夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年05月30日(日) 昼下がりの、そして夕暮れ時の、朗読ライブなのだ

 今日の午後は、詩の朗読会「ぽえ茶」。
 今日、自作の詩は用意していなかった。自作以外のものをやってみたかったからね。
 で、1巡目は、山之口獏の詩「鮪に鰯」に高田渡が曲をつけたものを演奏した。山之口獏、彼の詩を読む度に、本当に素晴らしい「吟遊詩人」だと思う。
 2巡目は、大崎善生『将棋の子』というノンフィクション作品の一節を朗読。この作品は、プロの棋士を目指してしのぎを削る若者たちの姿、夢破れた若者たちのその後の人生に肉薄した作品だ。どの世界においても頂点を目指す者たちには、非情なまでの試練が待ち受けている。けれども、リスクを負いながらも夢に賭けるプロセスのなかで、人は自信や誇りといったものを受け取ることもできるのだ。この『将棋の子』はとても読みごたえのある作品なので、一読を薦めたい。
 3巡目では、中島みゆきの「うらみます」を演奏。「失恋歌」と言えば、やはり中島みゆきだよね。
 4巡目、「ぽえ茶」の主催者でもある林本さんの最新作「水たまり」を、夏撃波流解釈で朗読({ギター演奏」付き)。

 「ぽえ茶」終了後、いつものうどん屋で夕食を済ませた後、熱田区某所でストリート・ライブ決行(15分ぐらいか?)。
 帰宅後、体は疲れていたのか、気がつくと寝ていた。



2004年05月27日(木) 国際交流と即席ライブの夜

 23日の「鳥(Bird)セッション」あたりから何となく体が少しだるい感じだ。あの前後、仕事などでもちょっとバタバタしてたからね。今日も仕事は休みだったが、何もやる気が起こらず、家でゴロゴロしていた。
 そんな私だが、夕方から「詩のあるくちびる・サランサラム」へ出掛けると、元気が出てくる。場所は、八事の「POPCORN」。
 今日、朗読した作品は「イマジン2003・夏撃波版」。ジョン・レノンの「イマジン」を下敷きに、今日の世界情勢(主に、イラク情勢)を詠み込んだ作品だ。

  想像してごらん
  地上は地獄の苦しみで満たされている
  民衆は空爆の下を逃げまどい
  アメリカ兵は恐怖におののき
  権力者は高笑いをする

  想像してごらん
  人はまるはだかで生まれてくる
  民族も宗教も国家も関係なく
  銃弾には血を流し
  悲しみに涙を流す
 
  アメリカの暴走を
  世界の狂気を
  人々の悲しみを
  一体誰が止められるというのか

 朗読の後、ギター弾き語りでジョンの「イマジン」を歌った。今日の世界情勢を盛り込むとつい絶望的な詩になってしまうのだが、ジョンの「イマジン」では希望が語られている。どこかで希望を持ち続けたいとも思う。
 で、その流れとは関係ないのだが、その後浅川マキの「朝日楼」という歌を演奏。私自身が得意とするブルースの名曲だ(本歌は、マニマルズが歌っていた「朝日のあたる家」)。

 ひととおり、皆の朗読が終わってくつろいでいると、それまで隅で「朗読」を聴いていたポーランド人の男性が寄ってきて、「もう一度何か演奏して欲しい」と訴えてくる。その時間、店には「サランサラム」参加者の他にもお客さんがいたのでどうかとも思ったのだが、他のお客さんにもひとこと断り、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を演奏した。
 演奏を終えると、他のお客さんや店員さんからも拍手をいただいた。意外な反応にすっかり気をよくした私は、その後2曲演奏した。ほんの束の間、自分がスターになったような気分だった。やはりリアクションがあるとうれしい。
 今後も演奏できる場所があれば、どんどん演奏もしていきたい。名付けて、夏撃波的フォークゲリラ、だ。



2004年05月23日(日) 詩のセッション「鳥(Bird)」

 本日午後、熱田「神宮茶屋」にて、みおよしき&夏撃波「鳥(Bird)セッション」を開催。

 まず、前半は「競作」。みおさんと私がそれぞれに朗読(フリー作品1篇、「5月」というテーマで1篇、「愛と平和」というテーマで1篇)。
 みお作品第1弾「コイズミが日本国憲法を読んでいる」は痛烈な小泉首相批判になっていた。第2弾は、うって変わって風薫る5月を詠み込んだ叙情的な詩「咲いている」。第3弾は、第1弾とも通ずるが、「イラクへの自衛隊派遣」をモチーフとした作品だろうか。題して「おかん2004」。みお流のユーモアを交えながら「愛と平和」を詠んでられた。
 対する私は、フリーでまず「映画『息子のまなざし』予告編・夏撃波バージョン」を発表。今年の2月か3月に劇場公開された『息子のまなざし』だが、すでにビデオレンタルも開始されている。重いテーマを扱っているが、ぜひ観ていただきたい作品である。
 「5月」の課題詩では、「5月の風に吹かれて」という新作を発表した。5月は私の誕生月であり、好きな季節でもある。そして誕生日の5月24日は、あのボブ・ディランの誕生日でもあった。ボブ・ディランの「風に吹かれて」を意識して今日の世界情勢を詠み込んだ結果、きな臭さが漂う「5月の風」の詩になった。ボブ・ディランの曲名を詩のなかに詠み込み、最後に「風に吹かれて」を演奏した。
 「愛と平和」の課題詩では、「シェークスピア『真夏の夜の夢』・夏撃波版」を発表。途中で『ロミオとジュリエット』が登場し、今日における「ロミオとジュリエット」の悲劇の物語をも歌い込んでみた。
 こうして見てみると、私自身いろんなものに触発されて詩を書いていることに気づかされる。

 後半は、みおさんと私の「共作」を発表。詩的表現を用いながらの「往復書簡」(メールでのやりとりですが)により、ひとつの「詩」が誕生した。本人たちは「連詩」のつもりだが。私がギターその他の楽器を演奏しながら、それぞれのパートを朗読。結局、朗読時間30分にも及んでしまった。「セッション」の名にふさわしい企画を、ということで「共作」に取り組んでみたのだが、その成果はどうだったのか。この取り組み自体は面白かったし、好意的に受け止めてくださる方が多かったのだが、今後もっともっといい表現ができるよう精進していきたいと思う。

 セッション終了後は、セッションを観に来てくださった方のなかから、詩の朗読者を募り、何人かにその場で朗読していただいた。芝居仲間の真貴誉さんも今回初めて参加され、朗読してくれた。

 今回のセッション、いい経験にはなった。今年の後半にソロライブ「花も嵐も踏み越えて」を開催予定、また来年の前半に「ひとり芝居」をやりたいとも思っているのだが、もっともっといい作品を作っていきたい。



2004年05月19日(水) 夏撃波ミニライブ

 23日の「鳥(Bird)セッション」に向け、みおよしきさんと練習を行う。課題詩も何とか間に合わすことができた。

 練習の後、本日の「詩の夕べ」会場である「空色曲玉」へ移動。腹ごしらえを終え、「詩の夕べ」が始まるまでの間、30分弱「夏撃波ミニライブ」を行った。自己流ではあるがギターが弾け、歌にも自信があったので、こんなことをやってみたかったのだ。
 今日は、ユーミン、井上陽水、頭脳警察、早川義夫などの曲を演奏した。お客さんは少なかったが、とても緊張して高音が出にくかった。3曲目ぐらいからペースを取り戻し、あとは一気に歌いきった。とてもいい経験にはなった。また、こんな機会も多く持ちたいものだ。

 さて、「詩の夕べ」では、みおさんの「はよしんでください」を朗読させていただいたり、自作の詩2篇(「たたかう蝶」「映画『息子のまなざし』予告編・夏撃波バージョン)を発表した。今日は参加者が少なかったが、少ない時は少ないなりに交流もでき、毎回違った出会いがあるように思った。



2004年05月18日(火) コロッケ

 今日、ものまねで有名な「コロッケ」の特別公演を観てきました。私の現在の勤務先である福祉施設あてに招待券が届き、今回私もその恩恵を受けたのです。
 第1部が時代劇風の芝居、第2部がものまねショーでした。まあ、私の指向する表現の方向とはまったく違う質のものではありますが、十分に楽しめる内容でした。コロッケのものまねの実力はあらためて言うまでもありませんが、第1部の芝居にしても「下手な小劇場系演劇」を観るよりはるかにいいと思いました。
 「小劇場系演劇」も「生きた芝居」であれば、あのライブ感覚がたまらないのですが、「つまらない芝居」だと観客側としては苦痛以外の何ものでもありません。御園座や中日劇場等で行われる「商業演劇」からも学ぶべきものは多いと思います。少なくとも独り善がりでしかない「下手な小劇場系演劇」なんかよりずっといいことだけは確かです。



2004年05月17日(月) 「熱海殺人事件」

 高校時代の3年間、私は演劇部で活動していました。それから長いブランクがあって、再び舞台を踏んだのは30歳を過ぎてからでした。今思えば、3年間の高校演劇時代は「おままごと」でしかなかったのかもしれませんが、当時としては精一杯やってたつもりでした。ただ、素人集団に等しかったわが演劇部には、演出とか批評の目は乏しかったと思います。
 そんな高校生の頃、野田秀樹や鴻上尚司がまだ無名だった頃です。当時の演劇界を席巻していたのが、つかこうへいでした。つかこうへい原作作品や「つかこうへい」もどきの演劇は、まさしくイヤになるほど観ました(あと、あの頃、北村想もちょっとしたブームでした)。でも、つか自身の演出作品は観たことがありませんでした。
 今日、北区つかこうへい劇団公演『熱海殺人事件〜平壌から来た女刑事〜』を観てきました。つか演出作品を生で観るのは今回が初めてでした。今回のつか作品、ホンとしての面白さは感じました。ただ、役者の力不足は随所に感じられました。
 冒頭、2人の男が怒鳴り合い、畳みかけるようにセリフを発しますが、何を言っているのか聞き取りづらく、「舞台上で勝手に怒鳴り合っている」という印象でした。あれがもうちょっと力のある役者であれば、迫力が感じられ、一気に芝居に引き込まれたのでしょうが。それでも、舞台上の役者もしだいに自身のリズムを取り戻しつつあったようでもあり、観客側である私の方もその雰囲気にしだいに慣れていきました。まあ、チケット代2千円という値段を思えば、こんなものかなあ、とも思い、決して悪い印象ばかりではありませんでした。
 力のある役者が一人いるかいないかで芝居の質は違ってくるものでしょうけどね。でも、つかの芝居ならば、もっと凄みが感じられるとよかった。そんなふうに感じました。



2004年05月16日(日) カポエラ

 昼、熱田「神宮茶屋」へ23日の「詩のセッション」の「下見」へ。
 
 その後、名古屋市中スポーツセンターへ行き、カポエラの「体験レッスン」を受けた。ブラジル生まれの護身術・カポエラ、一見するとダンスのように見える。講師の方の動きはムダがなく、<たたかう蝶>のように美しい。
 私も体を動かしてみるが、日頃の運動不足がたたって、すぐに息があがってしまう。カポエラとは程遠い動きだったと思うが、とても面白かった。できれば続けて、少しでも美しい動きができるようになりたいと思った。

 中スポーツセンターをあとにして、千種のオーガニック・レストラン「空色曲玉」へ。オーナーさんと話し合い、急遽19日夜に「夏撃波ミニライブ」を行うことになった。当日は、ユーミン、陽水などを取り上げる予定だ。



2004年05月14日(金) 星のフラメンコ

 私、フラメンコも大好きなんですね。で、今日はマリア・パヘス舞踊団のフラメンコ公演を観に行きました。
 マリア・パヘスのフラメンコ、体の動きはとてもしなやかなのに、もの凄く力強いダンスでした。前半は、フラメンコ以外のジャンルの音楽を題材に採りながら、フラメンコの枠にとらわれないスケールの大きいダンスが展開されていました。後半は、うって変わってディープなフラメンコでしたが、<伝統>と<革新>という相反する世界が絶妙なバランスで表現されていたように思います。
 思わず、DVDやCD、パンフを購入しました。パンフには、マリア・パヘスのインタビューも掲載されていました。世界情勢にも思いを馳せ、次のようなコメントを寄せています。

  あたかもそれが解決策のように戦争が持ち
 上がる世界、私たちが住むこの馬鹿げた世界
 には、無理解がはびこり、会話がないの。戦
 争は解決ではない。解決は人類のもとにある
 のよ。人間の能力、感動、感情の中にね。芸
 術は話し合い、互いに理解し合い、感動し、
 合意に達し、そして破壊でしかない戦争のよ
 うなすべての惨状回避の役に立つ、人間が
 持つひとつの手段だと思う。

 この発言のなかからも、フラメンコ・ダンサーとしての誇りがうかがえます。そうした姿勢が、しなやかでありながら力強く美しいダンスに反映されているのかもしれません。



2004年05月12日(水) 秘密練習の夜(?)

 今月23日に開催の「みおよしき&夏撃波“鳥(Bird)”セッション」(詩のセッション)に向けて、本日夕方「劇団pHー7」稽古場にて秘密練習を行った。当日と当日に向けた準備などについての打ち合わせをした後で、朗読の練習をし、手応えを確かめる。実際に声に出して詩を読んでみることで気づく点も少なくなかった。2回目の練習日を決め、その日までに、作品づくりと個別に練習をしておくことを確認。
 あと10日ほどで本番を迎えるんだな〜。詩を練り直して、ギターもしっかり練習して当日に望みたいと思う。



2004年05月04日(火) 政治の空洞

 イラク駐留米軍によるイラク人虐待の事実が明るみとなり、アメリカの不正義が白日の下に晒された。戦争の「大義」すら破綻しているのは既に明らかなのに、日本政府は依然アメリカを支持し続けている。そればかりか、「イラク日本人人質事件」被害者に対して巻き起こった「自己責任論」は、国際社会の笑い者となった。
 思えば、2001年9月11日に起きたニューヨーク「同時多発テロ」は世界じゅうを震撼させたが、今日イラクにおいて展開されている米軍の攻撃はそれをも上回る「国家によるテロ」ではないのか。ブッシュのイラク政策の誤りは、アメリカを再びテロの標的とし、アメリカ国民を新たなテロに対する恐怖へと引きずり込んでいく。そして、同様のことは日本にもあてはまる。
 あらためて「日本人人質」への日本政府の対応について申し述べたいことがある。「犯行声明文」にも書かれたとおり「自衛隊のイラク派遣」と「日本人人質事件」との間には当然因果関係がある。今なお自衛隊をイラクに駐留させ、アメリカを支持する日本政府の姿勢が変わらない限り、今後も「日本人を標的とした事件」が起きる可能性は十分ある。そして、それが日本国内で起きる可能性も否定できない(実際、「テロ予告」はあるのだから)。仮にそのような事態が発生した場合、日本政府は自らの責任についてどのように言及するのだろうか。
 今回の「人質事件」について、自らの責任を棚上げしておいて、責任のすべてを「被害者」に押しつける日本のトップたち。その見識を疑わずにはいられない。ついでに言ってしまえば、「年金未払い」が明るみに出た福田官房長官なんぞが「人質」に「自己責任」を求めるとは笑止千万(「年金未払い」については、民主党・菅直人代表も非常にカッコ悪かった)。まあ、一応は国民によって選ばれたには違いないのだろうが、そんな程度の政治家に日本の命運が託されているということだけは認識しておいたほうがよさそうだ。
 そもそも政治に求められるべきものは何であろう。利害の対立を調整して戦争を回避していくことが政治の重要な使命ではないのか。ところが、ブッシュも小泉も安易な道を進んでしまい、しかも反省することが一切ないときている。一般市民も政治の本来の役割についてもう一度見つめ直すべきではないだろうか。


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