愚痴日記

2007年08月29日(水)


冬の終りの雨は春を呼び
夏の終りの雨は涼しさを運んでくる

暑さをばらまくかのようだった蝉時雨のかわりに
赤とんぼが横切っていく

雨傘のかわりにした日傘の傘越しに見える山には雲がかかっている
時折 雷が光る

こんな雨のなかを歩くのは何気に好きだったりする
駅に向かう道端にふと目をやると青い柿の実が見えた



きょうは父の命日・・・丸8年・・・
父の骨を納めたお寺へお参りに行く

同じお寺に12歳で亡くなったダンナのお姉さんのお骨も納めている
ふと思いついて年数を数えてみたら何と五十年になる
昭和32年9月7日
去年が50回忌だったことになる・・
ダンナの名前で回向してもらう



雨おとこ 父の命日 巡り来る

杖つきて 参る人あり 骨の寺

過ぎたれば 疎ましき父 懐かしむ

















2007年08月27日(月)


気がかりはあるけれど 私には願望がある

それは宝くじのもちろん高額を当ててゆっくり暮らすこと
毎月○○円の生活費がいるとして
○○円×平均寿命まで生きると仮定した年数+医療費や予備費
海外旅行も行きたいとは思わないし宝石もいらないけれど
毎日ゆっくりまったりして暮らしたい
史跡やお寺や美術館めぐりをしたり、書道と洋裁を習いに行ってもちろん編み物もして、何の予定も入らない日は読書とプールに行く
そんな生活にあこがれている
が、現実はダンナの下がった給料の穴埋めにしがないパートのおばちゃんをしている
はっきり言ってお金があれば働かない、働きたくない
お金で買えないものはあるけれど、そんなことは承知しているけれど、私レベルの人間にはお金で解決することが多い
普通のパート勤めなら週休二日としても月曜から金曜までの五日間働かないといけない
それはしんどいので二日か三日くらい働いたらお休みという繰り返しの勤務になるパートをしているわけだ
それに何の資格も才能もないしね・・
夫の給料が減ったとか、リストラされたとか、そんなパート仲間も多いので私の願望はみんなの願望だ
宝くじが当ったらすぐパート辞めるわ、そんな愚痴ばっかりを言いながら日々仕事している
それぞれの家庭のことは何でもかんでも口にはできないけれど、仕事のことは「きょうの私は愚痴子さんやね」と言ってみんなで発散している
だって 上期の決算月だからとパートの労働時間を減らしたり、有休をとらせてくれなかったり、辞めたパートの補充をしてくれなかったり、マジックやセロテープといった備品まで、どうしてもいるものですか? なんて出し渋ったり、愚痴子になるのも分ってもらえると思うような日々の中にいる
(もちろん社員さんはもっと高レベルの愚痴ではない仕事をされてます)

だからある人がここで書き込んでいた仕事が生きがいみたいなことは理想論だと思っている
やりがいは感じられるけれど、仕事が生きがいなんて思えない
私がパートだからそう思うのか、否、家庭を支える男の方ならどっしりと背負った家庭というものの重荷をひしと感じておられるだろうし、たいていの人が食べていくために働いているのだ
だから男のひともどこかで愚痴男さんになってもいいだろう・・と私は思っている














2007年08月25日(土)



アニメ『はだしのゲン』を見た

私はマンガというかアニメは苦手なので中沢敬治氏の原作を読んだことがないが、原爆にやられた人の悲惨な描写がアニメといえども十二分に伝わった
アメリカが人体実験として原爆を投下したことは今や余りにもはっきりしていることだけれど、ホントにどうにもならなかったのだろうか
息子が広島にいた時に原爆資料館に行って、この事実というか現実を決して風化してはならないと思ったものだ
そして同じ戦争アニメの『火垂るの墓』とどうしても比べてしまうけれど、『はだしのゲン』はたとえ片親でも生き残っているということで、主人公のゲンも生き延びれたのだろうと思う

そういう意味では描写は少し甘いかも・・と正直なところ思った
それにゲンの父ちゃんは何故、兵隊に取られていないのだろうとか
ゲンの母ちゃんは何故、もんぺを穿いていないのだろうとか
細かい部分が気になってしまった






















2007年08月18日(土)

毎年 私がいくら暑い暑いと言っても
外で仕事をするダンナには鼻であしらわれている
確かに天気予報のところで
きょうは真夏日でしたとか
最高気温を更新しましたとかいっても
ダンナのいうコンクリートの照り返し(ヒートアイランド現象というらしい)は、ニュースでいう最高気温もまだましなのだ

実は緊縮財政になってから車を手放している
だから仕事用の軽四トラックが我が家の大事な足になっている
カーエアコンもついていないので夏は窓を全開にして走っているけれど、
きのう24号線を走っていたら(私は助手席に乗っていたら)
ここは結構、奈良ではメインの国道だけれどムッというかムワーンといった熱風が車内に入ってくる
が、道の両側に森がこんもりと茂る橿原公苑(神武天皇陵がある・・)まで来たら、窓から入ってくる風が涼しくてホッと一息ついた
やはり緑は太陽の熱を和らげてくれているんだ
普段はク−ラーの効いたスーパーで仕事をしている私は、ヒートアイランド現象を身をもって体験した
ダンナの苦労もちょっとだけね・・・











2007年08月15日(水)


ほんとうに暑い日が続いていて うんざりする

ふと思いついて フローリングの床をスリッパも履かずに裸足でいる
案外 気持ちよくて涼しい

子どもたちが 幼かったころ
風の通る廊下でお昼寝したことを思い出したのだ

そういえば 寝具売り場では竹シーツや寝ござなんかが売られるんだから
理屈にはかなっているのだろう
竹シーツで眠っていたら夜明け頃に寒くなったということを聞いたことがある
ダンナともどもクーラーなしではいられないようになったけれど
窓を開け放して蚊帳を吊って寝るといった先人の知恵は案外、体にやさしいことなんだろう・・と、私が子供だった頃のことを思っている


先月末に受けたパート先の健康診断で脊柱側彎症と指摘された
放置可とはなっているけれど、私の膝や腰や股関節の不調はすべてこれが
根にあるのではないかと思った
もともとは子供の成長に伴う疾患のようだけれど、子供の頃のちょっとした異常を放置していたから今の不定愁訴になっているのだろうなぁ



















2007年08月11日(土)


結末のわかっているドラマに感動しているわけではない

子どもが親から離れて自立していくのは当たり前のこととして、
それが目に見える形でのことなら親も安心できる
そして 時に親に感謝していることを例えおぼろげにでも表わしてくれたならそれ以上のことは望まない

「夏美はいつまでも私たちの娘ですよね」


そうなんだ
子どもが40、50になろうといつまでも親は親
わたしのように未熟な者でも親でいられる現実を思ったら
毎日を自分らしく生きるしかないと・・思う




きのう あまりの暑さでダンナの仕事先でひとり、熱中症で倒れたようだ
けいれんを起こしていて 救急車で運ばれていったようだ

さてと・・・きょうの晩御飯は何にしよ・・・








2007年08月09日(木)


わたしの父と義母は市内の同じ病院で亡くなっている
身内を亡くした病院っていうわけでもないけれど
正直あまりいい印象をもっていない
しばらくは行くこともないだろうと思っていたのに
叔母が入院していることを知った
先日 従兄弟の家に行ったとき教えてもらった
3月に脳梗塞で緊急入院したことは知っていたけれど
まだ我が家からはそこそこ遠いその病院にいるものと思い込んでいた
が よく聞く話として3ヶ月たったら退院か転院をしないといけないらしい
それで 父と義母が亡くなった病院へ転院してきたようだ
わたしの家から歩いても行ける距離にあるのでお見舞いに行ってきた

今は右半身に残る痺れと麻痺のためのリハビリの毎日のようだ
比較的元気そうに見えたけれど
入院している高齢者のよく言う言葉である
「倒れて あのまま死んでたらよかったのに
なんで助かってしもたんやろ・・」 と言う
この病院はほんとうに高齢者が多いので
お見舞いに行っても ホンネを言えば辛い
今の日本の数字だけの平均寿命の現実がある
この病院に来るたびに思うのだ
あと20年後くらいの我が姿かと・・・

だから 叔母も自分のおかれた境遇も含めて気がめいるのだろう
わたしが帰るときには 元気な頃はあんなに気丈だった叔母が
「ふうちゃん また来てな、きっとな・・」
そう言って 顔をくしゃくしゃにして泣いた

この病院でも3ヶ月たてば退院か転院なのだろう
それとも 老健か特養のような施設になるのか・・











2007年08月07日(火)

お盆には少し早いけれど
叔父の初盆にお供えもしたいので
上の弟と待ち合わせて母のお墓参りに出かけた

二人とも同じことを考えていたようで
○○家の墓と彫られた箇所と花挿しのヌルヌルが気になっていて
持参したブラシと布でキレイに磨いた
きょうも暑い一日で
私よりも親不孝だった弟が汗を滴らせてお墓を磨いている姿は
母に詫びているようにも思える

叔父の家では商売の後を継いだ従兄弟が
父親を亡くして仕事が忙しくなったと言う
五十歳になる従兄弟は早くに仕事を継いで
実質、切り盛りをしていたんだけれど
細かい作業が今まではいつの間にか叔父の手で仕上げられていたから
それに慣らされていたけれど今では、何もかも自分でしないといけないので
死なれてみて親父っさんの有り難味をつくづく感じたと話す

この従兄弟は私の母のことも大切にしてくれた人だから
私はこの従兄弟の家に行ったらほんとにくつろいだ気になる
有り難いことだ


明日は早や立秋
この言葉は何気に夏の疲れを誘うように思う・・
今年はことさらに・・





道すがら 蝉しぐれ聞く 墓参り


遠花火 子らの幼き 思い出し




















2007年08月03日(金)

相変わらずの緊縮財政なもんで無駄使いができないので
気に入った音楽もなかなかダウンロードできないでいる
が 先日無料の『ことのはブック』というのをダウンロードした
題名は『風の又三郎』
うんうんと理解してくださる方もおられるだろうけれど
人の趣味というか以前は何の興味もなかったけれども、何かのきっかけで熱中してしまうということがよくある
私は読書が好きだから宮沢賢治の童話を読んだことがあったはずだけれど、何の記憶もなくて無料のダウンロードで『風の又三郎』を最近になって聴いた
目を閉じて朗読を聴いていたらほんとうに風の又三郎が側にいて、ドッドドー・ドドドーという風を感じることができる
そして・・
朝ドラの『どんど晴れ』に『風の又三郎』がやってきた
それよりも・・
柾樹は実の父に逢えた、唐突に・・よかったなぁ・・でもドラマだもん、結局は分かり合えるんだろうなぁ・・うらやましいなぁ・・


















2007年08月02日(木)


きのうは8月1日だ、って書き込んで
その前はストレスチェックで心身に失調が出てるようだからカウンセリングを受けたら・・なんて回答が出たことを書いて
私がいかにストレスに弱いかってことを証明するかのごとく、そんな結果に何気に落ち込んでいるのか情緒不安定になっているようだ
実は 同じようにダンナさんの病気やら何やらを抱えているパート仲間も同じような指摘をされたらしくて、その人と話しているときに私、突然泣き出してしまった
抑えようとしても嗚咽があふれ出てパート仲間をびっくりさせてしまった
若い娘がうるんだ目から涙を一粒落とせば絵になるかもしれないが、訳が分からんおばはんの嗚咽はウザイだけだ
ここにも何度も書き込んでいるけれど寂寥感とか孤独感とか喪失感とか、どの言葉が私に一番ぴったりなのか寂しくてならないのだ
誰かに思い切りハグしてもらいたい、抱きしめられたい想いがどうにも抑えようがない















2007年08月01日(水)


また8月1日がやってきた

あれから5年・・

5年前のあの日のことは忘れたことがない

あの日も眠れなかった朝を迎えた

今朝も起きたら 頭痛がひどい

月日ばかりが流れて 何も変わってはいない

心はささくれて 干からびた地面のように 水を欲しがっている

どうすれば・・どうしたら・・

そんな想いで過ごしてきた5年

それでも明日はやってくるのだろう・・きっと・・

















 < 過去  INDEX  未来 >


孫二人 [MAIL]

My追加