| 2002年05月15日(水) |
プレイバック -play back- |
どうして人は変化に対して臆病になるのだろうか、と考える。 そんなことを考える自分を自覚して、驚く。 きっと、失敗したときに元に戻れない、という心配(あるいは 予測)がはたらくからであろう。 結局のところ、失敗の大きさをどう見積もるか、にすべての判 断が帰着するように思える。しかし、人はどんなときでも後戻 りはできないのだから、永遠に真の答えなど得られない。
『恋恋蓮歩の演習』より
| 2002年05月14日(火) |
馬鹿なこと −foolish things− |
「馬鹿みたい。」
「うん、馬鹿みたいだけどさ、でも、それはそれで、割とおもしろいかも。」
「そうかな。」
「面白いことって、結局は、馬鹿みたいなことじゃない?」
『今夜はパラシュート博物館へ』より
| 2002年05月13日(月) |
矛盾 −Contradiction- |
「優しい、というのは、矛盾を許容できるという意味だよ。」
『封印再度−Who inside?−』より
| 2002年05月12日(日) |
大人 −grown-up- |
「大人になるほど、どんどん単純にむかうんだよ。」
矛盾を排除しようとするからであろう。
『数奇にして模型』 より
| 2002年05月11日(土) |
嫌い-a sensation of hatred- |
若いときにはずいぶん嫌いなものが多かった。 何かを嫌いだ、と主張することは簡単で、気持ちがよい。 本当に嫌いだったわけではない。 嫌いだと思い込むことで、自分を確保できる、そんな幻想があった。 何かを嫌いになることは、軟弱な自分には都合がよい。
若者はみな、好きなものを求めるのと同じだけのエネルギーを使って、 嫌いなものを一生懸命探している。 そうすることで、自分が明確になると信じている。
「夏のレプリカ」
「・・・私もなきたいわ」
「え?」
「子供になりたい。 駄々をこねて、 ほしいものを欲しいと主張して、 道に転がって、 大声で泣いて、 そんな子供に戻りたい」
「君はそういう子供じゃなかったじゃないか」
「今からなりたいの」
「大人でもそれをする人はいるよ」
「いるわ。でも私にはできない。 したくない気持ちのほうが強いのね。」
「したくない気持ちのほうが強いなら諦めなければ。 ありたい自分でいるためには、何かを引き渡さなければならないことが出てくる。」
「そうね・・・。でも・・・」
「何をなくしたんだい」
「何も・・・なにもなくしてないわ。ただ・・・ 私が駄々をこねなかったことで、 私が欲しいのに欲しいといわなかったことで、傷つけたかもしれない子がいるの。 私にとって大事な子だったの。 でも、、 別れのときに、泣き顔すら見せてあげられなかった。 これでまた傷つけたかもしれない。」
「いい友達だったんだね」
「友達なんかじゃなかったわ」
「誰のことかはきかないけど、僕はその子がうらやましいよ。 君の想いがその子を人からうらやましがられるような子にしている。 君の嘆きは無駄じゃないよ。 君の涙が、 流してもらった人の 誇りになることもあるよ−−−−−−−−−−−」
「なんで・・・なんで?オトナはそんなきれいごというの。
いってることとやってることが全然違うよ・・」
「そうね。 子供は夢や理想を見れるけど、大人って現実を見ちゃうのよ。
でも、大人をせめないで。
現実をみつめるのって、案外残酷なのよ・・。
でも、
きっと背いてはいけないのね・・・。」
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