夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年06月29日(土) ダンス・ダンス・ダンス

 今日は、ダンス公演を2本観てきた。

 まずは、東文化小劇場で行われたコンテンポラリー・ダンス公演から。「ダンスと演劇、映像、音楽の融合した作品」とのことで期待して観にいった、水の上・草喰の会提携公演「真実の生活2002」。結論から言えば、ちょっと期待はずれだった。面白く感じられた部分も多かったが、全体的には散漫な印象があった。特にセリフのある部分が浮いた感じがあった。全体の構成からすると、無言劇(セリフなし)で表現したほうがむしろよかったのでは、と思った。

 夕方からは、愛知県芸術劇場大ホールで、名鶴ひとみステージングダンス公演を観に行く。友人Nさんの娘さんも出演するというので、チケットをだいぶ前に購入していた。名鶴さんがタカラヅカ出身ということもあってか、タカラヅカみたいなステージだった。ジャズダンス系の公演は初めて観たわけだけど、理屈抜きで面白かった。ダンスをカッコよく見せるための演出のセンスを随所に感じた。舞台装置にもかなりおカネがかかっている感じがあって、オープニングから圧倒されるような仕掛けがなされていた。
 私の隣の席にはNさんが座り、娘さんを指し示してくれるのだが、動きがスピーディーですぐに見失う。何しろステージ上に数十人が素早い動きで踊っているのは壮観だ。自分がもしあのステージで踊るとして、うーん、あの動きについていけそうにない。たとえ、ついていけたにしても、間違いなく何日かは寝込むね。
 それから、大きな舞台で演じられるっていうのも、ちょっといいよね。おカネさえかければ、ホントいろんな演出ができてしまうよな。いろいろとイマジネーションを働かせながら、舞台を観ている私だった。

 ダンス公演を観るのも楽しいけど、私も何か踊れるといいよな。役者の端くれとして、いろんな表現を貪欲に吸収していきたい。

 



2002年06月26日(水) 30代ひとり身の特権

 今日は午後お休みをもらって、申請してあったパスポートを取りに行った。この夏、ロシアへのツアー(モスクワ、サンクトペテルブルグを中心にまわる)に参加する予定。個人旅行のほうが旅としては面白いだろうけど、いろいろと手間を考えて今回は安易にパッケージ・ツアーを利用することにした。
 という話を元同僚にしたら、なんと「わっぱの会」(私が以前勤めていた「障害者運動団体」)は今年度コース別に海外旅行(アジアコース、オセアニアコース、北欧コース、イタリアコースなどがあって、それぞれ現地の人達とも交流を持つ)だそうな。仕事の一環として行くから普通の観光旅行とは違う(様々なアクシデントは予想され、神経は遣う)けど、逆に言えば、個人の休暇を使わずに、仕事として認められて、盆、暮れなどの混んだ時期ではない時に行けるというわけだ。ちょっぴり(だいぶ?)ジェラシーを感ずる。まあ、辞めたことを後悔はしないけどね。

 その同僚とは違う別の同僚に、今日、思わぬ所で出会ってしまった。夕方、私はクラブ・クアトロにディアマンテス(沖縄を拠点とする、日系人・日本人混成の「オキナワ・ラティーナ」バンド。甘く情熱的なアルベルト城間のボーカルがラテンのリズムに乗って、熱いながらも爽やかさを感じさせてくれる)のライブに出掛けたわけだが、会場の最前列に陣取っている人々のなかに彼女を見つけた。
 実はその彼女も仕事の合間に芝居をやっている。彼女の所属する劇団は「ちむどんどん」といって、<沖縄>(簡単に言ってしまえば「基地問題」かな)をテーマとするオリジナル作品を演ずる名古屋の劇団だ。役者がそんなにうまいわけじゃないし、台本だって一流の作家が書いたものではない。でも、観ていて退屈することはないし、あとには一種の清涼感が残る(これまで3つの作品を観ている。上演時間はたぶん休憩をはさんで2時間程度だったと思う)。おそらく、テーマの設定と、そのテーマに取り組む志の高さとが、彼らの強みではないかと思う。公演のペースは1〜2年に1回程度だが、機会があれば一度観てほしい。

 芝居から離れても、仕事に遊びにボランティアに、と多忙な日々を送っている。部屋の掃除は碌々できず、というか、家にあまりいないよな。20代の頃は逆に外にあまり出なかったのに(休みの日などは、疲れ果てて家で寝ていることが多かった)。自由になるお金もある程度あって、家族を気にすることもない。30代独身の特権てやつさ。今は、30代の「青春」の日々を謳歌している。



2002年06月23日(日) 「大麻ビール」(?)を飲みながら

 「pH-7アトリエ」の引越「本番」は無事終了。相当きついであろうことを覚悟していたが、意外と早く切り上げることができた。2時には作業が終わっていたからね。この日のために都合をつけて手伝いに来て下さった方には感謝するばかりだ。
 帰りに菱田さんが吹上まで送って下さったので、そこから地下鉄で桜山まで移動。駅前の楽器店でウィンドショッピング。バンジョーやマンドリン、エレキベースにも心惹かれるものがあったが、グッとこらえて店を出た。

 その足で今度は、世界のビールを扱った「ビア・スポット」へ(姉妹店の「知多繁」がこれまた日本酒、焼酎、ワイン、ウィスキーなど品揃え豊富)。「pH-7」関係者には不評だった「チョコレートビール」等ハズレもあるが、他ではなかなか入手できそうにない海外の地ビールも多く、大概は旨い。ビールについての認識が変わると言おうか、普段われわれが口にする日本のビールがまずく感じられてくる。
キレ味を求める方には暑い国のビールを、コクを求める方にはヨーロッパの北寄りの国のビールをおすすめしよう。また、いろんな国のビールを飲みながら、その地に思いを馳せるのもいい。
 私はどちらかと言えばキレよりもコクを求めるほうなので、特にベルギービールが好きだな。たとえば、「シメイ・トラピスト・ビール(ブルー)」は「熱処理も濾過もせず、瓶詰め直前に新鮮な酵母を加えて造る瓶内二次発酵の自然熟成ビール」であり、ワインじゃないが3年ねかせたものらしい。
 結構珍しいビールもある。ここに紹介するのは、通称「大麻ビール」。正式には「麻の実入りへンプドラフト」。麻薬の大麻とは関係ないらしい。へンプの実は、「良質のタンパク質と8種類の必須アミノ酸を全て含み古来より七味唐辛子の薬味のひとつとして珍重されて」いるとのこと。

 で、そのヘンプドラフトを飲みながら、ビデオ録画しておいたテレビ番組「波乱万丈」を観る。ゲストは、はしだのりひこ。日本フォーク界の草分け的存在。「フォーク・クルセダーズ」(空前の大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」はあまりにも有名)、「はしだのりひことシューベルツ」(名曲「風」を生んだ)、「はしだのりひことクライマックス」(これまた「花嫁」がヒット)とバンド活動を経てソロ活動を開始するが、第一線からは遠のいていた。
 ここでは、不朽の名作「風」を取り上げたい。自然と口をついて出る、歌詞とメロディーを持つこの曲だが、30才を過ぎてから心にしみ通ってくるようになった。

  人は誰もただ一人旅に出て
  人は誰もふるさとを振りかえる
  ちょっぴりさびしくて振りかえっても
  そこにはただ風が吹いているだけ
  人は誰も人生につまづいて
  人は誰も夢破れ振りかえる

 挫折ある人生を、やさしく、せつなく歌い上げた「風」は、人々によってすでに30年以上歌い継がれている名曲である。



2002年06月22日(土) 「島唄」、「ナショナル7」・・・

 まずは、昨日放映のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」(録画ビデオを今朝見た)からの話題。「電子楽器オンド・マルトノ」「奄美の歌姫・元ちとせ」といった話題も興味深かったが、「アルゼンチンでも大ヒットの、ザ・ブームの『島唄』」をここで取り上げたい。
 昨年12月にアルゼンチンでリリースされた「島唄」は、日本語の歌として異例のヒットとなり、ワールドカップにおいてもアルゼンチン応援ソングとしてサポーターの間でも採用されたという。以前「島唄」の中国語バージョンを聴いて楽曲としての素晴らしさを再認識したものだが、「沖縄戦の悲劇」をモチーフにしながら美しいメロディーを持つこの曲は世界に通用するものなのだろう。
 ザ・ブームのリーダー・宮沢和史は沖縄やブラジルの音楽に影響を受けながら、世界を舞台に活躍。いまや世界に向けて発信するまでになった。すばらしい音楽は国境を越えて人々を感動させる力を持つんだよね。

 次なる話題は、「身体障害者のSEX」をテーマに描いたフランス映画「ナショナル7」について。これは、フランスの障害者施設で実際にあった話を元にしている。
 チェアウォーカー(車椅子生活者)のルネは他人の介護を必要とし施設に暮らすが、介護人たちに悪態をつき、施設では一番のトラブルメーカーだ。しかし、彼がトラブルを起こすのにも彼なりの理由があった。性欲があってもそれを満たす術はない。人生に絶望していた。女性介護人・ジュリは、彼の意向を受け、国道沿いに立つ娼婦フロレルの元を訪ねるのだが・・・。
 「障害者にだって性欲はある」という至極当然なこともこれまでタブーとされてきた。「健常者」ならセックスするのだって他人の介助はいらないだろう。でも、要介助の「障害者」はそういうわけにはいかない。何をするにも他人の手を借りなければならない。プライバシーにかかわる領域までも人目にさらしながら生きていかなくてはならない。そのストレスは半端ではない。
 あらゆる意味において、「障害者」が人として生きていくことに様々な困難がつきまとう。「ナショナル7」は、ユーモアをを交えつつも、私たちに様々な問題を突きつけている。



2002年06月21日(金) 引越にまつわるエトセトラ

 「pH-7アトリエ」の引越準備が今日も続く。もう長いこと、稽古らしいことやってないよな。劇団であることを思わず忘れそうになる。

 今日は、引越についての「小咄」(?)でもしようか。
 7,8年くらい前、俺は週1回の割で引越のバイトをした。1日に引越作業(荷物の搬出と搬入)が2件。会社から9千円の日給、それに依頼人から「お車代」が出ることもあって、実質1万2千円程度の報酬を得ることになる。でも、そのバイトはかなりきつかった。最後のほうになると5センチの段差ですら足が上がらない。翌日二の腕が痛くて腕が上がらない。結局3日でバイトは辞めた。そんな俺だから、今週末の引越も自信がない。
 自信がないと言えば、今週末の引越作業の際に2トントラック(アルミバン・ロングサイズ)の運転をすることになってるが、これまた自信がない。4年ほど前には「ジャパンレンタカー」でバイトして、2トントラックの運転も時々したものだが、運転自体があまり好きじゃないんだ。特に、大きな車を狭い道で走らせなくてはならない場合は最悪だ。でも、必要に迫られれば仕方ないのだ。
 とまあ、引越を前に弱音を吐いてる俺だが、別に一人で引越するわけではない。劇団員・スタッフの他、当日の助っ人を申し出てくださる方々もいる。天気もどうやら晴れそうだし。そうだ、何事もプラスに考えなくては。
 それにしても、引越の翌日は仕事(長引きそうな会議も控えている)の後に、その翌朝にかけて泊まりのボランティア活動が入っているじゃねえか。こいつぁ、マジにきついぜ。とか言いながら何とかなっていくのも、これまた人生だ。

 一連の引越作業すべて(新アトリエの整理も含めて)が終わったら・・・。しばらく休みたい気持ち半分、早く芝居に取りかかりたい気持ち半分。でも、今は先々のことにまでまで思い至らない状況でもある。



2002年06月19日(水) 酒場でDA・BA・DA

 昨晩、「pHー7新アトリエ」への移転に関する打ち合わせがあった。まだまだいろいろとやることはあるね。打ち合わせ後、東新町の「服部道和さんの店」(と言っても、キャラクターグッズが置いてあるわけではない)で飲んだ。しゃおりん、みくりんの二人は、バーテンダー気取りでカクテルづくりに挑戦していたな。
 俺、結構、酒が好きでね。決して強くもないんだけど、チビチビやるのがいいんだ。ビールも、ワインも、日本酒も・・・、とにかく旨く飲めれば何でもいいわけさ。でもね、4,5年前に「急性すい炎」にかかって、3,4ヶ月禁酒した(ちょうど「スーパー一座」にいた頃の話だ)。あの頃もの凄く具合が悪くて、俺はてっきり「死に至る病」にかかっているんじゃないかって思い込んでいた。医者に行ったら「急性すい炎」との診断、でもその時ショックだったのはむしろ飲酒を禁じられたことだった。
 あれからは多少セーブしながらもアルコール・ライフをエンジョイしている。その時々でいろんな飲み方を楽しむ。ひとつ紹介したいのは、ワイン、白ビール、黒ビールをそれぞれ3分の1の割合で(結構テキトウだけど)つくったカクテルだ。試しにつくってみてほしい。もしもあなたが酒好きなら、きっと気に入っていただけることだろう。それに素敵な音楽を聴きながらってのも最高だ。
 最後にひとこと。酒は飲んでも、呑まれるな。あくまでも楽しく飲むことが大切なことである。



2002年06月18日(火) ライフワークについて

 昨日は外泊した。決して色恋沙汰ではないんだな、これが。チャレンジド(「障害者」)のグループホームに泊まり込んでの「援助活動」(この言葉に私は多少の抵抗感を覚えるのだが)である。と言っても、私が到着する頃には、食事作りのボランティアさんによって夕食は用意されている。ごはん食べてお風呂入って、あとは時々必要に応じて声かけするくらい。普通であれば気を遣うことも多いのだろうが、入居者にせよ「世話人」にせよ、私には顔なじみの人ばかり。それなりに気は遣うが、自分なりに無理のないスタンスがとれていると思う。
 昨晩は、入居者のひとりが私に紅茶を入れてくれた(いつもは食後にコーヒーを入れて飲む彼女だが、私がコーヒーが飲めないことを承知していた)。彼女は自分が飲みたくて、ついでに私にも紅茶を入れたわけではあるのだが、そうした行為を通じて他人とのコミュニケーションを楽しみたいといった欲求もあるようだ。
 仕事場から解放されて「生活の場」に戻った時、誰もがそこに求めるのは「ホッとできる雰囲気」に他ならない。「社会的な装飾」を解いて「すっぴんの自分」が許される場所。そんな場所があればこそ、日々の仕事に出掛けることができるのだと思う(いくら報酬があっても、仕事はやはりつらいからね)。そんなことを思いながら、私はできるだけ入居者一人ひとりの話に耳を傾けようとするわけだ。自分にできる範囲のなかでそうしているにすぎないのだが。
 それと、私のこだわりのひとつ。「健常者ー障害者」の関係を「援助者ー被援助者」の関係だけに短絡化させたくはないと思っている(「施設」においては、「健常者たる職員=援助者」に対する「障害者たる利用者=被援助者」という一方通行的な関係があてはまる)。チャレンジド(「障害者」)は常に「援助される対象」であるわけではないのだ。チャレンジドが援助する側にまわっても不思議ではないはずだ。実際に私自身が、何度もチャレンジドに助けられている。チャレンジドをめぐる関係を本来の姿に(対等に)戻していくことこそが求められている。そこを踏み越えずして共生はありえないとも言える。

 現在、私は「施設職員」として生計を立てている。「演劇」に取り組めるのも、サラリーをもらえる職場に勤めているからである。しかるに、つきつめていけば、現在の職場での仕事と自分のポリシーとの間にどこかズレを感じずにおれない。もちろん、サラリーをもらっているかぎり、それに見合った仕事をするつもりではある。でも、それだけで人生は終われないし、そんなんで過労死なんて絶対に嫌だ。たとえ報酬は得られずとも自らのライフワークのひとつと位置づけやっていきたい<仕事>がある。ひとつは「反・差別」「真の共生」にかかわる<仕事>であり、もうひとつは「表現」(もちろん演劇も含んでいる)にかかわる<仕事>である。
 夢を実現するために、まだまだ私は生き続けなくてはいけない。



2002年06月16日(日) OPERA

 今日の午後は、引き続きpH-7アトリエの移転準備作業。午前中はほとんど寝そべっていた。夕方、作業が終了して解散した後、今池・シネマテークで映画「トゥーランドット」を観た。プッチーニの名作オペラ「トゥーランドット」(中国を舞台にしたオペラ)が紆余曲折を経て北京の紫禁城で上演されるまでのプロセスを追ったドキュメンタリー映画だ。中国人スタッフとヨーロッパ人スタッフとの対立、広大な紫禁城を公演会場にしたことによる様々な困難などを乗り越えて、歴史的プロジェクトは成功裡に終わる。
 それにしてもオペラってホントに素晴らしいね。というか、贅沢な「見世物」だと思うよ。オペラ歌手(ソリストとコーラス)とオーケストラの他、スタッフまで含めると何人の人間が一つの公演に関わることになるのか。当然その過程には、対立関係・緊張関係も生まれる。それでも、幾多の苦難を乗り越えて公演初日を迎えることになる。一つの目標に向かって全員が突っ走っていけるだけのエネルギーをオペラそのものが与えてくれるとも言える。
 でもね、日本のオペラ界は硬直化しているとも思う。「声楽」に偏りすぎているというのかな、もちろん歌唱力は必要だけど、演劇的な部分でのパワーに欠けているのではないかと思うんだ。その意味では、スーパー一座による大須オペラ(7月16日より公演開始)は一つの方向としては面白い、と感ずる。
 いつかウィーンあたりのオペラハウスの天井桟敷から、本場のオペラを堪能してみたい、とも思っている。



2002年06月15日(土) 「I am Sam」

 午前中映画を観た。
 午後仕事絡みの研修で、小林繁市氏(北海道・伊達市地域生活支援センター所長)による講演会(「まちに暮らす〜知的障害のある人たちの地域生活支援を考える〜」)に出席。
 それが終わってから、pH-7アトリエ移転準備の作業。
 で、今日は午前中に観た映画について触れたい。

 名駅の映画館で「I am Sam」を鑑賞。知的障害を持つ父親と幼い娘の絆を描いた作品だ。「知的障害者」サムは7才になる愛娘ルーシーとふたり暮らしを送っていたが、知的障害を理由に福祉局から親権を取り上げられ、ルーシーとも引き裂かれてしまう。弁護士とともに親権を取り戻すべく奔走するのだが・・・。
 その感想については、「見やすい映画」ではあったが、とても丹念に描かれた作品だと感じた。「障害者」と言えば、「健常者より劣った存在」「健常者に一歩でも近づくべき存在」ととらえられるか、もしくは、「純粋・無垢な存在」ととらえられがちだ。そうした見方は、映画やテレビ・ドラマにも反映される。特に、「障害者」を扱った日本のテレビ・ドラマにはおよそ鑑賞にたえない作品が多い。その点、「I am Sam」は取り組んだテーマもよく、展開もよかったと思う。
 知的障害を理由に愛娘と引き裂かれてしまうという悲劇性は、現実の社会のなかに包み隠されている。「専門的立場」と「善意」とによって「専門家」は、結果的に「人間の絆」を断ち切ってしまうという過ちを犯す危険性を持っている。
 知的障害を持つ者にも幸福を追求する権利がある。結婚する自由だって、子供を生んで家庭を築く自由だってあるはずだ。知的障害のゆえにトラブルを生ずる場合もあるかもしれない。しかし、他人様が「人間の絆」まで断ち切ることなど許されることではない。あくまでも「人間の絆」を壊すことなく、いかなる支援があればトラブルが解消されるかが考えられるべきことなのだ。
 タイトルの「I am Sam」にこめられたであろうメッセージを読み解いてみる。「私はサムという固有名詞を持った人間」であり、「知的障害者として十把ひとからげに語られることを快しとは思っていない」ということが一つにはあろう。
 また、「私は、尊厳ある唯一無二の人間サムとして」「今ここに存在する」との意志表明ともとれなくはない。障害を持った人間は社会のなかに身の置きどころがなく「施設」に追いやられている、という現実がある(俺自身は「施設職員」でありながら、「反・施設」とでもいうべき思想を持っており、そのあたり微妙な問題を抱えてはいるのだが・・・)。「知的障害者」の呟きは周囲にかき消され、社会的には存在を否定されるという状況が続いている。「社会的な不在状態」からの回復こそが求められている。
 それにしても、映画の全編を流れるビートルズ・ナンバー(カバー曲)の数々は、ドラマに彩りを添え、よりいっそう深い感動へと導いてくれる。どちらかと言えば、「ストーンズ派」(その昔、洋楽ファンの間では、「ビートルズ派」か「ローリング・ストーンズ派」かが問題とされた)の俺だが、あらためてビートルズの名曲に聴き入ってしまった。

 近日中に、「障害者のSEX」をテーマにしたフランス映画「ナショナル7」が封切られる予定。それも観に行くつもりにしている。

 



2002年06月14日(金) 「少林サッカー」そして無敵のインド映画について

 サッカー日本代表がワールドカップ決勝トーナメント進出を決めたこの日、俺は名駅の映画館で「少林サッカー」という香港映画を観た。少林拳とサッカーが融合した奇想天外なアクション・コメディーだ。突拍子もないストーリー展開、ばかばかしくて結構笑えた。
 
 でも、荒唐無稽なストーリー展開、圧倒的な面白さという点において、インドのマサラ・ムービーに勝る映画を俺は知らない。深刻な場面のはずが、いきなり音楽が流れて踊り出したりして(おいおい、踊ってる場合じゃねえだろ)。ストーリー展開も結構強引だったりしてそんなのもアリかよって、思わずハッとさせられる。特に、スーパースター・ラジニカント主演の映画は必見だ(「ムトゥ 踊るマハラジャ」は腹がねじれそうなくらいに面白かった)。
 ついでに名古屋を舞台にしたインド映画も紹介しておこう。タイトルは「ボンベイtoナゴヤ」。この映画には「スーパー一座」の役者も数人出演している(俺も映画に出演してみてえよな)。
 それから、インドに行く機会があったら、ぜひ映画館に行ってみてほしい。日本語字幕も吹き替えも当然ない。でも、心配無用。全編ヒンディー語であっても、おおよそのストーリーは十分理解できる。映画そのものの面白さもさることながら、観客の反応がこれまた面白い。映画のなかでミュージカル・シーンが始まると踊り出す客、スクリーンの向こう側の役者に熱いエールを送ってる客もいる。ラブシーン(といってもいろいろと規制があって「ハードなからみ」はない)が始まると、あちこちでどよめきが起こる。そうした客の反応を見てるだけでも楽しい。
 豆知識をもうひとつ。インドのヒット曲の多くは、映画のテーマソングだそうだ。カルカッタの露店で俺もミュージック・テープを3本購入してみた。ひとつは当時流行していた映画のテーマ・挿入歌などの入ったもの、それから「インドのマドンナ」として売り出し中だったアリーシャの「ベービードール」というもの、それにドアーズのベスト(海賊版だと思うけど)。
 インドについては、いずれまた面白い話をしよう。今日はひとまずこれにて。



2002年06月13日(木) my アトリエにて

 pHー7アトリエの移転準備は着々と進んでいる。
 一方、我が家はどんどん荷物が増え、収拾がつかなくなるばかりだ。2K庭付きに一人住まい。芝居を始める前にはガーデニングやってたけど、今はすっかり草ぼうぼうの庭。我が家の「書斎」には、おそらく一生かかっても読み切れないほどの本がある。にもかかわらず、本屋に行けばつい手が伸びてしまう俺。そればかりではない。ここ2,3年で楽器も増えた。キッチンの天井からは、バンブーチャイムが吊る下がっている。冷蔵庫の横には、アコースティックギター、エレキギター、エレアコにギターアンプ、三味線と三線とウクレレ、ボンゴに太鼓、押入にも民族楽器等が多数・・・。ちょっとしたアトリエ状態だ。myアトリエ。
 現在、そのmyアトリエには(俺の他)誰も足を踏み入れることはできまい。もう1年以上我が家を訪れた者はいない。というか人を呼べないほどに散らかっている。人と会うときは大抵外だ。そんなんだから当然彼女もいやしない。彼女ができたら部屋は片づく、かもね。
 36才にして未婚。これでも一応もてた時期もあった、と思う。気が付けば、婚期を逃していた。20代は「障害者運動」に身を投じ、それどころではなかった。30才前後では恋愛もし、いいとこまでいったけど最後のところで縁がなかったんだな。その後はまったく縁がない。実家に行く度に「早く結婚しろ」と言われ、ついでに人格までけなされ、嫌な思いで名古屋に逃げ帰ってくる、というのが、ここ数年のパターンだ。いっそのこと「偽装結婚」でもしたろうかと思うこともあるけど、俺、別に悪いことしてるわけじゃないし、卑屈になることもないだろうって思い直す。「結婚して一人前」みたいな価値観あるようだけど、アホかって思うよ。「結婚した人間が一人前」だというなら児童虐待問題なんかないはずだろ。
 別に、主義で独身を貫いているわけじゃない。結婚する理由が(つまりは相手が)今のところないっていうだけさ。世間の価値観を気にすれば肩身が狭いけど、世間様が俺のために何かいいことしてくれるわけじゃない。まあ、親不孝は申し訳ないと思うけどね。
 俺は俺らしくありたい。もし、俺の良さを引き出してくれる相手に出会えるのならそれに越したことはないのだけれど(俺自身は異性愛者なので女性を求む)。
 たとえ「変わり者」とののしられようが(「変わり者」は俺にとって誉め言葉にしかならないのに)、俺だけでも俺の存在を肯定的に受け止めてあげなくては、あまりに俺がかわいそうというもんだ。
 今日も、俺はmyアトリエの片隅でパソコンの画面に向かっている・・・。
 



2002年06月11日(火) 世界の果てまで

 昨日、仕事が終わってから「翔航群」の公演を観に行った。会場全体が喫茶店でそこで芝居も進行するという形をとり、映像の利用も効果的だと思った。ただ2時間の上演時間は率直に言って長く感じた。2時間を持たせるには、台本のよさ、役者の力量が問われてくると思うのだ。その点では、本の力が特に弱かったと思う。

 話は変わるが、ワールドカップ「日本・ロシア戦」に日本が勝利したその日、モスクワで日本人がフーリガンに襲われるという事件があったそうな。俺、実はこの夏、ロシアを旅しようと思っていたんだけどな。まあ、その頃には沈静化されていると思うけど。
 昔から俺、みんながあまり行かない場所に興味があるんだ。ロシア、東欧、中東、アフリカ、南米・・・。芸能人とかもよく行くハワイにはあまり興味がない。俺が学生の頃はアジアを旅するのも少数派だったのだが、今では手頃に行ける場所になってしまい、ちょっとつまんない。
 15年近く前、俺はバックパック背負ってフィリピン(1週間)、タイ(3日程)、インド(3週間)と旅した。はじめの10日程は旅慣れた友人たちとの3人旅、インド入国後は行きたい場所が違ったので彼らと別れて一人になった。いずれまた、この旅行についても触れたいと思うが、とにかくスリリングな体験だった。カルチャーショックってやつを身をもって体験した。その後、韓国に団体で行ったりもしているはずなのに、海外旅行という感じがあまりしなかった(日本と朝鮮半島の関係については考えさせられたけど。戦後補償問題とか南北朝鮮の分断状況とか)。最初の海外旅行先のグアム島(中学生の時)も日本人だらけだったから、やはり海外旅行の醍醐味からはほど遠かったと思う。
 何度も海外に出ているつもりが、実体験の上では3回。そのうちの2回は、自分のなかで海外旅行したとの認識はあまりない。海外に出るには、お金と時間が要る。それと、体力、精神力。そのいずれかが欠けていた。
 俺は、何度も空想の上で世界を駆けめぐった。空想世界へと離陸した。空想の旅行者。俺はいつだって「辺境」を目指した。時に本を読みながら、時に映像を見ながら、時に民族音楽を聴きながら、かの地を思った。ある時は灼熱の砂漠で渇ききった体を引きずり、またある時は村人達と酒を酌み交わし、若い娘と手を取り合って踊った・・・。世界は俺を取り囲むように存在した。
 実際、俺が一生のうちで触れることのできる世界には限りがある。でも、そのなかで多くの感動を味わいたい。演劇に関わり続ける理由もそのあたりにあるのだろう。
 考えてみれば、人生そのものが旅なのだ。そのなかで、自分を取り巻く世界にどれだけ触れることができるだろうか。どれだけの自分の「言語」(「引き出し」)を持つことができるだろうか。皆さんも、どうぞ、よい旅を!



2002年06月09日(日) 今日は何の日?

 ワールドカップ、「日本対ロシア」を観てしまった。日本人サポーターたちは、日本の勝利に酔いしれていることだろう。でも、私はちょっと醒めていて、ロシアのミスに助けられた勝利、との認識に立っている。最初からロシア・チームはなぜか浮き足だっていた。それからまた地元での開催ということで日本に有利に作用したことも少なくはあるまい。私は「非国民」なので、特に日本を応援したりはしないのだ。純粋にサッカーを観て、選手達には世界レベルの素晴らしいプレイを期待しているだけさ。
 ついでにもう一つ「非国民」的意見を言えば、スポーツの国際舞台での「日の丸掲揚」「君が代演奏」の儀式はやめてほしい。あれを見たアジア各国の人々は不快感を感じていないだろうか。また、第2次世界大戦下の日本において唯一地上戦の戦禍に見舞われた沖縄の人々の間でも不快に感ずる人は少なくないだろう。「日の丸」「君が代」にはぬぐい去れぬ過去の記憶が刻み込まれている。

 本当はその「日本対ロシア」があった時間、さるワークショップ(パフォーマンス関係の)に出ているはずだったのだが・・・。夕方その会場まで行ってしばらくいたのだが、何かその場の雰囲気になじめず、タイミングをはかって帰ってきてしまった。こんなことなら「翔航群」の芝居を観に行きゃよかったと思ったけど、あとの祭りだわさ。
 
 今日、実は2本芝居を観ている。一つは名古屋大学の「劇団・新生」(学生劇団というのも観てみたかったので)、もう一つは「燐光群」だ。
 「新生」のほうは、それなりに面白くはあったが、セリフが聞こえづらい箇所もところどころあって、滑舌がよくなかった。

 一方「燐光群」は、数年前に観た作品以来2度目。前に観た芝居は一つのテーマに沿って深く掘り下げていく形をとっていたが、今回は「ひきこもり」をテーマに据えながらも断片をかき集めたような印象だった。ジグソーパズルのピースをあちこちから集めて当てはめ、最後に完成を見る、とでもいった過程をたどっていた。
つまらないと言っているわけではない。面白くはあった。舞台上には「屋根裏」がポツンと置かれ、その仕切られた狭い空間のなかで役者達がドラマを展開させていく。その狭苦しさは演出されたものなのだが、観ているこちらまで縮こまって息が詰まりそうだった。その意味ではちょっと辛いところはあった。
 とはいえ、「燐光群」の芝居は、だいぶ好きなほうだ。いわゆる「社会派」に分類されるような芝居なのだが、説明的でないところがいい。あの手の芝居は、現実をいかに切り取り、観客の前に提示するのか、について十分練られていないと、退屈きわまりない芝居でしかなくなってしまう。特に現代は、虚構よりも現実のほうがもの凄かったりもするからね。で、「燐光群」だけど、役者もしっかりしていると思うが、やはり作・演出の力が大きいだろう。坂手氏のなかでしっかりと問題意識を持ってとらえられた芝居のつくりがされていると感ずる。

 さて、明日は「翔航群」を観に行こうか。それを最後にしばらくは観劇生活から
離れることになろう。当面は、稽古場の移転準備に追われそうだ。何事もプラス思考でいこうじゃないか。



2002年06月08日(土) スポーツ談義

 巷では、ワールドカップ・サッカーの話題で大盛り上がり。プロ野球はすっかり霞んでしまったようだ。今日は、スポーツ談義でもしようか。

 まずは、サッカー。Jリーグにはほとんど興味のない私だが、サッカーそのものは好きなスポーツだ。ひとつのボールを奪い合い(主に足で蹴ってボールを扱う、プレイ中はボールに手で触れてはならない)、イレブン(チーム11人)が連携して相手ゴールを目指す。シュートが決まれば得点となる。難しいルールはオフサイドぐらいで、シンプルかつプリミティブなスポーツと言える。どこか野蛮な匂いさえ感じられて、そこんとこがいいんだけど、Jリーグは脱色されて何かつまんない感じがする。同じようなことは日本のプロ野球にもあてはまるかな。
 ワールドカップはJリーグとは本質的に違う気がする。プレイのレベルが違うということもあるが、それ以上に情熱の違いのようなもの(「サッカー王国」と呼ばれる国々の人々とそれ以外の人々との)が感じられる。ワールドカップの試合そのものは興味があるけど、そこに行きすぎた商業主義の匂いが嗅ぎとれてしまうと興ざめしてしまう(チケットをめぐるゴタゴタなど)。

 次に、野球。日本のプロ野球はつまらないと思う。ON(王・長嶋の黄金コンビ)が現役で活躍していた頃は、野球好きだったのに。当然巨人ファンでもあったし、「巨人の星」も好きだった。それが今ではアンチ巨人。他チームの有力選手を札束攻勢でかき集めて、結果として日本のプロ野球をダメにした元凶は「読売巨人軍」だと思っている。日本のプロ野球を観る気にもなれない。むしろ今はアメリカ大リーグに興味がある。別に「民族主義者」でもないはずなのに、日本人大リーガーを応援している。特に、野茂が好きだな。彼には確固たる信念のようなものを感ずる。タイプは違うが、新庄には親近感を覚える。

 大相撲は本当につまらなくなった。昔はよかった、なんて俺も年とったってことか?
 俺のなかで最強の横綱は「北の湖」(「大鵬」の現役時代は知らないので何とも言えない)。憎たらしいほどに強かったあの男。相手を土俵に投げ飛ばした後、彼はふんぞり返って「どうだ、俺様に勝てるわけねえだろ」みたいな態度を見せた(多分本人は無意識だったのだろうが)。気のいい力士は、負けた相手が立ち上がるのを手助けしようとするが、「北の湖」はそんな態度を決して見せなかった。「北の湖」の傲慢とも思える態度には、子供ながらに憤りを覚えたものだった。その「北の湖」が目に見えて弱くなった時があった。あんなに簡単に負けるなんて・・・。それまで蛇蝎のごとく嫌っていたはずの「北の湖」に初めて憐憫の情がわいた。その場所で「北の湖」は引退した。
 「北の湖」が引退してさみしいという感情がわき起こったのには、俺自身驚いた。それまで傲慢としか映らなかった彼の態度が逆にカッコいいと感じられるようになった。自らが土俵に投げ出した相手に手を貸して起こしてあげること、それは一見親切のように思える。だが、ひとたび土俵に上がれば、力士にとってそこは「戦場」に他ならないのだ。敗れ去った者は自らの力で立ち上がってくるがいい。「北の湖」の態度は、無言のうちにそう語っているように思えた。

 どうもさみしいかぎりの昨今の日本のスポーツ事情を語ってやるせない思いになってきた。まだまだスポーツに関しては思うところはあるのだが、いずれまた。本日はこれぎり。



2002年06月07日(金) 最近1ヶ月の出来事(とりとめのない話)

 ここんとこ仕事が立て込んでいて、残業したんだけど、ちょっと疲れているのかな、頭が回転せず、仕事もはかどらないで、仕事を持ち帰った。でも、家で仕事をする気にはなれず、明日の午前中にでも休日出勤してケリをつけようかと思っている。劇団関係でも、移転準備などがあって、そちらも大変ではあるけれど・・・。 とか言いながら、しっかり遊んではいるんだな。それなりに日々の生活を楽しんでいるしね。

 で、表題に沿った話題に移っていきたいんだけど、演劇関係は昨日触れたので、その他の話をしようと思う。
 
 演劇以外となると、すぐに音楽の話題になるんだな、俺は。ライブに行った話はつい最近したので、それも割愛。そういえば、ちょっと楽器が増えたよ、パーカッション関係で。楽器屋に行くと、俺、結構、やばいんだよね。依存症が表面化しそうで。「インストルメンタル・ホリック」(曽根が命名しました)ってやつだよ。
だけどね、俺だけじゃないんだ、「楽器収集癖」のあるヤツは。有名人では、中島らも氏がそうらしい(そのあたりは、氏の著作『あの娘は石ころ』という文庫本に詳しく紹介されている)。
 
 映画も何本か観た。「A2」(オウム真理教を追ったドキュメンタリー映画。面白くはあったけど・・・)、「鬼が来た」(旧大日本帝国支配下の中国を舞台にした中国映画。香川照之の演技はそれほどいいとは思わなかったが、不条理な物語の展開はすごく面白かったし、極限状態における人間の一面が見事に描かれていたと思う)、「自殺サークル」(着想は面白く、展開も悪くはないが、詰めの甘さが感じられた)、「KT」(現・韓国大統領の金大中氏は、かつて軍事政権下において反体制のシンボル的存在であった。その彼が東京のホテルから連れ去られた事件、あの謎に包まれた事件に迫った問題作は、大変見応えがあった)、等。
 
 美術関係では、「モネ展」を名古屋市美術館に観に行った。俺は全くもって絵心というものがないので、絵の才能がある人間はすごいと思うけど、その人に嫉妬や羨望を覚えることはない(音楽関係ではそうはいかない)。で、印象派も好きだし、他の名画を観れば、それだっていいと思うに違いない。ゴッホだってゴーギャンだって(今たまたま思い浮かんだ)すばらしいし。ピカソは天才だと思うよ(なんて凡庸な意見)。でも、特に心揺さぶられるのはダリの絵だね。日本人だと、岡本太郎の存在(死んじゃったけど)に圧倒されるね。
 
 アウトドア関係では、乗馬を4ヶ月ぶりにやったけど感覚を忘れてしまってる。
山にも行きたかったけど行ってないなあ。今一番興味があるのがケイビング(洞窟探検)。スキューバダイビングも、ハングライダーも、ラフティングも、ロッククライミングも・・・、いろいろ興味はあるので手当たり次第にやってみたいとも思ってる。

 と、まあ、遊ぶことに関してはここには書ききれないほどに貪欲だったりする。
そうそう、作家活動もぼちぼちスタートさせていきたい。その前に、旅にも出たいなんて、欲望は飽くことを知らぬようである。だが、貪欲ではあっても、強欲にはならぬようにしたいと思っているところである。
  



2002年06月06日(木) ここ1ヶ月の観劇メモ

 最近1ヶ月ほどを振り返ってみると、とにかく毎週のように観劇の機会があった。ということで、その感想から。
 「クセックACT」(スペインを舞台とした物語世界に引き込まれた。個人的には非常に好きなタイプの芝居。客演の火田栓子さんも素晴らしかった)、「ジャブジャブサーキット」(どちらかといえば静かでしっとりしたタイプの芝居。ストーリーの展開を十分に楽しんだ)、「B級遊撃隊」(「B級」の芝居は今回が初めて。佃典彦さんの描き出す不条理な劇世界が鮮やかに演じられていた)、「河童塾」番外公演(長野さんの作・演出作品。長野テイストはそれなりに感じられたが、役者の側からもっと気迫が感じられないものかとは思った)、「てんぷくプロ」(芝居小屋の空間の面白さ、それと演奏も挟みながら飽きさせない展開。面白かったけど、何かがちょっと足りないような気がした)。
 まあ、他人様のことは何とでも言える。でも、いいものはいいし、よくないものはよくないのだ。立場が逆転して批評を受ける側にまわれば、人情として誉められたいとは思うだろう。しかし、だからといって甘く評価してほしくはないのだ。少なくとも私は「よくないものはよくない」と率直に言ってほしいと思っている。役者が舞台に立つ時、それは真剣勝負の瞬間なのだ。問題は「上手いー下手」ではないと思う(上手いに越したことはないが)。劇場全体を支配する空気がいかなるものかによって、その芝居の善し悪しは決するのではないだろうか。それは、同じ芝居でも毎回違ってくるものだろう。そこが、ライブの怖さであり、醍醐味でもある。
 今後とも私は演劇に何とかしがみついていこうと思う。そして、やるからには中途半端なことだけはしたくない。一回一回の公演を完全燃焼していきたい。何が私にそうさせるのか、それは私にもよくわからないのだけれど・・・。
 



2002年06月05日(水) 「障害者」だから不幸なのか?!

 障害者だから不幸なのか?!
 10年くらい前に読んで共感した本のタイトルだ。その著者は、ご自身も下肢に障害を持つ、生瀬克己氏(10年ほど前にお会いした時は、桃山学院大学の教員をなさっていた)であるが、今日はその本とは直接には関係のない話をしたい。「障害者問題」2題。
 その前にひとこと。私は、昔からずっと「恵まれない人々に愛の手を」という言葉の発する傲慢さ(強者の論理)を許し難いと感じ続けてきた。「恵まれない人々」とは誰を指すのか、そして、なにゆえに「恵まれない人々」は存在するのか。「恵まれない人々」を量産する社会(大多数の「普通の人々」によって構成された)の現実がある、ってことを私は忘れたくない。

 さて、ここからが本題だ。一つ目は、「『チャレンジド』を納税者に」という話。「チャレンジド」とは、「神から挑戦すべきことを与えられた人々」を意味し、「障害者」という言葉の持つマイナス・イメージをプラスに転じようとの意図から使われ始めた。最初はアメリカで。そして、日本においてもその言葉を定着させようとする人々がいる。その代表格が、関西に基盤を置く「プロップ・ステーション」(プロップとは、支え、つっかい棒を意味する)の活動であり、その活動の中心にいる竹中ナミ氏である。5月25日に竹中氏の講演会があるというので出掛けてきた。
 「『チャレンジド』を納税者に」というのはスローガンとしてあるが、本質的に実現したいことは別のことだと、彼女は言う。「コンピュータを一つの武器に」「職に就き、納税する」ことによって「社会参加を果たす」ということはイメージしつつも、最も実現すべきは「奪われた誇りを取り戻すこと」だ、と熱く語った。
(「プロップ」の活動や、竹中氏の考え方については、氏の著書『プロップ・ステーションの挑戦』をご参照下さい)。
 ところで、「障害者」という言葉が「チャレンジド」という言葉に取って代わること、そしてプラスのイメージが付加されていくことに、私は大きな意味があると考える。「めくら」を「視覚障害者」に置き換えただけ(「不適当な表現」を「とりあえず」「より無難な言葉」に言い換えただけで、依然マイナス・イメージは残る)というのとはレベルが違う。「障害者」に対するイメージがプラスに転じていくことによって、社会の現実をも変えていく力が蓄えられていくように思うのだ。
言葉の発するイメージが変わることにより、現実が変えられていく、と私は信じている。ということで「チャレンジド」という言葉を普及させようと思う。

 さて、二つ目の話。お題は「地域に暮らす『チャレンジド』〜グループホームでの取り組み〜」といった感じかな? グループホームというのは、(ごく単純化して言えば)大型施設の持つ弊害(閉鎖的かつ管理的な生活)に対する反省から徐々に生まれていった生活の場とでも言おうか。「地域のなかで」「一市民として」「誇りをもって」「人間らしい生活が送られるように」といった思いから、各地にグループホームが誕生していった。実は、私も20代半ばから30代はじめまで、とあるグループホーム(仲間内では「共同生活体」と呼んでいた)の一住人として(名目上は「世話人」という立場で)生活を送った。
 ひと昔前(?)には、「障害者」の多くは親の庇護の下に生活を送るか、「収容施設」に入るか、の二者択一しか考えられなかった。「親亡き後は施設へ」が通り相場だった。そことの比較では選択肢は増えたとも言える。だが、「健常者」に与えられた選択肢に比べたら、まだまだ選択の幅は圧倒的に狭い。その意味では、「障害者だから不幸」と言うべき現実が横たわっていることも事実かもしれない。そうした現実を変えていくことが、私のライフワークというか、使命だと、考えている(別に宗教家ではないけどね)。
 友人Sさん(かつての同僚でもある)が金山のマンション(オートロックの)の一室を購入して約1年前にグループホームを立ち上げた。同じく友人(かつての同僚でもある)Nさんもスタッフとしてかかわっている。Sさん、Nさんともに親しい友人である。私もボランティアとしてグループホームのお手伝いをするはずだったのだが、演劇に足を突っ込んでしまったのでSさんの皮算用ははずれた形になった。それでも、友人のよしみで時々遊びには行っていた。
 10日ほど前にNさんから「力を貸して欲しい」と電話が入った。「これまでSさんと2人でローテーションを組んでやってきたけど、それぞれに自身の体調や家庭の事情などもあって、2人では余裕がないので」とのことだった。早速打ち合わせて「当面週1回程度は2人に代わって『泊まり』(夜から朝にかけて、「チャレンジド」の生活を支える)に入るようにする」ことで合意した。
 で、昨晩はその泊まりの日。職場での仕事を終え、一度自宅に立ち寄ってから、グループホームに向かった。夜8時くらいに到着すると、入居者は既に夕食を終えて、テレビでワールドカップを見ていた(日本がベルギーに引き分けた試合のハイライトシーン)。そこには、ごくごく普通の生活があった。たわいもない会話を交わしながら、どこかホッとした時間を過ごしている。それぞれが思い思いの時間を過ごしながら、そこに流れる空気を呼吸する。言葉を発せずとも、そこには共有できる対話が成立しているのだ。「『障害者』である前に人間である」ということが「主義」「主張」でなく、「情感」としてそこに存在する。
 「障害者」だから不幸なのか?! 現実の厳しさを障害当事者は身をもって体験しているはずだ。第三者的には「不幸」とも思える現実がある。だが、待てよ。他人の人生に関して第三者が「幸福」とか「不幸」と決めつけることなど許されるはずもないのだ。ただ私は、共に過ごせた瞬間の幸福感をかみしめたい、と切に願う。  



2002年06月03日(月) 完全復活! それから、熱狂のライブへ

 大変ご無沙汰いたしました。パソコン修理のため、この1ヶ月更新できませんでした。「その間どうしていたのか」について書き残しておきたいところですが、それは明後日以降にしよう(明日は更新できないと思いますので)と思います。今日は、今日の出来事をとにかく書き残しておきたいのです。

 ちょっと疲れ気味ではあったのだが、仕事が終わってから伏見のライブハウス「Heart Land STUDIO」に出掛けた。「JAPONESIAN BALLS FOUNDATION」(ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション)というバンドのライブがあった。ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬(vo,g)とコーキ(ds)、ヒートウェーブの山口洋(vo,g)、元ヒートウェーブの渡辺圭一(b)の4人編成だ。中川と山口の共演をある程度楽しみにして行ったのだが、予想をはるかに上回るカッコよさでしびれちゃったよ。バンドとしてのまとまりもよく、一人ひとりの個性も十分に発揮されていたように感じられた。特に、渡辺のベースには鳥肌が立っちまった。
 実は4日ほど前には、新栄の「アポロシアター」に元ソウル・フラワー・ユニオンの内海洋子(中川とのツイン・ボーカルが絶妙だった)のバンドのライブを見に行った。ロック・ボーカリストとしての実力は中川も内海も非常に優れていると思うし、声に関して俺は二人とも猛烈に好きなんだ(特に、内海の歌声はロックにもの凄く合っていてカッコよすぎるくらいだ)。でも、先日の内海のライブでは、内海のすばらしさが十分に生かされていなかったように思った。
 で、今日のライブ。実のところ、ライブの前にはそれほど期待していなかったし、疲れてもいたから、オールスタンディングは辛いように思えた。始まってみると、自然に体が動いてノリまくった。観客のノリももの凄くよく、バンドをさらに勢いづかせた感じでもあった。冷静な客でいるつもりが、年甲斐もなく飛び跳ねたりもしたもんだから、今はちょっとエラくていかんわ〜。でも、思わず引き込まれてしまった感じの、ライブだったってことさ。CDだって買うつもりなんかなかったのに、思わず買って4人のサインもらって握手までしてもらっちゃったじゃねえか。
 思わず引き込まれてしまった・・・、そんなふうに観客を熱狂させるステージをやりたいよな。
 それから、いろいろ楽器ができるといいなあ。「自称・前衛音楽家」兼「楽器収集家」の私はそうも思った。
 明日はハードな一日になりそうな気がする。でも、今はただこの余韻に浸っていたい。




 


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夏撃波 [MAIL]