宿題

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2006年07月31日(月) 笑う大天使/川原泉
「そんなにおこらんでもええじゃないか(ポロポロ泣きながら)」

──だって本人達にもわけがわかんないのである。
わかんないから笑ってごまかそーとしたのである。
そーゆー人達に説教たれてもムダなのである。

その人達ににしてみれば
笑ってもムダだとしたら
あとは踊るしかないではないか…

──そして鉄腕アトムと超人ロックとウルトラマンは
泣きながら「ええじゃないか」を踊り続け
結局病院にも行かず
事実はうやむやになった


★笑う大天使/川原泉

2006年07月30日(日) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
小林
まだ覚えていますがね、
シェストフの「悲劇の哲学」が出た時、
あなたは、あれを三べん読んだと書かれた。
三べん読んだ作家は若い作家にも
おそらく一人もいないことを僕は確信している。
それで言うことがいいや、
平素自分が漠然と考えていたことが、漠然と書かれている。
正宗式名評ですよ。
つまり普遍的名評でさ。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月29日(土) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
小林
あの「作家論」というのは傑作だ。
あれ以上の作家論は誰もしていない、
と僕は思っているんです。
あれは正しい。
批評家くさいところもないし、
作家臭いところもない批評…。

小説では「入り江のほとり」あれは僕、好きですよ。
「泥人形」なんて、つまらんですなあ。
「人生の幸福」もつまらんです。
あんなものウソです。
あんな事件は大磯には怒りえない。
「天使捕獲」の方がずっといいなあ。
ああいう事件は、たしかに軽井沢で起りうる。

正宗
そうかな(微笑)。

小林
「天使捕獲」なんて変な題だなあ。
全く正宗白鳥式の題だ。
人を小ばかにするというが、
あれは文学というものを小ばかにしているような題だ。

正宗
小林君は画を…。
僕はよく見るけど。

小林
画はお好きなんですか。

正宗
美術記者を七年もやったからね。
ある点で画だって好きだよ。

小林
だけど、お買いにはならんでしょう。

正宗
買ったりなんかしやしない。

小林
好きなら買いますよ。

正宗
買う金もないし…。

小林
金なんか都合しますよ。
やっぱりお好きじゃないのさ。
正宗さんは観念派だ。
だからこうしてお話していても気がらくなんですよ。
なにしろ七十になって
竹箒で天使を追っぱらおうという人ですからな。
人生ツマラン主義が徹底していて、
つまらん文学的人生趣味などけし飛んでいる。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月28日(金) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
正宗
小説はだめじゃないか。
売れないんだから、僕もこの年になって、
今さら売れるものを書けないしね。
若い時分ならなにか工夫してやるんだけれども、
──しかし売れるものを二つか三つ
書いておけばよかったと思うな。

小林
てんで完成させようって気がないんだから、
始末に悪い人だ。
何にも、つまらんつまらん、人生はつまらん、
というのが理想なんですからね。
倒錯してるんですよ。
倒錯的理想主義者だ、あなたは(笑声)。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月27日(木) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
(島崎藤村について)

正宗
この頃になって僕は確信してきたことで、
誰が何んといっても言うんだけども、
僕は明治いらい藤村が第一なんだと思う。

藤村は小説はヘタ。
それから人間も僕はあまり好まない。
しかしあの人には感銘が深いな。
こんど読んでも──三度か四度、読んだですがね、
自分の身を入れて共鳴するところがあるね。



正宗
藤村は小説はヘタだけども、いかにして生きるか、
どうかして生きたいということをよく呟いている。
それで一生懸命に生きようとしている。
あれは救いのない生涯を終わった人だけどな。
何か、つらいというものをしみじみと見て、
人に知れない悩みを持っていた人のように思えるんだな。



小林
僕はあのスタイルは好きじゃない。
あのスタイルは拙いのかしらん。巧すぎるのかしらん。

正宗
あれはヘタなところがいいんだな。
ヘタでこつこつ苦労してたんだな。
あの女の関係だってそうだ。
見かけは、あの人は悠然としているような人で
紳士的に見える。
もったいぶってるような人であるけれども、
これはそうでないんだな。
あくせく悩んでる人だな。

藤村のものがよく読まれるというのも
不思議だな。

あの人は訳がわからずに偉い人と思われていたな。
僕なんか初めてあった時に、
今日は偉い人にあったという気がしたな。
何か態度が偉そうで、あまり口もきかないから、
いかにも偉いような。



正宗
藤村なんて貧寒ですよ。
創造力がないんだ。
「破壊」は一生懸命に書いたんだな。
小説というものはこういうものだろうと思って書いたんだろう。
ドストエフスキイの真似をしたりして書いたんだけれども、
あれ、つまらんですよ。



正宗
辰野君は藤村が嫌いだと言ってた。
大嫌いだと断定してたな。



正宗
同じ明治学院出身だけども、
岩野なんかも非常に嫌ってた。



小林
菊地寛さんなんかも嫌いでしたね。
そんなことをいっていました。

正宗
ええ。芥川も嫌ってた。



正宗
それから谷崎君もやはり藤村は嫌いだという。



小林
志賀さんなんかも嫌いなんじゃないでしょうかね。

正宗
嫌いでしょう。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月26日(水) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
小林
正宗さんは宗教の問題をどういうふうにお考えですか。

正宗
宗教という一つの型をおかれると別だけれども、
みんなが狙ってるような宗教は、
子供の時分から今まで心に持ってる。
それは持ってる。

小林
つまり、あなたには宗教が一番おもしろい…。

正宗
おもしろいっていうことはないけども、
宗教の気持ちだな。
僕は昔から国家とかなんとかいう考えに耽ったことはない。
自分だけだ。
……ただそういうことを立ち入って書くのは
いつも躊躇して、書かないようにしている。
僕はだから、ある意味ではほんとうのことを書いてないですよ。
僕はわりあい正直な人間だけど、
底をあけて正直には書いていないようだ。
宗教ということには意味があるけど、
国家観は書けないな。
廻らぬ筆でそんなことをヨチヨチ書くのは、
つらいことだからね。
学校では作文はうまかったんだけども、
筆の才はない人間だからな。
自分でそう思ってる。
だから文学で立とうと思ったんじゃなかった。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月25日(火) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
正宗
僕は何も考えないな。
ただ書いてきただけだ。
小説を書くという気もちがないといってもいい。
だから、僕の書くものは小説じゃないかも知れん。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月24日(月) 大作家論/小林秀雄×正宗白鳥
小林
(正宗さんが書いたお芝居のことを)あれは受けないでしょうな。

正宗
ええ。受けない。……受けないこともなかったけどな。



小林
正宗さんの小説も売れませんな。

正宗
売れないね(苦笑)。

小林
昔から売れないですか。

正宗
僕のが売れた時期というのは……
まあ、長い間だけども、売れた時期というのは
ほとんどなかったな。



小林
正宗さんには愛読者ってものがありませんね。
正宗さんの特色だと思う。


★大作家論/小林秀雄×正宗白鳥★

2006年07月23日(日) SOMEDAY/佐野元春(矢野顕子ver)
街の唄が聴こえてきて
真夜中に恋を抱きしめた あの頃
踊り続けていた
夜のフラッシュライト浴びながら
時の流れも感じないまま
窓辺にもたれ
夢のひとつひとつを
消してゆくのは つらいけど
若すぎて何だか分からなかったことが
リアルに感じてしまうこの頃
Happiness & Rest
約束してくれたあなた
だからもう一度あきらめないで
まごころがつかめるその時まで

「手おくれ」と言われても
口笛で答えていた あの頃
誰にも従わず
傷の手当もせず ただ
時の流れに身をゆだねて
いつかは誰でも
愛の謎が解けて
ひとりきりじゃいられなくなる
オー・ダーリン こんな気持ちに揺れてしまうのは
あなたのせいかもしれないわ
Happiness & Rest
約束してくれたあなた
だからもう一度あきらめないで
まごころがつかめるその時まで
SOMEDAY

いつかは誰でも
愛の謎が解けて
ひとりきりじゃいられなくなる
ステキなことはステキだと無邪気に
笑える心がスキよ
Happiness & Rest
約束してくれたあなた
だからもう一度あきらめないで
まごころがつかめるその時まで
SOMEDAY
SOMEDAY
SOMEDAY
SOMEDAY
SOMEDAY
SOMEDAY


★SOMEDAY/佐野元春(矢野顕子ver)★

2006年07月22日(土) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
河上
でも、とにかく小林は好きだったな、白鳥さんが。

小林
そう。



河上
ぼくが忘れられないのは、
二人でいっしょに軽井沢で終戦直後に
白鳥さんを訪れたことがあったろう。
おそらく君ははじめてだろう。

小林
いや、外では前にもお会いしたことがある。

河上
別れて二人でぼくのうちへ帰って、
君は興奮して酔っていた。
あのとき、きみは惚れこんじゃったからな。



河上
あのあとだっけな、
創元社に遊びに来て、
正宗さんが座談会のようなことを
やった時だったっけ?

小林
創元社にはよくみえたよ。

河上
その時、きみが酔って送りに行ってね、
円タクをつかまえて、正宗さんが早く家に
帰りたいのに、きみは首を円タクののなかに
突っ込んで、何かしきりに喚いでいたっけ。
おぼえているよ。

小林
そうか、そんなことがあったかな。

河上
あったよ。

小林
創元社などにみえたときには、
リュックを背負ってね。
あのころはまだ戦後のことで、
リュックを背負って、そのリュックを逆さまに
背負っているのだよ。ハッハッハ。
そうすると創元社のやつが驚きやがって、
先生、逆さまだというと、
どっちでも同じことだ(笑)。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

2006年07月21日(金) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
(私小説ということで他の作家と比較すると?と聞かれて)

小林
それは島尾敏雄でもなければ、
上林暁でも、尾崎一雄でもないですからね、
正宗さんの私というのは。

あの人にとって自然主義とは、
現実は九尾の狐だということさ。
たとえばリルケが言っているようにね、
神様というものを見るのにね、
ぼくら人生を写さなければならないだろう。
そういうときには、ぼくらの写真機というのは
ネガだというのだな。
ネガなんだよ。神様というのはポジなんだよ。
ところが、ネガがなければポジがないのだよ。
ピッタリネガに合うポジなんだ。
そういうこと手紙の中に書いている。
同じ気味合いのものが、
正宗さんの思想にあるかもしれない。

聖書というのがあるのだよ。
聖書という一つの観念があってね、
1日黙々とネガを撮って歩いて、
寝る前に聖書を読むのだから
着物の柄なんてたいしたことはないのだよ。
でも、どんな柄を着たって人間だからな。
そういうふうな写真を撮っていくわけだよね。
それが非常な好奇心を持って撮られている。
そういうところにあの人の私があるのだろう。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

2006年07月20日(木) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
河上
このあいだある編集者と雑談していて、
その人が言っていたけれども、
白鳥さんが文春クラブで
大きなビフテキを食っていたのだそうだ。
そこへ側へ腰かけて雑談した。
すると正宗さんが、
きみみたいな人が編集者をやっていると、
つい知らず知らずに年をとっていくものだ。
それに抵抗していくためには、きみ、
なんでもいいからものを書きなさいと、
そう言った。
そういうことを言うということも
面白いけれどもね。
白鳥さんもそういうことを言うということは、
編集者から出発した人だからな。
とにかくそれで、それを聞いてドギマギして、
「でも才能が…」と言い出したら、
「フン、才能なんて…」と軽くいなしたそうだよ。
あの人の書くものは「フン、才能なんて」
という角度で書いているだろう。

小林
ああ、しかしあれは名文だな。
同じことを書いているのだけれども名文だ。

河上
名文と言っちゃえば全部名文だけれども、
それにしても、この一、二年のものはよかったな。
あの弟さんの死んだことを書いた小説なんて、
いい小説だ。「今年の秋」……。

小林
あの「文藝」に出ていた「白鳥百話」…
このあいだずっと読んだけれども、
面白いな。名文だな。
あれはやはり、ちょっと音楽みたいなものだな。
僕はそう思うのだ。
名文というものは実際あまり興味ないのだけれども、
ほんとうに興味ないのだけれども、あれだな、
ああいうのはいいな。
終わりがないんだよ。
ずっと読んでいくと前につながるんだよ。
そういうところは音楽みたいだな。
正宗さんの文章を読んでいると無心になる。
なんにも考えなくなる。
ああいうのはやはり名文だな。
なにが書いてあるなんてのはつまらんな。
ああいう文章は音楽みたいな…。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

2006年07月19日(水) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
小林
でもぼくはあれだな、
批評なんか書いてるせいもあるけれども、
正宗さんというのは、
書いてるものを重んじないだろう、ちっとも。
書いてるものを重んじる人はぼくは面倒くさいのだな。
だから正宗さんみたいに全然重んじない人にはね、
まだもう一つ先があるのだ。
文学よりもう一つ先のものがある。
それがいつも頭にあってね。
文学なんてものは手前のものでね、
別にどうということもないという考えが
いつもあるだろう。

ああいう精神というのは私には
魅力があるのだな。
そこが非常にサバサバしているのだ。
サバサバして純粋だね。
文学を信じている人にも、
いろいろ面白いところがあるけれどもね。
だけれども面倒臭いこともあるよね。

河上
それはお互いさまだよ、君にもある。

小林
なかなかそういう精神というのは
やっぱりあるようでないな。

河上
うん。

小林
文学を軽んずる人はたくさんある。
あるけれども、その代わり何も重んじてないよ。
いくら文学というものに夢中になっても、
結局はあまり面白いものではないという、
そういう精神ね。
そういう精神はやっぱり稀だな。
まあそこまでいかないと、精神というものは
さっぱりしないからな。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

2006年07月18日(火) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
(正宗白鳥さんが小林さんに
「ホテルの新館に泊まったら、聖書がなくて寂しかった」
と対談の前の雑談で言った、という話で)

小林
それがあってしばらくしたら、「文藝春秋」に
正宗さん書いていたな、そのことを。

河上
ああ、ホテルに聖書がない話ね。書いていた。

小林
だからね、あの人の青春時代というものが、
だんだんまた老年になって顔を出したって、
そういうものじゃない。
いつも正宗さんの心の底にあった問題だったんだ。
そして、話をそちらに向けようとすると、
正宗さんは話を外してしまうのだ。

河上
だけれどもさ、それほどキリスト教というものに
感心のある人がね、そいつがついに二十代から八十代まで
表に出さなかったということが、
日本の文壇の歪みだったんだよ。

小林
それは、歪みというものかね。
それは歪みかもしれないけれども、
みんな歪みのなかにいましょう?
そうすると歪んできたってことはね、
大変自然なことなんですね。そうすると、
この白鳥先生みたいなクリスチャンというものは、
やはり独特だね。
独特なものを育てているんだろうな。
それが面白いのだな。
面白いから、話をそちらに向けようとする、
すると、正宗さんは話を外らすのだ。

河上
そのとき速記ははじまってたのか?

小林
そうじゃない、速記の前です。
そのときにね、
「やはり習慣でね、きみ、
習慣で聖書を読む。習慣だからね」
というふうに話が外れるのだ。
つまり、一種の言わば口にするのが何か恥ずかしい
というようなものが、あの人の裡にあるのだな。
キリスト教、宗教の話をまともにするということに関する
大変純粋な羞恥の情というべきものがあるのだな。
それが私を打つのだ。
日本の歪みとあんた言うけれども、
それが歪みなら歪みでよい。
しかし、何だな、キリスト教なども、
口にする恥ずかしさを失ったら
キリスト商売になるからな。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

2006年07月17日(月) 亀田一家は非日常的家族/テリー伊藤
(亀田一家とは)非日常のファミリー。よくあの親子愛、兄弟愛が、
昔の日本を思い出させるようなことも言われるけど、それは違う。
昔も今も、あんな家族はいない。
僕らが若いころだって、予備校に通っていれば、ギターだって弾いた。
日本中がスポ根だった時代なんてない。
 
『男はつらいよ』の寅さん一家だって、人気はあるけど、
実際にあんな家庭はないでしょ? 
それにあんな家庭にしたいとも思わないでしょ? 
高層マンションで快適に生活しているなら、
週に1度だけ柴又をのぞけば十分。
ディズニーランドも同じ。
毎日ミッキーに会っていたら飽きてしまう。
それと同じで、亀田家も時々のぞき見るから魅力を感じる。
あの言動は教育上良くないなんて言う人もいるけど、
あれだけ同じ目標に向かっている親子はいない。
非日常の家庭だからこそ、見習うところも多い。

ボクシングには昔から暗闇の部分がある。
地元有利な判定などを含めてボクシングだと思う。
小学4年から後楽園ホールで観戦して、
テレビでも海外の試合も見てきたけど、
これは今に始まったものではない。
だから昔は周囲に隠して、
ボクシングを続けた人もいたと聞いたことがある。
 
今の日本は暗闇の部分がなくなり、
サッカーのように健康的なものが好まれている。
亀田選手以降にファンになった人は、
サッカーと同じ感覚でとらえているのでは。
でも、亀田選手には黒人のボディーガード2人が常に付き添っているように、
本来はそういう競技。
危険なにおいがある世界だからこそ魅力を感じる。

亀田選手には何の罪もない。
選手が『自分が勝つ』と信じてリングで戦うのは当たり前。
それよりも解明すべきは、あの3人のジャッジの思惑。
手数はランダエタの方が上回っていたけど、
パンチの力は亀田選手の方が上だった。
各ジャッジが何を基準に採点していたかが明かされていないのに、
亀田選手が責められるのはおかしい。
悪いとしたら周りの大人たち。
80年代のボクシング人気衰退も、これの繰り返しが原因だった。

今回のバッシングで一家が得たものは多かった。
それは世間を見返してやろうという『何くそ』というパワー。
ロックンローラーだっていい家に住んで、いい車に乗って、
有名になれば、成り上がろうという気持ちがなくなって
普通の人になってしまう。
亀田が亀田であり続けることができるエネルギーをもらえたことは、
結果的に非常に良かった。


★亀田一家は非日常的家族/テリー伊藤★

2006年07月16日(日) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
野坂
だけど、やっぱり中島らもっていうのは一種の天才ではあるね。
こんなイベントをやって、これだけのお客を集めるんだから。
他の人がこんなことをしても集まらないですよ。
らもはいてもいなくてもいいんだけど、やっぱりいないと誰も来ない。
だから、いまのうちに、らも人形っていうのを作っておいたらいい。
どうせ、らもは早く死ぬからね。
人形の首は持ち運びに便利なように、ハズれるようにしとけばいいな。
ときどきロボットみたいに動くようにしといてもらえば、もっといい。

らも
野坂さんも評論家だな、下手な評論家。

野坂
僕は評論って書けないの。
なんとか論とか…論がつくと途端にダメになっちゃうのね。

らも
おれは書ける。

野坂
灘校出身だから書けると思うよ。
灘校はそういうことをよく勉強させるから。

らも
灘校っていうのは陸軍中野学校みたいなとこよ。
受験一本。
東大百人、京大五十人、早稲田・慶応二十人合格。
大阪芸大一人。

野坂
いま、中島らもがあるのは、完璧に大阪芸大にしか
入れなかった劣等意識があったからこそだね。
東大に入ってたら、いまの中島らもはなかった。
にしても、灘校出身の世界観だなぁ。

らも
おれは入ったとき八番だったよ。

野坂
八番でこれだけ威張る人も珍しい。
オリンピックだと、入賞って奴か。

らも
上にまだ七人もいるのか、世間は広いと思ったな。
そのうち、ローリング・ストーンズを聴いたり、
ボードレールを読むようになって、
勉強なんかしている暇がなくなったんだよ。
で、大阪芸大に行ったのね。

野坂
あそこはなかなか入るの、大変なんですよ。
入る決心するのがまず大変。
試験中に言い訳しなきゃならない。

らも
ロックンローラーになりたかった。

野坂
ボードレールはどうなったの?

らも
ボードレールでロックしようと思った。

野坂
僕は最初、「わァれは海の子、しィらァなァみのォ♪」
っていうヤツ、あれをボードレールが作ったと思ってた。
ボートレースをボードレールとを間違えてたんだね。

らも
あの……、野坂先生の小説はあまり好きじゃないけど、
生き方が好きです。
野坂先生の小説は、単語のかたまり、ビート。

野坂
これ以上のほめ言葉はないと思いますね。
要するに単語がかたまって文章になるわけだから。
単語でもなんでもない言葉が固まってるのが、
最近の小説なんですよ。
だから、僕は、小説はダメだというふうに思ってるわけです。
……実にシーンとしましたね。

鮫肌
まともな話を急にされるから(笑)。

らも
いまの話、聞いてなかった、おれ。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月15日(土) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
アトム 
そもそもお二人が会いはるのはいつ以来ですか?
こちらがひやひやするくらい親しそうにお話になってるんですが…。

野坂
二年ぶりですかね。
僕はとにかく中島らもを推薦しちゃ、
いろんなところで怒られてるわけ。
『朝まで生テレビ』にも推薦したんですよ。
そうすると、出たのはいいけど四時間、一言もしゃべらない。
なのに、あとで「野坂さんはなんてフケの多い人だろうと思った」
とかエッセイに書いてるの。
それだけでおそらく五、六十万は稼いでるはず。
だから、今日は黒っぽい服は着てこなかった。

アトム
えらい昔のことを気にしてはるんですね(笑)。

らも
野坂さんは…。

野坂
先生!

らも
野坂先生は…おれが土葬にしてやる。

アトム
突然また何を言い出すんですか?

野坂
いやーぁ、土葬っていうのはいいんですよ。
土葬した上に野菜を植えると、まったくの有機農法だからね。
僕の養分を吸った野菜は虫もつきませんね。

らも
虫もつかないくらいつまらない。

野坂
つまらない人生だったと思う。
もうちょっと虫がつきゃ、よかったんだけど。
大体男につく虫っていったら、なんなんですかね。

らも
思想。

野坂
えっ、シソウって死に顔のこと?

らも
違う。考え、イズムの、思想。

鮫肌
なになにイズムに取りつかれて人生を送ってしまうってことですか?

らも
うん。

野坂
思う想うと書くのでしょ。
思想…ひとつ間違うと中毒になる。
で、中毒からまたひとつズレると今度は信仰になっちゃう。

らも
思想の砦の中で、ぬくぬくとしているヤツは、おれは嫌いだ!

野坂
嫌いだからどうしたっていうの?

アトム
僕らのツッコミにくいことを、野坂先生、
ぎょうさん言うてくれはりますね。

鮫肌
いつもここでツッコメなくて「そうですね」って
言うしかなかったんですよ(笑)。

らも
思想の砦の中で、ぬくぬくしているヤツは、おれは嫌いだ!
大嫌いだ!!

野坂
わかったって。おまえが嫌いでも、関係ないって、それは。
世の中は。

アトム
野坂先生、お優しいですね。

野坂
僕は優しいですよ。
とくかく怯えてるから。
みなさまに優しくしとかないと。
八方にお辞儀して「申し訳ありません」「どうもすみません」って。
例えば電話が鳴って受話器をとったとするでしょ。
なによりも初めに「すみません」って言いますからね。

アトム
「もしもし」の代わりに「すみません」ですか?

野坂
そう。人と会うと、まず「どうも申し訳ありません」。

らも
「すみません」じゃすまないことばっかりしてて。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月14日(金) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
(水洗トイレの水はきれい、という話を野坂さんがしていて)

らも
ごちゃごちゃ言ってないで、ガンジス川に飛び込めよ!
ガンジス川に!

野坂
何言ってるの、この人?

らも
水道の水が新鮮であろうがなかろうが、腐っていようがいまいが、
ガンジス川に飛び込めよ!

野坂
んなとこまで行かなくたって、
すぐ近くに神田川があるんだよね。

鮫肌
らもさん、インドに行ったとき、
ガンジス川に入ったことあるんですか?

らも
おれはカバじゃないからね。入らなかった。
エッジのとこで立って見ただけ。
上は焼き場。大便、小便、垂れ流し。
その下で沐浴をしてる。
洗濯をしてる。死体が流れてる…。
それがガンジス川。

野坂
それがどないしたん?

らも
そこに飛び込めよ。

野坂
なんか得することあんのかな?

らも
ご利益ご利益。

野坂
あなた、ガンジス川信仰なわけか?

らも
信仰って何?

野坂
ご利益というような言葉が口に出るってことは、
つまり信仰しているからですよ。

らも
ご利益だけを求めてる。信仰はない。
ご利益だけが欲しい。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月13日(木) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
野坂
いま七十二歳でしょ。
僕もあとせいぜい四、五年だから、
どうでもいいんですよ。

らも
野坂先生は、アホだから、まだ二十年は生きる。

野坂
けど、二十年のうち十八年くらいはボケてるだろうね。
みなさん知らないだろうけど、来年の臨時国会で
「老人保護法」というのができるんですよ。
少年保護法と同じでね。
だから、僕が例えば痴漢をやっても「老人N」。
七十五歳を過ぎると、特典が随分あるんですよ。
大抵のところはタダなんですね。
グリーン車は半額、飛行機は八割引ですよ。
それでもって、痴漢やってもつかまらない。
八十五歳過ぎると、レイプをやっても大丈夫。
で、百歳過ぎてレイプをやると紫綬褒章。

アトム
厚く保護されるわけですね(笑)。

野坂
だってレイプやるには相当体力いるんだから。
ただし、バイアグラを飲んで、
レイプをした場合はその限りじゃないんです。
薬物依存ということで。
素できちんとやらなきゃダメ。

らも
ふんっジジイ!

野坂
「ジジイ、ジジイ」ってさっきから言ってるけど、
逆にうらやましがってるんじゃないの。
僕が老人であることは十分認めます。
若いなんて思ってない。

らも
思ってたらガイキチだよ。

野坂
それって、象に向かって「おまえの鼻は長すぎる」っていうのと同じよ。
年寄りに向かって「おまえは老人だ」ったって意味ないじゃない。
それより、老年法の話だけど、
僕はまだ七十五歳じゃないから、
なんの恩恵にも浴さないわけ。
だから、それまでは生きてなくちゃいけないんです。
七十五歳になると、ほんとに何をやっても構わない。
八十歳過ぎると、もうほんとにオールマイティ。
エースみたいなもんですね。

らも
人を殺してもいいの?

野坂
もちろん構わないですよ。
八十五歳に殺されるようなヤツは殺される方が悪い。
僕のような年齢になってくると、エレベーターで若い人と
二人きりになるだけで怖いもんなんですよ。
もうカタまっちゃって、適当な階のボタンを押してすぐ降りるから。

らも
キックボクシングを習ったんだろう?

野坂
エレベーターみたいに狭いとこだと、
僕の華麗なキックは役に立たない。
ハイキックというのは一番バカなキックですね。
ハイキックで相手をやっつけようと思ったら、
相手がよほどへろへろになってないとよけられちゃう。
だから、沢村忠さんの全盛時代のビデオでも
スローにして見ると、微妙なところで当たってないんですよ。
でなかったら、あんなにひどいスポーツを毎日やれるはずはありません。

らも
力道山のチョップは強かったですねえ。

野坂
僕は、力道山とはやったことないんで、
強かったかどうかわからない。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月12日(水) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
らも
ボブ・サップをおれはボディガードとして雇いたいね。

野坂
いや、ボディガードとしては向かないね。
ボディガードにはボディガードのテクニックってのがあって。
ボブ・サップみたいに自己顕示欲の強いヤツは、
一人がかかってきたらそっちにいっちゃうでしょ。
そのすきにもう一方から襲われちゃう。
ボブ・サップみたいな人こそ向かない。
あなたのボディガードやるなら、僕みたいな臆病者が一番いいわけ。
つまり臆病であってこそ「あいつ、目つき悪い」とかわかるわけよ。
ボブ・サップなら、例えばそこにいてげたげた笑ってるだけで、
お金とれるでしょ。
僕の場合だったら、「卑怯者!」とかなんとか言われながら
一生懸命しゃべって、それでお金をいただくんだから。
つまり卑怯芸人、臆病芸人、ねたみ芸人、そねみ芸人、恨み芸人…
そういう人間こそがボディガードにはいいんですよ。

らも
けど武器を持ってないじゃないか!
どうやってガードをするんだよ。
おれは今週、散弾銃を持つ許可を申請に行く。
「クレイ射撃をやる」ってウソをついて。

アトム
ええええーっ!

鮫肌
散弾銃、持つんですか!?

らも
うん。

野坂
散弾銃の銃身を半分に切って持たれると、
これはもう誰も相手にならない。
撃たれると体中に弾が入っちゃって取れないから。
一発では全然死なないけれどもね。
まぁだから、それをお持ちになればいいじゃないですか。
酒飲んで、散弾銃の銃身切ったの持ち歩いてりゃ、
あなたのそばに近づく人はいなくなる。



らも
羊のように無抵抗のまま殺されるのはまっぴらご免だ。
だから武装するんだ。

野坂
じゃあ殺されるようなことをしなきゃいい。

鮫肌
らもさん、狙われてるんですか?

らも
相手が狂ってれば、おれを殺しにくる。

野坂
いや、正気だから、くるんじゃないの。
狂ってたらさ、目に入んないもん、あなたなんて。

らも
…てめえの心配しろよ。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月11日(火) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
らも
野坂先生はその昔、
「自分の家族や愛する人を守れないようでは男はダメだ」
とか言って、キックボクシングのジムに
通ってたことあるんでしょ。

野坂
別に僕は女房や子供を守ろうと思ったんじゃないよ。
自分を守ろうと思っただけ。
ものは言いようでさ。
憲法だって、法律だってみんな、ものは言いよう…
あるいは考えようでしょ。
だから、そんなこと言っただけの話で、
ただひたすら怖かったんです。
僕はらもみたいに一流の高校に入ったような
人間じゃないんですよ。
二流三流のところしか通ってこなかった。
なおかつ、体は弱いし目は悪いしね。
どうしようもない。
だもんで、あるとき、
ふとキックボクシングをやろうと思いたった。
目黒の権之助坂で沢村忠さんってのが
ジムをやってたんですね。
オーナーは野口恭さんですが。

らも
沢村忠っていえば、キックの鬼じゃないですか。

野坂
そう。
僕はキックの鬼に直接習ってたんですよ。
ぽんぽこぽんぽこ僕が沢村さんを蹴るでしょ。
ところが沢村さんの方はなんでもない。
蹴ってる僕の足の方が腫れてダウン。
キックはもっと若いうちに始めなきゃとてもダメですよ。

アトム
ジム通いはどのくらい続けてはったんですか?

野坂
二年半。
だから、試合の前座に、ちょちょっとやらせてもらえるくらいの、
セミ・ライセンスは持ってたんですね。
でも、キックよりも歌の方に才能があると気づいて、
僕はプロの歌手になった。
ライセンスはいらないし。
だから、いざとなったら歌をうたっちゃう。
臆病な人に言っときますけど、
例えば誰かに襲われるとするでしょ。
何が一番いいっていったらね、
ア、こりゃこりゃって歌を唄う。
さらにズボンも全部脱ぐこと。
脱いで、大の字になってひっくり返るんですよ。
そうすると、相手は気勢をそがれるでしょ。
「なんやこいつ、アホか」って。

らも
敗北主義じゃないか!!

野坂
まぁそれはあなたの考え方であって僕はそれを
敗北と思いませんね。
自分を守るためにやってるだけ。

らも
脱走者!

野坂
逃げるのが一番なんですよ。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月10日(月) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
らも
野坂先生、武器は持ってないの?

野坂
そんなの持ってるわけないじゃない。

らも
おれは完全に武装したぞ。
マチェーテという、南米の人がジャングルに分け入るとき、
枝を払うために使う、青龍刀みたいな、刃渡り四六、八センチの刃物を買った。

野坂
マチェーテは軽いね。
青龍刀は持ったことあるけども、五キロくらいあるんですよ。
五キロの重さでもって人を斬る。
で、湾曲してるから、普通の人がうっかり持つと、
よろけて自分を傷つけちゃう。
マチェーテを持ってる人間なんかとケンカするとまずいのは、
こっちが例えばボブ・サップみたいに強くても、
あれ一本あったら、おしまい、ほんと。

らも
おれは半日かけてマチェーテを磨いた。

野坂
よほど錆びたのを買ったんだね。

らも
いや、先が丸かったから、やすりのグラインダーで研いだのね。

野坂
信じられないね。
さっきギターに一生懸命、カッターナイフで細工してたけど、
いやぁ不器用なこと不器用なこと。
指を切りゃしないかとハラハラしながら見てたんですよ。
そんなヤツがマチェーテの先端を研ぐなんて、できるわけない。

らも
スタンガンも買った。

野坂
スタンガンって使い方むずかしいんですよ。
持ったまま体ごとぶつからないと。
伸ばした手をヒネられて、自分の方に持ってこられたらおしまいだからね。

らも
ギミックで携帯電話の形をしてて、
革のケースに入ってるの。
で、ストッパーを外して、スイッチを押したら、
電極から十八万ボルトの電流が流れる。

野坂
スタンガンをケースに入れて持ってるっていうけど、
アホな話でね。
ケースから出してるうちにこてんぱんにやられちゃう。

らも
ケースのままで大丈夫。
電極が出てるから。
それを相手の首筋に当てたら、三十分は動かない。
その間に警察を呼んで逃げる。

野坂
そんな簡単に首筋に当てられるわけないよ。
服の上からだと、ひっくり返ってるのはせいぜい二分か三分。
その間に逃げちゃえばいいわけ。
僕だったら、それだけあれば最低千メートルは逃げられると思う。
だけど、らもだったら、五、六メートルか。
よろよろしてる間に相手は気がついちゃう。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月09日(日) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
らも
小説家はウソツキであってもいいけど、
音楽家はウソツキであってはいけないでしょ。
野坂先生がさっきから言ってる武道館で、
二曲目に歌った「バイバイ・ベイビー」という曲です。
ちょっと聞いてみてください。

(武道館では「ふやけてしぼんだ日章旗」と歌っているのに
歌詞カードでは「ふやけてしぼんだ青春よ」となっていることについて、
せめるらもさんとかわす野坂さんが2ページぐらい続いて)

らも
野坂さんほど、臆病で、卑怯な人をおれは知らない。

野坂
まだ怯えてんですよ。
卑怯っていったら、僕ほど卑怯なもんないですね。
とにかく若い人が三人、コンビニの前にいたとするでしょ。
それを見た瞬間、あんまりそばによってよけるとわざとらしいから、
遥かかなたから迂回する。とにかく怖いんですよ。
年がら年中怯えてますね。
卑怯だから、他人を裏切りますしね。
だって人間っていうのはそういうことをしていかなきゃ
なかなか生きられないですよ。
鮫肌さんは他人を裏切ったことない?

鮫肌
いや、それはありますけど。

野坂
あるんでしょ。
あるなら「ある」って言えばいいじゃない。
僕みたいに正直に言うと、
らもなんかが鬼の首とったみたいに
「裏切った」「卑怯だ」「臆病だ」
って言うんだけども。

らも
臆病者!右翼が怖かったんだろう!

野坂
そりゃあ怖い。
ウチの玄関にはレーニンの肖像が掛けてあるけど、
右翼が来るとクルッと裏返す。
すると日章旗。
世の中で生きていくためにはそんなことかまわないんですよ。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月08日(土) イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも
らも 
今回は内田裕也さんか、忌野清志郎さんを呼ぼうと思ったの。
でも、彼らは忙しいしギャラが高い。
しかも、酔っぱらって何をするかわからない。
あんな不良たちはほっといて、今回は老人を招きました。
七十二歳だってさ。
野坂昭如さんです。

野坂
こんばんは。内田裕也の代わりの野坂です。
ま、僕の方が、内田裕也よりずっと歌はうまいし、
ギャラも多分高いと思いますけどね。
らもさんがご存知ないだけの話であって。
あとで事務所の方から請求書をお届けしますんで、よろしく。

らも
今日は作家じゃなくて歌手として野坂さんを招いたんですよ。
安もんの歌手だから。

野坂
冗談じゃないよ!
日本武道館をいっぱいにした一番初めはビートルズだけど、
その次は僕なんですよ。
その実績をちゃんと考えた場合、ギャラがいくらぐらいするか、
わかりそうなもんだ!
武道館ってキャパが一万二千人くらいでしょ。
立ち見は出るわ、ダフ屋が出てケンカは起こるわ、大変だったんだから。



野坂
僕は文芸家協会ってものにも入っておりますが、
それより日本歌手協会の方が長いんです。もう四十年です。

らも
じゃ、いまもプロなんだ。

野坂
もちろんプロですよ。
僕は歌手なんていう、そういうジャンルでは考えていない。
みなさんを楽しませればいいと。ただそれだけの芸人です。

らも
河原乞食!

野坂
河原乞食って乞食よりも下ですね。
乞食に軽蔑される存在。
僕を見つけると、哀れんでくれるのか、ホームレスの方が
「飲めへんか」ってお酒をおごってくれたりするんですね。
あの方たちを集めて、いっぺんホームレス・コンサートを
やってみたいと思ってるんですよ。
ホームレスの方たちの中にも、歌いたい人がいると思うんですよね。
彼らには歌う機会がなかなかないでしょ。
だから、ホームレスの方と一緒に歌う。
そうすると、僕が非常に立派に見えると思うんだね。

アトム
自分を引き立たせるためホームレスを集めるということですか。

野坂
そう。それにしても、らもも五十歳にして完全にジジイもいいとこでしょ。

アトム
さっきから微妙な火花の散らせ方ですよね、この二人(笑)。

らも
こんなジジイに負けてたまるかあ!

野坂
いやぁ、年をとるって仕方のないことでね。
本当に何を言ってるのか自分でもわからなくなる。

らも
生まれた時代が早すぎたんだよ。

野坂
いや、少しでも遅かったらえたいことになるとこだった。
年金ももらえないしね。
ちょうど僕らで年金がダメになるんですよ。
らものときには健康保険もダメ。

らも
うるさいなぁ、ごちゃごちゃ言うなよ!

野坂
バブルの時は五十代から六十代で一番いい時代でしょ。
なおかつ高度成長期を知ってるでしょ。
その前には空腹も知ってますから、何を食っても美味いんですよ。

らも
おれは飢えたことがない。
それはおれの弱みだ。それは認めるよ。

野坂
大体お前は飲んでばっかりで何も初めから食わないんじゃないか?
僕らの時代は腹がへると、ヒロポン飲んで誤魔化してたから。
大体ヒロポンなんていうのは、いくらでも大学病院の前の薬局で
手に入った。

ヒロポン飲むと確実に空腹感はなくなった。
ほかの麻薬でもそうだけどね。
そういうカッコウで、飢えの時代も過ごしたし、空襲も知ってるわけ。
みなさん知らないでしょ。
あんな面白いものないですよ。
空から火の雨が降ってきて、それを逃げ回るわけだから。

実際に目の前にボンと落ちるんだもん。
で、逃げた先々でボッボッボッて火が燃えている…。
らもが横に座ってるよりよっぽど怖いですよ。


★イッツ・オンリー・ア・トークショー/野坂昭如×中島らも★

2006年07月07日(金) すねこすり/中川翔子
桂子たんは翔子が描いた絵とか写真なんでも捨てちゃうから
あんまり残ってないとおもってたけど、
おばあちゃんちで描いたぶんがこうしてとっておいてもらって残ってた。
絵はペンを通してそのときその瞬間の感覚と感情がそのまま残るものだものね。


★すねこすり/中川翔子★

2006年07月06日(木) ピアノ弾き乱入元年/山下洋輔
タモリが売れてしばらく後、機会があって、札幌でジョイントをした。
夜中にホテルに帰り、去りがたくて、しばらく一緒の部屋にいた。
すると急に英語(のようなもの)で大演説を始めた。
ぼくは床に倒れて笑い転げた。
いい年をした男が深夜二人でやることではないと思うが、仕方ない。
あとで気がつくのだが、次の日タモリは昼間から東京でテレビの生本番があった。
一番の飛行機に乗らねばならなかったのだ。
「いい加減寝かせてくれよ」と言っていたのに違いない。
笑い転げているだけの鈍感なぼくを見降ろしながら、
タモリは際限なく「英語」を喋り続けていた。



こういう人が、プライベートな時間をどうしているのかいつも気になる。
そういう時には一体、何の真似をしているのだろう。


★ピアノ弾き乱入元年/山下洋輔★

2006年07月05日(水) ピアノ弾き乱入元年/山下洋輔
筒井さんの控室に行くと、SF界の天皇である星新一さんが
タモリと話していた。
この二人は酒場で酔っ払うと不思議なコンビになるらしい。
ある時は、星さんが過激なファンとなってタモリを追い回した。
「オシリの形がよいなあ」と大声を出され、「オシリに頬ずりさせろ」
とせまり、あげくのはては「タモリの子供を生みたいなあ」と
わめかれたというのだ。


★ピアノ弾き乱入元年/山下洋輔★

2006年07月04日(火) MOTHER3のきもち/中村一義
自分がつくっているもののなかに『MOTHER』の成分って
むちゃくちゃ入っていると思います。
なんていうかな、『MOTHER』って
マイナスのつくりかただと思うんですよ。
存在するものをどんどん足していくというよりも、
ないものをあると感じさせるつくり方。
そのあたりは、デビューするころとか、参考にしてました。
ぼくは、小さいころに両親が別れたということもあるんですけど、
ゲームとかそういう文化が親っていうか、
「文化に育てられた」っていう感覚があるんです。
で、手塚治虫さんが、『まんが道』のなかで
「漫画を描くんなら漫画だけ読んでちゃダメだ」っていうことを言っていて、
それをかたくなに信じていたんですよ。
だから、自分が曲を作る、作曲というアウトプットを選んだときに、
そこに、育ててくれた文化を全部入れていこうとしたんですけど、
そのときにマイナスでつくっていくという作風は
『MOTHER』からずいぶん学びました。あまり語りすぎず、っていう。

じつはぼくは、デビュー曲(『犬と猫』)で
はじめて日本語の詞を書いたんです。
それまでは日本語の詞ってどう書いていいもんかわかってなくて。
そのとき、いろんなロジックの組み立てとか、
自分らしさみたいなところを求めるときにいちばんしっくり来たのが
『MOTHER』のことばだったんです。
それと、スチャダラパーが大好きだったので、彼らのライム。
そのふたつのエポックを信じて、日本語の詞をつくっていたんです。
だから、『MOTHER』っていうゲームは、
自分の音楽のなかに活きているというより、
ほんと、ぼくにとっては哲学みたいなとこまで行ってる作品ですね。

これまでのロードムービー的な展開ではなくて、
ひとつの場所でストーリーが進んでいく展開は
妙に自分とリンクしたんですよ。
ぼくも、江戸川区に生まれ育って、
両親が別れても絶対にそこを離れたくなかったっていうか、
自分を育ててくれた土地なんだから、
「ここが親だ」ぐらいに思って離れないっていうふうに
思って暮らしてたんですね、ずっと。
そういう思いがなんかリンクしたっていうか。
ゲームのなかの島でみんなが暮らしていて、
だんだん人の価値観が変わることで
そこの景色が変わってきてっていうのがちゃんと出てて、
なんか身につまされる思いがして(笑)。

同じ場所で、そこの景色が変わることによって、
軽いところから、深い部分が見通せるつくりになってたと思うんです。
町の人との軽い会話のなかでも、
なんか深いところがもう透けて見えるっていう感じで。
最終的には、深い部分がすごくたくさんあって、
わかんない人もいるのかもしれないけど、
でも、ちゃんとやれば到達できると思います。
リダの存在とか‥‥深いなあと思うんです。
ぼくはどうしても、結末を見てしまうというか、
それがどこに向かっているかというのがすごく重要なんです。
それを踏まえたうえで、「過程がいちばん大事」って
思っちゃうようなタイプで、
それは自分の作品をつくるときも同じなんですが、
それも『MOTHER』から「イズム」として
継承させてもらったのかもしれないです(笑)。

細かいところを挙げていくときりがないんですが‥‥
ヒモヘビとか、強力でしたねえ(笑)。いやー、もう、最高ですよね。
「もう一度チャンスをくれ!」とかね。
ああいうふうに生きてみたいなあと思いますね(笑)。
そもそもあれって意味としてはアイテムですよね。
アイテムにしゃべらせて、あそこまで広げてしまうという発想がすごい。

酸素補給マシンもすごいっていうか、ちょっとずるいっていうか(笑)。
行く先々で酸素が足りなくなるから、絶対必要になってくる機能じゃないですか。
それをあのキャラにしちゃうっていうのが、いやー、すごいなあと思って。

あと、マジプシー。
もうあの逆説的なすごさっていうのかな。
なんかもう、ほんとうにすごいですよね。「すごい!」って思いましたもん。
やっぱ「神だ!」って思いましたもんね、なんか(笑)。

普通に「神だ」というふうに神々しく描かれるよりも、
「ああ、すごい人なんだ」っていうふうに思いました。
絵も、ドット絵なのに表現がものすごくて。
あの、脚を組み替えるところとか、
あそこだけに命懸けてるなと思いましたもん。
ほんのちょっとしか出てこないのに(笑)。
ぼくのつくる音楽もそうなんですけど、でっかい目標というか、
向かう先にも命懸けるんですけど、過程の細かいところにも
やけにマジになっちゃうんですよね(笑)。
ヒモヘビとか、マジプシーの脚の組み替えに
反応しちゃうのも、そういうことかもしれませんけど。

ああいうものを見ると、糸井さんが開発のスタッフに
「酸素補給マシンはこうなんだよ!」って
言ってるときはたのしいんだろうなあって思うんです。
で、それって、たのしいと同時に、勝負のときでもあるんですよね、きっと。
ぼくも、バンドのメンバーになにかを伝えるときって
そういう感じなんですよ。
「ここで、ピーン! みたいな音」とか(笑)。
「宇宙だよ、宇宙」とか(笑)。
そういうつくり方まで、いっしょなんですよねえ。
いや、継承しちゃったんです、きっと。
もっとテクニック的に伝えられるものなら伝えたいものなんですよね、
こっちとしても。
でも、それで伝えたら終わりっていうものもあるんですよ。
その、可能性を狭めちゃうっていうか。たぶん、やり方も知ってるんですよ。
こういうふうに伝えれば、こういうものができて、
リスクとメリットがこれだけあって、とかわかるんですけど、
でも、言ってみたいんですよね。「宇宙だよ、宇宙」って(笑)。
だって、もしかすると、僕が宇宙だって言えば
自分が知らない宇宙が返ってくるかもしれないっていう期待がありますから。
それが醍醐味なんですよね、人とやるときの。


★MOTHER3のきもち/中村一義★

2006年07月03日(月) フジロック出演の感想/細野晴臣
7月28日に出演したフジロックの感想をひとつ・・。
で、結局は懸念していた大雨も降らずに、適度な天候で演奏ができたことは
幸いだった。しかも浜口茂外也(Drs,Perc)、徳武弘文(Guit.)、コシミハル
(Acc.Pf)、伊賀航(A.Bass)という歴戦錬磨であるメンバーの演奏は、
過酷な環境の中でも高レベルであった。とはいえ自分自身の出来は63点。
自分の高校の時の平均点と同じで落第スレスレだ。
前半のミスでマイナス20点、MCでマイナス13点・・というところか。
じゃあ弁解を始めるとしよう。それができるのが自分のページの良い点だ。

まず「山」の環境だったこと。
苗場という大自然の中でついぼくは副交感神経が活発になり、
舞台という各闘技場へ出るアドレナリンが不足してしまったのだ。
それは去年以来連続した仕事の区切りがこのフジロックであり、
電車に乗って山国に来れば「越後湯沢」「苗場」などという
お休み気分のキーワードに触れ、更に良い空気に駅弁に山の景色とくれば、
自動的に身体は「ワーイ、とうとう休みなんだねえ!」と勘違いしてしまう。
だからステージでボーッとしてしまった。

その上、新曲が多かった。これまで続けてきた「東京シャイネス」は
6月の福岡公演で一段落し、狭山以来の「Hosono House」路線は一応
「メデタシメデタシ」ということで完了したわけだが、
このフジロックは次のソロの前でもあり、「どっちに行くんだ?」
という時期でもあった。出演が決まった時に、咄嗟に付けたユニット名は
「Harry Hosono Quintet」で、その響きからすれば自ずと内容が見えてくる。
そこでずっと気になっていたスタンダードの名曲「Pennies From Heaven」や
ギターの徳武君によるレス・ポールへのオマージュ「Caravan」だったり、
今までのフォーキーなものとは異なるレパートリーとなった。

「Pennies From Heaven」は邦訳して歌うことにしたが、
歌詞を覚えない怠け者に罰が当たることになる。
歌詞の置いてある譜面台がやけに下の方にあるので、
目の悪いぼくには読みにくい。この手の野外フェスでは事前にステージで
音をチェックせず、いきなり演奏するのが常だが、
特に今回は冒頭にダンスもどきで出て行くことにしていたので、
一番肝心な「モニター」の調整もせずに、いきなり歌い出した。
こうした場合、狭山の時もそうだったが、大抵なんとかなるものだ。
しかしこの時は譜面台が低かったのは予想外であり、
何かとてもやりにくさを感じたものの、
そういう事態を把握するには時間がかかった。
3日しかない練習では、そういう偶発的なイジワルには対処できない。
身体は休んでいるし、頭は混乱するし、
隣でぼくを観察していたコシミハルは、
「アラアラ、顔が・・あらぬ世界へ旅立っているのね・・」と思ったそうだ。
譜面台を読める位置に戻すことが必要だと気付いたのは、
一曲目を歌い終わってからだった。

自分の奏くギターの音量と音質が微妙で、
隣のフィールドから聞こえてくるバンドの音に惑わされたのも
マイナスの要因であった。思えばコンサートで自分たちの演奏に
他者の演奏が被るということは、バリのガムラン合戦以外あり得ない。
だがここではそれが前提となっていて、
予め了解していたことだったとはいえ、
いざその雑然とした音環境で演奏すると、かなり気になる。当然だな。
デパートで買い物してんじゃないんだから。
しかもオイラ達はロックフェスなのにロックをやらないバンドだった。
ブギウギをやっただろうって?ブギウギはロックじゃない。
ロックの祖先で、しかも実は繊細なんだ。

そんな気持ちはMCに素直過ぎるほど出てしまった。
これは単純にお客さんに対して失礼千万だった。
入り口からこの奥まったステージまで、延々と歩いて見に来てくれたのだ。
そういう穢れのないピュアな2千人もの観客に向かって曰く、
「早く終わって早く帰ろう・・」と二度も言う出演者は、
ぼく以外だと往年の・・その名を失念したが「もう帰ろうよ」
で有名だった夫婦漫才しかいない。

さて後半はブギでやっと調子を取り戻し、気分は持ち直したのだが、
前半のミスやMCのマイナスが気持ちにダメージを与え、
ステージを終えると「もうダメダ・・」などとかなり落ち込んでしまった。
もう二度と野外には出ない・・。
お天気ノイローゼにはもうなりたくない・・と。
しかし周囲の人たちは心優しく慰めてくれた。見た人たちも心優しかった。
「ま、お爺ちゃんだから・・」ということなのだろうが、
それはそれで年を取る甲斐もあるものだ。

 今一つ慰められたことがあった。演奏後に高野寛君
(他のステージに出ていた)がバックステージに来てくれて、
最後の曲〜確か「ろっかばい・まい・べいびい」の時に舞台の上を
大きな鳥が旋回していて神々しかった、と報告するのだ。
蝙蝠かもしれないがそれならば大きくはない。
夜に飛ぶ鳥はフクロウなのか・・
「あ、タヌキが歌ってらあ、狙っちゃうぞ・・」ということなのかも。
はたまた何ものかが御座したのかもしれない。
そこで思い出せば昨年、笛の「雲龍」と京都の清水寺で奉納演奏した時には、
「人面リス」が聞きに来たこともあったのだ。

矢野顕子とのデュエットはそうあるものではないが、
今回はその珍しい顔合わせが偶然起きた。
「終りの季節」で登場してくれて、そのまま「相合傘」を歌ってくれた。
ぼくは練習なぞしてないベースで歌うものだから、
キーさえ知らずにメチャクチャだったが、
アッコちゃんのおかげでいい雰囲気で出来たし、
ステージを去る時に手をつないだのも初めてだった。
そして例の高野君がさらに付け加えてて言う。
「『相合傘』の時だけ雨がザーっと降ったんです!」とね。
野外っていいことも起こるんだな。これだからまたきっと出ちゃうんだろう。

追伸:この Harry Hosono Quintet、今後も数回ステージで場数を踏めば
凄いバンドになるという予感を持った次第だ。
「東京シャイネス」も4度目で感動的な「息」に達したこともあり、
一度きりでは終わらないことは承知の上だ。
メンバーともそう話したことをここに報告しておこう。
実は今後がとても楽しみなんである。


★フジロック出演の感想/細野晴臣★

2006年07月02日(日) 神菜、頭をよくしてあげよう 098/大槻ケンヂ
「ホテルカリフォルニア」などの大ヒットで知られた
スーパーグループ「イーグルス」が94年復活を遂げた時、
米国メディアは「地獄が凍りついた!」と報じたのだそうだ。
解散を宣言した82年にメンバーの一人が、
「たとえ地獄が凍りついたとしても、復活はあり得ない」と語ったのを、
ユーモアと愛情のこもった表現で茶化してみせたということだろう。
イーグルスが復活した頃、僕は筋肉少女帯というロックバンドを組んでいた。
筋少は友人と高校生のころに結成したバンド、88年にデビュー。
98年の活動停止までにベストを含め14枚ものアルバムを発表し、
数限り無いライブを日本全国行った。
20代のほとんどをバンドに費やしていたと言っても過言ではない。
バンドというより「日常」と呼ぶにふさわしい存在であった。
だからなんとなく「一生このバンドを続けるのであろうなオレは」
と思ってもいて、解散はおろか、地獄が凍りつく日を見ることも
有り得ないであろう身としては、イーグルスのドラマチックな復活が、
ないものねだりがうらやましく思えた。
ヒントにして、こんな歌詞を作った。

「新曲なんか聞きたかない
昔の曲をやってくれ
どの面下げてやってきた
ロックバンドの再結成
ママ、パパ、どこに行くの?
ママ、パパ、腰をふり
マジ?やだ 若くない
まだ、バカ、やる気なの?」

結局この曲にメロディーを乗せる機会もないまま、
筋肉少女帯は98年に活動を停止した。
原因はよくあるロックバンドにおけるアレである。
エゴのぶつかりあい、共同体としての疲弊、マンネリ。
全てが恋愛の終末に置き換えられる。
僕などはリーダーでありながら脱退という形で
この恋に終止符を打っている。
大江千里さんならズバリ「かっこわるいふられかた〜」と
唄って下さるであろう。

それから気が付けば8年もの歳月が流れていた。
僕は40歳になっていた。
「ま、いちおう」との軽い気持ちで人間ドックなるものを
経験したところ、痛風の気があるなどと衝撃の結果と共に、
もしかしたら死にかかわるかもしれない病の疑いまでが
診断結果で記された。
愛車ポルシェ・ボクスターをオープンにして帰る道すがら、
「俺、もし人生にやり残したことがあったらなんだろう」
とボンヤリ考えたものだ。
「良くない別れ方をした恋人に、もう一度会ってみたいかもな」
と、まるで弘兼謙二が柳沢みきおのサラリーマン漫画の
ようなことが思い浮かんだ。
ただ、恋人が女性ではなく、20代を費やしたロックバンドであるという
一点において大きな違いがあるだけだ。

結局後日、体調のほうはさして問題はないと判明した。
でも、パンドラの箱みたいなものである。
一度意識してしまった再会への想いというやつは、
なんだろう?ふくらむばかりで、もう二度と、消えることがないのだ。
何を今さら?未練がましい。
過去を振り返って何になる。
また同じことでもめるだけさ。また同じ原因で別れるだけさ。
後悔しか残らないに決まっている。
いやわかっている。そんなことは100も200も承知の上なのである。
わかってる上で、人生半分を過ぎた今、
いさぎよく昔の恋人に僕は会ってみたくて仕方がない。
我が20代の恋人であった筋肉少女帯に。

とは言えあの恋人は僕に一人のものではなかった。
メンバーというものがいる。
「筋少をテーマとした小説『筋肉少女帯物語』を書くから
許可を得たい」との名目で元メンバーの一人に会いに行き、
「で、ついでなんだけどさ〜」と、オマケを装って再結成を
ふってみたところ、「もう俺も大人だしな、過去のことは水に流して」
いいんじゃん?との返事。
それからイモづる式に一人一人を口説き落とし、
イベンターにも相談すると大乗り気。
アッと言う間に復活ライブの日取りが決まってしまった。
12月28日中野サンプラザ。
「THE 仲直り、筋肉少女帯復活!
サーカス団パノラマ島へ帰る06」とのタイトルで。
90年代のメンバーによる復活である上、
ゲスト、キーボードに80年代筋少のメンバーだった三柴理も
参加してくれることになった。
 
「でも、ママうれしいって
でも、パパ、待ってたって」
未定の詩に、そう付け加えたい。そしてさらにもう一行を。
筋肉少女帯をまだ知らぬ若者たちのために。
「ボクも行く。スゴイかどうか見てやるぜ。
だってボクらにしてみりゃ、新人バンドさ」


★神菜、頭をよくしてあげよう 098◇ぴあ1161号/大槻ケンヂ★

2006年07月01日(土) 今日の家元/立川談志
7月1日 過去、三回は行ってるか、ベトナムいや「サイゴン」。
2日 はじめて老人になる事に戸惑っているのか・・・。
3日 ドリアンは美味い。
4日 上原敏の「沸印だより」なんてもうほとんど知る人も歌える人も居まい。
5日 ビールと薬でいくらか元気になってきた。
6日 何もしないで居られるか・・・。
7日 もうこういう旅も最後かも知れない。
8日 “特別御招待”でないと家元は行かナイ。
9日 大人も子供もない、あるのは経験だけである。
10日 何でサッカーは手を使っちゃ不可ないのか。
11日 人間“時の奴隷”になったらオシマイだ。
12日 静かになるなァー。
13日 国連なんざぁ何も出来ゃしない。
14日 “天災”だと思って諦めナ。
15日 つまらナイ、不快・・・。
16日 名誉だけでいいぢゃぁないか。
17日 薗ちゃんありがとう・・・。
18日 もうネタないヨ。
19日 もうやけクソ、何でも持ってこい。
20日 ふと飛び降りたくなる時がある。ケド、ポール牧と一緒にされちゃたまらナイ。
21日 喋っているうちに元気になることもある。
22日 これ以上ないエロ噺をやる。兄と妹がやってて“お前のはお袋よりいいなァ”“お父さんもそう言ってたわよ”
23日 家元、雨が大好きなのであります。
24日 靖国神社なんざぁ大した問題ぢゃないヨ。
25日 熟睡しているところを弟子に起こされる。
26日 元気がないのは寝過ぎが原因か・・・。
27日 「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。観客が皆泣いていたというのが解る。
28日 「スーパーマン」はダメ。耳栓しているのにあの大音量、途中で出た。
29日 水でも浴びよう・・・。
30日 何かしようとしてイライラしている。
31日 愚痴ィ言ってるのが生きている証拠なのか・・・。


★今日の家元/立川談志★

マリ |MAIL






















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