Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年01月30日(金) とりあえず提出

とりあえず卒論を助教授に預けてきた。まあ、内容はともかく卒論はできあがった。それでは何の意味もないのだが。やはり事前の準備ってやつが大事なのだな。とは言え、物事は具体的でなければ行動に移せない。やろうと考えるときは、具体性を詰めなければだめだな。何を、どのようにやるのか。文書を作るときはどんな書式にするのかを考えなければ、なかなか書けるものじゃない。

と、ここまで書いたところで教授から電話がかかってきて、とりあえず出してしまえと言われた。というわけでもう一度卒論を印刷して出してきた。それから教官たち4人が読む分を印刷しろと言われたのでそれも印刷した。これだけで何百枚紙を使ったのだろう。とりあえず両面印刷にして紙をケチったが、なかなかものすごい量だ。助教授が紙を50000枚も買ってきたときは何を考えているのかと思ったが、このペースで使うのなら50000枚くらい買ってもいいのかも知れない。ただ、どう考えてもプリンタのトナーが先に尽きるが。

ろくに見てもらわずに提出したので、おそらくこれから修正が入りまくることだろう。いったいどこまで直すことができるのか。理系の論文なのに数値の裏づけがないってのも…。ただ、シミュレータを作って、当初計画した機能があるかないかという評価をしているから、数値を使おうとすると何らかのこじ付けが必須になるわけだが。しかし、それでもきっと数値は必要なのだろうな。本質的な部分はともかく、形式的に問題があろう。そもそも、数値で評価できない設計が問題なのかもしれないが。

まあ、反省材料は山のようにある。一度整理して反省し、今後に生かさなければなるまい。でないと、大学院を卒業できない可能性が高い。ソフトウェアの開発で論文を書くというのはなかなか難しそうに感じる。他のテーマで論文を書いていないから何とも言えないわけだが、そもそも、ソフトウェアを使えばいろいろと論じることもあるわけだが、開発そのものについてどれほど論じる材料があるというのだろう。もちろん、開発の手法などは考える余地が多分にあるだろうが、そんなことは問題にしていない。結局、修士までのつなぎだからこんなことになってしまったのだろうな。まあ、論文はともかく、いいソフトが作れればそれでいいとしよう。

そもそも僕は、大学院へ行きたいと思ったのは、ソフトウェアの勉強がしたいからだ。なにも論理的な思考力を養ったり、ましてや論文を書いたりするためではない。つまり、僕の本来の目的から言えば論文を書くことは卒業するためにはやらざるをえないことであるわけだ。まあ、論文に苦労するあまり、本来の目的を見失わないようにしなければ。しかし、大学院でソフトウェアの勉強ということ自体、そもそも進路の設計を誤った気がする。とは言え、すでに取り返しのつく問題ではない。今から変更するとなれば多くの問題が予想される。入学金がもったいないし。大学院で得られるものはいろいろあるだろう。重要なのは、大学院に入ったからって研究をするのではなく、本来の自分の目的を見失わないことだろう。



2004年01月28日(水) 本質と形式

人は、その才能を社会にうずめる。多くの場合、才能は認められることなく組織の論理の中に消え去っていく。人が多く集まれば力になることは確かだろう。だがその一方で、人が集まったとき、その力が加算されずに中途半端な増え方をするのも確かだろう。だから人は、その才能を秘して見せないか、あるいは別の場所で見せつける。それは人によってさまざまだろう。だが、それを垣間見る機会を得ると、その力の大きさに目もくらむ思いがする。世の中には、社交辞令も礼儀もなく、ただ本質のみを議論できる場所があるのだ。その議論で問題になるのは本質と表現だけだ。人格が問題になることなどない。ましてや人間関係など、その議論においてはもっともどうでもいいことだ。難しい問題を定型化し、片付ける能力に長けた人間は必ずいるのだ。彼らの感覚に慣れると自分の無力を実感する。だが、彼らのやり方を真似ることはできる。

ここで言っているのは匿名掲示板の話だ。だが、このような場はほかにいくらでもあることだろう。そして、このような場で用いられる議論は、ことごとく公式の場では使えない。一部は応用できるだろうが、多くの場合、本質を捉えているにもかかわらず、その形式のために一笑に付される。本当に本質的で、かつ建設的な議論は、社会生活の場では無理なのだ。自分の生活がかかり、人生がかかり、場合によっては家族がかかり、自分のプライドも面子もかかる。社会での議論はおよそ本質とかけ離れた要素が数多くかかわりすぎる。本質を議論する前にそのような問題を解決しなければならない。社会生活という大きな問題を解決する上では、生活も人生も、すべて重要な問題だ。だから、社会生活上における問題解決では、社会生活の問題を考慮した上で、自分のあたっている問題を解決しなければならない。取り組んでいる問題とは関係ない儀礼や形式、その他クリアしておくべき項目は多いのだ。社会生活に拘束された議論になど、建設的な解決を期待すべきではない。社会を守るために行われる議論は、究極的にそのすべては社会のための結論となる。議論においては、社会に反する結論、および過程は受け入れられないのだ。本当に建設的な議論は、このような制約のない環境で行われるべきなのだ。

難しい定義は「テンプレ」を用いる。情報交換にもその情報の定義として「テンプレ」を用いる。それが便利であることがすべてだ。用いる理由について述べる必要はない。用語も響きがすべてであり、分かりやすさにこだわったり日本語としての美しさにこだわることなどない。分からないのならば議論に参加しなければいいのだ。

それはそれとして、Sara鯖のチャット鯖、いいかげん直ったのかな…。



2004年01月25日(日) 松井来襲?

全然更新していない…。卒論締め切りが近い割には、そんなに卒論に時間を費やしていないのだが。日記を書くような気分の余裕がないんだよなあ。

ところで、先週の水曜日に、うちの大学に松井が来ているのを見た。僕の目が腐っていなければ、ヤンキースの松井秀樹選手である。何が楽しくてうちの大学なんぞに来ているのかと思ったが、どうやら、単に体を動かしに来ただけらしい。まあ、確かに日本にいる限りどこかでトレーニングしなければならないわけで、それがたまたまうちの大学であったからってそれほど不思議なことでもないのだが。にしても、仮にも国立大の土地を使っているのだから、それなりにお金だってかかっているに違いない。まあ、そんなことに不自由するような生活をしているとは思えないが。

さすがに久しぶりに書くとなかなかスムーズに指が動く。毎日書いていると、だんだん勢いが枯渇してくるが…。なんだかんだでキーを叩くのは好きだったりするのだ。単に書くことがないだけで…。やっぱりROの日記にするかな…。

そう言えば、NHKのクローズアップ現代でオンラインゲームの特集をやっていたらしい。録画し忘れたが、僕なんて、まさにそういう番組で取り上げられるような存在なのだろうな。別に人生の目標なんてないからな…。ふーむ。

で、その中身だが、BSをセッションに移してから全然レベルを上げていない。それまでBSのほうがレベルが高かったのに、いつの間にかプリが追い越してしまった。やっぱり、なじみのある人たちのいるギルドの方がいいんだよな、どうしても。まあ、セッションも決して悪くはないのだが…。なんか情報調べてみるといつの間にか強豪になってるし…。僕なんかが入れるのに強豪とは…、とも思うが、まあ、そんなものなのだろう。知人がLokiでウィザードをやっているが、そちらの方は、軒並み95以上でオーラだけで7人とか8人とか言うしなあ。やっぱり旧鯖と中期鯖には差があるということなのだろう。このまま進めば、中期鯖も旧鯖と同じ道を歩むのかも知れないが。



2004年01月14日(水) 卒論

うーん。そろそろスパートの時期だが、さっぱりやる気が出ない。土日から月曜まで思い切り休んだし…。まあ、今日は考えがまとまったから良しとするかな。これで考えるのは終了だ。あとは事務的に書くのみ。キーを叩くスピードには自信があるから、とりあえず書くだけならできそうだ。文章表現とか、問題は山のようにあるが、気にする前に書かねば終わらない。表現なんてのはすでに形になった論文ができてから考えるべきだろう。でなければ、最後まで終わらないということになりかねない。

あとの問題は、うちの教授はとことん図を重視するから、図を描かねばならないということ。図を重視することはまあ、僕も同意するのだが。確かに、よい文章なら図など要らないかもしれない。しかし、へたくそな文章をたらたらと並べるくらいなら、図を一発載せたほうが早いというものだ。それ以外の問題として、そもそもソフトウェア開発では、日本語で表現するより図で表現することを優先する傾向が見られる。日本語はソフトウェア開発のための言語ではない。そして、ソフトウェア開発のための図示の方法は提示されている。したがって、そちらを使うほうが一般的で、理解しやすいと考えられるのだ。相手がソフトウェアの専門家でなければそうとも限らないが、そんなことは知ったことではない。UMLの図は僕のへたくそな文章よりずっと分かりやすいと思う。UMLはUniformed Modeling Languageの略であり、れっきとした記法だ。すなわち、「見る」ものではなく「読む」ものだ。これをきちんと提示できれば、図を中心とした論文でも問題はないだろう。たとえこの点をきちんと言えなかったとしても、この研究室にいて、かつこの教授が指導している限り、図を中心とした論文を書くことは必須なのだ。

僕のいる研究室では、論文の書き方として、まず図を並べ、その図に対する説明を書き、図と説明のセットを並び替えて論文を構成する、という方法を指導している。あまり他では聞かない方法だが、僕は有用だと思う。何より、比較的簡単で混乱しにくい。論文を書いている人間が混乱しているようでは、読むほうはますます混乱する。書くほうは簡単すぎて物足りないくらいであるのが、読むほうにとってはちょうどいいだろう。

まあ、とにかく図を用意することだ。すべての図を用意すれば、この方法で言えば半分完成したようなものなのだから…。



2004年01月07日(水) 防衛成功

最近書いてないので短めに。7時半に起きなきゃいけないのにもう3時だし。

GvG、また防衛成功しました。そんなことしか書くことがないのか、と。課題もありましたが、議論は盛り上がってるし次回はきちんと対策できるでしょう。新2次職のスキルに興味があります。LPとか張れたら攻撃側楽しいでしょうね。それにしても、攻城戦戦略については、卒論よりも深く真剣に考えている自分がいたりします。目的は明確、手段も限られているし理論も限られている。問題点もおおむね明らかです。だから、とても考えやすいんですね。やはり、自分の知っていることに関しては思索が進むというものです。

防衛している限りは攻城できないわけです。少し寂しいですが、仕方のないことでしょうね。欲求不満を溜めておいた方が、後々楽しめるでしょう。というか、卒論がそろそろ佳境なのでこの辺は後回しにしてもらった方が好都合だったりします。


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