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みんみん



 絵日記をかく

小学生、初めての夏休みも間近。
3連休の宿題のひとつとして、絵日記が1日ぶん出ました。夏休みの宿題の予行演習のようなものと思われます。

この絵日記、Kにとって絵を描くことは何でもなく、むしろ楽しくてならないらしい。絵を描くスペースをさらに田の字に4分割して、それぞれちまちまと描いている(もともとミニマルな画風です。笑)。
そのかわり、下半分の文章部分は少し手こずっています。中心的な語彙は、
「おもしろかったです」
「うれしかったです」
「すごかったです」
あたり。
「おもしろかったです。なんでかというと、うれしかったからです。」
みたいな。まあ、確かにそうなんだろう。
でも、なんでおもしろかったのか、書いてくれないと読む人はわからんよ。たとえば、いま隣にいるおかあさんとかにさ(もっとも、おかあさんには透視能力があるから、Kの気持は読めるけど)。
それに、あとで見たとき自分でもわからんかもしれんよ。だからそこが知りたい。
・・・などと聞いたりしながら、書いているようすを見ています。
句読点を打つことも、れんしゅうちゅうです。もっとも、句読点の打ち方は、大人でもそれぞれに癖や傾向があるというもの。

夏休みの宿題の絵日記は、毎日かく必要はないのかもしれません。
でも、(一緒に会話しながら)何回かでも、継続して書いていくうちに、何かしら「書く」力は身につくかもしれない、という印象は持ちました。
おにいさんおねえさんたちも、それから、大人も同じですな。
誰かにちょっとヒントを投げてもらったりしつつ、でも結局は自分で気づかないといけなくて、それができたら何かが身についている、というような。
何より、考えないと書く(話す)ことはできないし、考えていても書く(話す)ことができなければ、伝わらない。

一方でふと、おもしろかったのはうれしかったから、でいいじゃないか、それはそれで真実なんだよ、とも思えてくる。
すると、言葉でえがくことができる、というのは、ずいぶん、つまらんことなのかもしれない。
書くということを始めたばかりの人の書く文。
なんにせよ、人の書く文章はおもしろいです。

2013年07月15日(月)
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