Diary


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2003年01月29日(水) 増刷計画?



ここのところ、立て続けに「竹花さんの漫画本はどこで手に入るの?」と聞かれている。品切れ中であることを伝えると、「増刷したら声かけてね。買うから」と。

うっ(涙)、漫画家としてこんなにうれしいこともない・・・。

しかし、増刷に先立つものがない・・・。うっ(涙)。


2003年01月27日(月) 臨時休業

数日前より体調を崩し気味だったのだが、今朝になって熱を出した。今後1週間ほど、予定ビッシリの過密スケジュールをこなすことになるので、大事を取って仕事を休んでおいた。のどや気管支に異変はないので、インフルエンザではないようだ。

そんなわけで今日は、ちょっと机に向かって、ちょっとコタツで本を読んで、ちょっとフトンで寝て・・・の繰り返し。そんな私の傍らで、ネコたちも、互いに微妙な距離を置いて寝そべっている。



最初の1カ月が同じ部屋にいることすら嫌がっていたのに、3カ月が過ぎた今、何とかここまで距離は縮まった。

マ、1日1回は取っ組み合いのバトルを展開してはいるが・・・。


2003年01月26日(日) "opala"〜電脳と思考の記録〜

本日は早々に帰宅。なぜなら漫画の〆切だから。自宅で原稿用紙に向かい頭をひねる。

しかし、どうにもネタが浮かばず、ついついパソコンの電源を入れネットサーフィン。webサイトを次々と見ていくうちに、当初は思いも寄らなかった探求心が芽生え、最初の目的とは遠く離れた調べものに走ってしまうことってありませんか?

今日の私のネットサーフィンと思考の履歴は次の通り。

(1)自分の日記http://www.enpitu.ne.jp/usr7/77302/)のハワイ滞在記を見る。ハワイ、また行きたいなあ・・・。

(2)自分のサイト内http://homepage2.nifty.com/kahoumono/soreyuke/)のコンテンツを流し読みする。そういえば、最近環境ネタのエッセイ書いてないよなあ。

(3)そういえばハワイって、プレートランチとかもほとんど使い捨て容器だったし、ごみの排出量が多そうだよなあ。一体どうやって処理してるんだろう。

(4)Yahoo!Japanhttp://www.yahoo.co.jp/)で「ハワイ」「ごみ」を検索。

(5)「ハワイなごみ音楽」とかいうページがヒットして一瞬脱力するも、いくつかコチラの問題意識にマッチしたページを発見。

(6)「あの国でこれがやりたい」の「異国からの手紙」ハワイ特派員くもんやすこさんのレポートhttp://www.anokuni.com/ikoku/003/mail/back.html)に掲載された、ホノルルのごみ処理施設見学の体験記を読む。なかなか貴重な情報。

(7)ハワイ情報メルマガ「ちぐさランダム」http://chigusa.imaokas.com/index.php?randomdetails=198)によると、ホノルルのごみ処理場はもう一杯で、ワイマナロ(曙の出身地)の埋め立て場も、まもなく一杯になるとか。

(8)「定点観測ハワイ発・KJPNラジオニュース」99年11月号http://forum.nifty.com/fworld/dunia/d_0001/dn_1112277.htm)によると、99年の時点で、ホノルル市は、オアフ島ののカヘ・ポイントにごみ埋立場の拡大を図ることにし、2002年でいっぱいになるごみ埋立場が15年延命されたとのこと。

(9)一応役所のサイトも見ておこうと思ってUS版Yahoo!http://www.yahoo.com/)で「hawaii」を検索。トップでハワイ州のサイトhttp://www.hawaii.gov/)が登場

(10)サイト内検索に「waste(ごみ)」を入力し「ハワイ州健康局廃棄物部」http://www.hawaii.gov/health/eh/shwb/sw/)」とかいうページを発見。

(11)そこから「ホノルル市ごみ分別課」http://www.opala.org/)みたいなトコロに行き着く。opalaとは、ハワイ語で「ごみ」を意味するようだ。焼却場やワイマナロの埋立場の写真も載っている。ごみ発電やリサイクルへの取り組みをアピールしていたりして、ものすごーく行政っぽい。このサイトによると、オアフ島では年間150万トンのごみを排出するらしい。

(12)ふとオアフ島の人口が気になって、Yahoo!JAPANに戻り「オアフ島」「人口」で検索。

(13)オアフ島観光局サイトhttp://www.visit-oahu.jp/oahu.html)により、オアフ島の人口は87万人であることがわかった。

(14)とすると気になるのは我が京都市。京都市環境局のページhttp://www.kyoto-gomi.com/information/toukei.html)で、京都市の1年間のごみ排出量を調べる。81.8万トンだった(99年)。なお、京都市の人口は146万人。単純に考えると、オアフ島の人口は京都市の60%に過ぎないのに、排出するごみの量は1.8倍以上である。すっげー!

(15)ふと時計をみると午前1時半。われながらよく勉強したなあ、と思うと同時に、数時間で海の向こうのことをここまで知ることができるなんてインターネットはすごいなあ、と思った。

(16)それにしてもヤバいなあ。漫画描けてないよ・・・。


2003年01月25日(土) 冬の天使

早朝の通勤中、ふと北山に目をやれば、峰は雪雲に覆われていた。鴨川の岸辺も真っ白な霜をかぶっており、見るだけで体感温度が2、3度下がるような朝の風景。

そんな中、いつもより早めに職場に到着すると、職員通用口の前には、バイトのGさんが震えながら立っていた。我が職場は常勤職員のみが鍵を持っているので、バイトの彼女は中に入れないのである。

私の姿を見たGさんは、まるで舞い降りた天使を見るような視線を私に向けた。「鍵を持っている」・・・それだけで私は、彼女にとって神の使いの如き存在に他ならないのである。

しかし、実は私は、鍵を自宅に忘れてきていた。

その事実が明らかになるや否や、如実に変化するGさんの視線。私は、期待を裏切られた彼女の冷たい眼差しと寒風にうち震えながら、次なる常勤職員の出勤を扉の前で待ったのである。

数分後、常勤職員Yが門をくぐってやってきた。ああ真の天使の到来。西門なのに彼女の背後に光が見えたのは幻覚か。吹きすさぶ風の中からパイプオルガンが鳴り響いたのは幻聴か。Yの手が警備を解除し、扉の鍵を開ける。そしてGさんと私は、ようやく楽園に足を踏み入れたのである。

(短編小説「冬の天使」 完) ※執筆時間10分


2003年01月22日(水) 少しくらいは・・・

少しくらいは旅の余韻に浸らせてくれよ!
帰国2日目というのにタクシー帰り・・・。

せめてもの慰めに、職場のPCのデスクトップを
ハナウマ湾の写真で飾った。


2003年01月21日(火) 社会復帰

約1週間ぶりに職場へ。

「どうやった鳥取?」・・・そのツッコミはもうええちゅうねん!
「全然焼けてへんやん」・・・水着跡くっきりやっちゅうねん!(見せたらんけど)
「どこへ調査に行ってきたの?」・・・観光や観光!
「最近見かけへんかったけど風邪でもひいとった?」
・・・休暇や!旅行や!バカンスや!


2003年01月20日(月) 帰国

日付変更線を超えて帰国。家についたのは夜8時。

「だしの利いたものを食べたい!」
I氏と私の意見が一致し、うどんを食べにいった。

うどん屋への道すがら、I氏は「京都だなあ・・・」と感慨深げな様子。「カラカウア通りじゃなくて今出川通りだ・・・」「TheBusじゃなくて市バスだ・・・」とブツブツつぶやいていた。


2003年01月18日(土) 4日目


小鳥さん。


実質的に旅の最終日。I氏が「中学校社会科で必ず習うプランテーション」を見たがっていたので、またまたTheBusでドールプランテーションへ。この路線はハイウェイを使うので、1時間弱でドールプランテーションに到着することができた。一面に広がるパイナップル畑に歓声を挙げるI氏。

午後は私は部屋でのんびり過ごすことにし、I氏はハワイ日本文化センターに一人出掛けた。

明日の便でついに帰国だ。ああ、帰りたくない・・。













「死」「住」は数年前にイギリスで見かけたんですけどね。某地方都市のパブの従業員が「君はジャパニーズか?僕は漢字のタトゥーを入れているんだ」って「死」「住」を自信満々に見せてくれました。


2003年01月17日(金) 3日目


アリゾナ記念館より望むパールハーバー


本当は早起きして(6時台)、52番のTheBusでオアフ島を半周しようと思っていたのだ。しかし、昨日の海の疲れに時差ボケも重なって、起きたのは8時近く。なので今日は、「ビショップ博物館」と「アリゾナ記念館」に行くことにした。

ワイキキを2番のバスで出発し、ビショップ博物館まで約1時間。ここでは日本語ガイドツアーとフラ鑑賞に参加。昨年と同じ見学パターンだが、ガイドもダンサーも違ったので、また違う趣を味わえた。

その後、いったんアラモアナバスセンターに戻ったが、渋滞していたのか非常に時間がかかった。また、アリゾナ記念館方面へのバスがなかなか来なかったため、現地に到着したのは午後4時。真珠湾攻撃で沈んだアリゾナ号へのフェリーは午後3時までに入場しないと乗れないので、残念ながら今回は展示のみの見学。

実はこの時点で私は相当に疲れていて、展示の英語の文字なんかまったく頭に入ってこなかった。でも、館内で流しつづけている10分程度のVTRをそれとなく眺めていると、徐々に内容に「ん???」と思うようになって、最後には食い入るように見てしまった。さらに、英語の表現を確認するために2回目も見てしまった。

私がどこに「ん???」と思ったかというと、このVTR、日本に対してミョーに気をつかった内容なのだ。もっと日本を批判・非難する内容かと思ったら、そこのところをすごく曖昧に表現しているのだ。

「英語は主語の後に述語が置かれ、自分の意志を曖昧にしない言葉だ」とか言ってる人がいたけどさ、あれって嘘ですね。いや、大変微妙な表現が満載でビックリしましたわ!


2003年01月16日(木) 2日目


晴天のハナウマ湾


ハワイ2日目。今日はハナウマ湾へ泳ぎに行くことに。

ハナウマ湾までは、ワイキキからTheBus(公営バス)で1時間程度。ここは「海水浴場」ではなく「自然保護公園」でビーチも有料。それに、ビーチに降りる前に8分間の映像(ハナウマ湾の生物や、ビーチでの注意等についてのもの)を見ないといけない。また、周囲に建物も見えないし、ワイキキビーチより遥かに落ち着いた感じがする。

でもってハワイも北半球なわけで、今は一応冬。午前中は、気温22〜23度、水温20度程度だが、海風が冷たく、海から出ると風にさらされることになる。そのためなかなか水から出られなくなってしまい、結局小一時間ほど、ほとんど休憩せずにシュノーケリングに興じた。

目の前を何匹もの魚が通り過ぎる様はまさに「おさかな天国」。「この魚、何でこんな不思議な色なんだ?」等々と、生物の進化への好奇心は募るばかり。自分と原色の魚たちに、ともに「地球に生きる生物」としてつながりがあると思うと、柄にもなく言葉を失ってしまう。自然にセンテンスも短くなる。「うーん、
感動した!!」。

「人間は、人間がつくったんじゃないモノを1日1度は見なきゃダメだ!」というようなことを言っていたのは養老孟司か。なるほど、海と魚と珊瑚、岩と砂と空と山だけ見てホゲーとする時間の何と豊かなことよ・・・。

ま、ホノルル市街に帰った後は、
ワードセンターで買い物女王に変身したんですけどね。













*「スルッとKANSAI」とは、関西の私鉄や地下鉄(JR以外)の乗車カードです。


2003年01月15日(水) 1日目

午前中で仕事を切り上げ家路へと急ぎ、荷物をぽいぽいとスーツケースに詰め込んでI氏と京都駅へ。シーズンオフの「はるか」の自由席はガラ空きで、夜7時前には関空に着いた。

チェックインの後は、関空内の電器店で、買い忘れていたモデムセーバーと変圧器を購入。あと、ACコンセントの変換プラグも必要かな、と思っていたけど、店頭で確認するに、アメリカは日本とプラグの形が一緒らしい。実はI氏が変換プラグ6種類のセットをもっていたのだが、アメリカ対応のやつだけなぜか持っておらず、「6種類もあってアメリカ用がないとは、この反米セットめ!!」などと家で毒づいていたのだが、そうか、日本と同じ形だったのか。

そして夜9時に飛行機は離陸。ノースウェスト航空で6時間のフライトを経て、約1年ぶりのホノルル国際空港に到着。ちなみに機内食は、「パスタにうどん」という奇怪な取り合わせだった…。

時差は5時間、日付変更線を超えているので、現地着時間は朝8時過ぎ。着いたときは大雨が降っていて、1年前を彷佛とさせた。そう、前回のハワイ旅行は旅程のほとんどが雨で、撮った写真は帰国後友人たちに「鳥取?」「新潟?」「伊勢志摩?」とさんざんバカにされた。下の写真はホテルについてすぐに撮ったモノですが、南紀白浜じゃありませんので、念のため。



ちなみにこちらはカシオペア付属カメラで撮った写真。青みが強いなー。左側は赤っぽい帯が入ってるし。



そんなわけで、着々と進むPDA実験。だって、雨降ってるし、I氏は時差ボケに負けて寝てるんだもん!


2003年01月14日(火) 実験計画。



実は、明日の夜から20日まで旅に出る。1年ぶりの海外である。

海外に行くとなれば、あなたは予定に何を盛り込むだろうか。ショッピング?スポーツ?それともグルメ?

かく言う私は、今回ちょっとした実験を計画している。その名も「めざせ旅漫画家!海外からPDAで日記更新プロジェクト」である。そのために、PDA本体より重いのではないかと思われるほど多種多量の周辺機器を用意している私。もしかして、最軽量級のノートPC1台持ち込む方が、高機能でしかも軽いのでは・・・?


2003年01月12日(日) 猫預かり中


↑お客様。

昨日より、友人の飼い猫が我が家にホームステイしている。友人が2泊3日で出掛けているので、明日の夜まで預かるのである

昨日は萎縮してゴハンもろくろく食べなかった客猫だが、今日になって、人間には結構慣れてきた。コタツに入っていると、のっそりと膝の上にやってきて、丸くなって寝始める。

しかし、猫同士はそう簡単にはいかないようだ。ウチの猫と客猫は、至るところで「フー!!」とやり合っている。まあ、ウチの猫同士ですら、3カ月経っても威嚇し合ってるしなあ・・・。


2003年01月10日(金) 寒中見舞



年賀状、書こう書こうと羊のイラストを書き貯めて、さあ印刷!そして発送!と思いきや、既に新年も10日が過ぎていた。

羊を雪ダルマとかに描き換えるべき?それとも「羊の絵→暖かそう→寒中見舞にピッタリ♪」と自分の中で正当化して、このまま強行突破すべき?


2003年01月07日(火) 新年会



職場の新年会だった。

みんなと楽しくおしゃべりして親睦を深めるはずが、カニを食べるのに夢中になって、結局あまりしゃべりませんでした・・・。


2003年01月06日(月) 匂う女



朝、I氏が言った。

「お前、匂うぞ・・・」

原因は、最近私がハマっている「味ごまにんにくふりかけ」。某エコショップの食品コーナーで購入したもので、パンチの利いたにんにくと香ばしい白ごまのハーモニーに病みつきとなり、最近は必ずご飯の上に大量にふりかけている。

そんなわけで、「匂い対策」にも余念を入れざるを得なくなった。まず牛乳を飲んで、歯みがきをし、その後番茶を飲んで2度目の歯みがき。仕上げにアメをなめて完了。

「対策時間」も含めると、えらく手間のかかる「にんにくふりかけ」だが、当分やめられそうにない。LOVE!


2003年01月05日(日) 仕事始め



2003年の仕事始めの日。年末のやり残しの仕事を一通り消化。

そして午後5時半には職場を飛び出し、今日中に年賀状を書くため自宅へ急いだ。これもよく考えると年末のやり残し仕事だ・・・。

年賀状の準備をしなくちゃと、ふと机の上を見れば「・・・大掃除しなくちゃ・・・」。とかく<やり残しネタ>には事欠かず。本日は西暦2003年1月5日だけど、「果報者暦」では2002年12月36日といったところですな・・・。


2003年01月04日(土) 年賀状。

3が日も過ぎたというのに今更ながら年賀状の準備。でもって去年の春にMacのハードディスクをクラッシュさせてるので名簿がなかなか揃わない・・・。明日から仕事だというのに・・・。このままでは、年賀状が寒中見舞いになってしまう・・・。いっそのこと暑中見舞いまで延期したろか?いや、その冗談は世間的に通じない確率が8割以上。

年内にちゃんと投函してる皆さん、偉いっす・・・


2003年01月03日(金) 帰宅。

帰省最終日。『日本の軍隊』を読了し、勢いで竹前栄治『占領戦後史』(岩波書店)を読み始めるも、内容が詳細に渡り過ぎて挫折。『日本の軍隊』はホンマにわかりやすくて面白かったなあ・・・・

読書に挫折した私は、いそいそと荷物からケント紙とペンを取りだして、年賀状用のヒツジの絵なぞを何点か描き、その後慌ただしく荷物をまとめ、午後3時には車中へ。鼻毛も凍てつく氷点下の信州を後にした。

そして午後8時半に京都駅着。大降りの雨だったため、タクシーでFさん宅へ。「ちくわ」と「うどん」をケージに入れ、Fさんにお土産の五一ワインを手渡し、そのままタクシーで自宅へ直行。こうして私とI氏の帰省行脚は幕を閉じた。



実家で3日間を過ごして改めて気づいた事実、それは「私の父はよくしゃべる」ということ。テレビがついていれば、芸能からスポーツまで、その内容について頼んでもいないのに逐一解説を入れ、クルマに乗っているときは当然のように観光ガイドに変身。特に今回は私が年末ハードワークの疲労を引きずっていて寡黙だったせいもあると思うが、父のエンドレス・マシンガントークが際立っていた。

かくいう私も、よくしゃべるタイプの人間ではあると思うけど、次から次へと言葉を繰り出す父を冷静に眺めながら、私の脳裏には「遺伝と環境」の5文字が点滅しておりました。


2003年01月02日(木) 再び温泉へ

新年2日目。またまた温泉へ。そしてその後はマッサージと骨密度診断。温泉施設に行くと、ゲームセンター並に次々と100円玉が消えていくなあ…。

一日中TVを見ているのも飽きるので、吉田裕『日本の軍隊』(岩波新書)を読んだ。おもしろい!


2003年01月01日(水) 元旦。

明けましておめでとうございます。今年もご贔屓の程よろしくお願いいたします。



さて、本日は2003年最初の一日。朝めざめて、昨夜の紅白の講評なぞしながら朝食。

私が「昨日の紅白、どれがよかった?」と尋ねると、I氏は、

「やっぱり中森明菜のバックのホーンセッションかな〜。あと鳥羽一郎が宇崎竜童と共演してて感動した!それから、石川さゆりの「天城越え」のベースもめっちゃかっこよかったし…」と、バンドマンらしい講評を。

フムフムと聞いていると、I氏は続けて「…でもさ、松浦亜弥、がんばってたよな。偉いよあのコは、ホントに」。

そしてI氏は「Yeah〜めっちゃ〜ホリディ〜♪」と口ずさみながら去っていった…


その後、某所へ初詣へ。おみくじを引くと末吉。「困難は多いが、頑張ればイイコトあるかも」というよーなことが書かれていて、「わざわざ書いていただかなくても、世の中そんなモンだということはわかってるゼ!」ってな感じだった。横ではI氏が凶を引いて凍りついていた。内容は「ええコトないやろけど、せいぜい頑張りなはれ」という具合だったらしく、それからI氏は半日機嫌が悪かった。


その後温泉に行って、風呂上がりに足つぼマッサージとコンピューター健康診断をやった。健康診断によると、私の体は弱酸性になっているらしい。「ショクセイカツ ニ チュウイ。ゴボウ トマト ガ ヨイ」等と書かれたレシートみたいな紙が出てきた。I氏は地ビールの飲み比べをしてはりました。


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