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Mi Pensamiento Diario

遠くの友達

ムースが大学へ行ってた頃、ビルマ(本当はミャンマーなんだけど、くせなのでビルマにします)からの留学生がいたの。大学3年生の時、彼と知り合ったんだ。まだ外国がどんなところか全然知らなかったころのお話。多分、ムースにとって初めてできた日本人以外の友達だと思う。ムースの友達の友達の友達だったのかな?ゼミが終わってお昼ご飯を食べに行くとき、彼と一緒に食べたのが初めて会った時だと思う。外国へ1度も行ったことがなかったけど、死ぬまでに1度は行ってみたいと思ってたころだったから、外国のことは興味津々。今思えば、とっても失礼な質問をたくさんしたかもしれないけど、彼は決して怒ることなく、いつも穏やかに答えてくれてた。今思うとおかしな話しだけど、外人がお箸を使ってご飯を食べることすら、どうしてそんなことができるの?って思ってたんだ。日本に住んでいれば、お箸の使い方くらい覚えるよね。そんなことすらわからなかったんだ。
ご飯を食べてる時、みんなで話すことといったら下らないことだったと思う。誰がどうした、彼がどうしたっていうような、そこら辺の大学生がするようなくだらないお話。たまに誰かが「何話してるかわかる?」って彼に聞いてたけど、ムースは1度たりとてそんなことを気にしたことはなかったんだ。だっていつもわかるっていってたから。だからムースは決してゆっくり話すこともなかったし、きれいな日本語を使うこともなかったんだ。普通の日本人がいつも使うような、普通の日本語。それでずーっと話してた。
彼とは3年生になってすぐに知り合って、前期は毎週のようにみんなでご飯を食べてたんだ。ムースはその頃はまだ真面目に学校へ行ってた頃だった。っていうか、将来のことを考え始めて、一生懸命勉強しようとしてた。図書館司書の授業も取ってたくらいだもん。真面目もいいところ。しかも朝から晩まで授業がぎっしり詰まってたんだ。学校ではよく彼と会ってたから、話す機会も自然と増えていったかな?
秋になってからは失恋のショックでムースは学校へ行かなくなっちゃったんだけど、でも気が向いた時、たまぁーに学校に顔を出しに行ってたんだ。本当にごくたまぁーに。彼とはいくつか同じ授業を取ってたから、たまに学校へ行っても会うことが多かったのかな。偏屈もののムースだから、午後の出席も取らない授業に顔を出してたんだけど、そんな授業に行ったって知ってる人なんかに会うことはほとんどないんだよね。だってみんなそんな授業はブッチしてバイトに遊びにへと消えて行っちゃうもんね。でも、彼とは会うことが多かったね。
時は過ぎ、気がつけば大学4年生になっていた。ムースも初めて海外旅行っていうものをしてたし、英語の必要性についても感じ始めていたんだ。前にも書いたことあるけど、このときからNHKのラジオ英会話と上級基礎英語(今は何?この翌年に遠山顕の英会話入門に変わったんだけど)を聞き始めたの。ラジオ英会話の内容はワーキングホリデーでカナダへ行くお話。バンクーバーとビクトリアへ行ってきたばかりのムースにはちょー身近な話題だった。
もう、ムースには友達らしい友達もいなかったかな。だってみんなは就職活動だってがんばってるのに、ムースはのほほ〜んとしてたもん。しかも海外旅行へ行く前に生まれて初めて染めた髪はそのまま染め続けてたし。就職なのに信じられないって目で見られるようになってたかな?まぁ、この頃からムースの新たな人生が始まったんだけど…。
そんなある日、ムースが学校へ行った時のこと。彼に会っていつものようないろんな話をしてたと思う。その時にカナダへワーキングホリデーで行きたいっていったんだ。ビザの申請書を見せながら。彼は英語の文面を読みながら、行った方がいいよって勧めてくれたと思うの。この頃になって初めて知ったんだけど、彼って3年生になる前の2年間、イギリスのロンドンにいたんだ。彼曰く、そこで日本語を勉強したらしいんだけど。だからムースと知り合った時は日本語がわかるようになってたらしい。最初の2年は全然日本語がわからなかったし、日本人の友達もできなかったっていってたから。もちろん、ロンドンに2年もいたから英語も話すことができた。だからムースは前以上に彼にいろんなことを聞くようになってたよね。特に外国のことを。高校3年生の時にカナダの大学へ行きたいっていったことを突然思い出したし、大学生の時に海外へ留学するんだったら資金援助をしてもらえるっていう約束を両親としたこともその時に思い出した。だけど時すでに遅し。両親はすでに最後の学費となる大学4年次の授業料を納めてたから、ムースにはもう資金援助の道は絶たれてたんだけど。でも、不思議と勉強したいって気になったかな。それも海外で。
でね、あるときに彼にいわれたことがあるの。「ムース、もし外国で働きたいと思うのなら、その国へ行って学校を出なきゃダメだよ」って。今でも忘れることのない言葉。嘘か誠かはわからない。でも、ムースは彼のいった通りだと思ってる。外国で働くかどうかなんて今のムースにはわからないけど、コンピュータのことを勉強してる限り、1度はアメリカで働いてみたいって思うのが本音かな。
大学を卒業する時には彼は結婚してて、奥さんを連れて奥さんの実家のあるロンドンへ行くっていってたんだ。ムースもヨーロッパってところへ行きたかったので、彼にそのことをいったら一緒に行こうということになったんだ。でね、彼に連れられてロンドンへ行って、いろんなところを案内してもらっちゃったんだ。1年間のNHKを聞いただけじゃまだまだ英語なんてわからなかったんだ。だから彼がムースの通訳となって、いろんなことをしてくれたの。だからとぉーっても楽しかったよ。
その後彼に会うことはなかなかなかったかな?ムースがスペインにいるとき、冬休みだからってロンドンへ行ったんだけど、彼の一家は日本に来ていて、奥さんのお母さんにしか会えなかったから。その半年後、ムースがイギリスに3ヶ月いるときも、ロンドンの奥さんの実家へお邪魔したんだけど、やっぱり彼は日本にいたのかな?スペインから帰ってきて1度新宿で会って飲んだけど、それが最後だったと思う。もうそれから何年も会ってないんだ。でもね、今日ふと彼はどうしてるのかなって思い出したから、ちょっとその思いを言葉にしてみたの。5月だっていうのに、今日は雪がチラチラと舞ったから、ちょっとセンチメンタルな気分になって昔のことを思い出したのかな?

ムースにはいろいろなところにお友達がいたけど、いつの間にか疎遠になっちゃって、今ではほとんど連絡もとってない。ムースってHNの由来はカナダのハリファックスっていうところへ行った時にハリファックス・ムースヘッズっていうジュニアのアイスホッケーチームの試合を見たからなんだけど、ハリファックスへ行ったのはムースの友達に会うためにいったんだ。彼女とも今では疎遠になっちゃったかな。電話しようと思いつつ、今だに電話すらしてないんだけど。
遠くにいるとついつい疎遠になっちゃう友達だけど、ふと思い出すことがあるの。あの人どうしてるんだろう。この人どうしてるんだろうって。ついこの間も、ムースが中国へ行った時に知り合った人のHPを見たからメールしたんだけど、何にも覚えてなかったみたい。ちょっと残念だったけど。
ムースの友達が昔こんなことをいったことがあるんだ。「お前は覚えてなくていいことを覚えてる。そんなことを覚えてるより勉強したことを覚えろ」って。受験生の頃の話だから何となくわかるけど…。でも、くだらないって思うことかもしれないけど、あの人とこういうことしたとかあの人とはこんなことを話したとかってあまり忘れたくないから。だっていろんな人に会って、いろんな話をして、いろんなことを知ったから、今があると思うから。だから距離が近かろうと遠かろうと、昔、一緒に遊んだり、旅行したり、いろんな話をした人たちとはできる限り連絡は取り合っていきたいと思うんだ。
いつまでも友達でいたいんだ。折角知り合ったのに、今では知らない人っていうのではあまりにも悲しいから…。


2002年05月01日(水)




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