みかんぜりーの入院日記
「遺伝性球状赤血球症」という病気とともに成長してきた航平の入院、手術記録です。

2001年08月18日(土) 退院!

18日間の入院生活が終った。
気がつけば、夏休は後2週間。航平は「宿題の絵日記に書く事が無い」と
怒ってる(笑)
最初夏風邪だと思っていたので、今回の入院は自宅近くの病院だった。
あんな事になるのなら、産まれてからずっとお世話になってる病院に行けば
良かった。と思ったが、違う病院だったからこそ色々考えるきっかけになったし、
「ゆなっち」のHPにも出会えた。

航平の病気は産まれてからずっと1人の先生に診察してもらっていた。
とても優しい親切な先生で、航平の事は何でも相談していた。
基本的に治療方針は「いずれ脾臓を摘出する」という事に変わりはなかったが、
今回の入院での主治医の意見と微妙に違っていて、とまどった。
私には最新の医療知識はないし、どちらの意見が良いのかも判断できない。

いつもほこりをかぶっていたパソコンのスイッチを入れ、
「遺伝性球状赤血球症」と検索したのはこの時です。
いつも医師まかせだったけど、自分でも子供の病気の事、もっと調べてみよう。
と思った。(航平が産まれた時はPCなんか未知の世界!インターネットという
言葉も知らなかった。病気の事調べ様と思っても、家庭の医学本には載ってないし
医学書は難しくてわからない。情報は医師からのみだった)
検索してみて驚いた。何百件と情報があった。「え〜凄い」が最初の感想。
でもほとんど、医師や病院むけの医学情報。
検索件数は一杯あるけど・・・・とページをめくっているとき見つけたのが
「ゆなっち」のHPだった。



2001年08月10日(金) 点滴、はずれる。

入院10日目、様態も安定してきて点滴が取れた。
航平は10日間、ほとんど食べてないのでまだぐったりしている。
8/13 やっと1人で歩いてトイレに行き、食欲も戻ってきた。
ウィルス検査では予想通り「パルボウィルス」が検出され「リンゴ病」が
今回の悲惨な貧血の原因だとはっきりした。
退院(18日)までのこの一週間は、病院内をウロウロ探検して先生に叱られたり、
TVゲームをしたりと、つい一週間前、「血球貧食症候群を起こしかけているので
それがこのまま進むと危険です」と言われたとは思えない元気さでした。子供って凄い。
「血球貧食症候群」といのは、骨髄で血液のもとがウィルスに侵されていく病気で
進行すると、命がけの病気だそうで、後で聞いてゾ〜とした。

退院時の数値はHB9.8(最低値4.6)血小板25.5(最低値3.8)白血球5100(最低値1900)ほぼ正常値になってホッとした。
それにしても、最低値を改めてみると「よくぞ元気になってくれた」と思う。



2001年08月04日(土) 恐るべしリンゴ病

熱は下がり始めたのに、航平は相変わらずグッタリしていて起きあがる事も出来ない。おまけに「頭がクラクラする・・・」ばかりうわごとの様に言う。
「髄膜炎」の検査、CTで頭のレントゲン検査をするが、どちらも異常無しだった

8/4 朝の採血の時、看護婦さんが「なんだか爪も唇も真っ白ですね」と言ったが
普段から血色は良くないので「ああ、いつもです」と答えたが、採血の結果を聞いて驚いた。
HB4.6 (生後1ヶ月目、病気発覚の時でもHB5はあった)
緊急輸血、輸血終了直後の採血でHB7.5 翌日(5日)にはHB6.8 だった。
おまけに5日には血小板4.5 白血球1900になり、(血小板が少ないので、体内で大出血を起こすと危険、白血球も少ないので、感染症を起こすと危険)という事
で、今度は血小板の輸血。(感染予防の為、個室へ移動)

この時点で、「リンゴ病」が疑われ、ウィルス検査をした。
「骨髄検査」をしたのは6日。経験はないが「痛い」検査という知識はある。
検査には立ち会えなくて、様子はわからなかったが、放心状態で帰ってきたので
痛かったんだろう。
採血くらいでは泣かなかった航平がこの日以来、「検査」と聞くだけで泣きそうな顔になった。
骨髄の中にある「赤芽球」という血液の基がほとんど無い(血液を作っていない)
という検査結果。リンゴ病のウィルス(パルボウイルス)が骨髄に入ると、赤芽球を破壊してしまうらしい。
8日に再輸血(赤血球の)入院1週間目。航平は今だ起きあがれず、意識朦朧としていた。 



2001年08月01日(水) 手術へのきっかけ

この日記を書くのにどこから始めようか考えると、
2001年8月1日が手術にむけての第一歩のように思います。

8月1日 am.2時頃、誰かうなってる・・・と目を覚ますと、航平が
うなされている。おでこに手をやるとめちゃめちゃ熱い。
体温40度。「寝るとき元気やったのに、とうとう遊び疲れで風邪ひいたかあ〜」
とその時は思ったくらいでした。

小学生始めての夏休が始まったばかり。
毎日、学童に通い、プールに入ったり、セミ取りしたり、週末はキャンプに行ったりと元気一杯に過ごしていた。
生後1ヶ月の時、「遺伝性球状赤血球症」と診断され、5〜6歳までは脾臓は必要なので、7歳位になったら手術しましょう。と言われてその年齢になっていたのですが、その7歳になった当時は「手術しようという年齢になったんだ」という思いはあっても、具体的に動こうとはしてませんでした。
慢性的な貧血で顔色が悪く、黄疸もあるので、体力的に弱いところはあったけど
普段は普通に過ごしていたし、一刻も早く手術を!という病気でもなかったので、なかなか腰が上がらなかったんだと思います。やはり「手術」という事も
「まだ小さいのに可愛そう」「今は内視鏡でするから楽とは聞いているけど、やっぱり怖い」という気持ちがあったし・・・。

夜が明けて、病院に連れて行くと、「のどの風邪ですね。2〜3日寝てれば良くなると思いますが、ビリルビンが7.5と高いですね。取り合えず入院しましょう」という事になった。風邪をひくとビリルビンの数値は高くなっていた。普段は1〜2位で、風邪をひくと3〜5位に上がる。今回の7.5という数値は始めてで驚いた。
だが、まだ私は「2〜3日入院となると、週末友人家族と約束しているキャンプは
行けそうだな」なんてのんきな事を考えていました。
実際、入院して抗生物質の点滴で2日目には熱が下がり始めた。

 


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