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Mi Pensamiento Diario

1周年

昨日は短い日記で申し訳ございませんでした。いつものように長々と他愛もないことを書き連ねたんだけど、保存する間もなく消えちゃったので短くなっちゃったの。そんな訳で30秒で読める日記を書いちゃいました。昨日はあれからプレゼンテーション用の資料を作ったんだけど、いろいろやっていたら結局今朝7時までかかっちゃった。本当は今日早起きして、朝から別のことをやろうと思ってたんでけど…。プレゼンテーションのことは明日の日記に書くつもりなので「どんな感じだったの?」って思ってくださる方は申し訳ないけど、明日の日記を見てください。

今日は1人でお祝いモードのムースです。なぜって。それはいろいろとあるの。だから今日はプレゼンテーションのことが書けないのかな?まず最初に今日でやっと夏学期が終わりました。本当につらくて苦しくて厳しい学期だった。途中で何度やめたいって思ったことか。その話をする前にちょっとムースの思ってることを。
ムースが「頑張る」って言葉が好きじゃないって最近日記に書くようになったけど、何でそんなことを思ったかっていうと、みんな頑張ってるって知ってるから。頑張って、頑張って、頑張り抜いているんです。それはもちろん自分のできる範囲で。自分に対してついついいい訳をしちゃう人は自分の能力の限界のところまで挑戦してないかもしれないけど、そのときの精神状態においていっぱい、いっぱいのところまでやってると思うの。もちろん精神状態の限界と能力の限界は違うと思うから周りで見てる人は「頑張ってないじゃん」って思ったり、はたまた「頑張り過ぎてるよ」って思ったり。でもそれは周囲の人がそれぞれもっている尺度であって決して自分が持っているものさしの尺度ではないんだよね。誰しもが自分のものさしを持っていると思う。中には目盛の単位がセンチの人もいるだろうし、ミリの人もいるだろうし、メートルの人もいるといると思う。常にミリのものさしで自分や周りの人を測っている人が、メートルのものさしを持っている人に測られて、「あなたがやっていることは私の目盛1つにも満たない。人間であれば最低目盛1つ分だけのことは出来るはずだ」っていわれたらどうだろう?ミリのものさしですべてを測っている人にとってはたった10センチ分の出来事でも100ミリという大きな出来事になるわけだし、それをメートルのものさしを持っている人に上に書いたような言葉を投げかけられたら、傷ついたり、自己嫌悪になったり、自虐的になったり、変な形で自分を守ろうとしたり、そんなことをし始めるんじゃないのかな?話がちょっと抽象的でわかりづらいかもしれないけど。でもこのいい方がちょっとはしっくりくるのかなって思って。人それぞれがものさしを持っているんだし、目盛は人によって違うから「頑張る」っていう尺度が絶対に違うと思うの。Aさんっていう人が自分の尺度の中ではこれ以上測り切れないって思うことをやっていても、Bさんにしたらそれは何もしていないに等しいことだったり。それなのにBさんがAさんに向かって「あなたは全然がんばってない」っていわれたらAさんはどんな思いをするだろう?イヤな思いをするんじゃないかな。仮に「頑張って」って励ましの意味でいっても、その言葉をいわれた人にとったら「目盛がいっぱいでもうこれ以上測れないのに、これ以上何をすればいいの?何をがんばればいいの?」って思ってしまうこともあるんじゃないかな。「頑張って」っていわれることがどんどんその人を追い詰めていくことになるんじゃないかな。だからムースは「頑張って」って言葉が嫌いになったの。って実際ムースは「頑張って」っていわれ続けて自分が破綻してしまったことがあるけど。
この夏学期もムースの中では苦しくて仕方がない学期だった。ムースの中ではいっぱいだった。でも他の人はムースと違って昼間仕事をして、夜、家に帰ってからムースがやる数倍のことをやってたの。もしこういう人に「頑張って」っていわれてたらこの苦しい学期を乗り越えることが出来なかったと思うんだ。だって自分の中ではいっぱいだったんだもん。他の人のやる半分以下の量しか出来なかったけど、ムースの中ではいっぱいだった。幸運にも誰からも頑張ってっていわれなかったから、よかったけど。もし「頑張って」っていわれてたら自分は頑張ってないんだって思って自分をどんどん追い込んでいったと思うから。自分を追い込むと限界ギリギリのところでいろいろなことをやるから自分の持っている能力を高めることも出来るけど、1歩間違えればすべてを投げ出すことになりかねないと思うの。ムースは自分自身の身動きが取れなくなってしまうとすべてを投げ出してしまう傾向があるから。だからいつもちょっとだけゆとりを持ってないとダメなんだ。この夏学期も苦しかったけど毎日こうやって日記を書くくらいの余裕は常に残してた。だってすべてを投げ出してしまうのが恐かったから。逆にどこかにちょっとだけゆとりを持っていたから最後の最後まで喰らいついて離さなかったと思うの。離すことがなかったから質はどうであれ最後までやり遂げることが出来たと思うんだ。これが自分の持っている範囲を広げてると思うの。だから「頑張って」って言葉はムースには必要のない言葉なの。いつも自分の中では一生懸命やっているいるつもりだから。
スミルノフ君とたわむれながら1人で宴会をしてるせいか、ちょっと支離滅裂になってきたから「頑張る」話は終わりにします。

さて、今日は何を書きたいかというと、ムースがこの北の国に来てから今日で丸1年を迎えたってこと。去年の7月31日に都会を捨てて、この北の国にやって来たの。この1年間はありすぎるくらいいろいろなことがあった。1番大きなことはやっぱり破談かな。今まで疲れが一気に出たし、生きている張りを失いそうになったし。最初の数ヶ月はここの生活に慣れることと輪の中に入っていくことで頭がいっぱいだった。ろくにいいたいこともいえない人がどうにか輪の中に入っていこうとするんだから並大抵のことをやってても埒があかない。だからバカもやったし、いろいろなことに耐えたりもした。自分のためが7割で残りの3割は結婚してからのことを考えて。頑張って、頑張って、頑張った。自分の出来る範囲よりちょっとだけ大きな範囲で。でもその頑張りは実ることがなかった。もちろん近い将来に今努力したことが生かされるときがくる思うけど、今回は頑張りが報われなかった。つらかった。苦しかった。すべてを投げ出したかった。それが今年の上半期かな。でも投げ出さなかった。だって頑張ることをやめたから。頑張らない代わりに投げ出すことをやめたの。最後までやり遂げてなんぼのもっていう風に思ったから。

あぁー、ゴメンなさい。日記が途中だけど、この1年を思うといろいろなことがあったし、今日という1日の日記では書ききれないからここで今日の日記をやめます。ちょっと酔ってるのもやめる原因の1つなんだけど。
とにかく今日で北の国在住1年になりました。アパートの契約更新もしたから、このままここに住み続けることも出来るし。明日は今日のプレゼンテーションの話を中心にお送りしたいと思います。支離滅裂な上に中途半端に終わってしまってゴメンなさい。


2002年07月31日(水)



消えた

はぁー、最悪。日記を書き終わってこれからアップしようと思ったらパソコンがフリーズしちゃった。よってさっきまで書いた日記はどこかへ行ってしまいました。がっかり。やっと書き上げたのに…。ムースが日記を書くときって1度ワードパッドに書くの。何でかっていうと、書いてる途中でパソコンの調子が悪くなったとき、すぐに保存できるように。1度保存してから再起動させるの。今日もそうやろうと思ってたんだけど、保存しようとワードパッドに画面を戻す間もなく青い画面。その後はCtrl+Alt+Deleteすらきかないくらいウンともスンともいわない状態。どうしようもなかったので電源ブッチしちゃった。今日もたくさん書いたのになぁ。残念。
もう1度書く時間がないので今日はもうちょっとだけ書いてやめます。だってかなり時間を使ってしまってるんだもん。やることだけはやっておかないといけないから。
実はさっきまで前祝をしてたの。明日で授業も終わりだしって思って。だけど今日中にやらなきゃいけないものの見込みを間違っちゃったので、実は大変な状態だったんだ。でもちょっと酔ってたからプレゼンテーション用の資料を作るだけの思考能力もなかったし。そのことについていろいろと書いてたんだけど、書いてるうちに酔いも覚めてきて、さぁってやろうかなってやる気になったのに。全部消えちゃうんだもん。酔いもいっぺんに覚めたけど、やる気もいっぺんに覚めちゃった。やる気なぁ〜し。
はぁー、ガラスのように透き通った色のウォッカを飲んでサクラ色に染まってた気分はすっかりとにごった汚い色になりました。友引のはずなのに心は仏滅。はぁー。出るのはため息ばかりなり。
それではまた明日。


2002年07月30日(火)



レポート提出

何となく疲れちゃった。今日はこれといって何にもしてないけど、ちょっとだけお疲れです。やっぱり体力がないからなのかな。昨日はちょっと眠かったので12時に寝たの。もちろん仮眠しかとらないつもりだったから、居間で雑魚寝。今朝はその甲斐あってか1度3時に目が覚めたの。でも、自分との戦いに負けました。そのままもう1度寝ちゃって次に起きたら4時だった。昨日の晩もしっかりと4時間も寝てしまいました。今日は宿題1つとレポート2つの提出日だったので、どうにかしなきゃと思ってたんだけど、どうにもならなかったの。気持ちで負けちゃったからお昼前に印刷をしちゃった。そして午後は水曜日提出分の問題をちょこちょとと解きはじめたんだけど、思った以上に面倒だし、難しいし。ってこれは人工知能で出題された問題。経営情報システムの問題は2題しかなく、1題はすでに終わってるの。でも2問目は…。大変です。「この地域に50軒ばかりあるコンビニのシステムを作ることになりました。どんなシステムを構築しますか?そのシステムに使うアプリケーションやコンピュータ、ネットワークなど出来る限り詳細に明記しなさい。」これが問題なんだけど大変です。だってコンビニのシステムなんて知らないもん。教科書には日本のセブンイレブンのシステムがすばらしいって書いてあるけど。いや、本当にすごいんですよ。それをパクらせてもらおうかな。じゃないと明日中に終わらな〜い!
そうそう、今日は人工知能でもレポートを提出のはずだったんだけど、誰も提出してなかったみたい。気合入れてどうにかしたのに…。経営情報システムのレポートは提出したけどね。でもちょっと気が抜けちゃった。といってもまだプレゼンテーションがあるから。そのプレゼンテーションなんだけど、今日は人工知能の授業でも経営情報システムの授業でもあったんだけど、すばらしい人はすばらしい。人工知能の方は適当にやってる人が多くて、1人を除いて、普通かこりゃちょっと…っていうものだったんだけど、経営情報システムの方は昼間働いている人が多いせいか、会社で聞くようなプレゼンテーションだったの。時間をオーバーしそうな人が多かったけど、オーバーするよって警告を受けたあと、うまくまとめちゃうからすごい。ムースがお勤めをしたたころ人前でしゃべる機会はなかったけど、もしあったら今日の授業の中で見たようにやらないとダメなんだろうな。会社で勉強会っていう名目で風力発電と火力発電のしくみを習うチャンスがあったけど、そのときに教えに来てくれてた人はプレゼンテーションをやってた。火力のときは電話がバンバン鳴ってたせいで途中で何度も席をはずさなきゃいけないときがあったの。だからよくわからなかった。風力はしくみは簡単なんだけどよくわからなかった。って両方わからなかったんだけど、きっと基礎知識がなかったからなんだろうね。
今日のプレゼンテーションでも基礎知識が全くないものに関しては聞いててもお経を聞いてるかのようだったんだけど、こういうときに限って先生が「ムース、質問しなさい」って当てるの。マジに困っちゃったから、正直に「何がいいたいかわかりません」っていっちゃった。でも、いったあとに気が重くなった。もうちょっと別のいい方をすればよかったなぁって。こうやって敵を1人ずつ増やしていくんだろうね。はぁ…。
ムースは水曜日に2つ発表するの。1つはソナーで調べた海底の画像をコンピュータを使って人の目で見てわかるように処理するシステムの話。これが前からいってた画像処理の話。そしてもう1つは前からずーっと騒いでいるiモードの話。iモードの話はアメリカでは流行らないだろうっていうのが結論。文献や記事をを読んでいるとiモードはすばらしいとか、こんなに急激に利用者を伸ばしたのはすごいことだとか書いてあるんだけど、ムースの見解は「いやいやそれにはからくりがあって、iモードそのものがすばらしいんじゃなくってドコモのユーザーが携帯を買い換えたらついてきちゃっただけ。だけどみんなが買い換えたのはショートメールより例え250文字しか打てなくてもメールの方がいいから女子高生を中心に買い替えがすすんだ。それが利用者を伸ばしただけ」っていうのを主張しようと思うの。しかも潜在的なドコモユーザーも多かったもんね。ムースの調べによると、3年前の1999年の2月にiモードが登場した時点でドコモユーザーは約2200万人。そして今は3300万人がiモードの利用者。ドコモの利用者じゃないからドコモの利用者はもうちょっと多いかな。確かに3年で1100万人以上もドコモ利用者が増えてるけど、その一部は光通信のようなところが型遅れの機種を無料で配ったからでしょ。あっ、光通信のこと書くの忘れちゃった。だからドコモの利用者が増えただけでiモードがすばらしいからみんながみんなドコモを買ったわけじゃないもんね。今なんて安いからっていってドコモからJフォンに変える人だっているもんね。ってこのことも書くの忘れた。レポートのことはどうでもいいとして、明日、パワーポイントと格闘して、明後日はいよいよ発表です。明日の晩は部屋で練習しなきゃ。元社会人として現役の社会人に負けないよう、そして恥ずかしい思いをしないでいいように、出来る限りいいものを発表したいです。
今日は疲れたのでここまでムースの日記は終了します。そして少し寝ます。


2002年07月29日(月)



竜巻警報発令

時間だけが過ぎていく。まだ何もしてないのに。もうベッドで寝るのはやめて居間で仮眠を取るだけにしようと、昨日の晩、心に決めたけど、気がついてみれば昨日の晩もよく寝た。もちろんいつもよりは睡眠時間が短いけど、仕事をしてたときと同じくらいしっかりと寝ちゃってるから困っちゃう。書けないけど何か書かなきゃいけないと思う。でも書けないものは書けない。何も頭に思い浮かばないんだもん。ただパソコンの場面をボーっと眺めるだけ。つらくて苦しい。でも明日の午後4時には提出しなきゃいけないから。はっきりいってレポート2つ提出はかなりきついです。明日が過ぎればそれでいいかというと、実は水曜日に提出しなきゃいけないものの方が大変で、今晩あたりから手をつけなきゃいけないんだけど、今のこの状況から判断するとかなり厳しい模様。最後の最後でかなり苦しんでる。まぁ、今まで何もしなかったしわ寄せが来てるだけなんだけど。誰を恨むこともなく、誰に文句をいえるわけでもなく、すべては自分だからこれが大変。あの人が悪い、この人が悪いと人のせいに出来ればなんて楽なんだろうと思っちゃう。それに水曜日はプレゼンテーションが2つもあるからそれの原稿も書かなきゃいけないし、パワーポイントで資料を作らなきゃいけないし。やらなきゃいけないことがてんこ盛りだわ。
この夏、初めて北国コンピュータ学院の正規の授業を取ったんだけど、北国コンピュータ学院は甘くないよっていう洗礼を受けたみたい。入学希望者は学費さえ払えるのであれば誰でも入れるんだけどなぁ。入学試験も何もないし。今さらながらに思うけど、恐るべし、北国コンピュータ学院って感じ。じゃ、今まで勉強してことは?って聞かれそうだよね。今まで取ってた授業って実は入学するのに知ってなければいけないことだったの。でもムースの通う北国コンピュータ学院は誰でも入れてくれる代わりにここの学校で必要な基礎知識を勉強しなさいっていうすばらしい制度があるんだ。そんな訳でムースはその基礎知識叩き込み講座を1年ばかり取ってたんだけど、この夏はそろそろ正規の授業を取ろうかなって思って2つも授業を履修したの。しかし読んでおわかりのように、どツボにはまり、日記を書くことだけが唯一の気分転換となっちゃってる状態なのです。ただ来学期はまた基礎知識叩き込み講座に参加するのでちょっとだけ楽が出来そうなんだ。だから時間的にも余裕が出来そうだから作文やレポートの書き方を来学期に習おうと思ってたの。でも、この間の日記にも書いたけど、今何も書けずに苦しんでるので思い立ったらすぐに実行しないとダメだって今身にしみてわかったところ。
今晩こそは仮眠だけにして、やらなきゃいけないことを少しでも多く片付けたいんだけど…。うまくいくのかな。

ところで、今日もいつものように午後から図書館に来て書きものをやろうと思ったの。そうしたらなんと竜巻警報だか雷雨警報が発令されて図書館の地下室に避難するという初めての経験をしちゃった。雷雨といってもただの強い、信じられないくらいたくさん降る通り雨と雷なので洪水以外の被害はないからこれといって困らないんだけど、竜巻はね…。って考えてみたら雷雨もすごいんだよね。近年の東京の夕立ってすごいから慣れちゃったのかも。でも避難をしたってことは、今日は竜巻警報が発令されたんじゃないかな?竜巻はどこへ行ったっていってる人もいたし。ところが、こういう日に限って駐車場に停めてあるムースの車の窓は微妙に開けっ放しなったままだったの。今まではどんなに車内が熱くなろうが窓は閉めていたのに、先週くらいから少し開けたまま車を停めておいたんだ。図書館の駐車場だし、盗む人もいないだろうって思って。そしたら運のいいことに大雨。さっき車をみたら、車内はずぶ濡れでした。しかもミッションのところにある小銭入れのようなところには水がたまり池が出来ちゃいました。さらに今まで調子の悪かった運転席側の窓が大雨のあとついに壊れ、窓が微妙に開いたままウンともスンともいわなくなっちゃった。一応パワーウィンドウなのでドアのところにはノブがついてないの。ってな訳で、木曜日くらいに修理に出しに行きます。またお金のかかる話でイヤだなぁ。今週はアパートの契約も更新しなきゃいけないし。お金が出て行くときって重ねるもんだね。今までは騙し騙し乗ってた車も1度修理を始めたらこれでもかぁーってくらい修理箇所が出てくるし。修理ばかりして、車を買った額より修理代の方が高くなっちゃったりして。だったら最初っから倍の値段の車を買えばよかったって後悔しそう。でも2倍の値段の車は売ってなかったんだよね。最低2.5倍してたような気が…。
はぁー、これを書いているうちにあれよ、あれよと時間が過ぎていた。さぁーって、またレポート書きに戻らなきゃ。ムースが地獄から開放されるのも今日を含めて4日。もうちょっとだ。

とここまで図書館の中で書いた日記だったんだけど、家に帰ってきてからTVを見てビックリ。夜10時のニュースは各局今日の竜巻のことがトップニュースになってるの。被害も出てるし、結構すごかったからかな?ここから南西に15kmくらい離れたところに小さな集落があるんだけど、そこではやっぱり竜巻が発生したみたい。家も潰れてるし、レポーターも現地から中継をしてるから大ヒットしちゃったんだね。でも最大瞬間風速が30m/sだから台風に比べるとそんなに風はすごくないんだよね。ムースがこの北の国に来てから初めての経験だけど、ここに3年いる人にとってもこうやって避難しなきゃいけなかったのは初めてのことだったみたい。なぜかここはうまく竜巻や雷雨が通らないんだけどね。今日は雷雲の中心が思いっきり街のど真ん中を通り抜けてくれたから。嵐のど真ん中にいたみたい。ここを通り過ぎてもうちょっと東へいったら、今度は大きな雹が降ったんだって。
あっ、そういえば去年の夏、ここに来てすぐのときに1度だけ竜巻が発生して街の5キロ北を通り過ぎたことあったわ。そのときは空襲警報じゃないかと思う竜巻警報はならなかったけど、今日は街に空襲警報みたいなサイレンが鳴り響いたもん。北の国の夏も楽じゃないね。


2002年07月28日(日)



やっと半年

昨日は自分が思っていた以上にテンションが高かったのかな。っていうか高すぎだったでしょう。久々にあんなに長い日記を書いてるくらいだから。日記を書いたあとはレポートを書き始めたんだけど夜中1時をまわった頃、集中力が全くなかったから1度仮眠をとってからやり直そうと思ったの。それが…。ベッドで横になったものの全然眠れない。昨日の晩はちょっと蒸し暑かったから、そのせいもあるだろうけど、かなり興奮気味だったのかも。そんな訳で2時半にごそごそと起きだして、ちょっとだけネットの世界に足を踏み入れてたの。どうせすぐに眠くなるだろうからって思ったんだけど、待てど暮らせど眠くならないの。レポートの提出が終わるまではお酒を飲むのをやめようって思ってたけど、早く寝たかったから思わずビールを開けて飲んじゃった。ただ寝れないときは何をしても寝れないもんだよね。ちょっとくらい飲んだからって眠くなる気配は全くなし。結局、朝の6時までメールを書いたり、いろんな人の日記を読んだりしてたの。だから今日はお昼まで起きることはなかったんだ。予定が大幅に狂ってます。1日半遅れてるかな?でも提出期限は変わらないので、睡眠時間を削り、レポートの質を落とすことくらいしか出来なくなっちゃいました。あぁ〜、こりゃこりゃって感じ。
さて、今日はお昼に起きてからちょっとだけ外に出てみたの。何でかっていうと昨日からここ北の国ではお祭り?らしきことをやってるから。昨日の午後からずーっと街の大通りはずーっと封鎖されてるんだ。ムースの家の前が街一番の大通りなので、いつもより人の往来が多く、いつもよりはちょっとにぎやか。今日のお昼は力自慢大会もやってたし、子供のバスケットの試合もやってたんだ。通りに面したお店は外にも商品を陳列してるの。本当、田舎の夏って感じ。
ムースは悠長にお買い物などしてるヒマはないので、さっさと家に戻ってレポートの取りかかるものの、書けないものは書けない。何がいけないんだろうかって今さらながら真剣に悩んじゃう。読んだ文献に何が書いてあるかは大体つかんでるんだけど、それを自分の言葉にすることがうまく出来ないの。昔から書きものは苦手なムースだったので、いつかはどうにかしなければ…って思いつつ、いつの間にか今日という日になっっちゃった。
前々学期は週に2度ほどエッセイと呼ばれるものを書いてたから、そのときにどんなことを書いていたかちょっと見てみようと思ったの。何か参考になることがあるんじゃないかと思って。そこでエッセイの書かれたファイルを開けてみたらビックリ。たった5行程度しか書かれてなかったの。頭の中で?マークが踊りだしちゃった。だっていつもエッセイが書けないって思いながら苦労して書いていたので、さぞかしたくさん書いていたのだろうと思っていたんだもん。それが見ればたったの5行。がっかりしちゃった。今さらながらに思ったけど、やっぱり書くということが出来てなかったのねと。昨日もいったけど、この日記だったらサラサラと書けるんだけどね。どうもレポートと呼ばれるものは書けないらしい。きっと論理的思考が出来ていないか、レポートの書き方そのものがわかっていないか。多分ムースの場合は両方だと思うけど、後者の比重はかなり大きいと思うんだけど。だってエッセイを書いていたとき、先生からのコメントに「1度相談にくるように」って書いてあったの。もちろん、後日、ちゃんと先生の部屋へ行って何でしょうか?と聞いてきたけど。そのときにいわれたのは文章の構成が全く出来ていないということ。書いている話題があっちこっちにいってることなどいろいろといわれちゃった。ムースはエッセイや小論文の書き方なんか知らなかったから思ったままに書いてたの。だから書けるときと書けないときのムラが大きすぎちゃって。そんな訳でそのときに話題の絞り方や、文章の書き方などいろいろ聞いてきたんだけど、今度はそれを気にしすぎて、書けなかったエッセイがさらに書けなくなっていっちゃったの。いやぁ〜、本当に困ったよ。でも、どうにかごまかし、ごまかし書いたら、「大変よくできました」はもらえなかったけど「まあまあよいでしょう」をもらってエッセイ地獄から逃れたの。
エッセイ地獄から逃れたからしばらくは書きものなんてしなくていいと思ってたんだ。そのうちにやらなきゃいけないのはわかってたんだけど、ヒマになったらやろうと思ってたの。そうしたら来学期はちょっとだけ余裕がありそうだから来学期になったら習おうかなぁ〜なんて考えていたら、今思いっきり書きもの地獄にはまっちゃって。やっぱり、思いついたときにすぐにやるようにしないと、いつ何時それが必要になってくるかわからないもんね。反省の毎日です。
さて、レポートが終わったかというとまだ終わってません。でも今日中にどうにかする予定です。じゃないともう1つのレポートの手直しができないし、宿題もできないし、テスト代わりに出題された問題もやることができないから。それにパワーポイントでプレゼンテーションの資料も作らなきゃいけないし。でも、パワーポイントなんて1度も使ったことないんですけど。きゃー、パニックです。憂鬱になってないのが唯一の救い。今もし憂鬱だったらかなりボロボロでしょう。パニックになってるけど、どうにかやり遂げようと前向きに考えてるので。本当、ムースにしてはめずらしいこと。多分、脳の回路の一部がショートしておかしくなってるんだよ。それにしても、この日記はこうやって思ったことを思ったままにパタパタと書けるのに。どうしてレポートはかけないのぉー。って昨日も同じことを叫んでたような気がする。ムースが思うにかなりの語彙不足のせいだと。書くことを練習しないとどうにもならないのね。はぁー、練習しなきゃいけないことが山積みです。
そういえば、あるサイトの方がトナカイの英語講座という役者さん向けの英語講座を書かれているんだけど、これがなかなかいいの。基本的には声に出して覚えるって感じなの。ムースがNHKのラジオを聞き始めたとき、必ずリピートアフターミーのあと声に出して、まねをするようにいってたんだ。そんな感じの勉強法だっただけに、この英語講座には共感をもてるの。だからさっき声を出して何かをいおうと思ったら声が出なかった。しばらくしゃべってないせいで声が出なくなっちゃってるんですけど。これ、マジに困ります。今度から部屋で発声練習しないとダメかもしれない。声って出してないとこんなにも出なくなっちゃうものなの?日常会話する程度の声が出ないってかなりやばいです。っていうか、プレゼンテーションやるから声が必要なんですけど…。
ところで詳細なんですが「ここ」をクリックして御覧下さい。この英語講座の中に「周波数の謎」っていうのがあるんだけど、ムースはこの話のオチが面白いから好きだなぁ。

さて、このムースの部屋も今日でやっと半年になりました。この日記の初日には1月28日のお昼頃に公開したって書いてあるけど、実は27日の午後9時頃にサーバにアップしたの。だから今日で半年。最初は詩とエッセイを中心にしたサイトのしようと思ってたけど、いつの間にか日記系サイトになっちゃった。日記も実は更新履歴の代わりにしようと思ってたの。それが今じゃメインになっちゃったもんね。詩が4つとプロフィールだけで始めたHPが今じゃエッセイを書いたり、日記を書いたり、さらには投稿までするようになったもんね。半年前では考えられなかったことをやってるね。これだけたくさんのものを書くようになったんだから、今度は質を上げていくようにしたいなぁ。全く何も書けない人が思ったことをここまで綴るようになったことはいいことだから。それに本も今までよりは読むようになってるし。これからは文章の質の向上を目指してムースの部屋を続けていこうかな。
HPを公開してから半年しか経ていない初心者のムースですが、文章の質の向上を目指し、日々稽古に精進し、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の精神でこのHPを盛り立てていこうと思っているので、これからもよろしくお願いします。

これって何だか大関とか横綱になるときにいう言葉みたい。ちなみにムースがいくら太った、太ったって騒いでいてもそこまで太ってませんから。


2002年07月27日(土)



留学生って…

昨日の晩、ウィルススキャンの自動アップデートが立ち上がったから、指示通りにやったの。いつもは勝手にアップデートしてくれるのに、今日は自動じゃないんだって思いながら。アップデートっていってもいつもと様子が違うし、月曜日にアップデートしたばかりなのに随分早いアップデートだなって思っていたら、なんと自動で新しいアプリケーションのお試し版を入れちゃってるじゃないの。もうビックリ。そんな変な機能を勝手にインストールされちゃ困るって思って、削除を試みたけど1度全部削除してからじゃないと削除できないとのメッセージ。きゃーって叫びそうだった。だって、インターネットで調べ物をしながら宿題をやってる途中だったんだよ。せっかくヒットした宿題の関連サイトだったのに。即行でコピーして、そのファイルを保存。それからすぐにネットとの接続をやめてスキャンウィルスのアンインストール。それが終わってから何やら訳のわからないアプリケーションのお試し版を削除。それからスキャンウィルスを再インストール。再インストール後すぐにウィルス情報のファイルをインターネットからアップデート。この時間、実に2時間。その間、いつ再起動がかかるかわからないので、大人しく宿題もやらずに通信状況を眺めてたの。おかげですっかりやる気をなくしました。McAfeeのばかー。っていっても今年に入ってから生まれて初めて体験したウィルス攻撃を防御してくれてるのでその辺は感謝してるけど。それにシマンテック社のノートンよりはよいかな?もちろん個人の好みなのでノートンでもスキャンウィルスでもウィルスバスターでもどれでもいいと思うけど。ムースの場合はノートンに苦労させられたことがあるから。それだからあまり好きじゃないの。
さて、今日の午前中まではちょっとだけ余裕があったムース。最近は悪魔からささやかれる前に素直に悪魔に心を売り渡し、寝起きのネット巡回へと出かけたの。いつものことだけど、気がつけば1時間半って時間が経ってた。こりゃ、いけないって思ってあわてて身支度をして図書館へ行ったの。今日中にもう1つのレポートを書いちゃおうって思って。でも、その前に文献の読み込みをしっかりやらないと書けないから文献に目を通してたんだ。昨日、インストール作業をしたことだし、最近デフラグをしてないから、文献を読んでる間にデフラグをやってたんだ。これが今日起こった地獄へ落ちる第1幕だったの。デフラグ自体は思っていた時間よりちょっと多めにかかったけど無事に終了したから、さてスキャンディスクでもするかなって思ったのが大間違いのもと。スキャンデスクが出来なかったの。前もこんなことあったんだよね。あのときは1時間半くらいパソコンと戦って、最後の最後に気がついたけど。今日もきっと同じ原因だろうって思ったんだけど、そうじゃなかったの。早くレポートを書き始めたい気持ちが強かったけど、このままパソコンが変になってるのもイヤだって思って、図書館で1時間半もパソコンと格闘。でも解決しなかった。格闘中にちょっと思っちゃった。こんなことやってる場合じゃないでしょうって。そんな訳で格闘開始から1時間半後にパソコンに白旗をふり、さっさと負けを認め、スキャンディスクが出来ないような危うい状態の中、ワードを開いてパタパタとレポートを書き始める…予定だったんだけど、格闘に夢中になってたら読んだ内容をすっかり忘れちゃった。ってな訳で、今日15ページ書こうと思ったレポートは3行書いておしまいとなってしまいました。がっかり。
だから家に帰ってくる道のりは長いこと、長いこと。今晩はご飯を作るのが面倒だからマックでいいかなって思ったけど、マックの駐車場に入り損ねて、そのまま家に戻ってきちゃった。お腹も空いてたし、ご飯を食べたいって思って、インスタント混ぜご飯?みたいなのを作って食べたんだけど、これが量の多いこと。普段食べる量の倍もあるの。でもなげずに全部食べちゃった。今お腹パンパンです。そんな訳で今は長い長い晩御飯後の休憩中。でも休憩が終わったらレポートを再開しますよ。きっと。今日中に最低10ページが目標だから。っていうかそれだけ書かないと終わらないの。明日は明日でやらなきゃいけないことあるし、昨日やらなかった宿題もあるし。かなりパニックですが、提出日は月曜日なのでその日を過ぎたらきゃーきゃーいうこともなくなるんだ。マラソンでいえば市谷を過ぎて四谷へ行く最後の坂を走ってるって感じなかな。1番苦しいところだもんね。その昔の逆周りをしていた頃でいうと赤坂見附の坂かな。瀬古がスパートをかけてゴメスを引き離した地点。さらに箱根駅伝にも例えちゃうと芦ノ湖のほとり、元箱根を走ってるって感じかな。鳥居はもう過ぎたっけ?って聞いちゃうような地点。今はそんなところ。ちょっとマニアックすぎちゃった。ゴメンなさい。あの箱根駅伝にはムースの母校が毎年出場してるのでついつい見ちゃうの。最近は全然振るわないけど。区間賞を取る選手はいるんだけどね。まぁ、箱根駅伝のことはいいとして、今のムースはこんな感じのところにいるので本当にもうちょっとなの。と同時に一番苦しいとき。コーチ、もう走れません!っていいたくなるとき。でも、コーチが宗像仁(むなかた じん)だったら、弱音なんて吐いてるヒマはないんだろうなぁ。弱音を吐いているヒマがあるんだったら走れ!って叱責されそう。きゃー、恐っ。
そうそう、毎日新聞の記事を見てちょっとビックリ。「ここ」をクリックして記事を参照してください。山口県警萩署が風俗店に留学生のアルバイト禁止を通知したんだって。別に留学生がそういうところでアルバイトをしていても驚きはしないけど、よく考えてみるとちょっとおかしいと思わない?留学生っていうのは勉強をしに来てるのであって働きに来てる訳じゃないよね。留学生が「バイトで毎月の学費と生活費を稼いでいるので辞められない」っていってるけど、お金がないのにどうして留学できるの?欧米と比較するのが必ずしも良い訳ではないけど、ちょっと比較をすると、アメリカやイギリスの大学は同じ州出身の人間もしくは自分の国の人間を優先して、そういう人の学費は安く、その他の州やその他の国の人の学費は2倍もする。なのに日本の大学はといえば、ムースの出た「自分の名前書けます大学」を例にあげると、日本人学生の年間授業料が約85万円なのに対し留学生の授業料は約40万円。大体半分。ムースが在学してた頃も大体半分だったかな。ビルマ人の友人がそういってた。といってもこの比較はかなり変則的だから、必ずしもいいものではないのは知ってます。なぜかっていうとアメリカの例は公立(州立)大学なのに対し日本の例は私立だから。それでも、納得がいかない。せめて同じ金額であってもいいと思う。それに留学生に経済的負担が大きくなるのは当たり前。だって留学してるんですよ。ムースが子供の頃はお大臣か博士のご子息しか出来なかったこと。ムースのような貧乏な家の人は人の何倍も勉強して奨学金でいくとかしか出来なかったこと。そんな中産階級がするようなことをしてるんだから経済的負担は当たり前だと思う。
それと不思議なのはそんなにお金がないのにどうやってビザを取ったの?もちろん見せ金を使うことはわかってるけど、でも見せ金だったら最低1000万円は必要だと思うんだけど。みんながみんなそんな見せ金の残高証明を作れるとは思わないんだけど。もちろん、中には毎月数万円ずつ仕送りしますってことにしてると思うけど、それをするんだったら仕送りする人の給与証明が必要だと思うけど。
って考えると日本って国がいかに学生ビザを簡単に出すかってことだよね。学生ビザで来て働いちゃえばいいんだから。学校へ行かずに卒業証書をもらってしまったムースがいうのもなんだけど、これだと留学生だって学校へ行かずに卒業できるってことでしょう。ってことは日本語で意思疎通が出来ないってことになりかねないよね。それで学士号授与じゃ、学士の価値が下がっていくだけだと思うんだけど。日本から外国へ行って学士号を取ってくるのは日本で学士号を取るよりもずーっと大変じゃない。だって毎日、毎日高校生のように勉強をしなきゃいけないんだから。留学生に対して評価が多少甘いのはどこへ行ってもそうだし、それは仕方がないと思う。ただ留学生は留学先の国の人間以上に勉強をしないと授業についていけないのは当たり前なのに、日本にいる留学生が日本人の大学生並み、もしくはそれ以上にバイトに励んでいたら、何のための留学だかわからなくなると思うんだけど。風俗のようなところで働くのは手っ取り早くお金を得ることができるけど、何か違うよ。汗水たらして働いて、苦労して手に入れたお金を使って海外の学校へ行くからそれだけ真剣になれると思う。
昔、ムースがスペイン語会話教室へ通っていた頃、先生が「ここが変だよ 日本人」か何かで留学に関することをやってたんだっていって授業中に留学のことが話題に上がったことがあったの。その番組の中で風俗で働いてる女の子が何で風俗で働いてるかって質問に「手っ取り早くお金が稼げるし、早くお金を貯めて留学したい」といっていたそうなんだ。先生はとんでもないことだって怒ってたけど、ムースはそれを聞いても別に驚きもしなかったし、そんな子が多いって知ってた。だけど今思うと何か変。風俗で働いてることがどうこうっていうんじゃなくって、手っ取り早くお金を稼げるからってことがしっくりとこない。例えばその貯めたお金を使ってアメリカへ留学したとする。もちろん最初から英語なんて話せないだろうから語学学校へ行くと思う。でもその先は?語学学校なんて1年もいったらお腹一杯になっちゃうと思う。語学学校で学ぶことはしゃべるのに必要な最低限のことだから。よく日常会話が出来ようになりたいっていうけど、日常会話ってどういうこと?この日記だって日常会話の一部だと思うけど、これを別の言語で話そうと思ったらとっても大変だと思う。今、ムースは思ったことを思ったままに書いているけど、これを英語なり、スペイン語なり、別の言語で思ったままにいうなんてちょっとくらい言葉を知ってたからって出来ない。だってそれなりに知識も必要でしょ。政治のことを知らなければ政治のことをしゃべれないし、経済のことを知らなければ経済のことはしゃべれない。アメリカへ行ってニュースを見てたってダウって何?ってことから始まると思うし、共和党や民主党って何ってことになると思う。アメリカ人としゃべろうと思ったとき、手っ取り早い話題って今は株のことだと思うの。エンロンのこともワールドコムのこともそうだし、ダウ平均が下がっていることもそうだし。って今日はちょっと上がったみたいだけど。これらのことが自分達の生活に関わってくるからみんな多かれ少なかれ興味があるのと思うの。これが日常会話でしょ。日々の話でしょ。
そう思うと一般の会社で働いて空き時間で勉強しつつ、チョコチョコとお金を貯めて留学している人の方がいろいろなものを覚えてくるんじゃないかな。だって今の日本人が忘れてしまったハングリーな精神がそこにありそうだもん。今まで苦労してお金を貯めてやっとここまで来たんだから何かしないとっていう気持ちがあるように思う。日本に来てる留学生だってコツコツお金を貯めてやっと来たような人はムースが思うにはハングリーな精神を持っていると思うし、一生懸命勉強してると思うけど。
そういえば、日本人の場合は高校を卒業してそのまま海外へ行く人もいるんだよね。そういう人はどうなんだろう?きっとあの天国のような日本の大学の実体を知らず、高校生のときみたいに勉強させられるから大学ってところはやっぱり学び舎だって思うんだろうなぁ。それはそれでいいことだね。
大学を経営困難から回避させるためにたくさんの留学生を受け入れたこの大学も大学だけど、ビザを無闇やたらに発給した外務省も外務省だと思う。お金がないのに日本へ来れば、生きていくために犯罪に手を染めやすくなるのは目に見えてる。ただでさえ意思がうまく伝わらず、ストレスを溜め込んでいる上に、働き口もなく金銭的に厳しい生活を送っていれば、窃盗などの犯罪に走ってしまうのはムリがないんじゃないのかな。だってそれだけ追い詰められてるんだもん。そのときに外国人の犯罪だからっていって外国人を十把一絡げにして、外国人は悪いといってしまうのは筋違いもいいところでは。これらの犯罪は1人1人の安易な行ないが積み重なって引き起こされてるんだから。
最近、日本からの海外へ留学している人のことを多く書いたじゃない。だから外国へ留学してる日本人がどれだけ苦労してるかってことがわかったような気がするの。そして今日の新聞の記事を見て思ったんだ。それは日本へ来ている留学生の方が勉強してないんじゃないかなって。みんながみんなって訳じゃないと思うけど、そういう印象を受けちゃった。これだと卒業しても日本の企業で働くのは難しいのかな?

きゃー、レポートを書かなきゃいけないのに、こんなにたくさん日記を書いてたよ。気がつけばこんな時間。食後休憩、長すぎ。って書いてる途中でまた隣りのお兄ちゃんに静かにしてっていいにいっちゃった。そしたら今外へ飲みに行っちゃったみたい。たぁ〜くさん、愚痴をこぼしてきてね。その間にムースは必死にレポートを考えてるから。っていうか、ムース強すぎ。イライラしてたからかもしれないけど、昔だったら絶対に文句なんていいに行かなかったのに。たまにイライラするのも実はいいことだったりして。それにしても日記はこんなにたくさん書けるのにどうしてレポートは2時間で3行しか書けないの。ちょっとー、ちゃんと脳会議してよ!
余談だけどムースの通う北国コンピュータ学院は留学生も留学生じゃない人もクラスの中ではみんな同じ扱い。言葉がわかりませんっていうのは理由にならない。でも学費は例にもれず、留学生と留学生以外とでは差があるけど。ここは留学生が地元の人たちの輪に入って行くってことがあまりないから。ってこれは東京も一緒かな。留学生は留学生同士固まって、日本人は日本人同士固まるもんね。でも北国コンピュータ学院はいい方なのかな。留学生比は50%だからこの新聞に出てきた大学と大して変わらないけど。


2002年07月26日(金)



味覚なし

いつもだったら家に帰ってきてから書くこの日記だけど、今日は図書館で書いちゃってる。だって図書館の方が涼しくて快適なんだもん。っていうか、今、全然集中することが出来ないから、気分転換に今日の日記を書いてるの。地獄を見るといったけど、今はまさに地獄です。どうしてこんなに理解が出来ないのーって叫びたいくらい。多分、毎日飲むアルコールがムースの記憶を消毒という名のもとにきれいに消し去ってしまったんでしょう。そのうち、自分のいいたいこともいえなくなっちゃったりして。若年性痴呆症への道を駆け足ですすんでるみたい。
いつものように朝からネットの中を彷徨い歩いていたら、あっという間にお昼。これはいけないって思って身支度をしようかなって思ったんだけど、お腹がすいちゃったからご飯を食べることにしたの。おそばでも茹でようかなって思ったけど、何となくそれだけじゃ物足りないかなって思ったの。それに夏こそカレーだって感じだからカレーライスを食べようと思ったんだ。っていっても1から作るんじゃなくて、レトルトのカレーを食べようと思ったの。それだったらご飯を炊くだけでいいから。ムースの家には炊飯器がないからいつも鍋を使ってご飯を炊くんだけど、これが慣れてしまえば別に苦になることもないんだ。炊飯器を使って炊くのと変わらないし。こんな感じでご飯を炊いて、レトルトのカレーを温めて食べたんだけど、これがびっくり。まったく味がしないの。ってこんな書き方をするとカレーに原因があるように取られちゃうから、もうちょっとちゃんとした書き方をすると、カレーを食べても全然味を感じないの。ついにムースの脳は味もわからなくなるくらい壊れちゃった。あまり脳のせいにばかりすると、脳会議の議題に上がっちゃうから、脳のせいにばかりするのはやめようかな。
実は前から味がわからないってことには気がついていたの。もう彼これ3年くらいになるかな?何を食べても同じ味。でも最近の居酒屋は味の濃いものが多いから微妙に甘い・辛いはわかったかな。でもほとんど同じ味。それを知ってたからしばらく亜鉛を飲んでいたんだけど。いつも飲んでるわけじゃないし、飲んだり、飲まなかったり。ただここ3ヶ月は全く飲まなかったし、飲酒も再開して、しばらく強いお酒を飲んでいたから味がわかんなくなっていってたみたい。最近、味付けが濃いなぁって思ってたけど、薄くしたら味がしないから気にせず濃いままで食べてたのね。でもそれは自分の持ってる味覚をどんどん壊していってたみたい。何だかおかしくなっちゃった。だって何を食べても味がしないってことは、美味しいものも美味しくないものもわからないってことだから。前向きに考えると食べ物のおいしい、いつも混んでいるような居酒屋へ行く必要がなくなるじゃない。いつも空いている食べ物が美味しくない居酒屋でも全く問題がないもん。これはとってもいいこと。だっていつでもすぐに宴会が開始できるし。それに値段の高いところへ行く必要がないから安上がり。それにどうせ味がわからないんだから、今こそ減塩ができる。塩を使わないで料理をするの。これは高すぎる血圧にはもってこい。何て前向きな考え方なんだろうって自分でも感心しちゃう。他のこともこれくらい前向きに考えれられたらいいのにね。
利点はともかく、味覚がないというのはもちろん困る訳で、誰かに美味しいか美味しくないか聞かれても答えることは出来ないし、美味しいものを食べて満足するってことも出来ない。いわば、万年欲求不満になりかねないよね。今まで辛いものや刺激物を多く取ってきたせいでこうなったと思うけど、いざこうなっちゃうと寂しいね。アメリカやイギリスのような適当な味付けの食べ物しかないところではこれといって問題なけど、やっぱり日本食を食べて生まれ育ってきたムースにすると、たまにはおいしい日本料理が食べたいって思うもんね。そのとき、日本食の基本であるあの微妙なだしのきいた味が全くわからないというのは食べた意味がないもん。ただお腹を膨らませただけって感じになっちゃう。これじゃ寂しいなぁ。
前から何を食べても味気ないなぁーって思ってたけど、ついにここまで来たかって感じ。多分、今日の昼間、目隠しをして食べたら何食べてるかわからなかったよ。シチューっていわれればシチューだって思ったかも?あっ、でもそのときは鼻をつまんで食べなきゃ。じゃないと匂いでわかっちゃう。
昔はこんなんじゃなかったのに。もしかしたらアルコールや刺激物の大量摂取と白米をたべなくなっちゃったことが原因なのかな?TVでは白米には亜鉛が多く含まれてるから昔のように3度3度食べるようにした方がいいっていってたけど。ムースは2週間に1度お米を食べればいい方だもんなぁ。これが慢性亜鉛不足に拍車をかけてるのかな。きっと栄養のバランスが悪いのが集中力のない原因の1つになってるのかもね。はぁ〜あ、自分のためにバランスのいい食事を作るのって面倒くさぁ〜い。誰か他に食べる人がいるっていうんだったら作りがいってものもあるけど…。どうにか栄養のバランスをよくして集中力を高めるようにしないと。ただでさえパソコンに向かってる時間が人一倍、っていうか人の数十倍長くって、前頭葉が働いてないんだから。頭をどんどん使って脳にたくさんのしわを作りこんでいかないとね。しわだらけの脳だったらいいけど、水晶のようにつんつるてんじゃ、ただのおバカさんのようだもん。
それにしても集中できない。この日記すら書くのが厳しいなぁ。今日は別のことをやって今日中に書き上げようと思ったレポートは明日にしようかな。何度読んでも文字を追ってるだけで頭に入ってこないから。


2002年07月25日(木)



負けないで

ついに今日で講義も終わり。あとは来週の月曜日にレポートを2つと宿題を提出して、水曜日に2つほどテストを提出して、プレゼンテーションをやってこの夏学期も終了。これからの数日は泣きながらパソコンに向かって書きものをするんだろうなぁ。いろいろと文句をいっていたけど、もうちょっとで終わっちゃう。早かったなぁ。この夏学期は授業の進み方が早くて苦しかったけど、どうにか乗り越えられそう。こうやって少しずつ自分の出来る範囲を広げていくのかな。前学期もそうだったんだけど、あまりにも苦しくて、現実から逃げるようにネットの世界に入ってきて、いつも、いつも現実とネットの狭間でもがき苦しんだけど、時が過ぎ行くのと同時にすべてが終わっちゃったもんね。数値解析なんてかなり成績が悪かったけど、それでも最後まで投げ出さずにやり続けたもん。きっとやり続けたってことに意義があるんだろなぁ。
そういえば、ムースが一昨年の冬に減量を開始したとき、最初の1ヶ月はつらくて、つらくて仕方がなかったの。でも、昨日はこれだけ走れたんだから、今日だって同じ距離は走れるはずだって思って、どんなにつらくても前の日と同じだけの距離を走っていたら、2ヶ月目くらいから体重が落ち始めて、3ヶ月で5kg、5ヶ月で10kg痩せたもんね。それだけ一生懸命体を動かしてたから、ホッケーをやってても楽だったし。っていうか20代前半の頃のように動けちゃったから自分でも驚いたし、周りからも評価もよかったし。減量を始めたとき、これは自分との戦いなんだっていい聞かせて自分に甘えたり、自分に言い訳しないようにしてた。そのせいか、去年の今頃のムースはかなり勢いがあったみたい。まぁ、それだけテンションを上げていなかったらやり遂げることも出来なかったかもしれないけど。
ムースが減量をしてるとき、自分自身にいつもいってたのは「やめることはいつでもできるけど、今まで生きてきた中で何1つやり遂げたことないんだから、今何かをやり遂げないと残りの人生ではいつも途中で投げ出すようになるよ」って。だからつらくても走り続けたの。やり続けたの。今までに1度も出来たことがない、走ることが出来なかったのだったらあきらめてたけど、1度でも出来たってことは自分にそれをやるだけの力があるってことだもんね。たまたま調子がよかったのかもしれないけど、出来たことには変わりがないもんね。こうやって目標にしたことが出来てしまったら、次からはもうちょっと上のことをやらざるを得ないのは間違えないと思うの。だって目標ってものは苦しみながらもやり遂げることの出来る1つ上のレベルに設定されちゃうじゃない。だから次の学期からはこの夏苦しんだ1つ上のことをやらされちゃう。
考えてみると減量大作戦で自分が作った目標をクリアした、やり遂げたってことが今ムースが途中で投げ出さなくなった理由の1つなのかも。っていっても、いつもギリギリのところでやってるから、天才になるのも、バカになるのも紙一重なのかな。出来れば賢くなる方に転びたいけど、こればかりはムースにもわからないなぁ。だって周りのいろいろな人に支えられたり、足を引っ張られたりして生きてる訳だから。
去年の今頃はよく「頑張ってるね」っていわれたけど、正直なこといって頑張ってるわけじゃないんだよね。ちなみに今年の2月くらいまでは「頑張る」って言葉に今ほど拒絶反応を示さなかったもので結構使ってたの。今はかなり拒絶反応を示すけど。ムースは頑張っていたんじゃなくて、いい年をして子供のままでいたっていうのが1つかな。夢を追いかけてたから。もう1つは、上にも書いたけど、もう自分にいい訳をするのはそろそろやめないといけないって思ったから。今までだったらいろいろと考えて、あぁ〜なったらこれが出来ないとか、こうなったらあれができないといって、何もせずに自分に対するいい訳を一生懸命してたの。それを少しでも改善しようと思って、自分にいい訳をする前にまずはやってみようって。やってみて出来なかったらそのときに考えようって。そっちの方が無責任だよ、途中で投げ出しやすいよっていわれちゃうかもしれないけど、でもやりもせずにあぁーだ、こぅーだっていってても何1つ解決しないもんね。やってみたら初めて見えてくるものだってあるだろうしね。それと前にも書いたけど、今になって昔何もしなかったツケを払ってるのかもしれない。受験勉強だってみんなが一生懸命やるときに何もせず、自分の名前が書ければ入れてくれる大学を一生懸命探してそこに入ったし、学校へ行っててもつまんないっていって何もせずに家でボーっとしてたし。いつも、いつも楽な方へ逃げていってたから、もうやめようって思って。だから今もう1度学校へ行って昔出来なかったことをやり直してるの。下戸でコンパにも行ったことがなかったから、今っていうか前々学期は飲み会に毎週参加してたし、バカもたくさんやったし。何も勉強しなかったから今はちょっとでも勉強をしようとしてるし。成績は昔同様とっても悪いけど、でも授業にちゃんと出て、宿題も一応提出してるから前に比べたら1段だけ階段を上ったかな。成績がよくなったらきっとそれが2段目とか3段目なんだろうね。

あぁ〜、昨日ボサノバ風にするっていいながら何も出来なかったから、今日こそはボサノバ風にしたかったのに…。これじゃ、ボサノバじゃなくって葬送行進曲だよね。ショパンもビックリ。ボサノバはムリとしてもせめてサルサ風に明るく踊りだしちゃいそうな日記を目指しているのに。でも、今日の日記ってよくいえばZARDの「負けないで」って感じ?♪負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて どんなに 離れてても 心は そばにいるわ 追いかけて 遥かな夢を〜って。
さぁ、そろそろ寝ようかな。明日は目が覚めたら地獄の1丁目にいることだろうから。誰かムースにも♪負けないで もう少し 最後まで レポート書いてって歌ってくれないかなぁ。そうしたら、頑張ることは絶対にしないけど、やれるところまでやってみるのに。


2002年07月24日(水)



ボサノバ風のはずが…

昨日の晩は涼しかったから今朝の目覚めはよかったんだ。なぜだか7時半という早い時間に目が覚めちゃった。最近、ムースが朝起きて1番最初にやることは、前の晩に片付けなかった食器を洗うことなの。ここのところものぐさだから、前の晩は水につけておくだけで、食器は朝洗うということをしてるの。全くしょうがないよね。でも、今晩はちゃんと洗ったから、明日の朝に起きたとき1番最初にやることは食器を洗うことじゃないけど。8時には食器も洗い終わって、コーヒーも入れ終えてたの。いつも朝はボーっとしたままネットを彷徨ってることが多いんだ。今朝も例にもれず朝からネットの中を彷徨ってたんだけど、気がつけば10時半を回ってたの。朝から2時間半もネットの世界に足を踏み入れたままなんて…。今日は画像処理の文献探しに行かなきゃいけなかったからそんなことしてる場合じゃないかったのに。あわてて支度を始めちゃった。ムースの場合、いろいろと時間がかかるので、結局家を出たのは11時40分だったけど、まぁ、お昼には図書館にいたからいいかな。
ところで、今朝ネットを彷徨ってたときにある日記を過去のものからずーっと読んでたんだけど、不平、不満、愚痴ばかりを書いてある日記を読んでいても気持ちいいもんじゃないね。そう思いながら、次から次へと読んでいたムースもムースだと思うけど。この間、つらくなったときに「不平、不満、愚痴だって書きたぁ〜い」って書いたけど、そんなのは書く必要ないかなって思っちゃった。もちろん、毎日、毎日、楽しい日記を書いている人がたまに「今日はムッとすることがあったの」って書くぐらいだったら、そんなことだってあるよねって思えるけど、あまりにも毎日続いちゃうとね。ここのところちょっとイライラしてたし…。ちょっと反省しちゃった。ただその日記は言葉がかなりきつくって、「逝ってよし」とか「○○殺す」とかそういうことをたくさん書いていたの。だから途中から読んでいて恐くなってきちゃった。同じ不平、不満でもムースの方がまだマシかもって。と、ちょっといい訳をしながら自己弁護しちゃおうかな。
せっかく読みに来てくれてる人がいるのにあれじゃ…って。読んでくれる人の気分を害するようなことは書かないように気をつけないといけないなぁって思ったんだ。気分を害するっていっても、ムースの意見を読んだら気分を害したっていうのはムースが意味していることとは違うので。その辺は誤解しないでくださいね。この日記を読んでくれる方、すべての人が思っているようにすることは出来ませんので。こういう変わった考えを持ってる人もいるんだなぁって思って読んでいただければいいなぁって思って書いていますから。
今日はそんな思いを胸に図書館へ行って、文献を探し出してから1度家に戻ってきたの。1時半頃だったかな?ちょっとお腹がすいたし、何か食べようかなって思って。これといって食べたいものもなかったし、冷蔵庫にもあまり食べ物が入ってないし。そこでおそばでも茹でて食べようって思ったの。いつもは1束しか茹でないんだけど、それだと腹8分目でちょっと物足りないのね。って健康を考えたらもっともいい量なんだけど。そんな訳で2束茹でて食べたの。途中でお腹が一杯になって、ちょっと気持ち悪かったです。もったいないお化けが出てきたらイヤなので、なげずに全部食べちゃった。気持ち悪くなったから食後の休憩と自分にいい訳をして、またまたネット。今朝のことが気になってたから、今日こそは小野リサの曲でも聞いてる気分になるようなことを書こうと思って、小野リサ、ボサノバで検索開始。いろんなのが引っかかるんだけど、どこにも歌詞が書いてなかったの。ちょっと残念。というものの、歌詞を見たからって何が書いてあるんだかわからないけど。だってムースはポルトガル語なんてわからないもん。こんなことが書いてあるのかなって想像することは出来るんだけどね。東芝EMIのサイトかな?小野リサの曲がちょっとだけ聞けたんだけど、あのホワホワァ〜ンとした感じはいいね。試聴した曲はスペイン語で聞いたことある曲に似てる気がして1人でドキドキしちゃった。でも知らない曲だったみたい。そんなことしてたらあっという間に4時。1時半から4時までのお昼休み。スペインじゃないのに、シエスタしちゃった。ってシエスタってわかりますよね。スペインやイタリア、中南米の習慣で、長い長いお昼休みです。多くの人はお昼ご飯をたくさん食べたあとにグースカピーと1時間から2時間ほどお昼寝するんだけど。ちなみにムースもスペインにいるときはよく昼寝をしてました。お昼からビールを飲んでいたから、いい気分になってることも多くて。その間主婦は何をしてるかというと、この時間に昼メロを見ることが多いかな。スペインの昼メロは3時からだから。
で、ボサノバはどうなったのかというと、この日記を読んでおわかりのように、ボサノバのホワ〜ンとした雰囲気をこの日記に取り入れることが出来ず、いつものように今日の出来事を無機質に時系列で書いております。あぁ〜あ、今日の日記はボサノバ風にしたかったのに。でも、なぜボサノバ風に出来ないかも自己分析マニアのムースが分析いたしました。理由は簡単。ここの街の雰囲気です。小野リサが海を見ながら歌うような雰囲気じゃないんです。どちらかというと、ちーちゃん(松山千春)の歌が思いっきりジャスフィットしそうなところなので。ここで♪大いなぁ〜る愛よ夢よ この空に描きぃ〜 私はたぁ〜だ生きてゆくぅ〜 この広ぉ〜い大地ぃ〜って歌ってると本当に北の大地にいるんだぁって感じになるの。それとか♪果てぇしぃ〜ない大空と 広い大地のその中で〜って歌は本当にムースの生息する北の大地って感じなの。だってここで海を見たいと思っても見れないんだもの。海まで行くにはたくさん時間が必要だから。日差しの強さだけだったら、ブラジルにも負けず劣らずって感じなんだけどなぁ。でも、ボサノバにとうきび畑や牛やサイロは似合わないもんね。白い砂、海のきらめき、波の音。これがムースの持ってるボサノバのイメージだから。
でもあれをスペイン語にしたら雰囲気ががらりと変わってしまいそうなので、スペイン語はダメです。スペイン語だと強い感じを受けちゃうし、どちらかというとゆっくりのリズムより、ちょっと早めにして、踊っちゃおうかなっていう感じの曲の方が似合ってるから。とはいうもののスペイン語のゆっくりしたバラードもなかなかいいんですよ。
それにしても、ボサノバの雰囲気ってどうだしたらいいんだろう?そう思いながらグロリア・エステファンを聞くから頭の中がサルサになっちゃうんだよね。オルケスタ・デ・ラ・ルスじゃないだけいいけど。ただグロリア・エステファンの曲を聞くと踊らなきゃいけないんじゃないかって思っちゃうんだもん。そりゃ、中南米のラテン系と呼ばれる人だったら自然に体がリズムとってパナマ帽クルクルと指で回しちゃうかもしれないけど…。えっ、どっかで聞いたことあります?ってそれは♪テーブル届いた 果実酒は 見知らぬ人から メッセージ 背中越しとまどうわ 強い視線に〜って続く歌ではないでしょうか。こんな歌を知ってること自体、ムースってかなり昔の人だよね。

あぁ〜あ、ボサノバ風のはずが…。


2002年07月23日(火)



ちょっとだけ快適

昨日の晩、この日記をアップしたあと隣りの部屋からムースをイライラさせる低音騒音があったの。ここ数日、あまりにもイライラしてたから、ついに隣りの部屋に行ってボリュームを下げてもらうようにいって来たの。そうしたら、その瞬間からシーンとなったんだ。あまりのうれしさに思わず1人で祝杯をあげちゃいました。半年も我慢せずに早くいうべきだったって。っていうか前はそんなに気にならなかったんだけど、いつの頃からか突然うるさくなったんだ。それから我慢をしてたのかな?でも、夜は結構静かだったし、気になるときが少なかったから黙ってたんだけどね。そんな訳で今日は朝からちょっとだけご機嫌だったの。っていっても学校のことを考えると地獄だったんだけど。ただ今日はそんなに暑くならなかったから図書館へ行かずに家でレポートを書いちゃった。今日の最高気温は24℃だったみたい。そして今晩は11℃まで下がるんだって。一昨日の晩は夜にもかかわらず39℃もあったのに、一気に28℃も下がっちゃうのね。ってここでは30℃くらいの気温の変化は当たり前のように起こるけど。それにしても快適です。11℃なんてこといわずに氷点下まで下がっちゃえばいいのに。今の気温が17℃らしいし、半袖でちょうどいいね。東京にいたときは17℃なんていってたら長袖を着てたんだけど、ここに来てからは寒さに慣れちゃったから。15℃くらいまでだったら半袖1枚で過ごしていそう。っていうか12℃しかない日でもムースって半袖1枚で過ごしていたんだ。もちろん、その分脂肪はたぁ〜っぷりとつけてますけど。こんなこといってる場合じゃないんだ。減量しなきゃ。
今日はこれといって書くことがないんです。隣りの家が静かになったという喜ばしい出来事以外は。と思っていたけど、1つだけいいたいことがあったんだ。それは住民基本台帳ネットワークシステム、略して住基ネットのことについて。このシステムがいいか悪いかは別として、ムースが何で…って思ったのは福島県の矢祭町が住基ネット不参加表明を今したこと。住基ネットに不参加だっていう自治体があってもムースは別に驚きもしないし、逆に自治体が自分達の方針を打ち出して、それにしたがってやっていくことはいいと思うので、ムースとしてはとってもうれしい出来事なんです。ムースは地方自治体がもうちょっと力を持って、自分達の地域は自分達でどうにかしていこうってなるのが好きなんです。何でかっていうとヨーロッパってそんな感じですよね。アメリカの連邦制もそんな感じかな。中央集権じゃないのが好きなんです。もちろん、国として中央は中央でやることがあると思うけど、その地方、地方に色があって、伝統や習慣が守られていくっていいことだなぁって思うの。時代遅れに聞こえるかもしれないけど、文化を存続させるためにはそんなやり方もいいのかなって。例えが変かもしれないけど、アメリカでの野球やバスケット、アメリカンフットボール、ヨーロッパでのサッカーって多くの人は地元のチームを応援するよね。それがまるで自分の生まれ育ったところの誇りのように。ムースが思うにはこういう精神があるからスポーツが地元に根付くんじゃないのかなって。自分の生まれ育ったところが好きであれば地元に残ろうと思うだろうし、自分の生まれ育ったところを誇りに思うだろうし。もしかしたら、これはムースが東京というところで生まれ育ったから夢物語みたいなことをいってるのかもしれないけど…。
江戸時代に地方が力をつけると困るから参勤交代という制度を作って地方の力を弱めたけど、今の世の中ではそれはいらないんじゃないのかなって思う。いつまでも江戸時代の制度にすがって、江戸一極集中をやめたほうがいいんじゃないのかな。
また、話がそれちゃった。ムースはこのように地方が力をつけ、自分の意見を持つのには大賛成で、国からのいかなる圧力にも屈することのないようにしてもらいたんだけど、この矢祭町のやったことは裏切りみたいに見えちゃうの。もし、この住基ネットのことが決まったときに、我が街は参加しませんっていうのならいいと思う。しかし、今回の不参加表明は「今日、テストをしますよ」っていったら、「突然、そんなのやりたくない」っていってるのと同じでしょ。例えが悪いかもしれないけど、結婚するっていうとき、前の日まで「明日教会でね」っていってた婚約者が、当日に突然結婚やめたっていって教会に現れなかったらどう思います?厳粛にその気持ちを受け入れますっていって決して自分が傷つくこともなく、一生愚痴をこぼすこともなく、その状況を黙って受け入れますか?裏切られたって思うか、どうして今頃になって思うのが多いんじゃないのかな。矢祭町のやったことはこれと一緒だと思う。結婚やぁ〜めたっていう話があまりにも身近な話題だったので、結婚話に例えて、ちょっと熱くなっちゃったけど、似たような話はたくさんあると思う。
こうやって突然手のひらを返すようなことをやるのはよくない。中央のプライドを傷つけるだけで、いい結果はあまり期待できそうにないから。こういうことをやられると、中央は無意味に圧力をかけると思う。それも全地方自治体に対して。我が力を思い知ったかといわんばかりに。こういうことがイヤだからもうちょっと頭をつかって欲しかったんだけど。8月5日から正式稼動みたいだけど、9月になったらやっぱり参加しますといわないように望んでます。
ちなみにムースの名前は今現在、どこの街の住民票に存在しないので、住基ネットがいいとか悪いとかいえないんです。といっても11けたの番号はあると思うけど。だってムースの履歴が残ってるもん。そういえば、これって年金を1本化するときに何やら変な番号を送ってきたのと同じことでしょ?ムースは国民年金にも厚生年金にも加入してたときがあったから2つも年金番号をもらっちゃったけど。その番号じゃないと思うけど、コンセプトは同じだよね。
この間、すべてがネットワークでつながれて番号1つで個人の情報すべてが管理されたら恐いよねって書いたけど、そのうち番号1つで病歴から犯罪歴、学歴や学校の成績まで国に管理される日が来るんだろうね。アメリカは社会保障番号ってもので個人を管理するけど、日本も戸籍制度という立派な制度があるのに、個人に番号をふって管理していくんだね。ちなみにアメリカでは社会保障番号を免許証の番号にしている人も多く、免許証の番号から個人を割り出すとことは簡単です。日本も免許証の番号で個人情報が引き出せるようになるんだね。ムースの願いは、くれぐれも個人情報を漏らさないようにしてくださいってこと。今はどこの国でも道徳観や倫理観が欠如してるみたいだから。ワールドコムの粉飾決済ならびに倒産という一連の事件を見れば、どこの国でも道徳観や倫理観が薄れているのはわかってもらえると思います。
はぁー、書くことがないといった割には、ここまでよく引っ張ったなぁ。気持ちいい夜なのでそろそろ寝ようかな。隣りから低音騒音もないし。


2002年07月22日(月)



思い出は美しく

今朝はなぜだかお隣りも静かで。って思ってたら、いなかったみたい。道理で…って思っちゃった。今日はお昼に宿題をやって、それから図書館へ行ってたんだけど、図書館から戻ってきてみれば、案の定、低音公害が始まってました。やっぱりダメなものはダメか。昨日気休めにと思って貼った壁のシーツだけど、夜中にはがれていたからもう貼るのをやめてしまっちゃった。多分、今は神経がとがっているから普段以上に気になっちゃうのかな。いつもだったら全然気にならない音までうるさいって思うんだから。
宿題をやっていたせいで図書館へ行くのが遅くなっちゃったんだけど、夕方から図書館へ行ったの。レポートをやるために。でも終わりませんでした。あと6ページは書かなきゃダメなんだけど、もう何を書いていいかわからない。っていうか、今日だって何を書いたというわけではなく、参照って形でいろいろな文献をコピーしまくってただけ。この日記の方がよっぽどしっかりしてる。参照部分はリンクを辿って参照できるようになってるし。はぁー、レポートはなかなか上手くいきません。もう1つの方は全く手をつけてないから、今週は地獄を見ること間違えなし。あと10日だっていうのに…。苦しいです。

さて、ここ最近は、教育ネタ、留学ネタをこの日記に書くことが多いんですが、今日も留学ネタに関して。今朝、静かなお部屋の中でボーっとしたままちょっとだけネットを彷徨っていたの。そして1つわかったことが。っていわれれば当たり前の話なんだけど。とあるサイトにたどり着いたんだけど、そこに書いてあったことがちょっと心に残ったから。何となく気がすすまなかったからリンクするのはやめようかなって思ったけど、引用したいからリンクします。出典をしっかりしておかないで、無断転載してるっていわれたら困るから。詳細は「ここ」からどうぞ。
そのサイトを作ってらっしゃる方はアメリカのミネソタ州に留学されてた方だったの。そこでの出来事だったんだけど、クラスの中である白人の人に無視をされていたそうなんだ。ミネソタのような中西部は白人が多く、とても保守的なところだから白人優位主義があったってちっともおかしくないところ。ミネソタはドイツ系が多いのかな?ムースの知ってるアメリカ人で、ミネソタの出身がいるんだけど、その人は生まれてから黒人と話したことがないっていってるくらいだから。本当に白人ばかりなんです。多分、その人が初めて話した外国人はムースだったかもしれない。そんな人もいるようなところなんです。もちろん、ミネソタでもミネアポリスのような大都会は違うんでしょうけど。
さて、話をその人に戻すと、無視しあっていても何の解決にもならないからって先生に相談したみたいなの。そうしたら先生は話し合いの場を持つことを約束してくれたようなの。ただそのとき、先生から正直な気持ちを聞いたそうなんだけど、それは「この国では白人は、白人でない人々に注意を払う必要は無いと思っています。白人は特権を与えられていますが、その事に気づいていないのです」と。いやぁ〜、先生もすごく正直。アメリカってところは本当にそうでしょう。ただ、このあとにこの方が注意を払う必要はないと思ってるってことを書いてくれてたんだ。「パーティー会場で、同じテーブルに一人だけ外国人が混じっている状況を想像してみて下さい。どう考えてもその場にいる日本人にしか分からない話題が出てしまった時、あなたはどうしますか?その話題がその外国人に分かるように、説明しますか?それとも、気を使って話題を変えますか?多分、多くの人は、そのまま話を続けるのではないでしょうか。その外国人が、ひとりで孤独な気持ちを味わっていることさえ気づかずに。「注意を払わない」とは、そういう事」だそうだ。これはズバリでしょう。的を射た例えだよね。日本で日本人がたくさんいる中に1人だけあまり日本語のわからない外国人がいたとき、その人にみんなが話を合わせるかっていったら絶対しないと思う。その人にわかってもらうためにみんなが日本語をきれいにはっきり発音するかといったら誰もしないと思う。地方から東京に出てきた人だって都会で孤立することがあるっていうのに、それが他の国から来たとなると孤立してしまうのは当たり前のように起こってしまうと思う。じゃ、解決策があるかっていうと、ないとしかいえない。慣れるしかないんだと思う。だって誰1人、気を使わないでしょ?ムースだって東京にいるときに外国人の友達がいたけど、そこに日本人がいると疲れるってわかってたから絶対一緒には遊ばなかったし。ムースのような孤独のつらさを知ってる人間でも日本人同士でいるときには外国人に注意を払わなくなっちゃうんです。たまになら注意を払うってことはできますよ。でもいつも、いつもは出来ません。だってその人の通訳じゃないんですから。
じゃ、みんなの注意を引くために自分の話をすればいいかっていうと、これはちょっと違うような気がする。ややもすれば、「ここが変だよ、日本人」に出てくる人たちのようになってしまうから。確かに、相手の国のいいところはたくさんあると思うけど、そればかりをいってしまうと「だったら帰れば」ってことになりかねない。やっぱり郷に入っては郷に従えってことなんでしょうね。
ただ、1対1のときは状況が違うと思うの。前に書いたビルマ(現:ミャンマー)人の友達と話をしてるときや会社の同期の旦那さんと話をしてたときのムースは別人だった。ビルマ人の友達の話は「ここ」からどうぞ。ビルマ人の友達は日本語がかなり上手だったので、日本人相手にしゃべるのと全く同じにしゃべっていたけど、同期の旦那さんと話していたときはゆっくりはっきりしゃべってたし、相手が何をいいたいか最後まで聞くようにしてたし。大勢の中に1人だけポツンといるから孤立するんだよね。それとみんながみんな親切って訳じゃないから。中には外国人のことが好きじゃない人もいるだろうけど、でも多くの人は国籍や肌の色など関係なく接してくれると思う。それに外国のことを知らないとどういう風に接していいかがわからないんだと思うの。ただそれだけのことだと思う。ムースにとって初めての外国人の友達ってそのビルマ人の友達だったんだけど、最初はどう接していいかわからなかったもん。もちろん、時間が経ったら日本人相手に接するのと一緒でいいってわかったけど。所詮、人は人だから。
そこで今日、昔の出来事をちょっと思い出してみたの。スペインにいるときとイギリスにいるとき。スペインにいるときはこの上なく楽しいときを送り、イギリスにいたときはとっても孤独だった。その違いは?スペインにいたときって実はヨーロッパの他の国、オランダやノルウェーやスウェーデンから来た人たちといっつもつるんでいて、スペイン人と話したことなんてほとんどなかったんだよね。だから1年いて、学校では上のクラスにいたにもかかわらず、1歩街に出てしまうと人々のいってることがわからなかったもん。でも留学生同士で遊びまくってたからそれが楽しい思い出だったのかもしれない。しかし、それがイギリスではというと、最初から目的が違っていたのかも。スペインにいるときはスペイン人と友達になろうと強く思っていなかったから、そんなことを気にすることもなく楽しんでたけど、イギリスへ行ったときはイギリス人と友達になりたいって思ってたから。留学生同士仲良くしようって思いはあまりなかったんじゃないかな?といってもなぜかコロンビア人やポーランド人、クロアチア人とは仲良かったけど。これは前にも書いたよね。ムースは人見知りするので自分からはあまり話しかけることがないから、余計孤立してたのかな。って話始めると止まらないんだけどね。考えてみれば、彼女らはムースに話しかけてくれたのかも。ただ、当初の目的であるイギリス人と友達になるってことは出来なかったから悶々とした日々を送っていたんだろうね。
そう思うと、留学をしたらまずは留学生同士たどたどしい言葉で話し始めるのがいいのかも。それが出来るようになってきたら初めて現地の友達なのかな。留学生同士だとお互いに共通の話題を見つけようとするじゃない。多分…。だから仲良くなりやすいのかもね。そこでしっかりと言葉を磨いてから、現地の人の輪の中に入るのがいいんじゃないのかな?いきなり現地の人の中に入るのは無謀っていったら無謀なのかも。だって注意を払う必要ないんだもの。私は注意を払うわって人がいると思うけど、その行為が相手に気を使わせるものだったら意味ないのはわかりますよね。注意を払ってもらっている人の気を重くしてしまうのは、注意を払われていないよりよくないこともあるんです。誰だって自然な形を求めているのですから。

このサイトを見ていて何であまりリンクしたくないかといったら2番目の話がちょっと引っかかったもので。実はこのサイトの管理人さんの気持ちは痛すぎるくらいわかるんです。留学をしてるとき、日本人の最大の敵は日本人、もしくは東洋人だって思ったことが何度もあるムースなものですから。悲しいことなんですけど、ムースが体験したことはこのサイトの管理人さんのいってることに当てはまるんです。ただ書き方がちょっとどぎつかったもので、ムースは引いてしまったんです。それがあまりリンクをしたくなかった理由です。いってることはわかるんですけど…。あまりいいたくなかったものですから。って何度もいってるかな?

留学って本当に華やかなイメージがあるけど、実際には苦しんでいる人もたくさんいるんです。年間何万人の人が海外に留学をしてるんだかわからないけど、もしかしたらムースがスペインにいたときのように楽しかったぁーって思えるような経験をしてるのはほんの一握りなのかなって。楽しい思いをしてた頃は他の人のことなんて気にもとめてなかったたから、どうしてるかなんて知らなかったけど、今こうやってネットで留学経験者のHPを見ると決して華やかなものでなく、つらく苦しい経験をたくさんしてるんだなぁって思ったの。でも、みんな日本に帰って来てからはいい思い出になってるといってるようなので、そこが救いといったら救いなんだけど。思えば、ムースもイギリスのことはつまんなかったとかイヤだったって散々いってたけど、日本に帰って来てからはいい思い出になったもんね。過ぎ行くときが思い出を美化してくれたのかもしれないけど、それでも思い出が美しいってことはいいことだから。思い出はいつでも美しくありたいもんね。今苦しい思いをしていても、いつの日にか笑って話すことが出来るようになる日を夢見て。美しい思い出を…。


2002年07月21日(日)



イライラする

何かとってもイライラする日。隣りの家から聞こえるTVの音がうるさいのはいつものことだけど、それにしてもイライラ。何か変。まぁ、アパートの玄関に入っただけで、2階から何やら音が聞こえてくるなって思えば、それは隣りの部屋のTVの音だったの。でも1階にいても聞こえるくらい大きな音でTVを見てるっていうのもすごいことだよね。多分、毎日そこまで大きな音でTVを見ているんだから絶対に難聴になってると勝手に決め付けるムースです。
うぅ〜ん、でも今日のイライラはすごすぎる。結局何もしないまま1日が過ぎちゃってる。こんなにひどいイライラなんて滅多にないのに。あまりの低音騒音に気が触れてしまったんだろうか?音がやむと安心するんだけど、そのことを考えるとやっぱり低音にイライラさせられてるって感じかな。今日は緊急対策処置として、壁にシーツを貼ったの。何でかっていうと、布って音を吸ってくれるでしょ。音がするときって壁が揺れてるんだけど、そこに布を貼ればその振動をちょっとは吸収してくれるんじゃないかと思って。今のところ効果は全くないけど気休め程度にはなってるからそれでいいかなって思う。
それに今日はとっても暑かったのもイライラする原因の1つかな?だって39℃もあるんだもん。暑いよね。その上、家は窓を開けられないから39℃だっていうのに二重窓は閉めきったまま。これじゃ暑くてたまらないって。さすがに暑いから普段は使うことのない冷房を入れちゃった。でも今1つ効きがよくないっていうか、何というか。ちなみに隣街は43℃でした。地獄です。早く冬になって−15℃の世界にしてください。
このイライラに耐えられず今日はいろんなものを食べまくり。だから今のムースは満腹状態です。太った、太ったといいながら食べ続ける。よくないなぁ。でもイライラはおさまらないから困っちゃう。あぁ〜あ、どうしたんだろう。明日は図書館がやってるから図書館に逃げ込もう。締め切りまであと2日だし。

今日、イライラする前にちょっとネットを見てたんだけど、ふとフジテレビの「アンビリバボー」のHPが見たくなっちゃってボケーっと眺めてたの。その中で1日だけ気になった日があったんだ。98年11月26日に放送されたものなの。1つは今日見てすごいなぁーって思ったんだ。それはどんな話かっていうと「ここ」からどうぞ。第二次大戦後のドイツでチフスと闘い、散った日本人医師のお話。昔の日本にはこういう人も多くいたんだなぁって感心しちゃった。もちろん見る視点によってはいい話に聞こえないかもしれないけど、ムースはいい話だと思ったの。最後の言葉は「桜が見たい」ってことだったそうなんだけど、日本人っていうのは春にはサクラ、秋には紅葉を見たいの思うのかなぁ。ってムースだけかな?こんなことを思うの。
もう1つの話は以前この日記でもチラリと書いたことがある前世療法についてなの。チラリと書いた日記は「ここ」からどうぞ。で、アンボリバボーでの話は「ここ」からどうぞ。前にも書いたけどムースはこの前世療法って本を読んだことがあったからこの話を知ってたんだけど、いつも不思議な話だなぁって思うんだ。でも、基本的に輪廻転生を信じてるので、こんなことがあってもおかしくないのかなとも思うし。それが故に現世ではいくら苦労をしようとも、それは来世で楽をするためだぁって思って泣き言をいいながらも1つ1つ乗り越えていこうと思ってるの。
この中で人の関係っていうものは前世でのことに関係してるっていってるんだけど、ムースを苦しめる隣りのお兄ちゃんは前世では何をしてムースを苦しめたんだろう?でも、こんな人見たこともないし、知りもしないんだけど。っていうか催眠療法でこんな人が出てきたら恐いんだけど。現世におけるただの通りすがりの人にしておいて。ただ1つだけ気になるのは昔々、子供の頃に見た夢の中に外人が出てきたものがあるの。まだ本物の外人なんて見たことない頃。その夢が何となく気になって。もしかしてムースは国際結婚しちゃうのでしょうか?いやぁー、それはないと思うけど、どうして子供の頃の夢に外人が出てきたのだろう。不思議。
そういえば、当たるも八卦、当たらぬも八卦といわれる占いがマイブームだった頃、何人かの占い師さんに見てもらったことがあるの。そのとき、2人の占い師さんは去年か今年結婚するするっていったんだけど、最初に見てもらった占い師さんはそういわなかったの。「結婚は35歳になってからするのがいいみたい」って。当時は今よりもずーっと若く、30代になるまで結婚できないなんてイヤだぁーって思っていたけど、今はそれもいいかもって思っちゃってるの。実はそのとき、「もし今勤めていたところをやめて、もう1度学校に行ったらどうなるの?」って聞いたの。そうしたら、結婚を占ってもらったらあまりいい結果じゃなかったのに、学校へ行き直すことはいい結果が出たの。「損して得をとる」っていってたかな?会社をやめるってことはリスクのある事、損につながることだけど、学校へ行きなおしてから得はとれると。まさか本当に会社を辞めるなんて当時思ってもみなかったからそんなことすっかりと忘れていたんだけど、今思い出してみると点が線でつながってるような…。で、その占い師さんが最後にポロっといったのは「結婚は35歳になってからするのがいいみたい」ってことなの。本当にポロっといったって感じなんだ。もしかしたら、ムースが35歳になったら目の青い外人さんと結婚!?な〜んてバカなことをちょっとだけ考えちゃったりもしたんだけど。今年結婚するっていった占い師さんも別にはずれたって訳じゃないんだけどね。でも結婚しなかったんだからやっぱりはずれ?
ちょっと話がそれちゃったけど、もしかしたらこれも実は生まれた頃から小指と小指が赤い糸で結ばれていて、それを手繰って今ここにいたりして。実は生まれる前からこうなることが決まっていて、その過程にスペインでの出来事があったのかなって運命感じちゃったり。でもね、もしスペインへ行ってなかったら今この北の大地にいるとは思わないから。

あまりにもイライラしてたから髪を染め直したんだけど、またまたきれいな金髪に変身。本当は髪が痛むんだけどねぇ。それにしても隣のお兄ちゃんって何してる人なんだろう?学生でもないし、飲み屋で働いてる訳でもなく、でも毎晩のように飲みに行って。もしかしてボンなのかな?だから働かなくてもいいとか。


2002年07月20日(土)



O−157の牛ひき肉

うぅ〜ん、疲れた。きっと使わない頭を急に使い始めちゃったから疲れたんだと思う。昨日の晩は眠くて眠くて仕方がなかったの。でも9時前にベッドへ行って寝てしまうと、真夜中に起きそうなイヤな予感がしたので気合で10時まで起きちゃった。っていうか、木曜の夜はERなので10時までどうにか起きていられたっていうのが正直なところかな。でも今朝は3時に1度目が覚めたの。だって道路を掃除する車の音がすっごいうるさいんだもん。うるさぁ〜いって思ったけど、どうにかウトウトとすることが出来たの。でも4時になったらあまりの暑さで起きちゃった。だからビールを飲みながらちょこっとだけネット。そうしたら何と隣りのうるさい兄ちゃんがまたまた大きな音でTVを見てたの。朝の4時ですよ。ムースがもう1度寝ようと思ったのが5時だったんだけど、隣りの家からのうるさい音は壁を抜け、リビングルームを抜け、寝室までよ〜く聞こえてきました。いつも思うんだけど、ここまで大きな音でTVを見てるってことはもしかしたら難聴なのかなって思っちゃった。だって耳が遠くなるとどうしてもTVの音を大きくするでしょ。それと一緒じゃないかなって。隣りのお兄ちゃんは結構若いんだけどね。まぁ、ここら辺の人は声も大きいから自然と耳も遠くなっちゃうのかなって偏見の目で見たりして。でも、本当にみんな信じられないくらい声が大きいんですよ。そこまで大きな声でしゃべらなくたって聞こえるよっていいたくなっちゃうくらい。周りに何もないから普段から大きな声になっちゃうのはわかるけど…。ちなみにムースの住んでるところでは地平線は当たり前のように見えます。東京で地平線を見ることなんてなかったけど、ここでは地平線しか見えません。だって北の大地に住んでるんですもの。
さて、あまりにも慣れないことをしたせいで疲れきったムースは10時ちょっと過ぎまで起きることが出来なかったの。本当にビックリだった。もうちょっと寝ようかなって思えば、あと3時間は寝れたって感じ。でも、お尻に火がついてるムースなので気合で起きて、身支度をして図書館へ行きましたよ。10時過ぎに起きたのに家を出たのが11時45分っていうのがちょっと信じられないけど。何をしてたのかなって思うけど、何もしてないの。パソコンに電源を入れるわけでもなく、ボーっとしたまま身支度を整えてたら11時半を回っていただけの話。別にムースが低血圧だからってことはありません。低血圧どころか高血圧なんです。検査に引っかかったことは2度ほど。下がとっても高いんです。しかも初めて再検査要になったのが20歳のときだから笑っちゃうんだけど。あの頃は1滴もお酒が飲めなかったので原因はお酒じゃないみたい。冬になれば運動もするから運動不足っていうのも考えにくいし。一体何だったんでしょうね。
図書館に着いてからすぐに本を読みながら何かを書こうと思ったんだけど、どうしても言葉が出てこない。実は何を書いていいかも上手く頭の中でまとまってないので、まずはそこの整理から始めたの。でもこういうのって難しいよね。思いついたものを思いついたまま書くクセがついているから、何も思いつかないときは全く書けない。今もそんな感じ。ってこの日記じゃなくてレポートね。わかんなぁ〜いっていって投げ出したい気持ちもあるんだけど、そうもいってられないから裏紙にいろんなことをメモとして残したの。その中から何か1つでもきっかけが出来ればって思ったけど…。
午後3時に挫折しました。だからその後は家事に従事。洗濯したり、髪を切りに行ったり、ご飯を作ったり。この状況、かなりヤバイのですが、突然のひらめきがあることを夢見て今日も終了してしまいました。だってひらめいた時は自分でも信じられないくらいいろいろなことが頭に浮かんできて、書きたいものが書けるんだもん。でも月曜日までにあと15ページも書かなきゃいけないんだけど出来るのって自分で自分を疑っちゃうムースでした。

こんなムースの愚痴はいいとして、今日のニュースを見て身の危険を感じちゃったの。それはアメリカで牛ひき肉の回収があったから。何で回収されたかというとO-157に感染した牛肉だったからなの。英語なんですけど詳細は「ここ」からどうぞ。アメリカは狂牛病も発生してないし、食べ物に関しては安全な国の1つっていわれてるみたいだけど、ムースは信じません。ムースは日曜日の真夜中にTBSやってるCBSドキュメントが好きでよく見てたんだけど、その中でアメリカでもクロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeld-Jakob Disease略してCJD)になって死んでしまったっていう女の子が紹介されてたもん。CJDについては、「ここ」を参照してください。もちろん彼女はCJDと診断されてないけど。CJDといえば、去年日本中を湧かせた狂牛病(Bovine Spongiform Encephalopathies略してBSE)に関連があるといわれてるのはご存知ですよね。もし知らな〜いというのであれば、「ここ」をちょっと参照してください。アメリカという世界最大の農業国で牛に何の問題も起きてないっていうのが不思議でしょうがないの。離れ小島の日本でさえBSEに感染した牛がいるっていうのに、アメリカではまだ1頭もいないっていうのはちょっと納得いかない。今日のニュースを見てもらえばわかるんだけど、大体O-157E.Coli)に感染した牛肉を4月12日から7月11日まで極々普通に販売されていた国ですよ。O-157については「ここ」を参照してください。日本でだってO-157に感染した食べ物はそんなに長い間売ってないと思いますよ。
いつだっかか某ニュース番組で所沢の貝割れ大根がO-157に感染してるっていって大騒ぎになったけど、O-157に感染した食べ物って本当に危険でしょ。そんな食べ物を平気で売ってる国でBSEが発生してないっておかしい。日本で狂牛病騒ぎがあったとき、焼肉屋さんの中にはオーストラリア産やアメリカ産の牛肉に変えたところもあるみたいだけど、ムースはこれを聞いたときに危険度が増したって思っちゃった。じゃ、牛肉は食べちゃいけないかっていうとそうでもなくて、ちゃんと調理すれば平気なのでムースはO-157の危険に晒された牛肉でも平気で食べてます。っていうか、知らなかったので食べてました。ただし、そんな牛肉を食べるか食べないかは賭けなので。「俺たちは天使だ」の歌じゃないけど、♪運が悪けりゃ死ぬだけさ 死ぬだ〜け〜さぁ〜って感じです。だってO-157を恐れるばかりにこれもダメ、あれもダメってやってると食べるものがなくなっちゃうんだもん。野菜も魚も肉もダメっていったら何を食べればいいの?白米だけ?白米食べないムースはきっとパンだけ食べてればいいってことになるんだろうなぁ。夏はどうしても食べ物が傷みやすいし、なるべく火を通してから食べないとダメでしょ。半生が一番危険なんだよね。でもステーキとかって半生が一番美味しいから半生で食べたいんだけどね。
これから夏。食べ物がもっとも傷みやすいときだから、調理するときは火をしっかり通して、調理しないとね。そうじゃないといつO-157にかかるかわからない世の中だから。もし、ハムのような加工食品がO-157に感染してたら、それは運が悪かったと思って、食品会社に文句をいってください。っていっても今の日本の食品会社はちょっと信用度が欠けてるもんね。一連の雪印事件がね…。ただ、上にも書いたけど、何でもかんでも疑っちゃうと何にも食べられなくなっちゃうから、ある程度信用するか、賭けに出るしかないだろうね。

これから夏休みでアメリカへ行く人も多いだろうけど、ハンバーガーを食べる時は注意をしてくださいね。


2002年07月19日(金)



きらきらひかる

昨日の晩、乱れた生活を反省しようと思ってたけど、反省する間もなくいつの間にやら就寝。あららって感じ。でも、今朝はちゃんと8時に起床。ただしそのあとはよくなかったけど。だってダラダラとしているうちに気がつけば11時。一体何をしてたんだろうって思う。といいたいところなんだけど、実は何をしてたか知ってるの。ボーっとしたままTVを見て、それからちょっとだけって思ってネットの中を彷徨ってたらいつの間にか11時だったの。これはいけないって思ってあわてて身支度をして、快適な場所、図書館へ行ったの。
今日こそは…といい続けて早1ヶ月、本当に今日こそは勉強としようと思ったけれど、気がついたら居眠りしちゃってた。だって心地いいんだもん。これじゃ、いけないって思って机に向かうもボーっとしたままなのは変わらなかったから、今日持参してた江國香織の「きらきらひかる」を読んだの。これが運命のわかれ道。気がつけば「きらきらひかる」を読むことに没頭してた。その上、時間の経つのも忘れ、最後まで読んじゃった。そんな訳で「きらきらひかる」読了。2時間半ほど江國ワールドに浸ってました。以前に読んだ「東京タワー」もそうだったんだけど、江國香織の描く世界はきれいだね。この本を買うとき、内容が内容なだけにエグかったらどうしようって思って買ったの。何せ江國香織を読むのが初めてだったし、どんな感じの本を書いているか全く知らなかったから。でも今思えば、読んでよかったと思う。この本は情景描写よりも心理描写が多かったと思うのはムースだけだろうか?あの間は何ともいいがたい間だった。まさに行間にいろいろなことが書いてあるって思えるような本だったんだけど、褒めすぎかな?これを読んでいたとき、急に気持ちが一杯になってきちゃって泣きそうになったからそう思うのかな?っていっても図書館にいたんで泣きませんでしたよ。本を読みながら図書館で1人泣いているなんてこっぱずかしいので。家で読んでたらつーっと頬に涙が流れてたかもしれないんだけど。
何でそんなに気持ちが一杯になったのかなって思ったけど、多分、主人公の笑子の気持ちがかなり伝わって来ちゃったからなのかなと思う。日々お酒に溺れ、自分で自分がコントロール出来ないことに苛立ちを覚えるところなんて、自分の姿に重ね合わせて読んでたのかもしれない。でもムースは笑子のように泣くか騒ぐかのどっちかってことはなく、どちらかというと旦那さんの睦月の方が近いかもしれない。いいたいことがあっても言葉を飲んでいることもあるし、自分がイライラすることがあっても、黙っていれば丸く収まるかなって思うと我慢してしまったり。今のムースはいろんなものをたくさん飲み込んでしまう。もちろん、それが背負いきれなくなったとき、爆発しちゃったり、一気に吐き出してしまったりするんだけど。出来れば、たまに背負ってた荷物を降ろしたり、軽くしたりすればいいんだけど…。何かこんな気持ちが入り混じって、急に思いが込み上げて来たのかもしれないね。

それにしても全然頭が働かないんですけど。しかも今とろ〜んとしてます。そんな訳で今日は終了です。もし、夜中に目が覚めたら、付け加えることでしょう。おやすみなさい。


2002年07月18日(木)



反省しないと…

今日は中間試験の日。ボロボロになりながらも受けてきました。1時間半の試験が2つ。計3時間の試験。さすがに疲れちゃった。こんなに長い時間試験をしたのなんて何年ぶりだろう?多分、大学入学試験が最後かな?って思ったけどTOEICやTOEFLの試験もこれくらい長かったかも?いずれにしても久しぶり。昨日も長い時間図書館にいたせいか、家に帰ってきたらかなり疲れたし、今日もかなり疲れてる。今までいかに脳を使ってなかったかよくわかっちゃった。ただし、今日の試験ですべてが終わったわけじゃなく、これから2週間はもっともっと脳を使わないといけなくなってるの。
ここ数日は暑いとか、集中できないとかっていって何もせずにボーっとしてたんだけど、ついにそのしわ寄せがやってまいりました。ずーっと騒いでるレポートなんだけど、もう書き終わっちゃった人がいるの。ムースはというと、かなりヤバイ状態を過ぎ、本当に終わるの?って段階になってきちゃった。しかも、2つ目のレポートについてはまだ何も手をつけてないし。こんなんでプレゼンテーションなんか出来るのだろうかって思っちゃう。今晩あたりちゃんと反省をして、明日から心を入れ替えてやらないと終わらない。他の人たちは昼間は仕事してるのに、やることはちゃんとやってるんだよね。それを考えると本当、自分のやってることが恥ずかしいです。まぁ、精神的にギリギリな状態が続いてたから、何も出来なかったけど、それはいい訳にならないから。そんな訳であとでじっくりと反省します。
それにしてもすごいなぁーって思える人は、どうしてあんなにたくさんのことをすべてしっかりとやっちゃうんだろうね。遊ぶときはちゃんと遊んでるし、かといって勉強は勉強でしっかりやってるし。同じ24時間っていう時の中で過ごしているのに、やってることはムースのやる倍以上。もちろん遊びも含めて。きっと時間の使い方が上手なんだと思うけど、どうやったらそんなに上手に時間が使えるんだろうといつも思う。ムースは本当にダラダラとして、時間をムダにするばかりで何も出来ないから、うらやましく思う。集中力がなくなったっていっては、インターネットに没頭して、暑いから何も出来ないといってはネットの中を彷徨い、夜になったら疲れたっていってビールを飲んで就寝。この生活のリズムどうにか壊したいけど、楽なものをやめるのはなかなかやめられないんだよね。この間も書いたけど、人にとってよくないものっていうのはなかなかやめられない。逆に人にとっていいものはなかなか続けられない。もちろん、自分に打ち勝つだけの気持ちを持っている人は、いいことを続け、悪いことをやめることが出来るけど、ムースは常に楽な道を選んでるの。だから反省が多いのです。
はぁ、時間を上手に使えるようになりたい。いつも、いつもいい訳しないでいいように上手に時間を使ってメリハリのある生活を送りたいなぁ。


2002年07月17日(水)



何ができるか

今日は午後からずーっと図書館にこもりきり。インターネット依存症から逃れるには持ってこいの場所。だって部屋にいたら暑くて暑くてたまらないけど、図書館は快適な温度に調整されてるから心地いいんだもん。あまりにも心地よすぎて居眠りをしちゃうんだけど。それに図書館にあるパソコンで本の検索目的以外ではネットを使わないから、インターネット依存症のムースにはとってもいいの。それがわかってるんだけど、いつもはネットの誘惑に負けちゃって…。
明日はムースの履修してる授業が2つとも中間試験なので今日はちょっとだけ試験勉強。先日からいってるけど、前頭葉がちゃんと機能してないムースなので集中力が持続しないの。ついついボーっとしてしまって、気がつくと白昼夢の世界にいる。こりゃ、こりゃいけないって思ってまた勉強を再開しようにもなかなか上手くいかなくって。今日はそれが予想されてたので吉元由美の「ひとり、思いきり泣ける言葉」って本を持参していちゃった。ボーっとする前に集中力が切れた時点でこの本を読み始めたんだけど、これが不思議なことにこの本を読むのは苦にならなかったの。ただ今日は今1つ集中してなかったのか、心に残るものがなかったの。内容はよかったんだけどね。前回読んだ短編集より、今日読んだ詩はいいって思えた。もうちょっと心にズドーンと響いてたら何か残るものがあったんだろうけど、軽くしか響かなかったのでさらりとそよ風のように心を通りすぎちゃったの。でも、今日のように試験勉強の合間に読むものとしたら、これくらいの軽さがちょうどいい。もしもうちょっと重い感じの内容だったら、それこそ試験勉強どころじゃないし、インターネット依存症から逃れた意味がなくなっちゃうから。もうちょっと落ち着いたときに、再度読んでみれば心に残る言葉もあるんじゃないのかな。ムースの個人的見解としては、短編集より今日読んだものの方がいいなぁ。

いくらインターネット依存症から逃れたムースとはいえ、いろいろな方の日記を読むことはしてしまうんです。家に戻ってきた瞬間にビールを飲み、晩御飯を作り、パソコンの電源を入れちゃうの。だからこの日記を書く前には何コ?何十コ?かの日記は読んでるの。その中で今日気になったのは、いろんな人が今の日本の教育について危惧してるってこと。ムースもその気持ちは本当によくわかるの。子供のいない人にわかるの?っていわれそうだけど、教育を受けている身として日本の教育を見てるとこれでいいのって思うことは多い。今日読んだとある方の日記にある主婦のメールが紹介されてたんだ。そのメールは「ここ」をクリックして7月17日の日記を読んでください。その主婦の方の書いてあることはもっともなんだけど、ムースはちょっとだけ違う受け取り方をしたの。深読みし過ぎかもしれないけど、ムースが受けた印象は「公立の学校、もしくは文科省のいうなりの学校は何もやってくれないから、うちの子は私立にいかせるつもりです」と。本当は違うのかもしれないけど、そう取れちゃったの。その考え方なんだけど、ムースは好きではありません。ムースも私立の学校に行ったのであまり偉そうなことはいえないけど、でも少なくとも両親は1度たりとて私立に進学しなさいとはいわなかった。ムースの中ではこれが普通って思ってたけど、学校へいざ行ってみたら、多くの親は子供のためを思ってという名目で四谷大塚や桐杏学園、日能研に通わせ、受験戦争の渦中へと子供を投げ込んでたみたい。だから中学校へ入った時点で疲れきってる子だっている。それなのに今度は中学1年だっていうのに大学受験のお話。この戦いに勝った子供達が大体お役所に勤めて、今の制度を作り出してるってことがわからないのかな?文科省のやることがどうのこうのっていう割には自分の子を受験地獄の中に投げ込み、将来は役所勤めしないさいっていい続けるのが目に見えてるんですけど。
ムースに子供が出来たときに教えたいことは人間としていい人生を過ごすってことかな。例え勉強が出来なくても、人の気持ちをわかってあげらることが出来たりとか、喜怒哀楽をちゃんと表現出来たりとか、マナーをわきまえるとか、人として大切なことを教えたい。これって学校へ行ったからって覚えるものでもないよね。家庭で親が教えるものだよね。何でもかんでも学校で教えてくれないって文句をいうんじゃなくって、親が躾けるものじゃないのかな。
いろいろな日記を見てると、たまに書かれてるものなんだけど、ネットの匿名性っていうものを利用してあるサイトに対して誹謗・中傷、批判を繰り返す人っているよね。どういう人がやってるんだかわからないけど、それって心の鏡かもしれない。親が闇雲に批判ばかりを繰り返してるのを見て、子供もそれでいいって思ってしまったりとか。そんな心の鏡。
ジョン・F・ケネディの演説にもある「諸君の国が諸君のために何をなしてくれるかを問い給うな。諸君が諸君の国のために、何をなしうるのかを問うて欲しい(Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country)」っていう気持ちが必要じゃないのかな。学校が何をしてくれるの、政府が何をしてくれるのって問うのではなく、自分達がいい学校にするために、いい子供を育てるために、いい国にするために何が出来るかっていうことを考えなければ、いつまで経っても受身なまま、決して能動的にはならない。ムースはそう思います。

最近、教育関係のことばかり書いてるみたい。ちょっと偉そうだよね。ただの落ちこぼれ学生なのに。実はこんなムースが1番批判的だったりして?自分のやってることがわからないってこわぁ〜い。


2002年07月16日(火)



英文科は…

レポートが書けないまま学校へ行っちゃいました。宿題もいい加減なら、レポートも書けてません。そんな八方塞なムースですがネットに依存している時間は誰にも負けません。ってただ単にインターネット依存症なだけなんだけど。今心から思ってるのは、インターネット依存症を治したぁ〜い。アルコール依存症の方がまだいい。だって専門医がいるんだもん。っていうか、専門医なしで70日間禁酒してたから、専門医の下で治療に専念したら直せるような気がする。人ともたくさんしゃべれるし。
こんなバカげた事を書いてると本当にアルコール依存症になったときにしっぺ返しが来そうなので冗談もこの辺でやめておこう。くれぐれもいっておきますが、ムースはアルコール依存症でないですよ。自分でちゃんとコントロール出来ますから。飲んじゃいけないっていわれたらどんなに飲みたくても飲みません。でもインターネット依存症については…。ちゃんとコントロールできてるのかなって疑問。もしかして依存症の2歩くらい手前なのかな?ちょっとそんな気がしちゃった。ムースが思うにこのインターネット依存状態がムースから集中力を奪ってるんじゃないかな?「この日の日記」に「前頭葉が働いてないの?きゃー、ちゃんと脳内会議してよー」って書いたけど、今日鼠丼さんのコラムを読んでわかりました。詳細は「ここ」から。ムースの前頭葉は発育してないどころか機能していないように思われます。その結果何が起こってるかというと、脳会議の席でムースの前頭葉は「そんなのどうでもいいんじゃないのぉ〜」って投げやりなことをいつもいってると思われるの。それはなぜか?パソコンに向かいすぎです。じゃ、ムースの前頭葉は何ていってるかというと、「脳会議よりネット、ネット〜」って脳会議を放棄してる。きゃー、これではレポートの1枚も書ける訳ないよね。アルコール依存症より恐ろしい病です。
でも実はムースはこの病の治し方を知ってるんだ。それは鼠丼さんでも書かれてましたが家族の団欒です。家族としゃべりまくることです。っていうかムースの場合は家族に限定せず、気軽にしゃべれる人と一緒にいたらネットの世界に浸ってる時間は信じられないくらい減ります。その証拠にここにムースの友達が来ていたときに巡回したサイト数はわずかです。友達がいながらちゃんと巡回してる方が恐いっていわれちゃうと身も蓋もないんだけど…。誰かムースの目をジーっと見ながらムースの話を聞いてください。ムースが愛をこめてしゃべりまくります。愛が欲しいなんていいません。ムースが愛を与えます。もしお酒を飲んでしまったら目がとろ〜んとなってロレツが回らなくなると思いますが、でも愛をこめてしゃべり続けると思います。
別に酔ってる訳でも、テンションが高いわけでもないのに変なこと書いてるなぁ。何かキャラが違うような…。

ここからはいつもムースの嘆きを。今日学校にいるとき、ふとムースの友達がいってたことを思い出したの。ムースお得意のスペインでの出来事。何の話からそうなったんだかよく覚えてないんだけど、日本の大学での教育について語り始めたの。そのときにムースの元同僚(帰国後、偶然同じ会社で働いた人)がいったことなんだけど、「日本で英文科を出ても英語を話すことも出来ないから本当にムダだ」って。ちょっと過激な発言だけど、これにはムースも納得。確かに日本で英文科なんかいっても英語を話せるようになるのは皆無に近いよね。英文科は英会話とは違うっていうのであれば、英語の読み書きは問題ないの?って聞きたくなっちゃう。それも…ってなると思う。もちろん大学というところは勉学の場でもあると同時に人間関係を形成するところでもあるから、そちらも大事だとは思う。だけど大学へ勉強しに行ってた、しに行ってる人がもう少しいてもいいかも。だってそういう人ってホン一握りだもんね。ムースを含め多くの人は入試に受かった時点で4年間のモラトリアムを手に入れたって思うよね。モラトリアムっていうと聞こえがいいけど、その中身は成長しないでいい期間、子供のままでいていい期間の延長を手に入れただけなんだよね。ムース流にいえば、ピーターパン症候群(大人になりたくない大人)であることを黙ってていていい期間の延長を手に入れたってことかな。心から学びたいって思って大学へ行く人なんてほとんどいないと思う。だから4年間大学へ行ったって、何も覚えずに卒業する。ムースは経済学が専攻だったけど経済のことなんて何も知らない。まぁ、名前だけ書ければ入れてくれる大学だったからかもしれないけど…。
経済学をやる上で数学ってとーっても必要なのに、1年生のときに履修した経済学基礎みたいな授業で、先生が黒板にグラフを書いて、「これを微分して…」っていっただけで、そこら辺から不満の声が出たの。そうしたらその先生、「みんなは文系だから数学は苦手なのか。じゃ、やめましょう」っていって微分して何を求めたかったか説明せずにやめちゃったの。生徒も生徒だけど、先生も先生だと思った。経済学をやるのに数学が出来なかったら説明できないこともたくさんあるにね。それを教えずにやめてしまったんだから。株価や為替の予測なんて思いっきり数学なのに経済学者が数学出来ませんっていったら何のために学校へ行ったんだかわかんなくなっちゃうよね。
こんなようなことがどこでも起きていると思うんだ。話を英文科に戻すと、英文科を卒業して英語の先生になるとする。でも英語の先生は英語をしゃべれない。これってすごいことだと思わない?もし英語が堪能な科学者がいたらどうなんだろう?その人は英語の先生より英語がしゃべれるのに英語の先生にはなれないの?これって思いっきり矛盾じゃない?もし、外人で日本文学を勉強してますって人がいて、その人に日本語で話しかけたらたどたどしい日本語で「わたし…日本語…わかりません…」って答えられたらどう感じる?何いっちゃってるのって思わない?自分の国では日本語で夏目漱石を読んでたとかいわれた日には目が点になるって感じだよね。だから日本の英語教育が変だっていろいろな人にたたかれちゃうんだよね。何がしたいんだかわからないもん。その友達曰く、「英文科なんか行くよりは、そのお金を使ってアメリカでもイギリスでも行って勉強した方が言葉も覚えるし、そっちの方がよっぽどいい」っていってたんだ。確かにそれも一理あるかなって。それから英文学を勉強すれば英語で学ぶことができるし、胸をはって英語を教えてますっていえるのにね。
大学へ行くとそれぞれの人が専門ってものを持つよね。ムースでいえば経済学なんだけど、それをいうときに恥ずかしい思いはあまりしたくないよね。今のムースはその反省を込めて、そしてたまったツケを払うべく、一生懸命コンピュータの勉強をしてるの。だって経済を勉強してましたってことはあまりいえないもん。それでも…っていわれたら、自分の専門だった航空政策についてはちょっとだけ他の人より知ってるけど、それ以外は何もないの。英文科を出た人だって英語がわかりませんっていうのはちょっと恥ずかしいと思う。だからそうならないためにも、自分が何を勉強していて、何のために勉強しているのか今1度考えた方がいいのかなって思っちゃった。
学校へ行くと「君たちは何でコンピュータの勉強をしてるか」とか「これを学んで何をするか」とか叩き込まれるからついつい考えちゃうんだよね。もし、今語学を一生懸命に学んでる人がいたら、これを考えて欲しいの。今習ってる言語を使って何がしたいか?これはムースがスペインにいたとき、ムースの住んでるアパートに出入りをしてたムースを含めた日本人全員がいってたこと。っていってもムースの家に出入りしてた人はムースでなくルームメイトに会いに来てただけなんだけど…。もし、今英語を勉強してる人なら、英語を使って何がしたいか。自分の専門は何か?英語を学んだからっていったって、それだけでは海外で働くことは出来ないし、日本で英語を使う仕事に就くのはとっても難しいと思うんだ。だってアメリカの大学を出た人は英語で経済なり法律なり工学なり学んでるんだから。みんな自分の専門があるんだから。英語で専門用語をいくつも知ってるんだから。かなり努力をしないと英会話学校へ1年行ったくらいじゃ、同じ土俵に立つのは難しいかも。
自分がちゃんと学んだものにはムダは絶対にないと思う。でも今日引き合いに出した英文科の英語の話はちゃんと学んだっていえないんだと思うの。だからムースの友達じゃないけど「そんなのはムダだ」って発想になっちゃうと思うんだ。だからそんなことをいわれぬように勉強していかなきゃなぁって思っちゃった。胸をはってコンピュータのことを勉強しましたっていえるように。

ちょっとは休止状態の脳も働いてくれたかな?


2002年07月15日(月)



孤独な留学生

今日はお昼近くになってから起床。本当にもっと早く起きるつもりだったんだけど、昨日寝る前に日本の歌の歌詞検索をしちゃったら寝れなくなっちゃった。だって懐かしい曲の歌詞がガンガン引っかかってくるんだもん。ついついそれを口ずさんでいたら時計はいつの間にか夜中の3時を指してました。本当に歌詞検索は危険だね。ここはカラオケボックスじゃないから音も何もないけど、ピンクレディーの歌を調べたときには思わず全部歌いそうになっちゃった。っていっても波乗りパイレーツのメロディだけはどうしても思い出せなかったの。あとは12曲全部OKなんだけど。そのうち振り付けを覚えてるのも何曲かあるし。A面の曲ばかりでなくB面の曲とか12チャンネルでやってた「ピンクレディー物語 星から来た二人」とかの歌詞も載せておいてくれればよかったのに。ドリフがやってた西遊記の人形劇があってでしょ。あれの曲、スーパーモンキー孫悟空でもOKかな。ピンクレディーが好きだったのでついついマニアックなことを書いちゃった。あとはアニメの歌もちょっと見たんだけど、いろいろ出てた。ペリーヌ物語とかあらいぐまラスカルとか歌っちゃった。あと母をたずねて三千里も。ってこれみんな日曜の7時半から8チャンでやってたカルピス子供劇場でやってたのかな?
こんな危険な歌詞検索は今日はやってません。だってマジにレポートを書かないとまずいから。でもその前に宿題を片付けないといけないって思って、お昼から気合を入れて宿題に取り組みました。おかげでたった3時間半で終えることが出来て一安心。っていうか内容がかなり適当だから。せっかく勉強できるチャンスを作ったのにこんなんでいいのかなぁーってちょっと反省をしたものの、今は締め切りに追われてるので形だけでも終わってるように見せないといけないって思って自分の行ないをあまり省みなかった。あとでゆっくりと反省する予定。で、ここからすぐにレポートを書き始めたかというとそうではないの。まずは資料をダウンロードして、いつでも見れるようにしたの。ダウンロードするためにはもちろんネットにつながなきゃいけないんだけど、ここでまた悪魔がささやくの。ちょっと他のところも見てみない?って。そんな訳でまたまた悪魔に魂を売り飛ばしてしまったムースです。

さて、今日は悪魔に魂を売り飛ばしたといっても歌詞検索はすることなく、とりあえず新聞を読んでたんだ。どこをどういったんだかわからないけど、海外向け朝日新聞のサイトに到着。ここでコラムっぽいものを読んだんだ。最初は適当に見てたんだけど、そのときに留学生のコーナーがあったからちょっと見てみたの。そのコーナーへは「ここ」からどうぞ。ニューヨーク近郊にいる日本人留学生が多いみたいだったんだけど、その内容は華々しい留学のイメージとはちょっと違うものだった。ムースが拾い読みしたものも今の自分の気持ちを表してか孤独っぽい題名のものを読んでたんだけど、どれもが孤独に耐えた結果今ここにいるって感じに思えたんだ。中にはアメリカに来たのに日本人同士で固まっている学生寮のコラムも読んだけど。どれもこれも留学って聞いたときに持つイメージとはかけ離れてた。多分ムースが語るスペイン留学の話を聞いたら多くの人は華やかなイメージを抱くだろうね。なぜかっていうと楽しい思い出が多かったから。多分滞在した期間の半分近くは楽しかったと思うんだ。もちろんつらい思い出もたくさんある。なぜそれを話さないかっていうと思い出したくないって思ってるのかもしれない。それに楽しい思い出の方が強烈だから、イヤな思い出を思い起こさないで済んでるのかも。でもイギリスのことを聞かれればきっとイヤな思いが止め処なく出てくることと思う。楽しかった思い出なんてホンの一握りだったから。
イギリスにいたときは孤独な思いをしてた。ただホームスティをしてたし、ホストファミリーと話す機会がたくさんあったからどうにか耐えられたけど。学校に日本人がいなかったってことはなかった。8月は半分くらいだったけど、9月になって夏休みの短気留学を終えたヨーロッパ人が帰った後は英会話学校の7割くらいは日本人だったと思う。ただ単に輪の中に入っていくのが下手な人なんじゃないの?っていわれるとそうですって答えるしかないのかもしれない。でも、ポーランド人のグループの中に混ざってたり、コロンビア人のグループの中に混ざってたりすることは出来たから、輪の中に入っていくこと自体が下手でもないのかもしれない。何だろうね?不思議。別に見た目が外人っぽい訳でもないし。一重まぶたののっぺりした顔に黒髪だったから、誰がどう見たってアジア系ってわかるんだけどなぁ。何か変なオーラを出しまくってるのかな?人を寄せつけないオーラ。全身にくさやをぶら下げて歩いてる訳じゃないんだから、もうちょっと人が寄って来てくれてもいいと思うんだけど。
話が脱線しちゃったけど、これを読んだらアメリカに留学してる人の多くは孤独な思いをしてるのかなって思ったんだ。ムースがスペインにいたときのように、バランスよく友達付き合いが出来てる人はきっと楽しい留学生活を送ってることだと思うけど、そうじゃない人は孤独か日本人同士で固まってしまってるのかなって感じたんだ。だから何年アメリカにいようとも英語が思ったほど上達しないし、そのジレンマに悩まされていたりとか。もちろん、楽しい思い出をたくさん作れればきっとあとで笑って話せるときが来るだろうね。でもそうでないとつまらない思い出ばかりが残っちゃうんだろうなぁ。スペインにいるとき、3ヶ月くらいしたら志半ばで日本へ帰っていっちゃった人も見たし。ムースが直接知ってる訳じゃないから詳しいことはわからないけど、聞いたところによると何となく来たけど思ったようにいかなくって帰国したみたい。ムースはあまり日本人の友達はいなかったからよくわからないけど、きっとうまく行かないで帰ってしまった人もたくさんいるんだろうな。あの当時、夜な夜な街を歩く日本人は限られてたし、その人たちの多くは雑草のように踏まれても涙を流してもくじけずにいたけど。昼間普通に勉強してた人たちは孤独を感じてたのかな?
留学をする前は多くの人が夢を見ていたことだと思うんだ。それがいざその国に来てみて、現実を目の当たりにして、それを1つ1つ受け入れなければいけなくなったとき、どこかでムリが生じてるのかもしれない。許容量を越えるだけの現実が目の前にあったり、もしかしたら想像以上の高い壁が目の前に立ちはだかってしまって意気消沈してしまったり。そのときに上手にそれらを消化できればいいけど、胸につかえたまま、吐き出すことも出来ず、ムリに消化させようとして苦しくなってそのまま身動きがとれなくなったりすることもあるだろうね。悪循環をしてるとき、周りの人はよく見えてるからこれを断ち切ってみれば?って感じで助言することも出来るけど、亜循環の渦の中心にいると何がいけないんだかわかんなくなっちゃうよね。客観的に自分のやってることが見えなくなっちゃって、1人で苦しんで、そのまま倒れてしまうじゃない。孤独な人ってこんな感じじゃないのかなって思うことがある。って自分のことなんだけど…。
日記才人に登録されてる留学生の日記を見ると学生生活を楽しんでいるように思える人もたくさんいるから、みんながみんな孤独って訳ではないと思うけど、孤独だった、寂しい思いしたっていう話はよく聞く。せっかく高いお金を出してまで外国に勉強しに来たのに、その大半が孤独との戦いだったっていうのも何だか寂しい話しだよね。日本では得ることの出来ない何かをたくさん得て、人生の肥やしに出来たらどれだけいいものかなぁーって思う。孤独との戦いに勝ったものだけが得るんじゃなくて、みんなが何かを得ることが出来ればいいのに。
何だか自分にいい聞かせてるみたいになっちゃった。

それにしても「こっち」の記事には笑っちゃった。サウスダコタっていうところはそういうところなのね。メモしておかないと。
きゃー、レポート書かなきゃー。明日提出なのに…。今晩寝れないよ…。


2002年07月14日(日)



頭が痛い

昨日も今日も何もしないまま1日が終わっちゃった。ボーっとしてると1日が過ぎてしまう。この週末はやることがたくさんあるのになぁ。大草原の小さな家のお芝居を見に行こうかと思っていたけど、それをやめてまで勉強に集中するつもりだったのに。気持ちが空回りしすぎだね。
昨日、変にアルコールが回ってるって日記の最後の方に書いたと思うんだけど、本当に回り過ぎちゃったみたい。今朝起きようと思ったら頭が痛くて、痛くて起きれなかった。まず間違えなく二日酔いでしょう。ムースの場合、二日酔いといっても頭が割れるように痛いというよりは、胃が痛い、気持ち悪いのどっちなんだけど、今日はめずらしく頭が痛かった。しかも太る太るといいながら、寝る前にピザを食べちゃったから、今朝起きた時に何となく胃が重くって。もたれてたのかな?ピザを食べる前にもブリトーを食べてたし。こんなことをやってたらいつまで経っても痩せないよね。
頭が痛かったので今日も朝からボーっとしたまま。2時頃になったら段々調子がよくなってきたんだけど、レポートもやらずにまた歌詞を調べてた。今日はMecanoというスペインのグループの歌を調べてたんだ。前にこの日記でメカノのこと書いたことがあると思うんだ。いつ書いたか覚えてないけど。そのメカノ。今は解散してしまっているから、スペインにいるの人の中でも知らない人もいるんじゃないかな。ムースがメカノの音楽を初めて聞いたのはラジオのスペイン語会話でこの曲が使われたから。これも前に書いてるね。メカノの曲はすぐに見つかったからいいんだけど、それを調べてるうちに他の曲も知りたくなっちゃったんだ。でもそれを探し出すことは出来なかった。なぜかっていうと曲名も歌ってる人が誰何だかも知らないから。覚えてるのは最初の部分だけ。♪Estoy llorand por ti Estoy llorando por la calle Y cada día cada día me duele másって感じの曲だったんだ。もしこの日記を見た人で、この曲を知ってるって人がいましたら歌手名と曲名を教えてください。何か昨日のOver Night Successと一緒のようだなぁ。
これが一段落したときに、じゃ、宿題でもって思ったんだけど、何となく気が進まなかったから、リスニングの練習って思って歌を聞きながら歌詞を書き落としてたの。今日使った曲はロクセットのIt Must Have Been Love。こういうのをやるときはゆっくり目の曲がいいから。でもね全部は聞き取れなかったの。所々聞き取れないところがあって。前だったら2度くらい聞いてから歌詞を見るようにするんだけど、今日は1度聞いただけですぐに歌詞を見ちゃった。聞き間違えがひどくて笑っちゃう。歌を聞き取るのは難しいっていわれるけど、まぁこれもリスニング力を伸ばすための一環だから。ムースは聞き取りっていうものがとっても苦手なのでこんな練習もいいかなって。昔イギリスの英会話学校にいたときに、ディクテーション(聞き取り)をやることがあったんだけど、ムースの書いたものはいつも虫食い状態だったんだ。そういえばスペイン語でもディクテーションはダメだったなぁ。何でだろ?書くのが遅いからあせりすぎちゃってるのかな?それとも3つ以上の単語を覚えられないとか?今日は自分のペースでやってるからあせることは全くなかったんだけどね。歌詞を見ながら答え合わせをしたんだけど、そのときにどうもこの歌をどこかで聞いたことあるなぁって思って考えちゃったの。だからそれもネットで調べたんだけど、プリティーウーマンの中でこの曲が使われてたのね。すっかり忘れてた。確かジュリア・ロバーツがリムジンに乗って自分の住んでるアパートに戻るシーンだったかな?そこで流れてたような気がする。ムースの知ってる洋楽ってそのほとんどが映画の中で使われていたものだから、曲と映画が結びつきやすいんだよね。オールディーズは曲が1人歩きをしやすいけど、それでも映画と結びついてるものが多いかな?
まぁ、こんなことをしてたら今日という日があっという間に終わっちゃった。木、金、土と3日間何もしなかったから来週はしわ寄せがすごいんだろうなぁ。っていってもあと2週間半。それが過ぎてしまえば、またまた1ヶ月の夏休み。どこかへ行こうと思ってたけど、今だに何も予定を立ててないから、ハワイもアラスカもムリだね。飛行機の切符が取れても宿が取れそうもないし。仕方がないから車でどこか行こうかな?それとも別のことをやるか?できれば英会話の勉強がしたいんだけどなぁ。短気留学は高くていく気にならないし。なぁ〜んていってるとどこへも行かずに1ヶ月が過ぎちゃいそう。最近はやらなきゃ、やらなきゃっていいながら何にもやってないような気がする。よくないなぁ。

今TVにキルスティン・ダンストが出てるんだけど、彼女ってジュマンジに出てたんだね。それと魔女の宅急便でキキの声をやったみたいなんだけど。キルスティン・ダンストって誰ですかって。スパイダーマンに出てた子です。と書いておきながらムースはスパイダーマンを見ておりません。ビデオが出たら見ようかな?


2002年07月13日(土)



オーバーナイト・サクセス

今日ネットで調べ物をしてるときJoan OsborneOne Of Usがラジオから聞こえてきたの。この歌を聞くといつもオースティンパワーズの中でマイク・マイヤーズがミニ・ミーと一緒に歌ってるシーンを思い出しちゃって。何となく変な感じなんだ。♪What if God was one of us? Just a slob like one of usってところを思い出しちゃって。ただこの歌の歌詞を全部知ってるわけじゃないから、ちょっと気になったの。これが今日って日の始まりみたいなものだった。ネットでJoan OsborneOne Of Usで検索したの。そうしたらちゃんと歌詞が出てくるんだよね。今は著作権の問題とかでネットで歌詞を公開してるところってあまりないじゃない。だから検索して引っかかるかどうか心配だったんだ。でもちゃんと出てきたからそれをテキストとして保存しておいたの。今度オースティンパワーズを見たときに歌詞がわかるように。そんなことをしてたら突然U2の「終りなき旅」のことが気になっちゃって検索したの。これが思うように引っかかってくれなくて。っていうかムースがこの歌の題名をちゃんと知らなかったのも原因の1つかな。それだから四苦八苦して調べちゃった。その結果、検索に必要なキーワードを覚えたの。そのキーワードを知らないばかりに今まで検索してもすぐに出てこなかったんだぁって思ったの。でね、そのキーワードをもとに別の曲の歌詞も連続して検索したんだけど、今度はどの曲もちゃんと検索に引っかかってくれるからうれしくなっちゃった。結局、下記の曲を検索して歌詞を調べちゃった。

  • One Of Us                       Joan Osborne

  • I Still Haven't Found What I'm Looking For  U2

  • American Pie

  • I'll Stand By You                   Pretenders

  • Brown Eyed Girl                   Everclear

  • 74-75                          Connells

  • MY Girl                         The Temptations
中には聞いたこともない曲があるのでは?アメリカン・パイはラジオでよくかかってるし、この曲は聞いたことある人が多いと思う。I'll Stand By Youはムースの中で思い出のある曲なんだ。もともとはムースのルームメイトがムースの持ってるCDを見たときにこの歌が好きといって毎日のように聞き始めたんだ。ただいろいろと浮いた話があったときにI'll Stand By Youがいつもかかっていたからムースにとっても思い出の歌になっちゃったんだ。Brown Eyed Girlはイギリスにいたときに英会話学校でこの曲を歌わされたらよく覚えてる。っていっても授業の一環としてみんなで歌っただけなんだけど。この辺までは洋楽に詳しければ知ってるっていえるだろうけど、さすがに74-75は知らない人が多いだろうね。これもイギリスにいたときのことなんだけど、毎日ラジオでかかってたの。1日に何回かかってたかわからないくらいたくさんかかってたんだ。だから懐かしくてね。今ではメロディを覚えてないから、歌詞を知ったところでどんな曲だったかよくわからないんだけど。
ここまで調べた時に本当は終わりにしようと思ったの。終わりにしてレポートを書こうと思ったとき、1つ調べてみたい曲を思い出しちゃったの。この曲は30代以上の人は知ってる人も多いのでは?ソニーのビデオテープのコマーシャルに使われた曲なんだけど。Over Night Successって曲。12インチシングル版だと題名がOvernight Successになってるんだけど。ムースはどっちが正しいかわかりません。この曲、ちょうどフラッシュダンスが流行った頃だと思うんだ。世の中、ダンスブームといってもいいくらい踊りを習う人が多かったんじゃないかな?きっとどんな曲だったかわからないと思うので、「ここ」を参照してください。ちょこっとだけどういう曲か聞けますので。で、ソニーの宣伝がどんなものだったかは、「ここ」から。きっと思い出すと思いますよ。ムースは友達がこの歌のレコードを持ってたの。EP盤の方ね。それを借りて家で何度も聞いてたんだ。CDがまだなかったころだったのかな?英語の全くわからないムースだったけど、歌詞を見ながら一生懸命歌おうとしてた。もちろん歌えなかったですよ。でも今だったら歌えないとしても歌詞を覚えることは出来るんじゃないかって思って、検索したんだけど、結局歌詞は見つからなかった。何時間検索してたかわからないけど。おかげで今日はオーバーナイト・サクセスの日って感じで1日終わっちゃった。
あの歌を初めて聞いたときにいいなぁって思ったんだよね。あの頃は本当にアメリカってところに憧れてたから。あのときは出来なかったけど、歌を覚えるっていうのは英語の勉強にはもってこいなんだよね。ムースがスペインにいたときにルームメイトと遊びながら英語のリスニングの訓練をしたんだけど、それって歌を聞きながらその歌詞を紙に書いていくってものだったの。ムースは楽しそうだって思って何も考えずにやったんだけど、同じ方法でリスニング力をつけてる人もいるんだよね。知らず知らずのうちに英語の勉強をしてたんだよね。こんな感じで当時も出来ればね。今は面倒臭がっちゃって歌を聞きながらそれを紙に書くなんてことしない。だから歌詞が書いてあるHPが知りたかったんだ。
今日は検索の日だった。疲れちゃったからさっきビールを飲んだんだけど、今日は変にまわる。何となくヘロヘロしてる。そんな訳で今日の日記は終了です。もし、この日記の読者の方でオーバーナイト・サクセスの英語の歌詞を知ってる方がしましたら教えてください!メールお待ちしてます。


2002年07月12日(金)



甘さも…

昨日授業の中で先生が話していたこと。ちょっと気になっちゃった。「利子はどこかで払うことになる」ってこと。これは表現としたらやんわりをしてるかな。言い換えれば「必ずツケを払わなきゃいけないときが来る」ってことだね。授業の中での話だからもちろん例え話は学校のことになっちゃうけど。日本の大学って入るのはムチャクチャ難しいけど、1度入ってしまえば何もしなくて、例え学校へ行かなくても卒業できちゃうよね。って現にムースは3年生の途中から学校へ行くことなどなかったけど、卒業だけはさせてくれたからね。でもそんなことをしてると実は社会に出てから勉強しなければいけないときがとっても多くなる。学生時代に覚えとけばいいものを社会に出てからやろうとすると、それはそれは大変なこと。なぜって学生時代のように自分の思うように時間が使えないから。退社後の限られた時間の中でしか自分のやりたいことなんてなかなか出来ない。まぁ、その分集中してるのかもしれないけど。学生時代にやりなさいってことをやらずに来ると、あるときにそのツケが回ってくる。やるべきときにちゃんとやっていればそこで覚えることが出来るけど、それを後回しにしてしまえば、まず思い出すのに時間が必要だし、思い出してから覚えるのに時間が必要になるから。覚えるのに15分しか必要じゃなかったものが1時間も2時間も必要になってくる。たった15分で済んだものが貴重な睡眠時間2時間を削らなければいけなくなったら困るのは自分だと。これが先生が口癖のようにいうツケというもの。
これを聞くたびに妙に納得しちゃう。実はその先生も大学に入った年は遊びまくったそうだ。でもその後改心して勉強したそうだけど。で、何をしたかというと大学をもう1度行き直して、それから修士、博士の課程へと進んだそう。学費をこしらえるためにマンションを売ったっていってた。もしちゃんと勉強していればそんなことする必要がなかったろうにっていってた。この辺の話は自分自身の話に置き換えやすいから余計にそう感じるのかもね。ムース自身、何も勉強せず、学年で下から1番という望んでもなかなかとれないすばらしい成績で中学、高校を卒業し、自分の名前が書ければ合格というすばらしい大学に進学したものの、途中からそこへも行かなくなっちゃったから、社会に出てから苦労の連続だもんね。そう思うと今一生懸命ツケを払ってるって感じかな。今まで何も勉強しなかった分、今になって勉強してるもん。唯一の救いは20代のうちに勉強しなきゃダメだぁーって気がついたことかな。これが30代になってから気づいたのだったらいろいろな制約も増えてたことだろうし、リスクも今の何倍にもなっていただろうね。もちろん、今でもかなりのリスクを背負ってるけど、もう足を踏み出しちゃったからね。あとはやり遂げるしか残された道はないかな。
もしかしたらこれが自分を追い詰めてる原因かもしれないね。だから疲れてるのかも。1度は疲れがとれたと思ったんだけど、最近の自分を振り返るとそうでもないらしい。ただ今ここでツケを少しでも精算しないと、これからもっともっと大変なことになっちゃうと思う。先生じゃないけど、ムースも自分の資財のすべてをなげうって学校に勉強しに来たから。資財っていったって大したことないけど、すずめの涙ほどの月給でこき使われてたムースにしたらその額は莫大なものです。それだけのツケを払わなきゃいけなかったんだから本当に大変。親のスネをかじっていればよかった頃が懐かしい。といっても、今だに実家に帰れば親の好意に甘えて上げ膳据え膳です。
この話をするときに大体引き合いに出されるのが今の大学生だけど、やっぱりみんなこれといった目的がないみたい。どうして大学に来たの?って聞くと、ほとんどの答えが親が行けっていったからとかみんなが行ってるからとか。考えてみると自分自身もそうだった。これといった目的もなく何となく行ってた。だからつまんなくなっちゃうんだろうね。でもそのときに、将来少しでも楽をするために今勉強しなきゃいけないんだって熱く語ってくれる先生でもいれば少しは違うのかな?10代の人にそんなことをいってもムダなのかな?ムースが10代のときに理解できたかっていうと、絶対ムリだったと思うけど。ただムースの先生は熱く語ってるみたい。きっと彼らのうち何人かはその言葉を思い出すときが来るんだろうなぁ。若いうちの苦労は買ってでもしろっていうけど、今思うと若いうちに苦労を克服すると年をとってから楽になるよね。楽な方に逃げるのは簡単。ムース自身もそうやって逃げてきたし。ただ逃げてばかりいるとそのうちツケが大きくなって回ってくるのかなって思う。だからといって頑張りすぎるのもよくないと思う。出来ることから少しずつやって出来る範囲をちょっとずつ広げていく。もちろんちょっとだけムリはするけど。そしてこれ以上ムリは出来ないって思ったらそこでやめる。きっとそこが限界点だろうから。あとはそれとどうやって付き合っていくかそれだけだよね。
走り高跳びをやるときに最初から1メートル70は飛べないでしょ。最初は自分の飛べる高さから飛ぶじゃない。それは50センチかもしれないし、最初から1メートル50飛べるかもしれないし。1メートル60センチくらいまではちょっと練習すれば記録も簡単に伸ばせるかもしれない。でもそこからの1センチは並大抵の努力じゃダメだよね。たくさん苦労して1センチ伸ばすって感じでしょ。どんなに努力しても1メートル65センチ以上飛べなかったら、限界を1メートル64センチにしてもいいと思う。そうしたら今度はどれくらいの確立で1メートル64センチを飛べるようにするかかな?100%っていうことはないと思うから、その確立を3割から4割にあげるようにするとか。こうやって付き合っていくのがいいのかなって思う。今のムースはもしかしたら1メートル70が飛べないって嘆き苦しんでるのかもしれないなぁ。
昨日もいわれたけど「君たちは自分の限界を知らないから不安になるんだ」ともいってたけど、これも大当たりかな。どこが自分の限界かわかってないから、常に不安だし、ちょっと壁にぶつかっただけでも限界だと思って諦めちゃう。っていうか不安が先行しちゃってるから、そこで関係ないことを考えるのに、不安という妄想を膨らませることに頑張りすぎちゃってる。だから壁に当たったときはもろいのかも。だからもう少し自分を信じてあげなきゃいけないって感じるのかも。だから頑張るって言葉が嫌いなのかも。
うぅ〜ん、なんかまとまりがなくなってきたなぁ。とにかく人生は甘くないってことかな。

話はちょっと変わって、ずーっと前から気になっていた飲み物があったの。ある日記にこの飲み物のことが書いてあってからどんなものだろうと思ってたんだけど。詳細は「ここ」からどうぞ。その飲み物の名前はバニラ・コーク。どんなものだろうって思って一昨日スーパーへ行って買ってきちゃった。で、その味だけど、微妙です。ちょっと甘すぎかな?決してまずいってことはないし、ムースはバニラの香りが好きだから何とも思わなかったんだけど、あの匂いだけでも甘さを引き立たせる効果は大きいと思う。もしバニラの香りが嫌いだったら、匂いを嗅いだ瞬間にダメって思うだろうね。本当に甘〜い香りがするから。人生が甘いのや、孤独なムースのもとに甘い話を持って来てくれる(今までしゃべれなかった分しゃべりまくります)のは大歓迎だけど、これはもうちょっと甘くない方がよいのでは?甘いのも良し悪しかな。



さっきここまで書いたんだけどちょっとつけ足しを。先日、胸につかえたものがそのままになってモヤモヤしてたからそのままを書いたの。孤独だとかつらいとか。今でも孤独です。つらいです。何がつらいっていったら誰とも話ができないこと。いつも書いてるけど、楽しい時に楽しい、悲しい時に悲しい、つらいときにつらいっていえず、抱え込んだままにしてると変になっちゃう。
今日読み終わった唯川恵の「さよならをするために」の中に「相談ごとというのは、たいていが口に出した時点で、ただの愚痴に変わってしまうものだ。恭子はたぶん智子の回答など求めてはいない。不安を誰かに聞いてもらいたかっただけだ。それとも不安に悩まされている可哀そうな自分を誰かに慰めてもらいたかったのかもしれない。恭子の求めてることは、ただ話すこと。そして智子のしてあげれることは、ただ聞くこと」っていう件があったの。ムースが求めているものもこれです。ただ話したいだけです。きっと誰かと毎日話が出来る人にとってはそんな簡単なことって思うかもしれない。誰かと話せばいいじゃんって思うかもしれない。ムースも東京にいるときはこんなことかけらも思ったことはないし、ややもすれば誰とも口をききたくないって思ったくらい。でもそれは胸につかえたものをいつも吐き出していたから、抱え込む必要はなかったからそう思えたの。そうすることが出来ない今はこんな些細なことでも苦しむんです。空気みたいなものかな?なくならないとわからない。そんな感じ。
でもムースだって、今日読み終わったエッセイじゃないけど、いつか「さよなら」はします。こんなことがいつまでも続いたら困るし、喜びや悲しみ繰り返しながら時代はまわっていくから。今日は倒れた旅人のムースだけど生まれ変わって歩き出します。どっかで聞いたことあるかな?でしょうね。ある方がムースに中島みゆきの「時代」の歌詞を書いて送ってくれたんです。行間の読めないムースなのでそのメールに書いてあった言葉の意味をどこまで理解できたか怪しいけど、きっとこの歌にはその人のいろいろな思いが詰まってることだと思うの。そう思ってメールを読んだんだ。本当にうれしかった。
これまでにもいろんな人からメールをもらった。メールをもらうといつも本当にうれしい気分になるの。特に今のように人と話が出来ない時は余計に。本当にありがとうございます。ムースも涙なんか知らないいつでもほほえみを持ったひまわりの花のような人になれたら…って思う。スペインの大地一面に咲き誇るひまわり畑の花のように。「ここ」をクリックして今の気持ちを表した歌の歌詞を見てくださいね。音が出るので注意してください。ただ「もしもいつかあなたが顔を見せなくなればきっと枯れてしまう」のでよろしくお願いします。


2002年07月11日(木)



外国人法

寝起きのボーっとした頭で巡回してたネットである面白いコラムを発見。それはオーストリアの外国人法のことについて。詳細は「ここ」からどうぞ。オーストリアではついに法律を制定し、国をあげて外国人排斥運動をするんだね。すごいことだね。ムースが思うにヨーロッパ人って根底には今だに白人優位主義があるんじゃないかなって思うんだ。そして日本のような村制度も。白人以外でこの村のものでなければ排斥する。この考えが根底にあるような気がする。それはなぜかっていったら違う文化の下で生活した来た人がどんな人だかわからないからだと思う。わからないから恐怖感が募るんだと思う。
もし自分達の住む街に異文化の人がたくさんやってきて、そこに住み着いて、誰も日本語を話さなければ、それは日増しに脅威に感じてくると思う。外国に暮らした経験のあるムースだって、自分の知らない言語で話してる人たちばかりの中に1人でいたら恐いです。それも日本で。何が話されてるかわからないから恐怖感が生まれると思うんだ。そして何をしようとしてるかわからないから恐いと思う。異文化の下で生まれ育った人に、日本にいるんだからすべて日本のやり方にしたがってくださいとはいわない。自分達のやり方でどうぞっていうだろう。いくら日本には日本のしきたりやマナーがあっても。ただし、それをいえるのはその国の人たちしかいないところでの話。それを公の場でやられたときは、ムースはいい感じがない。それに嫌悪感を示す人は多いと思う。
ただ残念なことにどこの国の人も、もちろん日本人を含めて、同じ国の人の数が増えてくると自分がいる場所がどこだか忘れてしまってる。ムースの知っている限りだとアジア系は忘れがちかな?まるで自分が元からそこに住んでいたような錯覚に陥って、その国の文化やしきたりを忘れてしまってる。そして自分達の文化のみしか受け入れてないように思える。文化を受け入れてないんだから、言葉なんて覚えるわけがないよね。だって言葉っていうものはその国の文化が密接に関係しているから。言葉を覚えるってことは、同時に文化を学ぶことでもあるから。文化っていうものは歴史や文学、政治、経済、社会、スポーツなど多岐にわたっているし、それらに関することをいろいろと知っていかなければ、いろいろな言葉なんて覚えてることできないから。
じゃ、言葉を覚えない人はどうするかっていうと、時に数の力で自分達の文化を押し付けてしまうと思う。もしかしたら、あとから来た人は何も知らぬまま自分が自分の国にいたときと同じように振舞っているだけなのかもしれない。何も考えてないのかもしれない。でもその1つ1つが周りの人を恐がらせてる、文化を押し付けてるような行為になるんだけど。
これでもみんなで仲良くやりましょうっていって、日本にいながら相手の国の言葉を覚えますか?もしラマダンのときに日本にいるイスラム教徒の人がみんなにも断食をしてくださいっていったらどう思います?快く受け入れますか?快く断食しますか?イスラムの戒律ではお酒はよくないものだからっていってお酒の不買運動を起こしたらそれ快く賛同します?もしかしたら街の条例として禁酒法を作ろうっていう人も出てくるかもしれないよ。
オーストリアのように法律まで作ってこんなことをしなきゃいけなくなっちゃったのはとっても残念なことだけど、でもこうなるまでの過程を考えたら仕方がないのかって思う。オーストリアの公用語であるドイツ語を勉強しなかったのはオーストリアの文化を勉強しなかったに等しいから。言葉を覚えようと努力をしてきた人には関係ない話だし、この法律が適用されるのはドイツ語を話せない人に対してだから。「郷に入っては郷に従え」というし、外国へ行ったのなら出来る限りその国の文化を覚え、しきたりを学んでいかないとダメだと思う。それが言葉を覚える支えになるから。
ムースがスペインにいるときはスペインのことをたくさん勉強したし、イギリスにいるときはイギリスのことも学んだ。っていってもイギリスには3ヶ月しかいなかったから大して覚えなかったけど。でもこうやって少しずつ言葉と文化を覚えて、その国に受け入れてもらおうとする訳であって、こういったことをしなければ嫌がられるだけ。受け入れてもらおうとする過程にはたくさんイヤな思いもする。異文化とのギャップに不満を覚えるときもたくさんある。でもそれを1つ1つ受け入れていかないと異国の地で暮らすっていうのは大変なことになると思う。どこまで受け入れるかを決めるのは自分のさじ加減だから、そんなに気を配る必要はないと思うけど、嫌悪感を抱かせるようなことだけはしないようにしないと。この違いはお刺身と土足かな?もし外国人でお刺身が嫌いな人がいても嫌悪感は抱かないでしょ。だってお刺身が苦手っていう日本人だっているし。ここにも1人いるんだけど。しかも洋酒はOKなのに日本酒は1滴も飲めないし。でも、日本では家の中では靴を脱ぐんですっていってるにもかかわらず、外国では靴は脱がないっていって靴を脱がず土足で家に上がったらそれは嫌悪感を示すでしょ。同じ受け入れないってことでも、全然違うんです。これがムースのいうさじ加減であり、嫌悪感を抱かせるかどうかの違い。
日本ではこんな法律は絶対に出来ないと思うけどね。だって日本では海外から来た人のためにその国の言葉や文化を覚えましょうってことが先に来て、その人たちに日本の文化を教えましょうってことが後回しだもんね。でもムースが思うのは日本に長期滞在をしてる人にはもう少し日本語を勉強しなさいって押し付けてもいいんじゃないかなって。TVで日本の変なところをいってる番組に出演してる人を見てると、「そんなにイヤなら自分の国に帰れば?」っていいたくなるときもあるけど、でも彼らこそ日本語と共に日本の文化をちゃんと勉強した人たちで長期滞在しててもおかしくないっていえる人たちだろうなぁって思う。

彼らも国に帰れば日本と自分の国の文化の狭間に立ち、中途半端な人って感じるようになって、どこにいても居場所がないんだろうなぁ。異文化を知るってことは不幸の始まりなのかな…。


2002年07月10日(水)



限界

そろそろ夏休みにしないとダメかな?そんな気がする今日この頃。家から1歩も出ない日が週のうち4日くらいあるんだからすごいことだよね。外に出ないから余計に変なことばかり考えるようになるのかな?だからといって外に出ればよくなるかって聞かれれば、別に何が変わるわけじゃないんだよね。だって誰と話すわけでもなく、1人でフラフラするしかなんだから。たまにどうしてこんなんになっちゃったんだろうって思うこともある。でも今日、ネットを彷徨った挙句に流れ着いたHPに書いてあったことを読んでわかったような気がした。東京にいたら絶対に知り合うことのなかった人と知り合っただけの話なのかもしれない。
ここに来てからムースが話をしたことがある日本人はざっと5人。そのうち話が出来そうだった人は1人。だけど残念ながら折り合いがよくなかった。それだけの話。東京にいれば何万人って人に知り合える可能性がある。ここでは10人程度だっただけの話。しかもその10人のうち1度も会ったことない人や1度しか会ったことがない人は半分いるんだもん。これを考えればイヤでも1人になるわ。
よく世界中にあなたと私の2人きりしか人がいないとしてもあなたとは○○しないなんてことをいう人もいるけど、その気持ちが今はよくわかる。誰かと話がしたいと思っても、何かいいたいって思っても、あなたと話をするくらいだったら黙ってるって感じ。それが今のムースだ。もちろん、こんなんだからいろいろな不平、不満は溜まるばかりで吐き出されることはないけど。日記に不満を書こうかなって思ったこともしばしば。でも書けなかった。書けばすっきりしたかもしれないけど、書けなかった。もうこれからはそんなことをやめようかな。不満に思ったことは書いてすっきりしないと自分が潰されちゃう。どんなに元気なふりをしても、すべてのことがバカバカしく思えるときがふとやってくる。もしそんなことはオフラインでやってといわれれば、素直にそれに従う。いつも、いつも楽しいことばかり書きたいけど、ちょっと限界。

限界なんです。


2002年07月09日(火)



バカみたい

昨日、今日と友達にメールを書いたんだ。2ヶ月ぶりに書いたのかな?メールを書いていて思ったんだけど、別にいわなくてもいいことを一生懸命書いて強調してた。バカみたいって今日の午後になったから思っちゃった。昨日は寝る前に1通書いて、今日は起きてから1通書いたんだけど、2通とも似たような内容。もちろん別々の人に送ってるし、その2人は全く接点がないんだけど。元気にしてるよって書いておきながら、本当に元気なの?って取れるようなことを書いちゃってるし。こんなんだったら何も書かない方がよかったかなって思う。そうすればみんな「便りがないのは元気な知らせ」って思ってくれるから。メールが来なければ、来ないほどみんなが安心してくれる。そして段々と疎遠になって、時の流れと共に忘れてくれる。
今は誰と口を利くこともないし、しゃべれなくたってプレゼンテーションと宿題のことを質問する以外で困ることは全くないかな。だからいつも思うのは1人でも平気だってこと。人は1人では生きていけないってことくらい知ってるし、どんなにつっぱってても誰かに助けてもらうことがたくさんあるってことぐらいわかる。でもここで生きていく分にはさっき書いた2つの状況下の時以外に声を必要としてる時がない。先月は友達が来てくれたから思う存分、声が枯れるまでしゃべったけど、もうここに誰も来ないだろう。だからもう声なんていらないと思う。それにすべてのことはメールで済ませちゃってるから、電話だってインターネットにつなげる以外は使うことないし。
誰かと話したいときに話せなかった。高いお金を払って国際電話までして話した人にはなぜか責められた。何にもこっちの事情など知らないのに責められた。状況を説明する間もなく、詳しいことはわからないけど…って前置きをしながら責め続けてくれた。そのときにもう国際電話をするのはやめようって思ったくらい。もちろんこの街には普通に電話して話が出来る人なんて誰もいないから、市内通話も使わない。たまに市外通話を使うけど、でもそれもメールでどうにでもなるし。電話も声もやっぱり必要ないんだなって思う。
今さらこんなこと思って、こんなことをメールに書いたってしょうがないのに、つらつらとメールに綴っちゃった。本当にバカなことしたと思う。この冬は実家に帰るつもりだけど、それだってどうなるかわからない。だって箱根駅伝さえ見てしまえば、実家へ帰る必要がないんだもん。我が母校の走りだけが気になる。それだけだから。帰るとしても隠密で帰ろうかな。
もしこのまま忘れられてもいいって思うんならメールなんてしなければいいのにね。もしかしたら最後の悪あがきかな?ここに来た頃は日に何通か来ていたメールが今では2週に何通になっちゃったし、メールを書く相手もいつの間にか片手で十分になっちゃってるし。だからちょっと悪あがきをしたのかも?だからカナダにいる友達にまで電話したのかも。もちろん、折り返し電話がかかってくることなんてありません。
でもこれでよかったんだよね。すべてはムースが東京を離れたことが始まり。そしていつもいわれることは、どうして…っていわれ、東京を離れた自分がいけないようにいわれる。連絡をしなければ、みんな元気にやってると思ってくれてる訳だし。このまま何もいわなければ…。

ふと思い出したけど、昨日はパンプローナでサンフェルミン祭りが行なわれてたんだね。昨日の晩、久々に新聞を読んだら記事が載ってた。その記事は「ここ」からどうぞ。それで今日になってからTVのニュースに出てた。1度でいいからサンフェルミンを見に行きたいなぁ。7月7日に天の川を見るより、サンフェルミンを見たい。今度短冊にそう書いてお願いしてみようかな?でもその前に「日はまた昇る」を読まないとね。それに今度牛追いに参加する時は牛の前も牛の後ろも走らないし、ましてや闘牛場の中になんて入らないから。あれは見てるだけだって危険なのに好奇心だけで牛にくっついて行くなんて大怪我の元だもんね。今はどれだけ危険か身を持ってわかってるからちゃんと自分の身ぐらい守るけど。多分TVで見てる限りでは牛がどれくらいの速度で壁等に向かってくるかわからないと思うけど、目の前で見てるとすごい速度で壁に向かって来るんですよ。そのときに牛の角に突き刺されたら大変。ムースの場合は牛がムースの左横1メートルのところに突っ込んできて、そのままこっちに寄って来たからムースの左腿と牛の角と接触しただけなんだけど、もし直接突っ込んできてたら今は杖がなければ歩けなかったかもね。だからサンフェルミンで面白がって牛の前を走るのはやめましょう。ってそんなバカなことをやる人はいないか。ちなみに牛の後ろにくっついて走っていても、牛が突然止まって振り返ることがあるので安全ではありませんよ。経験者語るってやつかな。まぁ、ムースが参加した牛追いはシウダー・ロドリゴというポルトガルの国境に近い小さな街でのことなんだけど。


2002年07月08日(月)



忘れていたこと

最近忘れていたことを思い出させられた感じがする。ふと立ち寄ったあるサイトに自信ってことについてその人の考えが述べられてたの。詳細は「ここ」からどうぞ。今のムースは自分のやってることに自信がないかと聞かれたら何とも答えられないなぁ。なぜかっていうと、最近は不安に思ってるものがあまりにもたくさんあるから。かといって絶望をしてる訳ではなく、どうにかなるだろうって思ってる。今やってるiモードのレポートにしても、これからやらなければいけない画像処理についてのことについても。ただ両者とも今月末にはプレゼンテーションをしなければいけない。以前にも書いたことがあるんだけれども、ムースは人前で話すのがとても苦手。なぜかってこともいつも書いてるけど、失敗してはいけない、失敗したら笑われると思い続けてきたから、今では無意識に失敗を恐れるし、気がついたときには異常なくらい緊張してる。手が震える、膝がカクカクいう、声が震える、顔がこわばる、引きつるってことはいつものこと。今日こそは緊張しないようにするんだなんて思えば、それは逆効果にしかならず、緊張の度合いはさらに増すの。だから人前での発表はとても苦手。実はこれは発表にかかわらず、試験と名のつくものに関しても緊張したりするの。高々定期考査でも緊張するものに関しては緊張する。ただ中にはリラックスして試験を受けれるものもあるから不思議なんだけど。その違いは何って聞かれてもムースにはわかりません。漠然となんだけど感じることは、リラックスして試験を受けてることは確かだなぁってことと試験中にこの試験に失敗したらどうしようって思っていないこと。いってることは同じかもしれないけど、この2つのことをぼんやりとだけど感じとれるんだ。
昔、ムースがオートバイの免許証を取ろうと思って教習所に通っていた頃の話。学科は真面目に聞いてたから仮免も卒検もちゃんと1度で合格したのね。ただ実地については思うようにいかなかったの。教習中は難なくこなしたんだけど、いざ卒検になったら、教習中に1度も落ちたことない1本橋からカタンって落ちるという大失態をしたの。何秒以上かけて1本橋を渡らなきゃいけなかったかよく覚えてないけど、確か7秒くらいだったような気がする。教習中、長いときは10秒以上かけて渡ってたし、1度も脱輪をしたことがなかったから特に問題視はしてなかったの。それが試験になって突然渡れなくなっちゃったんだ。試験なので全身カチコチなのはわかってもらえると思うけど、もう普段のようにはオートバイが乗れないの。それとムースのもっとも苦手なことが行なわれてたから。何かというと目の前で採点表を持っていちいちチェックしてるでしょ。あれが本当に苦手なの。不安要素拡大って感じで。ただチェックしてるだけかもしれないんだけど、減点されてる気がしてしょうがないの。だから緊張度がどんどん増していくんだ。そのせいで2回もオートバイの卒検を落ちちゃいました。しかも2度とも1本橋で脱輪。1度目はともかく、2度目に失敗したときはガックリと肩を落として家に帰ったの。そうしたら父が体験談を話してくれたんだ。
それは父が大型の免許を取った時の話。実地試験の中に、ここは何速で通過しきゃいけないとか、ここでは何キロで走りなさいとか、そういった決まり事があったんだって。って普通車でもそれは一緒だったっけ?そんな試験の決まりの中に坂道を3速で登っていかなきゃいけないって項目があったんだって。しかもその坂道の手前で減速しなきゃいけないにもかかわらず。そんなことはかなり慣れた人じゃなければ、そのコースの坂道を3速でなんてとても上がれなかったんだって。多くの人はいわれた通り3速で通過しようとしたらエンストしてしまったらしいの。もちろん、エンストなんてしたら試験はその場で終わりだったみたい。その時父の取った行動は、2速のままバンスカとその坂を登っていったそうなの。父曰く、「試験のコースを最後まで走れなきゃ意味がない。何速だろうとエンストせずに最後まで登りきらなきゃしょうがない。そこで減点されたって試験が終わらなければいい」って。そんな話をしたあと1本橋のことについていったのは「そのときの試験と一緒で最後まで走りぬかなきゃしょうがない。時間が足りなかろうが脱輪するよりそこを通り抜けろ」と。
そして迎えた3度目の試験。いつものように緊張はしてました。だたその日はちょっと違ってたの。時間にさえとらわれなければ自分は1本橋を脱輪せずにいけるって思ったの。いつもなら時間が足りなかったらどうしようとか、あぁなったらどうしようとか、失敗したときのことばかり考えてたのに。そうしたら3度目にはちゃんと受かりましたよ。実は1本橋でまたまたふらっとしたの。そのとき父にいわれたことを思い出して、一気にスロットルを回して通り抜けちゃいました。ここで脱輪したら意味がないって思って。
もしあのときに父に何もいわれなければ、3度目も同じミスをしたかもしれない。もしかしたら免許証を取ることは諦めたかもしれない。でも、なぜだか自分を信じることができた。1つ気になってたことが頭の中で妄想のように大きくなってしまっていて、それが不安という名で自分を包み、身動きをとれなくさせてしまってた。もしあの時に父の言葉を信じられなかったら、また脱輪してたかもね。でもその前に自分を信じた結果だと思う。一瞬ふらっとしたときに、もし制限時間という不安材料がなかったとしても、自分は1本橋を脱輪せずにいけるっていう自信がなかったら、通り抜けることは出来なかったんじゃないかと思うの。まず第1には自分を信じることが出来たから、父の言葉も信じることが出来たんじゃないのかなって思うんだ。
ムースが自信をなくしてるとき、そのときは人に何をいわれても信じることが出来ないの。きっとあぁーいえばこぅーいう状態だと思う。何をいわれても出来そうに思わないから。こういうときに人の話をもっと素直に聞けたらいいのに…って反省することがあるんだけど、よくよく考えてみれば、自分が素直になるならないの前に、あまりにも自分を信じてあげてなかったのかもしれない。例え素直に人の話を聞こうとも、自分にできるという確証がなければ、きっと何だかんだと言い訳をしちゃうと思うの。でもその言い訳は誰にしてるんでもないんだよね。いつもいつも自分に対して言い訳するんだよね。あのときはあぁだったからできなかった、このときはこうだったからできなかって。自分を正当化するためにずーっと自分に言い訳し続けちゃうんだよね。だって自信があるときは自分に言い訳なんてしないし、失敗することすら考えないもんね。
自分を信じることって簡単なようで簡単じゃないかもしれない。でも、もっと自分を信じてあげないと何も出来ないと思う。自分を信じれるから他人を信じれるのかもしれない。自分を信じれるから失敗を恐れないのかもしれない。もし失敗したって自分を信じることを出来るならチャンスは必ず巡ってくると思う。それは夢を叶えるのと一緒かな?ムースは夢は叶うものって信じてる。信じてるから叶うんだと思う。だから自分自身を信じることができれば、その思いは必ず成就すると思う。どれだけ回り道をしようとも、自分を信じ続けていくことが出来たなら。
去年の今頃は勢いもあったし、こんなことを考える間もなく当たり前のように自分を信じてたんだけど。すっかり忘れちゃってた。一朝一夕では自分を信じ切ることができないと思うし、不安になることもしばしばだとは思うけど、階段を一段一段上るがごとく少しずつ自分を信じていかないと。そして失敗など恐れないようにしないと。


2002年07月07日(日)



集中できない

ため息ばかりが出そうな今日。生活のリズム自体は悪くないんだけどなぁ。今朝だって目覚し時計なしで6時半起床。それから2度寝もせずに起きてたんだから、生活は乱れてないんじゃないかな?部屋が暑くて何も出来ないだって思って、今日は冷房をガンガン使ったし。でも集中することは出来なかった。本当に落ち着かないんだよね。隣りの部屋の騒音のせいにしたいくらいだけど、どんなにうるさくても寝ちゃうってことは、隣りの部屋のせいには出来なそう。ただ、今日昼寝をしてたときに隣りの部屋から聞こえる低音がガンガン響いてきて、その音で目を覚ましちゃったけど。毎日うるさいなぁと思いながらも、もう半年我慢しちゃってるし。以前は反対隣の部屋の人が何度か注意しに行ったんだけど、その日だけ静かになって次の日からは元通りだから、音量を下げる気はないんだろうなぁって思って諦めちゃった。毎日イライラするより、いかに気にしないようにするかの方が賢明なような気がして。
それにしてもどうしてこんなに落ち着かないんだろう。落ち着かないから何に対しても集中しないと思うんだけど。カルシウムが足りないのかな?考えてみれば5月まではカルシウムを毎日飲んでたんだなぁ。だから今頃になってカルシウム不足になってきたのかな?それとも乱れた食生活のつけが今になって出てきたとか。いずれにしても、今までの不摂生をしてた悪影響が今頃になって出て来たのかもしれない。落ち着きがないのはこの日記を見ててもよくわかるもん。
今日の午前中チラチラっと過去の日記を見たんだけど、最近はこの日記の文章量が減ったと思う。っていうか確実に減ってるの。今までのように書くだけの集中力がないのが1つの理由。書いてる途中で他のことに気がいっちゃって、書こうと思ったことを最後まで書ききれないんだよね。今までもまとまりがない文章だったけど、今の文章は前以上にひどいと思う。もちろん自分ではわかっているから、書いたものを読めば考えが手にとるようにわかるけど、読んでる人ははたしてわかるのだろうかという疑問が浮かぶの。手紙でもメールでもそうだけど、書き手は常にどんなことがどういう意図で書いてあるかわかってるんだよね。でも読み手は当然のことながらそんなことは知らない。書き手がわかっているつもりで書いても、読み手には全く伝わってないことがしばしば。例えばメールの場合だけど、ムースの書くメールは比較的長いと思う。っていってもこれはネット以外での友達宛のメールのことなんだけど。ムースが関係ないことをダラダラと書くから、友達は蛇足部分からもムースが何を書きたいか想像してるみたい。もちろん、ムースの性格や過去の出来事、言動等すべて混ぜ合わせてこんなことがいいたいんだろうって思ってくれてるんだろうなぁって感じる。でも、こうやってネットに日記を書いて、自分はこんなことがいいたいんだってことを伝えるとき、筋道を立てて、順を追って書いていかないと何にも伝わらないような気がする。っていうか何にも伝わってないんだろうね。
今日は何が書いてあるんだろうって思わせることができたらいいと思うけど、そうすると日記といいながらも日記じゃなくなっちゃうような気がするし。そういえば最近は全然集中してないなって思ったら、その日にそのことを書けばそれは立派な日記になると思うし、書くことが何にもないような日だったら、前に思ったことを書いてもいいと思う。でも毎日読者を引きつけるためにネタ集めをしていたらそれは日記じゃないもんね。また矛盾したことを書いてるかな?今日はこんなことを思ったんだってことを誰かに伝えたいからWEB上に日記をいう形でいろんなことを書いて公開してるんだけど、それには読者のことも考えなきゃいけないって思うし。もし伝える気がなければわざわざWEB上に公開することないんだし。昔のようにノートにその日の出来事を書いていればいいんだから。それに誰だってつまらないものより面白いものを読みたいもんね。
いつも思うことだけど、人にものを伝えるってことは難しいね。誤解を生じさせるのは簡単なのに。人にとっていいことはどれも難しくって、あまりいいことでないものは簡単だよね。他の人と仲良くするのは難しいけど、喧嘩をするのは簡単。勉強や仕事に集中するは難しいけど、遊びやお酒に集中することは簡単。お金を貯めるのは難しいけど、使うのは簡単。これが逆になればいいのに。

どこかのHPに集中力を高めるには写経がいいって書いてあったの。般若心経の写経。実はムースも1度だけ般若心経を写経したことがあるんだ。このこと以前に書いたことがある気がする。何年前だったか忘れちゃったんだけど、桜の花が散り始めた頃、1人でふらっと京都へ行ったことがあるの。1人の気ままな旅だから時間にとらわれることなく、行きたいところへ行けるでしょ。そのときに大覚寺ってお寺へ行ったの。京都へ行ったのは3度目くらいだったんだけど、大覚寺へ行ったのはそのときが初めてだったんだ。大覚寺がどういうところだったか覚えてないんだけど、なぜか写経をしてみようって気になったの。写経なんてしたことなくってそれが生まれて初めての体験だったんだ。まぁ、貸し出し用の筆なんで書き心地はよくなかったんだけど、書いてるときは何気に集中してたみたい。だって時間の経つのを忘れてたもん。お習字をやってるとたまにそういう時があるんだよね。書道って書いてるときにグッと集中できる瞬間があるの。それは書いてる自分が1番よくわかる。こういうことがしばしばあると、何をやっても集中できるんじゃないかって思えるんだ。だから習字をやってると精神的にいいんだよね。写経をすることが集中力を高めるのにいいかどうかはわからないけど、習字をやってると気が落ち着いてくることはあると思う。っていっても、その前にそんなことやりたくないって思ったら、落ち着くも何もないけど。それにダメだって思うときは字がのた打ち回っちゃって、イライラするばかりだけどね。そう思うと、ここ1年何も書いてないのもよくないのかな?落ち着ける時間がないもんね。でも、習字をやりたくなったから道具を送ってなんていったら、ムースの行ってた書道塾から半紙が1000枚単位で送れられきそうだなぁ。ムースは書道塾に通った年数だけは長いけど、普段から練習しなかったから誰よりも下手だし、人になんて教えること出来ませんから。それでも先生からムースの住む田舎街に書道を広めてきてっていわれそう。やっぱり何か書きたいだなんていっちゃいけない。集中する方法は写経以外で考えないと。

やっぱりこれくらいしか書けなかったのね。写経のことでもうちょっと書けるかと思ったけど。まぁ、何も書けないといいながらここまで書いた自分を褒めようっと。自分の思いを少しでも文字にしておかないと。言葉を話さない分、文字を書き連ねないとまたまた心の中でモヤモヤしたものが残っていっちゃうから。


2002年07月06日(土)



自主性

毎日、毎日、ボーっとしてるなぁ。人からとやかくいわれ、干渉されてるって思えば、干渉されたくないと文句をいうのに、いざ自主性に任されると何も出来ずに後悔する日々。何てわがままな性格をしてるんだろうって思っちゃう。うまくバランスがとれないかなぁーって思うけど、こればっかりは自分との戦いだからね。自分で考えていくしかないのかな。
自分で計画を立てて、ものごとを推し進めていくって本当に難しいことだと思う。これを読んで、えっ?って思える人がうらやましい。ムースは何も出来ません。今回のレポート(iモードのレポート)って各章ごとに、提出期限が細かく決まられてるの。例えば、概要についてはいつまでに出しなさい、序章についてはいつまでに出しなさいっていう具合で。なぜかっていうと、細かく期限を決めていかなければ書けませんでしたって人がたくさん出るからなんだって。わかるような気がする。だってここにそうなりそうな人がいるんだもん。ってムースのことなんだけど。でもこれって多くの人に当てはまるともいってた。そのときに出た例えなんだけど、博士課程で論文を書かなきゃいけないのに、そのうちに書くからっていう感じで何年も書かない人が多いっていってたんだ。これは博士課程を修了してからの話だったかも?どちらにしろ、論文の提出期限がないと「今度書く」っていったまま何年も過ぎちゃうみたい。もちろん、全員が全員そうじゃないけど、ダラダラしたまま何もしない人が多いそうなんだ。ムースが読んでる日記の中にも似たようなことが書いてあったんだ。日記の作者が論文を書いてないんじゃなくって、その同僚の人の話みたい。あぁ〜だ、こぅ〜だっていろいろと理由をつけて何年も何も書いてないそうだ。これでも大学の先生をやっていられるんだから、いいなぁって思っちゃう。
レポートも論文書きもこれをやりなさいとかあれをやりなさいとかいちいちいわれないよね。完全にその本人の自主性に任されてる。やりたくなければ、やぁ〜めたっていっちゃえばいい訳だし、やりたければやればいい訳だし。とっても単純なことだけど難しい。子供が親に「宿題をちゃんとやったの?」って聞かれるがごとく、ムースも毎日、毎日、誰かしらに聞かれればちゃんとやるかというと、それはそれでちょっと疑問。多分、うるさいっていってへそを曲げちゃいそうな気が…。矛盾したことばかりだけど、これがムースなのです。今日こそは…って決めて、机に向かうのは簡単です。だからといってやらなきゃいけないことが出来るかっていうと、それは別問題かな?時間だけは刻々と過ぎていくけど、いらなきゃいけないことは進まない。そんな感じ。
こういうことをいうといろんな人からいろいろなことをいわるの。だから最近はいわないようにしてるけど。っていっても去年1度だけいったかな。そのときの相手の態度にはかなりカチンってきちゃったけど。ムースが集中できないっていうと、まるで机に向かってるのに集中できないムースがいけないって感じで、ほとんどの人が同じようにいうの。責められてるって感じかな。ってことは、そういう人はやろうって思ったときにいつでも集中して自分の立てた目標をこなすことが出来るのって問いかけたくなっちゃう。うそでも出来るっていうんだろうなぁ。ムースにしたらこのように出来る人はすばらしいと思います。自分が集中しなきゃいけないとき、いつでもできるってことは本当にすばらしい。ムースはそれが出来ないから、いつでも困ってます。インターネットという誘惑に負けることはいつものことだけど、あまりにも気がのらなかったら、家の中をフラフラしてることだって。お腹も空いてないのに冷蔵庫を開けたり閉めたり。だから100%っていわなくても大方のことを自主性に任されるとそれはそれで困っちゃうんです。
ムースがこの日記の中で、今の人は与えられたものをこなすことに一生懸命で、自分でものをあまり考えない、もしくは考えたことがないって書いたことがあると思うの。自分で書いておいてこんなこというのはとっても恥ずかしいことだけど、ムース自身がそういう人のようです。ただ1つだけ違うのは今の人じゃなくって一昔の前の人っていうことくらいかな?与えられたものをこなすばかりで、自分で考えて、自分で行動するってことにあまり慣れてないみたい。旅行に関していえば、これに当てはまらないけど、その他のことは当てはまることが多いかな?自主性に任されるとそれをこなすだけの気持ちが、心がまだ出来上がってないみたい。いい年してこれだから困っちゃうよね。
まぁ、いろいろな欲に駆られながらも、こうやって日記にいろいろと書きながら自分のやり方を見つけるのもまた良しとしようかな。煩悩の塊のようなムースだけれども、なかなか煩悩を拭い去ることも出来ないし。それに煩悩あれば菩提ありともいうし。悪い方にばかりでなく、ちょっとくらい都合よく解釈しないとね。そのうちに真実が見えてくるんでしょう。そうすれば自主性に任されてもどうにかやり遂げることが出来るようになるのかな。

今週の前半は毎日ウィルスメールとの格闘でちょっと大変だったんだ。送り主はムースのお友達で、彼女の職場のパソコンは大変なことになってたらしい。ここ数日、彼女とメールのやり取りをしながら、ウィルス対策の状況を聞いてたんだ。ようやく昨日からウィルスメールが送られて来なくなったから一安心。今までアンチウィルスなんて動いたことなかったのに、今年に入ってからというもの大活躍してるんだ。ムースがネットにつなぎ始めたのが4年前の今頃だから、ネットを使い始めて4年近く経ってからウィルスの恐さを知ったってことだね。
そのメールには今のストックホルムのこともちょっと書いてあったんだけど、今年はストックホルムの750周年なんだね。5月、6月は天気もよくってとってもよかったみたい。でも今は曇りや雨ばかりみたいだけど。まぁ、ムースの住んでる北の国に比べたら雨が降るだけマシでしょう。なんてったってここは毎日暑くて、雨もなく、大変なんだから。ムースももう少しで干からびそうだし。
さぁ〜って、自主性を持ってレポートに取りかからなきゃ。


2002年07月05日(金)



褒めて

何もしなかった今日。何となくすっきりしないなぁ。せめてこれから読まなきゃいけない文献を調べることだけでもすればよかったけど…。iモードのレポートに続き、今度は人工知能の授業でもプレゼンテーションをしなければいけなくなっちゃったの。テーマは画像処理について。っていってもこれは文献の読み込みをして、簡単に自分の考えを書いて発表するだけだから、iモードに比べたら楽かな。とはいっても、1つの文献をしっかりと読みこなさないとレポートも書けないし。だから今日あたり、文献選びをしなきゃいけなかったのになぁ。1日中、食べては寝てってことを繰り返しちゃった。何となくだるいし、夏バテしてるのかな。昨日書こうと思ってたことをちょっと書き始めたんだけど、頓挫しちゃったし。どうもうまく書けないんだ。考えてることがうまくまとまらないというか、いい言葉が出てこないというか。今って全体的に行き詰まった状況なのかな?そんな気がしちゃった。

書くことがないのでどうしようかなって思ったけど、今ふと思い出したことがあるのでそのことについて。ムースの日記の中で英会話に関することについて何度か触れたことがあるのね。そのときに書いたかどうか忘れてしまったんだけど、多くの人は人前で英語を話すとき、恥ずかしそうに話すよね。中学生、高校生はそれが顕著だと思う。でも何でこうも恥ずかしがらなきゃいけないんだろう?ムースは英会話に3年も通ったんだけど、そのとき先生のいってたことは、英会話に来てもみんな下を向いたままでしゃべろうとしないっていってたの。ムースは個人授業だったからしゃべらざるを得ない状況だったけど、3人くらいのグループで授業をやってると中々話さない人がいるみたい。なぁ〜んて偉そうにいっちゃうムースですが、ムースがスペインでスペイン語の学校へ行ってたときは、あまりにも何も話さないから先生が必ずムースにふってたけど。このことは何かのときに書いたんじゃないかな。
じゃ、どうしてこうも恥ずかしがるかってことなんだけど、先月、友達がここに来たときにこの話題をしたらムースと同じことをいったの。それは失敗することがイヤってこと。彼女は北京で中国語を習った経験があってそのときのことを少し話してくれたの。中国語、っていうか北京語って四声があるよね。中国語を知ってる人ならわかる思うけど。四声っていうのは4つの基本的な発音の方法。媽麻馬罵でいいのかな?この発音をカタカナで書くとマー、マー、マー、マーなんだけど、実際に発音する時にはすべて違う音になるの。アクセントが違うっていった方がピーンと来るのかな?実際にはアクセントって感じじゃないけど。中国語を習う時には最初にこれを練習するようなの。でも中々人前じゃ…って。恥ずかしいっていってたかな。そのときに英語を話すことについてのことも話題に上がったんだけど、やっぱり恥ずかしいと。で、その恥ずかしいっていう気持ちの裏に隠されているものは、笑われるのがイヤだ、失敗するのがイヤだってことだったんだ。もちろん、ムースは前から同じことを思っていたから、彼女のいったことには強く同意したよ。本当にその通りだと思う。笑われるから失敗しちゃいけないって気持ちが生まれて、それが恥ずかしいってことにつながってると思うの。
ムースが親から褒められたことがないってことを書いたことがあるかもしれない。失敗したり、成績が悪かったら、いろいろといわれるけど、テストで100点を取ってきても当たり前って感じで軽く流されちゃう。こんなんだからそのうちに失敗を恐れるようになっていっちゃうんだよね。失敗すること=怒られるって感じになっちゃって。でも人って怒られたくないじゃない。そこで1番いい方法はといえば、試験を避けちゃう。競争を避けちゃう。何もしない。これが1番いいんだよね。人のことだけいって自分では何もしない。口では私は出来るんだっていってればいいんだから。でも、決して人と同じ土俵に立つようなことはしない。そうすれば、その人の実力は常に未知数だからね。
あと英語に関していえば、今の日本企業ってTOEIC至上主義みたいなところがあるじゃない。それもいろいろな人から言葉を覚える楽しみを奪っちゃってるような気がするんだ。確かにTOEICで900点以上取れる人はすごいと思うし、相当な時間をかけて勉強したことだと思う。どの努力が報われるのはいいこと。ただし、TOEICを900点以上取ったからってみんながみんな英語をしゃべれる、もしくは英語でコミュニケーションが取れるとは思いません。だって聞くことと読むことには慣れてるけど、自分から話すことには慣れていない人だってたくさんいるでしょ?受動的な部分には慣れてるけど、能動的な部分には慣れてないから。
今では人前でも少しは英語をしゃべるるようになったムースだけど、昔はひと言もしゃべれなかったの。それは何でかっていったら、間違ったら笑われるんじゃないかとか、間違えを指摘されるんじゃないかって思っていたから。それと恥ずかしいって気持ちもあったかな。でも、スペインにいたとき、しゃべらなきゃいけない状況ってとっても多かったんだ。もちろん、最初は気がかりなことばかり。単語1ついうのもかなりドキドキしてたかな。ただ、誰1人としてムースのことを笑う人はいなかったんだ。それが良かったのかも。最初はルームメイトに頼ってばかりで、よく通訳してもらってたけど、それが段々と自分でわかっていくようになっていったし。彼女はハチャメチャなムースの英語を笑うことなどなかったし、ここが間違ってると指摘することもなかった。だから話すってことに段々慣れていったのかもね。でも、ある程度わかってきた頃にはよくアメリカ人には英語を直されてたかな?特に飲み屋さんで。通じてるんだからいいじゃんって思いながらも、翌日、酔いが覚めた頭で考えると無料英会話だったって思って、心の中でラッキーって思ってたなぁ。今では信じられないくらい前向きな考え。
どこかの日記サイトで読んだんだけど、今の高校生ってかなりの割合で自己否定してる人が多いんだってね。この情報は産経新聞からだったのかな?それといろいろなサイトで今の人は競争を避けてばかりだとも。ムースもその現状については否定しないけど、でもどうしてそうなったか考えれば自然と見えてくるものがあるんじゃないのかな?決して褒めることをせず、怒るばかりだったら、誰だって競争は避けちゃうよ。一昔前までの「勝って兜の緒を締めよ」といって試合に勝っても褒められず、喜ぶことをせずに、お葬式みたいな感じをみんなは受け入れてきたよね。でも、今の人は勝ったときには喜びたいし、負けた時には悲しみたいと、人間本来の持ってる気持ちを表現したいんだと思う。勝ったのに、ここが悪い、あそこが悪いじゃ、試合で勝ったって何も面白くないよね。勝ったら勝ったでその日は喜べばいいじゃない。次の日からまたしっかりやればいいんだから。これがメリハリでしょ?勝っても負けても怒ってばかりの人が、今の人はメリハリってものがわからないっていっても何の説得力もないよ。もしかしたら勝っても褒めてもらえないから、負けたものと勝った自分を比較して、優位に立とうとするのかもよ。それが転じて人の揚げ足ばかり取るようになるのかもしれないよ。
もっともっと人を褒めてあげれば、いろいろなことが変わっていくかもしれない。常にダメだ、ダメだでなく、いいところをもっともっと探して、褒めてあげて。これがムースの思う個性を伸ばすってことなんだけど。排他の法則から受容の法則にものごとが変わればいいのに。そうしたら人前で英語をしゃべっても恥ずかしいって気持ちも消えるようになるんじゃないかな。失敗も恐れなくなってくるんじゃないかな。そうしたら競争もできるようになってくるんじゃないのかな。ムースはそう思います。
もし不幸にも何かに失敗をしてしまっても、もう1度同じようなことの出来るチャンスを上げるのを忘れないで欲しいなぁ。っていうのは、誰だって何かに取り組む時には成功しようとして取り組むと思うの。でももし失敗してしまったら、何かが悪かったと思う。それを反省材料にして人は伸びていくと思うんだ。それが成功につながっていくと思うの。失敗はしていいけど、チャンスは2度とないよじゃ、失敗しちゃいけないっていってるのと変わらないことだから。

何だかとりとめのないことばかり書いちゃった。やっぱりまとまりがないや。

最後に昨日の続きを1つ。今日のホットドック早食い選手権でまた小林尊氏が勝ったようです。去年自らが作った12分で50個のホットドック完食を、今年は1/2個更新して50と1/2個にしたそうです。


2002年07月04日(木)



ホットドック早食い選手権

書こうと思ったことが書けない。テストが終わって安心しちゃったかな?学校帰りにスーパーへ寄ってお菓子を買い込んだのもいけないかも。さっきからバリバリ食べてばかりで。太る、太るといいながらこれじゃどうしようもないね。ビールも気がつけば3本目になってるし。いくら部屋の中が外に比べて暑いからといってビールばかり飲んでちゃいけないね。
さっきまで別のことを書こうと思ってパタパタとタイプしてたんだけど、どうも考えがうまくまとまらなくなっちゃったから全部消しちゃった。考えが書けるようになったら書こうと思います。題名も内容も決まってるのに、頭がうまく働いてくれないや。最近の日記を見てるとそんなことばかりだよね。今朝、昨日の晩に書いた日記を読み直してみたんだけど、誤字・脱字が多いね。自分で書いたのにあまりのひどさにビックリしちゃった。折角読みに来ていただいてるのに申し訳ありません。いい訳なんですが、極力誤字・脱字はなくそうとしてるんですけど、どうもここ数日はアップロードしたとたんにベッドへ直行という生活をしてるので、読み直してないんです。なぜだかわかんないけど、それだけ眠いんです。今も実は眠くてこのまま寝てしまいそうなくらいなんです。どうしてこんなになっちゃったんだかわかんないですけど。ビールの飲みすぎ?その可能性は大きいです。でも眠れない時は5本飲もうが6本飲もうが寝れないんですよ。
まぁ、こんな訳なので話題をちょっと変更して。今朝起きてからボーっとTVを見てたときのこと。見たことある人の顔がTVに出たんです。今ではどこの局も放送しなくなっちゃったかもしれませんが、つい先日まで春や秋になるとやる特番に出ていた人たちです。小林尊氏と新井和響氏の顔だったんです。えっ、誰か知らないですって。多分TV東京でやっていたTVチャンピョンの早食い選手権を見たことある人だったらすぐにピーンとくるのでは。だってTVチャンピョンでは毎年7月になると早食いの番組をやるんですもの。明日は7月4日。7月4日といえば、ニューヨークで行なわれるホットドック早食いの日じゃないですか。ムースは何回見たかわかんないんだけど、随分前から中村ゆうじが早食いチャンピョンをニューヨークのホットドック早食い選手権に連れて行ってるのを見てたの。ムースの記憶が正しければ6年前の1996年に見たのが最初だと思う。それからは毎年ではないけど、よく見てたんじゃないかな。今年はある中学校で事故があったからこの早食い選手権のことは放送されないかもしれないけど、明日は小林尊氏が早食いに出るようです。新井和響氏が出るかどうかはわからないけど、今朝TVにちらっと出てたからもしかしたら今年も出るのかもしれないね。
このホットドックの早食い大会、ムースが初めてTVで見たときは最高記録が12本だか13本っていわれてたの。それがTVチャンピョンの人たちがチャレンジしたら一気にその記録を23本くらいに書き換えちゃったんだよね。そして今では50本が最高記録みたい。12分の間に50本のホットドックを食べるっていうんだから本当に驚きだよね。今朝のTVには小林尊氏が別の挑戦者と共に90秒でどれだけ食べれるかに挑戦してたんだけど、驚くことに9本半くらい食べたんだよ。たった1分半の間に。他の挑戦者に比べたら体が1回りも2回りも小さいから、司会者はとってもビックリしてたけど。ムースは司会者ほどはビックリしてませんよ。だって彼らの大食い選手権の番組を何度も見たことがあるから。
明日はいよいよ本番。今年も日本人が上位を占めるのかな?TVで放送されるんなら実家の母に頼んで録画しておいてもらうんだけどなぁ。TV東京はもう早食い選手権をやらないんだよね。ちょっと残念。「ここ」をクリックすればホットドック選手権についてのことが書いてあるんだけど、今年はTV東京から派遣してニューヨークへ行った訳じゃないのね。もちろんどこかにスポンサーはいるんだろうけど。
いやぁ〜、ここんとこ何もかけない日が続いてるけどひどいものだね。レポートも書けないけど、日記まで書けなくなってくるとは…。でも、今日で一段落したから、明日からは少しだけ余裕が出来ると思います。だから何か書けるといいなぁ。それにしても、ホットドック早食い選手権について書くとは思わなかった。


2002年07月03日(水)



レポートが…

はぁー、レポートが書けなくなってきた。調べてるときは調子よかったのに、いざ書こうと思ったら全く書けないよぉー。もぅー、最悪。いつものように提出期限ギリギリに始める宿題。そんな訳で今日、明日提出分のレポートを書き始めたんだけど、思ったように書けない。テーマは前にもこの日記の中でいったけど、iモードのことについてなの。書きたいことは大体決まってるんだけど、それをどのように書いていいかが全くわかってない。だからどんなにたくさん資料を集めてもうまく集計することが出来ないし。情報処理能力の欠如なの?それとも文章構成能力の欠如か?うぅ〜ん、後者に関してはこの日記を読んでる人が1番よく知ってるからなぁ。ムースは何もいえない。その通りって声がどこからともなく聞こえてきそう。耳栓しとかなきゃいけないね。
このレポートなんだけど、先日概要を提出したのね。何でかっていうと書こうとしてることがあまりにも広範囲にならないように、あまりにも多くのことを解決しなければならないようにチェックするために。これが不思議な話なんだけど、結構多くの人が先生にチェックを入れられてたの。話題が広範囲すぎるとか、何をしたいかわからないとか。このレポートが課されたとき、先生が口をすっぱくしていってたことは、とにかく1つの話題に絞りなさいってことなの。ムースは絞るっていう作業がうまく出来なくって何日も悩んでたんだけど…。でも、提出期限が迫ってきた時に突然iモードのことを書こうって思ったら、iモードについて書きますって概要に書いて提出したのね。でも、実は内心ドキドキだったんだ。だってiモードのことっていっても結構範囲が広いじゃない。だからヤバイかなって思ってたんだけど、ムースの概要に書いてあった先生のコメントを見たらとってもよいと。そんな訳で今日はちょっと舞い上がりながら調べてたんだけど、いざ書くとなったら難しくて。ほら、小説を書き出すとき、最初の1行に悩むっていうじゃない。それと一緒で、今日のムースはそんな気分だったの。1日中、パソコンに向かって、いろいろとネットで調べて、足が浮腫んでパンパンになっていたいなぁーって思いながらも何か書かなきゃって思ってたんだけど、結局書けずじまい。だから気分転換に日記を書こうと思ったの。この日記を書き終わったら、また考えることにするんだ。
明日はこのレポートの序章の提出と共に経営情報システムの試験なのです。相変わらず試験勉強は何もしてません。っていうか試験勉強する余裕がありません。今、ムースの頭はレポートでいっぱいだから。昨日の人工知能の試験も経営情報システムの宿題をやることに比重を置いたので、あまり勉強しないで試験にいっちゃった。きっと悪いんだろうなぁ。前は運に助けられたけど、いつも、いつも運に助けられることなんてないから。そろそろお灸を据えられる頃のような気がする。でも最近は成績だけじゃないかなって思ってるから。朝から晩まで勉強していい成績を取るのも良し。でも今のムースはいいレポートを書くにはどうしたらいいんだろうってこととプレゼンテーションで困らないようにすることを第1に考えてるから、試験は二の次かな。だっていいレポートが書けることやいいプレゼンテーションができることって社会に出てからも役に立つもんね。だからどうしてもこっちに比重を置いちゃうかな。賢い人だったら2つのことを同時にうまくこなせると思うけど、ムースがそんなことに挑戦すると熱を出すんでやめておきます。

最近、体重が元に戻らないよーって嘆いてるムース。食生活が乱れに乱れ、体重増加傾向にあるんです。まず、第1の原因はビール。部屋の中が異常に暑いからついつい冷たい飲み物をって思ってビールを飲んじゃうの。これが本当によくないんだよね。足が浮腫む原因でもあるのかな。ここんところ靴を履く時に足が痛くて。一応、昔同様足をあげて寝てるから寝起きは足が小さくなってくれるんだけど、起きてから2時間もすると足が浮腫んでくるの。今なんて何にもしてないのに足が痛んだから。かなり浮腫んでるからね。
で、ビールを飲んでると何となく口が寂しくなってくるのね。気がつけば毎晩、寝る前にピザを食べてるの。暑いのに何でピザ?って突っ込みはなしにしてください。ただ単に食べるものがピザ以外にないもので。昨日はピザの他にも、おそばを茹でて食べちゃって。寝る前なのに満腹だった。これってかなり太るんだよね。ムースって膨らんだり萎んだりが激しいから、太り始めるとすぐに10kgくらい太るの。これねぇ、内臓に負担がかかるからよくないんだよね。だって絶対に痩せようとして、その10kgを落としにかかるもん。この間4kg太ったんだけど、今はその体重をキープしてるからまだまだ大丈夫かな。でも脇腹についたお肉を見てると、10kg増までの道のりはあっという間のような気がする。だってその4kgだって約2週間で増やした4kgなんだもん。何か精神的に疲れることがあるとすぐに痩せるんだけどなぁ。今年の初めだって何にもしないのに2ヶ月で6kgも勝手に痩せたし。そろそろ運動を開始しなきゃいけないって思うんだけど、今だに重い腰が上がらないし。困っちゃいます。
昨日は頭が働かなくって何にも書けなかったけど、今日も何だか書けてないね。ここんところお酒の飲みすぎで脳が機能しなくなっちゃったかな?ムースの頭の中では脳内会議はちゃんと行なわれてるのかな?バナナばかり食べてて何もしてなかったり。もしかしたら海馬が寝ちゃってるのかな。それとも…。前頭葉が働いてないの?きゃー、ちゃんと脳内会議してよー。出来ればセロトニンがたくさん発生してリラックスした状態になっていてもらいたいんですけど。
明日も試験なのでもう寝ます。それが一番よさそう。ただ暑くて寝苦しいからなぁ…。


2002年07月02日(火)



コンピュータのこと

たまにはムースがコンピュータに関することを勉強してる人だっていうことを書こうかなって思ったの。いつも勉強してるといいながら、履修している授業の名前と悪い成績のみの発表だから、中にはこの人は毎日お酒ばかり飲んで勉強してないんじゃないかと思ってる人もいるんじゃないかな?確かに毎日お酒を飲んでばかりで、あまり勉強しないのは事実ですが、気が向くと教科書を読んじゃったりするんです。バカは風邪ひかないといいますが、ムースもかなりバカなので今行ってる学校では風邪をひいて学校を休んだってことはありません。ホッケーの遠征である授業を休んだのと生まれて始めての寝坊で数値解析の授業に出れなかったのくらいかな。ちなみに中学・高校は6年間皆勤賞でした。成績は学年最低だったのに学校を1度も休んだことないっていうのは、まさに「バカは風邪ひかない」っていうのを証明したようなものでしょう。もっとすごいことをいうと、ムースがいろいろなものを覚え始めると、冗談抜きに知恵熱が出てうなり始めちゃうんです。そんな訳で1度にたくさんのことを覚えないように心がける毎日なの。まぁ、蛙の子は蛙といいますし…。ってこんなことをムースがいってるって親が知ったら、激怒しそう。
さて、本題に戻ってみなさんが毎日のように使ってるコンピュータだけど、元々は計算機だったのはご存知ですよね。もし知らなかったら、今そうだったんだぁーって思って下さい。コンピュータって日本語に訳すと計算するものってことだから。じゃ、何を計算するのかというと、何なんでしょう?それはムースもよく知りません。申し訳ないんですが、コンピュータの歴史をどこかで検索して読んでください。で、今でもいろんなものを計算をしてるのって聞かれたら、それは自信をもってハイっていえます。つい何日か前にムースが出来ないと悩んでいた宿題なんですが、これもある意味数学なんです。遠い昔を思い出してください。若い人は近い昔を思い出してください。高校へ行ってた時に数学で、帰納法とか背理法とかっていう証明問題をやったのって覚えてないでしょうか?ここでそれについて言及するわけじゃないから覚えてないんなら覚えてないでいいんですけど。この帰納法とか背理法とかその他の証明方法ってコンピュータの世界ではとっても大切なことなの。何でかっていうと、何かをコンピュータ化したいって思いますよね。そのときにそれをコンピュータ化できるかどうか考えなきゃいけないの。っていってもこれは証明問題なので数学者がやる仕事なんだけど…。ここで数学者が数学的に証明してコンピュータ化できますよってことになると、ムースのようなコンピュータ屋さんがノコノコと出て行って、システムを考え始めるの。もちろんそれにはいろいろな分野の人の協力がないと出来ないんだけど。
これがコンピュータ化のされたものの元になる部分なの。例えば、どれだけの人がネットショッピングしたことがわからないけど、もしネットショッピングをしたことがある人ならわかってもらえる暗号化のお話。ムースは暗号化の専門じゃないから具体的には何をやってるかわからないけど…。ネットショッピングをすると大体がクレジットカードで決済すると思うの。そのときにクレジットカードの番号を入力すると思うんだけど、もしこれが暗号化されてなかったらどうなると思う?誰か悪意のある人がある番号を得てしまったら、その人はそのクレジットカードの番号を使って何でも買えちゃうよね。だからネット上を流れる時は番号を隠すようにするんだよね。その方法についてはわからないけど…。ただそこには複雑な計算式が存在するのは確かなこと。コンピュータでやることなので簡単に出来ちゃうんだよね。で、暗号化されて流れてきたクレジットカードの番号は、非暗号化されて元に戻されるんだ。そんなこと知ってるよっていわれるかもしれないのけど、一応ムースもコンピュータのお勉強をしてるってことがいいたくって。コンピュータの世界と数学の世界はかなりの割合で関係してるんです。だからコンピュータの勉強をするというと、イヤでも数学の証明問題をやらされるの。

とちょっと偉そうにコンピュータについて語ってしまいましたが、ムースはコンピュータのことに関してはまだまだ知らないことばかり。今日、人工知能の試験があったんだけど、いつものように撃沈です。ポッカリと抜けた部分が思いっきり試験に出ちゃったんで。さすがに先生には知恵熱が出るからたくさん覚えられないんですとはいえないから。そんなことをいった日には、毎日少しずつ覚えればいいじゃんって絶対にいわれるし。試験前に突然たくさんのことを覚えようとするからいけなんでしょって痛いところをつかれてしまうので、言い訳できないんです。

そうそう、話がまた飛んじゃうんだけど、ふと思ったこと。今日はかなり疲れていて、思考能力が0なんで話が飛んじゃうのは勘弁してね。今、世の中ネットワークでいろんなものが結ばれてるよね。またクレジットカードの話で何だけど、今はクレジットカードの会社同士ネットワークでつながれてるから、ある人のクレジットの履歴なんてどこの会社からでも引き出せるよね。これと同様に、もし医療履歴がネットワークで結ばれたらどうなっちゃうんだろう。一見よさそうだけど、恐い部分もあるんじゃないかな?もしもお役所が社会保険のことも国民保険と同様に、年金のように番号制で管理したら、その人が生まれてから今までの医療履歴が簡単にわかっちゃうと思うの。だって保険証と医療履歴を結びつけるのは簡単でしょ。みんな病院へ行ったときには保険証を出すんだから。ってことは、いい意味では何か病気にかかったときにいろいろな可能性を考えることが出来るけど、悪い意味では過去の病歴がすぐに医者にわかってしまうので、別の医師による別の診断が起こりにくくなるんじゃないかなって思うの。その前にお医者さんが誤診を嫌って嫌がるかもしれないけど。それに大人になってからも子供の頃かかりやすかった病気の疑いをかけられることも。もっとすごいことをいえば、データを盗んじゃったら、その人のかかりやすい病気なんてすぐにわかっちゃうし。それが出世の妨げになるかもしれないし。
コンピュータ化するといいところもたくさんあるけど、その分リスクも大きくなるんだよね。特にセキュリティーという部分で。日本のように戸籍がしっかりしてて、コンピュータ化されてる国は、こういうことをやろうと思うと他の国に比べて簡単だと思う。いい面を見れば世界中うらやむようなことが多いだろうけど、悪い面を見たら、お役所がすべての人の医療データ、学歴のデータ、収入等々管理出来ちゃうんだよね。プライバシーなんてないに等しいことができちゃう。いつも思うけど、本当にこういうことは紙一重だね。

今日は何が書きたかったかわからなかったけど、コンピュータ化は恐ろしいってことなのかな?


2002年07月01日(月)




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