宿題

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2003年03月31日(月) MELODY/Fishmans
MUSIC COM'ON ROCKERS!

よく日の当たる この部屋では 音楽はマジックを呼ぶ

地上7m この部屋では 太陽は人を変えるよ


MUSIC COM'ON ROCKERS! 

僕にメロディ 暗いメロディ ずっと


窓からカッと 飛び込んだ光で 頭がカチっと鳴って

20年前に 見てたような 何もない世界が見えた

すぐに終わる幸せさ すぐに終わる喜びさ

なんでこんなに悲しいんだろう


あと2時間だけ夢を見させて

ホコリと光のすごいごちそう

ゆれるテンポの中で 見たこともない顔を見せる

君は今も今のままだね


流れるミュージック 暗いメロディー 君がくれたメッセージ

見えてる景色 窓枠どおりの エンピツでかいたみたいな 


流れるミュージック 暗いメロディー ホコリの匂いのする

見えてる景色 窓枠どおりの


★Melody/fishmans★

2003年03月30日(日) 悪童日記(5月30日)/水道橋博士
日記などつけることもなく、

もちろん、他人の人生を読むこともなく、

目の前にいる、人間、出来事こそが世界であり、実存である〜

そして、一日の憂さが、もし、あるとしたら、酒で洗い流す、

そういう日常を送るものは、ここを熱心に読むこともない。


性格を共有するものが、実際に出会うことなく、

出会いたくもなく、悶々を抱えながら、

うっすらとネットワークで繋がっている。


それでも、大丈夫!

オモロなこともある!

って言いたいがためだけに、

俺は、書き付けるだけだ。


★悪童日記(5月30日)/水道橋博士★

2003年03月29日(土) みつばちトート/束松陽子
私、海外通販がすごく好きなんですよ。

最初、高校生ぐらいのときに、イギリスの“サラ・レーベル”っていう

小さいインディー・レーベルでレコードを買ったんです。

欲しいレコードがあったんですけど、普通のレコード屋には置いてなくて、

そこに「送ってくれ」って手紙を書いたんです。

手紙には、イギリスなのに何故かポンドじゃなくてドル札何枚か入れて、

「おつりはいりません」ってメッセージ付きで。

たぶん料金、足りなかったと思うんですけど(笑)。

でも、ちゃんと送ってくれたんです。

サラ・レーベルって、ポストカードやポスターが付いてきたり、

あとレコードのリストが付いてきて、それがすごく楽しみで、

本当に届いたときは感動しました。


★みつばちトート◇ナリワイ Lesson8/束松陽子★



■そういえば「みつばちトート」が届いた時も、
ポストカードや直筆のお手紙が一緒に入っていて、
嬉しかったのを思い出したり。

2003年03月28日(金) 池袋ウエストゲートパーク スープの回/宮藤官九郎
最初は吐きそうになったけど、書いたら楽になった。

売れたらもっと楽になった。



会いたくなったら目を閉じるんだ。



環境が変われば元気も出るってこと。


★池袋ウエストゲートパーク スープの回/宮藤官九郎★



■「税金」とか「24歳」のところとかは聞かないようにしました。

2003年03月27日(木) 笑っていいとも/宮藤官九郎
(お土産渡しながら)あの、これ実家の方のなんか、甘いお菓子…。



ラジオ聞いてるとあの、隣で作家さんが大きな声で笑ったりするじゃないですか、「アハハ」とか。

ああいうのやりたかった。



東京に出てきた時に、まあ田舎にいた時はやってなかったんですよね。

でも東京に出てきた時に、こう誰も僕の事知らないじゃないですか。

「俺はバンドやってたぜ」みたいな顔で。ギター持って。ギターケース持ってこう。


(大学で、高校の時バンドやってたという人は)

みんなやっぱり多分あれホントやってない人多いんだと思いますよ。

持ってるだけ、みたいなの結構多いなと思って。



高校までは、自転車であの40分くらいあって。

それであのアレなんですよ、バンカラな高校だったんですよ、男子校で。

で、冬もゲタで自転車乗ってたんですよ。

それでこうゲタでペダルをこうガチッっとはさむじゃないですか。

うわぁーってやってると(ペダルを漕ぐ)、取れないですよね。

それでみんなパタンって(倒れる)。


★笑っていいとも/宮藤官九郎★

2003年03月26日(水) 模型「トキワ荘」/芳賀一洋
窓から部屋の中を覗くと本箱に収められた本や『漫画少年』などの雑誌の背表紙も読める。

表紙の絵も再現されている。一冊ずつページを開くこともできる。

当時、その部屋にどんな本が置いてあったかも調査して再現してある。

ちゃぶ台も座布団も、アルミの小さな傘の電気スタンドも、石ノ森氏愛用のピースの缶も、

2ミリのフタがちゃんと開く「開明墨汁」の缶も、火鉢も、鋳物のガスコンロも、

あらゆるものがマニエリスム的な克明さでつくられている。


★模型「トキワ荘」◇『天上大風』創刊号/芳賀一洋★



■「東京都豊島区椎名町」のあの建物の15分の1の模型!!

雑誌の写真で見る限り、本物の建物そのもの。
芳賀さんの「作り始めてみて、いったいいつ完成するのか?私は不安になった」
という言葉もそれはそうだろうなと思いました。

普段は宮城県の「石ノ森萬画館」にあるそうなのですが、
4月12日までは青山のギャラリー北村で、
その後も渋谷の東急東横店で見れるそうです。

2003年03月25日(火) ニャロメとイヤミと天才バカボン/赤塚不二夫
タモリ直伝のサルやイグアナの形態模写もなつかしいけど、

アルコール依存症になったセンセイが床にこぼれたお米を一粒一粒、

えんえんとひろっているシーンや、四苦八苦しながらお菓子の缶を開けてるだけの映像は、

なんともヤバイ感じだよな。



お酒が欲しくて奥さんの前で半裸になって「お願いの踊り」をするのも

トホホでイイ感じ。



猫の菊千代とセンセイが言い争いをして、

怒った菊千代にネコパンチされているところ最高にかわいいね〜。



最後、センセイがナツメロを聞きながらひとりで酒を飲む、

というシーンがえんえんと10分くらい長回しで収録されているんだけど、

びっくりしたよ。

まるで環境ビデオだね。


★ニャロメとイヤミと天才バカボン/赤塚不二夫★



■これ全部、赤塚不二夫漫画大全集DVD-ROMの発売記念特典「What,Akatsuka?」
に入ってる映像だとか。

「ニャロメとイヤミと天才バカボン」に載っていた、
そのDVDを観ての編集者の感想対談から。

2003年03月24日(月) 昨日も明日もない、あるのは今日だけ/天本英世
スペイン人と日本人の違いはなんだと思う?

それはスペイン人は明日も生きているとは思っていないところだよ。

「アスタ・マニャーナ」といえば、日本人はなまけもののスペイン人のよく使う言葉だと思っているだろう。とんでもない。

例えば日本人が銀行に行って換金を頼んでも「アスタ・マニャーナ」。

“今日は終わり、また明日おいで”と言われる。
 
なんてなまけものだと日本人は思うが、実はこの後に「シ・ディオス・キエレ」と続く。

「アスタ・マニャーナ、シ・ディオス・キエレ」。

これは「もしも神様の思し召しで明日も私とあなたが生きていたらお目にかかりましょう」という意味。

スペイン人はベッドに寝ても、明日の朝、目が覚めるとは思っていない。

ここに、昨日も明日もなく、今日しかないんだという考えがある。



僕はまったく兵隊になるのがいやだった。

だけどしかたがない。昭和20年5月に久留米の野砲隊に入隊した。

で何をやらされたかといえば、来る日も来る日も野原に穴を掘らされた。

毎日ツルハシで穴を掘り、気を失うと水をぶっかけられ、ぐずぐずしていると木刀でぶん殴られた。

そういった意味で、僕はまったくの劣等兵だった。

もともと兵隊がきらいだから精神的にも肉体的にも兵隊になろうという気がない。

戦争について考える気力もないので、劣等兵なら劣等兵になりきろうと考えた。



ようするに、僕にとっては、俳優になるというのは乞食になるのと同じ意味だったんだ。

生きることを捨てるというかね。

かといって、それを怖いとも寂しいとも思わなかった。


★「Mammo.tv」2001.05.28号/天本英世★



■たまに書かれてる「自宅がない」というのは冗談みたいで、ここでも書いた中洲通信のインタビューでも

―自宅がないという話を聞いたことがあるんですが。

それは冗談(笑)。
「人に最近どこにいるんですか」って聞かれると「今代々木公園で寝てんだよ」
とか答えてるから。
ンなわけないじゃない。
でも信じてるやつもいるんだろうな。

という箇所が。

2003年03月23日(日) デモ行進(2月15日)/友部正人
ときおり声を合わせて反戦を唱えながら、行進はとてもゆるやかに進んで行きます。

乳母車を押している人もいれば、犬を連れている人もいます。

大声でブッシュを批判している人もいれば、反戦のバッジを売っている親子もいます。

緊迫感はどこにも感じられません。

警官たちもたいていはにこやかです。( こぜりあいで逮捕された人もいたそうですが。)

あまりにも冷えたので、ぼくとユミは途中でマクドナルドに入り、コーヒーであったまりました。トイレは長蛇の列。

全体に白人が多く、黒人とアジア人がその次ぐらいです。

新聞は60年代と比較したがりますが、ぼくにはそれがどんな意味があるのかと不思議です。

こういうことは懐かしがるようなことではないからです。できればこんなことはない方がいいのですから。

ユミはヒスパニック系の人がほとんどいないのはどうしてかとしきりにぼくに聞きます。

ぼくには答えられません。

約二時間後、ぼくたちは五十九丁目で行進を離れ、セントラルパークをななめに横切って家へ帰りました。

帽子に反戦のバッジをつけて、家を出てから帰るまでが行進だね、とはしゃぐユミと一緒に。


★デモ行進(2月15日)/友部正人★

2003年03月22日(土) <アニメーション3人の会>大いなる軌跡 久里洋二・真鍋博・柳原良平/イントゥーアニメーション3
テレビ用にプロモーションビデオを作ったことがあったけれど、

自分のは色っぽいからだめ、真鍋氏のは白目だからだめ、

柳原君のは酒の匂いがするからだめ、と言われた。


アニメーションなんて10万円もあれば作れるんだから。

一人で絵を描いて、ベットの上に並べていく。すぐ乾くよ。


手塚君と、鉄腕アトムのアニメーションを観に行ったことがあった。

カラーで良く出来てた。

「訴えないのか」と手塚君に言ったら、かなり刺激を受けたみたいで、

「僕はアトムで子どものアニメーションを作る。久里さんは大人のだけ作ってくれ」って。

でも彼は晩年、大人のアニメーションを作っただろ。うそつきと思った。

―久里洋二


■セシオン杉並

●3人の会のプログラム

1 「人間動物園」 久里洋二
2 「池田屋騒動」 柳原良平
3 「時間」 真鍋博

久里洋二さん、柳原良平さん、古川タクさん、大井文雄さん、福島治さん
のトークショー

4 「LOVE」 久里洋二
5 「両人侍誉皮切」 柳原良平
6 「MARCH (マーチ)」 真鍋博
7 「殺人狂時代」 久里洋二
8 「M.S.Chanda=チャンダ号」 柳原良平
9 「潜水艦カシオペア」 真鍋博

「3人の会」の柳原良平さんが目当てで行ったのですが、
その他のプログラムもいっぱいで

●NHK プチプチ・アニメ大集合![1]

「とこちゃんちょっきん」 木村光宏
「ミスターボンド」 はらひろし
「ぶーばーがー」 I K I F
「パニポニ」 ひこねのりお
「ハスの妖精 ぼにょぼにょ」 守田法子
「ビップとバップ」 和田敏克
「ニャッキ!」
「ピーナッツ・ブラザーズ 」 伊藤有壱

●JAA作家作品上映&トークショー[A]

「Learn to Love」
「Countdown」 米正万也
「寸魔尊」(作品変更) 佐野真隆
「水の円環」 島 由美
「INNER」 田辺幸夫
「ここで会おう」 吉良敬三
「K・A 2」 片山雅博
「ミニパト 第2話『あゝ栄光の98式AV!』(監督/神山健治)」 I K I F
「ASTRO BOY 鉄腕アトム <パイロット版>」 手塚プロダクション・SPEJ (監督/小中和哉)
「旅<再編集版>」 川本喜八郎
「adidas/MTV japan campaign "FEVER"」 竹清 仁
「愛知県歯科医師会からのおしらせ」 はらひろし
「『?』<撮り下ろし新作>」 森まさあき
「フィッシャーマン」 坂本サク
「頭山」 山村浩二

などなどたくさん観てきました。

ニャッキ! の絵付きサインを描いてもらえたのも嬉しかったし、
久里洋二さん、川本喜八郎さん、ひこねのりおさんなどの
素敵おじいさんのお話にはメロメロになりました。

それにしても、800円で作ったというパンフレットを500円で売ったり、
入場無料だったりとどういう仕組みになってるのかなと思いました。

2003年03月21日(金) 空爆の日に会いましょう/小林エリカ
―あたし、よく人から変わってるって言われるんです」って自分で言う女って

みんな意外と普通だったりするけど、今回の小林エリカって本当に変わりすぎ!

なにしろこいつはテロがあったりアメリカがアフガンに空爆したりした日は、

ウチに帰らないで男の部屋に泊まるっていうルールを決めて、ずーっとウチに帰ってないんだって!

しかもこれは超個人的反戦活動で「戦争するならセックスしません」という趣旨で絶対セックスレス。

そのかわり男のウチで見た夢を記録してゆくことを自分に科しているとか。

小林エリカは「爆弾娘の憂鬱」というHPを運営してるんだけど、そこではこんな宣言文が出てる。

「ウチと夢と戦争の三角関係 A LOVE Triangle。これは超個人的反戦運動です。

『来週の空爆の日に、会いましょう』」

うーん、これは高度なギャグなのか、遅れて来た不思議ちゃんなのか、

とりあえず誰にも頼まれてないのにいまだにこの「homesickless(夢みたい《ハートマーク》」

というプロジェクトを続行している小林エリカに会ってみたよ。



●普段彼女がいる男のウチに私が「空爆あったから泊めて」っていうと、

彼女は怒って女友達とかに言うじゃないですか、「あいつ何人死んだ日に来たよ」とか。

泊まった先の男の人とは一緒に朝ごはんを食べるんですけど、

たとえば一緒に目玉焼き食べたら、違う日に目玉焼き食べた時に

「あ、またアフガンのことを思い出しちゃったよ」みたいな。

あらゆる場所でふとした時に戦争のことを思い出させるっていう趣旨なんですよ。

私は私で例えば恵比寿の男の人のウチに泊まったら別の日、恵比寿に下りた時

「そういえば地上軍が派遣された日、ここに来てたよな」と場所で戦争を記憶していこうって。



―ふーん、ネタじゃなくて本気で戦争反対なんだ……。

●当たり前じゃないですか!

もうウチに帰りたいですよー。比喩じゃなく身を持って言いたい。

もう早く戦争終われっ!



―ところでこの反戦プロジェクト、さすがに親は怒ってない?

●ずーっと家に帰んないから親から電話がかかってきて、「お前どこに行ってるんだ?」って言われた時、

「いや、反戦運動で男の家に泊まりに行ってるんだけど…」って言ったら、

「それはいい考えだ!」って言われて(笑)。「がんばれよ!」って応援されました。

父親からは「ラマダンがはじまって戦争が中断するといいな。お前も疲れているだろう」って応援のメールが入りました。

―理解があるのか、なんなのか、かなり脳が焼かれた親だなあ。



―spoon.で「泊めてくれる人募集」みたいな?

●それは怖いですよ!それはいやだな〜。

むしろ私としては、みんなもやりましょうとspoon.に勧めて欲しい。

だから女全員がそれをやったらそれはすごいパワーだと思うんですよ。


■spoon. vol.8 きつねのフレッドの「誰が読んでんの?」から。
2002年の2月頃の記事です。

ご両親がシャーロックホームズ研究家(!)という小林エリカさんの反戦プロジェクト、
「空爆の日に会いましょう」のちゃんとした宣言文はここに。

2003年03月20日(木) 富士日記(3月19日)/宮沢章夫
きのう内田百間(ほんとうは門構えに月)の言葉を書いたらMさんという方から

「私は、内田百間が賞を断った時の『いやだから、いやだ』が、世の中で最も好きな言葉です」

というメールをもらった。ありましたね。それもすごくいい。百間らしい。

ただ正確には「芸術院会員」に推薦されたときの言葉です。

しかも、「いやだから、いやだ」と言っているわけでもないのですね。

芸術院会員辞退の理由をメモとして百間は問答形式でこう書いている。


御辞退申シタイ

   ナゼカ

藝術院ト云フ會ニ這入ルノガイヤナノデス

   ナゼイヤカ

気ガ進マナイカラ
  
   ナゼキガススマナイノカ

イヤダカラ

 
これはもう、子どもの言いぐさである。

戦争はいやだ。なぜいやなのか。いやだから。いやだから、いやだ。


★富士日記(3月19日)/宮沢章夫★

2003年03月19日(水) 青ひげ/カート・ヴォネガット
「どっちが善で、どっちが悪だと思う?」と彼はわたしにきいた。

「小銃か、それとも、われわれが人体と呼んでいる、あのゴムに似た、ブヨブヨふるえる骨の袋か?」

私は小銃が悪で、人体が善だと答えた。

「しかし、この小銃はだれのために設計されたと思う?邪悪な敵から家庭と名誉を守るアメリカ人が使うためだぞ」

と彼は言った。そこでわたしは、どの人体、どの小銃を例にとるかが大きな問題で、

どちらが善になることも、また悪になることもある、といった。

「で、そのことに最終決定をくだすのはだれだ?」

「神様ですか?」

「この地上の話だ」

「わかりません」

「絵かきだ――それと物語作者。これには詩人と劇作家と歴史家も含まれる」と彼はいった。

「彼らが善悪最高裁判官の判事なんだ。いまのおれはその一員だし、おまえもいつかはそうなるかもしれん」


なんという道徳的誇大妄想!


そう、いまになってそのことを考えてみると――やぶにらみの歴史教育が原因で

あれだけおびただしい流血が起こったことからしても、抽象表現派の画家たちのいちばんりっぱな点は、

そんな裁判所に勤めるのを拒否したことにあるかもしれない。


★青ひげ/カート・ヴォネガット★

2003年03月18日(火) もの喰う女/武田泰淳
「食べることが一番うれしいわ。おいしいものを食べるのがわたし一番好きよ」



彼女の家へ曲がる横丁の所で私は急に「オッパイに接吻したい!」と言いました。

それがこんな場所で可能であるとか、彼女が許すとか、それら一切不明の天地混溟の有様で、

その言葉が、嘔吐でもするように口を突いて出てしまったのです。

すると彼女は一瞬のためらいもなく、わきの下の支那風の止めボタンを二つはずしました。

白い下着が目をかすめたかと思う間に、乳房が一つ眼前にありました。

うす黄色く、もりあがって、真ん中が紫色らしい。

私は自分がどのようなかっこう、どのような感情を保っているのかも意識せずに、

そのふくらんだ物体を口にあて、少し噛むようにモガモガと吸いました。

そしてすぐ止めました。

何か他の全くちがった行為をしたような気持、あっけない、おき去りにされた気持でした。

彼女は優しく笑って、「あなたを好きよ」と、ふり向いて言うと、姿を消しました。



「あれは何だろうか、彼女の示したあのすなおさは何だろうか。あれは愛か」

と私は揺れる身体をわざと揺すらしながら考えました。

「もしかしたら、あれは、御礼なのではないか。とんかつ二枚の御礼なのではないか。

彼女はまるで食慾をみたす時そっくりの、嬉しそうな、また平気な顔をうかべていたではないか。

食べること、食べたことの興奮が、乳房を出させるのか。

ああ、それにしても自分は彼女の行為に対して、何とつまらぬ事しか考えつかぬことだろう。

まるで俺は彼女の乳房を食べたような気がする。

彼女の好意、彼女の心を、まるで平気で食べてしまったような気がする……」

友人の家にころがり込んでからも重苦しさはつづきました。

「食慾、食べる、食慾」と私はうつぶせになってうなり、それからすすり泣く真似をしました。

泣くのが下手な以上、その真似をするのが残された唯一の手段のように考えたからでしょうか。


★もの喰う女/武田泰淳★



■武田泰淳さんの本には、武田百合子さんがモデルになっているものがいくつもあるそうで、
これもその一つ(神保町の喫茶店ランボオで働いていた頃)。

2003年03月17日(月) 百合子さんは何色 武田百合子への旅/村松友視
武田泰淳氏は、これでもかこれでもかと自分が犯人であることを書きつづけ、

書きつづけるほどに百合子さんの時間が残酷によみがえる。

それはあたかも、精神病患者と精神科医が狂気の中での合意を成り立たせ、

一ミリずつ正気の世界へ浮上しようとする決死の覚悟のようだ。

どちらが患者でどちらが医師かが、この段階で逆転するというのはよく聞く話だが、

この二人はその立場が最初からあいまいなのだ。

武田泰淳は、百合子さんのすべてを書くことによって、戸籍謄本をさし出す儀式の前に、

すでに百合子さんと共に生きる決意を固めているはずだ。

そして百合子さんは、おそらく自分の血縁者がすべて拒絶するであろう内容の作品を書いた武田泰淳を肯定した。

この段階で両者は一体となって何かを切り抜け、二人以外に立ち入ることのできぬ

精神的絆をつくり上げてしまったのではなかろうか。


★百合子さんは何色 武田百合子への旅/村松友視★

2003年03月16日(日) 奥村さんのお茄子/高野文子
奥村さんがまだ結婚する前のおくさまとデートの最中に

奥村さん 「昭和四十三年六月六日のお昼何食べました」

と質問されたら奥村さんの答えはお茄子ですよね。


小さい息子さんが自転車とぶつかって救急車で運ばれたとき

お父さん ぼうやのお父さんですよね 「昭和四十三年六月六日のお昼何めしあがりましたか」

という質問にもやっぱり答えはお茄子です


聞かれたら答えたかもしれないですね

聞かれなかったら答えなかったけど覚えてたら答えてたかもしれませんね

楽しくてうれしくてごはんなんかいらないよって時も

悲しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時も

どっちも六月六日の続きなんですものね

ほとんど覚えてないような、あの茄子の

その後の話なんですものね


★奥村さんのお茄子/高野文子★

2003年03月15日(土) 私の知ってるあの子のこと/高野文子
あたし、悪いことっていったらいくつでも考えつけるわ

「はい、ここで今すぐに」って言われても

OK、すぐできる

きっとジャーヌでさえ考えつけないような、とってもいけないことよ

でも逆にすばらしいこと

そんなふうになったらあなたもあたしもそりゃ楽しいでしょうってこと考えられないの

考えはじめたとたん息が苦しくなってこわくてこわくて

だれかにどっかから

「お気の毒ね」

って言われそうなんだもの


★私の知ってるあの子のこと/高野文子★

2003年03月14日(金) 「フィクショニア」役者紹介/有坂大志
本当に、ラピュタを探す冒険に出たかった。

でもいつ迄待っても椎名林檎は空から降ってこない。


★「フィクショニア」役者紹介◇劇団本谷有希子HPより/有坂大志★



■ジブリつながりでいうと、有坂さんには こんなのも。

2003年03月13日(木) わたしの命はねらわれている!/藤子F不二雄
なあに、あのおっさんは運動不足や。

人間は働かんとあきまへん。

ブラブラしとるとからだもぐあい悪くなるし、

ろくなことを考えんようになるもんや(パーやん)。


★わたしの命はねらわれている!/藤子F不二雄★



■『パーマン』2巻から。

パーやん大好き。
藤子Fさんのキャラでも一番好きかも。

本名は大山法善(おおやまほうぜん)で、
実家はお寺。

『青春デンデケデケデケ』で大森嘉文さんがやってた
合田富士男とちょこっとかぶる感じがしました。
あっちも大好き。

2003年03月12日(水) まよなか/冬野さほ
あたらしい物語は、

みんな夜つくられる。





まっくらやみに はだしを いっこ。


赤いじゅうたんの 下をとおって、

それから くるりって ちゅうがえり。


まっくらやみと ぼくの パーティ。

とっても しずかな おとの


パーティ。


★まよなか/冬野さほ★

2003年03月11日(火) 笑っていいとも!(3月11日)/タモリ
「(「はねるのトびら」のことを)お笑いやってながら全然知らなかった」

「あんまり人の事に興味ないからね」

「自分のも興味ないもんな」

「自分の姿テレビで見ると物凄い恥ずかしいね」

「絶対コイツは嫌われても当然だと思うもんね」

「(自分の番組を)見ないもん、俺」


★笑っていいとも!(3月11日)/タモリ★

2003年03月10日(月) 笑っていいとも!(2月19日)/美輪明宏
「これね、神様に内緒で出した本なの」


★笑っていいとも!(2月19日)/美輪明宏★



■自署「ああ正負の法則」をタモリさんに渡しながら。

2003年03月09日(日) フローズン・ビーチ/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
わかる?

一度始まっちゃえば、もうどうしようもないの。

いったんなにかが起きてしまえば、それは永久に起き続けるの。

二度と変えることはできない。

それは永久にそう在り続けるしかないの。


★フローズン・ビーチ◇芸術劇場(NHK教育)/ケラリーノ・サンドロヴィッチ★

2003年03月08日(土) ドラえもん・のび太とふしぎ風使い/芝山努
暴力はもうあきたんだ(ジャイアン)。


★ドラえもん・のび太とふしぎ風使い/芝山努★



■池袋HUMAXシネマズ4 「大人だけのドラえもんオールナイト」
 
●21:00〜21:30 ドラえもん、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんたち
声優さんのトークショー。
ドラえもんとパーマンも登場しました。

藤子F不二雄さんはこの「大人だけのオールナイト」に参加された時は、
必ず「良い子の皆さん」と最初に言ってから話を始められたとか。

●21:30〜22:20 映画の歴代の予告編を上映。
年々長くなっていくとのことで、今年は45分間。

●22:40〜23:10 芝山努監督×渡辺歩監督 対談

デジタル化、とかスタッフの若返り、とかに否定的なことを絶対言わない芝山監督が
かっこいいなぁと思いました。

●23:10〜0:40 「ドラえもん・のび太とふしぎ風使い」上映
●1:00〜1:30 「PaPaPa ザ★ムービー パーマン」上映
●1:30〜2:10 「パーマン ―バードマンガやってきた―」上映
●2:25〜3:55 「ドラえもん・のび太竜の騎士」上映
●3:55〜5:30 「ドラえもん・のび太のパラレル西遊記」上映

2003年03月07日(金) 広〜い宇宙で海水浴/藤子F不二雄
のび太 「一人だけ泳げなくてさぞつまんないだろうけど、ぜひ砂遊びにいらっしゃいだって。

そうまでいわれてついていけるか!!」


ドラえもん 「そうだ、そんなもんいくな!」


のび太 「でもいきたいよ」


ドラえもん 「じゃいけばいい」


のび太 「泳げないからはずかしい!」


ドラえもん 「人のいない無人島へでもいくか」


のび太 「尾の島でなきゃいやだ。人けのない尾の島にいきたい」


ドラえもん 「じゃあ、夜中にいくか、冬までまつか……」


のび太 「いますぐいきたいんだい!!泳げなくても泳ぐんだい!!」


ドラえもん 「いいかげんにしろ!!ムチャクチャばっかり」


のび太 「わかってるよ、ムチャクチャだってことは…。でも、あまりくやしかったから…。

いってみただけ。こまらせてごめんな」


ドラえもん (こんなふうにいわれると、なんとかしてやりたくなる)


★広〜い宇宙で海水浴/藤子F不二雄★



■ドラえもん29巻から。
一番好きな場面はこれかも。

2003年03月06日(木) ワーイ/エレファントラブ
両手を挙げてしまおう ワーイ 

武器は持ってない闘う気もありません

これは君に送る ワーイ 

無条件降伏のボディランゲージ

君に送る愛の手ばた信号 赤上げて白上げないで赤下げない

足も上げて 身も心もあげよう

世界中は全て ワーイ 

ますます上向きおれが働いて

まあいろいろあるけれどメッセージはこの世はおもしろいということだ


★ワーイ/エレファントラブ★

2003年03月05日(水) ね〜え?/つんく
お出かけいたしません
 
悲しくなりました。
 
本当に?もうしない!?
 
お出かけいたしましょう!


★ね〜え?◇松浦亜弥/つんく★

2003年03月04日(火) 人体実験/豊田道倫
時々だ、時々。

自分が危うい、ブラックホールのような、闇、闇の中に吸い込まれていくかも、という不安におそわれる。

そこに行くと、もう、自分は人間でなくなってしまう。

今、自分が座っているアパートの部屋のまん中でも、すぐにその場所に行けてしまうかもしれない。

そして、そこで、音を鳴らしたら、僕はもう、やることが本当になくなってしまう。


このアルバム『人体実験』は、その場所に背を向けて作った。


「今度、新しいアルバム出んねん」

「おお、久しぶりやん!買うわ、幾ら?」

「えーと、2800円。消費税入れると、2940円。まあ3千円やな」

「ああ、ちょっと高いな。買えたら買うわ」

「悪いな。買えたら、買ってや」



日本に生まれて良かった 神様がいないから

この国に生まれて良かった 何でも好きなことが出来るやれるから

(「この国に生まれて良かった」より)


★『人体実験』フリーペーパーから/豊田道倫★

2003年03月03日(月) わたしが語るテレビ50年/山田太一
―いくらテレビが娯楽や気晴らしだと言っても、

『信じ合えばうまくいくさ』で終わるホームドラマばかりでは、

現実がそうでなければ気晴らしにもならないでしょう。

当時人気のドラマを見ていて、僕の割り込む余地があるな、と思った。



ドラマを作りにくい時代になったといわれているが。

―内面の葛藤も心のすれ違いもなくなっていない。

むしろ複雑化しているなら、どんどん踏み込んで書く値打ちがある。

それを笑ってしまうような面白い物語にするのが、作り手の腕ですよ。


★わたしが語るテレビ50年/山田太一★



■産経新聞(3月3日)より

2003年03月02日(日) ひかりの引き出し/島尾伸三
そんなささいな所に気持ちを奪われる楽しみを片時なりとも見つけてしまった不幸にうつつを抜かす幸福



「不快」を心掛け、挑戦的だったり挑発的な降る舞いがあたかも現代という同時代性を強調する

最適な手段とでも勘違いしてるかのようです。

少年期、青年期の「むずがり」や「性的な欲求と精神との不均衡」をいつまでも引きずったままの、

おとなになれないことを売りにした、経済効果に貪欲で、人恋しい甘えを隠そうとさえしない、

若者へ媚びることだけをおぼえた作品が精神の市場さえ蹂躙しているのです。

悪ふざけな奇怪趣味や、悪辣な好奇心が現代の表現ということになっているのはどうしたことなのでしょうか。



結婚をする程の覚悟があって今の人「潮田登久子さん」と一緒になった訳ではないのに、

長く同居していると、情が通ってしまい、しかも子どもはいつの間にやら大きく育っていて、

仮にも「おとうさん」等と呼ばれてしまっていると……だらし無いもので、すっかりその気になっていて、

ある瞬間そんな中年の自分を発見して、愕然とします。



空元気を出したり、虚勢を張ってみせたりはしていましたが、実はどうでも良かったのです。

写真の将来も、過去も、そんなこと、私の責任の負えることでもありませんし、

誰が何をしようが、私を脅かすことも、がっかりさせることも、意気統合することもありませんでした。


★ひかりの引き出し/島尾伸三★

2003年03月01日(土) 杉浦茂 自伝と回想/杉浦茂
さてわれわれの談笑が、ひと区切りついた時だ。

突然岩月君は「失敬するよ」と言ったかと思うと、われわれにクルリと背を向け、

御飯蒸し器から冷やめしを丼に叩きつけ、ヤカンの水をガバーッと掛け、

ザブザブと食い始めたのであった。おかずは福神漬だけであった。

やがて食べ終わるや、ボーンと丼を放り投げ、クルリとこちら向きになるや、

「失敬」と言ったのには驚いた。


吉祥寺の平屋建ての貸家に越すことになった。

その日私は早速手伝いに行った。

さて当日、私は彼の大机を一番奥の八畳間に無造作に置いたのであった。

どうせあとで、彼が好きな位置に置き直すだろうと思ったからだ。

(1週間後、新居を訪ねると)

あにはからんや、彼は机には全く手を触れてはいなかった。

つまり光線の入る廊下と窓から全く離れた、デタラメな、

しかも斜めの位置に置かれたままになっているのだ。

ここで、私は彼の無雑作、無神経ぶりに。改めて感心させられたのであった。

それでも尚、私が「机の上が暗くて具合がわるいだろう」と言ったところ、

彼は「べつに…」と言って煙草の煙を吐くのであった。


■この後、

……ここに改めて、岩月、加藤、両君の冥福を祈る。

と締め括られます。
書き出しは、

―ここで私は、仕事の上で、私への応援、協力を惜しまなかった、
今は亡き二人の親友の事を書きとめたい―

とかなってるのに、杉浦さんが書くと「二人の親友」という章も
こうなるんだなぁと。

あと日野日出志さんや湯村輝彦さんの絵が好きだった、というのも
なんだか良い話、と思いました。

マリ |MAIL






















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