夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年01月31日(金) 「障害者はおまえだ」

 今週はちょっと忙しくてアッという間に過ぎた感じだ。2月中旬に有給休暇をとったうえで、「宝塚歌劇団・月組」名古屋公演のチケットをゲットしてきた。なんせ土日は満席だったもんで。忙しくたって、俺は遊ぶぜ〜。

 帰宅後、インターネット・オークションで落札したビデオ「障害者はおまえだ」を観た。これは天願大介監督によるものだが、障害者プロレス「ドッグレックス」の元レスラー・浪貝のバンド活動(バンド名は「つめ隊」)がおさめられている。渋谷のクラブ・クアトロでのライブの模様や、ところどころに「障害者プロレス」の一場面が流れる。曲目は「障害者年金ブルース」「障害者はおまえだ」等。
 実は、はるか昔、浪貝と俺は、さるボランティア団体の活動で出会っていた。はじめは熱心に活動に参加していた俺も、しだいにその活動に疑問を感じるようになり、離れていった(いつまでたっても障害者を子供扱いしているような雰囲気があって、活動が健常者側の「自己満足」でしかないように思えたのだ)。だから、それ以来浪貝とは会っていなかった。
 ところが、数年後に浪貝が数人で「障害者プロレス」を立ち上げたとの情報を得た。その話に最初は戸惑いを覚えたが、「障害者プロレス」の全貌が明らかになるにつれ、大いに興味をもつようになった。仲間うちで「障害者プロレス」を名古屋に呼ぼうという話が持ち上がり、東京まで彼らに会いに行った。そこで浪貝と再会を果たした(まさかそんな形で再会しようとは思ってもみないことだった)。その1年後、「障害者プロレス」名古屋興行は実現した。試合と試合の間に「つめ隊」のミニライブを行なったが、浪貝の存在感に圧倒された。浪貝には言語障害もあり歌詞が聞き取れないし、どちらかというと歌は下手だと言って差し支えないが、そんなことはどうだってよかった。観客を惹きつける何かが浪貝にはあった。その後浪貝は「障害者プロレス」を引退してしまったので、今はその勇姿を見ることはない。今頃どうしていることやら。
 あの時から「障害者プロレス」は、俺にとってある種の「目標」となったのだ。いつかあれを超えてやろう、と心の片隅で思っていた。ビデオを観ながら、再び自らの内にたぎる思いを感じる俺だった。



2003年01月25日(土) 時の過ぎゆくままに

 昼、七ツ寺プロデュース『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー・作、寂光根隅的父・演出)を観劇。諸般の事情により、「万有引力」の芝居を(ついでに「障害者プロレス」も)見逃したので、新年初めての観劇となる。結論的に言えば、個人的には面白かった。でも、難解と言えば難解でもあり、一般的な評価としてはどうなのかは何とも言えない。
 少し細かく言おう。まず、ホンについて。私は原作を読んだことがあるが、テキストとしてそれ自体面白いとは思った。
 演出についてはいかようにもやりようはあったと思うし、注文をつけだしたらキリはない。劇場に入ると、舞台を囲むようにして客席は3つのエリアに分かれていた。役者の登場は4方向から。で、開場後は開演までパフォーマンスが行われていたのだが(役者は、まるで観客やスタッフが出入りするように入っては退場するのを繰り返しつつ、時折芝居めいたことをしていた)、その段階で私は一抹の不安を感じていた。何かこなれてない感じだったんでね。でも、開演後、その不安は払拭された。演出的には、まあまあ面白かったと思う。何となく、太田省吾演出の沈黙劇を思わせるようなシーンもあったりして・・・。
 でも、やや物足りなさもあった。芝居の終わりが何ともあっけなかった。というか、「えっ、終わったの?」って感じ。それは、他の観客も同様に感じたはず。拍手はなく、スタッフの「終わりです」の言葉でみんな立ち上がっていたからね。
 それ以上に物足りなかったのは、主演を除いて役者一人ひとりの個性が感じられなかったという点だ。この芝居のチラシを目にして以来、私はソウモウシャの川瀬さんが主役を演ずるものと思い込んでいた。ところが、主演は新人の方(新人にしてはよかったと思うのだが)、川瀬さんを起用した意味が私には見いだせなかったな。
 後で思ったのだが、私はこの『ハムレットマシーン』を「演劇」としてというよりは「パフォーマンス」として観ていたことに気づいた(わかるかな?)。

 夜、今池のライブハウス「TOKUZO」でカルメン・マキのライブを観た。往年のヒット曲「時には母のない子のように」も歌われた。「寺山修司つながり」でついつい浅川マキと比較して見てしまったのだが、私のなかでは浅川マキのほうがどうしてもまさってしまうのだ(貫禄といい、アングラ具合といい)。もちろん、カルメン・マキだって悪くはなかったけどね。

 久しぶりに「劇団pH-7地下劇場」に立ち寄る。4月公演のキャスティングが決定し、これから稽古が本格化する。何度も言うが、今回私は裏方に回る。
 職場の仕事もこの時期は忙しい。まあ、休日は極力英気を養うようにしているけど。正直なところ、仕事だけじゃ息が詰まるからね。
 何だかんだ言って、今年も1ヶ月が過ぎ去ろうとしている・・・。



2003年01月24日(金) 自分の名前を大切に

 昨日、今日と、仕事絡みで大阪に出掛けていた。施設の一泊旅行で、いわくつきのUSJ(スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンらのそっくりさんによるパフォーマンスなどをやっていたが、お客は少なかった)、吉本のショー(新喜劇は時間がなくて観られなかった)などを見て歩いた。仕事で行く旅行と、プライベートで行くそれとは違うので、そこのところは誤解なきよう。何だかんだと気を遣うところは多い。まあ、それが仕事と言えば仕事なのだから致し方ないのだけれど。
 名古屋に戻ってから余力があれば、B級遊撃隊の芝居を観に行こうとも思っていたが、疲れがたまっていたので諦めて帰宅した。

 帰宅後、テレビで金曜ロードショーを観た。宮崎駿監督による映画『千と千尋の神隠し』だ。この映画は以前映画館で観てはいたが、今回あらためて観てさらに深い感動を味わった。宮崎映画の魅力については多くの人が語っているが、誰にも見やすく、それでいて薄っぺらでないテーマを含んでいる点が大きいと思う(現代文明批判が随所にちりばめられ、人間の生き方について考えさせられる)。
 『千と千尋の神隠し』についてはいろいろと語りたいところだが、今日のところは一点にしぼりたいと思う。ストーリーを単純化して言えばこうだ。主人公・千尋はある日「神々が疲れを癒しに来る場所」に迷い込み、湯婆婆という魔女によって名前を奪われ、千と呼ばれるようになる。その彼女が自分の名前を取り戻すプロセスがこのドラマで描かれている。そして、ところどころで「自分の名前を大切にするんだよ」というセリフが聞かれる。その意味について私なりに感ずるところを綴ってみたい。
 「自分の名前」は、ある意味で他者とを峻別する便宜的な「符号」にすぎないとも言える。だが、「名前」の持つ意味とはそればかりではなかった。この世に生を受け名を受けた人間が固有の名を持つその人と出会う瞬間、あるいはお互いの存在を確かめ合うために、お互いの名を呼び合わなければならなかった(例えば、「北朝鮮拉致被害者」本人と家族の再会に際して)。そして、固有の名前には、固有の歴史がある。つまり、自らの名前は自らのルーツ(根)を示すものでもあったはずだ。
 とすれば、自らの名を奪われるとはいかなることか、もはや言うまでもあるまい。かつて「大日本帝国」が朝鮮民族に対しておこなった「創氏改名」がどれほどの犯罪行為であるかということも。それから、日本におけるハンセン病差別の歴史(数多くの人が故郷を追われ、本名を抹消させられた)にも思いを馳せる。それらは単に過去の過ちなどではなく、現在も未解決の問題なのだ。
 一人ひとりの人間につけられた「固有名詞」たる名前は、他の何ものにも代えがたい存在の尊さを教えてくれているのかもしれない。



2003年01月20日(月) 引き際って難しいんですね

 「貴乃花引退」とのこと。まあ、致し方ないでしょう。結果を出してナンボの世界ですからね(芝居もそうと言えばそうなんだが)。「平成の大横綱」とか何とか? でも、私は貴乃花のことを「強い」と思ったことは一度もないんだな(全盛期の頃の小錦とか曙とかには強さを感じたことはあったけど)。私の記憶に残る大横綱と言えば、北の湖になるんだな。あの強さは、子供心に憎らしく感じたほどだった。北の湖に敵う相手は当分出てこないだろうとさえ感じていた(ボクシングに置き換えてみれば、全盛期のマイク・タイソンに匹敵するくらいの強さだろうか)。貴乃花に話を戻すと、引き際ってホント難しいよな(それにしても、大相撲はこれからどうなっていくことやら)。

 引き際に関連して、名古屋の某有名劇団解散のニュース(1月上旬の中日新聞にもその記事は載った)について。まあ、その劇団が解散することについて、私には特別の感慨はないが、新聞記事に書かれた内容が引っ掛かった。何でも解散の理由として挙げられていたのが「不況のため客足が減った」といった内容だ。バカも休み休み言えってんだよな。解散の第一の理由が「不況」だなんて問題のすり替えだろ。「客が入らなくなった」のは「不況のせい」以上の理由があるだろ。はっきり言って、あんた(K)のホンつまんないし(昔は面白かったけどね)、この前の芝居かったるかったぜ。「不況のせい」にするなんて、往生際が悪いというか、底の浅さを感じさせて、この上なくカッコ悪いよ。
 こんな惨めな引き際だけは避けたいね。

 私は、仕事との兼ね合いでしばらく舞台を離れることになるが、現役を引退したつもりはない。いつかまた舞台に戻れる日を心待ちにしている。その一方で、ただ単に舞台に立つことだけを目的化したくないとも思っている。あくまでも(劇場に足を運んでくださる)お客さんあっての舞台であり、感動を与えうる何かをもって舞台に立ち続けたいと願っている。そうした気迫が失われた時が舞台を去る時であり、その姿勢がお客さんに対するせめてもの誠意ではないかと思うのだ。自分をごまかさず、真実をみつめるということ。それは時に大変辛いことではあるが、それが他人のためでもあり、自分のためでもある。
 反面教師から教わることもあるが、おもしろい芝居を観ることでより多くを学んでいきたいとも思っている(今月末、七ツ寺プロデュース『ハムレット・マシーン』を観に行く予定。もし余裕があれば、B級遊撃隊『消しゴム』も観に行きたいが)。

 



2003年01月16日(木) 「地上の星」

 巷では、中島みゆきの「地上の星」が流行り、オリコン1位に輝いたそうな。何でも「サラリーマンの応援歌」とされているみたいだけど、20年来の「みゆきファン」としては違和感を感じずにはいられない。
 私が高校生の頃、中島みゆきは「ふられ女の歌」ばかりを歌ってるヤツ、「みゆきファン」はネクラ、とレッテルを貼られたもんさ(ちなみに、私があの頃よく聴いていたのは、オフコース・さだまさし・中島みゆき等であった)。それが、この前の「紅白歌合戦」では中島みゆき登場シーンが一番の見どころとされていた。隔世の感があるね。
 「地上の星」が流行るのも(「プロジェクトX」というNHKの番組が熱心に視聴されるのも)、実のところ出口の見えない日本の今日的状況を反映しているように思われる。繁栄の時代を懐かしむような、そこにしか救いを求められないでいるようなメンタリティが見え隠れする。時代が違えば、「地上の星」もきっと違った解釈がなされたであろうし、そうすると今みたいにヒットしてなかったかもしれない。そんなふうに考えるとせつなくなってしまう。確かに、「地上の星」はいい曲だけどね。中島みゆきは他にも数々の名曲を生み出しているんだよ。
 とか言いながら、実は、彼女のコンサートに行ったことはない。「夜会」とかも見てみたいよな。
 いい歌ってのは、生命力を与えてくれるんだよね。その意味でも、いい歌を心ゆくまで聴こう。いい芝居をいっぱい観よう。そして、歓喜に満ちあふれた人生をつかみとろうではないか。



2003年01月15日(水) こんな時代だからこそ

 今日は有給休暇。でも、体調がよろしくなくて、午前中はゆっくり起きて病院へ。早く風邪を治さなくては。
 とか言いながら、今晩は今池のライブハウス「TOKUZO」に行った。「在日コリアン歌手」朴保のライブへ。2月にシネマスコーレで封切られる映画「夜を賭けて」の音楽監督であり、テーマソングも歌っている朴保だが、その歌はとてもソウルフルだ。ところで、その映画「夜を賭けて」(原作:梁石日)のメガホンを取るのが、「新宿梁山泊」の主宰・金守珍である。終戦直後の大阪の「朝鮮人部落」に生きる人々の姿を描いたこの作品、主演は山本太郎だが、共演者が個性派揃いだ。樹木希林、李麗仙、六平直政、大久保鷹、不破万作、唐十郎・・・。早速、映画の前売券を購入しちまった。それと、朴保のCDもね(CDショップでは入手できなかった)。

 年末ジャンボ宝くじは今回もはずればかり。ということで、職場の仕事は辞められない。給料は上がらないどころか、少し下がるようだというのに、仕事は忙しくなる一方で、状況は年々厳しくなるばかり。まあ、厳しくなるのは何も私ばかりではない。その分、貧しい人達が少しでも潤うというのなら、まだ救われるのだが、状況はその逆で「貧しき者はさらに貧しく」「富める者はますます潤う」という構図が見て取れる。
 日本経済は当分回復せず、社会不安は増す一方だろう。内政がうまくいかない時、国民の不満を逸らすために為政者がとる手段と言えば、「スケープゴート」をつくり出すこと。例えば、イラク。例えば、北朝鮮。何が真実なのか、集団的ヒステリーに押し流されることなく、物事を冷静に見つめる目だけは失わないようにしなければ。
 厳しい時代であり、荒廃した世界であるが、それでも力強く、そして美しく生きていきたいものである。



2003年01月14日(火) 新年もはや半月過ぎて・・

 連休中はずっと風邪で寝込んでた。昨年末から体調はいまひとつではあったんだけど、ここに来て風邪をこじらせてしまった。とにかく直そうといろいろと薬を飲んでみた。浅田飴も、のど飴も、イヤというほど舐め尽くした。それでも、風邪はいっこうに治らない。悪い状態が長引くと、ついつい物事を悪い方に考えてしまう。俺、本当に風邪なのか? もしや、不治の病ではないかしら? なんてね。
 とにかく風邪を早く治して、遊びまくるゾー! 春がやってくる前に、ぜひともウィンタースポーツをやっておきたい。今いちばん興味があるのが、クロスカントリー・スキーだ。
 確かに仕事は忙しいけど、仕事だけで疲れている生活は真っ平さ。めいっぱい遊ぶことでバランスを保たなくては。今年もやりたいことはいっぱいだ。果たしてどこまで実現できるかはわからないけど、ね。

 今日は、劇団pH-7の4月公演の「顔合わせ」があった。4月公演では、俺は出演せず、裏方に回る。仕事との兼ね合いで今回は出演を断念したが、やはり寂しい思いはある。でも、それを言ってみたとて仕方がない。何事もポジティブに考えていこう。
 次に舞台に立つのがいつになるかはわからないけど、体力づくりもしておかなくては。それとは別に、文筆活動もスタートしたい。とまあ、あれこれと思いめぐらす今日この頃であった・・・。



2003年01月03日(金) 新年もまた、棘はずっと刺さったまんまだ・・・

 ここ数日、日記をストップしていたので、順を追って綴っていこう。
 
 12月30日、東京・新宿へ。紀伊国屋書店の裏にある「シアター・トップス」という小劇場にて、浪曲師・国本武春らによる『ミラクル忠臣蔵』(浪曲芝居)を観た。浪曲を織り交ぜたコメディー・タッチのドタバタ劇とでも言おうか、演劇を観る感覚とはだいぶ違って、「お笑い」を楽しむみたいな感じだった。開演前に客席に着くと、そこにはパンフの他、カスタネットや「おひねりを包む紙」が置かれていた。観客も参加して楽しむ趣向がなされていたというわけだ。「江戸城松の廊下」の場面でいきなり「殿中でござる〜」と歌い出したり、その他意表を突いてくる場面が随所にあり、笑いのツボをはずしていなかった。ばかばかしかったけど、思わず声を上げて笑ってしまった。
 その後、一旦ホテルに荷物を置き、軽く夕食をすませ、浅川マキのライブ(新宿ピットイン)へ。開場時刻の少し前に行くと、地下のライブハウス入口にすでに人が並んでいた。昔からのファンであろうか50代とおぼしき人々も多かったが、若い世代も少なくはなかった。それにしても浅川マキは貫禄があった。彼女ほど「地下」とか「アングラ」がよく似合う人も少ないのではないかと思ったね(そう言えば、寺山修司作詞の曲も2,3曲やってたっけ)。
 ライブが終わってからは、ビジネスホテルに一泊。

 大晦日は、花園神社(その昔、状況劇場が紅テントで公演をおこなったという場所)の前を通り過ぎ、歌舞伎町を散策。朝帰りのホスト集団とすれ違い、「イメクラ嬢」がコンビニに入るのを横目で見遣りながら、けばけばしい歓楽街を通り抜けていった。紀伊国屋書店で1時間ほど立ち読みなんぞしてから、新宿駅へ。
 「特急かいじ」(「特急あずさ」に乗る場合もあるが)で、甲府へと向かう。甲府から先我が家に帰るには、1時間に1本あるかないかというバスで帰るか、4千円ほど出してタクシーで帰るか、誰かに迎えに来てもらうぐらいしか方法がない。
で、父に迎えに来てもらい、帰宅。致し方ないことだが、うちの家族は年々年老いていくばかり。近所では亡くなられた人もいて、知らず知らずのうちに時が経過していることに気づかされた。
 知らず知らず、と言えば、「市町村合併」とか「産廃処理場誘致反対運動」といった事柄が、郷里においては目下の関心事となっているようであった。いずれの問題も住民不在のうちに事が進んでいるとの印象は否めなかった。特に、昨今言われる「市町村合併」に関しては、はじめに政府主導の合併ありきで、「何のための合併か」「地域住民の生活向上につながるものなのか」といった根本の議論はほとんどなされていないと言っていい。「地方自治の精神」というものがどこにも感じられない。
 改革と言えば聞こえはいいが、今行われようとしているあらゆる「改革」が(私の仕事にも深く関係する「社会福祉基礎構造改革」も含めて)真の改革になりえるのか、大いに疑問の残るところである。

 2002年はあっけなく去った。年越しそばは手打ちで、しかも畑でとれたわさびをすりおろして(「エスビーの練りわさび」なんかじゃないぞ)、この上ない贅沢ってやつさ。
 元旦は、お雑煮(我が一族は年末に餅つきをするのだ)食べて、と。祖母の家を訪れる以外はほとんど外出せず。

 う〜ん、私はわが故郷を愛しつつも、そこから逃げ出したい思いに駆られるのだ。愛すればこそ、と言うべきか。
 でも、どこにいたって、私は既に傷を負っているのだし、これからだって棘は刺さったまんまだ。それを引き受けながら、生きていかなければならないであろう。

 正月3日、私は名古屋に戻ってきた。


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