部長motoいっぺい
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2002年09月30日(月) ウチの語学担当

土曜日に関連会社の方の送別パーティーが開かれた。
土曜日の集まりということもあり、今回は子供を含めた家族同伴のパーティーとなった。

何回か日記に自慢して書いているように、我が家の4歳になる娘は英語を上手に話す。

パーティーには取引先会社の米国人家族も出席することが分かっていたため、嫁と僕は我が家の「語学担当」である娘の活躍を期待していた。

ところが意外なことに、娘は知らない人たちの前で英語を話すことを恥ずかしがり、前半は期待はずれの結果に終わった。


しかしさすがにパーティー後半ともなると、場の雰囲気に慣れてきたとようで、徐々に娘の「英語エンジン」がかかってきた。

パーティーの終盤にはなんと



















取引先の奥さんのひざの上に座って、世間話をしていた。。。


ちょっとやり過ぎやろ。


2002年09月29日(日) 日本語補習校授業参観

先日の土曜日、日本語補習校で授業参観があった。

授業参観は本年度2回目なのだが、1回目の時は水疱瘡で欠席していたため、我が家にとっては今回が初めての授業参観となった。

結果から言うと、



















授業参観って、めっちゃイライラするモンなのね・・・(疲)

最初のうちこそ先生の話を集中して聞いていたウチの息子も、授業後半では頬杖をついたり、あっちを見たり、こっちを見たり・・・。

しかも嫁は後半にクラスに入ってきて、前半の「好調な部分」を見ていなかったため、怒り炸裂。

ウチの親も授業参観のときに同じ思いをしたのかなぁ」

と思いながらも、7歳の息子に集中力を求めてしまう駐在2号。夫婦であった。




ところで、授業が始まる前に先生から、

「先週はどんな楽しいことがありましたか?」

という問いかけが子供達にあり、皆手を上げて「現地校が楽しかった」とか、おのおの発表していたのだが、ウチの息子はというと、

「僕は日曜日が好き!」

と言ったので、さては誕生日の話でもするのかな?と思っていたら、



















「日曜日は家でゴロゴロできるから好き!」

と抜かしよった。。。


クラス一同大爆笑(駐在2号。を除く)


2002年09月28日(土) ケーブルテレビ

アメリカでのテレビ放送は、日本のような電波受信ではなくケーブルテレビの方が一般的であることは、割とよく知られていると思う。

我が家もAT&Tのデジタルケーブルサービスと契約しており、約100チャンネルも視聴することができる。
多くのチャンネルを見ることができるものの、実際に使っているのは、そのうち10くらいしかないので、そんなに多く見られなくても良いから、料金を下げて欲しいと思うのは、日本人の僕だけではないと思う。


ところで、日本では最近めったに見ることはなくなったが、僕の世代(1960年代生まれ)よりも年配のかたは、昔テレビを見ているときに、

「しばらくお待ちください」

という故障中の画面を、見た記憶があると思う。


電気製品の故障部門において、先進国中トップを独走すると思われるアメリカでは(笑)、今でも放送が途切れることが別に珍しくない。

それも、突然砂の嵐になったり、別のチャンネルで放送すべき番組が流れたりと、「しばらくお待ちください」すら見ないケースも多い。

そんななか、3日前から続いているトラブルがある。

デジタルケーブルサービスにおいては、テレビ画面の下に、見ているチャンネルのガイド(チャンネル名や、番組のタイトルなど)が表示される。また、テレビ欄のような画面にすることもでき、いつどのチャンネルで何を放送するかが分かるようになっている。

で、トラブルとは・・・



















見ているチャンネルと、表示されるチャンネルガイドが一致しない・・・
↑結構頭の中が混乱するんですョ、これが。



さてさて、いつになったら直るのかなぁ。


2002年09月27日(金) 国際会議の思い出

今週は月曜日から金曜日まで、終日とある業界の国際会議に出席しており、いつもよりも忙しい一週間だ。

この会議は、僕が日本にいたときから出張で出席していた会議であり、今ではどのように会議が進められるかについて理解しているが、初めてこの会議に出た時は、かなり衝撃を受けた覚えがある。


その会議に出る前の、僕の国際会議に対する姿勢は、

「会議で議論されていることを理解して、上司にレポートとして提出する」

というものであり、会議に対する貢献という観点がすっぽりと抜けおちていた。

ところがその会議では、議長から突然指名されて会社の代表として意見を求められたり、時には挙手による採決に参加したりもしなければならなかった。しかし、当時の僕は状況がよく理解できず、全くといっていいほど発言ができなかった。


そして、なによりこの会議に出てショックだったのは、













日本語で同じ会議をやっても、発言するだけの知識が僕には不足している

と、思い知らされたことだった。

国際会議に出て、「英語が分からないから、会議で発言できなかった」というだけではなく、「会議に出て発言できる知識が不足している」と、思い知らされたことは、僕の仕事に対する姿勢をただす、いいきっかけになった。
↑もちろん、英語力の問題も大いにあったんですけどね。

そんなほろ苦い思い出のある、今週の国際会議であった。


2002年09月26日(木) 嫁の英会話

今期から、嫁はコミュニティー・カレッジというところで、英会話の勉強を始めた。

割とよく知られていることだが、アメリカでは英語を母国語としない人のために、ESL Programというものがある。

ESLとは、English as a Second Languageの略で、直訳すると「第二言語である英語」となる。

ESL Programは、公立・私立を問わず多くの学校に導入されており、専門の教師が英語を母国語としない子供達に英語を教えている。また学校以外にも、教会などを中心としたボランティアによる無料のESLが多数あり(大人・子供を問わない)、昨年度は嫁は無料のESLに通って英会話を学んでいた。
今年は一段階ステップアップして、「有料の」ESL(といってもコミュニティー・カレッジのESLは民間の英会話学校よりも格安)に通うことにした。

先日の火曜日がその初日だったのだが、レベルもちょうど良かったらしく楽しむことができたようだ。


「仕事が忙しい」ことを理由に、英語の勉強をサボっている僕としては、嫁に抜かされないように努力しなければならない。


2002年09月24日(火) ハロウィーン近し

今日通勤途中に、























黄色いカボチャを満載

したトラックを見た。




ハロウィーンも近い。

もうすぐ冬が来る。


2002年09月23日(月) 息子のBirthday Party(当日編)



↑これがアメリカン・ケーキだ!

今日、息子のBirthday Partyを開いた。

先日日記に書いたように、息子のBirthday Partyは僕達が会員になっているフィットネスクラブのプールで行った。

昨日のうちに基本的には全ての準備を整え、ゲストが来る30分前に僕達は会場入り。
Party会場に、紙コップやケーキのお皿を並べたり、後で行うくじ引きの景品を並べているうちに、あっという間に開始時間の11時。

ポツポツと子供達が集まり始めたが、15分待っても全員は揃わない。

仕方がないので来ている子供達だけをプールに誘導し、スイミング開始。
スイミング自体は、インストラクターが子供の相手をしてくれるので、僕達はビデオをとったり写真を撮ったりするだけだ。

子供達がプールで遊んでいる間、嫁は車で5分の我が家にピザを焼きに戻る。
そうこうしているうちに、プール終了時刻の12時。
しかし、嫁はまだ戻ってこない。

焦っていると、嫁は12時10分頃ピザとともに到着。

すぐに子供達をプールから更衣室に連れて行き、男の子は僕が着替えの面倒をみて、インストラクターが女の子を着替えさせた。

Party Roomに子供達を連れて行ったのが、12時25分頃。

すぐにHappy Birthdayの歌を歌ってもらったが・・・



















ローソクに火をつけるのを忘れて、もう一度歌いなおし

チーズピザとペッペローニピザを、子供達のリクエストに応じてとりわけるとともに、ケーキを切って子供達に配る。

少々ケーキがあまったので、付き添いしてくれていた親御さんにおすそ分け。

息子がピザを一切れ食べ終わったあと、もらったプレゼントを開けるセレモニー。
息子に、みんなに対するお礼を言わせる。

お腹が少々ふくれたところで、子供達は近くにおいてあったおもちゃで遊び始めるが、その時点で終了5分前。

終了時刻の午後1時きっかりに、集まってくれた子供達全員で記念写真。

ジャンボいちごポッキーの先に番号を書いたステッカーを貼っておき、子供達にお土産のくじ引きをさせる。

予定時刻より約10分送れたが、無事Birthday Partyは終了。





















あ〜あ、疲れた!


2002年09月22日(日) 暴露!嫁の失敗(その2)

昨夜に引き続き、嫁の失敗話を暴露。


【第2夜】

ある日のこと、仕事中の僕に嫁から電話が入った。



「私、大変なことしちゃったの!」


「事故でも起こしたの!?」


「いや、そうじゃなくって・・・」



















「キャッシュカードを銀行のATMのところに置き忘れちゃったみたい!」







僕は嫁に、とりあえず銀行に行って窓口の人に相談するように指示をした。
結局キャッシュカードは、嫁が使ったATMの中から無事銀行の人の手により回収された。
↑一定時間たっても取り出されないキャッシュカードはATMの中に取り込まれるらしい

めでたし、めでたし。


2002年09月21日(土) 暴露!嫁の失敗(その1)

特に大きな目的があったわけではないのだが、最近アクセス解析CGIBOYを導入した。

それにより発覚した衝撃の事実!






















嫁がこの日記を盗み読みしている!

この日記の存在自体は知っていたが、嫁本人が「私は読まないわ」と宣言していたので、読んでいないものと思っていた。

それが、日記のタイトルによっては気になって読んでいるらしい。


というわけで、罰として嫁の失敗話を2夜連続で暴露しよう。




【第1夜】





















ドアを開けたままガレージから車を出庫させると、柱にドアが引っかかって変形するのでやめてください。




















読者の皆様へのお願い:

「私は・僕はこんな失敗もしてるから貴女の失敗なんか大したことないよ!」
という嫁への応援メッセージがありましたら、BBSまでお願いします(笑)


2002年09月20日(金) グレートな愛娘

僕の娘、現在4歳。
彼女はなにしろ、

























超、ソトヅラが良い

あれだけ、ウチとソトを使い分けられると、将来女優として大成するかもしれない(親ばかモード)
去年一年間通ったPre Schoolにおいても、ソトヅラのよさを如何なく発揮し、先生方から

あなたの娘はグレートだ!
との言葉を頂いていた。
↑家での彼女の行動を見ている親としては信じられない(笑)


今週から火曜日と木曜日には、今まで通っていたPre Schoolとは違うDay Careに通うことになったのだが(詳細はこちら)、新しいDay Careにおいても、きちんと先生の指示に従い、「得意な」英語でコミュニケーションをとっているらしい。

先日、嫁が娘を迎えに行った時に担当の先生から、



She is Great!
She can speak very good English!


と大絶賛されたらしい。


ただ、嫁が娘を連れて帰ろうとしたところ、



















Not Yet!
と早速反抗したらしい。。。

駐在2号。のワンポイント英会話:Not Yet=まだだよ


2002年09月19日(木) 9月11日に思う

今日の日記は少し硬めです。
思っていることがきちんと表現できるかどうか、挑戦してみます。


9月11日から一週間たった。

エンピツ上でも同時多発テロに関する日記が多く見られたが、純粋に犠牲者に哀悼の意を示すものある一方、アメリカ至上主義がテロの原因であるというようなアメリカ批判なども見られた。

僕もアメリカという国が(あえて国民とは言わない)、あまりに独善的であると思い自制を求める一人であるが、そのこととテロ(特にその犠牲者)については分けて考えるようにしている。

先日、とあるメーリング・リストの発言に「世界貿易センターで働くこと(がどれほど危険なことか)を考えておかねばならなかった」という、ともすれば「被害者の自己責任」とも受け取れるものがあり(実際に発言者は、そこにオフィスを置いていた会社を批判していたと思うのだが)、それはどうかな?と僕は思った。


あまりいろいろと難しいことを考えすぎてしまうと、簡単な原理原則が見えなくなってしまうのではないか?と思う。


単純に考えて「殺される方より殺す方が悪い」のではないか。


テロに関しても原因や責任は、難しく考えればアメリカ国家にあったり、そこに事務所を構えた会社にあったりするのだろうが、やっぱりテロリストが一番悪いことに違いはないのではないか。

ただし、「殺される方が、殺す方より悪い」場合も、例外的にある。例えば、
・死刑執行人と死刑囚の場合
・殺されそうになって、殺し返した場合
などが、すぐに思い浮かぶ。

とすると、テロリストは「アメリカという国」に殺されかかっていたから、「アメリカという国(国民・財産)」を殺しかえした、という理屈がつくのかもしれない。

でも、ちょっと待って欲しい。

テロリストは戦場で敵と向かい合い、「殺さなければ自分が殺される」という状況で貿易センタービルにいる人々を殺したわけではないのだ。

非戦闘員(アフガニスタンで空爆にあった人々を含む)が殺されるという状況において、殺す側はやはり悪だと思うのだ。その意味においては、アフガニスタンの非戦闘員を巻き込んで攻撃したアメリカも悪だと思う。

ただし、アメリカが悪であるからといって、テロリストの悪さ加減が幾分でも薄まるものではない。


やっぱり、殺す方が悪い。


2002年09月18日(水) 息子のBirthday Party(招待状編)

Birthday Partyを開くにあたって、招待状を息子の友達に渡さねばならない。
ただし学校からの通達で、

クラスの中で個別に招待状を渡すのは禁止

とされているため、嫁が招待状を学校に持って行き、息子のクラスの同級生については、連絡箱(個人別)に招待状を入れ、よそのクラスの子供については、担任の先生に手渡して連絡箱に入れてもらうようにした。
↑駐在2号。のワンポイント英会話:連絡箱=Cubby


招待状には出欠を連絡してくださいという意味を持つ

RSVP
↑フランス語のrepondez s'il vous plaitが語源、アメリカでは一般的

と書いたのだが、



















一週間たった今日の時点で、返事がひとつも来ていない!

さすが、アメリカ人。
↑誘ったのはアメリカ人だけじゃないけどね(笑)


2002年09月17日(火) Yard Waste

日本でゴミを捨てるときには、一般的に

・燃えるゴミ
・燃えないゴミ
・リサイクルゴミ
・大型ゴミ


に分別すると思うのだが、僕の住む町では

・Garbage(生ゴミ)
・リサイクルゴミ
・大型ゴミ
・Yard Waste(庭ゴミ)


に分類する。

ここでは燃えるゴミ、燃えないゴミの区別はそれほど重要では無いらしいのだが(想像するに、燃やさずに埋めてしまうからだと思う)、そのかわり何故だかYard Waste(庭ゴミ)は別にしなければならない。

去年、今の家に引っ越してきたときに、既に前の住人が置き去りにしていったYard Wasteの大型バケツが庭の片隅にあったのだが、Yard Wasteをいつ出せば良いのか分からないまま、半年が過ぎた。。。

ある時、ごみ収集業者からの手紙を読み返したときに、隔週でYard Wasteを回収していることがわかり、出そう出そうと思っていたのだが、なにしろ置き去りにされていたバケツが異常に重かったため、今日の今日まで出さずにいた。
↑早く出せっちゅーの!っていうツッコミは甘んじて受け入れます、ハイ・・(汗)

今借りている家の庭は、特別広いわけではないのだが(それでも自宅の庭の倍はあるナァ・・)、その中に大きな落葉樹が生えているため、秋になると落ち葉で庭が埋まってしまう。


まもなく秋がやってくるため、僕は一念発起して庭からYard Waste用のバケツを文字通り引きずり出し、今日ゴミ収集車に持っていってもらうことに成功した。


いやはや、





















チョー気分爽快!


2002年09月16日(月) 息子のBirthday Party(場所選定編)

息子が今月末に7歳の誕生日を迎える。

ここでのBirthday Partyは、自宅に友達を招くか、ゲームセンターやボーリング場にあるレストランなどに友達を呼ぶことなどが、一般的である。

その場合ホスト側は、たいてい2時間くらいは子供を預かり、Partyの終了の頃に親が迎えに来ることになっている。

息子のBirthday Partyということは、当然「英語をしゃべる子供達」がやってくるわけで、その子供達を僕達夫婦2人で、しかも2時間もの間面倒をみきれるとはとても思えなかった。

いろいろと検討をした末に、僕達は次のような結論に達した。
それは・・・



















プールでBirthday Party!



僕達がメンバーになっているフィットネス・クラブ(娘が通うPre Schoolがあるところ)で、プール遊びつきのBirthday Partyをさせてくれるという。
(もちろん有料サービス也)


最初の1時間はプール遊び。
次の1時間はBirthday Party。

もちろんプールの時間は、専門の指導員がつく。
これにより、子供達を相手にしなければならない時間は、正味1時間。

唯一の懸念事項は、子供達の着替えを面倒見なければならないこと・・・





さて、この判断、吉と出るか凶とでるか。

答えは1週間後。


2002年09月15日(日) 1st Grade of Elementary School (その3)

というわけで、息子は今のElementary Schoolに通うことになったのだが、どうやらそれは、こちらで日本人の小学生を持つ親御さんにとって、ある種の驚きをもって受け止められたようだ。


というのも、毎週土曜日の日本語補習学校で、



















「あの学校って、きちんとした英語をしゃべれる子がいないんでしょう?」

とか、



















「あの学校のレベルが低いの知ってて通わせてるの?」


とか・・・言われたりするわけで、



















はっきり言って余計なお世話だ(怒)

そりゃあ、あなた方はあなた方で、しっかりとした考えをお持ちで学校をお選びでしょうが、ウチだってまるっきり何も考えずに学校を選んだわけじゃない。それに何ですかい、貴方のお坊ちゃまお嬢ちゃまは、そんなにきれいな英語をおしゃべりになるんですかい?(発音なら、ウチの娘は負けませんぜ)学校のレベルのことを言う前に、自分の子供のレベルを心配した方がいいんじゃないですかねぇ!



と、思ったものの、表向きは



















「そうらしいですねぇー(微笑)」

と無難に対応する駐在2号。の家庭であった。


2002年09月14日(土) 1st Grade of Elementary School (その2)

僕の住む地域の公立学校は、学校ごとに以下のようなデータをWeb Siteで公開している。

・統一試験の結果(他の学校、地域との比較を含む)
・人種構成
・給食補助を受けている家庭の割合


基本的には、学区外からの編入は認められないため、これらのデータを基に学校の良し悪しを判断し、住む地域を決める家庭も少なくない。

僕も今の家を借りるに当たって、今の学校のレベルをチェックしたのだが、実はこの学校、レベルが・・・













かなり低い・・・(汗)

僕の住む市は比較的「治安」が良いとされるところで、日本人駐在員も多く住んでいるような住宅地であり、「学校区」のレベルは州内でもトップクラスである。

しかーし!

なぜか息子が通う学校だけは、州内平均を下回るレベルの低さ。



息子が通うようになって、すぐにその原因が分かったのだが、学校のレベルの低さはその「国際性」に起因していた。つまり単純に言えば、




英語を母国語とする子供の比率が低い

ということである。

Kindergartenの時の息子のクラスだけでも、ロシア人・中国人・韓国人・メキシコ人・エジプト人・日本人(息子)と、真の意味での「インターナショナル・クラス」であった。(参考:クラス全体で20人程度)

そりゃあいくら頭が良くても、問題が読めなければ答えることは出来ないわけで、生徒全体の平均点は下がってしまう。

しかし、冷静になって考えてみれば、



















ウチの息子だって、英語が分からなくて平均点を下げるほうなのだ。
↑英語がわからなくて・・・と信じたい(笑)


考えようによっては、ネイティブの子供ばかりがいる学校で置いていかれるよりは、同じように英語で苦労している子供達の中で一緒に学んだ方が、息子のためになるかもしれない。

というわけで、息子は今の学校に通うことになった。


2002年09月13日(金) 1st Grade of Elementary School (その1)

アメリカは9月から新年度である。

9月のうちに7歳になる息子は、Elementary School(小学校)の1st Grade(1年生)になった。
去年の今ごろは、当然英語も全くわからない息子が、突然異国のKindergarten(幼稚園)に放り込まれ、親子ともに不安な日々を過ごしていたのだが、今年は言葉に関する不安はずいぶんと軽減されている。

とはいうものの、本格的に学校の勉強が始まるわけで、これはこれで不安の種になる。まあ、いつまでたっても子供に対する不安というものは、尽きないものだなァとしみじみ思う。
(日本にいたらいたで、別の心配事はあるのだろうし・・・)


新学期に先立ち、担任の先生の家庭訪問があった。

今回の担任はなんとバリバリの・・・



















日系人女性!
↑駐在2号のワンポイント英会話:日系人=Japanese American

名まえもミセス・オガワという。
オガワさんであり、顔もコテコテの日本のおばちゃん顔ではあるものの、日本語はカタコトしかしゃべらない。

彼女いわく、30年くらい前に1年間だけ留学プログラムで早稲田大学の国際部に通ったことがあるとのことだが、ホームステイした先の家族が皆英語ペラペラだったため、あまり日本語を話す機会がなかったそうだ。


家庭訪問のときに、ああこの人日系人だなと思ったのは、何も言わなかったのに靴を脱いでリビングに上がったうえに・・・



















我が家のちゃぶ台の前に正座したこと

ホント、オバチャンモード全開。


2002年09月12日(木) September 11

米国同時多発テロ、英語で言うとSeptember 11。
あの惨事から1年たった今日(米国時間)も、もうすぐ終わろうとしている。

去年の今日、朝のニュースを最初に見た時には、
「難儀なところで火事が起きたなァ」
と思ったのだが、すぐにそれがテロによるものだと分かった時、どういう感情を抱いたかすら思い出せないほどの衝撃であった。

僕は赴任後1ヶ月の新米駐在だったのだが、事件の影響を受けた顧客の緊急サポートのため陸路カナダに直行し、結局その後4泊5日にわたって、家を空けざるを得なかった。
(嫁にしてみれば、アメリカ生活が始まったばかり、かつテロの不安の中、大変な5日間であったろうと思う)



1年たった今日、いろいろな思いが交錯して、うまく文章をまとめられないが、ビン・ラディンは極悪人であるとか、アメリカの自業自得とか、そんな理屈付けはどうでも良いって気がする。




とにかく、一人でも多くの人が悲しみ・憎しみから開放されますように。


2002年09月11日(水) グッバイ・ベースボール

グッバイ・ベースボール

この意味が分かる人は、かなりのメジャーリーグ通か、英語通だと思う。



【用例】

Ichiro hit the ball,(イチロー打った)

Line drive,(鋭い打球)

Deep right center field,(右中間深くへ)

go'in go'in...,(伸びる伸びる)



















Goodbye Baseball!



というわけで、答えはホームランでした。


2002年09月10日(火) 本屋でのこと(その2)

先日、日系の本屋に行った時のこと。
嫁が是非買いたい本があるという。

その本とはマンガ

OL進化論



















バイリンガル版。

吹き出しの中は英語で書かれており、コマの外に日本語訳が書かれている。

他には、サザエさん、課長島耕作などのバイリンガル版も置かれていたのだが、これは難しそうだな!と思ったのは



















天才バカボン。
↑アメリカ人に、あのシュールな世界が分かるのだろうか・・・


2002年09月09日(月) 本屋でのこと

息子がElementary School 1st Gradeになり、本格的に宿題がでるようになった。
中でも「毎日の読書」という宿題が、親子ともに負担になっている。

本自体は学校でも貸してくれるのだが、なにしろ息子が状況をわかっておらず、本人の好きな挿絵が書いてある本を借りてきてしまうため、結果として息子の(親の・・・ともいう)読書レベルをはるかに超えた本になってしまうこともある。

そのため、今日は本屋に行って簡単な絵本を数冊購入することにした。


本屋はいわゆる「ブックオフ」のような古本屋だったのだが、いろいろと面白いものがおいてあった。

なかでも面白かったのは、日本のマンガ

翔太の寿司



















中国語版。

↑当然ながら、漢字ばっかし。


2002年09月07日(土) 工場見学にて

僕たちの勤務する駐在室は、取引先企業の会社内にある。
日本から出張者やお客様がいらっしゃった時に、取引先の工場内をご案内することがよくあるだが、ご多分に漏れずわが家にホームステイしている会社の後輩(女性エンジニア2名)も工場見学を希望したため、昨日工場内を案内した。

普通の見学者は

「○○社の製品って、こういう風に作られているんですね〜」

という感想を持つのだが、昨日案内した二人はというと・・・



















「うわ〜、小部品がきれいに並べられてる!」












「あの工具、使いやすそう!」























だの、キャピキャピ言いながら歩き回っていた。
↑ちょっとマニアックな見方をしすぎ(笑)


おまけに帰り際にはThe Home Depotに寄って、工具をしこたま買い込んでいた。

会社の先輩としては、仕事熱心な後輩を持って誇らしいのだが、



















君たち、一度しかない20代の使い方に偏りがあるんじゃないの?

と思ったのは、別にセクハラじゃないと思うけど、どう?


2002年09月05日(木) ホームステイ受け入れ

会社の後輩(かつ大学の後輩)が、はるばる日本から我が家を訪れるため(彼女いわくホームステイ(笑))、久しぶりに有給休暇を使っている。

彼女の就職活動のときに、僕がリクルーターとして接したのがきっかけで、年次が約10年も違うのに、こうして訪ねて来てくれる。

僕の会社の技術系女性社員は珍しいため、駐在1号も



















「是非駐在室に連れてきてくれ」

と興味深々の様子。



とりあえず今日は景色の良いレストランでも行って、家族と共に歓迎しよう。


2002年09月04日(水) 娘の飛び級計画(後編)

この方の日記に紹介されていた、ハンドルネーム占いにより、ハンドル名を「駐在2号」から「駐在2号」に変更しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
↑かわらんやんヶというツッコミは却下します(笑)



↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
娘の飛び級計画(前編)


一年前倒しのKindergarten入学が可能かどうかについては、単純に言えばSchool Officeが認めるかどうかにかかるものと思われた。
しかしながら、School Officeは8月22日まで開かないため、それまでに情報を収集することにした。

まずはインターネット。

Googleで「飛び級」「アメリカ」「学校」をKeywordに検索したところ、いくつか関連するサイトがあった。
しかしながら、

「成績優秀者は飛び級ができる」
または
「親の判断で入学を遅らせることができる」
という内容は見つかるものの、どこのサイトにもKindergartenの入園時に飛び級ができるということは書かれていなかった。

また僕にはもう一つ心に引っかかることがあった。

それはやはり、親の都合で子供に負担を強いるのではないかということである。
どこか後ろめたさがあったため、日本に住む両親にも相談できずにいた。


結局、僕は嫁に
「やっぱり、一年早めてKindergartenに通わせるのは、やめよう」
「そのかわり、火曜日と木曜日にDay Care(保育園)に通わせよう」

と提案し、嫁も納得した。


<後日>

幸運にも、嫁が通う予定のコミュニティー・カレッジのDay Careに空きができたため、娘は火曜日と木曜日にそこに通うことになった。

また、8月22日にダメモトで(っていうか興味の範疇で)、一年前倒しでKindergartenに入園できるかどうかをSchool Officeに尋ねてみたところ、



















「一年後にまたいらっしゃい!」

とあっさり断わられたそうだ。
↑これが、娘の英語能力による判断かどうかは不明。

また、そこに偶然
ミス・アンジェラ(昨年度の息子の担任)が居合わせており、嫁に向かってこう言った。



















「あなたの娘は来年私のクラスね!」
↑彼女ならやりかねんな・・・


2002年09月03日(火) 娘の飛び級計画(前編)

僕の娘、1997年12月生まれ、現在4歳。

日本で行けば、今年の4月に幼稚園年中組が始まる年齢である。
アメリカにおいては、来年の9月まで幼稚園(Kindergarten)に通うことはできないため、それまでは昨年通ったプリスクールに引き続き通うことになる。

ところが、ここで一つ問題が発生した。

それは、嫁が火曜日と木曜日にコミュニティー・カレッジに英語を学びに行くことになったことだ。授業時間は午前10時半から午後12時20分まで。
プリスクールは正午ちょうどに子供をピックアップしなければならないため、このままでは授業を途中で抜け出さねばならない。

僕としては、嫁がせっかく一念発起して通うことに決めたコミュニティー・カレッジも大切にしたいし、かといって娘のピックアップを遅らせることもできないため、頭を悩ませていた。


そこに、嫁から意外な提案が・・・それは、










娘を一年早くKindergartenに入学させられないかしら?

という、驚くべき提案であった。


たしかに娘は体が大きく、性格的にもとても社交的なので、1学年上の子供達に混じっても特に問題はないように思えた。
英語に関しても、昨年のプリスクールでの様子を見ていると、特に障害になるとは思えなかった。


アメリカでは親の裁量で、子供の学年を変更させることができると聞いていたため、僕はこの「飛び級計画」の可能性について探ることになった。

(つづく)


2002年09月02日(月) スクール・サプライ

9月2日はレイバーデー(労働者の日)であるため、アメリカは祝日である。
そのため、学校は火曜日である9月3日から始まる。

年度の始めには、文房具を買って全ての持ち物に名まえをつけるという作業が日本では行われると思うのだが、ここアメリカにおいては少々様子が異なる。

それは、




















文房具は個人のものでなく、学校が一括して管理する
という点だ。
↑注:少なくとも、僕たちが住む学区においては、そうである


僕が勝手に推測するに、貧富の差が日本より著しいこの国では、満足に文房具も買えない家庭もあるため、毎年度の始めに文房具の寄付を募り、それをクラスで分けて使用しているのだと思う(教科書も学校管理)。

一見、互助の精神で美しいこの制度も、子供が文房具を自分の持ち物として認識しないため、

「忘れ物をしない」
「モノを大切にする」


といった観点の教育が不足しがちなところに問題点があると感じる。


ともあれ、今日は学校に寄付する文房具を一式買いに近所のスーパーに行った。

スーパーには、似たような親子連れが多くいて、なんだかおかしかった。


2002年09月01日(日) My Sweet Honey

アメリカ人が自分の家族のことをとても大切にするのは、日本にいたときから知っていたものの、実際にこちらでくらしてみて改めて驚いたのは、自分の伴侶や子供のことを平気で(っていうか、普通に)

MY SWEET HONEY!
と呼ぶことだ。

特に子供はHoneyと呼ばれることが多く、ウチの娘は最初

「Honeyって子供のことでしょ」
と真剣に思っていたらしい。



最初は(今でも)自分の子供をHoneyと呼んだり呼ばれたりすることに違和感があったウチの嫁も、この前アメリカ人の子供がくしゃみをした時に、




















「God Bless You, HONEY!」
と口から出た時には、言った後にむずがゆかったそうだ。


【駐在2号ワンポイント英会話】クシャミをした人に対しては、「God Bless You」(神のご加護がありますように)という。(Bless You!だけでもOK)

クシャミをすると魂が抜けて悪魔が入り込むという迷信があるので、クシャミをした人に対してこのように言う(英辞郎On the Webより)


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