足りないと感じ、それを埋めたいと思い、 それが動く衝動となる。 満ち足りてしまってはいけないという。 満ち足りるために走っているのに。矛盾だ。
最近飯を食うと太る。大盛りやオプションや 間食は再び禁止である。 おなかいっぱいにするために食っているのに、 やせようと思ってセーブする。なんだこの仕組み。
方法を練り、試行錯誤し、嫌になり、それでも腹に力込めて進む。 今できることってなんだろう。できることからやってこう。 それは罪であるか。限られた時間を実はもっと効率的に使う アイデアが出ないことが罪であるか。 それとも全面的に信頼できる外部の不在か。
成功するための努力は、失敗をしないための努力であるか。 否、失敗をしない努力と成功するための努力はイコールでない。 クリエイティブである状態、とは、失敗を糾弾する空気の排除か。 裸の王様に死を。 成功を信用してもらうシステムの構築、補強である。が。 矛盾、ではないけど、なんか違う。なんかやだ。の顔。
水をもっと入れる努力 バケツの穴を塞ぐ努力 ま、両方だーな。
大鉈を封印するという背水をしいて動いてきたが、 「いざとなったら使ってもよい」という選択肢を持て。またそろそろ。 人生時々、必要な決断。そうやって、切り開いてきた。
練習不足で失敗した。 その経験を踏まえ練習を重ねたところ、練習しすぎて故障した。 その状態は、前よりも生き方として尊いであろうか。 停止よりは進歩が善だが、停止と退歩どちらが悪だろうか。 退歩は悪か。
外部媒体に記憶をとどめる。 人は記憶する必要がなくなる。 脳は休めるが、人としては怠慢ではないか。
道順の決定や解決の筋道などを忘れたくない。 そのために通ったことのない道を運転し、初めての人と話し、 いったことのない店を選び、着たことのない服を着て、 聞いたことのない音を聴く、脳がびっくりして頑張る。 拒絶しはじめたら、オッサンなんじゃん。
人為は悪、 自然は善。 ただし自分が為すものは善。 以上は消えるべき発想。
人為の中の善と悪を見極め、その善にフォーカス。 愛は必ずしも善ではありません。 そのテーマ、考えたことないしよくわからん。 ていうのは嘘。いつも考えているけど、
自分のどす黒さ=愛の本質(片面。もう片面は誰もが求めるそう、 いつものあれ)と思われ。 自分がカワイイそっち思想のほうが黒くてカワイイ。 けど白を基調にコーディネイトしてんだよ。いま。 そうすっとなかなかつたわんねくてめげる。 黒なんだよ人。大丈夫。泣かないで。
電車で席に座ってます。
駅でお年寄りが乗ってきてさ、 どうも1席だけ足りなくてその人座れないとします。
誰か譲ったらええやん。 「どうぞ」って優しい微笑みで譲ったらええやん。
でも 俺はあれだね。 譲ったり絶対したくないね。
そんなとき俺ならこうする。
「あ、そろそろ降りる駅だな」
って顔して、降りる人のフリして、 ぽって、席あける。 で、隣の車両かなんかに移ってみたりとかする。
そのお年寄り、 感謝とかじゃなく、ただ席が空いたから座る。
俺の心、 ぽっ、てあたたかくなるね。 お年寄りは気づかないんだ。 俺それでいいんだ。
そういう優しさで俺、生きていきたいんだって。 ひねくれててごめんね。
色々気になってた人と会うことができてます。 でも書いていいものだろうか。 伏字にしとくかな。
くわしくはここをクリック。
いちご大福がうまいのは、 いちごの美味しさ+あん+皮の絶妙なハーモニーである。
いちご1個じゃなく、いちご大福として売り出すのは、 ちゃんと200円払うだけの価値があるものを作りたいからである。 いちご1個をお店で売っても、、どうすんだよお前って話である。
いちごファンからしてみれば、 そのあんと皮は余計なものかもしれない。 でも
「私たちは、いちごそのものの美味しさを味わいたいのだ! あんと皮のない、いちごそのもので売って下さい!」
といちご大福屋に詰め寄るのは、おかど違いというものだろう。 申し訳ないけど八百屋かいちご畑に行って探してもらうしかない。
僕がしたいのは、 道端に落ちてる極上いちごとしての存在ではなく、
いちごの美味さを素材として引き立ててくれるあん+皮で包まれ、 袋詰めされ、並べられ、のぼり旗で宣伝され、店先に並ぶ製品 としての存在である。
他の店で出すいちご大福より うちのが美味いっすよ!って話題にならなきゃいかん。 それは割と、熾烈な争いであることも知ってる。
だがしかし、 いちごが腐っては、元も子もない。 奇麗な大福にしたところで、まずいものは売れない。
ただのいちごとして売るつもりはいまのところない。
今僕にできることは、 いちご大福のいちごとして、 鮮度を保ち続ける、うまみを増し続けること。
インナーに入ってしまっているときの思考回路なぞチラ見せ。
===== 可愛がられる、という状態に慣れていない気がする。 照れてしまう。嫌がってしまう。困らせてしまう。
人を頼る頼り方が良く分からない。 なんでも一人でこなせる、選べる、決めれる状態が美徳と育った。
人と写真を撮るのが苦手だ、 一人でどっかいっちゃうのが好きだ。
ほんとに分かち合うっていうことを分かっていないかも。 結局どっかで裏切られるのが怖くて、信じることを はじめからしていないのかもしれない。
「独」という文字に、寂しさを微塵も感じない。 凛とした旅人を想起する。
人を信じてついていくとか任せるということに抵抗を感じてしまう。 頼ればできることが沢山増えるのにね。損だ。
信頼関係で成り立っている社会。 こんなんではこの社会で生きていけないですよ。 それはとてもとても分かっている。
直したい。完全に直したい気持ちでイッパイだが、 一回死んでから生まれ変わるしか方法はないのだろうか。 てゆうかこういう人って世の中にいるんだろうか。 自分だけかな。
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まぁあれです。
ほとんどの人と同じように 僕にも欠点がありますってことです。
言い返せばそこが・・とか 多少の欠落がないとそっちのほうが逆に・・とか
みたいなことも込みで、 やっぱり時々凹みます。
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