メディアという誇大世界で表現者が消耗する理由を知りたくて、裏側を覗く。
沢山の人を相手に素で向き合い過ぎていると、消耗した気分になる。 だから多くの表現者は素を隠して自分が作り上げた別の強力なパーソナリテ ィに成り代わるか、素に幾重にも上塗りを施して、ハイパーな状態で、ハイ パーなことを述べるのかもしれない。だからメディアからは毎日、普段のパ ーソナリティからは到底出て来そうもないハイパーな世界が演出されるので はないだろうか。素で出て行って、消耗したくないんだ。
それが自分が(素で)思うところとは違っていても、場として成立すること のほうが、まずは大事で、誠実であることはそのあと、というのが暗黙のル ールなのかもしれない。寂しいけど仕方ないのかもしれないね。誠実なもの は深夜2時とか3時に、NHKで目にすることが最近多いです(そこにも作り手 の意図というか、思い入れはあるのだろうけど)。
巨大な街を歩くと普段より消耗する理由を知りたくて、繁華街をゆく。
街へ出る人達の中には、食うか食われるかの熾烈な勝負に備えるように、完全 武装をして家を出る人が大勢いる。女の子は特に、街に仕掛けられた多くの 甘い罠に引っかからないように常に気を張り詰めて道を歩くんだろうし、男 もまた、少ないチャンスをしっかりとモノにするために、あるいは不用意に 軽んじられないように精一杯の武装をするのではないだろうか。素で出て行 って、消耗しないようにしてるんだと思うと、納得がいく。
みんな素の、ホントの自分のその核にあるモノは、 すっごくナイーブで、簡単に傷ついてしまうようなモノなんだと思う。 だから素じゃない自分を演出して、保護しているんだろう。
みんなと同じで、 触れただけで壊れそうな脆弱な素の自分を持ってる。
で、 素でいても消耗しない在り方を模索しているけど、演出したり武装しくて も消耗を避けることのできる心の置き方なんて、きっとないんだろうな。 せめて、ユニークなフェイクを楽しみたいというのが、僕の考え。
人に教えてあげたい趣味と、 人には絶対教えたくない趣味がある。
で、そんな誰かの秘密の趣味を知ると、 なんだかとても深い仲になったような気がする。
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