冒険記録日誌
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2009年10月11日(日) 忍法タイムチェイス(スーパー頭脳集団アイデアファクトリー/桐原書店) その2

 さて、過去に飛び立つのはいいものの、どの時代に飛ぶかとういうのが最初の選択肢です。実はカシムダがどの時代にいるかはよくわかっておらず、時間捜査局の情報によればカジムダ潜入の疑いがあるのは、平安時代、江戸時代初期、江戸時代後期の3つの時代です。
 普通ならその程度の情報でカシムダを見つけられるのか!?というところですが、カシムダという男はどんな状況でも悪事を働かずにはいられない性分らしく、いった時代の先でも目立つ事件を起こしているに違いないとのこと。なるほどね。
 それから主人公のもつタイムマシンは印籠の形におさまっていますが、研究者の悪ノリで無理にこのサイズにしたのがたたって、機能に欠弱があるそうです。それは、(1)同じ時代には24時間までしかとどまれない。(2)タイムマシン内臓の現代時間は変わらないので、過去でなにかした時間だけ、現代に戻るときの時間も遅れる。つまり3つの時代を往き来しながら、時限爆弾が爆発するまでの7日以内に戻って来いということです。*
 これらのちょっとややこしい設定により、君は3つの時代を1日単位で移動しながらカシムダを探すことになります。ゲーム的にいうと、時代ごとに独立した3つのミニゲームブックを、交互に進行していくという形になり、なかなか個性的なゲームシステムです。たとえば日数を節約するために平安時代にカシムダがいないことを祈って、江戸の初期と後期の時代を往復して2つの時代のみ攻略していくとか、タイムスリップ時に作戦を練ることが可能です。これで江戸時代初期で行った行動が江戸時代後期の冒険に影響するとか、互いのリンクが少しくらいはあればゲーム性も高まって、もっと面白くなったと思うですがねー。
 3つの冒険はそれぞれ違う人が受け持って書いたのか、雰囲気が少し違うかな。戦闘システムを使ったり切り札となる忍術を使用する選択肢があるのは江戸時代初期の冒険だけですし、江戸時代後期は遊び人の金さんと銭型平次がゲスト出演してお遊びの要素が強くなっています。
 どの時代にカシムダがいたかとか、ネタバレすると面白さが半滅するタイプのストーリーだろうから、あまりプレイ中の感想は書きませんが、攻略中の苦労を一ついうと、風魔丈太郎には苦戦させられました。攻略の抜け道に気付かず、丈太郎のあまりの強さにゲームバランスが悪くてクリア不能なのかと諦めかけましたよ。
 あと最後の解除キーの捜索シーンは、一発デットエンドと隣り合わせですが、冒険中にヒントかなにかほしかったなぁ。カシムダがいなくて空振りに終わる時代にも奴の部下らしき人間はいたので、その時代のクリアのご褒美にそいつがヒントを教えてくれるとかさ。
 エンディングはちょいとコメディタッチですが、結構好きです。そっけない文章が特徴のスーパー頭脳集団アイデアファクトリーのゲームブックですが、この作品に関してはそれは当てはまらず、いくらかのユーモアが感じられます。第12弾までくると製作団が進化してきたのか、それとも中の人が違うのか。どっちなんでしょうねぇ?



* ゲームに時間制限をつけたいという気持はわかるものの、この設定はちょっと苦しい。自分なら「タイムスリップで数日や数時間の微調整はロケットで隣の家に行くようなもので無理。過去も未来もキッチリ100年単位でしか移動できないから」とでも設定します。


2009年10月10日(土) 忍法タイムチェイス(スーパー頭脳集団アイデアファクトリー/桐原書店) その1

 スーパー頭脳集団アイデアファクトリー製作第12弾のゲームブックです。
 公平を保つためにいっておきますと、謎の集団によって作り続けられた、このマニアックなゲームブックシリーズも後期の作品あたりでは普通に良作じゃないかと思える作品がなきにしもあらずです。
 たとえば冒険記録日誌(2004年06月)で既に紹介した「猫といじめっ子反撃大作戦」は、街中や学校を猫視点で冒険するという仕掛けと猫ライフにふさわしい攻略の自由度があり、結構遊べる作品です。
 そしてこの「忍法タイムチェイス」も私は割と好きですね。
 まず、プロローグが面白い。核戦争が終わって戦争の過ちに気付いた人類が、世界連邦という統一国家を作り出した経緯を説明しているのですが、この核戦争の原因というのが、ニューヨークオリンピック開会式の入場行進のときに、ソ連の選手がアメリカ大統領の前でアクビをしたことから、「けしくりからん」「てめえんとこの選手村のベットがせこくて眠れなかったんだ」「何をォ!」(セリフは原文のまま)という子供の喧嘩みたいなところから始まっています。
 そういえば星新一の小説で、「血で血を洗う宇宙戦争の原因が、宇宙船から出たゴミが他の星の宇宙船に当たったことからだった」というショートショートがありましたねぇ。
 ともかく世界連邦の設立により、人類は一応の平和を得たわけですが、各種の犯罪組織はあいかわらず健在です。このなかでも最大の規模をもつ「POF」という犯罪組織を世界連邦捜査局が追い詰めたところ、そのボスのカシムダに逃げられてしまいます。しかもそいつは東京をまるごとふっとばす威力の時限爆弾を置き土産に設置したあと、タイムマシンで過去に逃亡してしまったのです。
 さあ大変、時限爆弾の爆発は1週間後。技術者は解除はできないとお手上げ状態。こうなったら捜査員もカシムダを追って過去に飛んで、なんとしても奴を見つけ出し、解除キーを手に入れるしかない!そこで選ばれたのが伊賀忍者の血を引く君なのだ!って話しです。
 なぜそこで忍者?というつっこみも入れたい気もしますが、向かう先は江戸時代などだから忍者でもいいのかも。横田順彌のSF小説や、山田風太郎の漫画で、忍術でタイムスリップができる話しがあったのを覚えているので、意外とスンナリ受け入れている自分がいます。このゲームブックでのタイムスリップは、忍術ではなくタイムマシンを使うみたいですがね。

 そんなこんなで、選ばれた君は過去に旅立つわけですが、話しが長くなってきたので、また次回に。

続く


2009年10月09日(金) 1999年のドラキュラ伯爵(スーパー頭脳集団アイデアファクトリー/桐原書店)

(ネタバレ注意!プレイ予定の人は……読んで覚悟ができた人のみ遊んで下さい)

 マニアックなゲームブックファンなら知っている謎のゲームブック製作集団、スーパー頭脳集団アイデアファクトリー!その第二弾の作品ですよ!ヒャッハー!
 と無理やりにでも気分をハイにしないとこの作品のことは語れません。もちろん大好きなんですよ?だって、無難にまとまった退屈な作品より、特徴ある作品の方が印象に残るし面白いじゃないですか。ファミコンゲームだと「たけしの挑戦状」とか伝説のクソゲーと言われながら、なんだかんだと愛されていますよね。「1999年のドラキュラ伯爵」は名作とか駄作というレベルの評価を超えて異次元空間の反宇宙にまで到達した作品なのです。
 もっともこの作品については、すでに他の方のサイト「麻呂的選頁遊戯本展示室」で素晴らしすぎるレビューが書かれておりますので、今さら何も書きようがないというのが本音です。
 そこでこの冒険記録日誌では趣向を変えて、少々理解が難しいこの作品の特殊設定やらなんやらを合理的に解釈するスタンスで解説していこうと思います。


麻呂的選頁遊戯本展示室
http://www15t.sakura.ne.jp/~mope/gb/gbc.html

1999年のドラキュラ伯爵
http://www15t.sakura.ne.jp/~mope/gb/004.html


 まずストーリーですが、簡単に言うとノストラダムスの大予言により世界滅亡がささやかれる時代に、世界征服をたくらむドラキュラ伯爵の末裔がヒマラヤ山中に出現。主人公はこの吸血鬼を退治に、単身ヒマラヤ山中のクレバスから洞窟に潜入し、その奥深くにあるという地下城に乗り込むというものです。
 ここで、なぜドラキュラがヒマラヤに?なぜにそんな辺境に立てこもりつつ世界征服を?ヒマラヤ山中の洞窟の奥深くにどうやって巨大な建造物を建てたの?という常識的な疑問が次々に湧いてきますが、きっと答えはあるはずです。この謎のプロゲームブック製作集団スーパー頭脳集団アイデアファクトリーは、別のゲームブックでも夢オチというアイデアをおしげもなくエピローグに持ってきて、しっかりとストーリーの整合性をはかっていました。
 今回もゲームプレイをしてみれば、次々に主人公に襲ってくる敵の中に、未知のテクノロジーの産物と思われる機械類に囲まれた部屋で宇宙人が登場します。また最終的なボスであるドラキュラ伯爵の部屋も同じような機械類に囲まれ、「まるで宇宙船の内部のようだ」のような表記があるのです。そしてイラストを見る限り、吸血鬼は巨大モニターのついたコクピットのような前で椅子に座っていました。おそらくは吸血鬼と宇宙人はなんらかの技術的な協力関係をとりつけたに違いありません。
 こうなると、ヒラヤマ山中に閉じこもっているように見えるのも、あえて人里離れた場所で人目を避け、世界征服に向けたハイテクノロジーを駆使した極秘準備をしていたと理解できます。きっと行動をおこすときは、吸血鬼が部屋のスイッチを入れるだけであの巨大な城が宇宙船となり、洞窟を突き破って飛び出すのでしょう。
 さらにこの作品ではバラエティー豊かというか、中国人のような格闘家、インド人のような蛇使い、猿のような化け物など一風変わった敵キャラが次々と無国籍に登場してきます。その理由は、大天使ガブリエルまで敵として登場したところで理解できました。これも世界滅亡というノストラダムスの預言が影響しており、吸血鬼はガブリエルの意見も参考にして、巨大宇宙船をノアの箱舟に仕立てようとしているのです。世界を征服するというのは世界を一度滅ぼして、自らが選んだ者たちだけを繁栄させる計画だったのです。そのため彼のいうことを聞く者ならすべて受け入れ、浅く広く多くの種族をきたるべきときに備えてあの地下空間に住まわせていたという解釈ができます。
 こう考えてみればこの作品の設定やストーリーに潜む、隠された深いテーマが理解できましたでしょうか?

 続いてはゲームバランス的な話しです。
 まずこの作品では主人公が異様に強い。戦闘ルールはファイティングファンタジーシリーズのものに近いのに(運試しのルールは違いますが、あまりの強さに戦闘中に運試しをする必要はまずありません)、主人公が14+サイコロ2個の数値で技術点を決定しているのに対して、敵キャラは一番強いものでも「技術点7 体力点8」の強さしかなく、サイコロを振るまでもない戦力差です。(ボスである吸血鬼はアイテムの有無で勝敗が決まるため技術点は無関係)
 これは誤植の可能性が高いと愚考します。なぜなら主人公の体力点は8+サイコロ1個の数値で決定されるのですが、これは一般的なゲームブックから考えればかなり低い数値。ようするに技術点を決定する説明とここが入れ替わってしまったというわけです。プロ集団のスーパー頭脳集団アイデアファクトリーがそんなミスをするとは信じられない!と叫ぶ人もいるでしょうが、彼らも人間です。現実を見つめることも大事かと思います。
 ま、その修正を加えても主人公は十分強い気もしますが、吸血鬼退治のためコンピュータに選ばれた選りすぐりの君が、現代版ノアの箱舟に乗ろうとやってきた寄せ集めの集団より、ある程度は強いのは当たり前です。おそらくこの作品はリアリティを大切にしているのです。洞窟や城で発見する品々や思わせぶりなヒントも大半は、まったく使用する箇所がないのもそれが理由です。敵の本拠地で、そうそう都合よく役に立つアイテムを偶然拾ったり、自らの身を危うくするアイテムを敵が簡単に配置するわけがないではないですか。
 逆に、吸血鬼退治に絶対必要な3つのアイテムについては、そんなにいじわるな配置はされていないので、入手に苦労はしません。ゲーム的には優しい作りともいえます。敵をバッタバッタとなぎ倒し、手詰まりにならずにサクサク進める。つまりインディジョーンズばりの活躍が出来るゲーム性なわけですね。

 最後にストーリーがちっともまったく盛り上がらない点。この作品は大半の敵キャラは無口ですが、ボスの吸血鬼も一言も喋りません。最後の戦闘も必要な3つのアイテムを持っているか聞かれ、持っていれば倒した。持っていなければここで負けたといわれるだけで、アイテムを使用する描写もカットされて非常にあっさりとしています。その意味では中盤で登場するニセ吸血鬼の方がセリフがあるだけまだマシです。またゲーム中にボスが吸血鬼である設定を生かした箇所というのは皆無で、これならタイトルが「1999年のフランケンシュタイン」でも「1999年の狼男」でも影響ないような気もします。
 これはですね。そうだな、つまり……セリフのあった一部の敵を除いて敵は日本語を喋ることができなかったのです!ましてボスはルーマニアにいたドラキュラ伯爵の子孫であり日本とは縁がなかったのでしょう。これで納得です。この設定はさすがに少々こだわり過ぎですね。クスッ。
 エンディングもファイティングファンタジーシリーズも真っ青の短さ。3行です。これは後半の疾走感あふれる展開の短さに合わせたのでしょう。こうゆうのはテンポが大事ですから。

 このようにスーパー頭脳集団アイデアファクトリーは実にハイレベルな作品を提供してくれます。みなさんもなんとかこの本を入手して、是非この独特な世界に浸ってみられることをお勧めします。


2009年10月01日(木) 自分的基本理念

 先日買ったラノベ「けんぷファー10・2分の1巻」を読んでいたら、この作品で数少ない男キャラである東田がめずらしく良いことを言っていたので印象に残った。正確なセリフは覚えてないがこんな感じ。

 女の子はすべからく可愛い。これは真理だ。
 美少女と可愛いは別なんだ。可愛いがあって、その中に美少女が存在する。
 美少女は至高だ。しかし、だからといって可愛いをないがしろにしていいわけじゃない。

 東田は、主人公の友人で女好きなアホキャラという、いかにもラノベにありがちなベタキャラなんだが、主人公によると、「東田は女の子の話題をよくするが、誰がブスとか言ったことがない。ベストランキングを作ってもワーストは作らない」らしく、アホなりに愛のある男のようだ。
 なんでこれが印象に残ったのかというと、この考え方が自分にとても合っているから。言葉を置き換えてみよう。

 ゲームブックはすべからく面白い。これは真理だ。
 面白いと名作は別なんだ。面白いがあって、その中に名作が存在する。
 名作は至高だ。しかし、だからといって面白いをないがしろにしていいわけじゃない。

 自分がゲームブックに対して抱いていた漠然とした考え方が、この言葉でピッタリと表現できたのでスッキリした。冒険記録日誌も一応はこの考え方で書いてきたつもりだ。
 (ま、東田ほど達観していないので、たまには悪く書いた作品もあるかもしれないが、心底嫌いなわけじゃない。ほんとに嫌な作品というのはそもそも遊ぶ気にならないのでこの日誌に登場しない)
 つまらない作品を褒めたたえる必要はありませんが、それを許容できる世の中でないと、遊び心のある作品がなくなっちゃいますよ。ゲームブックに限らない話しですけどね。


山口プリン |HomePage

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