不確定を確定に変えていくことは、実はちょっと寂しいことだと気づいている。「まだなんとかなるかもしれない」その恥ずかしいほどの清々しさといったら。誰かに肯定してもらうことで成り立つ「確定」の上に僕らは立って、「もうどうにもならないんだ」などと自嘲気味に笑いながら、寂しさを紛らわすために死ぬまで「不確定」を探し続けるのだろう。
回転をやめた人からは、勢いよく回るモーターは恨めしく空回りは滑稽であろう。でも空回りさえしなくなったその人は路傍の草ように黙殺されるであろう。