからない。もうちょっとしたら、真実が見えてくると思うけど。今はまだ何も見えないから、この流れのまま進んでいくしかないかな。本を読むことは悪いことだと思ってないんだから、わざわざそれをやめる必要ないもんね。狂いを生じさせている歯車が、ちゃんとしたものなら、壊れることなく、このままの状態が続くと思う。自分が変化したっていうことになると思う。だけどもしその歯車が粗悪な製品だったら、そのうちに壊れて、空回りを始めてることと思うから。このときはまた大変なことになるのかな。今のところ真綿で首が閉まっているって感覚はないし、苦しいって感じもしないから大丈夫だとは思うけど。でも昨日の晩は久しぶりに孤独感があったな。初めての週末で街は酔っ払いで大賑わいだったけど、部屋の中で1人ボーっとTVを見ているムースには関係のないことだったから。もしかしたら飲み屋へ行けば誰かに会えるのかなって思ったけど、会ったところで何をしたらいいんだろうって思ったし。夏はどうだった?って聞かれたところで家にいたとしか答えられないからね。そう思うとやっぱり寝ようと思って寝室へ行ったし。今朝はこれでよかったって思えたし。何か内側で変化を起ってるのはわかるんだけど、目に見えないからやっぱり歯痒いな。この歯車がいい方へ向かわせるためのものであればいいんだけど。
今日、アーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」を読了。今1つ集中して読んでなかったせいか、読み終わったあとに残ったものが何もなかった。失われた世代ってどんなことだったか感じとれてない気がする。後半はサンフェルミンのことが中心に書いてあったんだけど、あれはスペインのことを知っているムースには刺激でなく、思い出だったなぁ。人によっては刺激になると思ったけど。たくさんお酒を飲んでいるシーンや闘牛のシーンはごく普通のスペイン。文中に闘牛士がベロニカを4回決めたって書いてあったけど、ベロニカが何だかわからない人にはへぇーっていって終わっちゃうんじゃないのかな?ってムースもベロニカがどんなものだったかよく覚えていないけど、唯一闘牛の技で覚えている名前がベロニカだったの。だから何となくすごいんだなぁって思えたけど。ベロニカってもしかしたら牛が脇を通り過ぎても、右足を動かさない技だったかな?よく覚えてないや。ただこの闘牛シーンの描写はよかった。こんな感じなんだろうってことが伝わってきたから。闘牛を見たことない人には何も伝わってこないかもしれないけど、ムースはTVで何度も闘牛を見てたので、闘牛士が最後に剣を牛の首というか肩の間に刺すシーンでの緊張感がすごくよく伝わって来ちゃった。1度で仕留めることができればいいけど、下手な闘牛士は何度も刺すからね。これは見ていてイヤな気分。このときに牛がアップになったら、思わずTVを消したくなる。っていうのは牛の目が見えちゃうから。闘牛って命あるものを大観衆の前で殺すものなので、とっても残酷なもの。それだけに死ぬときはぽっくりといってもらいたいからね。っていっても生き延びてる牛も実在するけど、それは有名じゃないもんね。闘牛といえば、必ず殺されるものだと思うかもしれないけど、死なずに生き続けることが出来る牛もいるの。微々たる量だけどね。何でだったかは忘れちゃった。
ところでこの本はハッピーエンドってことなのかな?一応、それっぽかったけど。やっぱり今1つ感じとれないものがあったなぁ。この本を読んでいてムースが感じたのは闘牛シーンの緊張感。それとサンセバスチャンの海岸の風景が目に浮かんできた。ラ・コンチャ、貝殻って呼ばれる海岸なんだけど、文中ではコンチャってそのまま書いてあったなぁ。あの美しい景色を何度も思い出しちゃった。結局スペインを思い出しただけかな?
昨日夜中に目が覚めたとき見ていたトーク番組の中で、シャキラ(SHAKIRA)っていうコロンビア人の歌手が出てたの。ムースはこのシャキラって人を全然知らなかったけど、彼女の歌うWhenever, Wherever って曲は何度も聞いたことがあった。このシャキラって人が番組の最後にスペイン語で話したんだけど、笑っちゃうことに1つもこれを聞き取ることが出来なかったの。ムースは南米訛りのスペイン語は苦手だけど、それでも聞き取れていたのに。昨日は全く何もわからず。ちょっとショックだった。
「日はまた昇る」を読んでスペインのことを思い出したところだったし、昨日の晩シャキラのいったことが何もわからなかったので、今日からはスペイン文学に挑戦。ってムースはセルバンテスのドン・キホーテ以外はスペイン文学なんて知らないからちょっと困っちゃった。そんな訳で朝っぱらから検索をしてスペイン人作家を探したの。この人だったらって思った人の何人か候補に上げて、その中の1人、ミゲル・デリーベスって人の本を読むことに決めちゃった。この人はたくさん本を書いているし、ムースの調べた限りでは5冊の本が日本で出版されてるみたい。「灰地に赤の夫人像」(Señora de rojo sobre fondo gris)、「好色六十路の恋文」(Cartas de amor de un sexagenario voluptuoso)、「赤い紙」(La hoja roja)、「エル・カミーノ」(El comino)、「異端者」(El hereje)。でもムースが借りてきたのはこの中のどれでもなかったんだけど。っていうか別の本しかなかったから、仕方がなくそのうちの1つを借りてきたの。「El diputado voto del señor Cayo」って本。何て訳せばいいのかな?カヨ氏の代議士投票?変だな。カヨ氏の代議士投票権?最後まで読んでみないとしっくり来る題名が浮かばないや。何を思ったんだかわからないけど今日からこれを読もうと思ったの。ただムースには難しすぎ。多分、文字を追って終わりになっちゃうような気がする。それでも最後まで読むけどね。これが読み終わったら、いよいよジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を読もうかな。この間、ムースが「怒りの葡萄」を読もうと思ってるんだって先生にいったら、絶対に読んだ方がいいって強く薦められたし。特にこの北の国っていう場所柄、この本に書いてあることに親近感を持てるからなんだろうなぁ。
新しく回り始めた歯車が「怒りの葡萄」を読み終わるまでちゃんと回ってくれるのだろうか?学校はまだ始まったばかりで、宿題も少なく、自由な時間が多いから、今は何1つおかしなことになっていなけど。いい方に回ってると信じてみようかな。


2002年09月07日(土)



暑い

たった3日しか学校へ行ってないのに、こんなにも週末が待ち遠しかったなんて…。ちょっと不思議な感じ。ただ疲れているのは否めないかな。今日お昼ちょっと前に図書館へ行ったんだけど、あまりの気持ちよさについついウトウト。ハッと気がついて壁にかけてある時計をみたけど、次の授業が始まるまではかなり時間があったからよかった。図書館で寝てて、目が覚めたら授業が終わっていたなんていうのは洒落にならないもん。特に今学期は午後の授業の先生と毎日顔をあわせるから、サボったりしたらすぐにその理由を追求されちゃうから。下手なことが出来ないの。
それにしても今日は図書館でよく寝た。午後の授業が終わって、1度家に戻ってご飯を食べたの。それからまた図書館へ行ったんだけど、あまりの気持ちのよさにまたグースカピーとソファーの上で横になって寝てた。睡魔が襲ってきたことを考えると、やっぱり疲れていたんだと思う。いつもよりは授業の数も少なく、しかも学期ごとに楽になっていってるのに。なんだかんだいっても、緊張してるのかもしれない。遅刻しちゃいけないとか、今学期は少しでもいい成績を取ろうとか。でも夏休みの怠惰な生活習慣から抜け出していないから、自然と睡眠時間は減ってるんじゃないかな。この生活習慣が身についちゃうと、ここまで疲れることもないと思うんだけどね。今はまだつらいときなのかな。
今日はここ北の国はとっても暑く、34℃まで上がったの。ここら辺の高校は暑さのため午後の授業打ち切りになっちゃったんだから。34℃で授業打ち切りなんていいよね。なぜかっていうと学校にエアコンがないからそうするみたいなの。ムースが授業を受けてる教室もエアコンがないけど、誰1人文句をいわずに授業を受けてるのに。高校生はちょっと優遇されてる?っていってもエアコンのない教室で授業を行なっても誰1人集中してないから、打ち切りにした方がいいっていうのもわかるんだけどね。これがあと2ヶ月すると雪や寒さのために授業が打ち切りになるんだから、本当に過酷な気候の土地だこと。多くの人がいうけど、ここは夏は異常に暑く、冬は異常に寒いと。もっといっちゃうと気候は最悪らしい。っていってもムースは結構お気に入りなんだけど。おかげさまで1日に30℃の寒暖差があっても風邪をひくことなく、体が勝手に調整してくれるといういい状態だし。東京にいると、どこへ行っても冷暖房完備だし、体が暑さ寒さを調整しなくても快適に過ごせるようになってるよね。だからちょっと気温が上がったり、下がったりすると風邪をひいちゃう。体が暑さ寒さの調整をする必要としなくなっちゃうんだよね。ここも冷暖房完備なところが多いけど、寒暖差が激しいからどうしても体が上手に体調を調整してくれないと困っちゃう。自分の力に頼るしかないんだよね。そういった意味では否応なしに健康でいないといけないから、いいのかなぁ〜って思うんだ。あまりにも寒暖差があるのは結構つらいけど、慣れっていうのは恐ろしいもので、自然に体が受け入れる準備をしてくれてるからすごいなぁって思う。

今日はこれといって書くこともないなぁ。ちょっと疲れたかな?ってなことで、この辺で終わりにしよう。


2002年09月06日(金)



考える

さすがに上級生用のクラスは雰囲気が違う。今学期は毎週火曜と木曜に上級生用の授業をとることにしたの。夏学期がムースにとって初めての上級生用のクラスだったんだけど、やっぱり季節柄あまり人も多くないし、何となくのんびりとした雰囲気だったんだ。でも今日はちょっと違ったの。いきなり授業。ひょえぇ〜って感じだったけど、でもあの先生のことだから普通に授業はやるだろうなって思って、ちゃんとノートを持っていったけど。他のクラスはどうかというと、同じ先生だったのに昨日のクラスは下級生用の授業のせいか、何もやらず、お話をしておしまい。まさかこんなにも雰囲気が違うとは思わなかった。やっぱり上級生になるとここまで違うのね。だって最初の授業は講義要項を配布しておしまいだと思ってたんだもん。とはいうのもの、教室を見渡すとムースでさえ知っている顔が多いこと、多いこと。先生はほとんどの生徒を知ってるから、自己紹介もなく、簡単に今学期にやる講義内容を説明しただけ。今日はレポートやプレゼンテーションのことには一切触れなかったけど、間違えなくその課題が出るから。多くの人はその先生の授業を2コマ連続でとってるみたい。それは地獄を見るからムースは来年の秋に履修することにしてるけど。っていっても今年履修すれば、卒業が早くなるんだよね。その判断が難しいけど、やっぱり今学期は英語の勉強に重点をおきたいムースなので、これでいいと思ってこのまま12月まで突っ走るでしょう。

今日の授業の中でちょっと出た話。例えば、車の運転を習うときって最初はマニュアル車を習うよね。って今はオートマ限定で十分だけど。ムースが免許証を取ったころはオートマ限定という免許証はこの世に存在してなかったから、否応なしにマニュアル車だった。最初にマニュアルシフトの車で練習してから、オートマ車を運転しても問題なく運転できる。でも、最初からオートマ車にしか乗っていなかったら、どこかでマニュアル車を運転しなさいっていっても困っちゃうよね。だってクラッチを切るタイミングがわからないし、車を発進させるときの半クラもわからないと思う。車を運転できるはずなのに、マニュアル車だとちょっと…ってことになっちゃう。授業はコンピュータのことに関することなので、このあとは専門的な内容の講義になったんだけど。ただ、この車の例を使っていっていたのが、最初から簡単に出来るものばかり、お膳立てされたものばかりをやってはダメだということ。お膳立てされたものでなければ、自分でどうすればいいかって考えるからだと。車のことにしてもそうだけど、オートマだったらアクセルさえ踏んでいれば問題ないけど、マニュアルの車に乗っているときには、速度や状況に適したギアを考えるよね。まさかいきなり4速のまま発進する人もいないと思うし、最初は1速から発進するよね。って都内を走っていると、2速から発進するときも多いかな?1速から2速、3速へ上げていくと思う。逆に高速道路を走っているとき、1速でずーっと走る人はいないと思う。坂を上がるときにエンジンが噴けなくなってきたら、1つずつギアを落としていくことと思う。これってみんな自分で運転をしながら考えて、こういう行動をとるんだよね。自動的に何でもやってくれる訳じゃないよね。これを最初にやってると、オートマを運転してても、山を登ってるときならギアを落としてドライブから2速にするかもしれないし、もしくはエンジンが噴けなくなったときにはキックダウンをするかもしれない。その状況に適した運転の仕方をすると思う。こういうことはマニュアル車を運転していればイヤでも覚えちゃうよね。考えながら行動してるから、段々とどんな状況にも適応していけるようになるのだと。
考えることをやめちゃうと、いざ壁にぶつかったときにどうしていいかわかんなくなっちゃう。もちろん、普段からいろいろなことを考えていれば、そんな壁もひょいと乗り越えちゃうのかというと、それは違うけど。でも、生まれて初めて考えたって人よりは、考え方がわかっていれば、どうすればいいかってことが見えてくるまでの時間がそんなかからないんじゃないかと思って。普段から簡単なものばかりをやっていて、何も考えてなければ、いざというときに困るのではないかって。今のご時世では何も考えずに生きていけると思う。いわれたことだけをいわれたままにやっていれば、それでいいことも多いと思う。でも、それじゃもったいないような気がして。何だかロボットのような気がして。いわれたことをいわれたままやればいいのであれば、ロボットがやった方がいいもんね。人間だと体の調子によってムラが出ちゃうから。ロボットだったら決められた時間に決められたことを決められたままに出来るもん。それでも人間がいいっていうのはやっぱり考えるってことが出来るからじゃないかなって思う。考えるってことを忘れちゃうのは、何だかとっても危険なことじゃないのかなぁって。
今日は初めてジョギングをお休み。たまには休まないと。そういえば、ナベツネ新聞に出てたんだけどマジソン郡の橋の1つが燃えてなくなってしまったんだってね。記事は「ここ」から参照してください。しかもムースが見なかった橋が。あの日は疲れきっていたから4つ見た時点でやめちゃって、次の機会に見ようって思っていたのに。その日の日記は「ここ」からどうぞ。それにしても残念。シーダー橋というのがなくなってしまったみたいだけど。それにしてもナベツネ新聞に書いてある、チェダー橋はないんじゃないの?「ここ」からマジソン郡の橋のHPを見てもらえればわかるけど、チェダー(Cheddar)でなくてシーダー(Cedar)なのに。もしシーダーもチェダーも一緒だというなら、工藤夕貴の映画は「ヒマラヤ杉に降る雪」ではなく「チェダーチーズに降る雪」なの?ってツッコミを入れたくなっちゃったりして。


2002年09月05日(木)



ヨーダ

やっぱり初日は疲れる。昨日の晩、早く寝なきゃって思って、気持ちよくウォッカを飲んだら、飲みすぎちゃって胃が痛い。その上、今朝は何となくまだ酔ってる感じがしたの。新学期初日からこんなことでいいのかって思うけど、そんな状態でもめげずに行くのがムース本来の姿かもしれないから。それにしても、学校へ行ったらビックリ。人が多い。しかも朝8時なんて新入生がうじゃうじゃいるような時間に行ってるから、寮の方から人が流れてくる、流れてくる。人に酔っちゃいそうだった。しかも教室の中も人でいっぱいだからビックリしちゃうのなんのって。一体どうしちゃったんだろうって思っちゃった。今学期はあまり選択肢がないから、1つの授業に多くの人が集中しちゃうのかもね。でも1週間経てば、中には履修登録を解除する人も出てくるだろうから、少しは空くと思うけどね。今はそれに期待。
朝1番の授業が終わってから学食でお茶をしながら本を読んでたら知り合いに会っちゃった。あんな感じで人と話すのは何ヶ月ぶりだろうって思っちゃった。6月の頭に散々友達としゃべってるから3ヶ月ぶりか。先月も友達と電話で話してるから、そんなに久しぶりじゃないのかも?でも面と向かって話すのはやっぱり3ヶ月ぶり。久しぶりのせいか、言葉が全然出て来なくって参っちゃった。やっぱり会話は毎日してないと、言葉がうまく出てくなくて困っちゃう。ムースが本を読んでるところにその知り合いが来たんだけど、「何読んでるの?コンピュータの本?」って聞かれたから「日はまた昇る」っていったの。そしたら「ヘミングウェーなんて読んでるの?」っていわれちゃった。その人はムースがコンピュータの本を読んでるものと思ったんだって。2人とも北国コンピュータ学院の生徒だし、そう思うのも当然かも?そういったその知り合いも実はヘミングウェーの本を持ってるらしい。でも買うだけで1度も読んだことがないって。だったらムースにくれればいいのにって思っちゃった。ムースは読みますよ。本棚の肥やしにはしないように心がけてるから。
午後のクラスも朝1番のクラス同様先生が変わっちゃってたの。ってムースは誰が先生であろうと構わないんだけど。午後1番のクラスの先生は夏の学期に習っていた先生。別の先生ならちょっと楽できるかなって思ったけど、どうやらそれはムリそう。でも夏学期の先生はいつも授業に出席していて、宿題をきちっとやれば変な成績には絶対にならないから、そういった意味ではちょっと安心。でも学期中はつらいことが何度かありそう。今年の春学期の授業はその先生のクラスに救われたけど、夏に地獄を見たから。ムースちょっとビビッてます。しかも噂では明日のクラスもその先生に変更になったとか。ってことは、またレポートとプレゼンテーション地獄に悩まされるぅ〜。今回は準備期間が約3ヶ月あるから、かなりいいものを書かないとダメだと思う。この学期にいろいろと他のことを勉強して、来学期にその力を試そうと思ってたのに。どうやら同時進行でやらなきゃいけないみたい。ふぅー、前途多難の今学期の予感。別の先生なら、少しだけ楽だと思ったんだけどなぁ。って楽することばかり考えちゃいけないよね。
今学期は英語の勉強に力を入れようと思ったムース。そちらの方はいい出だしかも?出来るだけ早いうちに英語の先生に相談して、書く練習をしようと思ってたの。そうしたら今日たまたま図書館の入り口でバッタリその先生に会ったから、書く練習をしたい旨を伝えたんだ。そうしたら来週からその先生の授業が始まるから、来週詳しい話をしましょうってことになったの。来週になってからどうしましょうっていうよりはいいから。それと今日の授業が終わったあと、発音を直してくれる先生のところにも寄って、今学期は英語の勉強に力を入れようと思うっていってきたの。今はまだちゃんとしたスケジュールが出来てないから、それがわかり次第どうするか決めようということに。こちらの方はなかなかいい出だし。ってその先生のところで何をしたいか聞かれたときに、二重母音の矯正っていったんだけど、それをいっている間にもいろんな発音を相変わらず直されまくり。それに相変わらず言葉を選びすぎていて、話すまでに一呼吸も二呼吸も間が空くし。発音を直してくれる先生がいうには、ムースにはもっとコミュニケーションをうまく取れるように、人と気軽に話ができるようにしたいっていってた。この話すまでに一呼吸も二呼吸も間が空くってスターウォーズに出てくるヨーダと一緒じゃんって思っちゃった。ヨーダってうぅ〜んってうなってから話し始めるよね。あれと一緒かも?その間にいろいろと言葉を考えたり、選んだり。ってこんなことだから軽い話が出来ないのかも?先日、友達がメールに、沈黙が嫌だからってあせって話して、変なことを口走って、相手を不快にさせちゃったりしたりすることがあるって書いてあったの。そうでなければずーっと黙ったままとか。どうもうまくコミュニケーションが取れないって。何かこのメールを読んだときに、これって自分もそうだって思っちゃった。相手を寄せつけない何かを持ってるんじゃないかって。ひと言、ひと言、話すごとに相手の反応を見ちゃてるし、いつも変なことをいっていないか必要以上に気にするし。だから話すこと自体がとっても下手になったのかもね。それが今はオーラとなって全身から溢れ出ているから、誰も寄って来ないのかも?イヤだねぇ。昔は気楽に人としゃべれたのに。
たまに調子にのって話をしているとき、言葉が厳しくなるときがあるの。話を聞いていて歯痒いなぁって思ったり、それは無謀だよって思えることだったりするときに、知らず知らずに言葉が厳しくなる。でもこれは逆効果だった。そういうときでも、何でもハイ、ハイっていってあげないとダメなときがほとんどだった。でも、ムースにいろいろといってくれた人は決して甘やかすような言葉はかけてくれなかったけど。あまりの悔しさに涙を流しながら聞いてたこともあったし。でも、それがあったからいつまでも夢を捨てなかったし、今では感謝してるの。この北国コンピュータ学院に来る話が実はそうだったの。スペインから帰ってきてすぐのころ、また学校へ行きたいなぁ〜って話をしてたんだ。無一文のムースだったので親のスネをかじって学校へ行こうと思ったけど、友達に甘すぎるってこき下ろされた。だからそれから仕事をして、貯金して、やっとここに来れるだけの学費と生活を稼いだの。途中いろいろとあったけど、最後まで夢を捨てずにね。「自分のやりたいことくらい、自分で働いて、自分のお金で行くのが筋だろう。それが出来ないんだったらやめちまえ」っていわれたの。その厳しい言葉を忘れることは1度もなかった。甘いことなんて誰1人いってくれなかった。希望としては2人くらいからやさしい言葉をかけてもらいたかったけど。でもそれを乗り越えたから、今ここにいるんだけどね。だから他の人にもそのつもりで現実を突きつけちゃうと、それはよくないんだよね。ムースに対していったから機能した訳で、他の人には機能しないんだよね。もしかしたらムースがいうから機能しないのかも?それがわかってるから言葉が何1つ出てこない。今でも本当のやさしさは何でもハイ、ハイっていって甘い顔を見せてることじゃないって思うけど。これが機能しないってことは、やっぱり何もいわずに、いつも笑顔でハイ、ハイっていってることなのかな?多分、ムースはそんなこと一生出来ないと思う。ってことは、一生ヨーダのままかな?うぅ〜んとうなって言葉を選ぶしかないのかな。相手を傷つけないように、傷つけないように。これを考えると円滑な人間関係がムースにとって人生最大の課題みたいね。でもこれって生きていく中で1番基本的なことだもんね。これが出来ないから、人間として欠陥があるなんてこともいわれちゃうのかな?
何だか変なことばかり書いちゃったなぁ。ちょっとお疲れモードだ。


2002年09月04日(水)



明日から…

今朝メールをチェックしたら、中学時代からの友達からメールが来てたの。知らぬ間にいろいろな変化があったみたい。独立して自宅で仕事をしているメールをくれた友達や、子供が出来たからと社宅を出て海のそばに家を買った友達。たった9ヶ月でガラリと変わってしまっている。自分1人の時間だけが止まってしまっているかのよう。一生懸命若作りをしてるし、きっと浦島太郎になってるんだろうね。ムース以外の人は時の流れと共に年をとっていってるけど、ムース1人、過去にしがみついて、過去に生きているかのよう。そんなつもりは全く無いんだけど、どうもそんな感じがする。といっても、類は友を呼ぶという言葉の通り、結婚もせず、独身で遊びまわってる人も多いけど。そしてみんな口々にいうのは、みんな結婚しちゃって、子供もいるし、忙しいから…と。昔は1番最初に結婚するっていわれてたんだけどなぁ。気がつけば1番最後まで独身。でも、人生ってそんなものかな?それに1人でいる分、のびのびとしているし、いろいろと勉強をして少しずつ知識をつけているから。そのうち何かの役に立つときがくるでしょう。その上、やりたいことをやりたいときに何でも出来るし。気楽といったら気楽だもんね。
さて、いよいよ明日から学校が始まる。朝8時に学校へ行くなんて出来るのだろうか?約4ヶ月も不規則な生活をし続けたから。その上、8時から1時間授業を受けたら、次の授業までは4時間も空くの。学校にいても仕方がないと思うから家に帰ってくると思うけど。空き時間ばかりだから、自分に厳しくしないと遅刻ばかりしそうで恐いなぁ。ただ空き時間が多いってことはその間にいろいろなことが出来るってこともあるから、心がけ次第ではとっても有意義に過ごせると思う。
今日、学校の図書館へ行くときに寮の脇にある駐車場を見たんだけど、車が一杯止まってた。昨日、今日でみんな入寮したみたい。学校のそばに住んでる人も今日辺りかな住みはじめたのかな?ジョギングの途中、学生が外に椅子を出して、芝のところで夕涼みしてる光景を見たから。学内も人が一杯だったけど、スーパーも学生だらけで、ちょっとビックリ。みんな山のように食料を買ってたの。買い物に行く日を間違っちゃったみたい。昨日か明日行けば、もう少し空いていて、品揃えもよかったんだろうなぁって思っちゃった。
図書館から借りていた「ライ麦畑でつかまえて」も今日返してきて、今日から新しい本を読み始めたの。アーネスト・ヘミングウェイの「日はまた昇る」を借りてきちゃった。200ページしかなかったからいいところまで読むことが出来るかなって思ったけど、今日はどうも集中してなかったみたいで、すぐに挫折。でも今週一杯で読み終わりたいって思ってるの。今日から図書館も毎日営業するし、次の休みは11月の第4木曜日だから、先週末のように土、日、月と3連休になることもないし、今度はいつ本を読み終わっても平気。いつでも次のが借りれるから。でも、先週末はいい本を3冊も読めたから、それはそれでよかったんだけどねぇ。ところで今日から読み始めた「日はまた昇る」だけど、結構期待してるの。だってムースといったらスペイン。ってことはないかな?ムースといったら北の国かな?まぁ、いいや。スペインといったらフラメンコでもなく、セビリジャーナスでもなく、サッカーでもなくやっぱり牛追いだから。ムースの記憶に片隅にある牛追いと、本の中に書かれているサンフェルミン祭の情景が重なり合うと読んでて何倍も楽しくなるんだけど。今日読んだところではまだスペインへ行ってないけど、スペインとフランスの国境の街、サン・セバスチャン、バスク語ではドノスティアって呼ばれる街へ行くっていう会話は出てきたから、そろそろスペインへ向けて出発するのかなって思って。ムースもパンプローナのサンフェルミン祭に行きたかった。牛追い自体は見たことあるけど、やっぱりパンプローナの牛追いは一見の価値があるからね。
この夏休みはどこかへ行きたいって思ってたけど、結局この街から1歩も出なかったの。ムースらしいっていったらムースらしいかも。本当はどこかへ行って気分転換をしてきたかったけど。でもこの夏は本をたくさん読んだので自分としてはとても満足なんだ。こんなに本をたくさん読むことってあまりなかったから。昨日の日記には書かなかったんだけど、「氷点」の中で陽子が太宰治の「斜陽」を読んだって場面があるの。それを読んだときにふと思い出しちゃった。ムースも「斜陽」が読みたかったんだって。前から思ってたのにまだ読んでないんだ。だから青空文庫へ行って「斜陽」があるかどうか見たんだけど、まだなかったの。そのとき思っちゃった。1ヶ月何もしてなかったんだから、「斜陽」を入力するボランティアでもやればよかったって。そうすればムースだけでなくいろんな人が読めるのに…って思っちゃった。「斜陽」を読むのはしばらくお預けかな?でも、何となく悔しかったから、何か読もうと思って、真夜中に「走れメロス」を久しぶりに読んだの。高校の教科書に載っていたから、そのときに読んだのが最後だったかも。あれを読んで思ったけど、最後まで諦めないって姿勢はすごいね。途中で1度メロスはもうダメだって思ったけど、でも奮起して再び走り始めたもんね。街についたとき、セリヌンティウスの弟子、フィロストラトスがもうダメですっていっても、決して希望を捨てずに最後まで走る姿はいいものだったなぁ。これってムースが自分にいい聞かせるためによくこの日記に書いている、自分を信じるってことと諦めずに最後までやり遂げるってことだなぁって思っちゃった。実は身近なところに、こんないい作品があったなんて夢にも思わなかった。それに「走れメロス」は簡単だし、誰でも読めるからいいよね。いつも本を読むときは辞書を片手に読んでるけれど、「走れメロス」は辞書いらずだもんね。大体「氷点」を読んでるときですら、言葉がわからなくて辞書引いてるんだからどうしようもない。しかも標準語がわからずに、注訳のある北海道弁は訳なしでわかってるんだから。って当たり前か。北海道弁を知らなかったら親戚縁者と話が出来ないもんね。っていうか母だって北海道の方言使ってるし。
今年の夏は読書を出来たことで大満足。それに「氷点」を読んでちょっとだけ人の内面について考えることができたし。そのうちに続・氷点を読もう。って実は昨日の晩、「氷点(続)」の上下巻を注文しちゃったら、近々届くと思うの。しばらくは別のものも読みたいから、本が来てもしばらくは読まないかも。でもある日、ふと続きを読みたくなるだろうから、そのときはまた1日1冊ペースで。気持ちが落ち着いてるときに読みたいなぁ。だって考えることが多いし、変な気分のときに読むと、胸につかえてる気持ちが溢れ出て来ちゃいそうだから。
今日は早く寝ようと思うけど、寝れるのだろうか?ちょっと心配。初日は授業なんてやらないけど、でも寝不足のまま行きたくないから。ちゃんと起きれますように。


2002年09月03日(火)



氷点

またまた飲み過ぎの昨夜。気がつけば朝の6時まで起きて、お酒飲んでた。しかもまたメール書いてるし。おかげさまで昨日の晩も記憶が途切れていないので、朝起きてから、こんなメール書いてないよってことにならなかったのでよかった。夜中に一体何をしていたかというと、アマゾンドットコム日本版のHPでどの本を買おうかずーっと悩んでたの。結局、昨日の晩は買わなかったんだけど。でも本が欲しい。久しぶりに読んだ三浦綾子は良すぎた。続・氷点や泥流地帯、天北原野、海嶺が読みたぁ〜い。今晩もきっとパソコンの前で悩むんだろうなぁ。どれ買おうって。昨日知ったんだけど、三浦綾子って小林多喜二のお母さんの小説も書いてるんだね。小林多喜二といえば、高校生のころ読書感想文の課題になってた「蟹工船」を読んだだけかな。父がたまに小林多喜二は獄死したって話をしてたかな。ムースが知ってるのはそれくらい。父曰く、当時の築地警察はすごいところらしかったって。泣く子も黙る築地警察だったらしい。まぁ、時代が時代だからねぇ。その多喜二のお母さんのことを書いた「母」っていう小説も読んでみたいな。読んでみたい本ばかりで困っちゃう。昔はこんなに本は読まなかったような気がするんだけど。何年かに1度、本を無性に読みたくなることがあるんだよね。今がその何年に1度のときかも?
今日は昨日の日記に書いたように「氷点」の下巻を読んだの。もう何ともいえない気分。最後に陽子が人としての大罪を犯してしまうところなんて何ともいえなかった。うるうるしてきちゃって、一瞬活字がぼやけちゃって大変だった。っていっても今日は不思議と涙を流さなかったけど。だって目の前が曇ったとき、これじゃ読めないって冷静に思っちゃったんだもん。そんな訳で、ムースにしてはめずらしく泣くことなく読み続けちゃった。それにしてもこの話は考えさせられることが多いね。人はどうしてここまで人を憎み続けなきゃいけないんだろうとも思った。その人が罪を犯した訳でもないのに、その血縁者ってことでここまで苦しまなきゃいけないのかとも思うし。もし、自分だったら人を許すことが出来るのだろうかとも考えちゃった。ってムースは心が非常に狭いから、人を許すことなど出来ないかもしれないけど。でも人を許すことによって、もしかしたら自分も楽になるのではないかとも思う。だって許さずに憎み続けるということは、それだけエネルギーのいることだから。人を憎み続けるということは自分で自分の首を絞めてることかもしれないし。ムースは何かあったら姿を消しちゃうから、人を憎んだり、許したりする場面にはあまり出くわさないけど。って逃げてばかりもよくないんだけどね。でも、姿を消して、1人にならないと自分がおかしくなるくらい人を憎んでしまいそうで恐い。憎しみなんて百害あって一利なしって思うから。とはいっても、やっぱり許すということはすごく難しいことのように思う。人を許すって自分との戦いのような気がする。だから大変だと思う。許さなければ、何でも憎んでる人のせいにしちゃえばいいし、その人を責めてしまえばある程度自分の気は収まるから。もしかしたら憎まれてるいる人はそれを罰だと思うかもしれなし、いいがかりはよしてくださいって思うかもしれないし。どうして人は人を憎まなきゃいけないのかなって思う。どうやったら許すことが出来るのかなとも思う。もしかしたら憎んでいる相手は人違いかもしれないのに。ちょっとした誤解があるだけなのかもしれないのに。どんなに明るく努めていても、あまりにも意地悪なことをされたり、責められ続けてしまえば、いつの日にかは心が凍りついてしまうよね。誰の心にも氷点はあると思う。心が凍りついてしまえば、生きる力すら失っちゃうかもしれないし。自分がどんなに努力をしても、ときに心の温度が下がっていってしまうこともある。そんなとき、誰か1人でも温かい何かを心の凍えてる人に与えてあげることが出来たら、すばらしいことなんだけど。殺伐とした世の中ではなかなかそんなことも出来ないかな?なんてったって生き馬の目を抜くような都会の暮らしの中で、悠長に心の凍えてしまった人に何か温かいものをっていったところで、人はみんな明日はわが身だと思って、その恐怖に慄き、その姿を直視出来ないよね。見て見ぬ振りをしなきゃいけないんだから大変。
そういえば、この小説の中にお金を落としたとき、どう思うかって場面があったの。平たくいうと、悲観的に考えるか楽観的に考えるかってことなんだけど。もし、千円落としたとき、「千円しか落とさなくてよかった」って思うか、「千円も落とした。損した。損した」って思うかって。今は悲観的に考えるムースなので損したとしか思えないけど、楽観的に考えることができたらいいよね。本の中にも書いてあったんだけど、ただでさえ損してるのに、それに輪をかけて、損した、損したっていってたら、もっと損した気分になるって。だったら楽観的に考えて、千円しか落とさなくてよかったって思ってれば損した気分にならないって。これはその通りかもね。いつもいいことを考えれば、自然といい方に運気は流れていくっていうし、いつも悪い方に考えてると、「ほら、やっぱり悪いことが起こった」っていってどんどん悪い方にいっちゃうっていうもんね。そう思うといい方に、楽観的に考えて、自分をいい方に持っていきたいよね。ってムースが1番悲観的な人なんだけどね。いつも、いつも、明るく笑顔でいられたらいいなって思うし、そういうことへの努力は決してムダじゃない気がする。向日葵のような心を持っていられたら本当にいいよね。いつも太陽に向かって明るくいられたら。
そうそう、あと感謝の気持ちを忘れちゃいけないなぁって思っちゃった。人ってついつい感謝の気持ちを忘れがちだもんね。最初は感謝をしても、慣れてくるとついついそれが当たり前だと思っちゃう。無くなって初めてそのものの有り難味に気付くんだよね。当たり前って思えるものほど実は当たり前じゃなくって、その存在に感謝しなきゃいけないのかも。例えば、宇宙飛行士になってみれば初めて空気の有り難味がわかるように。与えられてることが当たり前じゃなくて、与えられてることに感謝しないといけないね。最近ニュースを読んでると、どうも受身なことが書いてあるからふと思っちゃった。例えば、子供がなつかないとか、誰々がやってくれないとか。いつも受身だよね。能動的なものは少ないかも。きっと与えてもらうことが当たり前って思ってるのかもね。子供がなつかないっていうけど、親が子供に愛情を持って接しなければ、子供だって寄ってこないと思うけど。もしかしたら赤子からも何かをもらおうとしてるのかな?おしめを変えたり、ご飯を食べさせてあげてるんだから、なつくのは当たり前、自分が何かを得るのは当たり前っていう感じで。
つらつらと偉そうなことを書いちゃったけど、実はこれはすべて自分の反省点なのです。嫉妬はするし、人を憎むことだってあるし、人を許せないし、悲観的だし、与えてもらいたいって思ってるムースなので。だから三浦綾子の作品を読んだあとは、いつもいろいろなことを考えて反省するの。っていっても、あまりにも心の痛い話ばかりだから、まずは自分を正当化するのに一生懸命になっちゃうけど。自分を正当化する手段として、小学生同様、○○ちゃんもそうやってるとか、みんなそうやってるというムチャクチャな理屈になっちゃうんだけど。子供がおねだりをするときに、みんな持ってるから私も欲しいってよくいうでしょ。みんなって誰?って聞くと、実は5人くらいしかいなかったり。30人いるクラスの5人がみんななの?って鋭いツッコミが親から入りそうな理屈。今日のムースもそんな感じの理屈で自分を正当化してるんです。

あぁ〜、続・氷点が読みたぁ〜い。でも明日から図書館が開くし、先日借りた「ライ麦畑でつかまえて」を返して、別の本を読もうかな。って何読もう?明日ゆっくり考えよう。


2002年09月02日(月)



思いやりとか…

晩御飯を食べたあと、思わず寝ちゃった。別に疲れていたわけでもないのに。そういえば、今日から9月だったんだね。今まで気がつかなかった。ムースもいよいよ水曜日から学校が始まる。今学期はどうなるんだろう?出来れば朝早い授業は取りたくなかったけど、履修するものがなかったから仕方なしに朝8時からの授業をとったの。前学期何度か遅刻をしたし、今学期は遅刻をしないように気をつけないと。今月や来月はまだ暖かいからいいけど、11月ともなると朝晩は−10℃を下回るから。これが結構つらいの。車の窓ガラスは凍りついちゃってるから、スクレーパーで毎朝ガリガリと窓をこすらなきゃいけないし。たまにドアまで凍りついていて、全身の力をこめて開けないと開かないときもあるし。朝早い授業を取ると、この作業がもれなくついてくるから、なるべくとりたくなかったんだけど。しかも今学期から初めて毎日学校へ行くことになったの。月曜から金曜まで。今までは授業のある日とない日っていうのがあったから、どうにか宿題をこなすことが出来たけど。今学期は勉強の仕方を考えないといけない。1つの課題のみに1日を割くことが出来ないから。
今日は三浦綾子の「氷点」を読んだの。っていっても全部じゃなくって上巻のみ。気分的には下巻も読みたかったけど、明日読むものがなくなっちゃうから、今日は上巻だけでやめておいたの。三浦綾子を読むのは何年ぶりだろう?いつだか本棚から三浦綾子の作品だけを取り出したから、そのときに何作品か読み直したと思うけど。でも、エッセイばかりだった気がする。長編を読むのはもしかしたら「塩狩峠」以来かも。そうだったら10年ぶりだ。それにしても三浦綾子の作品はいい。ってムースは三浦綾子が好きだから何を読んでもいいって思うんだけど。そのうちに旭川にある三浦綾子の博物館?へ行こう。旭川の街はあまりよく知らないし、行ったら楽しめると思うから。汽車で行ってもいいし、車で行ってもいいし。北海道へここ8年行ってないから、そろそろ行きたくなっちゃった。札幌も駅が北にずれてからあまり行ってないし。小説の中にも出てたけど、札幌駅前の五番館だって今じゃ西武になってるし。ムースが子供のころ、っていうか高校生のころは五番館はただ五番館だったけど。「氷点」はまだ最後まで読み終わってないから感想は明日かな?ってまともな感想なんて1度も書いたことなかったかもしれないけど。
上巻の最後に洞爺丸台風のことが出てたの。実はこの洞爺丸台風の話を子供のころに聞いてたムースは、青函連絡船が時化の中を航行してるとき、いつも座礁、転覆しないことを願っていたんだ。まさか今日こんなところで自分を脅かしていた事故の話に巡りあうとは思わなかった。洞爺丸台風の話は母からよく聞いてたんだけど、1度港を出た船が戻ろうと思ったけど戻れず、転覆しちゃったって聞いてたの。だから時化のときはいつも船が戻りませんようにって思ってた。時化になるとジュースの缶なんかはスーッと滑って通路に落っこちちゃうの。映画の「タイタニック」の最後の方でテーブルの上にあった皿やナイフやフォークがバラバラと滑り落ちるシーンがあるけど、あんな感じで船が揺れるたびにすべてのものが気持ちいいくらいスーッと滑って落ちていくの。だから手で缶を抑えてなきゃいけないんだけどねぇ。ムースは船酔いしてるからそれどころじゃなかったけど。1番恐かったのは台風が北上している中、乗ったときかな。ムースの乗った次の便からは欠航になったけど。あのときはまだ小学生で、洞爺丸のようにならないで欲しいって思ってたから。洞爺丸と同じ函館発の船だったから。青森に着いたときはホッとしたもん。
三浦綾子の作品を読むといつも思いやりとかやさしさってことを考えちゃうの。実は前にエッセイで思いやりについて書こうと思ったんだけど、ちゃんと考えてなくって今だに書いてないままなんだ。そのうちに、ふと書きたくなることがあると思うから、そのときには思いやりについてのエッセイを書いてみようかな。でも思いやりややさしさって一体なんだろうね。よくその人の立場になって考えて見なさいっていうけど、これも実は紙一重でよくもなるし、悪くもなるから。ムースはいつも悪くしちゃってたけど。よくこの日記に書いてるけど、自分と他人を混同しちゃうの。これってその人の立場でものを見ているようで、いつも自分の視点で、自分のものさしを使って見ちゃうんだよね。さらに悪いことには、自分の考えを押し付けちゃったりすること。何度も何度も「こうやったらうまくいくよ」っていえば、それは考えの押し付け以外の何ものでもないからね。多分、聞いている方は自分を守るのに一生懸命になっちゃうと思う。思いやりってときに何もいわずに黙って見ていることも必要なのかなって思う。自分の意見では反対って思っても、当人がどうしてもやってみたいってことがあったら、好きにすればって突き放していうんじゃなくて、黙って見守ってあげることも必要かなと。もし、無謀だと思われることへの挑戦であったとしても、うまくいけばみんなで喜べばいいし、もし失敗して泣きついてきたとしても、それを受け入れてあげることも大切なことかなと。人は時に冒険をしたくなるからね。手堅いって思われてる人だって、冒険はしていると思う。ただ他の人以上に用意周到なだけで。それが故に手堅いって思われるだけで。だって誰にでも初めてってことはあるんだし、それはすべて冒険だから。人が何かに挑戦をしてるのに対して黙って見守ってあげるのは思いやりでもありやさしさでもあると思うけど、どう考えてもそれはいいことだと思わないってことに対して黙って見てたり、何もいわないのは思いやりでもないし、やさしさではないと思う。何だか矛盾をしたようなことを書いてるかもしれないけど、ムースの頭の中では矛盾ではないんだけど。これっていう具体例が思い浮かべはいいんだけど。
やさしさって何でもハイ、ハイいうのがやさしさのように思う人もいるかもしれないけど、これはその逆で出来ないことは出来ない、ダメなものはダメっていうのもやさしさじゃないのかな。ってこの間、こんなことを書いていた方がいたっけ。ムースもそう思うし、そうしてきてる。今は何でもハイ、ハイっていって甘い顔を見せて、何かあったときには知らんぷりって人が多いけどね。でも、普段甘い顔をしている人の方が受けはいいよね。そうじゃないといつも厳しいことばかりをいっているようだもんね。人はうれしいかったことや楽しかったことはすぐに忘れちゃうけど、イヤな思い出はいつもでも覚えてるからね。厳しいこといわれてイヤだなって思えば、心に残ることはイヤだってことだけ。もし少しでも振り返って、何で厳しいことをいわれたんだろうって考えてみれば見えてくることもあるんだけどね。それが反省でもあり、学習でもあると思うけど。誰だって厳しいことをいわれずに、いつもチヤホヤされたい。でも、いつもチヤホヤされてるだけでは、甘やかされ、骨抜きにされてるだけのような気がするけど。本当の意味でのやさしさや思いやりがわからないかも。そんなことを思っちゃった。
三浦綾子の小説はムースにいつもこういうことを考えさせてくれるから、だから好き。いつも読み終わったあとに思う。自分は一体何をしてきたか。人に優しく出来たのだろうか。思いやりを持って接してきただろうかって。

明日は「氷点」の後編。いよいよ陽子の出生の秘密が明かされる。


2002年09月01日(日)




↑エンピツ投票ボタン
My追加 Mail BackTop