どんぐり1号のときどき日記
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2006年12月31日(日) 2006年も終わる

 昨日は「サイボーグ009完結編」が見つからなかったので、電話帳を手元において片っ端から電話する。とても大晦日の光景とは思えないが、仕方がない。結局泉の八文字屋にあったので、買いに行く。
 しかし大晦日だけあって、バイパスはガラガラ、日曜の午後というシチュエーションとは思えないくらいである。おかげでここには書けないスピードが出たが。

 その後一家揃って実家へ行く。今日は妹夫婦も来るので、準備の手伝いである。まあたいした事はしないが。

 しかし7人も揃うと、これは仕方がない事だが実家は狭い。全員が揃って食事をするだけのスペースがないのだ。家族だからなんとかなるが、客を呼んで何かできるような状況にはない。
 それでもなんだかんだとやって、色々と話をして、食事をして、20時過ぎに退散(ただの記録にもなってないな)。

 というところで、2006年の日記も終わりである。読んでくれた人たちには感謝したい。
 たいした事も出来なかった一年だが、来年は大きなイヴェントも控えている。またいくつか憂慮する事態もある。
 とにかく良い年になれば良いが。


2006年12月30日(土) それでも優雅な一日

 フセインの死刑が執行されたそうだ。
 イラク戦争だけに限れば、なんだかアメリカの言いがかりに見えるかもしれないが、やはり彼の24年に渡る独裁の歴史を考えれば仕方のない事なのだ。むしろ彼を裁判などで公的に殺す機会は何度もあったのに、各国の利害が絡んで中止となり、結果として罪のない民衆が大量に虐殺されたのは歴史上の事実であり、つまり水戸黄門の印籠と同じで、完全に遅すぎたのだ。

 そして一旦死刑が決まれば、フセイン釈放要求のテロが起こる前に処刑しなければならない。これはテロの絡んだ政治問題では絶対に必要な事だ。そうしなければ、関係者だけではなく、無関係の人々が無差別に殺されていくだけなのだ。
 今回の処刑で様々な問題が闇に葬られる事になるが、早急な国内再建をするためには現状の役人を残す必要があり、そういう意味では仕方のない処置でもある。

 そんな午後、「サイボーグ009 完結編(1)」を探すが全滅。まさか仙台の大手書店巡りをして角川の本が入手できないとは思ってもみなかった。

 その後竜男さん、椿氏と会う。
 今回は「光のページェント」の点灯の瞬間を見る。この時隣にいた家族連れの3歳くらいの子供が点灯の瞬間に泣き出していたのには笑ってしまう。だが寒かった。
 早々に居酒屋(銀兵衛)に移動して、相変わらずの会話である。
 しかし入って最初に応対してくれた女性の店員が、正座して深々と挨拶してくれたのには驚いた。もしかしてメイド喫茶はこういう感じなのだろうか、と思ったが、恐らく本来の料亭がこんな感じなのだろう。居酒屋にはオーヴァー・アクションだが。いずれ料理もそこそこだし、なかなか感じのいい店だった。

 途中でまっちゃんに電話したところ出てこられると言うのでジオンで合流する事にした。だが今日はジオンも連邦軍も満席なのだそうで、これには驚いた。我々はガラガラの状態しか知らないのだ。
 とりあえず予約をいれ、喫茶店へ。しばらくして空いたとの連絡があり、移動。なんだか慌しかった。

 今回思ったのは、皆それなりの年になり、病気、介護など様々な問題が出始めて、大変だという事だ。やはり会える時に会っておかなければならないのだ。
 あとは2日に富田さんの家で合流する事として、チャウチャウにも連絡する。楽しくも慌しい一日だった。


2006年12月29日(金) いろんな楽しみ

 アマゾンから商品発送のメール。これは予定より早かった。
 ちなみに届いたのは「ウルトラヴァイオレット デラックス・コレクターズ・エディション」と「女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀-パレスチナ死闘篇-」である。

 前者は待ちわびていた物だ。なにせ公開時に2回も見てしまったのである。恐らく国内公開時にこれを2回見た人はほとんどいないだろうが、それほどカート・ウイマー監督には期待しているのだ。
 ちなみに初回限定のアウター・ジャケットはヴァイオレットのシャリバン仕様である(判る人には判る、かな)。なかなか美しい。
 公開後はyoutubeでオリジナルから編集版まで色々と見続けてきたが、やはり公式ソフトは大きな画面で見られるし、そもそも画質がきれいだ。うれしいなぁ。

 後者はオマケに割り箸が入っていたのだが、劇場公開時に売っていた物とは違っていたので一安心。でもパッケージの中に直接入っているとは思わなかった。
 ただ私は当初から、こういう内容にする意味がそもそもあったのか疑問に思っている。少なくとも立喰師列伝の外伝とは別のレヴェルの話になるのではないだろうか。やはり押井監督に学生運動の尻尾が付いているのは確実だし、それは一生ついて回るのだろうが、こんな形での解決策は違うと思ってしまう。

 そんな夜にはかせのmixiを見ていたら、「サイボーグ009 完結編(1)」が出たと書いてあった。これは石森氏の息子である小野寺氏(彼はテレビの「スケバン刑事II」にも出ていた)が小説の形で出したもので、あの「天使篇」の続きである。30数年待っただけに期待感は大きい。
 はたしてどういう結末に持っていくのか興味は尽きないが、もし終息に失敗したらかなり悲しい作品になる。そういう重大な責任があるだけに、是非うまく完結させて欲しいものだ。


2006年12月28日(木) プログレ本

 町中に出るというどんぐり2号に頼んで、シンコーミュージックのフラッシュバック・シリーズで出ている「プログレッシヴ・ロック」を買ってきてもらう。表紙がキース・エマーソンの物だ。
 今回のはマニアックな内容ではなく、極めてスタンダードな内容である。今時ここまでスタンダードな内容の本も珍しいが、かといって初心者向けと言う訳ではなく、ストレートにファンのための編集だ。やはりこういう本は、読んでいて当時を思い出してしまい、妙になごんでしまう。

 ちなみに世間一般的に言われている「プログレ三重苦」とは「暗いっ、重いっ、長いっ」であるが、実はアルバムや書籍は割と最近まで「さらに高いっ」というおまけが付いていたのだ。やはり資本主義では部数の問題で価格はどうとでも変動するのであるから、マイナーな趣味は金がかかるのである。

 という訳で、日記を書きながら、久々にナザレスなんぞを聞く。でも彼らはプログレではないぞ(どこが「という訳」だ?)。
 はやり70年代の「ハードロック」である。この頃の「ハードロック」は、明確に「ヘヴィ・メタル」と音が違う。もちろんどちらも好きなのだが、ハードロックを聞いていた時代は中学高校という多感な時代なので、思い入れが強い。
 そんな当時は「ディープ・パープル」や「ユーライア・ヒープ」「マウンテン」等が好きだった。「レッド・ツェッペリン」はハードロックというより、それ以上のものを目指していたグループであり、だから聞きやすさと言う点では、パープルの方が上であった。もちろん判りやすいからである。

 つまり私の基調はポピュラー音楽だったのか?


2006年12月27日(水) 伊武雅刀、健在なり

 日中、mixiのコミュで「パーソナル・コメディー 伊武さん、ルート外れてます」という番組が、某準国営放送局で放映されると知った。いくら夜とは言え、総合ではかなりの不安がある。
 だがとりあえず見ると、これが予想以上に面白い。ただ一般的には理解されない部分が多いかもしれないが。

 最近の伊武雅刀はシリアスな役が多いと感じていたのだが、さすがに往年のセンスはそのままだ。お笑い系の人は必ず年とともにシリアスに傾倒してしまい、センスが欠落していくのだが、元々この人はお笑い系とは違う。
 さすがは伊武雅刀、年をとってもその存在感はさすがだし、スネークマン・ショーの頃と雰囲気はほとんど変わっていない。

 しかしここまで水戸黄門ネタで引っ張るとは思わなかった。良くまあOKが出たものである。印籠はもちろん、初代格さんが出たり、水戸黄門のオーデションの話になったりするのだ。
 居酒屋で、印籠代わりにビールを突き出し「このビールが目に入らぬか」と言うと、「目には入らないけど口には入る」と返すベタなギャグには笑ってしまった。

 いずれこの人は演技が上手いのである。一般には評価が低い「実写版・めぞん一刻」(もちろん1986年版の作品だ)における四谷氏の怪しげな演技も、完全に伊武雅刀のものだ。それも含めてこの作品は再評価してもいいと思うのだが。私は「めぞん一刻」原作作品ではこれが最高傑作だと思っているくらいなのだ。

 話は戻るが、カーナビの声が玉川紗己子だったが、残念ながらタチコマの声ではなかった(当たり前か)。でもあえてメカニカルな声に彼女を選ぶというのは、やはりタチコマを知っているからではないのだろうか。

 だが見終わって疑問だったのだが、結局この番組はシリーズなのか単発なのか、本編はもちろんどのメディアを見てもサッパリ判らない書き方ばかりで悩んでしまった。mixiのコミュでも同じ疑問を持った人がいたし、こういうところが某準国営放送局の徹底して悪いところだ。自分が判っていれば他の人も判っているというスタンス、つまり悪い意味での役所仕事なのだ。

 この局は、最近なんでもBSやデジタル放送へ移行して、まともな番組は全然やらないが、30年に一度くらいは傑作を放映するのだろう。
 そして30年前の傑作と言えば、それはもう「天下御免」に決まっている。これを全く残していないこの局は、それだけで万死に値するのである。


2006年12月26日(火) 来年は忙しくなる、かな

 会社では無駄に忙しい。自分の身になる事では全然ないので、やはりやる気は失せる。当然だ。

 そんな夜、チャウチャウに電話。色々な予定について少々と、ゴチャゴチャした事を多少。
 来年は色々と大変な年になるのかも知れないが、まずは現在ほとんど活動していないと思われる「みちのくSF連合」の面々に大集合をかけるという大きな目標がある(なんだかこう書くと、暴走族みたいだが、かつてのライダーも多いし、そもそも走るのが好きな人も多いから、あまり的外れでもないか)。
 ただ今回は、名誉実行委員長というポストが必要かもしれない。SF界から遠ざかった人も多いので、その人の名前を出す事で、不信感を抱かずにある程度人が集まれるようにしたいのだが。

 しかしここ数年で友人レヴェルの人が亡くなっている。やはり亡くなった人が誰なのかを確認してもらうという意味でも、一度「皆生きてるか〜」という感じの集まりが必要なのではないだろうか。冗談ではなく…。
 人によっては、意外と身近な人が亡くなっている事を知らなかったりするのだ。なにせチャウチャウが市村の死を、先日のESIFCONまで知らなかったくらいである。

 情報とは、それがどんな性質のものであれ、共有するものであり、それで初めて情報となるのである。


2006年12月25日(月) クリスマス

 本当に題名と内容は全然関係がないなぁ。

 今朝は年賀状投函し、これで状況終了。
 今年は手書きの部分でかなり「てぬの細道」「レッツ、てぬ!」をやってしまったが、出してしまったものは仕方がないのだ。あとは野となれ大和撫子…。

 さて、旧MGCの金型を新日本模型が放出している件で、ウッズマンは売れはしたが、どうも再販は難しいらしい。
 理由は単純で、なんとマガジンを作る型がないのだそうだ。確かにマガジンは金属ブレスで作るから金型とは別になってしまうが、そもそも「ない」というのも変な話だ。

 そして新日本模型は工場を閉鎖すると発表。さてさて、今後どうなる事やら。今後もしマルシンがモデルガンから手を引いたら、モデルガンという物はほぼ壊滅状態になり、多分そのまま自然消滅するだろう。嫌いなエア・ガンはあんなに売れているのに…。
 メカニックという部分では、モデルガンは本物にかなり近いのだが、エア・ガンは全くの別物であり、非常に出来の良いオモチャでしかない。そんなオモチャに大金を出して満足している日本人というのも不思議なものだ。
 モデルガンなら本物の雰囲気が残っているが、エア・ガンにはそれが皆無なのだが…。


2006年12月24日(日) クリスマス・イヴ

 題名と内容は、全然関係ないか…。

 朝から年賀状の印刷を開始。
 宛名はプリンターの性能に依存するが、とりあえずチェックしつつやったので午前中かかる。試しに何枚か裏面も印刷して問題なし。後は誰にどのデザインで印刷するかであり、実はこれが一番厄介なのである。物によっては同じ人に複数枚送りたくなる物もあるからだ。

 そんな中、注文していた商品が届く。これはT寺家へのお歳暮として頼んでいた物だ。年内に届くかちょっと心配だったが、なんとか間に合った。
 実はこれ、完全にウケ狙いのお菓子で、ラフランスのお返しにチャウチャウ家にも送っておいたのだ。
 ただ注文時に問題だったのは、自宅にも一つ頼まないと他への配達が出来ないという点だ。以前試しに頼んで内容を確認していたので、今回自宅分は不要なのだ。そんな訳でT寺家へは直接持っていく事にしたのだった。

 ちなみに商品名は「山吹色のお菓子」で、どういう物か知りたい人はこれで検索すればトップで引っかかるはずだ。
 しかし持っていったら、やはり受けた。帰宅後、チャウチャウからもメールが届いたが、やはり受けていたようだ。こういう物がストレートに売れる時代になったというのも、凄い事ではあるなぁ。

 そして帰宅後、年賀状の裏面印刷とコメント記入。コメントは基本的に入れないのだが、やはり一部の人には必要なのだ。でも出来ればコメントも印刷時に入力したいものだ。自分の下手な字は書きたくないのである。
 これについては「ヘタでも自筆の書き込みがいい」という意見も聞くが、それは字が下手な人間の事をまったく理解していない発言でしかない。私のような人間は、とにかく自筆がみっともないので避けたいのだ。だからワープロが出た時にはすぐに買い、おかげで手紙の量も増えたし、色々な文章を書き散らす楽しみも増えた。現在のネット全盛時代なら、なおさら字の上手い下手ではなく、最終的にその内容が問題となるのだから、やはり私のような人間には恵まれた自体だといってもいい。
 ただし問題がひとつ。PCの漢字変換能力が著しく低いのは何とかして欲しいものだ。日本語対応としては、あまりにもおバカさんである。


2006年12月23日(土) クリスマス・イヴ・イヴ

 年賀状の製作、と言っても写真の作成である。
 個人対応型のアイデアが次々と沸いてしまい、とても対処できない状態になってしまった。そもそもそこまで写真を撮っている余裕がないのだが、それでも6種類は作れるだけの写真は撮ってしまう。

 夕方、ケーキを受け取る。今年はチーズケーキにしてみた。
 去年も頼んだ店だが、ここはクリスマス・ケーキは全て予約制なのだそうだ。確かに中心街ではないので、売れ残った場合に処分する術がないのだろう。まあ数量が決まっていればそれなりにきちんと作るのだろうから、その方が良さそうな気はする。まあ気がするだけで、実際はいつもより多い数量を作るのだから、品質が落ちる可能性は否定できない。
 それでも1品目あたりで100個は作っているから、トータルで500個。つまりそれなりの稼ぎにはなる訳で、まさにクリスマス様々だ。

 その後ちまちまと年賀状のフォームを作る。年賀状作成ソフトのおかげで、写真さえあればいくらでもフォームが作れるのは楽で良い。楽で良いが、つい種類を作りすぎるという弊害もある。
 それって私だけか?


2006年12月22日(金) 色々と届いている

 まこさんの出演した放送が、ネット上で話題になっていた。
 至極当然の事を言っているだけなのに、ネットでいまさら取り上げるというのも遅すぎる感はあるが、取り上げないよりははるかにマシだ。でも今まで信じていた人にとっては、焼け石に水かもしれない。悲しいがそれが人間の実態でもあるのだ。
 だからまこさんなのような活動は、地道だが重要なのである。

 さて。
 帰宅すると、いわさきさんから小包が届いていた。ちょっとお菓子など。かなり大きなどら焼きであった。これならドラえもんも喜ぶだろうなぁ、等と考えてしまう。

 そんな今日は会社の3課合同の忘年会だが、当然パス。酒に意地汚くて騒ぐだけの忘年会に4500円も払えるかい。それが例えば客が相手とかなら我慢も出来ようが、何が悲しくて毎日顔を合わせているつまらない連中と宴会をしなければならないのだ。
 だから行かずに、歯医者と床屋。ああ忙しい。

 ちなみに、昨日の「PLUTO」のに続き、今日は「もやしもん」の限定版が届いていた。
 「PLUTO」は現在の社会問題をストレートに入れるところに問題はあるが、まあ傑作になる予感はする。ゲジヒトの存在意義が徐々に見えてきたので、このままいくと、とんでもない結末に向かっていくのだろう。
 「もやしもん」は、どうもメインのテーマが見えていなかったのだが、今回あたりから人間関係の整理に入っているようで、つまり青春群像劇に持っていきそうな気がする。しかしそうなると「菌が見える」という事は、むしろ邪魔になってしまうのだが。
 どういう展開になるのか、楽しみではある。


2006年12月21日(木) またも訃報

 先日は青島幸男氏がなくなったが、実は岸田今日子氏も亡くなっていた。ちょっと油断していると、こういうニュースを見落としてしまう。

 青島氏は、私が小学校の頃にクレイジー・キャッツの番組を見始めた頃には出演し始めていたが、やはりその存在感はなかなかのものだった。場合によってはクレイジーそのものを喰ってしまうほどの存在感を示したし、実は彼もクレイジー・キャッツの一員だと最初は思っていたくらいだ。
 元々は放送作家でありながら、自身も出演して演技してしまうし、その他の活動もいろいろやる、ほとんどモンティ・パイソンを先取りしたような存在だ。彼らと同じく権力への反抗はいつまでも忘れなかったし、そのセンスも変わらなかった。
 多分こういう人は二度とマスコミ界には出てこないだろう。なぜなら、現在のマスコミがそういう人を望んでいないからだ。

 岸田氏は(こう書くと岸田森のようだが、彼はいとこにあたる)、その演技の幅が素晴らしい人だった。
 シリアスな役はもちろん、コミカルな役もこなし、可愛らしい演技も出来れば怪奇な演技も出来る。まさにオールマイティーな人だった。彼女も独特の存在感があり、やはりうっかりすると主役を喰ってしまいかねないのだが、そこはベテラン、脇役の時は常に一歩引いた姿勢を崩さないところがプロである。それでも存在感がにじみ出てしまうのだが。
 しかし先月、仲谷昇氏が他界して、それを追うように他界するというのも、色々な事を考えてしまう。

 最近は、自分が子供の頃から親しんだ人が亡くなるような年になっている。つまりこれからはどんどん死亡記事が目に付くようになるという事だ。これは仕方のない事だが…。


2006年12月20日(水) トムとジェリー

 ハンナ・バーベラが亡くなったそうだ。今まで生きていたのか、と思ったが95歳の老衰だそうで、これはもう大往生ではないか。しかもウイリアム・ハンナがなくなったのは5年前だと言うから、揃って長生きした事になる。

 代表作の「トムとジェリー」は、作品の出来にばらつきはあるが、いずれ傑作である事に異論はなかろう。その証拠に何度見ても飽きない。LDは全て買ったがやはり面白いし、子どんぐりも昔は度々見ていたもので、こういうのを永遠の名作と言うのだ。
 もっともこの作品の面白さは、音楽や効果音に負うところもかなり大きい。嘘だと思うなら、一度音を消して見てみるといい。面白いには面白いのだが、あの破壊的おかしさが半減される事が判るだろう。
 だが我々の世代のように、本当に呆れるくらい何度も見ていると、脳内で音が補完されてしまうかも知れないので、音を消しても意味がないかもしれない。

 そんな今日、帰宅すると八戸のI田さんから海上自衛隊のカレンダーが届いていた。中の写真を確認すると、相変わらず柴田氏の撮った写真は美しい。
 ちなみにこれはいつも会社に来ていた物なのだが、今年はきれいなままで送りたいからと、わざわざ自費で送ってくれたのである。どうしても社内便だと折れたりする事があるからた。
 やはり、こういう心遣いが非常に嬉しいし、さすがだと思わせる所以なのである。


2006年12月19日(火) 絶望的な日本

 昨夜、NHK教育の「視点・論点」にまこさんが出ていたのだと言う。そのタイトルは「まん延するニセ科学」(蔓延は漢字で書いて欲しいなぁ)である。なるほど。

 でも放送を全然知らなかったので見逃したのだが、なんとまこさん本人も昨日の放送だとは知らなかったそうである。なにせ昨日東京で収録してその日の夜に放映である。他の人に教えるひまもなかっただろうに。こういうところがいかにもNHKだ。こんなネタはスポンサーを抱える民放にはなかなか出来ない事なのだからこそ、NHKのような組織がきちんとやらなければならないのに。

 現在の民放ワイドショーでは、それこそニセ科学を平気で扱っている。誰かが警鐘を鳴らさないといけないのだが、それをするべきNHKもかなり科学には疎くなってしまっている。日本の将来が絶望的に思えるほどの危機的状況なのだが、多分そういう危機感はマス・メディアに関しては誰も持っていないのだろう。

 そもそも日本には、世界的にも稀な巨大迷信である「六曜」がある。これが100%迷信だというのは、少し調べれば誰でも判る程度のものなのだ。これが国内に蔓延して実生活にも影響を及ぼしている国など、他にはないと言える。実はそれほど日本というのは単純な国なのだが(良く言えば、柔軟性に富んでいるという事か)、それだからこそ科学的な誤りは、絶対に正しておく必要がある。
 もちろんこれは、「科学的思考力」という意味だが、ここまで絶望的に基礎科学が疎かになっていては、事実を一つずつ教えていく必要もある。それほどに危機的状況なのである。

 しかしこの手のニセ科学への警鐘を真面目に実行しているまこさんには頭が下がる。しかも理路整然としているのは当然として、極めて平静に説得しようとするその姿勢は本当に凄い。これはまねをしようとしても簡単に出来るものではない。
 そんな彼を理論面でバックアップするなど出来る訳もないが、少なくとも全面的に応援する。
 なぜなら彼の言っている事は正しい上に正論だし、そもそも昔からの仲間が正しい事をしているのだから、支持するのは当然なのである。


2006年12月18日(月) 絶望的な会社

 会社で来年早々に行われるイヴェントの打ち合わせがあった。
 本来私が参加するものではないのだが、どうも話を聞いていると呆れてくる。何もかもが遅いのだ。しかも有効な案が出てこない。
 これでこの支店の成績が伸びない理由が見えてきた。全員の発想がガキなのだ。あまりに周囲を知らなすぎる上に、発想力自体が欠如しているのでは、イヴェント参加自体が無駄になるのも当然だ。実際昨年がそういう結果になってしまったのに…。

 結局、戦略的な思考回路がまったく欠落している上に、そもそもそういう思考を否定しているのだ。目の前の金が大事であり、長期的には会社が潰れても構わないと思っているのだろう。
 だから伸びないのだよ。


2006年12月17日(日) やはり慌しい月

 今日もお歳暮選びの旅。ちまちまと買い物をしていたらあっという間に夕方である。

 そしてKCから電話。新年会や仮称OB-CONの話をする。
 やはりビッグ・ネームの名誉会長が一人は必要だと言う話をする。旧みちのくSF連合の全員に声をかけるのだから、信用という部分で少なくともメジャーで名の通った人が必要になるのだ。実務は我々でなんとでもなると思うが、これだけはどうしようもない部分である。
 となると、まこさんあたりが適任だと思うが、本人はどう思うか、であろう。

 それとは全然関係なく。
 旧MGCのモデルガンの金型は、タナカがベレッタM9、CAWがウッズマンやイングラム等の金型を買ったらしい。という事は、先日再販されたと言う事実から考えて、少なくともイングラムは再生産が可能という事になる。ただし単価がとんでもないものになりそうだが。
 つまりこれからのモデルガンは、一般的な人間に買えるような物ではなくなっていく可能性が大きくなる。
 どうして私の趣味は、皆マイナー化していくのだろう。実に不思議だ。

 しかし、早く「ウルトラヴァイオレット」のDVDが欲しいものだ。1月1日発売というバカなスケジュールだから、とりあえずアマゾンにでも頼むとするか。
 こんな日程を組まれては、配達する人も大変だよなぁ。

 そして年賀状作成は進まない。本当に猪というのは絵にならないなぁ。かわいい絵だと他の動物になるし、かといってリアルな猪も面白くはない。本当に困ったものだ。


2006年12月16日(土) 物欲がぁ〜

 そろそろあちこちへのお歳暮を物色する。

 ついでに町中で買い物もするが、どの店もなんだか異様にレジが混んでいるあたり、やはりレジの人間を減らしているのだろう。だがサーヴィス業というのは、ある部分では無駄が絶対に必要なのだ。効率至上主義に陥ったサーヴィス業の企業は、絶対に長くは続かない。
 特に今のデフレ状態と言うのは、格差がどんどん広がるのが当たり前で、肝心のサーヴィスを疎かにするようでは、企業としての体力がないと宣言しているのと同じである。
 単純に行ってしまえば、対処が遅すぎたからそうなるのだ。

 それはともかくとして。
 ちょっと新☆堂(伏字になってないってば)でCDを見たら、なんと「カルメン」の紙ジャケが出ていた。これは欲しいのだが、2,700円強でありちょっと高い。
 本当は「ナザレス」の紙ジャケも欲しいのだが、いかんせん枚数が多すぎる。と思いつつふと隣を見ると「ニック・ドレイク」が3枚とも、しかも国内盤輸入盤の両方ある。これにはかなり驚いた。夭逝したが人気はかなりのものらしい。
 ちなみに彼はエリス中尉ことガブリエル・ドレイクの弟である。何度も書いているが…。

 そしてyoutubeで「ジェフ・ウェイン版宇宙戦争」を最後まで見る。やはり感動ものだ。ただ発表から28年経っているので、メイン・キャラですらオリジナルとは変わっている部分が当然ある。
 まずベスの役はJULIE COVINTONからTARA BLAISEになっているが、これは全然違和感がない。雰囲気が良く似ている上に、非常に上手いので安心して聞ける。
 ただこのシーンでの牧師役はPHILIP LYNOTTが死去しているので当然他の人になっているのだが、これがRUSSELL WATOSONである。彼ははっきり言って上手すぎる。おかしくなりかけている牧師なので、実はPHILIP LYNOTTの雰囲気がピッタリだったのだ。それが整然ととんでもない上手さで歌っているのだから、ちょっと違和感が出てしまった。
 DEVID ESSEXが歌う砲兵役はALEXIS JAMESになっていたが、これまた雰囲気が良く似ている。いずれうまい連中を集めているのだからもとより不安はない。あとは昔から聞いているからイメージの問題だけなのだ。
 しかしCHRIS THOMPSONは相変わらず上手い。戦艦サンダーチャイルドのシーンはオリジナルの時となんら変わらない。むしろ高音部の伸びが素晴らしく、そのシーンの演出と相まって、鳥肌ものである。

 これは限定で構わないので国内盤を出して欲しいが、やはり現状では難しいのだろうか。難しいのだろうなぁ。


2006年12月15日(金) 迂闊…

 今日は歯医者へ行く。
 なんだか今月だけで20,000円近くかかっているなぁ。今日も5,050円だったし…。そしてこれがしばらく続くのだった…。やばいなぁ…。

 しかし迂闊だったが、「日本以外全部沈没」の上映が終っていた。これは一週間くらいしかやっていなかったのではないか。観たかったのに、非常に残念である。
 やはり映画は、もう少し宣伝をやるべきだ。いや、別にバカな芸能人に白痴的セリフを言わせる必要はない。いつ、どこでやっているかさえ宣伝してもらえばいいだけである。
 ヒットのためなら映画に興味のない人を呼び込む必要はあるが、こういうマイナーな作品は、観たい人が確実に行けるように工夫するのがプロの宣伝だろう。

 ところでニュースによると「証券取引法違反罪に問われているライブドア前社長の堀江貴文被告が英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに応じ、表面的には平等な社会に見える日本が実際はエリート官僚が支配する『共産主義的な社会』と主張し、自分は無実の犠牲者だと述べた」そうである。
 いやあ、ホリエモンは間違っているぞ。日本は「世界でもっとも成功した『社会主義国家』」であり、そもそも共産主義社会ならホリエモンの一時的な繁栄なども絶対にありえない。つまり彼は決して無実の犠牲者などではないのである。そんな単純な間違いをするから、粉飾決算などをしてしまうのだ。
 こんな場面で共産主義などという言葉を出してくるとは、意外と彼も単純だったのだなぁ。


2006年12月14日(木) MGC製品が消える

 旧MGCのモデルガンは新日本模型が引き継いだ、はずだったのだが、今月になって突然、金型を売りに出し始めた。しかも法人限定とは言え、雑誌の広告での売り出し宣言である。仮にも金型の放出であり、雑誌に載るなど空前絶後の話だ。

 噂では、新日本模型自体が廃業するらしく、現在タナカやCAWがタダ同然の価格で引き取っているらしいが、これらの会社のメインがなにかを考えるまでもなく、エアガンに転用しそうだ。それだけは避けて欲しかったのだが…。
 しかもこの状態では、パーツがなくなるのも時間の問題になってしまう。どう考えてもパーツだけの供給などするはずはない。利益が出ないからだ。

 こうなるとモデルガンに関しては、マルシンが唯一の大手になってしまい、いくら頑張っているとは言え、これはかなり寂しい状況だ。現状ではコクサイも一度倒産しているため、あまりパッとしないし、マイナーなメーカーのは高いし、そもそも流通経路が限定される。
 モデルガンの未来は、マルシンがすべてであると言っても良い。それでもやはりエアガンにシフトしつつあるのが不安なのだが…。

 しかしエアガンが売れまくっているのに、モデルガンは、本当にマイナーな趣味になってしまったなぁ。


2006年12月13日(水) 「宇宙戦争」のライヴ

 おなじみyoutubeで、とんでもないものを発見してしまった。
  http://www.youtube.com/watch?v=8QRhM32_SzA 
 この前にパート0があり、パート16まで続く。

 これは「Jeff Wayne's The War Of The Worlds」のライヴである。このアルバムは、私の生涯のベスト10を選ぶとしたら無条件に入れる1枚(2枚組だが)なのだ。
 ライヴというよりミュージカル仕立てなので、それこそ元のアルバムの忠実な再現である。発売25周年の時にライヴでやるという話は聞いていたが、遅れはしたがこうやって実現し、しかもソフトまで出ていたとは驚きである。2006年4月26日というのは公開日だったのかソフトの発売日だったのか、良く判らなかったが…。
 しかしジェフ・ウェインが指揮をとり、ジャスティン・ヘイワードが相変わらずの声で歌う。これはもう感涙物だ。

 現在、youtubeで見られるが、9分ずつでパート16とは、元のアルバムと較べても長い。パート4まで見たところでは、アルバムと寸分違わないのだが、最初のパート0である3分は完全なオリジナルだ。つまりオリジナルの部分が結構あるという事なのかもしれない。
 もしかしたら後半、ナレーションがリチャード・バートンではなくなるあたりから変わってくるのだろうか。変えるとしたらその辺からやるのが妥当なところだろう。という訳で、時間もないため試しにパート16を見たら、登場人物の紹介をやっていた。なるほど長くなる訳だ。

 しかし舞台にマイク・トリムがデザインしたあのウォー・マシンが下りてくるところは、ただのハッタリなのだが、感動してしまった。しかもバックの大スクリーンでは、ちゃんと動いているのだ。私が見たかったのは、このウォー・マシンが動いているシーンであり、トム君の映画のメカとは違うのだよ。

 とりあえずyoutubeで見られるところを見ると、DVDで正式に出ていると思われるので検索したところ、当然日本のアマゾンでは見つからなかったが、amazon.co.ukではちゃんと扱っている。これがリージョン2なのだがPAL方式なので、そのままでは見られない。それでも欲しい。これが手に入るなら全て再生できるリージョン・フリーの機械を買っても良い。好きこそものの哀れなりけり、だ。

 ちなみに題名は「The War Of The Worlds Live:Special Edition(2 disc)」で、今ならamazon.co.ukで17ポンド、通常より8ポンドも安い。問題なのは、私が英語に不自由なので頼めないという点である。
 しかしこの時見つけた7枚組CDって、一体何が入っているのだろう。気になるなぁ。


2006年12月12日(火) 女立喰師列伝???

 アマゾンから商品案内のメールが来た。
 いつものことなのでさらっと見て消そうとしたら、なんですとぉ〜?「女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀-パレスチナ死闘篇-」??? 

 これにはちょっと意表を突かれた。もちろんコミック・リュウのオマケで持ってはいるが、まさか真面目に商品化するとは思ってもいなかった。本来は「立喰師列伝」の特典映像にする予定だったらしいが、結局間にあわなかったといういわく付きの作品なのである。困ったものだ。
 なにせ今もっているDVDは、あの薄っぺらな雑誌のオマケだけあって表面がボロボロ、やはり正規の作品だと欲しくなるではないか。まったく商売上手だよ。しかもオマケは雑誌込みで500円以下だったのに、今度は3,000円オーヴァーだなんて、まったくもって本当に商売上手である。

 なんて騒いでいたら、センデロさんから同報メールが来ていた。
 なんでも病気のため長期の療養になるとの事で、ちょっと心配である。時間がかかってもちゃんと社会復帰できれば良いのだが。


2006年12月11日(月) またまたyoutube

 昨夜はyoutubeで検索した「空耳アワー」を見ていた。傑作選などが引っかかると、本当に止まらない。文字通り延々と見てしまう。
 しかし初期の大傑作だったプリンスの「農協牛乳」などは、元の単語が全然似ていないのだから、不思議である。タモリもかなり首を傾げていたのである。
 蛇足だが、イラストレイターの安斉氏は、助手時代にこの農協牛乳のパッケージ・デザインを手伝っていたそうで、しかもプリンス好きである。なんというシンクロニシティーであろう。

 ちなみにこの番組の最近の傾向は、やはり単語一つではなく、ストーリー性を捏造する方向で進んでいる。言葉もそうだが間も大切な要素になっている。
 やはりそういう作品を見つけてくる連中はたいしたものだと思う。

 そんな中でRock Fujiyamaも少し見つかる。
 しかしマーティ・フリードマンという奴は、本当に遠慮がない。こういうパラエティ系ではあまり見かけないキャラだ。自分勝手というのではなく、本当に遠慮がないのだ。
 ケリー・キングが出た回では、雰囲気が本当に子供のケンカである。もちろん計算した上での事だが、見ていて時にはハラハラしてしまう。少しはゲストを立ててやれよ、と本気で心配してしまうのだ。まあロック界では、そういう遠慮のなさが逆に必要ではあるのだが。

 いずれこのRock Fujiyamaは、テレビ東京製作なのでなかなか見られない番組だが、本当に面白い。もしDVDで全話出すなんて事になったら、かなり真剣に考えてしまうぞ。


2006年12月10日(日) 弱者迫害

 今日はちょっと寝坊、なのだが、どうも上の階で延々やっている工事がうるさい。結局チマチマと目が覚めてしまい、なんだかすっきりしない。という訳で、一日ダラダラする。

 ところで。
 新聞などで「いじめ、かっこ悪い」なんてバカなセリフを良く見かける。だがカッコいいと思って人をいじめている奴などいる訳がない。みんな「楽しくて」やっているだけなのだ。だから現状の社会のままで、いわゆる「いじめ」という物がなくなる事など絶対にありえない。楽しいと思っている事を人間が止める事などありえないからだ。

 例えば趣味を考えれば良く判るだろう。楽しいからやっているのであり、別にカッコいいと思ってやる奴はいない(中にはいるかも知れないが、そんなのは趣味とは別の物で、長続きするものではない)。楽しいからこそ延々といつまでも続けるのだ。

 そして楽しい上に、加害者を擁護する社会という存在がある。
 加害者をひたすら擁護する社会、それが日本の現実なのだ。それは今の社会では、被害者とは社会の弱者であり、加害者とは強者である。つまり加害者という強者を保護して味方につけた方が、自分の将来にとって何かと都合がいいのは自明の理だと考える。それがいじめ社会である日本の本質なのである。
 戦前からある弱者の身のおき方が、明らかにおかしい方向へと行ってしまった結果である。

 そして、そもそもこういう社会を形成してきた年寄りどもの責任は大きいのだ。ありとあらゆる業種、団体、共同体、とにかく人が集うと必ずいばりちらし、他人に圧力をかけ始める奴が出てくる。そしてそういう社会を作り勧めてきたのが戦後の社会なのだ。
 若者の責任だけではない。そういうバカモノを育ててきたのは、今の老人どもであり、日教組等の間違った考え方なのである。そういう連中に今の社会や若者を批判する権利はないと断言する。

 今後、ある程度の修正はできるかもしれないが、根本的な解決策というものは出てこないだろう。結局、何もかもが遅すぎたのだ。


2006年12月09日(土) ROCK FUJIYAMAな日

 今日は、他のセクションの手伝いでタダ働きである。しかもバックグラウンドがまったく判らない書類のチェックである。何が間違いなのか判らないのに、本当に疲れる…。しかも予想外に時間がかかってしまった。

 そんな夜、Kattaluiさんの家へ行く。実は初めてだったが、意外とあっさりと行けた。今日は青さんもいるのだ。そして途中からKattaluiさんの友人、高野氏もくる。彼とは初対面だ。ここはこうして色々な人の集会所となっている訳だ。さすがである。
 ちなみに今日の本当の目的は、来年のコンヴェンションの話をする予定だったのだが、ロック・フジヤマをかけてしまったので、延々見てしまう。やはりこの番組は面白い。なかなか途中でやめられないのである。

 この番組内で、ゲストの鼻歌から曲名を当てるというコーナーがあるのだが、私や青さん、Kattalui氏は、どうも判らないものが多い。でも番組内ではローリーなどがあっさりと当ててしまう。絶対に事前打ち合わせはしていないと確信しているが(なにせ判らない時のリアクションが本物なのだ)、どうも不思議だった。
 でもこれは、ギターの譜面で歌っているとすぐ判るらしい。つまり我々リスナーとは聞いている部分が違っていたのだ。この番組はギターがメインだったのである(近田春夫など、キーボードの衰退の話をしていたし)。
 空耳アワーで有名なイラストレイターの安斉氏も出てきてやったが、さすがにギターの譜面で唄っていたのですぐに判ったらしい。そして我々にはやはり判らなかった。
 やはりリスナーだけというのは弱いなぁ。

 あとは現在の「ドクター・フー」を一話だけ見る。
 私は1980年代のドクター・フーのイメージが強いので、今の姿にはまだ違和感があるのだが、タイム・パラドックス物をこう表現するか、という驚きがあり、やはりイギリスのテレビ番組は侮れないと納得する。
 さすがは40年以上続いているシリーズだ。この長さは伊達ではない。

 そんなこんなで、結局退去したのは1時を過ぎていたのだった。外は寒い。


2006年12月08日(金) 終り良ければ全て良し

 今日は会社の忘年会。
 どうせただの飲み会なので、つまらないと判っているだけに行きたくないと思ってしまう。そして仕事、しかも他部署の仕事で遅くなってしまい、結局タクシーで行く(無駄な出費になってしまったではないか)。どうも仙台支店の親睦会というのはいい加減だ。遠い場所なんだから全員が揃って行けるように考えるべきだろう。
 そして前の上司は全員が楽しめるのが親睦会だといいながら、全然そういう進行をさせない。頭の悪い人の考え方というのは理解できないものだなぁ。

 本当は21時頃にえりたさんと合流してゲーセンの景品である「やわらか戦車」を受け取る事になっていたのだ。
 そして予想通りつまらない宴会だったので、そろそろ抜けようかという段になって、昔MGCに勤めていた事がある人と話し始めたら盛り上がってしまった。
 例えば、ガヴァメントやステンなどのガタツキが元々の設計上のクリアランスなのは知っているが、MGCとCMCではモデル化に当たってこのクリアランスをどうするかの違いが露骨に出ていて面白い、等というマニアな会話になってしまったので、当然他の人は入り込む余地など皆無である。
 ちなみにMGCの金型は、当初の物ではスが入ってしまったが、これを加藤氏がきちんと修正したおかげでキレイなスライドなどがブレス出来たのだという。そうなると本当に内部の状況だ。参考になる。

 そんなこんなで気がつくと、あっという間に40分が過ぎてしまっており、えりたさんから携帯に電話が来て、初めて21時を過ぎていたと判ったくらいである(ごめんよ〜)。
 急いで抜け出し、合流場所に行き「やわらか戦車」を受け取って帰宅したのであった。そしていつももらってばかりなので、「やわらか戦車の絵本」を進呈する。
 という訳で、一日の終わりは「めでたし、めでたし」なのだった。


2006年12月07日(木) カーペンターズの映像

 唐突だが「カーペンターズ」の映像を、youtubeで見る(なおCARPENTERSで検索すると、大工作業の映像も出てくるあたり、さすがはyoutubeだ)。

 やはり色々な映像があるが、中では1971年のBBCライヴの映像が良い。もちろんキレイと言う意味ではなく、内容が良いという意味である。私は多少映像が悪くとも内容を重視するのだ。どうも世の中はそうではないらしいが。
 それはともかく、この映像の音は、一瞬アルバムの音をそのまま持ってきているただのプロモ番組なのだろうかと思ったが、良く聞くと違うところも多いので、これはアルバムと同じ演奏をするイエス並みのうまさ、と言えるだろう。

 ただ少しカレンのドラムが弱いように感じるが、彼女をヴォーカリストとして前面に出している以上ある程度は仕方がない。本当はもっとパワフルにできる人なのでもったいないのだが。
 その構成上、常にドラムセットが2台あるが、カレンと後ろのドラマーが一緒に演奏しているシーンでは、あのスピードで見事にシンクロしているのはさすがだ。カッコいいのである。

 ちなみにここで演奏されたビートルズの「ヘルプ」と「涙の乗車券」のカーペンターズ・ヴァージョンは、稀代の名アレンジだろう。数あるアレンジでもまさにトップ・レヴェルだ。ビートルズ・マニアには評判が悪いが、このアレンジを認められないようでは、音楽か好きだなどとは言えない。

 しかし1974年の段階で、ロックンロールは懐かしの音楽になっていたのだなぁ。


2006年12月06日(水) ようやく「攻殻機動隊」の新作

 T沢氏のご好意で「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」をようやく見る事ができた。

 今回も神山監督作品だけあって、さすがに面白い。今までの原作、映画、テレビの要素を全て詰め込んであるあたり、これらを見ている人ほど楽しめてしまう。
 そして描写の手抜きもない。見せるべきシーンはきちんと見せる。また貴腐老人という描写も凄い。やはり売れたからできるという事もあるのだ。

 ただ気になるのは、自殺するのに側頭部に銃を当てて撃つという描写をしていたのだが、あれでは確実に死ねるという保証はない。だが映像作品である限り、やはり見栄えを優先しなければならない事もあるので、これは仕方がないのかもしれない。
 そもそも一般的日本人にとって、頭を撃ったところで死なないという認識がある人はまだまだ少数派なのだろう。

 そしてこれを見た後でいくつかのコミュを覗いて見たが、色々な疑問点を上げている人がいた。もちろんこういう作品では、その人の経験値からある程度の疑問点が出てくるのは当然だろう。だが中にはどうしてそういう疑問が出るのかまったく理解できないというものも多い。つまり見ていれば判るのに、それが判らないという。これは「ウルトラヴァイオレット」の時とまったく同じ状況である。
 もちろん「ウルトラヴァイオレット」の時は、映画館なので見逃してしまったという事が充分考えられる(個人的には信じがたいのだが)。だが「攻殻機動隊 S.A.C. S.S.S.」の場合はソフトである。何度でも見直しができるのに判らないという。一体こういう人たちはどういう見方をしているのだろう。いちいちすべてを説明しないと判らないというほどに頭が悪いのだろうか。

 あるいは、こういう人たちはテレビの見すぎなのかも知れない。
 テレビと映画の根本的な違いは「説明量の違い」にある。これは「情報量」ではなく、あくまで「説明の量」である。つまりテレビは「あらゆる年代、あらゆる知能レヴェルの人」に「分け隔てなく理解してもらう」という建前で作っている物(作品ではない)が多いため、無駄な説明が圧倒的に多い。ナレーションや説明的会話などがその典型だ。
 そしてこのパターンに慣れると、自分で考えるという事ができなくなってしまう。だからテレビであっても「モンティ・パイソン」や「プリズナー�癸供廚覆匹虜酩雰欧鰺�解できなくなるのである。

 もしかしたら「攻殻機動隊」のシリーズを理解できるかどうかは、映画好きかどうかを見分ける一つの指針なのかも知れない。


2006年12月05日(火) 付け焼刃

 会社で工事を管理しているセクションが完全にオーバーフローしてしまった。もちろん原因は人を減らした事なのだが、おかげで彼らがやっている書類関係の仕事がこちらへ回ってきた。なぜ事務に振らないのだろう。
 そもそもこちらは工事自体は判るが、伝票処理などさっぱり判らないのだ。それで書類だけ処理したところで、おかしくなるのは目に見えている。バカだなぁ。

 そして今年他支店から転勤してきた人と話していたら、共通の認識がある事が判った。
 つまり仙台支店は他の支店と違う異常な処理をしているので、転勤者には内容が良く判らない状態になるのだが、それを当たり前だと思っているため、結局破綻するまで手をつけないし、破綻しても根本治療はできない。
 そもそも人に教える事ができる人間が皆無なのである。

 これではいつまでたっても赤字だと言うのが良く判る。根本的な考え方が付け焼刃なのだ。まったく迷惑な話だ。


2006年12月04日(月) 全キャン連

 某国営モドキ放送局で、キャンディーズの特番をやっていた。
 とりあえず実家に行き、ビデオの録画を依頼する。なにせウチはなぜかテレビの映りが悪いのだ。

 一応自宅で、悪い画像ではあるが見てみたが、第一印象は教育が作るべき番組だった、というものである。とにかく後半が延々ラストコンサートの映像では、手抜きと言われても仕方がない編集だろう。前半のような感じで全編作るべきだったのだ。とにかくこの局にはキレイな映像がたくさんあるのだから、ソフト化された映像ではなく、もっと貴重な映像を出すべきである。いずれもう少し見せ方があっただろうに。
 だがさすがにクリムゾンの曲(エピタフだ)が流れるシーンはやらなかったなぁ(当然か)。

 いずれこういう貴重な映像だと、多分BSでやったものだろうと思っていたが、まさあきさんが以前にやったものだと言っていた。やっぱりな。結局、総合で放映しただけましという事なのだが、こういう差別をしている某NHKは、やはり変だ。

 ところで番組の中で伊東四郎が、彼女達はスケッチもきちんと演技したのがえらい、という主旨の発言をしていたが、確かに「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のはじけ方は、絶頂期のアイドルという事を考えるととんでもなく凄かったし、文化放送の「キャンディーズの、ああなの、そうなの、こうなの」におけるスケッチは、もう絶品と言っていいものであった。もはやシナリオがあるとは信じられないスムーズな展開だったのである。
 当時かなりテープに取ったが、いかんせん夕方の文化放送は電波状況が悪く、聞き取れない部分も多かった。しかたがないので長崎放送などの時間帯の違う局で聞いたりと、結構いろんな努力はしていたものだ。

 しかしキャンディーズをちょっとネットで調べたら、「日本エグレの会」まで出てきた。当時私も聞いていた日本短波放送のアナウンサー、大橋照子が番組内で作った会だが、その会長がミキだというあたり、本当に凄まじいバイタリティーだと思う。
 でもやっぱりミキはいいなぁ。

 そして見ていて思ったが、全キャン連のまとまりのよさは、まさに理想の学生運動だったのではないだろうか。ある意味学園祭ではあるが、全国規模のファンがまとまった動きをしたのだから、大したものである。
 やはり学生運動をやっていた連中は、所詮遊びで終った自分たちに対してもっと反省するべきだろう。


2006年12月03日(日) 宇宙戦争だぞ

 昨日チュウジさんから借りた「宇宙戦争」を見る。もちろん私が持っていないのだからスピルバーグ版だ。

 この作品はかなり原作を意識した脚本になっている。そもそもストーリーは大まかにだが原作をなぞっているし、ラストの唐突感も、あまり上手くはなかったが、原作を意識したものになっている。
 ストーリーは意外と単純な構成で、変に複雑にせずダメパパ・トム君の成長物語りに徹したところが良かったのかもしれない。

 だが特筆すべきは、ウォーマシンである。ちゃんと3本足で歩いているのだ。もちろん3本脚というのは、固定には向いているが歩くのには不向きである。それをあえてやってしまったのだ。
 1953年のバイロン・ハスキン版では、その描写が難しいために3本の磁力線で浮いているという設定にしたが、逆にそれがリアル感を産み、成功したのである。それでもやはり3本で歩くウォーマシンを見たいというのは、メカ・ファンの長年の夢でもあったのだ。
 それが特殊効果の発達でようやく可能になったのだから、これは気にしないという方がどうかしている。
 もっとも、遠景でゆっくり歩いている姿は素晴らしいが、ちょっと擬人化しすぎの感はある。そもそもウォーマシンの演出はともかく、あの本体のデザインが今ひとつなのはいただけない。別にジェフ・ウェイン版のジャケット・アートに使われたヴァージョンでなくとも良いが、やはり世界中が期待していたデザインなのだから、もう少し考えて欲しかった。

 しかしハリウッドの子供は演技がうまい。何故日本の子役にはああいう自然な演技をさせないのだろう。
 別に子役の演技がヘタだと言うのではなく、演劇のやり方のままセリフを言わせるから違和感を覚えてしまい、そのため映画の中に溶け込まないのだ。こういう部分は是非ともハリウッドを見習うべきである。子供に違和感を覚えては、名作になどなりえない。

 ところで冒頭、トム・クルーズが乗っていたのは、フォードの1968年マスタングか? でもリアの形が少し違うような気もするし、気になってしまうではないか。
 あの車はなんだったのだろう。


2006年12月02日(土) SF宴会

 今日は仙台市内で、SF関係者での宴会。
 場所はTAHOEで18時からである。仕事があったので、少々遅れて到着。でも乾杯直後だった。
参加者は「チュウジさん」「ハカセ」「和賀ちゃん」「青さん」「いわさきさん」「チャウチャウ」「KC」と 私の8人である。狭い店なので、結局店を借り切った形になる。SFの集団なので店には迷惑かも、と考えてしまうが、KCの知り合いだから、多少は目をつぶってもらおう。
 なにせいわさきさんは宮古から、チャウチャウは山形からきてもらっているのだから(店には関係ないか)。

 しかしとにかく楽しい宴会だった。泊り込み以外の集まりとしては、これ以上はないというくらい楽しいもので、やはり仕事関係の宴会とは、まるで次元が違う。ただの仲良しの集まりというだけではなく、会話やその場の雰囲気が別の次元のものなのだ。やはり共通言語があるからいくらでも飛躍した会話ができるというのは素晴らしい。

 そして色々と新事実も発見された(単に私が知らなかった、というのは却下である)。例えばチャウチャウの名付け親がオーラだったと言うのは実は意外だった。もっと後に定着したと思っていたからだ。そんな感じの再発見ネタも収獲だった訳である。
 でも青さんやいわさきさんと初めて会ったのがいつだったのか、この辺はどうもハッキリしない。気がつくと一緒に遊んでいたというイメージが強いのだ。

 懸案だったプレゼント交換は、即興でSFクイズをやってしまう(普通はどうやっているのだろう)。酔っているので思いつきのクイズになるが、意外と盛り上がった。本当に思いつきなので私など「ウルトラホーク1号の発進ゲートは何番?」とか「人間爆弾の時に破壊されたスカイダイバーは何号?」という類になってしまう。
 ちなみにこの時に出てこなかった「ヤング・フランケンシュタイン」や「大陸横断超特急」の主役は、ジーン・ワイルダーだ。皆で顔とかはすぐに浮かんだのに、名前だけ出てこなかったのだ。こういう部分は純粋に年のせいなのかもしれない。

 そして来年のOB-CONも少しずつ話は固まっていく。いずれ1月かそこ等には、それなりの形になっていくだろう。

 しかしなんだかESIFCONみたいだったが、考えてみれば今年の参加者が5人もいたのだ。とは言っても別にこれ自体は直接関係ないのだが、やはり現在のESIFCONとは「SF宴会バカ騒ぎ」なのだから、似てくるのも当然か。
 今後こういう集まりは、精神衛生上、ますます貴重なものになっていくかもしれない。みんな会社ではストレスがたまる一方なのだ。
 つまり社会はSFバカ話で安定している、なんて事はないよなぁ。

 さて、今度の金曜日は会社の忘年会があるし、その翌々週は3つの部署の合同忘年会がある。でもこれだけ楽しい宴会をやってしまうと、別に出なくてもいいかな、というか出たくないと思ってしまう。現在の支店の宴会は、ただ酒好きが飲むだけの「飲み会」でしかなく、会話が弾む訳でもなければ余興一つある訳でもなく、本当につまらないのだ。
 基本的に酒を飲む事自体には執着がないので、とにかく楽しい会話がない宴会には参加したくないと思う。そもそもこれでは忘年会の意味がないだろうが。

 という事を真面目に考えてしまうほどに,今回の宴会は楽しいものだった。参加者の皆さんには大感謝、である。


2006年12月01日(金) サバスとイエス

 ちょっとyoutubeで遊ぶ。
 久々にBlack Sabbathの映像が見たくなり探したのだが、なんとこれが「Paranoid」ばかりである。もちろんこれが彼らの代表曲であり、名曲だと言うのは良く判るが、多すぎる。一体何十曲出てくるのだ。
 でも同じ曲が様々なライヴで見られると、これはこれで面白い。初期から80年代までで、体格も容貌も変わっている。そしてトニー・アイオミの右手の薬指か欠損しているのが判る映像も多い。それであの演奏なのだから、やはり凄い。

 しかし「War Pigs」あたりのライヴを見ると、トニー・アイオミが一人で弾いている時、ヴォーカルのオジー・オズボーンはやる事がなくて動き回るしかなく、これがとんでもなくバカみたいに見えるのである。結局うまい見せ方を知らなかったのかも知れず、だからトニーと別れていったのかも知れない。
 いや,本当にマヌケに見えてしまうのだ。

 ところで、初めて人間椅子のファーストを聴いた時、なんだかサバスみたいだと思っていたのだが、後日彼らはサバスの信奉者だと知り妙に納得したものだ。ただのフォロワーではなく、新月や美狂乱と同じように、きちんと自分なりに消化している連中の曲は面白い。

 そして今、これを書きながらイエスの「ビッグ・ジェネレイター」を聞いているのだが、やはりイエスはいい。とにかくテクニックがしっかりしているし、ヴォーカルのジョン・アンダーソンもいい。そして曲が聞きやすいのに長めなのもいい。
 古いのも新しいのも、安心して聞ける数少ないグループだろう。


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