18日間の入院生活が終った。 気がつけば、夏休は後2週間。航平は「宿題の絵日記に書く事が無い」と 怒ってる(笑) 最初夏風邪だと思っていたので、今回の入院は自宅近くの病院だった。 あんな事になるのなら、産まれてからずっとお世話になってる病院に行けば 良かった。と思ったが、違う病院だったからこそ色々考えるきっかけになったし、 「ゆなっち」のHPにも出会えた。
航平の病気は産まれてからずっと1人の先生に診察してもらっていた。 とても優しい親切な先生で、航平の事は何でも相談していた。 基本的に治療方針は「いずれ脾臓を摘出する」という事に変わりはなかったが、 今回の入院での主治医の意見と微妙に違っていて、とまどった。 私には最新の医療知識はないし、どちらの意見が良いのかも判断できない。
いつもほこりをかぶっていたパソコンのスイッチを入れ、 「遺伝性球状赤血球症」と検索したのはこの時です。 いつも医師まかせだったけど、自分でも子供の病気の事、もっと調べてみよう。 と思った。(航平が産まれた時はPCなんか未知の世界!インターネットという 言葉も知らなかった。病気の事調べ様と思っても、家庭の医学本には載ってないし 医学書は難しくてわからない。情報は医師からのみだった) 検索してみて驚いた。何百件と情報があった。「え〜凄い」が最初の感想。 でもほとんど、医師や病院むけの医学情報。 検索件数は一杯あるけど・・・・とページをめくっているとき見つけたのが 「ゆなっち」のHPだった。
入院10日目、様態も安定してきて点滴が取れた。 航平は10日間、ほとんど食べてないのでまだぐったりしている。 8/13 やっと1人で歩いてトイレに行き、食欲も戻ってきた。 ウィルス検査では予想通り「パルボウィルス」が検出され「リンゴ病」が 今回の悲惨な貧血の原因だとはっきりした。 退院(18日)までのこの一週間は、病院内をウロウロ探検して先生に叱られたり、 TVゲームをしたりと、つい一週間前、「血球貧食症候群を起こしかけているので それがこのまま進むと危険です」と言われたとは思えない元気さでした。子供って凄い。 「血球貧食症候群」といのは、骨髄で血液のもとがウィルスに侵されていく病気で 進行すると、命がけの病気だそうで、後で聞いてゾ〜とした。
退院時の数値はHB9.8(最低値4.6)血小板25.5(最低値3.8)白血球5100(最低値1900)ほぼ正常値になってホッとした。 それにしても、最低値を改めてみると「よくぞ元気になってくれた」と思う。
熱は下がり始めたのに、航平は相変わらずグッタリしていて起きあがる事も出来ない。おまけに「頭がクラクラする・・・」ばかりうわごとの様に言う。 「髄膜炎」の検査、CTで頭のレントゲン検査をするが、どちらも異常無しだった
8/4 朝の採血の時、看護婦さんが「なんだか爪も唇も真っ白ですね」と言ったが 普段から血色は良くないので「ああ、いつもです」と答えたが、採血の結果を聞いて驚いた。 HB4.6 (生後1ヶ月目、病気発覚の時でもHB5はあった) 緊急輸血、輸血終了直後の採血でHB7.5 翌日(5日)にはHB6.8 だった。 おまけに5日には血小板4.5 白血球1900になり、(血小板が少ないので、体内で大出血を起こすと危険、白血球も少ないので、感染症を起こすと危険)という事 で、今度は血小板の輸血。(感染予防の為、個室へ移動)
この時点で、「リンゴ病」が疑われ、ウィルス検査をした。 「骨髄検査」をしたのは6日。経験はないが「痛い」検査という知識はある。 検査には立ち会えなくて、様子はわからなかったが、放心状態で帰ってきたので 痛かったんだろう。 採血くらいでは泣かなかった航平がこの日以来、「検査」と聞くだけで泣きそうな顔になった。 骨髄の中にある「赤芽球」という血液の基がほとんど無い(血液を作っていない) という検査結果。リンゴ病のウィルス(パルボウイルス)が骨髄に入ると、赤芽球を破壊してしまうらしい。 8日に再輸血(赤血球の)入院1週間目。航平は今だ起きあがれず、意識朦朧としていた。
この日記を書くのにどこから始めようか考えると、 2001年8月1日が手術にむけての第一歩のように思います。
8月1日 am.2時頃、誰かうなってる・・・と目を覚ますと、航平が うなされている。おでこに手をやるとめちゃめちゃ熱い。 体温40度。「寝るとき元気やったのに、とうとう遊び疲れで風邪ひいたかあ〜」 とその時は思ったくらいでした。
小学生始めての夏休が始まったばかり。 毎日、学童に通い、プールに入ったり、セミ取りしたり、週末はキャンプに行ったりと元気一杯に過ごしていた。 生後1ヶ月の時、「遺伝性球状赤血球症」と診断され、5〜6歳までは脾臓は必要なので、7歳位になったら手術しましょう。と言われてその年齢になっていたのですが、その7歳になった当時は「手術しようという年齢になったんだ」という思いはあっても、具体的に動こうとはしてませんでした。 慢性的な貧血で顔色が悪く、黄疸もあるので、体力的に弱いところはあったけど 普段は普通に過ごしていたし、一刻も早く手術を!という病気でもなかったので、なかなか腰が上がらなかったんだと思います。やはり「手術」という事も 「まだ小さいのに可愛そう」「今は内視鏡でするから楽とは聞いているけど、やっぱり怖い」という気持ちがあったし・・・。
夜が明けて、病院に連れて行くと、「のどの風邪ですね。2〜3日寝てれば良くなると思いますが、ビリルビンが7.5と高いですね。取り合えず入院しましょう」という事になった。風邪をひくとビリルビンの数値は高くなっていた。普段は1〜2位で、風邪をひくと3〜5位に上がる。今回の7.5という数値は始めてで驚いた。 だが、まだ私は「2〜3日入院となると、週末友人家族と約束しているキャンプは 行けそうだな」なんてのんきな事を考えていました。 実際、入院して抗生物質の点滴で2日目には熱が下がり始めた。
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