Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年06月29日(木) 庶民感覚



「 この国をどうしていけばよいかを知っている人たちが、皆、タクシーを

  走らせることや散髪などの瑣末なことで忙しいのは残念なことだ 」

                 ジョージ・バーンズ ( アメリカのコメディアン )

Too bad all the people who know how to run the country
are busy driving taxicabs cutting hair.

                               GEORGE BURNS



タクシーの運転手さんや床屋のマスターの話には、共感できるものが多い。

大衆の普通の暮らしの中にこそ、国家の問題点が浮き彫りになっている。


そういう意味では、冒頭の文章に 「 なるほど 」 と思えるところもあるのだが、ジョージ・バーンズ氏は一つ 「 大きな勘違い 」 をしている。

タクシーの運転や、髪を刈る作業は、けして 「 瑣末なこと 」 ではない。

人々の日常に欠かせないサービスや、モノをつくる作業は、プロスポーツや政治家、芸能人のような派手さはないが、最も大切な仕事である。

彼らはまた、一般消費者としての側面を持ち、働いて収入を得て、消費し、市場経済の主役として、生産者と消費者の両方の立場を理解している。

それこそが 「 庶民感覚 」 なのである。


日銀の総裁が村上ファンドに出資していた事実を受け、投資の全容や資産背景などについて、各方面から批難を浴びている。

資産総額の3億5094万円も、村上ファンドで儲けた1473万円も、さほど驚くべき大きな金額とは思わないが、野党、マスコミは大騒ぎである。

年金が778万円というのは、たしかに民間と比べて高額な気もするが、総裁以外の日銀関係者も、手厚い制度の恩恵を受けているのだから仕方ない。

問題は、景気の動向に影響を与える立場でありながら、個人的に株の売買に参加していたことのほうで、追求はその一点に絞るべきだろう。

各種のデータを集めすぎて物事の本質が見えなくなっているような現象が、この問題には起きているように思う。


よくわからないのは、総裁の資産を知り 「 庶民感覚がない 」 と怒っている野党議員の発言である。

お金を持っている人は庶民感覚に乏しく、貧乏な人は庶民感覚があるなどというのは 「 無知な人の思い込み 」 であり、実際にはそんなことはない。

私の知る A さんは日銀総裁よりも資産を持っているが実に庶民的な人で、B さんは無一文に等しい貧乏人だが、まったく庶民感覚がない。

この A さんは中小企業の社長で、さほど大きな商売はしていないが堅実に儲け続け、私はいま、息子さんに経営を委譲する為の相談に乗っている。

先方のほうが私よりも年齢は20歳以上も上だが、なにかと気が合うので、20年以上の付き合いがある大切なお友達である。


A さんは気前がよく、会えばいつも食事をご馳走してくれるのだが、あまり値段の高い店に連れて行ってくれることはない。

倹約家で、普段の生活も 「 収入に見合っている 」 とはいえない。

かといって、従業員の給料をケチったり、投下すべき経費を出し渋ったりすることはないので、いわゆる 「 ケチ 」 ではない。

彼が贅沢をしないのには、二つの理由があるという。

一つは、「 自分のような者が、贅沢をしてはいけない 」 という控えめな態度にあり、それは、謙虚で誠実なビジネスの姿勢にも好影響を与えている。


もう一つは、彼が 「 友達を大事にする 」 姿勢にある。

70歳を前にした今でも、学生時代の仲間と食事をしたり、旅行に出かけたりしていて、昔の友達と遊ぶのが A さんにとっては一番の楽しみだ。

仲間の中には、ビジネスで成功した人もいれば、そうでない人もいる。

だから、お金のかかる食事や、海外旅行などはせず、費用の安いプランで誰もが参加しやすい企画を、常に心がけているという。

裕福な立場の者が 「 施し 」 をするのではなく、皆が対等の立場で楽しめるようにすることこそが、本当の配慮なのだと A さんは教えてくれた。


数十年前、当時の二大政党は、与党:自民党と、野党:社会党であった。

あるとき、「 国鉄の初乗り運賃を値上げする 」 という審議にあたって、野党の社会党は大反発をし、「 庶民の生活を守れ 」 と息巻いた。

面白かったのは、あるマスコミが 「 現在の初乗り運賃を知っていますか 」 という質問を、与野党の議員にした場面であった。

与党議員も野党議員も、ほとんど答えられず、ある社会党議員などは 「 500円 ( 実際には60円か80円ぐらいだったと思うが ) 」 と答えていた。

庶民の生活を知らずして 「 庶民の生活を云々 」 と言うのは問題だと記者が追求すると、「 だって、切符を買ったことないし 」 と開き直った。


日銀総裁に 「 庶民感覚 」 が無いのは、資産を持っているからではなくて、職業的な面や、立場の違いにあるのだ。

その仕事に 「 庶民感覚 」 など要求したり、期待するほうが間違っているのであって、どう考えてもおかしいのである。

必要なのは、日銀総裁としての手腕と、倫理観であり、今回の騒動に関していえば、いささか後者に問題があるということだ。

野党やマスコミが辞職を求めるのは自由だが、あまり論点がずれていると 「 アホ 」 かと思われるので、気をつけたほうがよいだろう。

このあたり、彼らの資質には辟易してしまうのである。


さらにいえば、日銀総裁にかぎらず、基本的に 「 金融 」 を生業としている人たちには、総体的に 「 庶民感覚 」 が乏しい。

額に汗してモノづくりに携わったり、サービスに努めたりする職種に比べると、為替や証券のやりとりで儲ける仕事には生活感がない。

銀行も一種のサービス業といえなくはないが、現状をみるかぎり、利用者に満足を与えるサービスを行う志があるとは考え難い。

もちろん、お役人や、金融屋さんや、政治家にも立派な人はいるが、彼らの持ち味は 「 庶民感覚 」 とは別の場所にあり、それが重要でもない。

辞職させたところで、どうせ後任は金融業界や関係省庁の人間がなるのだから、庶民感覚よりも、素行と能力に絞って人選をすべきであろう。






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2006年06月26日(月) 4年後の課題と期待



「 成功 ( success ) が努力 ( work ) より先に来るのは、

  辞書の中だけである 」

                    ヴィダル・サスーン ( イギリスの美容師 )

The only place where success comes before work is in a dictionary.

                               VIDAL SASSOON



熱戦の続くワールドカップだが、日本代表は予選リーグで姿を消した。

アジアでは優位に立っても、まだまだ 「 世界の壁 」 は厚いようだ。


敗退が決定した瞬間は 「 ブラジル戦で奇跡が起きなかった 」 ところだが、ジーコ監督をはじめ多くの人が、敗因はオーストラリア戦にあると語る。

先取点を獲った後、ちぐはぐな攻撃を重ねて 「 獲れそうな二点目 」 を獲れなかったのが、やはり大きかったのかもしれない。

いずれにせよ、運良く決勝リーグに進めたとしても、世界の強豪に比べると 「 甘さ 」 が目立ち、対等に太刀打ちするには力不足だったろう。

4年後には、選手の顔ぶれも大きく変わるだろうが、そこを目指す全員が、この敗北を胸に刻み付け、糧としてもらいたいものである。

引退する選手にとっては終わりでも、次を目指す選手たちの闘いは、まだ始まったばかりなのだ。


次期代表監督には、J1千葉の 「 イビチャ・オシム 」 氏が決まりそうだ。

選手の育成には定評があり、1990年のワールドカップでは、ユーゴスラビアの代表監督として、チームを8強に導いた実績を持っている。

65歳と高齢だが、経験豊かな氏のような監督が、日本チームには適しているような気もするし、期待がもてるのではないかと思う。

あの 「 レアルマドリード 」 からの監督就任要請を断ったという逸話もあり、サッカーに対する独自の哲学と強い信念を持つ大物である。

練習の厳しさでも有名なので、さらに強力なチームづくりを目指して、選手を鍛え、育成してくれるはずだ。


予選を突破できなかったのは残念だが、ワールドカップの本大会において、世界を相手に互角に渡り合えるチームなど、一朝一夕に生まれ得ない。

南米や欧州の強豪たちの歴史を鑑みると、プロリーグ発足後、さほど間のない日本代表が、三大会連続で出場できたのは、幸運ともいえる。

もちろん、出場するからには小さい目標に満足せず、さらに上位を目指すべきではあるが、強いチームづくりには時間が掛かることも事実である。

4年後、さらに期待のもてるチームになることを願い、これからも日本代表を応援していきたいと思う。

ジーコ監督の 「 負けたのは選手でも監督でもなく、チームだ 」 という言葉が印象的な、今回の 「 負けっぷり 」 であった。






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2006年06月19日(月) ブルーなサムライ



「 脳みそが飛び出るほど、泳ぎまくった 」

                     マーク・スピッツ ( アメリカの水泳選手 )

I swam my brains out.

                                  MARK SPITZ



1972年のミュンヘン・オリンピックで、彼は7個の金メダルを独占した。

それにしても 「 脳みそが飛び出るほど 」 とは、すさまじい表現だ。


ワールドカップ予選のクロアチア戦は、予想通り 「 引き分け 」 に終わった。

予想していなかったのは、先のオーストラリア戦に 「 負け 」 たことで、残り一試合が強豪 ブラジル であることを思えば、苦境に立たされたと思う。

2点差以上でオーストラリアに勝ち、クロアチアに引き分け、ブラジルに1点差で負けると予測したが、クロアチア戦の結果だけ的中しても仕方がない。

これで、次のブラジル戦の視聴率は低くなるだろう。

眠い目をこすり、日本時間の深夜4時からテレビを観るほどには、対価が期待されないのが実情で、よほど熱心なファンでないと辛い作業になる。


先のオーストラリア戦に比べると善戦したとは思うが、得点できそうな場面も多かったし、正直、勝ってもらいたかった試合である。

選手諸兄も一生懸命にプレイしたとは思うので、あまり文句は言えないが、なんとか1点ぐらい、獲れなかったものだろうか。

試合終了後に、涼しい顔をしてテレビのインタビューに応じる選手からは、「 脳みそが飛び出るほど 」 という勢いは感じられない。

まだ一試合あるし、最後まで全力で闘ってもらいたいと思う。

このままでは、「 サムライ・ブルー 」 どころか、観てるこちら側が ブルー な気分になってしまいそうである。






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2006年06月14日(水) 薄氷を踏む日本代表



「 逆境は真理にいたる最初の道である 」

                    ジョージ・G・バイロン ( イギリスの詩人 )

Adversity is the first path to truth.

                             GEORGE.G.BYRON



テレビを観ながら 「 奥歯が砕ける 」 かと思ったのは、初めてである。

なんとも不甲斐ない試合に、苛立った人も多かったはずだ。


8年前の3連敗より今度の1敗がショックなのは、それだけ日本代表が力をつけてきて、「 世界 」 と互角に闘えるようになったからだろう。

専門家じゃないので詳しいところはわからないが、予選や練習試合を順調に勝ち進んできただけに、応援する側の期待も大きくなる。

しかしオーストラリア戦は、このところ観たことがないような惨敗で、素人目にみても不甲斐なさが伝わってきて、正直なところ、ガッカリである。

オリンピックと違い、日本が敗れ去っても他の強豪国の熱戦を観る楽しさがワールドカップにはあるが、やはり日本が勝ち進んでくれたほうが嬉しい。

残り二試合をどう闘うのか、とても気になるところである。


日本が決勝トーナメントに進む可能性は、まだ残されている。

次回のクロアチア戦に勝って ( 可能性は薄いが )、ブラジル戦に引き分けたら ( さらに薄いが )、日本代表の戦績は1勝1敗1分となる。

ブラジルが日本戦以外に連勝し、クロアチアがオーストラリア戦に勝てば、ブラジル2勝、クロアチア2敗、オーストラリア2敗となる。

すると、日本代表はグループ2位になり、決勝進出となるのだ。

日本の努力のみならず他者の勝敗にも左右されるので、そう都合よく展開するとも期待し難いが、少なくとも可能性は ( 薄いけどね ) ある。


もちろん、決勝トーナメントまで駒が進むと ( 薄いけど ) ベスト8、ベスト4、準優勝、優勝 ( 超薄いが ) のチャンスもある。

日本にとっては、蒙古襲来 ( 元寇 ) 以来の神風でも吹かねば難しいが、選手の皆さんは最後まで諦めずに頑張ってもらいたい。

途中で諦めたり、手を抜いたりすると、「 奇跡 」 すら起きないのが勝負の世界なので、それを忘れずに励んでもらいたいと思う。

声援を送るファンのためにも、全力でプレーに取り組み、緒戦のような惨めな戦い振りは避けてほしい。

力を振り絞れば道は開ける ( 薄いけど ) と信じ、逆境に耐えるときだ。


ふと思い出したが、4年前の前大会のときは勤め人で、東京から来た彼女と一緒に、会社を休んで日本戦をテレビ観戦した記憶がある。

当時の恋愛も夢半ばで頓挫し、「 決勝トーナメント 」 まで進めなかったのだが、振り返れば楽しい思い出で、充実した日々だったように思う。

日本代表と違って、あまり成長はしていないが、まだまだ、現役でピッチに立っているので、これからも努力はしていくつもりだ。

栄光のゴールを目指して、いつの日か成果を挙げたいと願っている。

こちらのほうも、勝算は 「 ちょっと薄い 」 かもしれないが。






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2006年06月12日(月) 畠山容疑者の動機



「 道徳的なことは行った後で気持ちがよいことであり、

  不道徳なことは後味の悪いことである 」

                 アーネスト・ヘミングウェイ ( アメリカの作家 )

What is moral is what you feel good after and
what is immoral is what you feel bad after.

                            ERNEST HEMINGWAY



不道徳な人間の顔つきは、だいたい似た傾向にある。

ベテランと呼ばれる刑事は、それを見分ける特技を身に付けている。


秋田県で発生した小一男児殺害事件は、畠山容疑者の逮捕により徐々に真相究明の時期が近づいてきた。

ただ、いまだにハッキリしないのが 「 動機 」 の部分である。

自分の娘が死亡したことで錯乱していたとか、近隣への怨恨とか、警察への挑戦とか、マスコミは様々な仮説を伝えている。

犯人であることは間違いないが、動機が不明というのは釈然としない。

はたして殺害の動機は、事件の真相は、どうなっているのだろうか。


私の推論は、「 まず、畠山容疑者が自分の娘を殺し、犯行を隠蔽するために近所の子供も殺害した 」 という仮説である。

あたかも 「 連続殺人鬼 」 がいるかのように見せかけ、自分の娘も、小一男児も犠牲者であるかのように、偽装工作をしたのではないか。

女児は生前から容疑者に ネグレスト ( 養育の怠慢、放棄 ) を受けていたという証言があり、自分の娘と言えども殺害の動機はある。

娘の遺体が発見された後、警察の捜査によって 「 自分が疑われている 」 と容疑者が感じたとすれば、隠蔽工作を考えても不思議ではない。

田舎のことだから、警察の聴きこみが、普段の親子関係を知る近所に及んだ場合、畠山容疑者に疑いの目を向けるのもうなずける話だ。


自分が関与したのでないならば、事故であろうと事件であろうと、娘が死亡した直後に、どんな理由があろうと 「 殺人 」 など犯せるだろうか。

普通の親なら、何をする気も起こらないほど、憔悴するはずである。

近所の子供を殺害し、車で運び、死体を遺棄したうえで、普段の日常生活に戻るなどという離れ業を行うのは、不意に子供を失った人間には難しい。

それが、「 不意 」 ではなかったとしたら、話は違ってくる。

つまり、何らかの理由で 「 自分の子供が死ぬことは知っていた 」 場合で、それはすなわち本人の手による殺害を意味するものだ。


あくまでも推測の域を出ないが、このような理由から、「 畠山容疑者は自分の娘を殺し、犯行を隠蔽するために別の殺人も犯した 」 と推察される。

当然、警察も同じような可能性を検証しているだろうから、女児の死因についても改めて捜査を進めているはずだ。

いづれにせよ、このような鬼畜は再び世に戻す必要などない。

世の中に 「 生まれてこなければよかった人間 」 はいないが、その行いによって 「 死んだほうがよい人間 」 に変貌することはある。

極刑以外には考えられず、早々に結審してもらいたいものである。






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2006年06月08日(木) シンドラーのリフト



「 一般論で言うと、もしお客がいい経験をすれば、3人にその話をする。

  悪い経験をすれば、10人に話すだろう 」

  リージス・マッケンナ ( 米国 IT業界のマーケティング、PR会社の会長 )

A rule of thumb. If a customer has a good experience,
he'll tell three other people.
If he has a bad experience, he'll tell ten other people.

                                 Regis McKenna



アメリカでは Elevator、イギリスでは Lift と呼ばれる。

人や荷物を乗せた箱を、垂直に昇降させる機械のことである。


飛行機や電車や車と違って、エレベーターを 「 乗り物 」 だと意識している人は少なく、その 「 危険性 」 を感じている人も少ない。

ビルやマンションには当然のごとく設置されており、動かすのに免許も不要で、小さい子供でも簡単に操作することが可能だ。

だからこそ、それがある日突然、制御不能となり死亡事故の原因になったというニュースには、戸惑いと驚きがある。

普通、エレベーターの事故といえば、故障のため、しばらく閉じ込められたとか、その程度の軽いトラブルが頭に浮かぶ。

複数の安全装置が設置されており、幼児からお年寄りまでが安心して利用できる便利な機械、それが、エレベーターだったはずである。


利用者の不注意によって、ドアに指がはさまるとか、ごく一部の不心得者によって、閉鎖された箱内で犯罪が発生するとか、そういう危険はあり得る。

しかしながら、本来は安全であるはずの装置が、正常な使用をしているにも関わらず事故に至ったことは、製造元にとって大問題だろう。

ところが、製造元のシンドラー社からは 「 原因を調査中 」 と語るばかりで、国民に大きな不安を与えたことへの謝罪もない。

神経質な人は、たとえシンドラー社の製品でなかったとしても、事故以前に比べると、エレベーターに乗ることへの不安や恐怖を感じるだろう。

そういう意味では、粗悪な製品とメンテナンスを提供したことで 「 業界全体の信用を失墜させた 」 責任も、彼らにあるとみて間違いない。


私自身も外資系企業に勤務した経験を持つが、日本の各企業と同様に、外資にも 「 よい企業、悪い企業 」 がある。

よい企業は、お客の信頼と期待に応え、「 よい評判 」 を獲得しようと尽力するが、悪い企業の場合は、利己的に目先の利益ばかりを追求する。

さらに悪い企業は、粗悪品を世に放った後始末すら行わない。

その結果、「 悪い評判 」 が浸透し、やがては市場から追放、敬遠されて、ビジネスを展開する舞台すら失ってしまうのである。

今回の事故にまつわる人々の記憶が消え去るまで、彼らは販売の機会を与えられないだろうが、その期間は、かなり長く続きそうだ。


多くの企業では 「 ヒト、モノ、カネ 」 が経営に重要な三資源だと考えられているが、それ以上に大切な資産が 「 評判 」 である。

潤沢な資金があれば、短い期間で 「 ヒト、モノ、カネ 」 の価値を高められるが、「 評判 」 を獲得するには時間が掛かる。

繰り返し実績を挙げ、継続することによって 「 評判 」 は構築され、その対価としてお客から 「 信頼 」 を預けられる図式になる。

大事なことは、お客からの信頼とは、「 一時、預けられるもの 」 であって、未来永劫まで保障された 「 与えられたもの 」 ではないという事実だ。

長年の努力も、一瞬のミスによって崩れ去る危険を孕んでいる。


努力し続ける企業でも顧客の信頼を維持することが難しい中、努力しない企業が破綻するのは当然の結果である。

過去において、シンドラー社の製品は再三クレームの対象になっていたが、改善される様子がみられなかったという。

小さいミスを放置し続けた結果、今回の大きな事故に至った。

このような企業は 「 存在していること自体が社会悪 」 なのであって、個人、法人をとわず、すべてのユーザーが拒否すべき対象である。

シンドラーのリストならぬ 「 ブラックリスト 」 に名を連ねることが相応しく、その悪評は人々の記憶に刻み込まれるだろう。






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2006年06月07日(水) 小者



「 賢者は、言うべきことがあるから話すが、愚か者は、

  言わねばならないから話す 」

                        プラトン ( 古代ギリシャの哲学者 )

Wise men talk because they have something to say;
fools, because they have to say something.

                                       PLATO



堀江、村上、畠山、最近の逮捕者には共通点がみられる。

彼らは皆、饒舌で、目立つ存在であった。


それが犯行を隠すための工作なのか、あるいは別の理由によるものなのかは不明だが、とにかく逮捕前の彼らは目立っていた。

日本中の関心を引きつけ、まるで 「 私に注目してくださいね 」 と言わんがばかりのパフォーマンスを、それぞれが演じていたようにさえみえる。

おそらく実際には、愉快犯などの犯罪心理とは異なり、「 目立ちたい 」 のではなく、結果的に 「 目だってしまった 」 というところが真実だろう。

検察は堀江を 「 マーク 」 し、名監督は村上に 「 天罰が下る 」 と予見し、捜査官は事件当初から畠山に 「 犯罪の匂い 」 を感じ取っていたと言う。

また、一般大衆の多くも、彼らには 「 何かある 」 と、気配を感じていた。


もう一つ、彼らが共通して放っていたのは、独特の 「 嫌悪感 」 である。

彼らがカメラの前に立ち、口を開くたびに、喧嘩口調であろうが、釈明であろうが、視聴者の多くは 「 不快 」 に感じていたのではないかと思う。

耐震偽装問題でも、様々な関係者の中で最も饒舌だったヒューザーの小嶋社長が、「 どうも胡散臭い 」 という印象を放っていた。

科学的な判断の基に捜査は進められ、逮捕に至ったと思うが、彼らを悪人として大衆に印象付けたのは、その 「 嫌悪感 」 によるところが大きい。

マスコミの取り扱い方もあるだろうが、それ以上に、彼ら自身の話し方や、使用する言葉の選択、表情などに、印象の悪さを伝える要素があった。


お金を儲けたり、有名人になったりすることで、他人から妬まれ、あるいは敵ができたりすることが、ときにはあり得るだろう。

しかしながら、自らの弁舌によって、つくる必要のない敵をつくってしまったり、全体の民意を逆撫ですることは、けしてプラスにならない。

もし、逮捕に至らなかったとしても、テレビを通じて彼らを目にすることが 「 生理的に嫌い 」 と感じていた人は、少なくなかったと思う。

彼らは悪人であると同時に、世間の 「 嫌われ者 」 であった。

自分勝手な倫理観、他人から理解され難い商道徳、傍若無人な態度などが、言葉や表情に表れ、澱んだ空気を漂わせていたのである。


成功に至る道のりは人それぞれだが、「 正しい方法で成功する 」 ことが、継続的な繁栄には不可欠で、それを怠るといつか破綻が生じる。

また、専門知識に長けていたり、頭脳が明晰であっても、コミュニケーション能力が不足していると、良好な対人関係が構築できない。

通常は対人能力が高くても、人に言えない不正を抱えている場合、いつも嘘をついている状態にあるわけで、円滑なコミュニケーションが図り難い。

悪事を手助けするわけではないが、不正を働いたり、やましい部分を隠している人間は、目立たず黙っていたほうが、身のためであろう。

その点、すぐに底が割れてしまった彼らは、重罪人であっても、人としては 「 小者 」 であり、中途半端なアマチュアなのである。






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2006年06月04日(日) アメリカと同盟する理由



「 アメリカは、文明という普通の中間期間を経ずに、奇跡的に野蛮から

  いきなり衰退へと向かった歴史上唯一の国家である 」

                ジョルジュ・クレマンソー ( フランスの政治家 )

America is the only nation in history which miraculously has gone directly
from barbarism to degeneration without the usual interval of civilization.

                         GEORGES CLEMENCEAU



意味もなくアメリカを批難する個人、集団には同意しかねる。

しかし、もちろん、アメリカのすべてが正しいわけでもない。


私が子供の頃、10歳ほど上の世代 ( いわゆる団塊の世代 ) は学生運動が盛んで、シュピレヒコールの中心は 「 安保反対 」 の大合唱であった。

戦勝国から 「 平和憲法 」 を押し付けられ、去勢された負け犬国家が生き延びるためには、ボス犬に尻尾を振り、傘下に入るしかなかった時代だ。

後の時代で検証してみると、本気で日米同盟から離脱したかった人間は、たとえば自衛隊に決起を呼びかけ、自衛権を獲得しようとしたりしている。

大学で勉強もせずにデモに興じていた連中は、それもひとつの文化として捉え、単に流行を楽しんでいただけの人間が大部分のようだ。

私の兄もその一人で、本人の証言があるのだから間違いなかろう。


面白いことに、反米を合言葉として血気盛んだった彼ら世代こそが、実は、アメリカ文化を大流行させ、日本市場に定着させた張本人である。

アイビールック、ジーンズ、コカコーラ、数え上げればキリがないほど、反米を謳っていた彼らの実体は、「 アメリカ文化大好き人間 」 であった。

現在の韓国や中国における 「 反日思想 」 も同様で、日本のアニメや楽曲は爆発的に売れており、個人レベルでは日本文化への憧れが根強い。

現在の日本は、安保闘争の頃に比べると賛同者は少数だが、ある意味で 「 第二次反米ブーム 」 みたいな風潮があるようにも思う。

まさに、歴史は繰り返されるのである。


安保闘争の時代は、高度経済成長期とはいうものの、まだまだ庶民の生活水準はアメリカに程遠く、一種の憧れと羨望が、日本人の背景にあった。

また、戦争に負けた日本が、独立国家として主権と自衛権を確固たるものにしたいという切なる願いや、愛国心のようなものもあっただろう。

それに比べて現在の日本には、アメリカを羨んだり、強い憧れを抱いたり、コンプレックスを感じたりする要素が、あまり存在しない。

したがって、多少、アメリカのやり方に疑問を感じたとしても、デモやら抗議集会に参加しようなどという人は、極めて少ないのが現実だ。

これから先も、反米思想が消滅することはないだろうが、日米関係に影響を与えるほどの大きな潮流に発展する可能性は、ほとんど考えられない。


日本の首相が靖国神社に参拝しても、中国や韓国の人の暮らしに影響がないのと同じで、アメリカが何をしようが大勢に影響はない。

いまや 「 アメリカがクシャミをすると、日本が風邪をひく 」 時代ではない。

現代日本の反米主義、左翼主義者が、イラク戦争や、BSE問題や、沖縄基地がどうこうというのは、話半分に聞いたほうがよさそうである。

格差社会になりつつあるなかで、「 勝ち組、負け組 」 なんて不適当な言葉が流行る昨今、やり場のない不満がアメリカに向いているケースも多い。

中国の政府が、人民の内政に対する怒りを外敵 ( 日本 ) に向けるようにデモを先導したのと同様に、筋違いな憤懣が大半を占めている。


学生運動が華やかなりし頃は、金持ちも、貧乏人も、女性にモテない不幸な学生も、青春を謳歌する幸せな学生も、こぞって参加したのである。

それに比べ、今、反米を訴えている人たちは、いい年をした大人で、しかも 「 私は成功して幸せです 」 という人が少ない。

将来ある若者や、順調に実績を挙げている社会人が静観する中で、不平不満の矛先を求めているような人が、しきりにアメリカの動きを牽制する。

自分が不幸なのは政治が悪い、政治が悪いのはアメリカの方針に従っているからだというネガティブな論法が、一部に存在しているだけだ。

安保闘争のような社会現象に発展するほど、そういう人物が多くはない。


アメリカとの同盟関係に関して、「 いざというとき、アメリカは日本を守ってくれるのか 」 という疑問の声を耳にすることも多い。

個人的な意見だが、「 守る、守らないに関係なく、日本はアメリカと組むことが相応しい 」 という見解を持っている。

なんだかんだ言っても、大半の日本人はアメリカ文化が好きで、また、有事に 「 自分の手を汚す 」 ことが大嫌いだという特徴を持っている。

だから、着物ではなくスーツを着て仕事に出かけ、T−シャツにジーンズ姿でオフを過ごし、徴兵制を拒絶し、後生大事に 「 平和憲法 」 を守る。

羽織はかまで出勤し、軍備を整え、鎖国するというのなら話はまた別だが、日本人は大抵、アメリカが好きというか 「 性に合っている 」 のである。






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2006年06月03日(土) 共謀罪成立が、そんなに困るものなのか



「 新しい意見は、ただ単に一般的ではないという理由で、

  いつも疑われ、たいてい反対される 」

                  ジョン・ロック ( 17世紀イギリスの哲学者 )

New opinions are always suspected, and usually opposed, without
any other reason but because they are not already common.

                                  JOHN LOCKE



世の中には疑り深く、それを 「 慎重 」 と勘違いしている人がいる。

自国の政策を素直に信じられない愚かさを、普通は慎重と考えない。


共謀罪が成立すると困るとか、夜も眠れないとか、そういう不思議な感覚を持った人たちがいて、反対する野党の後ろ盾になっている。

そればかりか、「 成立しないようで ホッ とした 」 なんて人もいるようだが、そういう人たちは一体、これから何をしようと企てているのだろう。

おそらく普通の生活を正常な神経で営んでいる人にとっては、こんな法案ができたところで、日常生活には何の影響も及ぼさないはずである。

たしかに従来の刑法とは違い、「 犯罪を実行しなくても、計画しただけでも処罰の対象となる 」 という点に、関心を持っても不思議ではない。

しかしながら、マトモな人間であれば、犯罪を実行しないだけでなく、計画もしないはずなので、この制度を脅威に感じる理由などないのである。


こういうことを書くと、楽観的すぎるとか、政府の陰謀によって罪を着せられるなどと反論する人もいるのだが、その意見も理解し難い。

犯罪の計画を立てないとか、政府に謀殺されるような反社会的活動をしないということが、そんなに不自由なことなのだろうか。

逆に、犯罪の計画を立てたり、自国の政府に敵対する権利は、テロ活動を防止する以上に、どうしても擁護しなければならないものだろうか。

日記に 「 ○○を殺す 」 と書いただけで処罰されるなどと、声高に主張する人もいるが、法律にかかわらず、そんな記述は誉められた行為ではない。

日頃、日本人のモラルが低下しているなどと嘆きつつ、この法案には反対する人などは、その主張に矛盾があるような気がしてならない。


また、この法案は 「 国連をはじめとする国際世論の要望 」 でもある。

イラクに自衛隊を派遣すると 「 国連の決議案に反する 」 と息巻き、海外で地震が発生すると 「 国際貢献が少ない 」 などと吠える人がいる。

ところが、そんな彼らが正義の御旗として担ぐ国連の要望するこの法案には、日本政府として断固、反対の姿勢を貫くべきなどと主張する。

自由世界の使命と、我が国の果たすべき役割というものを考えると、受け入れざるを得ないと思うのだが、その点についてはまったく触れられない。

自分の気分しだいで、国際貢献を語ったり、利己的なわがままを通そうとしたり、とてもじゃないが 「 正常な大人 」 の思考とは思えない。


一般人の中では、「 アメリカが嫌い 」 という歪んだ思考が原点にあって、「 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い 」 という人に、反対論者が多いようだ。

確固たる理由もなく、超大国が嫌いというタイプは、たとえば男性の場合、ペニスの大きさにコンプレックスを抱いている人に多い。

子供の頃からスポーツが苦手で、いじめられっ子だったとか、大企業に属し評価が低く出世できないとか、そういう御仁にもこのタイプは多い。

もちろん、すべて反対論者がそうだとは言わないが、自由社会の中で一翼を担おうとする発想があれば、成立の必要性にも目を向けるはずである。

政府に対し、政治的利害のある民主党が反対するのはともかく、無条件に成立を阻止しようとする一般の人は、ちょっと、どうかしていると思う。


犯罪者の人権を過剰に擁護する風潮が、凶悪犯罪を増加させ、警察の検挙率を落とし、世の中の治安を悪化させてきた。

人格障害者、異常者を隔離せず放置した結果、子供たちが野外で遊ぶ光景が減り、引きこもりや、対人能力の低い若者を増加させた。

ここでまた、「 政府の陰謀 」 を怖れ、警戒し、犯罪の計画や相談を取り締まろうとする動きに、ブレーキをかけることが正しい選択だろうか。

一握りの不心得者を庇って、日本を、マトモな神経をもった善良な市民が 「 ますます生活し難い環境 」 にしていくことを、誰が望んでいるのか。

そう考えると、どうしても反対意見には首を傾げてしまうのである。






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